2012年11月26日 

今ポルトにどのくらいのスシバー、スシレストランがあるのだろうか。
わたしの推測では20軒前後であろう。その中で日本人の料理人さんがいる
のは、以前にも書いたように10日ほど前の誕生祝に夫が予約をいれて連れ
て行ってくれたFozの海に面する「Ichiban(一番)」のみだ。

Ichiban
日本レストラン「一番」


イチゴズシ イチゴズシ

ここではイチゴズシ(↑)だのマヨネーズ入りのカリフォルニア巻きだの巻
きズシ天ぷらだのがメニューにないのが嬉しい。そうだと知っていながら、
新しいスシバーが開店するとつい味試しに行ってみることになる。

Ichiban
「一番」の二階の席から海が展望できる。窓枠が黒なのでまるで一枚の絵
のようだ。

そんな訳で、ついせんだって味試しに出かけたのがボアビスタのHF Fenix
Porto内に最近オープンした「Kyodai Sushi Bar & Terrace」です。
ホテルのロビー正面からそのまままっすぐレストランに続きます。

Kyodai

入り口から見る赤と黒を基本にした鮮やかなデザインの絵画とフロア。
野点傘がちょっとゆがんだ感じが気になるのですが、実はこの絵、ひょっ
として知人の作品ではないかと思い、それを確認したい気持ちもあって
出かけたのですが、残念ながらそうではありませんでした。

Kyoudai

Kyodaiはレストラン、スシバー、カクテルバー、テラスに分かれています。

Kyodai
スシバー

さて、名称「Kyodai」は日本語の「兄弟」。ホテル内のレストランは実は
第2店でもう一軒は古くからリベイラにあり、残念ながらわたしは行ったこ
とがなし。「兄弟」とは日本レストランの名らしからぬと思ったのですが、
経営者がEdsonさんとEdivaldoさんの二人のブラジル人から来るのだそう
です。

お味のほどは、まぁまぁ合格でしょうか。イチゴの時期が過ぎ、代わりに
ラズベリーを使ったにぎりがでてきます。わたしはオーダーする際に「イ
チゴは要らないです」と注文をつけるのですが、そう頼むとラズベリーが
出て来ること二度。このスシバーでもラズベリーズシ、マヨネーズ入りカ
リフォルニア巻きがでました。
次回には「Morango(イチゴ)もFramboesa(ラズベリー)も要らない。
マヨネーズも要らん」と注文をつけなきゃ^^;

本式の日本風味は、日本での生活経験でもない限りポルトガル人のみなら
ず外国人の口にはなかなか合わないでしょう。
欧米で巻き起こっているスシブーム、イチゴズシを代表として様々な創作
品が出現し、いつの間にか本家の寿司からは想像もつかないようなものが、
今後も出てくるような気がしてなりません。

いかなる国の文化もいったん流出され始めると、異国の地に広まり定着す
るためにアレンジされるというの憂き目を見ないものはないのでしょう。
わたしはこちらでスシを食べると日本では決してない独特の食後感が残り
ます。米はもとより酢、砂糖、スシネタそして何と言っても水の違いがそ
れを引き起こすのでしょう。分かっていながら一定期間が過ぎると、
「スシの味見を今一度」を繰り返す懲りないわたしではあります。
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2012年11月25日

yomoyama
(Wikiより)

上の写真はネコ被害を避けるため、普段は夫の書斎の本棚の一番高いところ
に置いてある黒ブタの生ハムです。ポルトガル語で「presunto=プレズン
ト」と言います。

yomoyama
写真のようにサポーターに立てかけて、食べるときに上部切り口がありま
すね?そこから薄く少しずつ一口大に切り取るのであります。


通常は薄切りしたものが数枚パックにしたものが売られています。我が家で
はクリスマスの時期ともなると、付け届けでこの生ハム一本や大きな干しダ
ラのバカリャウを、「cabaz」と共にいただくことが多い。

yomoyama
イヴ、大晦日料理の定番、バカリャウ(Bacalhau)Wikiより。
cabazhaはクリスマスの時期に店頭に並ぶ贈り物のセットで、日本で言う
お歳暮の贈答品にあたります↓

yomoyama
Wikiより。

わたしはこの生ハムが大好きなのですが塩気が多いので近頃は血圧の関係
上、極力避けなければならないのが残念至極。

さて、かつて庭付きの借家に住んでいたころの話ですが、冬の間の湿気を追
い払うのに、日中は車庫の戸をよく開け放していたものです。今の自宅フラ
ットと違い、当時は夫の書斎がなく、写真に見られる生ハム、もらって大い
に嬉しいのだが、置き場所に困り、車庫の壁にぶらさげて置いたものです。

ある日の夕方、車庫に車を入れ終えて「ただ今」と家に入ってきた夫いわく。

「生ハム、君、上にもってきたの?」
我が家は3階建ての家屋の一番上であった。
「あんな重いもの、わたしが抱えて来れるわけないじゃない」
「でも、壁にぶらさがってないよ」
「ええ??」

慌てて車庫へ行って見ると、確かに夫の仰せの通りあるべき場所に生ハムの
脚が・・・ない@@
車庫の奥へツーッと目をやりましたら、れれ?車庫の奥のワイン棚にずらり
並んでいるはずのワイン、ウイスキーの本数もガバと減ってるではないか!

し、しまった!そうです、こそ泥にしてやられたのでありました。

当時のわたしは、常日頃から窓開放主義、全面的に人を信頼する人間(笑)
日本にいたときからきちんと戸締りをするなど心がけたことがないのです。
仕事で日中空けているアパートも、当時飼っていたネコのポチが自由に出
入りできるようにと、表通りに面した台所の窓は、いつも少し開けっ放し。
それでもあの頃の日本は世界一安全な国と謳われたように、一度も空き巣
に入られたことがない。

そんなものですから、ポルトガルへ来てからも風通しをよくするためにと、
何の疑いもなく車庫のドアは、特に夏は、そして冬でも天気のいい日には
開けっ放しにしておりました。

どうも、それで目をつけられていたようです。

考えて見ると、それまでにも何度かおかしいなぁと思ったことに思い当た
る。「確かに夏のシーツ全部を車庫のここに置いたつもりなんだがなぁ。
見あたらない」とか、「あれぇ?亭主がいただいた陶芸作家の人形一式の
箱、どこへいっちゃんたんだろ・・」等々。

のんきなわたしは、多分自分か夫が整理して車庫の棚に乗せたのだろうく
らいに思っていたのですが、思い当たる節がたんとあることにそのとき初め
て気づいた。道理でそれらが出てこなはずです。

ふん!ワイン、ウイスキー、それにこの生ハム一本で、こそ泥たちめ、今宵
は酒盛りかと思うと、さすが、のほほん者のわたしも面白くない。

こういうことが数回あったというので、物を盗まれるよりも自分が家にいる
というのにこそ泥が堂々と入っていたいうことに恐れをなし、とうとうわた
しはドア開放主義を止め、以来車庫のドアをしっかり閉めることにしたの
でした。

今はこの生ハムを狙う相手が「こらぁ!」の一言で散らばる、たかがネコた
ち(笑)可愛いもんです^^

gato
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2012年11月21日
 
鳩山由紀夫氏政界引退とのこと、また撤回なんて言い出さないかなぁと不信
が頭をもたげてくるわたしですが、みなさまはいかに。

さて、このところ、某企業での朝の日本語授業が続き、まるで会社出勤のご
ときの近頃、服薬は続けているものの体調もほぼリカバーし、本日も行って
来ました。

所要時間は我が家から自動車道路に入りフレイシュ橋を渡って20分なので
すがその自動車道路、今朝は濃霧が立ち込め社の4階の窓から外を眺めると、

moya.jpg

ご覧のように町と空の境目に白い霧の一帯が断層の如く横に延びています。
その中をくぐり抜けてきたわけですが、1時間後の帰路時には霧もすっかり
晴れて青い空にぽっかりと白い雲。今日は一日いい天気でした。

kumo.jpg

昨日の強風ですっかり歩道を埋めている落葉を見るにつけ、思わず車を止め
て撮影しました。小さかった近所の街路樹もこんな葉を落とすほどに大きな
木になったことに今更のように気づき、秋の終わりを楽しんでいます。

ochiba.jpg


わたしは先週末65回目の誕生日を迎えました。65回目なんて、う~ん、
言おうか言うまいかと多少迷うところもあったのですが、えぇい、いいでは
ないか、言っちゃえ言っちゃえと。

書いてる稚拙なブログ内容からして、皆さまにはその年齢に思われないとこ
ろもあるかも知れませんが、残念ながら賢さは年齢に比例するわけではござ
いませんものね。いかんともし難い。

体力的には数年前に比べるとやはり無理がきかなくなって来ましたが、相変
わらず内に外にと日本語教室を楽しんでおり、もうしばらく現役を続けるつ
もりでいます。

年齢層が16歳から54歳までと言う市立図書館の12人の日本語クラスも、
教える側がこんなに楽しんじゃっていいのかな?などと思いながら毎土曜日
の90分授業に励んでいるのですが、さて、65回目の誕生日を迎えたらし
てみようと思っていたことがひとつあります。

ブログもしくはホームページ上で自分の簡単な写真履歴書とでも言いましょ
うか、手元にある子供時代から現在までの写真を基にした大雑把な自分史の
掲載を試みようというものです。

もちろん、全て洗いざらいというまではしないのですが、元々が子供たちに
自分が日々思ったことや思い出話を書き残しておきたいという気持ちで始め
たブログやホームページです、その意味で、本日から少しずつバラバラに掲
載してきた写真を使ってのSpacesis人生これまで総まとめと参ります。

なんだ興味もないやとお思いの方は遠慮なくスルーなさってくださいまし。

子供時代・1950年代

まずは最初に赤ん坊時代の写真をと行きたいところですが、これがあったの
にない・・・^^;恐らく我がおやじ殿が火災にあった際に焼けたと思われ
ます。で、横浜の叔母が亡くなった際に出てきたこの写真から。

memory

この写真については入手した2007年に取り上げています。以下引用。

50年前との再会

今、手元にわたしがこれまで一度も目にしたことのない幼い頃の写真がある。

今年、2007年3月に東京のW大学から九州の公立大学に転校し、山口県
の下関に移動した娘に会いに、一ヶ月ほど日本に滞在した時のことである。
ポルトに帰る前の10日間ほどを所沢の妹宅で過ごしたのだが、お茶を飲み
ながらのある日のこと、妹が「こんな写真を小倉の叔父さんのところで見つけ
た。それでもらって来た。」と、数枚の白黒写真を持ち出して来た。

小倉の叔父というのは、3年ほど前に亡くなった、9人兄弟だった母の末の妹
でわたしたちの叔母にあたる人の連れ合いである。この「思い出のオルゴー
ルシリーズ」の「急行日本海」でも登場しており、当時は大阪に転勤で住んで
いたのだが、わたしはこの叔父たちと多感な中学時代の最後の1年を弘前か
ら転校して過ごしたのだ。

写真を見たわたしは思わず感嘆の声をあげた。
祖母を始め、我が母、父、叔母の、今は亡き人たちの懐かしい顔が写真の中で
にこやかに微笑んでいる。
写真に写っている田んぼや川の背景もわたしの記憶に残っており、妹と二人、
時間のたつのも忘れて、昔話に花を咲かせたのだった。
      
そして、妹が「もう一枚!」と取り出してきたB3くらいのサイズの大きな写真が
上のねぶたの写真である。
              
これには、うわぁー!と、それこそ歓声をあげずにいられなかった!
今では日本の三大祭のひとつに数えられる、遠い昔の町内ねぶた祭りの一夜
の写真なのだ。
右のプラカードには「上新児童福祉協会」(上新=上新町)と書かれ、左には
「三国志 張飛奮戦○上新町」とある。○の字は読めない・・・

「この中にわたしたちがいるのよ。見つけられる?」と我が妹。
50数年も前の自分を探して、しばらく写真に見入るわたし。
妹は言う、「わたしはすぐに分かった。」

大勢のなかで、なぜだか一人だけ小首をかしげている女の子を見つけた。
 「こ、これじゃない?」と自信なさげに小さな指を指差わたし。
 「うん。それがゆうだ。で、わたしはこれ。」

memory
丸印上がわたし、下が我が妹。この当時我がオヤジ殿は年中不在であった。

写真の背景は真っ黒でよく分からないが、左端にやぐらのようなものと幕
が見えるところから、ねぶたの置き場から出た場所だとうかがえる。
はしっこにちょこっと当時の自転車も見える。

夏休みの8月1日から6日間、日が暮れ始めると町内にねぶた囃子が聞こ
えてき、わたしたちは、鼻にスーッと水白粉で白い線を引き、半纏を着て鉢
巻をしめ、中にろうそくの火をともされたこの巨大なねぶたを
「ヤーヤドー!」と引いて下町から坂を上り上町へ出、弘前の夜の町を練り
歩くのである。疲れて眠くなり、足元がおぼつかなくなると、ねぶたを乗せた
台車に座らせてもらえた。

ねぶた祭りは毎年あったのに、一枚だけがこうして残っているのは、恐らく
この年がわが祖母タマさんが町内のねぶた祭り世話係だったのだろう。
一晩上町を練り歩いてねぶたを引っ張って帰ってくると、祖母が家で菓子
や飲みものなどを用意して待っているのである。

ふたつの大きな和太鼓は、ねぶたの後ろに積まれ、笛吹きたちも加わり
「歩け」のリズム、「止まって休め」のリズム、「帰路」のリズムと、ねぶたを
引くものたちに合図する。
帰路には「ヤーレヤレヤーレヤ、ねんぷたのもんどりこ!」(ねぶたの戻り)
と、眠気を吹き飛ばして掛け声かけて帰るのだ。
       
 「ダカダン ダカダン ダカダカダカダン」と、太鼓のリズムと笛から流れる
音色は、今もわたしの耳に残っている。
雪国の夏の六夜の、ほとばしる津軽縄文人の熱き血潮がふつふつと湧いて
くるような祭りである。

この写真の中には、この数年後、ご近所の子供たちを集めては女ガキ大将
気取っていたわたしの子分たちも何人かいるはずである。半世紀以上も昔
の自分をかろうじて見つけられたわたしは、何度この写真を見直しても、彼
らを見つけられないでいる。

小首をかしげているこの少女を見ると、わたしは少し目が潤む。
そして、静かに語りかけて見る。
「ハロー。あなた、随分歩いてとうとうここまで来たのね。」


続きます。
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2012年11月16日 

アーティストで友人のちゅうさん が今日のブログで「民主党という沈没船か
ら逃げるネズミたち」をもじってイラストを載せています。こういうのを見る
と深いため息が出ると同時にその節操のなさに苦笑してしまいます。保身に
奔走するこういう輩は政治家を辞めるがいい。後ろの公認党看板が変わって
も夢、一票を投ずるべきではないとわたしは思っている。

「野田首相が苦悩している元凶は、輿石氏の裏切りだ。輿石氏は、野田首相
を12月中に引きずり降ろし、細野豪志政調会長を新首相に担ごうと党内工
作をしていたという。しかも、裏には小沢氏がいて、2人は手を握っていた
とも。この動きを知り、野田首相は相当ショックだったようだ。この「小
沢・輿石密約」説が政局を動かしたのかもしれない」とzakzak(産経新聞
社):スクープ最前線にあります。 
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121114/plt1211140712000-n1.htm


まぁ、大小の違いこそあれ、政界同様どこの社会でもこういう人間同士の醜
い闘争はあるのですが、そういう中で「自分の意見を言わないでやりすごす」
とか「ずるい手段を講じる」とかは、したくないものだと己に言い含めてお
ります。

ということでこの数日今か今かと待った衆議院議員総選挙、十二月四日公示、
十六日投開票の正式発表となりました。

2009年8月の衆議院選挙でわたしはこんなことを書いています。

熱かった(暑かった?)衆議院選挙も終わり、日本人の多くは民主党政権を
選びました。

西松建設に始まる不正献金疑惑の小沢一郎、「故人献金疑惑」を抱える鳩山
由紀夫の国民に対する説明は,マスメディアの世論調査を信じれば「不十分
である」と考える人が70%に達していると言うのにそれをケロリと忘れて
民主党を選択する脳天気な日本国民。

古くから云われている言葉があります。
「国の指導者は国民のレベルでしか選べない」
云い換えれば「政治家は国民の鏡である」(鑑ではありません)   
            ブログ「大事小事」より

口下手なわたしの気持ちをよく表しているブロガーさんのお言葉をお借りし
て。のらりくらり交わして疑惑の納得できる説明を国民にしない二氏をトッ
プに頂く政党政権はわたしは腑に落ちない。

自民党の不甲斐ないのは承知していますが、党大会では国旗を掲げない党、
国旗を切り二枚張り合わせて党の「神聖な旗」を作る党が、国民の投票で政
権をとったのですから、日本がこれからどんな方向へ舵を切っていくのか、
不安は否めません。
が、これが民主主義の結果であれば受け入れしかありません。

自民党は公明党と組んできたことで、保守から見放されたのでしょう。これ
を機に、自民党には公明党との決別をし、政の何たるかを初心に帰って見直
し、新たな姿で再び復活してくれる日を待ちながら日本を見ていきたいとわ
たしも心を新たにしたいと思います。

ただ、今回の選挙で、こういうのは辞めて欲しいと思われる幾人かの大物政
治家が落選したことは極めて喜ばしいことです。

はぁ・・・・予想していたとは言え、失望、大きいって・・


この3年間、母国はどれだけボロボロになったことか、もういいから勘弁し
てよと言うくらい本当に長かった。そして肝に銘じたのが、メディアは真実
を伝えようとはしない、自分で情報を収集して考えなければならないという
ことでした。

さぁ、いよいよ選挙、誰がふさわしいか色々勉強しなければなりませんが、
政権が変わったからとてすぐにわたしたちの生活が改善するのではないと
いうことも覚悟しておかなければならないと思います。

さて、このところブログ更新を怠ってチョロチョロ動き回っておりました。
そのひとつ、1時間ほど歩いたポルト市立公園の散策道をば。

ペナ宮殿


BoaVista通りの公園の主要入り口。公園にはいかにもミスマッチな大理石
の2柱。未だに謎が解けていません。
 
parquecidade

市立公園は83ヘクタール(1ヘクタール=10000㎡)の広さがあり全
散策道は10キロに及びます。

paruquecidade
こんなのどかな光景も。

parquecidade

園内の林に足を踏み入れるときのこが。落ちているのは独特の香りをもつユ
ーカリの実。亡くなった夫の母は香りを好んでタンスの奥にこれを忍ばせて
いました。わたしはどちらかと言えばユーカリの香りは苦手^^;

parquecidade
こちらは隣町Matosinhos(マトズィーニュス)に隣接するポルト側の海沿
いの入り口。潮の香りがします。


parquecidade
園内数箇所に設置される休憩のイス。

parquecidade
ワンちゃん入園OK。ただし御用の向きはこれをご使用ください。

parquecidade
木々の間から差し込む秋の木漏れ日。

で、こちらは、しばらく前にブログデ取り上げた10年ぶりほどで再会した
ドイツから一時帰国したかつての我が日本語教室の生徒さんだったアルフレ
ッドさんを囲んで、ダウンタウンのスシレストラン、Kyotoにて。
kyoto

当時同じクラスで勉強していたマリアさんも合流。この二人が我が塾の最高
齢者です。彼らの向学心にわたしも負けておられません^^

それでは今日はこれにて。

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2012年11月11日

今日はサン・マルティーニュの日でした。
Sao Martinhoとは聖人マルティーニュのことです。過去にも紹介していま
すが、今回はもう少し手を入れて書き直してみましたので、どぞ。

11月は1日の「Dia de Todos-os-santos(万聖節)」や、この日には
その年採り立ての焼き栗をほおばりながらこの年の9月10月に収穫したぶ
どうで造られたできたてのワインやAgua-pe、Jeropiga(=醗酵前のぶど
う液にAguardento という焼酎を加えたもの。アルコール度18度)、もし
くはポルト・ワインを味わいます。
サン・マルティーニュ サン・マルティーニュ
     アグア・ぺ           ジェロピーガ(Wiki引用)

Agua-peは、サン・マルティーニュの時期に焼き栗と一緒に飲む、ブドウか
ら造られるアルコール含有量の少ない(16度くらい)少し甘みのあるポル
トガルの伝統的な飲み物。Agua-peはかつては自家製で売られていなかった
のですが、自家醸造が法改正で禁じられて以来、商品化され近頃ではマーケ
ットで見かけることがあります。    

各家庭でもオーブン等で栗を焼きいて食べますが、ところによっては祭りを
催します。この祭りをポルトガル語でMagusto(マグースト)と言います。

サン・マルティーニュ
(Wiki引用)

本来は上の写真ように、家族親族友達などが集まって焚き火をで栗を焼いて
食べることから始まったと言われますが、現在こんな風にイベントが催され
るのは恐らく地方だけだと思います。

かつて我が子たちが通ったBritish Schoolでは、学校の行事としてこの前
後の土曜日はMagusto祭が催されました。子供たちはこの日のために準備さ
れた色々なゲームに興じたりくじ引きをしたりして楽しみ、大人はPTAが用意
した栗とワインに舌鼓をうちます。もちろん行事は夕方からですが、焚き火は
やはりありませんでした。

マグースト
(Wiki引用)
 
わたしもボランティアで得意のパイナップルケーキを提供したものです。これ
らボランティアが提供したケーキは一切れいくらいくらと値段がつけられ売ら
れます。売り上げ金は学校の教育費の一環として使われました。
 

さて聖マルティーニュ(マルティン)」とはどんなことをしたのか?
これには4世紀終わりころの古い言い伝えがいくつかあるのです。そのうち
のひとつをご紹介します。

ローマ帝国軍の兵士としてマルテーニュが馬上の人としてイタリアからフラ
ンスへ向かっていたときのこと。悪天候でとても寒く強風も冷たく吹き付け
る11月のある日、目の前に、着ている衣服もボロボロの貧しい男が現れ、
物を乞うたのであります。

施し物を持たないマルティーニュは、やおら剣を取り出し、身にまとってい
た当時のローマ兵が着る真っ赤な自分のマントを真っ二つに裂き、半分をそ
の男にあげたのでした。

サン・マルティーニュ
(Wiki引用)                      

その夜、その時はまだ異教徒だったマルティーニュの夢の中に赤い半分のマ
ントを着けたキリストが現れ「ここにいる、洗礼を受けていないローマ兵士
のマルチーニュがわたしにこのマントを着せてくれた」と天使に話している
声が聞こえ、周囲が急に暖かくなり寒さにこごえるマルティンの体を温めま
した。

以来、秋にも拘わらず11月11日前後の3日ほどは良天候に恵まれ、まる
で夏のような暑さになると言われています。

そうして見ると、確かにこの2、3日は外へ出ると暖かく、まさに「サン・
マルチーニュの夏」と言われる所以がわかる気がしますね。これは英語では
「Indian Summer」、日本語では「小春日より」に当たります。

世界の国々のそれぞれの習慣は違っても、どこか似たようなつながりが見え
て面白いなぁと、わたしは思っているのですが、こういうことは探してみる
とたくさんあるような気がします。

さて、この夢を見て後、マルティーニュは18才で洗礼を受けやがてフラン
ス、トゥールの大司教になり81歳で没したと言われます。マルティーニュ
はヨーロッパで最初の殉教なくして聖人に列せられ、フランス、ドイツの
守護聖人、イタリアではワインの守護聖人になっているそうです。

この週末は街門でいつも以上にたくさんの栗やさんを見かけました。
ちなみに我が家では焼き栗の代わりにゆで栗を食べます。
寒い折、ホクホクした甘いゆで栗を頬張りながらのポルトワインは格別です
ね。

なお、本日の画像は全てWikiから引用しています。
本日はこれにて。
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2012年11月6日 

kareha.jpg

You were not afraid when Spring became Summer.
You were not afraid when Summer became Fall.
They were natural changes.
Why should you be afraid of the season of death?
-The Fall of Freddie the Leaf-


ぐずぐずしてる間に11月に入ってました!体調徐々に回復。
ポルトガルは先週末から冬時間に入り、日本との8時間時差が9時間になっ
たのですが、1日、木曜日は「Dia de Todos-os-Santos」万聖節で休
日でした。この日は墓参の日です。

14年間自宅で寝たきりだった夫の母が亡くなってかれこれ4年になりま
すが、我が家から徒歩で7、8分のところにある墓地に眠っています。
時々外出や散歩のついでに立ち寄るのですが、この春まで墓標がなく、わ
たしたちは「無名戦士」の墓だと冗談を言い合っていたのでした。

墓標がなかったのは、アーティストの義兄のお師匠さんから作ってやろう
との申し出があり完成を待っていたのですが、待てど暮らせど墓標は来ず。
回りを見渡せば、墓標がないのは夫の母のところだけです。お師匠さんゆ
え、墓標はまだかと催促もしにくい。

3年も待ったのだから恐らくもう届けられることはないと思う、と言うの
で義兄がステンドグラスの技術を応用してこの春先にやった名前が刻銘
された横長の小さめの墓標が置かれたのでした。

一日には夫と二人で墓参、花を手向けて祈り、帰路、これまでに何度か
我ら夫婦の間で話題に上ってはそのまま尻切れトンボになってきた、い
つの日にかわたしたちが眠る場所の話に再び及んだのです。

ポルトガルでのお墓の話は以前にも触れたと思うので、簡単におさらい
を。まず、カトリックの洗礼を受けていない人は特定の教会の墓地に入
ることはできない。行き先は共同墓地です。共同墓地は通常5年間眠っ
ていることができるが、それが過ぎると掘り起こされその場所を他の仏様
に譲ることになります。

つまり5年もすると遺体は土に還れる状態になるわけで、言うなれば共同
墓地は一時の仮の宿、永代ではありません。我が義母の眠る墓地は地質
上、その状態になるのにもっと時間がかかるようで7年から9年と聞く。

では、掘り返した後どうするかと言うと、これが問題で、近頃墓地でよく
見かけるロッカーのような納骨所を買い、そこに治める人が最近は多いよ
うです。こちらの費用は以前耳にした情報では日本円にして3万少し。

ロッカーはいややな・・・ここの共同墓地の一画、買えないの?と夫に聞く
と安くはないが売却する箇所があるのだそうだ。夫の母が今の眠りから起こ
されるのはまだ先だが、その時には墓地の値段も今以上にはねあがっている
ことだろう。いっそのこと、今のうちに買えないかしらん?とわたし。

「死んだらおしまい」と、あまりこういうことにこだわらない性質の夫、そ
の日はこうのたもうたものだ。
「よし!じゃ、思い切って今年のクリスマス・プレゼントに買うか!」

それを聞いて自分がまだ墓地内にいるのを忘れ、不謹慎にもあっはっはと
笑ってしまった。冗談きついよ。なに、それ、わたしへのクリスマスプレゼ
ント?そんなことを言い合いながら、墓地を出て友人たちとの久しぶりの食
事会に向かったのでした。

んで、後で少し考えてみたわけです。
墓地を買うはいいが、果たして我ら、墓守(ハカモリと読むのだよ、子供た
ち)はいるのか?

現在日本に住んでいる東京息子とモイケル娘だが、二人とも将来ポルトガル
に帰ってくる保証はない。いや、モイケル娘のほうはまずもってないだろう。
東京息子だって分からない。

墓があったところで誰も訪れて来ず墓石も朽ち果てるだけなら、果たして?
と、今回もここで思考止まり。

夫よ、そんな訳でもう少し考えます。で、今年のクリスマスプレゼントは来
年の日本往復切符がいいなぁ^^

いえね、年齢的にも人生の初秋にさしかかり、このところの体調不振で墓の
話ってのもなんですが、さぁ、どこへ持っていこうかと残るものに迷惑をか
けるのもなんだかなぁと。そして、実はどこにも移しようがない場合は、こ
ちらの皆さん、一体どうしてるのかなぁと、その不審な点を聞きそびれてい
るのであります。
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