2012年9月29日 

なったばかりでもう始まった安倍総裁バッシング、昼ごはんに食べたカツカ
レーが3500円で庶民的でないとおっしゃる。

わたしの持つ辞書には「庶民的とは態度や考え方などが庶民(ごく普通の人)
と違わない様子」とある。庶民的な能力で一国のリーダーになれるわけがな
いのは言わずとも分かることで、一国のリーダーになろうかという人が庶
民的でいいのか。何を食べようと勝手だ。わたしだって昼食に3500
円くらい払うことは時々ある。政治家が庶民的であるべきだとでも言いた
げではないか。

もし3500円のカレーが贅沢だというのなら、政治家は精神的体力的に
激務をこなしていくのだからして多少の贅沢はいいではないか。報道に事
欠いてこんな目くらましの言葉を使って偏向報道するとは、読者も随分見
くびられたものだ。でも、こういうのにひっかかる人もいるのだろうなぁ。

カレー論争してる間があたら、真面目に政策論争、歴史論争を展開せよ!

ちなみに朝○新聞ビル、○日新聞社ビルではサービス料を別にした3000
円、5000円以上のカレーライスがあるという。「3500円カレー、
報道に激震」なんて大見出しをつけたりしてますが、なんでっかこれ(笑)
どうせなら、「激辛」とでもやったら、まだユーモアがあって面白いのに。

さて、今日の本題です。

昨年暮れからもちあがっていた話が市立図書館での日本語コース開講。

周知の通り経済危機を抱えたポルトガルです、職はないけど時間はある、
職があるけど将来的に低賃金の現状を脱却したいと考える若いひとたちが
いるはずで、そこを考慮して図書館と話し合い、それこそかなり「庶民的
な」月謝を設定しました。

所得税、ガソリン代を差し引くと自分の手元に来るのはガビ~ンの額、しか
しやってみたい!との思いで引き受けたのですが、話が出て8ヶ月後の今日、
やっとのことで開講に漕ぎ着けました。

うふふ。それがですね、歴史は繰り返す(笑)下の絵と似たようなことをま
たもやする羽目になったことを白状いたします^^;

chusan-kokuban-2.jpg

このイラストはブログ友のアーリストことちゅうさんが2008年の拙ブログ
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-409.htmlをヒントに描い
てくださったもので、実のところかなり気に入っているのであります。

ちゅうさん、勝手にまた利用させていただいてますが、実は上記のわたしの
過去記事からこの絵のあったはずのちゅうさんのサイトへリンクを貼ってい
たのですが、ちゅうさんの記事がない・・^^;それで、掲載しましたがよ
ろしいかしら?(って、これじゃ断れないよねぇ^^;)

日本語コース新設はよかったのですが、話を聞いてみると、「ドナ・ユーコ、
実は提供する予定だった教室が他のコースに持っていかれて、ない。」

が~~~ん!
そこで、ギャラリーのスペースを使っていただけないかということに相成っ
たのであります。ギャ、ギャラリーって、展示会してますやん?(一介の庶
民のわたしの展示会ではない。プロのアーティストさんたちが個展をする立
派なギャラリーです)。

2年前にそこは、ポルト市と日本の国際親善協会との共催で、わたしがコー
ディネーターをさせられ(^^;)、大々的に催されたJapan Weekの展示
会場として使われたところです↓

JWkaijou-1.jpg
2010年第35回ポルトJapan Week

この会場の一隅を教室にしようと言うのです。とのかく見てくれと案内され
た展示会場、目下ミニチュア本展示会が催されており、その会場の奥が白い
大きなパーテーションで仕切られています。

おお、明るい。教室とはちょっと言いがたいし、下手すると展示会場の来場
者に授業の様子がまる聞こえになるだろうが、最初の話と違うではないかと
言っても埒があくまい。ま、要は勉強できるスペースがあればそれでよしと
しよう。

「はい、ここでいいです」と承諾したところが、次に「実はホワイトボード
が別のコースで使われ るので黒板がないのです」・・・・頭の中で鐘が鳴
りますギンゴンガ~~ン!!
I嬢よ、それはないっすよ。我が授業は黒板なしではしまへん!家での個人
レッスンだってわたしは黒板を使ってるのだ。I嬢の申し訳なさそな顔を目
前にして、こういう時はつい情に流され断固としたことが言えないところが
あるのです。

「ここまで漕ぎ着けた日本語コース、やめたくない」と言う気持ちもやおら
頭をもたげてきました。その場で、ない頭をフル回転させたが、結論はただ
ひとつ、先方ができないのであれば自分が用意すればいいのだ。我が家で
現在使っているあのク○重たい黒板を運んでくるっきゃない。

夫、この話にあきれ果て、「向こうに用意してもらうべきだ。教室も黒板も
設備を整えてくれる約束になってるはずだから」とのたもう。う、うん。
でもいい。こちらの希望に相手が添えられない場合は、自分ができる限りの
ことをすればよいのだ。大切なのは設備じゃない、生徒たちが日本語に興味
を失わない授業をすること。スペースと机があればなんとかできる。

というので、今朝は初日なので教材も多く、おまけに黒板は重いと来てる。
夫が手伝ってくれました。そして、出来た即席日本語教室がこれです↓

biblioteca1.jpg

うむ。やはり黒板が小さいが、いいではないか。朝の光が差し込んで、さな
がらに「陽のあたる教室」です。机も実はあり合わせのものらしいですが、
赤い色がむしろ教室をアーティスティックに引き立ててくれています。
とまぁ、こういうことは良いほうに捉えたほうが幸せというもの。

biblioteca2.jpg

8人と言う結構大きなグループレッスンで、教材やその他の書類作成で一日
中を費やした昨日、緊張感のせいか夜にはさすが胃痛を感じ、夫にお薬~と
頼むと、「もう分かってました。君がそう来るの。新しいことが始まる前日
はいつもそうだ。それでいて次から次へと引き受けて懲りない人だ」
てへへへへ^^;

ついでに、我が故郷高校時代の友人からいただいた弘前のポスターも貼り付
け、「日本一のさくらである」と生徒たちにお国自慢です。

biblioteca3.jpg

貼り付けるものは毎回変えて、できるだけ正しい日本のイメージをもって
欲しい。

初回の今日、日本の文字のエピローグから入り、ひらがなの練習、第1課
に少し進み、では、本日は終わります、とほぉ~っと一息つきながら片付
け始めたところに、一人の生徒がやってきました。
「先生、授業は1時間だけですか?」
「ほぇ?・・・・」と腕時計に目をやると・・・・しまった!か、勘違いし
て30分早く終わっちゃった~~^^;

ぞろぞろとギャラリーを歩いている生徒さんたちを「お~~い、みなさん。
まだ終わっとらん~」と呼び戻し。
初っ端からこれでござんす、おっかさん。
なに、前にもやったことがありますで、緊張のあまりでございますな(笑)

本日も拙ブログにお付き合いいただき、ありがとうございます。
では、みなさま、また。
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2012年9月26日 

今朝は、安倍氏かゲル氏か、おっと、石破シゲル氏かと自民党総裁選結果が
気になり、起きてすぐウェブ新聞にアクセスしようとしたら、待ってました
とばかりにモイケル娘がスカイプで「安倍さん、勝ったよ!」。
イエーィ!と思わずpcの前でガッツポーズしたのでありました。

数年前のメディア、特に○日新聞の凄まじかった安倍、麻生叩きを思い出し、
「安倍叩きは社是だ」「安倍の葬式はうちが出す」とまでのたもうたと言う
のもさもありなん。いったい何様を気取っているのかと、あの頃からわたし
のメディア不信は極限に達したのであります。あれがまた始まるのかと大き
な不安もあるのですが、安倍氏にはあの時のなさった苦労を糧に今回は脇を
固めてメディアの叩きは歯牙にかけず頑張っていただきたい。

安倍氏のマニフェストを読むとごくごく当たり前のまっとうな考えだと思う
のですが、それを分析するもことなく、ストレス発散時のもぐら叩きのごと
くただただ「安倍氏の」と言うだけでハンマーを振り下ろす母国のメディア
には辟易しているわたしです。

ゲル氏は確か人権救済法案と外国人参政権には賛成意見だったと思うのだが、
今回の総裁選での主張は以前と変わっており、人間のことだから目が覚めて
これまでの意見を撤回することもあるだろうが彼に対する不信感は免れない。

manifesto1.jpg

人権人権と騒ぐ人がいるが、わたしは日本ほど人権が守られ、あまつさえ外
国人にまであれこれの援助を施している国はないと思う。平等を謳うのは自
由だが、平等とは能力あるものに貧富の差なく与えられるべき機会の提供だ
と思っている。努力するものもしないものも同じだなどとそれこそ不平等で
はないか。

平等、人権の名を騙る偏向主義が今の日本でまかり通っている。メディアも
然り、言論自由を騙り個人の日常生活まで攻撃している。わたしなど、もう
たのむわ、まともな情報を報道してくれと言いたいところである。

本題から外れた今日の出だしでありますが本日のみなさまのご機嫌いかが?

今日はレガレイラ館の億万長者モンテイロ氏とルロワ01(Leroy01)と
呼ばれる世界一複雑な機構を持つ伝説的な時計の話です。

これは我が家にあって誰も使わない安物の懐中時計です。なにかで頂いた
ものだと思います。オールドファッションですが、わたしは好きでこうし
て随分手元に残ってあります。

ルロイ01

懐中時計と言うとわたしが思い浮かべるのはアメリカの作家O・ヘンリーの
短編集にある「賢者の贈り物」というそれぞれが自分の大切なものを売る
夫婦愛の話です。

註)賢者の贈り物:ニューヨークに住む貧しい若い夫婦がお互いのクリスマスの
贈り物を買うだけの余裕もなく、毎日の生活に追われて暮らしているのだが、
夫は今では鎖がなくなってしまった金の懐中時計を質屋に売り、妻の美し
い髪をひきたてるであろう髪飾りを買う。妻は夫の懐中時計にと金の鎖
を買うために自分の美しい金髪を売るのである。


高校時代に読んで心に残った物語ですが、この懐中時計をいつまでも持っ
ているのはその影響があるのかも知れません。

腕時計がいつごろから商品化されたのかと調べてみるとオメガ社が1902
年に広告を出しているそうですが、冬至はまだ懐中時計が主流で腕時計が
普及し始めたのは1911年カルティエ社が開発した角形の「サントス」
(お^^うちと同じ名前だw)だそうです。

ブラジルのコーヒー王の息子で自動車の改造や飛行機製造を趣味とするアル
ベルト・サントス・デュモンの発案で作られ彼の名前がつけられたそうです。

これが件のルロワ01です↓

ルロイ01
ー画像はWikiよりー

ルロワ01は「キャリバー89(世界に4個)」「ヘンリー・グレイブス
(こちらも世界に4個)」と併せて世界の超三大複雑時計のひとつだそう
です。

モンテイロがフランスのブサンソン市にある有名な時計メーカーのルロワ一
家に作成を依頼したのは1897年、4年の歳月をかけて完成されました。
全部で975パーツを持ち年月日、曜日、春分秋分夏至冬至等の26の複
雑機能があります。興味あるその他の機能としては、リスボンの日の出日
の入り、世界1265都市のローカルタタイム、天体の12宮、パリで見
られる226星、リスボンの560星、リオ・デ・ジャネイロの611星が
組み込まれた北半球のスカイマップ。下図がそれです。

ルロイ01
ー画像はWikiよりー

直径71mm、重さ228gの純金のルロワ01
ルロイ01
ー画像はWikiよりー

ルロワ01のケースはキンタ・ダ・レガレイラを建築したイタリア人建築
家ルイジ・マニニのデザインです。

ルロイ01
ー画像はWikiよりー

真ん中にはアントニオ・モンテイロの頭文字AMが、そして左上にはメーソ
ンのシンボル「全てを見通す叡智の目」ことAll-seeing-eye、中央下に
は同じくメーソンのシンボル「ハンマーと砂時計」が、その下にはポルト
ガル国のキーナスマーク(ポルトガル王家の五つの盾)が見られます。
 
ルロイ01 ルロイ01

マニニのこのデザインにはもっと意味が含まれていると思いますが、それ
は考察が終わったときにでも再度書きたいと思います。

完成されたルロワ01をモンテイロが受け取る際のエピソードを紹介します。

1901年、ルロワ01の完成を電報で連絡したルイ・ルロイ氏がモンテイ
ロから受け取った返事は単純に「郵送してくれ」。これに驚いたルロワ氏、
「ルロワ社が4年かけて完成した世界でただひとつの仕掛けの、しかも破
格の値段を払ってもらった純金の時計をとても郵送などできない」

考えあぐねていたところ、たまたまパリで当時顧客の一人であったポルトガ
ル王ドン・カルロスに相談したところ、その時計を王に見せることを条件に、
王直々にポルトガルへ持ち込むことになりました。つまり、通関せずに今で
言う「密輸入」を王自らが手助けしたということですね(^^;)

1904年、ドン・カルロスは宮殿にモンテイロを呼び王直々にルロワ01
を手渡しました。

ルロワ01は当時で2万フランをモンテイロが支払ったそうで、今に換算
すると億単位でしょう。ちなみに上述したヘンリー・グレイブスは1992
年にサザビーズ・ニューヨークオークションで約13億円で落札、もうひと
つのキャリバーは1989年、ジュネーブのアンティコラム・オークションで
約3億8千万円で落札されたそうです。

ルロワ01はモンテイロの死後、創造主のルロワ家に買い取られ現在はル
ロワ家があるフランスのブサンソン、時計博物館に展示されているそうです。

もうひとつ、面白い話を。
1988年キンタ・ダ・レガレイラは日本の青木建設が所有しておりレガレイ
ラは一般人に閉鎖されています。後にシントラ市が買い取り文化財に指定し
現在に至っています。

最後になりましたが、regaleiraとは「豊潤なる人生」とでも訳すのでし
ょうか。莫大な財産を有し経済的な問題を持つことのない人が幸せな人生を
送るかと言うと、一概に言えないような気がします。持つが故に抱える問題
も多いかも知れないと思うのは、持たないものの僻みかしら。

モンテイロは自分の神秘思想に財力を十分に活用し、その哲学を徹頭徹尾
人生に活かした人なのかも知れません。

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2012年9月24日 

2008年から7回に及んでキンタ・ダ・レガレイラ(レガレイラの森)を
紹介してきましたが、今回はこの春の訪問時の館の写真の紹介とレガレイラ
と言うエキセントリックな森と館を造った過去の持ち主、「アントニ・カル
ヴァリュ・モンテイロ(Antonio Calvalho Monteiro)について触れた
いと思います。
 
キンタ・ダ・レガレイラ
シントラ旧市街から徒歩で行けるレガレイラ。

キンタ・ダ・レガレイラ
高い外壁に囲まれているが道にも六ぼう星のモザイクが施されている

2008年のキンタ・ダ・レガレイラシリーズの第一章でわたしはこう書いて
いる。

この館と庭園に意味なく作られたものは何ひとつないであろう。あるもの全
ては秘儀秘教のシンボルである。建物や装飾は訪れる者を有頂天にさせる
魅力がある。そして、そこには隠されたストーリーがあるだろうと想像させ
るに十分な芳香の魅惑的な残り香がする。

第一章 レガレイラ館について

ユネスコにより世界遺産に指定されていりる建造物のなかでもエキセントリ
ックな光を放っているのが、シントラ歴史地区にあるレガレイラ館とその
荘園である。レガレイラ館は富豪Antonio Carvalho Monteiroが住んで
いたことから「億万長者モンテイロの館」と呼ばれた。

1904年から1910年まで6年の歳月を経て、モンテイロがイタリア
の建築家ルイジ・マニ二と共に造り上げた館と庭園は錬金術、メーソンリ
ー、テンプル騎士団、薔薇十字秘密結社のシンボルがいたるところにはめ
込まれている。

その建築様式はロマネスク、ゴチック、ルネサンス、ポルトガルのマヌエ
ル建築様式と多岐に渡り、館はモンテイロの哲学を描いた一冊の本のよう
である。


キンタ・ダ・レガレイラ
館と森の入り口。館の全貌は後記案内サイトをご覧いただきたい。

アントニオ・アウグスト・デ・カルヴァリュ・モンテイロは1850年ポルト
ガル人の両親の元ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで生まれ、コインブラ大
学法学部を出る。彼の莫大な資産はブラジルでのコーヒーと宝石の原石専
売からなる。
 
モンテイロがこの森を手に入れたのは1893年で、現在のレガレイラは
1904年から6年を費やしてイタリア人の建築家ルイジ・マニニと共に
プランが練られて完成されたものである。

キンタ・ダ・レガレイラ
正面のバルコニー
キンタ・ダ・レガレイラ

館を始め森の中の建築物全てに神秘主義思想が見られ、その方面に興味が
ある人にはシンボルの宝庫と言えよう。

キンタ・ダ・レガレイラ
今回我がモイケル娘が足元で見つけたのは「G(メーソン)」と「X(異端
信仰)」のシンボル↑↓
キンタ・ダ・レガレイラ

正面入り口を入るとすぐに美しいベネチアンタイルモザイクで迎えてくれる。
キンタ・ダ・レガレイラ

ハンティングルームの暖炉。
キンタ・ダ・レガレイラ

シンボリックな白鳥と三羽の雛
キンタ・ダ・レガレイラ

赤と白のコントラストが美しいドア。この向こうには入れない。
キンタ・ダ・レガレイラ

キンタ・ダ・レガレイラ
ライオンはシンボルとして広く使用されるが神秘主義者、異端信仰者間で
は「ユダの獅子」と理解される。

キンタ・ダ・レガレイラ
会合室として使われた部屋↑↓これらはいかにもメーソン的である↑↓
キンタ・ダ・レガレイラ

館内の黄金比の階段。ダヴィンチ・コードでも紹介されている。
キンタ・ダ・レガレイラ

屋上の錬金術実験室へ続く狭い階段の手すり。
キンタ・ダ・レガレイラ

モンテイロは本、蝶や貝、楽器、銀製品などの蒐集家としても知られた。
蒐集した蔵書は膨大だったと言われる。蔵書の多くはその死後、イギリス
人やアメリカの議会図書館に売り渡されたという。
下は現在残る館内の図書室。

キンタ・ダ・レガレイラ

実はこの図書室にわたしは三度入っているのだが、その三度とも何かしら
通常ではないものを感じ、軽い目まいを起こしたのである。夫もモイケル
娘もなにも感じないと言う。しかし、三度目の今回は同じくこの図書室に
入った外国人が「I feel strange here」の言葉の端を聞いたようで
「自分も同じだ」と言ってきたのである。

この図書室には簡単なトリックがある。写真では明るくしてあるが部屋は
かなり暗い。黒い床の四方30センチくらいが鏡が仕込まれてある。
キンタ・ダ・レガレイラ
矢印のところからが鏡
キンタ・ダ・レガレイラ

暗示にひっかかりやすいわたしなのだが、このトリックが分かっていても
どうもダメなのだ。最初のときはやっとの思いで出口をまたぎ室外にでた
という、わたしにとってはそんな不思議なフィーリングの部屋である。

さて、彼の蒐集の中でも時計のコレクションは有名だ。特に時計に興味を
示す人ならその名を知らない人はないであろう、Leroy 01(ルロワ01)。
これを作らせたのはモンテイロなのである。

次回はこのLeroy01について書いてみたい。

なお、過去のレガレイラ記事は左下にあるカテゴリ欄から「spacesis、
謎を追う」から選べます。また、右上にある検索欄に「レガレイラ」と入れ
ると出てきます。

別サイト「ポルトガル・ロマン」下記のメニューからも読むことができます。
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2012年9月22日 

政治家の劣化は我が母国だけではないようだ。

ポルトガルは9月に入って更なる経済緊縮策が現政権から発表され、失業率
の悪化も加わり、現政権の政策に反発する若者たちを中心に、とうとう15
日にはリスボン、ポルトガルで過去最大規模の抗議デモがありました。この
日、リスボンでは5万人のデモ隊に膨らんだそうです。

大学病院退職後、いくつか掛け持ちする非常勤の夫だが、某病院では「これ
までの25%カットだ」と言う。25%はひどすぎるじゃないか。辞めちまえ!
とわたしは絶叫するが、何も懐に入らないよりいいと夫は言う。

年金が削られこちらも削られ、負担税金額だけは増える。
2014年までこれが続くと言うが、お国のためよ、仕方ない、我慢しよう
と塩らしく思ったのは政権が変わった当初だが、1年もしないうちに財政計
画に綻びが生じ、2014年でこの状態が終わるかどうかは果たして疑問
である。

どんな大きな反発デモをしたところで、ポルトガルの今の経済危機の解決の
道が拓けるとは思わないが、ひょっとして、今日の更なる緊縮策は最初から
計画済みであったかもと思うと、おもしろくない。画期的な財政立て直し案
を提示する者はいないか。

さて、その15日の大規模デモで話題になったワンシーンを紹介したい。

ポルトガルのデモ

これはデモではどこでも見られるアグレッシブなシーンだ。体制側の人間
として彼らもまた仕事をしているのであるから、怒りを向ける矛先が違うの
ではないかとわたしは思うのである。さて、話題のシーンはこれだ。

ポルトガルのデモ
「Amor em tempo de guerra」(Love in the War time)

写真の若い女性はリスボンの美術大学で学んでいる南部アルガルベ出身の
アドリアーナさん、18才。機動隊の男性はセルジオさんだそうです。
このシーンは、アドリアーナさんが機動隊の男性にアプローチし、群集の
側に立たないかとの彼女の質問に、立場上答えることができず思わずうつ
むいた直後に起こったことだそうです。

ポルトガルのデモ

この行動に出た女性よりもわたしは機動隊の男性の表情にちょっと胸が熱く
なります。

ポルトガルのデモ

1974年4月25日(下にて記事案内)のポルトガル無血革命以来、赤い
カーネーションはポルトガルの自由の象徴です。この年配の女性は機動隊の
一人にその花を手向けて話しかけています。

下は翌日の新聞「Publico」の表紙です。「BASTA!」は「もうたくさんだ!」
という意味です。
manifastacao6.png

さて、下の画像はわたしがネットで拾い上げたもので、ギリシャ、スペイン
ポルトガルのデモを対比したもので、上の2枚の写真が使われています。

ポルトガルのデモ

もちろん、先日のデモはこんなシーンだけではなかったはずですが、ポルト
ガル人の国民性がよく表されているような気がします。

二つの意外なシーンは少し意識的になされのではないかとの思いは免れない
のですが、尖閣領土問題で勃発したChinaの暴徒化した反日デモの後だけ
に、「spacesisさん、甘いヨ」と言われるのを承知で言って見るのです。

大規模デモがもしこのシーンのようなものだったら、一体どんな展開になる
だろうかと想像して見るのはいかがでしょう。

ポルトガルの無血革命についてはこちらでどぞ↓
  4月25日・ポルトガルの春

本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
では、みなさま、また明日。
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2012年9月19日 

ふと思ったのだが、尖閣の所有権を主張するChina各地で起きた暴徒の凄ま
じい反日デモがポルトガルのテレビでほとんど放映されなかったのは腑に
落ちない気がする。Chinaの山峡集団は国際入札で株式を取得し、今年か
らEDP(ポルトガル電力公社)最大の株主になっている。穿ち過ぎか。

1970年代に海底油田の存在が確認された南ベトナム政府の南沙諸島を
Chinaが後に領有を宣言し勝手に建物を建築し非難を浴びていることや、
それ以前の西沙諸島問題もChinaとベトナム共和国とが所有権を巡り交戦し
これに勝利したChinaの所有になったとのこと、大隣国の領土拡張の常套
手段はかくのごとくで、尖閣諸島も同じ道を辿ってはいけないと気が気で
ならないこの頃のspacesisですが皆様はいかに。

今日は久しぶりに我がポルトガルの歴史謎追っかけシリーズの一環です。

ポルトガルにおけるテンプル騎士団の歴史を追っているうちに、その思想
に関連すると思われ、これまでに何度か訪れているリスボンに隣接する山
中の町シントラだが、4年ぶりに日本からポルトガルに帰省した我がモイ
ケル娘を伴って家族3人で訪れたのがこの春4月の下旬だ。

今回は既に紹介したペナ宮殿の取材も含めて行って来たのだが、わたしが
興味を持つ「キンタ・ダ・レガレイラ」ではモイケル娘の鋭い観察力のお陰
で新たな発見もあり、後ほどそれらをあげてみたいと思っている。

シントラのキンタ・ダ・レガレイラにはまだまだ隠された暗号やシンボルが
残されているだろうから、次には季節を変えて、秋深い時期に訪れて見たい
と思っている。夫は一度みたからいいと今回もスルーで、モイケル娘とわた
しの二人で森と館を周ってきた。秋に行こうよと誘ったときの夫の呆れ顔が
浮かんでくる^^;

さて、今回はシントラの路地で見かけたものを紹介します。

シントラ
Rua Padarias Sintora

ツーリストに人気がありシーズン中はいつ行っても人がいっぱいのお菓子の
老舗「Piriquita」。創業は1860年代で菓子工場として出発。売り物は
queijadas(ケイジャーダス。sは複数) と travesseiros(トラベセイ
ロス。sは複数)です。以前紹介したことがあると思いますが、もう一度。

シントラ

Queijo(ケイジュ)はチーズのことです。ケイジャーダスはチーズケーキ
の一種と言えるかな?
シントラ

下はトラベセイロスを半分にしてみたところ。
シントラ

travesseiroは「まくら」の意味です。形がそうです。
シントラ

夕食どころを求めて路地をうろついていたところ、第2番店「piriquita
II」が近くにオープンされていました。
シントラ

シントラがフリーメーソンだと言われるイギリス人バイロン卿に愛されたの
は有名な話。シントラにはその他、イギリスのゴチック作家ウイリアム・ベ
ックフォ-ドも滞在しており、1999年には、陰のサミットと世に呼ばれ、
そのメインスポンサーがロックフェラー財団だとされるビルダーバーグソサ
エティ会議が開催されていること等、この手のミステリーに少し興味を持つ
人には大きな魅力の町がシントラです。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1222.html 参照

さて、そのバイロン卿が通ったと言われるのが下の写真、カフェバー・レス
トラン「O Cantinho de Lord Byron(バイロン卿のコーナー)」

シントラ

この店の絵タイルことazulejo(アズレージュ)をひろってみました。

シントラ
バイロン卿。            

sintra_rua3.jpg

旧シントラの町。月の山にはCastelo dos Mouros
ことムーア人(北アフリカのイスラム教徒)の城が、右手にはシントラ宮殿
が見えます。SintraもCintraのつづりになっています。

シントラ
こちらの山頂にはペナ宮殿が建っています。

食事どころを探して歩いた路地。

シントラ

シントラ

路地で見かけたJose Malhoaの有名な絵「O Fado(ファド)」のアズレ
ージュです。
シントラ

原画はこれです。
シントラ

下記参照です:

テンプル騎士団修道院シンボルの謎についてはこちら

キンタ・ダ・レガレイラの一部はこちら
そして こちらも

シントラ・コルクの修道院はこちら

更に興味のある方は右欄の「ブログ内検索」で「シントラ」と入れて検索
なさることをお勧めいたします。

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2012年9月18日 

スクーター
海岸沿いで見かけたペアのスクーター。
古い映画だが「恋愛専科」を思い出す。


本日のエントリーは画像に関係なしです。

これまで使ってきたパソコンが壊れてしまったのは今年の初めである。

そうそうpcが壊れることはないと侮って数ヶ月分のデータのバックアップ
を延ばし延ばしにしてきたのだが、その部分は消滅してしまったので堪えた。

新しく購入したpcがホームページ更新に何年と利用してきた「FrontPage
Express」に対応していないと分かり、それもショックだったが、なんとか
できないものかと思案しているのだが、以来ポルトガル案内のホームページ
サイトは更新できていない。

素人のわたしゆえ、データが消滅したと言っても大したことはないと思われ
がちで、夫も子供たちも意外と反応が冷たい。しかし、訪れたポルトガル国
内の地方の写真は我がホームページやブログのためだけではない。

この5年来、ヨーロッパ在住の会員に配られる、とある小冊子の雑誌記事を
書いているのだが、それには執筆だけではなく、なるべく質のよい写真も
要請される。毎回テーマを提出しゴーサインが出されて原稿を書き始め
るのだが、テーマ出しのために旅先で撮影した写真はいつでも取り出せる
ようにと保存してきたのである。ポルト近辺なら再度出かけて撮影が可能だ
が、遠方となると取材で足が出てしまうので、極力避けたいところだ。

データ消滅当初は慌てふためき頭が真っ白になったものだが、何ヶ月も経っ
た今、何とかなるさとやっと諦められる心情にたどり着いたのである。
ホームページをどうするか目下思案中だ。

それでこれまでホームページに載せてきた過去のエッセイを時間を見ては
少しずつ整理して書き直したりしているのだが、一旦あげたのを事情で削
除していたエッセイを発見した。2004年ごろに書いたものゆえ、古く
からのネット友はもう読んでいる人もいると思うが、今日はそれをここに
掲載しようと思う。これでこのエッセイに関してはデータが消えてもここに
記録されるので慌てることはないというわけだ

原題は「ポルトガルのジプシー」だったのだが、ジプシーと言う言葉は今
では差別語に属するとのこと、「ロマ」と呼ぶのだそうで、原題を変えて
みたが、エッセイ中ではそのまま使っている。

ロマに対する差別意識は大してないのをご承知願いたい。「大して」と書く
ところを見ると、多少はあるんじゃないすかと、すかさず言ってくるのも
いるので、断り書きしておきたい。

ヨーロッパで起こる事件にはロマが絡むものも多い。それで多少の恐れを
もっているのがわたしの気持ちだ。「恐れ」が差別意識に入るとは思わな
いがその部分を加味して「大して」を付け加えた。

以下、エッセイです。

ポルトガル式チゴイネルワイゼン

近頃では、交差点で見かけるジプシーがめっきり減った。

かつては、信号のある交差点は、ジプシーのいないところはないくらいで、
赤信号で停車ともなれば、たちまちにして男のジプシー、赤ん坊を抱いた
女のジプシー、子供のジプシーのいずれかに、「お金おくれ。」とせがま
れるのであった。

男のジプシーは、たいていA3くらいの大きさのダンボール紙にそのまま
「赤んぼも含めてこどもが5人いますだ。めぐんでくだされ。」
等と書いて、お金を入れてもらうプラスティックの箱を突き出してくる。

女のジプシーは、赤ん坊を腕に抱き、そのままニュッと手を出し、
「ミルク代、おくれよ。」と来る。
子供のジプシーにいたっては、これが一番タチが悪いのだが二人一組で
来る。車窓を閉めたままでも、小うるさくコンコン窓ガラスを叩き、爪が
黒くなった汚れた手をぬぅっと突き出して、
「ねぇ、おくれよぉ。おくれったらぁ。」としつこい。
「小銭持ってないから、だめだよ。」などと言おうものなら、腹いせに、
垂らしていた鼻水、鼻くそまで窓ガラスにくっつけて行ったりするのが
いるから、小憎らしい(笑)

子供たちが学校へ通っていた時は、毎日車で迎えに行くのが日課だったから、
行きも帰りも赤信号で停車となると、それが年がら年中だ。よって外出時に
は小銭を用意して出るのが常だった。

わたしには、顔馴染みのジプシーがいた。
いや、顔馴染みと言うなら、毎日通る殆どの交差点のジプシーがそうなる
のだが、このジプシーは言うなれば「ひいきのジプシー」とでも言おうか。
恐らく当時は30代であろう、男のジプシーで、かれらの族の例に洩れず目
つきはするどい。小柄でどこか胡散臭いのだが、なにやら愛想がよろしい。

言葉を交わした最初が、「中国人?日本人?」であった。
こう聞かれると返事をしないではおれない。「日本人よ。」
すると、「やっぱり思った通りだ。ちょっと違うんだよね。」
で、彼はここでニコッとやるわけです。
用心は当然するけれども、わたしはこういうのに吊られるタイプでどう
しようもない。

それがきっかけで、その交差点を通るたびに、「こんにちは。今日は調子
どう?」と挨拶を交わすようになってしまった。

我が家の古着や使わなくなった子供の自転車、おもちゃ、食器など不要に
なった物、たまには食べ物なども時々その交差点のあたりで停車して手渡
したりしていた。

たまに、その交差点に、かの贔屓のジプシーがおらず、別のジプシーを見る
ことがあって、そういう時は、おそらく縄張りをぶん捕られたか、縄張り
交代なのだろう。変わりに立ってるジプシーはたいてい人相が悪いのだ。

ある日、同乗していた、中学も終わる頃の息子が、そのようなわたしを
見て言うことには、
「ああやって小銭をもらって稼いでるジプシーには、借家のうちなんか
より立派な自分の家に住んでることがあるんだよ。」
「3日やれば乞食はやめられない」と日本でも言う・・・・
家に帰ってシャワーを浴び、こぎれいになっているそのジプシーの一家団
欒を想像してなんだか可笑しくって仕方がなかった。

息子はリスボンへ、娘はバスでダウンタウンにあるポルトガルの私立高に
通学するようになって以来わたしはそのジプシーに会うことはなくなった。

その間、東ヨーロッパの国々がEC加入し、気がつくといつのまにやら交差
点からは、小銭をせびるジプシーたちの姿が消え、代わりにポルトガルに
流れ込んで来た東ヨーロッパ人達が目立つようになった。
彼らは、「要らん!」と言うこちらの言葉にお構いなく、車のフロントガ
ラスにチュ~ッと洗剤をかけ、拭き始めるのである。そして「駄賃おくれ」
と来る。

「昨日、洗車したばっかよ!」と、頼みもしないのに強引にする輩には絶対
小銭を渡さない。しつこく手を出されても赤信号から青に変わるまで、わた
しは頑張るのだ(笑)それに、近頃は、もう交差点の輩には小銭をあげない
と、決心した。小銭を車窓で受け取り、うっかり落としたふりをし、運転し
ている者の油断をついて、ひったくったり脅したりの犯罪が増えてきたから
である。

先日、家の近くの交差点で、数年ぶりにかの「贔屓のジプシー」に遭遇した。
わたしが駆っている車種も車の色もあの頃のとは変わっているのだが、
即座にわたしを見つけ、「奥さん、久しぶり。お住まいこっちの方で?お子
さん達元気?」と来た。少しやつれている。歳をとったのだ。
閉めていた車窓を開けた。
「E você?」(で、あなたは?)助手席のバッグを引き寄せ、小銭を出して
手渡しながら、信号待ちの間のしばしの会話。
やがて、信号が変わりわたしは他の車の流れに乗って動き出した。
バックミラーに、車の発進でその身をグリーンベルトに寄せるジプシーの
少しやつれた姿が映って、それがあっという間に遠くなった。

世界広し言えども、「贔屓のジプシー」を持っている日本人などそうざら
にいるものではあるまい。夫は知らない。


ここからは事後談である。


2007年1月27日のブログ「ジプシーからよろしく」より。

近頃はあまり見かけなくなった交差点の物乞いの人たち。
かつてはいたる交差点に必ずと言っていいほどおり、殆どがジプシ
ーたちでした。
それが、数年前には東欧から流れ込んで来た人たちが占め、今は、
それぞれみな、なんとか仕事にありついたのか、それともポルトは
実入りがないと諦めて、別の土地へと流れて行ったのか。

昨日は出勤前に久しぶりに、わたしのくだんの「ひいきのジプシー」
を見かけました。車の窓を開けてコインを差し出し、赤信号で停車
するつかの間の会話。

    ジプシー「ちっちゃかった娘はどうしてるの?」
    わたし  「今、日本で勉強してるわよ。」
    ジプシー「へぇ。休みには帰って来るの?」
    わたし 「去年の夏に2年ぶりで帰ってきたの。」 
    ジプシー「日本は好きだって?ポルトガルよりいいって?」
    わたし 「そうね。多分^^」 
    ジプシー「娘に、教会の交差点のところによくいたジプシー
         からよろしくって言っといてよ。」

そう、前にもエッセイで書きましたが、ひいきのジプシーがいる
日本人なんてザラにいるものではありません。
が、ジプシーから「よろしく」なんて伝言をもらう「娘」もいない
だろうなぁ、きっと(笑)
今日はメッセンジャーで話したモイケル娘に、その伝言を渡しま
した。


エッセイを書いてから8年の月日が流れた現在、不況のせいであろう、再
び交差点に陣取る輩が増えた。が、最後に言葉を交わしたときは調子が悪
いのだと言っていたかのジプシーの姿をわたしはまだ見かけていない。
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2012年9月7日 

この数日、ようやく暑いと思われる日が続いているが、夏が少しも暑くなか
ったので残暑とは言えまい。遅ればせながらやってきた夏なのだ。30度ま
では行かないが、湿気がありジトッとしてくる。

展示は終わり、ほっとしているところなのだが、この2週間ほど展示の準備
に追われながらも実は内心悶々としていたのであります。何がってあぁた、
大腿骨に感じる鈍痛でございますよ。夫に鎮痛剤をもらってきたのだが2週
間以上経っても鈍痛が治まらない。いわく、「検査せよ」。

即火曜日に予約でき、まずレントゲン写真を撮った。若い技師さんで、職業
はなに?とまぁ、無駄話世間話の一環で聞くので、日本語教師だというと、
これを日本語で何と言うのと聞く。「横になれ」というと「では、横になれ」
と口真似。レントゲン撮影の間、「こんにちは、ありがとうさようなら」を
教わり、帰りにはレントゲン室の窓口で写真を手渡すときに「ありがと、さ
よなら」というのには笑った。

さて、ドクターに写真を見てもらったところが、心配していた大腿骨は特に
異常なし、しかし、念のためにとエコグラフィで分かったのが、大腿骨上部
の大転子(多分)あたりに石灰化の予兆が見られるとのこと。あぁ、またし
ても石灰化。過去に左肩を二度しており、最初の薬を注入したときの痛さに
懲り、二度目は全身麻酔をかけて注入しろと駄々をこねたあれと同じである。

幸い、今回は投薬で済みそうだが、ここ何ヶ月かカルシウム充足の投薬を怠
ってきたのがこの結果かもしれない。現在処方してもらった薬を服薬してい
るが、身動きするとき、無意識に左脚をかばっている自分がいる。まだまだ
油断は禁物だ。

この2、3週間、脚をひきづりながら家事や展示会準備をしてきたのだが、
ふと、もしかしたら大病の類ではないか?と大きな不安が頭をかすり、本当
言うとアカンたれのわたし、我が人生も70に到達することなくリセットと
なるのか?とお大仰なことを考え、子供たちを慮ると心乱れる思いであった
とは、お笑いくだされ。

そんな毎日の中で思い出していたのが、この人の詩の一遍であります。

hoshinotomihiro

これは星野富弘さんの詩です。現在詩人・画家ですが、体育教師だった星野
さんは学校でクラブ活動の指導中、あやまって頸椎を損傷し、手足の自由を
失って後、口に絵筆をもち絵を描きそれに詩をつけたのです。これはわたし
が出会った星野さんの最初の詩です。

すごいなぁ人が歩くって 
わたしも前はあんな見事な技を
こともなく 毎日していたのだ


日々、こともなげにするわたしたちの動作を補ってくれる体全体の機能に普
段は気もつけない、当たり前のことと見なして、時には酷い扱いを自らした
りするのだが、その機能の一つを失って始めて、わたしたちの体の一部一部
がどんなにか素晴らしいコンビネーションを持ってわたしたちの意思に従っ
ているかということを思い知るのです。

歩くことは見事な技だと星野さんは書いています。この一遍の詩に出会うま
でそんなことを考えてもみませんでしたが、通常通り歩けなくなるかも知れ
ない、何か大病の予兆かも知れないと片足を引きずりながら、このところず
っとこの詩を思っていました。

自由に歩ける、自由に見聞きができる、自由に考えることができ、自由にも
のを言うことができる、「月がきれいですね」とI love youかわりに言え
る家族がいる、今宵の夜露をしのげる家がある、贅沢ではないが食卓に乗る
食べ物がある、と、数え上げると十指にあまるほどの幸せがわたしの周囲に
はある。

基本的に幸せとは何かがぼんやり分かってきたような気がするこの頃、我が
体にはまだまだうまく機能するコンビネーションを維持してもらい心身とも
にチームワークよく動いてもらわなければならないと思った。そのためには
司令塔の自分の意思も臨機応変に、過大な負担をかけないように配慮すべき
だ。そろそろ。

今日の最後に、星野さんは他にも素敵な詩をたくさん書いています。
そのなかからわたしが好きな数編をご紹介します。全て詩集「風の旅」から
引用しました。
   
hoshinotomihiro
たんぽぽ

hoshinotomihiro
むらさきつゆくさ

hoshinotomihiro
たいさんぽく

本日も読んでいただきありがとうございます。
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2012年9月6日 

我が東京息子が日本へ帰った3日月曜日、空港まで見送りるためにと朝4時
に起きたはいいが、いかんせん、左脚に痛みを感じ、結局フラット玄関口で
「いってらっしゃい」とお別れ、夫だけが見送りに行った。

その日は展示会準備で朝から市立図書館へ出向くことになっており、えらい
ことです。夫より鎮痛剤を2袋もらい服薬、左脚の痛みをだましだまし、作
業して参りました。いつもの通り、ボランティア活動と言えば可哀想にすぐ
わたしに借り出される日本語教室の同僚、Oちゃんと一緒です。
展示会2012
クリスタル宮殿公園内のAlmneida Garrett市立図書館

会場のセッティングには専門の係りの人が二人、わたしたちも併せて4人の
作業です。ショーケースを運びこみ、アイテムをそれぞれのショーケースに
陳列し、見てもらったところが、係りの人、「並べすぎであ~る」というの
であ~る(笑)え~~!とOちゃんと二人顔を見合わせてやり直し

二つ目のショーケースも同様のご意見を頂き、三つ目は二人ともヤケクソで
セニョールI氏、これでも多いと言うかもね、とわたしたちからすれば削る
に削った陳列で見てもらうと「ゴーサイン」が出されたが、並べ方も訂正さ
れる^^;

これまでは素人展示で好きなように並べてきたのでアイテムの扱い方が随分
ちがう。まるでアート作品扱いなのだ。言って見ればわたしたちがこれまで
してきたのと今回の展示の違いは「駄菓子屋・雑貨屋の類」と「ブティック」
の違いと言える(笑)

しかし、わがままを言わせてもらえば、わたしは駄菓子屋・雑貨屋で結構。
たくさんのアイテムを見てもらい、にぎやか、鮮やかにしたかったのだが、
常に予約が一杯の軒(のき)を只で借りるのだから好き勝手は言えまい。

展示をし慣れたスタッフ二人とするのだからと、3、4時間で終了すると踏
んだのだが甘かった。丸一日かかり、5時に漸くなんとかカッコがついたの
だ。

さて、ではではと喜び勇んでバッグからデジカメを取り出し、スイッチを入
れたら、入れたら・・・・あれ?Onにならない。し、しまった!前夜充電
したバッテリー、カメラに入れ忘れてきたのだわんわんわん^^; 
何を今更、おぬし、いつものことではござらんか。てなわけで、翌日再び図
書館に足を運ぶことになったのである。以下、展示の写真です。

展示会2012
図書館の階段を下りて図書館室へアプローチ

展示会2012
階段から見える展示の一部

展示会2012

パネルにかけられているのは額に入った手ぬぐい類。
 
展示会2012

展示会2012

こちらはこんな風になったのだが、最初はこのプランではなかったのである。
展示会2012

ショーケースの後ろは一面壁ガラスで日の光を浴びすぎるので3週間以上も
こうして展示して置いたら塗り物等が変色するのを恐れ、パネルを遮光代わ
りにした。おかげで、こんな風に↓鮮明な日本古来の赤色を演出されるはず
だったのが、
展示会2012 展示会2012

展示会2012

いまいち、映えない・・・(左横には百人一首を並べてみた)
撮影はガラスケースのふたをする前にすべきだあったと後悔。

展示会2012
両脇の風呂敷もプランには入っていなかったが、殺風景だとクレームが
出て、急遽、持ち込んでいた風呂敷を(笑) オイオイ・・・

展示会2012
さらにさらに、3年前に思いついた我が苦肉のアイディア、衣文がけだが↑、
セッティングが終わるのを見るなりセニョールI氏、「美しくない」と言下にて
撤去の憂き目を見る^^;そして、彼らの仕事がこれであります↓

展示会2012
これはさすがでございます。Oちゃんとふたり感心。


展示会2012
四つ目のケース。我が友Michikoの木彫りと漆塗り作品とかんざし。
木彫り作品もかんざしももっと並べたかった^^;
展示会2012

展示会2012

展示会2012
30年前にポルトに嫁入りした日本人形。野点傘のアイディアは断念。

結局持ち込んだアイテムのほぼ1/4ほどしか展示できず、こけし、博多人形
の人形類、焼き物、日本刺繍などその他諸々引き上げる荷になったのであり
ます。

下記、インフォーメーションです。素人の雑コレクション展示会です。わた
しは会場に詰めておりませんが、お時間のある方、よろしかったらご来場
ください。

cartaz1-jajpanesque-2.jpg


Local: Biblioteca Municipal Almeida Garrett
Jardins do Palácio de Cristal, Rua de D.Manuel II, Porto
Horário: 4 - 29 de Setembro 2012 (9月4日-29日)
10:00- 18:00
Encerrado: Domingo & Segunda(日、月の午前中休館)
Entrada : Gratuita(入場無料)
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2012年9月2日 

いるけどいないもの、なぁに?

その答えは、8月初旬から3年半ぶりにポルトに帰省している我が東京息子
である。いるはずなのだが、いないのである、ほとんど家に(笑)

明日早朝にはもう日本へ出立するというのに夕方の今、まだいないのである。
ま、ひざ突き合わしてするほどの話も今更あるわけではないが、あちらの友、
こちらの友と、ポルトガル北部、リスボン、南部アルガルベへと飛び回って
一時も家にじっとしていることがない。

joao

丸一日共に時間を過ごしたのは、4週間のうちたったの一度、ドウロ川上流ク
ルーズだけではないか(笑) それすらもその日の夜にはリスボンへと車で
南下して行った。一昨日帰ってきたと思ったら、夕食後、今度は北のコンサ
ートで出演するからとお出かけでござる。一体全体、なんと言おうか、もう
言葉もございません^^;夫は苦笑するのみだ。


友人たちに久しぶりに会うだけでなくて、恐らく音楽関係も絡んで、行動範囲
を拡張しているのだろうが、こんな調子で体を壊さないかなとそれが気になる。
そんなことを思いながら、自分が息子と同年代には何をしていたかとふと思い
出して見た。

joao joao

当時、大阪で一人暮らしのわたしは、渡米の夢膨らませ貯蓄に励んでいた。
昼は洋書関係のオフィス勤め、夕方から夜9時までは梅田新道にあったアサヒ
ビアハウスで歌姫のバイトをしていたが、いよいよ渡米が間近になる頃は、
もう少しお金があればいいなと、新開店で普通の喫茶店と趣向を変えたこと
をしたいと、向こうから飛び込んできた歌のバイトを、ビアハウスが引けて
から、多分一週間ほどだったと思うが、受けたことがある。

夜11時に終わり家路につくころは、さすがのわたしもクタクタであった。
ふらふらの足取りで家に着いた初日、心配して電話をかけてきた友人に
「おまえ、やめれ。アメリカへ行く前に死ぬぞ!」と言われたものだ。

結局わたしは声が響かない悪条件の元、とにかく最後までやりきったのだが、
今にして思えば、アメリカに行きたいとの必死の思いがわたしをそこまでや
りきらせたのだろう。あの頃の自分と今の息子が少し重なって見える。
joao

今の道が彼の人生全てではないかも知れないが、こうしてひとつことを思っ
てしゃにむに突っ走るのは多分今こそなのだ。 

堅実な人生のプランを立てて生きる人もいれば、その時その時の目標に向か
って懸命に生きるわたしのような人生もある。結局わたしは渡米の夢を果た
し移住するつもりが、気がついてみるとヨーロッパの端の国の小さな街に身を
落ち着けている。その道一筋に行かなくなったとしても何事も懸命になると
いうことは、人生のほかの道の扉につながるような気がする。

joao


つい先だって、言語関係のバイトをするかもしれないとのモイケル娘とのやり
とりで、翻訳の話になった。
センスと専門性が問われる割には評価されないのが残念だと彼女は言う。
だね。風と共に去りぬのスカーレット・オハラの最後のセリフ、
「Tomorrow is another day」を「明日は明日の風が吹く」なんて訳した
人、すごいと思うとわたしが言えば、モイケル娘、
「あれも好きだよ。月がきれいですね、」
「なんだ、そりゃ?」
「夏目漱石がI love you を日本語で愛してるって訳すのはしっくり来な
いと言ってそう訳したんだそうだ」
「なんだそりゃ?I love you と 月がきれいですね、とどういう関係が
あるのよ」とのわたしに、娘いわく、
「日本人なりの遠まわしな告白なんじゃない?」

がーーーんと一発頭をぶたれた気がした。モイケルよ、そなた、わずかの間
に日本人というものを、いや、古き善き時代の日本人の気持ちを汲み取れる
ようになったとは。おっかさんのほうが、今ではむしろ、そういう見解から
離れてしまったように思われる。参りましたぞ。

で、と(笑)今の突っ走ってる息子を見ているとなんだか切なくなってくる
のだが、「月がきれいですね」^^
って言うのは、この場合ちょっと違うか(笑)いやいや、やはりね、こちら
の人のように息子や娘に「I love you」と言うのは照れくさくって言えた
ものではございません。やっぱり

「息子よ、娘よ、月がきれいですね」

今日はおしまい^^

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