2013年2月25日 

「よくないよ」と夫に言われながら、ここ3ヶ月ほど雨の日も風の日も欠か
さないことがある。ノラ猫たちのエサ運びだ。

夫が「よくない」と言うのはエサをあげることでなく、運んだ後にもう一度
片付けに外へ出る時間帯が夜11時半から12時近くになることなのだ。

我が家の5匹ねこは皆さまもご存知の通り、冬はストーブ前の特等席を陣取
ってこのようにパズル状態でネコける、寝こける(^^;)まぁ、可愛いヤ
ツラではあるが、わたしはいわゆるネコっ可愛がりということをしないタイ
プである。
ネコ

5匹もいると、各々の性格、好み、癖があり見ていてなかなかに面白く、サ
ル山のサル同様、ちゃんとボスがおり、ネコ社会ができているようだ。殆ど
全盲に近いゴンタネコは今でも依然としてボスで、猫たちの間で喧嘩でも
始まろうものならスッ飛んで行き、仲裁に入るのには感心させられる。

そういう状況だから、下手にお気に入りのをネコっ可愛がりをするのは彼ら
のルールを乱すことにもなりかねない。が、その彼らが「いったいこのエサ
はどこへいくのだ!」と言いたげにヤキモチを焼くのが、晩御飯後にわたし
が準備するノラちゃんたちのエサである。

ネコ
(写真)ノラちゃんたちのご飯。アルミホイルに包まれたのは黒猫族用。
我が家の5匹猫はドライフードなのでこの匂いがたまらないらしい(笑)
目下、ノラちゃんたちもドライフードに切り替えるために猫缶に混ぜて
その量を少しずつ増やしている。


実はここ2年以上、エサ運びをしている4、5匹の黒猫一族がいる。全員黒
ネコ。エサの準備終了時に、表通りに面した我が家のベランダの灯かりを点
けると、レストランオープンという合図で、2階のフラットからエサを持っ
て下へ降りていくのだが、彼らはフラットの前で待っている。
エサをあげる場所は数件離れたご近所のジョアキンおじさんの家の石垣の横
と決まっている。

ほんとはこの黒猫一族、ジョアキンさんとこの畑のネコなのだ・・・
かつては毎朝お供にロバを連れて商店街にある食事処を回っては、前日の残
飯をもらい、それがネコやブタのエサとなっていたのだが、ロバもおじさん
も寄る年波には勝てず。

ロバはいなくなりジョアキンおじさんの長年してきた残飯集めもおしまい。
おじさん、ご近所の人たちに「エサをやっておくれ~」なんて言ってパタッ
とネコエサをあげなくなった。そこで困るのは畑に棲みついているノラ猫た
ちである。

見るに見かねて成猫の黒猫一族にエサ運びを始めたのだが、3ヶ月ほど前に
石壁で囲まれた畑から通りにゾロゾロ出てきたガリガリの痩せた子猫たちを
見たのが運のつき。車の往来が多いので危ないったらありゃしない。

ネコ
(写真)引き戸の隙間から出てきてその日の一食を食べる猫たち。成猫も
加わり多いときは7、8匹になることもある。引き戸の向こうは畑である。


猫たちが食べ終わるのを待っているわけにもいかなので、一旦家へ引き上げ、
台所の後片付けが一段落してから皿を集めに再度やってくるのだが、それで
夫の「夜だから危ない、よくない」なのである。しかし、すぐ側のことだし
街灯は煌々として周囲がよく見渡せるのでわたしはたいして心配していない。
それに、若くもないしね!(爆)

さて、一昨日のこと、いつもの通りエサ運びをしていると目の前に首輪のつ
いた大きなドイツ犬が現われた。後で聞いたことだが、夕方からこの辺りを
うろついていたらしい。しかし、人なつっこく人間に害を与えることはなさ
そうなのだが、これが車の下に逃げ込んだ猫たちを追いかけ始めたのである。

この夜はジョアキンおじさんの畑の子猫たち、エサを待ちあぐねてか、おじ
さんの家のところまで来ていたらしい(畑と家は15mほど離れている)
4匹の子猫のうちにひ弱なのが一匹おり、他はサッと逃げたのに、これが逃
げおくれたようで、わたしは目撃していないのだが通りかかった近所の若い
知り合い夫婦が、犬に噛み付かれたのを見たというではないか。

探して見るとその子猫、犬の追跡を逃れておじさんの自宅庭に面した高いも
の干し場の上に乗っていて、体中の毛を逆立てとても抱き上げられるような
状態でない。

犬はあっちの車の下、こっちの車の下とまるで遊んでいるかのように猫を追
い廻し、大きな体は車にゴン!ゴン!とぶつかり、わたしとご近所3人で猫を
守るために犬を追い回す羽目に^^;

しかし、犬のお遊びはとても終わりそうもなく、ついに若旦那、ケータイで
SOSの112番を呼んだ。最初は動物愛護協会へ連絡したのだが、夜8時
以降は活動しないとのこと。

そんなこんなでやっとパトカーが来た頃には件の犬はどこかへ姿を消してし
まい、犬が相手では何もできないがと、件の若旦那は身分証明書の呈示させ
られるなど、調書もどきをとられていた。

この間、夫はベランダに出てきて
「遅いじゃないか。いったい何してるんだ?」^^;
何してるって、あぁた、こうこうしかじかで、と説明するわたしをベランダ
から見下ろして呆れ顔であった。

さて、その翌朝、例のひ弱な子猫が気になり、ジョアキンおじさんの畑の戸
を開けて、エサの時に使う合図をしてみると、お~~、最後に出て参りまし
たひ弱な子猫。ちょっと右鼻っぺに傷ができていましたが、無事だった様子。

neko

このだだっ広い畑のなかに果たして何匹のネコがいるのだろうか・・・
いやいや考えたくない事実ではある。その考えをさっさと頭から取り払い
そそくさとジョアキンおじさんの畑の戸を閉めたのであった。

せっかくきれいに手入れしている庭や花壇にオシッコやウン○をして行くし、
ノラ猫には迷惑を蒙っている、餌付けされるとノラネコが居ついて困る、
さっさと保健所に電話して持って行ってもらいたいと思う方、中にはわざ
わざ猫エサの毒をしかけて置く人までと、色々いらっしゃるでしょう。

しかし、ちょっとこれを読んで見てください。
ネコ

これはわたしがフェイスブックで得た画像です。ネコに限らず犬も同様で
す。今回ネコを追い回していたドイツ犬も、逃げだしたのか或いは捨てら
れたのか、ひょっとしたら旅行中だけの放し飼いなのかも知れません。
お腹も空いていたでしょう。挙句にネコを守らんがためとて、わたしたち
に追い立てられて可哀相にと後で思ったことです。

ポルトガルでは近頃動物愛護協会が増えているように思います。若い人た達
のボランティアもいますし、彼らは色々な企画を通して里親を探します。
またドイツでは犬猫の殺処分数ゼロ、殺処分施設もゼロとの記事を読んだ
ことがあります。

私自身は上記のボランティア活動参加は時間的に難しいのですが、まず周囲
から自分にできることをしようと考えています。飼う飼わないは別にして、
犬も猫も鳥もいなくなった人間社会はわたしには殺伐としたものに見えるの
ですが、皆さまはいかに。



ネコ
  お~い、ゴンタ、そんなとこでコックリやってたら落ちるぞぉ~。

ネコ
クルルとチビと真っ黒ぺト、3匹いるのであります。

手前味噌になりますが、我がブログ内ネコの話お勧め記事はこちら↓
①「ネコも色々あってな

②「ネコちゃんの里親募集
③「この親にしてこの子あり・・・焦ってます

②と③はつながっていますが、このネコちゃんの顛末は知人杉さんに引き取って
もらうことで一件落着したのでした。

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、みなさま、また明日。
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2013年2月24日 

Saorock

4ヘクタールの広さを持つサン・ロック公園はポルト東部Antasのドラゴン
サッカー場近くにあり、かつてQuinta da Lameiraと呼ばれていた。
ポルトワイン業者のCalem一族が代々所有していたのをポルト市が買い取り
公園にして一般市民に開放している。ゆっくり散歩すると小1時間くらい
かかろう。
入り口はTravessa das AntasとRua da Lameiraの両方にある。

iriguchi.jpg
園内

penedono10
入り口を入ってすぐにある礼拝堂。キンタ(Quinta=別荘、果樹園等の意味
に使われる)の多くは私邸とカペラこと礼拝堂を備えているところが多い。
かつては結婚式も行われたことだろう。

ponte2-1.jpg
園内のところどころで見られる橋
ponte3.jpg

屋根がまだ取り付けられていない休憩所↓
ponte4.jpg

公園内にはいくつかの石門がそのままになっていて興味深い。
hashira2.jpg

園内のあちらこちらに置かれたかつての庭園の一部をなした石柱。
hashira3.jpg

さて、これが迷宮こと草木を使ったラビリンス(前回はポルトガル語
式でラビリントと書いたが今回は日本語式、ラビリンスに統一)。
ポルトガルではLabirinto Verde(Verde=緑、草木)と呼ぶ。
rabilinto1.jpg

迷宮は迷路と違い、一本道であること、通路は交差しないこと、中心の側を
繰り返し通ることなどの点が挙げられる。これもごらんの通り、背丈ほどの
高さがある垣根の中を中心を遠回りに回り回って中央の石柱にたどり着く。

ラビリンスの代表的なものはギリシャ神話に基づくミノタウロスが閉じ込
められたとの伝説があるクノッソス宮殿だが、イギリス、フランスでは
ゴチック建築の大聖堂の中によく見られる。

中でも名を知られるのがフランスはアミアンにある大聖堂と、同じくフラ
ンスのシャルトル大聖堂のラビリンスだ。

下はアミアン大聖堂内。祭壇に続くいくつものラビリンス。
Saorock

ラビリンスの部分。
Saorock

こちらはシャルトル大聖堂のラビリンス。
Saorock

シャルトル大聖堂もアミアン大聖堂も、スペインのサンチアゴ大聖堂への
巡礼地線上にあり、いずれも内外に施された建築模様は不思議なシンボル
に満ちている。

ラビリンスは、神々の象徴、天体の運行を表したものとも考えられるが、
神秘主義者にとっては神聖なシンボルである。
昔から巡礼者はヨーロッパ各地からサンチアゴを目指して旅してきたのだ
が、一説によると秘儀参入者(グノーシス主義者とも言えるか)は一般の
巡礼コースとは逆に、サンチアゴを出発点とし、シャルトル、アミアン、
パリのノートルダム大聖堂を経て海を渡り、最終地はダヴィンチコードで
一躍有名になったスコットランドのロスリン礼拝堂に辿り着くのだと言う。
この道を彼らは「星の道(覚醒の道」と呼ぶのだそうだ。

さて、これはspacesisの道楽、謎追いになるのですが、この星の道を歩む
巡礼者だが、わたしは長い間、シントラとこの過去の巡礼者たちとは何か
関連があると推測してきた。「サンチアゴへ入る前には巡礼者はポルトガ
ルのシントラで一定期間を過ごし心の準備をする」との一文をとある本で
見つけた時はゾクッときたのであった。

シントラに滞在したバイロン卿、ウイリアム・ベックフォードもその巡礼
者だったのではないかと推測している。果たして彼らがその奥義に覚
醒したかどうかは知る由もないが。

終着地がサンチアゴであれ、ロスリンであれ、考えようによっては下
図にしめされる数多くの巡礼路そのものがラビリンスとも言えよう。
Saorock


ラビリンスの真ん中は奥義の真髄であり、そこへ辿りつくまでの迷宮は自己
啓発の道であり、最終目的地は人間の気高い精神とは考えられないだろうか。

とまぁ、迷宮ラビリンスから、このような話に及びました。最後にポルト
ガルのもうひとつの有名なラビリンス絵が見られるところの紹介。
コインブラ近くにあるローマ時代の遺跡、コニンブリガ(Conimbriga)の
床に残された、中央にミノタウロスがあると言われるモザイクのラビリ
ントです。
Saorock

わたしが思うに、ラビリンスのもつ性格からしてこれはギリシャ神話に出て
くる迷宮に閉じ込められた怪牛ミノタウロスではなくて何か別のシンボルの
ように思えてならない。

本日も長い拙ブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。

なお、コニンブリガの案内はこち
シントラについては、左下カテゴリの「シントラ」と「specesis,謎を追う」をどうぞ。
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年2月20日 

午前中の日本語クラスにキャンセルが入り、久しぶりにメトロでダウンタウ
ンまで出かけてきた。今日は写真撮影が目的ではなくて、帰国土産の買い物
である。

昨年のクリスマスプレゼントに夫が用意してくれた日本行きの切符が4月
中旬なのだ。帰国前日に図書館の日本語コースをひとまず終え、一ヶ月
の休暇を入れるので買い物のためにとて、おいそれと日本語をキャンセ
ルするわけにも行かない。こういう時は外出のチャンスなのである。

そんな訳で買い物を済まし大きな紙袋を三つ提げて、サンタカタリナ通り
からブリャォン市場を横にサ・デ・バンデイラ通りを横切って歩いていた。
この細い道は、市庁舎があるアリアードスのメトロ駅へ抜けるのだがこの
通りにはわたしが好きでよく寄る小さな店が2軒ある。

ひとつは店内のファッションはイタリアから直輸入しているというブティ
ック、もうひとつはわたしがよく布物を買い求めるポルトガル刺繍や雑貨
を置いてある小さいけれども素敵な店。

今日の買い物の最後にそこにも寄ろうかと考え、店にさしかかったところ、
何とはなしに道の反対側にある「Babuska」なるブティックが目に入った。
ん?つい最近どこかで見かけた名前だぞ・・・と思い一瞬立ち止まると、
その店の前で立ち話をしていたと思しき二人の女性のうち、グラサンを
かけた方がわたしに手を挙げて、道を渡ろうとするではないか。

babuska
Babuskaのショーウインドー

反射的にわたしもつい手を挙げて、
「いやいや、わたしがそちらへ参ります」
との素振りで車の往来が過ぎてから道を渡ってくだんのポルトガル人女性と
真正面から顔を合わせたのだが、あれれぇ・・・・し、知ってるようだけど
知らないぞ、この人^^;

が、すぐにピーンときた我が勘!フェ、フェイスブックでおともだち申し
みをしてきた人じゃん!その場でお互い顔を指差し,
「フェイスブックのともだち!」と爆笑!
Babuskaは彼女が「気に入るかもよ」とわたしを案内していたのであった。

ここからは、ですます調ですわ^^

拙ブログサイトを訪問なさる皆さまにもフェイスブックことFBをしておら
れる方がいると思われますが、わたしは原則的にポルトで会う機会がある
日本の人とはほとんどつながっていない。たいがいは日本語の生徒さんと
日本在住の友人知人です。

生徒の中にはポルトガルのこのご時勢柄、海外へ職を求めて行った人も何
人かいるわけで、かつての生徒さんとこうしてつながっているとせっかく
学んできた日本語です、興味を失わずにいてもらえるかも知れないと思っ
ているわけです。

さて、私自身はFBを通して人探しをすることはありませんが、時々何年
何十年もの時空を経てコンタクトをとって来る知人と再び回り逢ったり
するので、実名登録という危うさはあるものの、FBはこのような点で魅力
でもあります。

我がケースですが、35年も昔、アメリカのアリゾナで喧嘩別れして以来
お互いに音沙汰なくなってしまったイギリス人の友人が突如オマーンか
らコンタクトしてくるという嬉しいハプニングを体験しています。
また母校の後輩ともつながることができ、近頃では弘前のホットニュース
が少し入手できるという嬉しい面があります。

しかし、知り合いの知り合いのそのまた知り合い、と言う線を辿って全く
の赤の他人から時々、
「 want to be your friend.」ということもあり、はて、困るぞと
承認するのに躊躇したりします。(承認しないとつながりません)

去年でしたか、アメリカでこういったFB上のトラブルが元で殺人事件も
起こっており、「う~ん、どうしたものか・・・」と不安になるのですが
実は今日偶然街で出会ったくだんの女性はその一人なのでした。

どうしようかと迷いながらも、年配の女性だし、何ゆえ日本人のわたしと
つながりたいのか分からないが、ま、いっか、といういきさつの人なので
した。

ポルトの街を歩いていても同国人とはめったに遭遇することはありませ
ん。それだけ在住している日本人が少ないわけですが、FBには顔写真も
載るので、グラサンかけた茶髪のチビはわたしのトレードマークのよう
なもの、あちらはたまたま歩いているのを見かけて、あ!っと思ったの
でしょう。

さて、女三人でしばらく立ち話をしたのですが、聞いて見るとその女性
Iさんは30年ほど前に建築の勉強で日本へ留学していたとのこと、これ
で日本人であるわたしにコンタクトをとってきたのがわかりました。

もう一人の女性は、FB友Iさんの友人でBabuskaと、わたしが布物を買い
に行く同じ通りの筋向いにあるお店のオーナーで、そこでときどき見かけ
てわたしを知っているというのです。

世の中ホントに狭い!今度いっしょにお茶を飲みましょうと別れて帰って
きたのですが、それにしても、知らぬのに反射的に挙手して応え、道まで
渡る自分のおアホな姿を思い浮かべると、思わずくっくっと笑いがこみ上
げてくる今日のできごとでした。

次回は迷宮の紹介です。
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2013年2月17日 

2月3日、7日の記事で18世紀のイタリア建築家ニコラウ・ナゾニのCasa
da Prelada邸宅を取り上げましたが、本日はもう少し、それについて。

訪れた日は邸宅内はおろか敷地内にもまだ入れず、外からの撮影でしたが、
実はその日1時間半も近辺をうろついていたのであります。

邸宅は長さ1キロメートルもあると言われる広大なQuinta(キンタ=別荘
地)の片隅にあり、現在はそのキンタの真ん中を自動車道路が突っ走るとい
う残念な状態になってしまっています。

かつては子供たちがいた頃学校へ迎えに行くとき、そして現在はポルトガル
語のDias先生のお宅へ伺うときと、しょっちゅうこの自動車道路を走ってき
たのですが、ある日遠く野原の向こうに一瞬、マグダラの塔のようなものを
垣間見た気がしたのです。

prelada
↑プレラーダ邸の背後はまだ整理されていない。この土地も写真左側に道路
が造られ、わたしはそこからこの画像を撮影


自動車道路ではみな時速100キロ以上のスピードで飛ばしており、今でこ
そわたしもそんな調子で突っ走っていますが、当時は「誰がなんと言おうと、
アタマにくるクラクションをどんなに鳴らされようと、80キロ以上は絶対
出さんぞ!」80キロなら万が一事故に遭遇してもまだ被害が大きくならず
に済むだろうと頑なにそれを守っており、後ろからクラクションが鳴っても
「ふん!Passa por cima!できるもんなら上を飛んで追い越せぃ、はは」
と悪態をつき、テコでも80キロをオーバーしなかったのであります。

塔とおぼしきものが見えるあたりに来ますと更に速度を緩め、チラと見る。
何度が確認した結果、あれは間違いなくマグダラの塔もどきだ、と結論。

14世紀から16世紀にかけて、メディチ家の保護によりフィレンツェルネ
サンスの黄金時代が築かれたわけですが、神秘主義の芸術家ミケランジェロ、
ダヴィンチ、ラファエロが、そして君主論を世に出したマキアヴェリが活躍
したイタリアのトスカーナ地方、そに生まれたナゾニがこの影響を受けない
はずはない。プレラーダ邸がナゾニの手によるのであるから、マグダラの塔
はさもありなん。

prelada
↑かつてのプレラーダ別荘地の一部は現在プレラーダ病院棟にもなってお
り、ご覧のように、手前には水道橋の遺跡が見られる。一時はどうしても
マグダラの塔見たさに、この病院から入れないものかと思案したこともあ
るが、土地が途中で切れていることが判明。無理。


恐らくあの位置からすると塔はプレラーダキャンプ場の中になる。なんとか
して一目見てみたいものだと長年思っていたのです。

が、かつてわたしがプレラーダ邸を探してプレラーダキャンプ場に行った
時と違い、キャンプ場は何年も閉鎖されたままで入場不可能。いくら入っ
て見たいと思っても無理なのでありました。

そこで、もしやもしやとプレラーダ邸の後ろを回り土手道に出て少し歩い
て見たところが、おーーー!
prelada

土手道は上りになっており、上り詰めたところから向こうに見えたのはかの
塔ではないか!しかし、小躍りして喜んだのも束の間、土手を降りると低い
石塀で囲まれた広い畑地になっており、畑と塔はやはり塀で仕切られておる
のでした。

我がデジカメでは遠すぎる・・・が、ぬかる道に苦心してやっと撮れたのが
これです。

prelada

聞けばこの塔は池の真ん中に建てられており、これから見られる塔の反対側
には美しい噴水が見られるのだそうな。そして、もうひとつ、最近調べて
分かったことに、この敷地内にはイベリア半島で最も大きなラビリントこと
迷宮があるのだそうだ。

マグダラの塔、池、そしてラビリントとくればプレラーダ別荘地全体が神秘
思想を盛り込んでいるのに外れはないはず。これはなんとしてでも見てみ
たいもの。もう少し暖かくなったら方法を探ってみないと!

ということで、プレラーダ邸についてはひとまず、置きますが、次回はわた
しが見つけたもうひとつのラビリントをご紹介したいと思います。

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
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2013年2月16日 

1415年のグレゴリウス教皇以来、600年ぶりのベネディクト16世ロ
ーマ教皇の生前退位、ロシアのウラル地方の隕石落下、ポルトの地震となに
やら不穏な出来事が続いている2013年2月です。

そんななかでのおとといのバレンタインデーでした。
聖バレンタインは3世紀頃のキリスト教聖職者ですが、当時のローマ皇帝に
より処刑されています。その理由というのが、ローマ兵士の士気が低下する
のを恐れて、教皇は兵士の結婚を禁じていたのですが、聖バレンタインはこ
れに背き、婚礼を取り仕切っていたことが発覚し、捕えられたとのこと。
2月14日は聖バレンタインが処刑された日です。4世紀に入り、この話が
言い広められ、以来、聖バレンタインは恋人たちの守護神になっていました。

これがいつの間にやら、「女性から愛の告白ができる日」「女性が男性に
チョコレートを贈る日(日本)」なんてことに摩り替わえられたのですが、
聖バレンタインさま、あの世で苦笑しておられることでしょう。

日本では女性が男性にチョコレートをあげるようですが、ポルトガルでは
男性も女性もこの日には贈りものを交換します。贈り物もチョコレートに
かぎりません。

ポルトガルには女性から愛の証として「Lenco dos namorados(=レンソ・
ドス・ナモラードス=恋人たちのハンカチ)」という美しい手作りのハンカチ
を男性に贈る習慣がありました。

lenconamorado2-3[1]

贈る相手とはそうすることで結婚の約束をすることになります。恐らく昔は
手作りのハンカチがこの日に男性に贈られたこともあったでしょう。「恋人
たちのハンカチ」は今ではポルトガルの伝統手芸のひとつになっています。

「恋人たちのハンカチ」の詳しいことについては、記事最後で案内しており
ます。

さて、日本では女性が男性にチョコレートをあげるようですが、ポルトガル
では男性も女性も贈りものを交換します。贈り物もチョコレートにかぎりま
せん。過去の日記にこんなことも書いています。

昨日の出張日本語先の、例のマセラッティの君、普段はケータイが鳴っても
授業中は応答しないのですが、なにやらお急ぎの様子、失礼と出ました。
こういうとき、わたしは極力聞かないように耳を閉じるようにいたします
(ホントですってば。笑)

で、説明せんでもよろしいのに、マセラッティの君がいうことには、
「家内からバレンタインデーに宝石のプレゼントをせがまれた(うはっ!
ところが仕事が忙しくてとても買いにいく暇がない(あらま!
それで家内の趣味を良く知っている友人に依頼した(ん?)のである」と。

マセラッティの君、口止め料いただきますぞと、冗談言っていたのでしたが
なんだか映画で見かけるシーンではないか(笑)


で、夫が帰宅しますと、「ハイ、ハピー・バレンタイン」と手渡されたのが
ちょこれーとの箱でした。わたしからはと言うと、久しぶりにオーブンを
使って作ったバタークッキーとチーズクッキーです。

coolie3.jpg

子供たちがいた当時は、今ほど日本語の仕事を入れておらず、クッキー
やパイナプルケーキ、チーズケーキをよく作っていたのですが、ここ数年
時間に追われついついケーキ作りから遠ざかっていました。一昨日は、
たまたま午後の日本語がキャンセルされ、材料も手元にあったのので
サッと焼いてみました。

cookie-1.jpg

チョコもおまけ。
choco.jpg

ついでに、日本語教室運営の件で次の日(つまり昨日)会合することに
なっていたOちゃん家族にもおすそ分けに。
cookie-2.jpg
ちょっと焦げ付いたのもあるけれどご勘弁。このクッキー、バター味を抑
えているので食べやすく、ついついパクパク口に放り込んでしまうのが
玉に瑕(きず)。

というので、クッキーはその夜のうちに夫とわたしの腹におさまってまって
しまいましたとさ。

「恋人たちのハンカチ」はこちらにて。
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2013年2月13日
 
午前中は某企業で日本語個人レッスンの出張授業、帰宅して昨夜作った鮭
の押し寿司を昼食に。午後は3時半から週に一度通っているポルトガル語
レッスンを受けにDias先生のところへ出かけてきました。

目下、先生と本を読んでいるのであります。

alquimista.jpg

「アルケミスト(錬金術師)」と日本語では出されています。ブラジル人作
家パウロ・コエリュ氏のベストセラー作品で、文体は読みやすく語彙も難し
くない。一見子供向けの本かと思われがちなのですが、どうしてどうして。

普段耳慣れない語彙が大切なキーワードとして処々で使われ、これらを知ら
ないことには、この物語の真意は掴めない。その語彙を調べるのに時間がか
かり一筋縄ではいかない代物ですが、それがまた面白い。ただ今、半分以上
を過ぎこれからいよいよ、山場に入るところです。この本については綴って
みたいことが多々あり、いずれ、取り上げたいと思っています。

Dias先生とディスカッションしながら読むもので、毎回のレッスンは数ペー
ジ読んで終わります。博識な先生との会話は楽しく、一時間があっという間
に過ぎ充実した授業なのであります。

さて、そうして帰宅したのが5時ごろで、デスクトップの前に座りメールの
チェックをしていたところ、突然ドン!と大きな揺れに襲われた!しかも
縦揺れです。一瞬にしておさまったものの、はてな?今のは大型トラックで
も表通りを通ったのか?(こう言うことは時々ある)しかし、突如とした
揺れの治まり方からしてトラックの風ではないのだが、フラット前にでも停
車したかと思い、表通りを覗いて見たが、さにあらず。

そう言えば二日ほど前からご近所が大木を切り倒そうと、電気ノコギリで
ギーコギーコ小うるさくやっていたゆえ、ひょっとしたら大木、ついに倒
れたか?それにしてはあまりの振動ではないか。あれほどの振動を感じる
ほどの大木、この辺りにあったっけ?と頭をめぐらしたものの、原因は分
からず。

夕がた夫が帰宅するや、「今日はまるで地震のように揺れを感じた。しか
も縦揺れで結構なものだった。まさか地震じゃぁないよね」と聞くと、
曰く「地震あったぞ。震源地はParedesだとニュースで言っていた」

Paredesはポルトから32キロほど内陸に入ったところです。いやぁ、びっ
くりしました。34年住んでいますが、地震なんて初めてです。情報による
とマグネチュード3.1だそうです。

2011年の東北大震災時には、日本に住んでいる子供たちに「ポルトガル
は経済的にはイマイチだけれど、少なくとも地震に脅かされることはまず
ない。帰ってくる気はないか」と促したものですが、もうそんなことは言え
ません。

まさかHAARP(超強力なビームを生成する地球物理学兵器と言われるアメリ
カで行われている地球高層大気の研究プロジェクト。人工地震を起こせると
言われる)でポルトガルが焦点をあてられることもあるまいと思うものの
このポルトでの地震初体験、不気味さが残ってどうも気持ちが悪い。

ポルトガル南部は1755年に大地震に襲われリスボンは壊滅しています。
古い記事ですが、こちらのブログには掲載していませんのでこの機会に
リスボン大地震について、下記に。

1755・リスボンの大地震
(Terramoto=地震)

11月1日、今日はポルトガルでは「聖人の日」で休日です。この日、ポルト
ガルの人達は午前中に花を携えて墓参りに行きます。

が、今日はそれとは別に、リスボンの教会の至るところで鐘がなり響きミサ
が行われました。今から250年前の今日、リスボンは大地震に襲われ、街は
殆ど破壊されたのです。当時のリスボンの人口25万人のうち、2万人がこの
地震で犠牲になりました。。強度のこの地震は、南フランスや北アフリカ
でさえも感じられたと伝えられます。

地震の被害がかくも大きくなったのには、次の理由が挙げられています。

「聖人の日」の前夜から習慣として、多くの家や教会ではロウソクの灯が
灯されていました。更にこの日は非常に寒い日だったので、各家庭では暖炉
の火を炊いて家で暖を取っていたそうです。

常日頃から、日本に比べてポルトガルのいい所は、何と言っても地震がない
ことだとわたしは思ってきたのですが、地震を正確に予測するなどいったい
誰ができるでしょうか。

1755年午前9時45分頃、地震は何の前触れも無く、突然リスボンの街に襲い
かかり石造りの建物からはレンガや石が人々の頭上に降り注ぎ「聖人の日」
のこの朝、ミサに来ていたたくさんの人が崩れ落ちた教会で生き埋めになり
ました。 

ポルトガルは大西洋を目前にした海洋の国です。海に面したリスボンは同時
に津波にも襲われ、地面が裂け、その地割れが水を、風を蒸気を呼び、被害
を更に大きくし、これは3日間続きリスボンを完全に壊滅状態にしました。

この時かろうじて残ったのが、今では観光地となっている中世のたたずまい
とその狭い路地がクネクネと密集しているリスボンの旧市街、アルファマ
地区です。

Alfama.jpg
アルファマ(wikiより)残念ながら恐れもあり30年ほど前に一度行った
きりアルファマには足を踏み入れていないが撮影してみたいと思っている。

リスボンの街はこの後、ドン・ジュゼ一世王の命令でポンバル公爵により再
建されるわけですが、Convento do Carmo(カルモ修道院)を代表とする
いくつかの建物は、この惨劇の象徴として手を加えられることなく当時のま
ま保存され今に至っています。

convento do carmo
カルモ修道院
       
この日から250年の月日が流れ、リスボンの大地震は歴史になってしまった
のですが、この時の犠牲者慰霊のために、今日はジェロニモ修道院で
「1755・メモリアル・コンサート」が催されモーツアルトの「レクエイム」
が演奏されました。

最後に、ポルトガル語では地震を「Terramoto」と言います。Terraは地球、
土地、 motoは運動、運行の意味があります。(2005.11月記)


なお、下記では2011年に訪れたカルモ修道院について書いてありますの
で興味のある方はどぞ。 

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1216.html

本日も拙ブログを読んでいただきありがとうございました。
それではまた明日。
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2013年2月9日 


オタクな記事が続きますが、お付き合いいただけたら幸いです。

1743年から1758年にかけてナゾニによって手がけられたプレラー
ダ邸はNoronha e Meneses(Menezes)一族の夏の別荘として建てられ
ました。

casa7.jpg

ポルトガル語では「fachada=ファシャーダ=建物の正面デザイン、正門」
と呼ばれるプレラーダ邸の入り口。上部にはNoronha e Meneses 家の
美しい紋章が見られる。
prelada
 
ポルトガルは1830年代に内戦を経験しています。ポルトガルから独立宣
言をしてドン・ペドロ王子はやがてペドロ1世としてブラジル皇帝に即位し、
ペドロ4世としてポルトガル王位もつきます。しかし二国を統治するのは困
難だとしてまだ幼かった王女をマリア2世として即位させ、実弟のドン・ミ
ゲルを摂政にすえます。

ところが、フランス革命の影響をうけ、自由平等思想が広まり、絶対王政に
既に終止符が打たれていたにも拘わらず、ドン・ミゲルは旧勢力におされ、
絶対主義的な政策を採り、自由主義者たちを弾圧し始めます。

ブラジル皇帝の座をおりてペドロ4世はヨーロッパで傭兵を得、ポルトガル
に上陸し、ドン・ミゲルの旧勢力との間での内戦が始まり、1834年に旧
勢力の降伏で幕を閉じることになります。

さて、そのペドロ4世が傭兵とともに上陸したポルトガルの地がポルトの隣
町MatosinhosのPraia da Memoria(Praia=海岸 Memoria=記念、思い
出)になるわけですが、1832年7月にMemoria海岸に上陸したペドロ4世の
自由主義遠征軍は、広大なプレラーダ庭園を目指し、そこに一時的に陣営を
築いたとの記録があります。

prelada

Praia da Memoriaについてはこちらにて↓
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-556.html

さて、今回、ファシャーダに見られる一対の人魚の写真に焦点を当ててみ
たところ、おろ?と思ったものを発見。

prelada
 
拡大してみました↓
prelada

人魚が頭上に乗せている巻物は、いったいなんだろうか・・・
この巻物は人魚の横からファシャーダのトップにある紋章の二人の子供の手
元まで続いています。(トップから二つめの写真参照)

そこでふと思い出したのがナゾニの弟子が造った「人魚の館」の人魚像です。
(人魚の館の記事はこちら)http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1307.html

確認してみると、おお!こちらも巻物を乗せている!

prelada

ひょっとしてこれは、ユダヤ教のトーラー(旧約聖書の最初の5つ、モーゼ
の5書とも言う)?下はその見本のひとつです。
prelada

トーラー(Wikiより)

建築家ナゾニも邸宅、庭園の建築の依頼主も護身術としてキリスト教徒とい
う隠れ蓑を身にまとい、カトリック教会に相反する神秘主義、グノーシス思
想を持っていたとわたしは推測していますが、これについては、人魚、トー
ラのシンボルと併せてナゾニ建築に残されている彫刻のシンボルの更なる調
査が必要です。

さて、訪れたこの日、邸宅内はおろか敷地内にもまだ入れなかったのだが、
では1時間半もどこをうろついていたかと言いますと・・・
次回に続くのであります。

ナゾニの謎は、なかなかに深うございます。
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2013年2月2日 

先月のことだが、日曜日のとある新聞記事を目にして「ヤッター!」と思わ
ず声をあげた。これは見に行かずばなるまいと、夫が一緒に行こうかという
のも待ちきれず、日本語教室の合間を縫ってひとっ走りしてきたのが、ニコ
ラウ・ナゾニの建築、Casa da Preladaである。

casadaprelada
「カーザ・ダ・プレラーダ、5月にオープン」と見出しにある

ナゾニと言うのは、後に詳しく述べるが、18世紀にポルトにやって来、ポ
ルトガル北部で教会を始め私邸などの多くのバロック、ロココ作品を残した
イタリア、トスカーナ地方出身の画家及び建築家だ。

この数年、日本語教室の仕事に追われ、意に反してつい遠ざかっていたナゾ
ニだが、ちょっとしたいわくもあり、「ナゾニの謎に(おバカな駄じゃれw)
挑戦だ!」と息巻いて、取り付かれたかのようにナゾニの建築物を探し回っ
たのは2007年、6年前のことだ。

本日は少し古い記事になるが、Casa da Prelada(プレラーダ邸)を6年前
の話と併せて紹介したい。

2007年4月記:Casa da Prelada

casadaprelada
Casa da Preladaのファシャーダこと正門(2007撮影)

人に尋ねても所在が分からず、カーニバル休みのこの日、同じ地名を持つ
「Preladaキャンプ場」の門を叩き、管理人を捕まえて聞いてみた。
「Casa da Preladaを知らないか。」と聞くと管理人いわく、
「30年ここにいるが、聞いた事がない。もしかして、閉鎖された老人ホー
ムのことだろうか。」
        
道順を教えてもらい、その閉鎖された老人ホームとやらを訪ねてみて驚い
た。探し求めていたナゾニの建築作品は廃墟と化していた。中には入れず。
自分の背丈くらいの石壁で囲まれており、建物の上部しか写真を撮ること
ができなかった。
        
別名「Palacio da Prelada」とも呼ばれるらしいが、Palacio(=パラー
シオ=宮殿)と言うには随分小規模なのだが邸宅はQuinta da Prelada
(プレラーダ庭園)の、長さ1キロメートルにも及ぶという広大な庭園の一
隅にある。

現在は庭園の一部がプレラーダ病院とキャンピング場になっており庭園の
真ん中を自動車道路が突っ走っているのが見える。

所有者からポルトの慈善院に寄付されたこのナゾニが造った邸宅と庭園は、
老人ホームとして使用されていたと聞く。4年前に入居していた最後のお
年寄りが亡くなった後、閉鎖。そのまま放置され、荒れ放題になっている。

casadaprelada
原形の正門周辺の全容。門と向かい合う場所に2本のオベリスクが建ってい
た。現在オベリスクは、海岸通りにある公園の入り口に設置されている。
(オベリスクは後日紹介の予定)

casadaprelada
廃墟と化したプレラーダ邸



2013年2月3日記:Casa da Prelada

昨年に一度、この近くを通りかかったついでにその後どうなっているかと
気になり、2007年の訪問以来始めて立ち寄ってみたところが、工事が
入っている様子をみて、これはいい兆しだと思い、実は楽しみにしていた
のであった。

casadaprelada

訪れた午後は曇っていて、我が撮影の腕では上手く写真がとれなずがっか
りしていたのだが、1時間半ほど周囲をうろついて帰ろうかという頃にパー
ッと陽が差し込んできて、大喜びでデジカメのシャッターをきったのが下
の写真。
casadaprelada
 
プレラード邸は現在もポルトのSanta Casa da Misericordia(慈善院
とでも訳すのか?)の所有で、この5月の一般公開を目指して内外ともに
工事が進められている。

casadaprelada

ん?これは邸宅の横からみたのだが、後ろになにやら?丁度ドラックが出て
きたので、工事用に取り付けられた大きな扉が開いた隙にのぞき見ることが
できたのはこれ↓

prelada

これを目にしてガーンの気分ではあったが、荒れるがままに放置され、素
晴らしいナゾニの作品が朽ち果てるよりはまだまだ益しであろうと思い直
すことにして、5月の公開を心待ちしているのだ。

プレラーダ邸、次回に少し続きます。
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