2012年6月29日 

名所を取り上げるにあたり、ガイドブック等に書かれていないことを是非と
請われ、このところそれの歴史を勉強しており、気になりながらもしばらく
置きっぱなしのプログでした。何度か覗きにきてくださった方がおりました
ら、申し訳ない。

では、まだブリュッセル紀行文が続きます。
物価が安いポルトガルから一歩出ると、どこでも何でも高い。特にブリュッ
セルではレストランでの支払い時にびっくりした我らだ。ブリュッセルなら
まずは「ムール貝」と連れたちが勇んでおり、スペインのムール貝であまり
美味だと思わなかったわたしだが、そこはお付き合い、前菜でつまんでみた
が、これが美味しくて彼らの言になるほどと納得した次第です。

ブリュッセルalamortesubite

スペインで食したのは黒かったが、今回のは茶色でした。種類が色々あるの
かしら?この後、4人がそれぞれ一皿ずつ料理を頼み、ビール二杯ずつも含
めてなんと200ユーロ(20000円)の清算書が!ついポルトガルと比べて
しまうので仕方ないのだが、それにしても一人当たり5000円て高すぎな
いか?ブツブツ頭では思いながらもすでに腹に入ってしまった食べ物のこと
ゆえ、文句はいうまい。

4人で渋々出し合って勘定を済ませようとすると、大柄のウエイターがなに
やらフランス語と怪しい英語で言ってくる。なに?10%のチップをよこせ?
それが決まりだ?そんなのメニューに書いてあったか? 咄嗟のことでもあり、
さぁ、もう一度メニューを持って来いとは思いつかず。男たち、交渉してみ
たがウエイターは頑として譲らない。不本意ながら結局チップも併せて220
ユーロを払う羽目になりました^^;

なんだい、ムール貝を除けば他の食べ物なんてどこの国でも食べられるよう
なものじゃないか。へん!とは負け惜しみに聞こえるか(笑)滞在がたった
三日とは言え毎晩夫婦で1万円以上の夕食なんて、冗談じゃない。というので
二日目のわれわれは「ピザ・ハット」へ繰り出し(笑)

しかし、ここでまたグルメ好きの我が友カップル、ここへは是非行こう!と
言い出したのが我らの滞在したホテルのすぐ近くにあるビアカフェ「A La
Mort Subute(ア・ラ・モール・シュビット)」。

brussel_cafe1-1.jpg

ポルトガル語だとA Morto Subita(ア・モルテ・スビタ)、つまり「即死、
もしくは突然死」という意味だ。
正確に訳せば前置詞の「a」があるから「突然死となる」くらいに訳せるのだ
ろうか。そこで三日目の夜はレストランでなしにこの「突然死」ビアカフェ
へと足を運びました。

なぜにこのような名前が?と知りたがりのわたしでなくても興味を持とうと
いうもの。咄嗟にわたしが思ったのは、「ビールの飲みすぎでここで突然死
した輩でもおるのだろう」でしたが、違ってましたw

ブリュッセルalamortesubite
店内から見た外

A La Mort Subuteの名前は1880年に開店されたブリュッセルのとある
カフェが由来で、そこは新聞記者たちの溜まり場で彼らは暇つぶしに「421」
と言うサイコロゲームをよくしていた。ところが事件などで呼び出しがかかっ
たりするとすぐ行かなければならず、その人は突然死し、ゲーム一は終了。
いつの間にかそのカフェはA La Mort Subute呼ばれるようになった。

ブリュッセルalamortesubite
どこかポルトのMajestic Cafeの雰囲気に似ているがポルトのはもっとエレガントで
クラシックだ。これはどちらが好き嫌いの意味ではない。


1910年にMr.Theophille Vossenが現在の場所に開いたビアカフェに
この名前をつけ代々引き継がれて今日に及んでいるとのこと。
ビアカフェの案内には、ここで「421」のサイコロゲームに興じていたのは
近くにあるベルギー銀行員たちとなっていますが、ジャーナリストたちの
方が納得できます。

ブリュッセルalamortesubite
ごらんの通り見事なくらい使い古したテーブルと椅子には味がある。

では、「421のサイコロゲーム」とはどんなものか?こういうのは性格でどう
しても知らずには済ませられない性分ですから調べてみました。
    
パブで常連客が興じるゲームで、二人の場合はそれぞれ11枚のコイン、4
人の場合は21枚のコインをもち三つのサイコロを振って賭ける。421が
でたら最高点、その他三つのぞろ目、二つのぞろ目、連番などで点数が入り、
コインがなくなった人はゲームから抜ける。

点数の数はコインの数で負けた人が飲み代を払うとかその程度の賭け事だそう
で、一杯のビールで暇をつぶしといえばなるほどなるほど。
ブリュッセルalamortesubite
コースターとコースター立て。
ブリュッセルcafemortsubite

次回はここで試したビールについてです。
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テーマ:海外グルメ
ジャンル:海外情報
2012年6月23日 

毎週土曜日の日本語授業は早朝に起きて授業準備をすることも多い。今朝も
その類で準備に入ろうとパソコンを開くと生徒からメールが入っている。
「Sensei, ohayou gozaimasu」で始まり、後は英語で「先週ご連絡しま
したが、学年末試験勉強のため先週に引き続き今週も行けませんこと、念の
ため再度、ご連絡いたします」

うは!そうだった、今日は休講で行かんでもよかったのだっけ
我が生徒、なかなか飲み込みが早いではないか。わたしがそそっかしい性格だ
というのをしっかりつかんでるぞよ(笑)

彼女はただいま10年生、日本で言うところの高校1年生です。わたしは通
常は高校生の生徒を受けないのです。理由は年に3度ある試験の期間と日常
的なテストでもどうしても休むことになり授業がはかどらない。そうでなく
ても週に1度の日本語授業です、しょっちゅう休んでは覚えるわけがない。

高校時代の試験成績がそのまま大学入学の資料、目安の一つになるので、医
学部や法学部をめざす生徒は必死に勉強します。昨年のポルト医学部入学時
の平均点は20点満点の19.5とのこと、彼女もその難関を突破しようと、
今から厳しい受験勉強に取り組んでいるわけですが、どうしても日本語を勉
強してみたい、グループでの野外プロジェクトは土曜日が多いなか、メンバ
ーに頼んで日本語がある土曜日をなんとか避けるようお願いするのだそうで、
その熱心な態度に、じゃ、しばらく教えてみようかとの気持ちでいるのです。

ポルトガルは去年、小学4年生から公的な学科試験システムを取り入れ、こ
れで50%以上の成績をとらなければ落第を意味します。まぁ、とにかくな
んとか年齢に学年を合わせて進級させようという日本とは違い、1年生でも
落第することがある。厳しいのです。これは大学も同様でアルバイトをして
など寸暇暇などありません。ひたすら学業に邁進しないことには卒業はとて
も見込めない。それでこそ学問の府です。
とは言うものの、大学進学率が増えた昨今、ポルトガルも私立大学はそうで
ないかも知れません。

日本語を教えながら、「あぁ、この机に向かって勉強する雰囲気、たまらん
なぁ」と、いくつになってもわたしは憧れます。誰にはばかることなく堂々
と机にかじりついて勉強できるのは大学時代までです。その後は気はあって
も仕事や家事に追われ、時間が細切れになって困難です。

一日中、机に向かい、十分な時間をかけて何事かを勉強、研究できる幸せ。
故にモイケル娘よ、お頑張り。
このところ、テンプル騎士団の追っかけに併せたポルトガルの歴史勉強から
少し遠ざかっているわたしですが、後2年ほどもしたら、好きなことに没頭
して勉強してみたいと考えています。

さてと、ブリュッセル旅行記、本日は食べ物について。

なんと言ってもチョコレートとベルギーワッフル。食べ物に関してはあまり
興味を持たないわたしでも知識として知っている。

ブリュッセル
まずチョコレート店です。広場のすぐ側のアーケード街ギャルリー・サンチュ
ベールには高級ブティック店同様、チョコレート店が数件軒を並べています。

ブリュッセル
アーケードの巨大なチョコレートオブジェ。
下はアールヌーヴォーのデザインでわたしが惹かれた一軒ですが、その
他の店もとてもおしゃれです。
ブリュッセル

こちらは街中のチョコ店。

ブリュッセル
こんなビッグサイズでヌガーや板チョコがグラム単位で売られています。
ブリュッセル

匂いに敏感なわたしがグランプラス界隈で悩まされたのは街中に漂うチョコ
レートの甘い匂い! 普段は夜シャワーを浴びる習慣がないのだが、夕方の
街を歩いた後、髪についたその匂いがたまらず早速洗い流しました。

次はワッフルです。
   
ブリュッセル
 
トッピングが色々で多くの観光客が食べ歩きしていました。そこでわたしも
話のネタにと試したのがたっぷりの生クリームにカラメルソースのワッフル。

ブリュッセル
値段は2ユーロですが、そのボリュームと甘さに我が胃は堪えきれず。
この日のお付き合いの晩御飯は食べるのに苦労しました。

さて、ベルギーワッフルには2種類あるのだそうです。ひとつはわたしが
試食した大き目の長方形のブリュッセルワッフル。もうひとうは丸い形の
リエージュ(町の名前)ワッフル。残念ながらリエージュワッフルを試食
する気はすでに失せており・・・感想なし。
わたしにはポルトガルのベルギーワッフルもどきベルガスビスケットがちょ
うどよろしいような(笑)↓
ブリュッセル
Belgas(ベルガス)は「ベルギー」という意味のポルトガル語。

下は創業1867年っと書かれた古い歴史をもつワッフル屋さん。こっちは1
ユーロだった!
ブリュッセル

気になるピエロのロゴはところどころで見受けられた。
ブリュッセル

こんなワッフルとアイスクリーム売りの移動車もあり。
ブリュッセル

最後にブリュッセルダウンタウンでよく見かけたのに、キャンディーショッ
プがある。可愛らしい色彩に思わずデジカメを向けてしまったバービーキャ
ンディー人形。

ブリュッセル

まぁ、食べ物に関しては書くのが苦手なわたしの、これが精一杯のブリュッ
セルグルメ記事となります。おっと、もうひとつ、ベルギーといえばドイツ
に次ぐビール大国。そこはもちろん、ちょっと面白い飲み屋で試飲してまい
りましたので、次回はその話を。
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2012年6月22日

本日は写真満載です。 

ホテルから近く、滞在中に何度も通過した街の中心、グランプラスは110メ
ートルと68メートルの長方形の石畳の広場。周囲はぐるりと15から17
世紀の建物に囲まれています。この広場で敷かれる有名な花のカーペットは
偶数の年の8月に作られるそうで見ることができませんでしたが、花の朝市
で我慢。
ブリュッセル

遠くからでも尖塔が見えるゴチック様式の市庁舎。
ブリュッセル
尖塔の頂上にはブリュッセルの市章にもあり街でよく見かけるシンボル、
ブリュッセルの守護天使ミカエルが悪魔を倒して下界を見下ろしてます。

ブリュッセル
ゴミ箱にも見られる街のシンボル。

ブリュッセル
広場にあるかつての公爵の家。

ブリュッセル
同じく広場に面した白鳥の家。現在は高級レストラン。

ブリュッセル
18世紀には肉屋のギルドがここにあったとのこと、白鳥は肉屋のシンボル
だそうです。

その右隣は8番地の星の家。
grandplace14-1.jpg
広場でも最も古い家のひとつでこの建物の地階の壁には14世紀の街の英雄
セルクラースの横たわった像があり、これに手を触れると幸運がやってくる
と言う言われがあるそうです。わたしも触ってなでてきましたが、手だった
か脚だったか覚えてない・・・^^;
 
広場の建物にはそれぞれ歴史を物語る興味深いシンボルがありました。
ブリュッセル

ブリュッセル
狼と二人の赤ん坊。これはローマ起源の伝説、狼の乳を飲むロムロスとレム
スだと思う。
 
ここには狐が。
ブリュッセル

さて、行って来た証拠に。広場から放射線状に出るいくつかの路地の一本を
少し歩くと、とあるコーナーに見られるManneken Pisこと小便小僧。
ブリュッセル
意外と小さい。いや、自分もそうだが、小僧さんがです

ブリュッセル記事、次回は食べ物のお話を^^
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テーマ:ヨーロッパ
ジャンル:海外情報
2012年6月21日 

ただいま!

さきほどUEFAカップ、対チェコ戦、ロナウドが後半戦でやっと1点入れて
ポルトガルが勝ち進みました。それにしても何故か人々にいまいち盛り上が
りが感じられないのは、経済危機が落とす暗い影の影響でしょう。昨年末ボ
ーナス無支給に引き続き、公務員、年金生活者の夏のボーナスは今回もなし
です。これが何年も続くとなると国内の経済疲弊はと考えないわけには行き
ません・・・

暗い話はさて置き、ブリュッセル旅行の話をば。
ポルトからブルッセルまで、2時間半ほどの近距離とは言えブリュッセルダ
ウンタウンのセントラル・ステーションまで旅行カバンを引きづり、空港ま
では電車で移動すること20分。空の旅は楽なようだが、2時間前のチェック
インになるので意外と疲労感が残る。

というので、昨日夕方には自宅に到着したのですが、三日も続くともう外食
はうんざり、旅行中は白いご飯を口にしていなかったもので、(こういうと、
「黒いご飯があるのかい!」と昔はよく子供たちに笑われてものだが、わた
しの言う「白いご飯」とは日本式に炊いたご飯のこと。知っててからかう子
供たちでもあったが、後日「黒い米」があるのを知り喜んだものだったw)
大急ぎで夕食にとりかかったが、なんだかやたら眠かった。そして、今日か
ら通常通りの日本語教室スケジュールですが、今週全部休講にするんだった
なと後悔しているのであります。

しばらく前からの咳がなかなか治まらず、色々検査したもののいまいち原因
がはっきりしない。処方された薬も、しょっちゅう途中で放り出してしまう
わたしにしては珍しく完全投薬して大分良くなったのだが、それでも時折思
い出したように出てくるやっかいな咳です。それで、今回のブリュッセル行
きはどうしようかとギリギリまで迷っていたのですが、パソコンに向かって
いることも多い近頃です、たった4日ほどだが、パソコンから完全に離れて
頭脳も目も休息させようと思い行って来ました。

夫の同業カップルとの4人の旅でしたが、夫たちは国際会議出席で、朝8時
半には会場へ向かいホテルに帰り着くのは夕方7時頃。この間は妻たちの自
由時間になるわけです。諸経費が自己負担とは言え、会議出席の夫に妻が
付随するのはポルトガルではごく当たり前のことです。

4年ほど前まで土曜日の日本語補習校の講師を長年続けてきたわたしは、仕
事柄、簡単に休むわけには行かず、同僚たちがカップルで出かける中、夫は
いつも独り。ヨーロッパに限らず多くの海外都市に滞在する機会をこれまで
ずいぶん逃して来ましたが、体力的にも衰えをヒシと感じる近年、そろそろ
こういう手の旅行はもういいかなと思い始めています。

徐々にブリュッセル旅行記を書くのですが、実は5月にモイケル娘と一緒に
家族旅行で行ったシントラもまだ書き終わっていないのであり、あるいは気
まぐれに「ほれブルッセル、ほれシントラ」的になるかもしれませんがよろ
しくお付き合いくださいませ。

さて、本日は空港から利用した電車から。
ブリュッセル

2等車で5.40ユーロ。
ブリュッセル
 
約20分ほどでホテルがある街の真ん中のセントラルステーションこと中央駅
です。ホテルにチェックインするなり、メトロですぐ出かけたのがブルッセル
のもう一つのシンボルと言われる「アトミウム」のすぐ側にある会議会場
ヘイゼル公園。

ブリュッセル
1958年ブリュッセル万博のシンボル、アトミウム。

それよりもわたしの興味をひいたのは万博会場に使われたこの建物です。
ブリュッセル

この建物にはカトリック教に相対するシンボリズムが溢れているように思わ
れます。わたしは中世のカトリック教の価値観には賛同できないのですが、
この手の建物にも異様な圧迫感を覚え、バットマンのゴッサムシティをつい
思い出してしまうわけで。

ブリュッセル
案の定、建物正面に立つ12体の石像の一つは、てっぺんに翼があり二匹の
蛇が絡みついたカドゥケウスの杖を持ったヘルメス(=メルキュール)が
見られました。建物の頂上に立つ4体像のひとつもヘルメスです。

ここからはわたしのメモ的な記録になるのですが、メロビング王朝を起こし
たのがフランドル(現ベルギー、フランス、オランダの一部を含む)王のク
ロヴィス一世であること、クロヴィス一世は妻との関係上、当時王国に定着
していた、バチカンからは異端宗派と呼ばれるアウリス派教徒からに改宗し
たとされていること、19世紀にベルギー、フランスを中心に起きた「象徴
主義ことシンボリズム」の20世紀への影響等を考え合わせると、ベルギー
は神秘主義の歴史を探るに値するような気がきます。そのうち、時間を見て
調べたいと思います。

では、本日はこれにて。明日はブリュッセル(2)です。
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テーマ:海外旅行記
ジャンル:海外情報
2012年6月17日

yugureno.jpg

おはようございます!

お!昨夜の「イチゴズシ」の話に引き続き、更新、珍しいとお思いくださる
な(笑)うっかり昨夜のエントリーに書き忘れ^^;

ただ今から、ベルギーはブルッセルは行ってまいります。
水曜日には帰ってきますが、その間、お時間のある方は、下記の我がポルト
ガルサイト、もしくは、昭和時代の思い出が入った最初のホームページなど、
ご訪問いただけたら、嬉しいです。

では、行ってまいります!

「ポルトガル・ロマン」

「Spacesisのホームページ」


では、行ってまいります!
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2012年6月16日 

大都市と違い、ポルトで本格的な日本食を味わおうというのは叶わないこと
と重々承知している。それでもたまには自分の手を煩わせずに寿司もどきを
食べたくなる。

今では日本人の板前さんがいる和食レストラン「一番」があるのだが、少し
値がはるのと出てくるのが遅いのとで、しょっちゅうは行かない。わたした
ちがこれまで試した和食レストランはずいぶんとある。が、板前さんはどれ
も外国人なので、日本人のわたしからすればどうしても「まぁ食べられるが
ちょっと微妙な味」となるのだ。

ポルトに数ある寿司レストランだが、名前からしていただけない店にはわた
しは行かない。Kyodai、Sumo、Musashi, Soho エトセトラ。失礼だが
なんだ、これは?と店名からしていぶかしげで行ってみようと言う気がなえ
てしまう。ポルトガル人からすると、よく知られる日本語なのだろうが、レ
ストラン名としてはいかがなものかと日本人のわたしは思うのである。

日本食レストランでわたしがしないことがひとつある。生魚を口にしない。
鮮度が分からないのでポルトガルに限らず、国外ではわたしは極力生魚を
避ける。マグロ類は特に避ける。なんだ、それじゃ寿司を食べることになら
ないじゃないかと言われようが、よござんすのよ(笑) 

食べ物に臆病なわたしは注文するのは専らベジタリアン用の巻き寿司だ。
夫はすし類よりもカツ丼や照り焼き魚などを頼むが、これはわたしに付き合
って已む無く行ってることの証である。カツ丼も照り焼きも日本人が出す味
には到底ありつけない。

しばらく前に米国内のニュースで「寿司屋のマグロからサルモネラ菌…
20の州で116人が食中毒に」と言うのがあった。米国の海産物輸出業者が
販売した冷凍キハダマグロが原因とも、今米国で人気の「スパイシーツナロ
ール」(マグロの赤身にラー油と七味唐辛子をつけた巻き寿司だそうだ)が
原因だとも言われているそうだ。

寿司にラー油と七味唐辛子・・・とても日本人の感覚では考え付かないわた
しは思う。そうしてみると、ポルトの寿司レストランで巻き寿司を油で揚げ
たのをメニューにしているところもあり、日本語教室の生徒さん達と食事会
をしたときに注文したのがおり、このときは思い切って一口試食させてもら
ったが、本来の寿司からは遥かにかけ離れた味で、それきりだ。

日本の伝統食品の寿司がヘルシー食品として海外に普及され人気が出るのは
嬉しいことだが、本家の寿司を離れてアレンジされた色々なメニューが新た
に出てくるのには戸惑いを感じる。

わたしが思うに、日本伝統の寿司は衛生に口うるさい日本人が、長い年月を
かけて到達した、アレンジの追随を許さない究極の形なのではないのか。

日本人のわたしたちも、カレーライスのように本来のカレーから離れたもの、
また、タラコスパゲッティもそうだが、本場の人が「え?」と思うような、
日本人の口に合わせた味が創られた例があるので、伝統寿司云々と大きな声
では言えないところがある。

それでも、鮮魚を扱う寿司の話である、海外に普及されることで、外国人に
よってあのテこのテの微妙な味のスシモドキが出現するのは仕方ないが、日
本には古来から「食い合わせの悪い食べ物」というのがある。新メニュー創
作には、是非その点も外国人の板前さんには考えて欲しいものだ。

本日のエントリーのネタはこれなのであります。

イチゴズシ

出されてド近眼のわたし、ベジタリアン寿司を頼んだのに、何ゆえマグロが
乗ってるのだ?しかもやたら赤いし・・・」と思って目を近づけてみたとこ
ろ、イチゴでありました^^;
実はエチゴジシ、いや、イチゴズシは今回で2回目なのであります。初めて
目にし、何事も経験、向学のためだ、いけ!と一念発起、エイヤ!と挑戦し
て口にしてみたのが海岸通Fozにあるレストラン「Shis」でのこと。

イチゴズシ

まぁ、これは盛り付けとして美しいところもありますが、やはり味は何とも
微妙なものでありました。今回のはイチゴズシと分かるや、もちろん、はな
から相手にいたしません。とっとと乗っかってる甘いイチゴを箸でよっけて
寿司飯のみ口に放り込みましたです。それでも寿司飯にイチゴの甘みが残っ
ていて、なんだか食べてはいけないものを口にしたような気持ち・・・

漢字で書いてやらないぞぉ、このスシ(笑)

ん?一度試して見たいなんてお方、いらはるの?もう!知りまっせん!

イチゴズシが出るレストラン、次回ご紹介いたします。
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2012年6月13日  

モイケル娘のブログを覗きに行ったら、「ノ、ノン ファレ フランセ」の
ドーンと目に飛び込んできた。
げ!遥か昔の己のずっこけセリフじゃないか!モイケル娘や東京息子をネタ
にするわたしが、今回は彼女にしてやられましたぞ。

昔、ポルトはリベイラを歩いていたときのこと。すれ違いざまにツーリスト
女性が、その日わたしが土産店で買って手に持っていた民芸品を指差し、フ
ランス語で聞いてきたときのわたしの究極の返答でありまして。いやいや、
思い出すも恥ずかしやの「ノン ファレ フランセ」なのであります

どうしてフランス語を話していると分かったのか?いえね、学習したことが
ないので全く理解できない外国語ではありますが、音でフランス語だと分か
ることはできるのです。それで咄嗟にポルトガル語を勝手アレンジして少し
フランス語風にと(笑) 我ながら、もう、することがムチャクチャでござ
いまする^^;以来、ことあるごとに我が家の食卓でネタにされては笑われ
てきたのでして。
詳細に興味がある方は、是非我がモイケル娘のブログをご訪問くださいませ。

http://portosentido.blog54.fc2.com/blog-date-20120611.html

数日前にスカイプでモイケル娘と話したときのこと。
「おっかさん、外国語を学ぶって大変だね」と言う。
日本語、英語、ポルトガル語と一応三カ国語が理解できるモイケル娘、何を
今更、どないしたのよと聞くと、志望校の大学院のひとつにフランス語の試
験があるという。それでつい先ごろ参考に試験問題を閲覧しに大学へでかけ
たそうなのだが、ぐは!これは勉強しないといかん、てなわけで目下独学で
取り組んでいるのだ。(だ、だいじょぶかな、モイケルよ^^;)

我が子たち、特にモイケル娘の場合、日本語も英語もポルトガル語も机に向
かって語学として学ぶというより、わたしたちの環境で、子供のころから身
の回りで聞かれる三言語としてある程度自然に身についてきたところがある
のではないかと、彼女の言葉を聞いて今回初めて思ったことだ。

わたしが思うに、3ヶ国語ができれば他の言語も案外容易に学べるのではな
いか?なのだが、3ヶ国語目のポルトガル語で四苦八苦しているわたしが言
っても説得力がないかもしれない(笑)

しかし、現在、取り組んでいるポルトガル語がある程度書けるようになった
暁には、いざ、その響きが好きなイタリア語を!と実は目論んで夫に呆れら
れているわたしではある。そう、この三ヶ国語目がもうちょっとできるよう
になったら、なのだが、頭脳収容量に限界があるのをとみに感じているこの
頃だが、「CD付はじめてのイタリア語会話」の本は、長い間本棚の奥に入れ
られていたのが、今、自分の目の届くところに置かれている。そして、時々
その本を手に取りパラパラとめくっては「うっふっふっふ」とその日が来る
のを夢見ているのである。

さて、このエントリーを書きながら、実はテレビに半分釘付けになっていた
のであります。なんとならば、現在ウクライナとポーランドで開催されてい
るUEFAユーロ2012、今日はポルトガル対デンマーク。
今回のポルトガルの組み合わせチームは、ドイツ、デンマーク、オランダと
こりゃぁ、てぇへんだ、なのです。先日のドイツ戦には敗北、今日もどちら
かと言えばあまり希望はもてないなぁとw

夕方5時頃、ポルトガル語のディアス先生のお宅から帰ってきたところ、ん
まぁ、フラットの周囲、車という車で駐車するところなし。なんでかしらと
思いながら、PCに向かっていますと、どこからか「うわーー!」と歓声が聞
こえてくる。てっきり7時から始まると思っていた対デンマーク戦がすでに
始まっており、外の車は前のカフェに集まって皆で試合を見ようという応援
者たちのものだったのですね。

一回戦対ドイツは残念ながら敗北したので、今日の試合に負けた場合はポル
トガルチームはアウトです。途中からわたしも日本語の教材作成そっちのけ
でテレビ観戦、ロナウドのゴールこそ叶わなかったものの、今日は3:2で
勝利でした。

UEFA
大喜びのプレーヤーたち。よかったね!
(画像は全てポルトガルのWeb新聞から)

uefa2.jpg
ゴールを決めて喜ぶPepe↑とVarela↓
UEFA

ポルト、リボリ劇場前のドン・ジュアン1世広場では大スクリーンが設置され、
多くの市民がここで今日の試合に見入って応援している様子が夜のテレビニュ
ースで流れました。これでポルトガル経済が上向きになるわけではないのです
が、勝ち残ったことで少しは街が活気付くでしょうか。
日曜日は対オランダ戦です。

本日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。
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テーマ:ポルトガル
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サンティアゴ大聖堂の大香炉・ボタフメイロ(Botafumeiro)

サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂
Wikiより

「ボタフメイロ」はスペイン語で「香炉」の意味です↑
 
高さ1.6m、重さ80キロ。特別の行事に写真のように大聖堂ドームの天
井からぶら下げられ中の香を炊きます。

サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂
Wikiより
 
8人の僧侶によりロープで上に21mの高さまで引き上げられ翼廊65m間
を振り子のように振られるのだそうです。聖堂内は炊かれた香煙でいっぱい
になり、多くの巡礼者を清める役割にもなるのでしょう。

bodafomeiro1.jpg
Wikiより

原則的には7月25日サンティアゴの日に行われる儀式のようですが250
ユーロの浄財を納めると、パーフォーマンスしてくれるそうです。残念なが
らわたしたちは観ることができませんでした。
下記、Youtube サイトで動画をみることができます。
         
http://www.youtube.com/watch?v=Zg9r2Vrtj_0&feature=related

これですが、過去にロープが切れたことはなかったのかしら?と、動画を見
ながら余計な心配が頭をかすめたもので、ちょっと調べてみましたら、案の
定、けが人がた記録は出てこないものの幾度か落ちるという事故があったと
のこと。くわばらくわばら。

註:ボタフメイロの話は耳にしていたものの、実際に見ることはできません
  でしたので、上3枚の写真はWikipediaからのものです。


博物館入り口の上にある馬上のサンティアゴ

サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂
           
サンティアゴの遺体が発見されたといわれる9世紀のイベリア半島は、イス
ラム教徒から国土を奪回しようとするキリスト教徒による「レコンキスタの
戦い」が北部から展開されていました。

サンティアゴはその運動のシンボルとされ、キリスト教徒からは、ムーア人
殺し(ムーア人=イスラム教徒)の異名を受け、戦士は戦いに臨んで「サン
ティアーゴ!」と雄たけびを上げて死力を尽くしたといわれます。サンティ
アゴはスペインの守護聖人とされています。


下記では北部スペイン、コルーニャの「ヘラクレスの塔」「コルーニャの祭」
を書いていますので、興味がある方はどうぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-813.html

      
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テーマ:スペイン
ジャンル:海外情報
2012年6月10日

今回は2回にわたり2009年に訪れたサン・ティアゴ・コンポステラの記事
になります。

サンティアゴ・デ・コンポステラはエルサレム、ローマに並ぶキリスト教三大
聖地のひとつです。古から「星の道」と呼ばれてきました。現在も多の巡礼
者が訪れると言われます。巡礼路は下記図のようにいくつかあり、主にフラ
ンスからピレネー山脈を 越えてスペイン・ガリシア地方へ入り、終着地を
目指します。

サンティアゴ・デ・コンポステラ
画像はWikiより
        
スペイン国内の巡礼路はユネスコの世界遺産に登録され、日本の和歌山県、
三重県、奈良県三県にまたがる吉野大峰、熊野三山、高野山の三つの霊場
とその参詣道に並ぶ、世界でも珍しい文化遺産とされています。

ピレネーからは徒歩で30日以上を要するそうです。わたしが住むポルトガ
ル・ポルトからもポルトガルの道がありますが、3分の1ほど。遥かピレネ
ーを越える巡礼者に比べると10日から2週間の巡礼路、若いうちにしてみ
たかった気がします。徒歩ではないが、車で2度訪れました。わたしが見た
サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂を紹介します。


サンティアーゴ・デ・コンポステラ 

サンティアゴ・デ・コンポステラ
                大聖堂

聖ティアゴ(聖ヤコブ、またはSt.James)はガリラヤ湖の漁師で、弟のヨ
ハネと共にイエス・キリストに従った。ヒスパニアで布教活動を行い、エル
サレムに帰還後、ヘロデ・アグリッパ1世によって断首され十二使徒のうち
最後の殉教者となった。伝説では9世紀に星に導かれた羊飼いがこの地で聖
ヤコブの墓を発見し、遺骨を祭った聖堂が建てられ、そこに教会が作られた。
          
これがサンティアゴ・デ・コンポステーラの町の起源とされ、町の名はラテ
ン語の「Campus stellae」(星の野)あるいは「Compositum」(墓場)
にちなんで名付けられたといわれた。(Wikipedia引用)

    
サンティアゴ・デ・コンポステラ
広場にある巡礼者が使う杖。帆立貝はサンティアゴのシンボルで諸説がある。

サンティアゴ・デ・コンポステラ
サンティアゴは布教中にほたて貝を杖にぶら下げて歩き、これで水をすくっ
て飲んだからとも言われます。瓢箪は現代の巡礼者の水筒代わり。
   
サンティアゴ・デ・コンポステラ
かわいい托鉢巡礼ワンちゃんを見かけた。しかし、なんだかなぁ、ではある。 

サンティアゴ・デ・コンポステラ
人でにぎわう大聖堂への道

大聖堂内へ

santiago14-catedral.jpg
入り口へいざなう階段の一部
     
サンティアゴ・デ・コンポステラ

この「栄光の門」から入るのだが私たちが訪れた2009年夏には修繕中で
あった。栄光の門の中央柱に座るサンティアゴ。右手に「主が我を使わせり」
と書かれた巻物を、左手に杖を持つ。柱の下はキリストの家計図を表す「エ
ッサイの樹」。

註)エッサイの樹:ダビデ王の父エッサイからイエス・キリストにいたる系
図を一本の樹に表したもの。横たわったダビデ王の父エッサイを根元にユダ
王国の12人の王が枝になっている。 

樹の枝の一段目右はダビデ王、左にはその息子ソロモン王、トップに立つの
はヤコブの子、聖ジュゼ(ヨセフ)、その両脇には聖母マリアの父ジョアキ
ン(ヨアキン)、その左は聖母マリアの母、サンタ・アナ、頂上は聖母マリア
と幼いキリストです。 

柱、エッサイの樹の下方は、これまで多くの巡礼がこの門をくぐる際にサン
ティアゴに到着したと報告する意味で手を触れるのでその部分は手形にへこ
んでいる。

サンティアゴ・デ・コンポステラ
エッサイの樹の下、柱の足元。これがなんなのか、目下調査中。

次回に続きます。

なお、エッサイの樹については下記ポルトの「サン・フランシスコ教会」で
も触れています↓
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-687.html
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2012年6月7日 

数日いい天気が続いたと思いきや、曇り空のこの頃。
これは6月、朝は曇りがちで日中真っ青な青空を見せたりするサン・ジュアン
の頃の天候でもあります。

今日は移動性祭日の「Corpo de Deus」(聖体祭)でポルトガルは休日です。
Corpo de Deus(Corpo=体、Deus=神)は現カトリック教会典礼によると、
「至聖なるキリストの体と血の儀式」なんだそうで、よく内容がつかめない
のではあります。
休日の朝一番の電話、ん?何ごとであるかと応答すると日本語の生徒さん、
「今日は授業できませんかぁ?」・・・・・おい!(笑)
「今日は、先生は休みたいです」と返事を返しましたです。

さて、毎週水曜日は日本語教室の合間を縫ってなんとか頑張って通い続けて
いるポルトガル語個人授業ですが、ついに最後の読解力練習テキスト、第1
課から30課までを昨日終えました!

ポルトガル語


ん十年も住んでるんだ、spacesisさん、もう十分ポルトガル語ができるで
しょう、などど皆様、お考えなさるな。子育て、17年に及ぶ学校の送迎、
子達の日本語教育と、楽しみながらではあるものの全力を注いで(ちょっと
言いすぎかもw)自分の教育をなおざりにしたツケが、ポルトガル語学習の
遅い始まりと言う形になったのであります。ま、自分に費やす教育費どころ
ではありませんでしたしね(笑)
と、一応たらたら言い訳をこねましたが、ご勘弁を。

30課も学習したとは言え、家での勉強はポルトガル語に出かける前の1時
間きり。復習する時間はなかなか作れず、やりっ放しの状態ですから、単語
に関しては「あ、見たことがある」くらいなもので、果たしてどの程度頭に
入ってるかはさて置き、とにかく完了したということに少しは意味があるか
も知れません。そして、来週からディアス先生と読むのがこの本です。

ハガレン

ブラジル人作家、パウロ・コエリュ氏の「O Alquimista」(錬金術師)。

表紙のイラストとタイトルを一目見て即手にしたのがかれこれ7年ほど前に
もなる。ざっと一度読んで面白いと思い、数年後、我がモイケル娘にも増版
本を送りましたら、ハガレンこと「鋼の錬金術師を読んでるぞ」と言う。

聞くと、マンガのシリーズなのだそうで、ポルトのマンガ狂の間でも知られ
ているのを発見(笑)。しからばそのシリーズを買い揃えておくれ、とモイ
ケルに依頼し全27巻揃えてもらったので、昨春の帰国時に持ってこれたも
のを、食べ物に欲がくらみ旅行カバンは日本食で制限重量目いっぱい。前回
は持ち込むことができなかったのでした。

2001年に始まったこのシリーズは2010年に完結。ファンタジーです
から、出てくる語彙やその意味合いを鵜呑みにはできませんが、マンガとは
言え参考になるのではないかとわたしは期待しているのです。

錬金術の歴史は古代エジプトに遡り、物質の変化、精錬のサイエンス性から
人間の精神の完成度を求める秘儀神秘思想まで、多くの人々を惹きつけてき
た言葉です。

さて、パウロ・コエリュ氏のアルケミストに戻りまして、不明なところはすっ
飛ばして読んだこの本をもう一度読んでみなければと思ったきっかけにマー
チン・シーン主演の「The Way」(邦題:星の旅人たち)があります。

サン・ティアーゴ・デ・コンポステラ巡礼でピレネー山脈を越える途中で嵐
に会い命を落とした息子の足跡を辿り、父親のトムは傷心を抱えて星の道と
呼ばれる古の巡礼路をフランスからサン・チアーゴ・デ・コンポステラまで歩
こうと決意します。旅の途中でそれぞれ国籍の違う3人の巡礼と知り合い、
やがて共に歩くことになるのですが・・・



「You don’t choose a life, Dad. you live one」
とのトムの息子の言葉が胸に残ります。

サン・ティアーゴ・デ・コンポステラはわたしたちも2度訪れています。
これまでなかなか記事にする機会がなかったのですが、次回ご紹介したいと
思います。

不明なところはすっ飛ばして読んだ「アルケミスト」ですが、きちんと読み
少し掘り下げてみたいという気持ちが今回の再読になりました。

我がポルトガル語の先生は70近くのお歳ですが神学を選択した方です。素
人のわたしの独学ではとても計り知れないような知識をお持ちのはず、辛抱
強くお付き合いくださることを願いつつ、来週からのレッスンを楽しみにし
ておるのです。
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2012年6月2日 

♪ああ、我ダンテの詩才(鬼才?奇才?)なく バイロン、ハイネの熱なきも 
 石を抱きて野に歌う 芭蕉のさびを喜ばず

(註:この場合の「喜ばず」の「ず」は否定の意味ではないぞ、モイケルよ)

と与謝野鉄幹の「人を恋うる唄」でも歌われた詩人バイロンも滞在し、著書
「チャイルド・ハロルドの巡礼」の一部が書かれたと言われる、シントラの
Lawrences Hotelを今回は利用しました。
 
1764年に創立されたローレンス・ホテルはイベリア半島で最古のホテルだ
と言われます。五つ星、部屋数はわずか16室です。今回は4月の、しかも
日曜日の宿泊とあって、予約がとれました。

シントラ

ローレンス・ホテルは1961年に閉鎖され、1989年にオランダ人夫婦に
よってリオープンされた際には招待状に当時のアメリカ国務大臣やオランダ
のベアトリス女王が第一級貴賓とされたそうです。

シントラ
(この画像はWikiより)

また、ポルトガルの高校生が読書必須のポルトガル著名作家エッサ・デ・ケ
イロス(Eca de Queiros)の「Os Maias」(マイア一族)の中でも引用
されています。
シントラ
(Wikiより)

ローレンス・ホテルには部屋番号はなく、どの部屋にも個々の名前がつけら
れています。下はモイケル娘が宿泊した部屋。

シントラ
枕元の絵はよく見ると異端的なシンボル、尾が二つに割れている人魚メリュ
ジナが描かれています。

バイロンの他に、シントラの歴史とは切り離せないゴチック作家ウィリアム・
ベックフォードもここに滞在しており、二人とも秘儀主義者だと推測するわ
たしは、ひょっとするとここでそのヒントに出会えないだろうかとの期待も
あり、夫にこのホテルを選んでもらったのであります。
シントラ

わたしたちの部屋の奥がバイロン卿とベックフォードが使った部屋で、その
まま詩人と作家の名前が部屋名になっています。

シントラ

残念ながら、期待したこれぞというヒントをホテル内で見ることはできませ
んでしたが、いずれにしても、18世紀当初の所有者名がネット検索では出
てこず、ホテルの歴史情報が極めて少ない中、買い受けたのがオランダのベ
アトリクス女王を招待できるほどの地位にあるオランダ人夫婦だということ、
1999年には、陰のサミットと世に呼ばれ、そのメインスポンサーがロッ
クフェラー財団だとされるビルダーバーグソサエティ会議がシントラで開催
されていること、オランダのベアトリクス女王はそのエリザベス女王と共に
主要メンバーであることなどを考え合わせると、ローレンス・ホテルには創
立当初から、なにやら異端の匂いがプンプンします。

もっとも、それはこのホテルに限らずシントラそのものが昔から秘儀主義巡
礼者の密かなる出発点であったのではないかとは、わたしの素人考察です。

さて、ローレンスホテルに到着後、荷を解くのもそこそこにわたしたちは久
しぶりにペナ城を訪れたのですが、これは次回に案内するとして、翌朝、時
間を惜しみ少し早めに起き、ホテルでの朝食を終えて後、わたしたちは目的
の「キンタ・・ダ・レガレイラ」を目指して歩いたのですが、路上駐車して
ある我らの車の側を通り過ぎようとすると、モイケル娘、

「あれ?車の窓、全部開いてるけど?」
「ん?な、なぬ?」

と心臓ドキッのわたし。夫と二人目を凝らしてみると、モイケルの言う通り、
運転席の窓が全開やん!ちょっとーーー!

夫はこういうときですら慌てるでもなく、困ったなと言う風な顔をして、自
ら窓全開を確認し、「しかたない」と一言・・・・・

こんなドジをしでかすなんて、粗忽者のわたしならいざ知らず、夫がとは、
あな不思議。それよりも、前日到着後からずっとそのままだったと言うのに、
何の被害もなかったのはそれに輪をかけて、あなあな不思議と言わざるをえ
ません。ツーリストが少なかったこともあるのでしょうが、これはポルトガル
においては幸運の極みでありましょう。

やっぱり少し遠くても、少しお金がかかっても有料駐車場に止めるべきです。
で、下記、過去の自分の失敗談を引っ張りだして、本日はとっつばれといた
します。

2006年5月31日(木) シィ~~^^;
うわぉ!危なかった!

夏時間で今はまだまだ明るい夕方7時過ぎ。
アパートの玄関ブザーが鳴ったので、てっきり日本語の生徒さんだと思い、
日本語で、「どなたですか?」と聞いた。

これは、普段日本語を皆目耳にしない生徒さんたちのために、誰と分かって
いても、日本語でそう聞くことにしているのだ。「ちゃんと日本語で名前を
言わないと、ドアを開けるボタンを押さないわよ^^」と言ってある(笑)

すると、期待に反して、男の声がポルトガル語で何やらわめいている・・・
「アナです」とてっきり日本語で返事が来ると思っていたのに、案に反して
ポルトガル語が来たもので、か弱い我が頭脳は、数秒@@状態ですぐには
反応しない^^;

「な、なんでしょか?」と数秒後やっとポルトガル語で応対した。
「お宅の車の窓があいてまっせー」と、聞いた!
「う、うけぇ?(O que e!?)」(ポルトガル語で、え、えぇ!の意味)
え~らいこっちゃえらいこっちゃ!
聞くなり、家のドアの鍵束をひっつかみ大慌てで階段を下り、外へ出て己の
車を駐車してある向かいのアパートの前に!

うわぁ~~、ほんまや!助手席の窓、開けっ放しやん!
誰やねん!!・・って、自分やん^^;
3時からの日本語教室が終わってから、大急ぎでハイパーマーケットまで車
を飛ばし、買い物をしてその場所に駐車したのが2時間前。

たまたまわたしの車の横に自分の車をつけた、お向かいのアパートの人が知
らせてくれたのでした。その男性、助かったと礼言うわたしに片目をつぶり
ながら、自分のアパートのドアを開けて入って行きました。

ふぅ。危なかった^^;
あんなことしてたら、「は~い、車中のもの、残さずお持ち帰りくだされ」と
誘惑しているようなものだ・・・・いかんいかん^^;
しかし、お向かいに入っていったその男性、わたしはまったく見覚えがない
のです。わたしには、自分のアパートの前、お向かいのアパートの前とズラリ
並んで駐車している車、自分のを除いては、どれがご近所の誰の車かなんて
分かりもしません。

へぇ、みんなよく知ってるのね、とまずは思ったのだが、待てよ・・・・
やっぱり、茶髪グラサン東洋女の車が目立つのだわぃ^^;

それに、我が家へ来るお掃除のおばさんは、しょっちゅう向かいのカフェに
行ってますから、結構おしゃべりしてるやも知れない^^;
「ほれ、あの青い車、お慌て者のドナ・ユーコの車よ。今朝も行っ たら、前
の日の鍋焦がしの匂いがしてたわ。わっはっは」とかなんとか(笑)

しかし、人の口に戸は立てられず、です。
ま、このまま行っちゃうっきゃない^^

で、亭主にはこのまま言っちゃわない(笑)
もうちっと自分のボケぶりを自覚せぇ、とお小言もらいそうだから内緒内緒。
シィ~~・・・・・

え?日曜日には亭主、向かいのカフェで新聞読むのが習慣だから、どこから
かすぐ耳に入るんじゃないのかって?
・・・・・・・・・し、知らん^^;

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