2013年1月28日

強風で木倒れ大西洋の波高く、その恐ろしい冬の海の荒れ様に「大自然の咆
哮」だと思わされたものだが、空気が澄んだ冬は星空が美しい季節でもある。

明け方にふと目をさまし寝付かれない夜は、わたしは思い切って起きだし台
所の大窓を開けて夜空を見上げる。今ならばたいていその時間は頭上にオリ
オン座、プレアデス星座ことスバルが見られ、シリウス、ベデルギウス、プ
ロキオンを結ぶ冬の大三角形も容易に見つかる。

今日はそんな夜空の星にまつわる思い出話を。

胸にじんと来て、何故か思わず目頭が熱くなり、歌っている途中から涙声に
なってしまう歌がわたしにはいくつかある。日本の愛唱歌「ふるさと」、岸
洋子さんが歌った「希望」、井沢八郎さんの「ああ、上野駅」、そして坂本
九ちゃんの「見上げてごらん夜の星を」がそれだ。何度繰り返し聴いても、
長い時を経た今でさえこれらの歌はふいに現われてはわたしをとらえてしば
らく離さない。

kyuchan
画像はWikiから

1963年昭和30年代も終わりにヒットしたからわたしが14、5の頃で、
「急行日本海・夜汽車に乗って(最後に案内)」と綴った、叔父叔母を頼っ
て弘前から大阪へ家出をした頃と前後する。

omoide
大阪から帰郷していた憧れの叔母と妹と岩木山ふもとで。

九ちゃんのこの歌は、わたしの思春期と重なるのと、その後、御巣鷹山で
九ちゃんが 飛行機事故死に遭ったのとで、切ないことこの上ない。

もう20年ほど前になろう、週に一度の日本語補習校が発足して多分5年目く
らいの時であったろうか。1年生から6年生まで、15、6人の子供達を引
き連れて、補習校として初めて修学旅行へ行ったときのことだ。

Aveiroにあるユースホステルに宿泊し、夕食後、わたしが持ち込んだ学校
のキーボードで皆で合唱したり、ゲームをしたりのレクレーションタイムが
終わり、そろそろ就寝時間だというので、後片付けをしていると、受け持ち
の6年生の子供達がやって来て、「先生、何か歌って。」と言う。 

ピアノを習ったこともないわたしだが、弾きたいという夢はずっとあり我が
モイケル娘が4歳の時には、3年に一度の帰国を一度諦めて、彼女に習って
もらおうと、思い切って電子ピアノを購入したのである。今でこそ手軽な
値段で入手できると思うが、当時は円に換算して27万円はした。大奮発だ
った。

ピアノに触れたい夢は、わたしを楽譜読みがスラとできるようにした。運良
いことに高校入学の一時期だけ、わたしを気に入ってくれた音楽教師が手ほ
どきしてくれた。生まれて初めて触れるピアノだ、わたしは紙にピアノの鍵
盤を書き、暇をみては家でバスの中でとそれで指を動かす練習に励み、人影
のない早朝に登校して音楽室でピアノの練習をさせてもらったものだ。

それは本の一時期のことだった。家にピアノがないことには早朝の20分ほ
どではなんともしがたいのであった。長いときを経て手に入れたピアノで以
後わたしはなんともハチャメチャな自己流弾き語りを一人悦に入って楽しん
でいた。

補習校の子供達は、当時のオンボロ我が家に、影絵の練習などと言っては
時々出入りしていて、影絵のBGMにと適当に弾いていたわたしを見て、ピア
ノを弾くのだと、とんでもない勘違いをしていたのだろう。
歌の方は、年末の日本人忘年会で毎年一等賞をもらっていたから、これは周
知の事実、歌って弾ける先生と子供たちに思われていたらしい。

「あら」と、急に言われても忘年会で自分が歌っている歌を弾くわけには
いかない。そこで、「皆さんは知らないでしょうけど、わたしの好きな歌を、
じゃ、ひとつ歌いましょう。」と、歌いだす前に、それが、古い日本の同名
のミュージカルの主題曲であること、貧しさのため高校に行けず、日中働き
ながら夜間学校へ行く定時制高校の青春を描いた物語であること、世の中に
は、勉強したくても経済上の理由で行けない人がいることだのの前口上を
したのだった。

左手はいつも一番簡単なアルペジオ式wである。そして歌ったのがこの
「見上げてごらん夜の星を」。
歌い終わったら・・・みな、何故だか泣き顔になっているではないか。
一緒にその場にいた同僚のI氏が言う。
「あれれ、みんなどうしちゃったの~?」
      
「見上げてごらん夜の星を」は、わたしもいつも鼻にじ~んと来る。
この歌は、老若男女関わらず、人々の心を打つような気がしてならない。
1960年初期のヒット曲とあるから、日本が高度成長期に入ったとは言うもの
の、まだ貧しい人々がたくさんいた時代だ。
「きたない、きつい、きけん」の3Kの仕事も厭わず、日本人が仕事に
懸命に取り組んで、未来に夢を描いていた時代ではなかったか。

今では定時制高校、また夜間大学もその数が少なくなったと聞く。働きなが
ら夜の学校へ行かなくても済むような豊かな社会に日本はなったのだろう。
だが、厳しい環境の中でかすかに光る希望を胸に秘め、学ぼうとする真摯な
若者達がいた社会は、過去になったとしても決して捨てたものではないはず
だ。

見上げてごらん 夜の星を 小さな星の 小さな光りが
ささやかな幸せを うたってる

見上げてごらん 夜の星を ぼくらのように 名もない星が
ささやかな幸せを 祈ってる

手をつなごう ぼくと 追いかけよう 夢を
二人なら 苦しくなんかないさ


詩もメロディも、貧しさの中にいてなお煌き(きらめき)を放つたくさんの
夜空の星に願う明日への希望がたった10行足らずの詩に余すことなくこめら
れていると思われる。そして、これを歌ったにきび面の九ちゃん、お世辞に
もハンサムだと言えないが彼の、本当に素敵な笑顔がオーバーラップする。
九ちゃんはこの歌にある夜空の星になったのだろう。

「見上げてごらん夜の星を」は日本のエバー・グリーンの歌だとわたしは
思っている。

下記、とても古い画像ですが、九ちゃんが一生懸命この歌を歌っているのが
伝わってきます。多くの歌手がこれを歌っていますが、九ちゃんには敵わ
ない。



「急行日本海・夜汽車に乗って(1)」
        「行日本海・夜汽車に乗って(2)」        

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがございました。
それではまた明日。
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テーマ:お気に入り&好きな音楽
ジャンル:音楽
2013年1月23日 

ガチャーン!ガチャーン!とガラスの割れる凄まじい音に眠りを破られた。
今朝方4時半頃のことだ。

横で寝ていた夫が「まただ!すわ!」とわたし同様ベッドから跳ね起きた。
表通りに面した寝室のベランダのブラインダーを上げようとすると「待て!」
と夫が止める。どこの家の誰が目撃者なのか、ドロボーに知られるのは
危険だというのだ。言われてみればその通りだが、一度など、わたしはこう
いうときのためにと、夏の夜の就寝前には証拠写真を収めようとベッドサイ
ドテーブルにデジカメを用意していた時期もあったのだ。

今は主がいなくて、すっかりわたしの書斎代わりになってしまった隣の息子
の部屋のブラインダーをスルスル開ける。二人してガラス窓越しに斜め向
かいの人気のないカフェに目を向けると、ドロボーたちの車は見えないか
らカフェの横道に止めてあるのだろう。

すぐに、あっちのフラットこっちのフラットと窓が開き、ご近所のおじさん
おばさんがドロボーへ罵声を投げつけているのが聞こえて、こちらもまた凄
まじいったらありゃしない。みんな知っているのである。初めてでない常
習犯のこのドロボーたちを。

2年ほど前までは、夏になると、ひどいときは毎週末のようにわたしたち
はカフェのガラスが割られる音で深夜起こされたものである。被害を受け
るのは、決まって斜め向かいの角っこにあるカフェだ。

いくら保険に入っているったってあまりではないか。どうも合点が行かず、
これは恨みでもかっているか、悪いけど、カフェのおいさん、ドロボーと組
んで保険料をふんだくっているのではないかくらいに勘ぐったものだ。

それがこの2年ほどパタッと絶えていた。と、思ったら実は服役していたの
だそうだ。まったく懲りない奴らめ、なにしろドロボーが職業なのだ、再犯
再犯の繰り返しなんだから、情状酌量の余地なし10年ぶちこめ!と思わず
毒づいてしまうのも無理ないではないか。

しかし、いつもなら、ガチャーン!の後すぐさま、車が発進からして走り去
るのが定番なのに、ご近所のおじさんおばさんの怒鳴り声がこんなに風
にしばらく聞こえるほど、ドロボーたちが手間取っていたのはなにゆえだ?
なんでやと思います?
彼らの目当てはカフェが棚に並べて販売しているタバコなのです。
んで、カフェのおいさん、何度もやられるのに懲りてタバコの自動販売機に
切り替えて店内に設置していたらしいのですが、その自動販売機ごと、車
のトランクに入れて運ぼうとしたらしい。

ところが、販売機、トランクに入らない!その四苦八苦しているのに、ご近
所たちが罵声を浴びせていたと言う具合なんですが、すったもんだでドロ
ボーたち、やっと販売機の半分をトランクに押し込み、半分はみだした販
売機、トランクを開けたまま恐ろしいスピードで逃げ去って行ったとさ。

物騒な世の中であります。
皆様も周囲には重々お気をつけのほどを。

お口直しにしばらく前の窓からの夕暮れ景色を。

yugure
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年1月19日 

今朝は風が空でうなって、まるで渦でも巻いているような週末の始まりでし
た。そんな中、車を走らせて図書館での日本語授業を終えての帰路、ボアビ
スタのJulio Dinis通りの交差点にさしかかって、アッと驚いた。↓
paparico

木が横倒れ、道をばっちりふさいでおり通れない。それでも向こうで信号だ
けは規則正しく作動している。通りの横にはパトーカーが控えていました。
いやぁ、信号待ちで止まってるときにでも木が倒れてきたら、エライ目に会
った事でしょう。こわいなぁと思いながら回り道をして我が家のすぐ側まで
来たところが、うわ!今度はこんなのが!↓
paparico

この石壁の向こうは私たちの区域ペドローソスのフットボール場になるので
すが、なんと広告看板が反対側に曲げ折れています。くわばらくわばら。人
が歩いていたら怪我人が出たところです。強風は少し納まったかに見えます
が、風はまだそれでゴーゴーとうなり声を上げているのが家の中にいても聞
こえており、怖い突風が気になります。
う~~ん、今晩、出かける予定になってるんだがなぁ・・・

さて、本日は昨年11月に知人のドイツ人女性とそのパートナーに招待され
て行ったレストラン「O Paparico(パパリコ)」をご紹介します。
「パパリコ」は、英国雰囲気のレストランとしてかつて紹介した英国雰囲気
レストラン・バー「オポルト(Oporto)」同様、知る人ぞ知ると言われる。
多少懐がいたむがどんな店なのか一度は行って見たいと夫に頼んでいた
レストランでした。

paparico

看板が上がっていないので、初めて行く人はうっかり見落としそうです。
入るときはノッカーでドアをノックしなければ入れません。予約してある御
仁の名前を告げて入りました。「ドイツ人は時間にきちんとしている、さぁ、
今日は遅れられないわよ。」と夫を急かせて到着したところ、この日はわた
したちが最初の客でした。

店内はそんなに広くありませんが入ってすぐのスペースにはバーがあり、

paparico

こちらでしばらくお待ちくださいと勧められた暖炉の前のソファに二人座り
ました↓

paparico paparico4-1.jpg

そして出された飲み物、何かと聞くと、ローズウォーターです。名は知って
いましたが実際に口にするのは初めてです。
 
暖炉の上には大きなテレビがあり、なんと白黒の映画が上映されていました。
聞くところによるとパパリコのテレビで映し出されるのは常に白黒なのだそ
うです。

やがて予定のメンバー8人が全員揃い、テーブルについたところでテーブル
に並んだ前菜から。

paparico
前菜は皿代わりの大理石板に載せられています。黒いのはXisto(シスト)
と呼ばれる片岩をそのまま使っています。メインディッシュは白身の魚でし
たが、わたしが美味しいと思ったのは下の画像にある前菜の一品。

paparico

すずきの刺身とでも言いましょうか、それにイクラとソースをかけたもの
です。パパリコの料理が基本的にポルトガル伝統料理ですが、幅広い素材
を使い、伝統料理に創作力を加え美しく盛り付けされています。

ワインリストはパパリコの誇るところで550種類の良質のポルトガルワイ
ンが用意されているそうです。わたしたちが行ったこの日は、主催者の心づ
くしでゲストの誕生年1949年に造られた赤ワインが出されました↓
paparico

こういう古い年号のワインがさっと出てくるところが心憎い。

さて、Paparicoとはどんな意味なのか。
「うまいものを飽食させる」、「客を甘やかす(つまり手厚いもてなしと
言うことか)」などの意味があるそうです。その名の通り、よくパパリコ
を利用する今回の主催者の望み通りの料理、ワインが用意されました。

その夜会食のメンバーを待っている間に初めてらしい人から電話が入り、
ドアを開けてわたしたちを受け入れたレストランの責任者、セルジオ氏との
会話が聞くとはなしに耳に入ってきました。

「お急ぎであれば、来られないほうがよろしいと思います。当店の料理は
なかなか時間がかかります。」

おいおい^^;そんな言い方は断るのとさして変わりがないではないか。
知らずにのこのこ夫と二人で出かけなかったのは恐らく正解だったのだろう
と内心この電話での話を耳にして思ったことです。

それにしても小さなレストラン、できるだけ客の要望に応えるそのサービス
で、上質の常連客をしっかりつかんでいるのでしょう。

わたしたちが席を立ったときに気がついたのですが、後ろのテーブ
ルを陣取っていたのは、ポルトでは名を知られる屈指の英国人ポ
ルトワイン業者、シミングトンファミリーでした。
paparico

子供たちが通ったポルトのブリティッシュスクールではよく見かけた顔をそ
の中に見つけ、少しご挨拶。心地よい気分でレストランを後にしましたが、
値段のほどは、し、知りたくない^^;

雰囲気は悪くはない、サービスもよし、しかし、パパリコでくつろいで食
事ができるようになるには、かなり通いつめないといけないなぁ。
多分、最初で最後であろう機会、招待してくれた知人に感謝です。
ついでに言うと彼女のパートナーもポルトワイン製造業を営む外国人の
ひとりでした。

ポルトワイン製造会社のほとんどが葡萄農園も含め外国人の手で運営されて
いるのはなんだか不思議な気がします。以前にもポルトワインの記事で書い
たことですが、あの芳醇な味は、よく言えばのんびり、悪く言えばいい加減
なラテン系民族より、成熟した大人の美学をもつと言われる英国人気質で
あればこそ造り出せたのかも知れません。

ポルトにあって、まったくポルトガル、ポルトらしさを感じないレストラン
のひとつがパパリコであると思います。

一度行こうかと思われる方、是非前もって連絡し予約をとることをお勧め
します。以下、パパリコの情報です。

O Paparico
Rua de Costa Cabral 2343, Porto 4200 232, Portugal
22 540 0548


本日も拙ブログにお付き合いくださりありがとうございます。
それでは、また^^
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年1月15日 

不覚にも買ったばかりの新しい包丁で左中指先をザックリ切っちまった。
経済危機に見舞われているポルトガル、たいした援助にならないのは承知の
上だが、日常生活用品はできるだけMade in ポルトガルを購入しようと考
え、近頃では野菜、果物もそう心がけている。

いつも使用しているのはステンレス製の包丁なのだが、年も変わったことだ
しと、そそっかしいのがよせばいいのに切れの良い新しいのを一丁用意する
ことにした。

買い求めて取り出して見たところ、うわ!刃が薄い。すごく切れそうだなぁ。
一度はジャガイモの皮むきに使い始めたものの、ふと不安が頭をかすめ手を
止めて古い包丁に持ち替えた。んで、それにしてもせっかく買ったのになに
やってんだかと思い直し、再度新品のに手を伸ばし、レモンを真っ二つにサ
クッと切ったと思いきや、その瞬間、やってしまった!の感触。

もう確認する必要もなく、まっすぐバスルームに駆け込み、消毒液を指にぶ
っ掛けたのだが、切った箇所を見るのがこわい・・・
とりあえず夫が帰宅するまで自分ができる応急処置というので、傷口が開か
ないように、たっぷりのオロナイン軟膏(我が家では子供たちがこれを
「ママのMiracle Ointment、つまり「魔法の軟膏」と小ばかにして笑うの
であるw)をバンドエイドにのせて指にきつく巻きつけた。ずきずき痛んで
なかなか止血しない。

そうこうしているうちに夫が帰宅し、痛み止めの薬をもらってとりあえず、
落ち着いた感じなのだが、これが三日前のこと。うっかり指に力を入れよう
ものなら、すぐさま出血するので何をするにも不便と言ったらない。

そんなわけで、キーボード早撃ちのわたくし(それで誤字が多いw)指先を
気にかけながらキーボードを打つのも時間がかかり、それが嫌で、人魚の館
のアップが遅くなってしまいました。

さて、参りましょう。今日の記事は自分の記録メモとして書いてある部分が
あります。興味深いものとはこれです↓

palacio_Sereias

階段を上ってくると頭上に見える石壁の上のピラミッド。Bandeirinha
da Saude(Bandeirinha=小さな旗、Saude=健康、衛生)」と昔から呼ば
れてきました。それでこの人魚の館がある道も「Rua da Bandeirinha」、
バンデイリーニャ通りと呼びます。

palacio_Sereias

館側から見るとこんな風に見えるピラミッド。川に面しているのにはそれ
なりの訳があります。

ピラミッドの上に見える小さな金属製のBandeirinha da Saudeですが、
これはかつてドウロ川にポルト入港する船に向けての目印だったそう
です。16~18世紀にはペストが何度か国内で流行しましたが、それを
防ぐため、この旗から川に延びる線を境界線とし、船はそこから先のドウ
ロ川には入れないことになっていたと言われます。

そう言えば、2年ほど前にこの辺りに「モンシーク修道院」を探してきたこ
とがありましたが、その修道院が舞台になったポルトガル、19世紀の文
学者Camilo Castelo Brancoが書いた小説「Amor do Perdical(破滅
の愛)」では、父親に愛しあうことを禁じられこの修道院に幽閉された女性
テレザ。愛する彼女から離れ異国へ旅立たなければならなくなったシモンは
船上で修道院の窓から出航を眺める彼女の姿を認めるのですが、なるほど、
つまり、この船はBandeirinha da Saudeの境界線ギリギリのところから
出たのだということが分かります。

(モンシーク修道院を探しての記事はこちら↓)
ポルトガル文学 「破滅の愛」の舞台、モンシーク修道院を探して

このような細かい背景が分かって映画や小説を読むとその時代が活き活きと
蘇ってきます。

1809年はポルトガル歴史上重要な年号のひとつとされます。ナポレオン
がポルトガルを征服しようと1807年、1809年、1810年と三度フ
ランス軍が侵入してきたのです。1809年はスペイン北部からポルトに入
ってきました。結果は3度とも敗退して、ナポレオンは「ピレネーを越える
とアフリカだ」、つまりヨーロッパではない、なんて言葉を残していますが、
ナポレオンさん、ひょっとして3度も攻めて成功に及ばなかったがため、
悔し紛れに口から出た言葉ではないかと、意地悪くわたしは勘ぐってみるの
です。

さて、この1809年、フランス軍となんらかの関係があると勘ぐられた息
子が民衆に殺害され、ポルトカレーロ一族はこの人魚の館を捨て去り再びと
この地を踏むことはなく、屋敷は1955年まで廃墟になっていました。

ローマカトリック教会がより聖女に加えられたカノッサのマグダレナの名を
冠するコミュニティに売却され、現在もカノッサのマダレナ・コレジオ(コ
レジオ=ミッションスクール)として運営されており、残念ながら内部見学
は不可能。

palacio_Sereias

写真は人魚の像の反対側で現在のコレジオの入り口になっています。
ファシャーダと呼ばれる表門の上にはポルトカレーロ家の紋章が彫られて
あります。拡大して見ました。

palacio_Sereias

ポルトカレーロ家はGaliza 一帯の貴族を祖先に持つアンダルシアの大貴族
でスペイン王家とも関わりがあり、紋章には王家のキンの冠をかぶったライ
オンと三つの塔を持つ城が使われています。

palacio_Sereias

ポルトカレーロ家の紋章

人魚の館にまつわる話をもうひとつ。

昔から知る人ぞ知るこの人魚の館ですが、現在のように映像が一般化されて
いなかった時代、女性の裸体など目にすることもない思春期の男の子たちは
こっそりとこの人魚を見に来たのだそうです。見つかった時は学校や親から
厳しいお仕置き、お叱りを受けたとのこと、現代からすればなんとも可愛い
らしい話ではありませんか。ということで最後にもう一度「人魚」に登場し
てもらいます。

palacio_sereias


その後のポルトカレーロ家については目下不明。本日は人魚の館を追って
色々話が飛びました。
では、これにて。
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2013年1月9日
 
今日は地元のポルトっ子も意外と知らない(エヘン^^)ミラガイアにある
Palacio das Sereias(人魚の館)の紹介です。

知ってるかと聞いてみると夫も老若の日本語生徒さんたちも知らなかったと
いう別名Casa das Sereias, Casa de Portocarreroとも呼ばれる基礎
建築が16世紀だとされ、18世紀にはポルトカレーロ(Portocarrero)
一族が住まいとした美しい館です。

ポルトの街は坂道が多いのは何度も述べてきたことですが、ドウロ川対岸の
ガイア側から眺められる素晴らしい光景も、街が傾斜度の多い丘陵地帯に
発展し段々畑のように重なっているからこそなのです。

ミラガイア地区もドウロ川沿岸から上の丘陵一帯に続くわけで、さて、本
日は人魚の館を下から歩いていくことにしましょう。

palacio_sereias

ミラガイア(2)で紹介したアーケード地域から見上げられるてっぺんの
白い館がPalasio das Sereiasです。

palacio_sereias
この古い石段を上って行きます。

palacio_sereias
これはちょっときつい!
palacio_sereias
上から見たところ。おじいさんが上ってきます。


palacio_sereias
上り詰めた小さな広場から見えるドウロ川と対岸ガイア市。

palacio_sereias

そして川が一望できる小さな広場を前にする、その名が由来となるふたつの
人魚像の館が現れます。
この日に時間帯は夕方、まもなく川と海が出会うRiaには日が沈もう
という時で、夕日を浴びた館は赤く染まっています。

この「人魚の館」にわたしが出会ったのは偶然で、この人魚をみるなり
Nasoni(ナゾニ)の作品のひとつ「Casa da Prelada・プレラーダの館」
を思い浮かべ、果たしてこれもNasoniの手によるものかではないかと思い
ながらも時間に追われ、ついつい今日まで確認してきちんととりあげる事が
できなかったのです。

prelada
↑Nasoniの手によるPrelada館のファシャーダこと表門。「人魚の館」の
ファシャーダと非常に似ている。長い間、廃墟となっていたが現在修繕中。

ここ数日の調査の結果「人魚の館」はポルトカレーロ邸として18世紀に
Nasoniの弟子により造られたことがわかりましたが名前はまだ不明で
す。道理で建築様式が似ているはずです。

人魚、特に双尾をもつ人魚は以前に「スターバックスの奇妙なシンボル」で
とりあげましたが、錬金術、秘儀思想のシンボルとしても知られています。

館の前の小さな広場にはもうひとつ、興味深いものを見つけましたが、夜も
更けてまいり次回にご案内するとしましょう。

本日も拙ブログを読んでいただきありがとうございました。
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2013年1月5日 

昨年のクリスマス以来じとじとしていた天候がうって変わり、一昨日の気温
は17度まであがってぽかぽかと暖かい一日でした。今日もポルトはいい天
気でした。

昨年暮れ29日からロンドンに留学中の甥が我が家に滞在していましたが
2日には日本語の仕事始め、昨日は甥を空港まで見送ったりと、忙しい日々
を送っておりました。

通常通り土曜日の日本語教室も今日から始まったのですが、図書館の我が日
本語コース、今週はあちらの、来週はこちらのと教室代わりに使用するスペ
ースがよく変更されるので私は密かに「漂流教室」と名づけています。
愚痴は言うまい。スペースを提供していただけるだけでも感謝して、生徒さ
んたちに学習に励んでもらえるよう、今年も頑張りたいと思っています。

前回の新年の挨拶を別にすると今日は今年初のブログになり、本来ならば
抱負などを語るべきでしょうが、一人ゆっくり落ち着いて旧年を振り返る時
間もまだもてない状態で、それは少し先になります。

そこで、本日はすっかり遅くなってしまいましたが、ポルトのMiragaia
地区、パート2のご案内です。(パート1はこちら

MiragaiaとはGaiaが見える所という意味です。その名の通り海岸に向かっ
て歩くと右手は古い家並み、左手にはドウロ川、そして対岸には隣町Gaia
市が見えます。ミラガイア地区は世界遺産区域で、ポルトの最も古い伝統的
な家々を今に遺しています。

Miragaia

かつてはカフェや商店が立ち並びにぎわったであろうアーケード。
Miragaia

現在はそのほとんどは倉庫として使用されておりさびれたままだ。訪れる
人もなく、一人自分が歩いたアーケードを振り向いてデジカメを向けると、
この古いアーケードが一瞬の間、輝く光を見せたように思われたのは気の
せいか。清潔な近代美もそれなりにいいけれど、こういう古さには人の生活
のノスタルジアが感じられ惹かれる。

下はツーリスト用に最近修繕されたアーケードの一部。
Miragaia

Miragaia
ポルトの古い町では必ず見かける猫たち。ミラガイアもその例に漏れず。
Miragaia
人なれしていてカメラを向けるとちゃんとポーズをとる。
Miragaia

Miragaia

Miragaia

アーケードの上の古い家々は現在も人が住む。
Miragaia

ポルトの新設アパートでは外に見えるように洗濯物を干すのは禁じられてい
るが、旧市街は別。この洗濯物が昔のポルトガルらしさを表すのだ。

Miragaia

この日も洗濯物を干しに住人がベランダに。パラボリックアンテナも出て
生活感溢れている。

Miragaia

ミラガイアシリーズ、続きます。
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2013年1月1日

shinnnen_aisatsu.jpg


新年明けましておめでとうございます。
昨年に引き続き本年度もよろしくお願いいたします。

ポルトはこのところ、雨天のうっとおしい天気でしたが元旦の今朝は久し
ぶりに青空が見える清清しい朝です。

24日のクリスマスイブから毎日忙しく立ち回っています。この時期、大阪
の親友母娘が1週間ほどポルトに滞在した昨年に引き続き、29日から
ロンドンに留学している甥が我が家に滞在しており、年末年始の食卓が
ぎやかです。

今朝はこれから元旦料理、がんばりますぞ。
なにしろこのところ、3・11の放射線問題で日本食がすっかり手に入らな
くなった中のお料理です、甥っ子よ、思う存分の腕ふるいとはいかないが、
海外の日本人の正月料理、まぁ、お試しあれ。

それでは、本日はこれから一仕事ですが、みなさまの1年のご多幸ご健
康を願い、拙ブログ、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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