2013年3月28日 

桜の花咲く季節になると、わたしには台所に立ちながらふと口をついて出て
くる歌が二つある。ひばりさんの「柔」だ。

「勝つと思うな思えば負けよ 負けてもともと」
「奥に生きてる柔の夢が一生一度を待っている」
「口で言うより手の方が速い馬鹿を相手の時じゃない」
「往くも止まるも座るも臥すも 柔一筋夜が明ける」

この歌には人生の知恵と哲学が凝固されているとわたしには思われる。
だから、食事を作りながら小節(こぶし)をきかしてこの歌を唸ると、わた
しはとても元気になるのだ。演歌そのものは、わたしはあまり好きではない
のだが、これは別である。

「柔」と歌う部分を、心の中で「自分の夢」に置き換えてみる、苦境に立っ
たときも、起き上がり頭(こうべ)を上げて、また歩き出せる気がするのだ。
この歌にわたしは何度も勇気付けられて来たように思う。

もうひとつは、「南国土佐を後にして」

♪南国土佐を後にして 都へ来てから幾年ぞ

で始まるこの歌は、昭和34年にペギー葉山が歌って大ヒットした。
日中戦争で中国に渡った第236連隊には高知県出身者が多く、この部隊が
歌っていた「南国節」をヒントに創られた歌だと聞く。
わたしの古里は桜まつりで有名な弘前である。
それが何ゆえ「南国土佐」なのかと言えば、その桜まつりに関連する。

わたしが子供のころ、「桜まつり」等とは呼ばず、「観桜会」と言ったもの
である。夏のねぶたまつりと並んで、観桜会や夏のねぶた祭りには、雪国の
長い冬を忍んで越した津軽の人々の熱き血潮がほとばしるのだ。

弘前公園内は3千本もの桜の花咲き乱れ、出店が立ち並び、木下サーカスや
オートバイサーカスが毎年やって来ては、大きなテントを張った。
「親の因果が子にむくい~」の奇怪な呼び込みで、子供心に好奇心と恐怖心
を煽った異様な見世物が不気味であった。お化け屋敷もお目見えし演芸場が
組み立てられ、そこからは園内に津軽三味線のじょんがら節だのよされ節だ
のが流れた。

わたしが12、3のころ、その年の観桜会でNHK「素人のど自慢大会」の公
開番組があり、わたしは生まれて初めて往復葉書なるものを買い、こののど
自慢大会出場参加に応募したと記憶している。

どんな服装で出場したかはもう覚えていない。外出用の服など持っていなか
った子ども時代だったから、想像はつく。
きっとあの頃いつもそうであったように、両膝っこぞうの出た黒っぽいズボ
ンであろうw。今にしてみれば黒っぽいものをよく着せられたのは、黒は汚
れが目立たないからであろう^^;

そして歌ったのが「南国土佐を後にして」
客席で見ていた母の話では、「出だしはとてもよかった。これはヒョットす
ると鐘三つかな」と期待したそうである。
ところがである。一人で大声を出して歌う分にはいいのだが、生まれて始め
て人様の前で歌ったわけですからとっても上がってました。
後半がいけませんです。伴奏より先走ってしまったのでありまして^^;

「土佐の高知の播磨橋で」に入る手前で、鐘がなりますキンコンカンw
いえ、二つが鳴りましたです。恥ずかしさにうつむいて退場。
わたしの声域は低い域そのもので、普通の女性歌手の歌は高音が出なくて歌
えないのだが、ペギー葉山さんの音域は大丈夫。台所のベランダから外へは
丸聞こえなのだが、誰に遠慮がいるものか~。よく台所でこの歌を歌いなが
ら、さぁ、こい!今なら鐘三つもらうぞ!と、はた迷惑にも、つい力を込め
て大きな声を張り上げてしまうのだった。

弘前公園の桜は18世紀の初期、津軽藩士が25本のカスミ桜の木を京都から
取寄せて植えたのから始まるのだという。明治にはソメイヨシノが千本、更
に千本植栽され、現在ではソメイヨシノを中心に、枝垂桜、八重桜の役50種
類2500本の桜が春爛漫と公園に咲き誇る。

sakuramatsuri
<画像はWikiより>

その弘前のさくら祭りに今年はほぼ40年ぶりに足を運ぶことになった。
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2013年3月26日 

「Nihongo wo Hanasu Kai」、略してNHKとわたしたちが呼ぶYY日本
語塾の昼食会も今年で3回目を迎えました。

先週日曜日、午後1時から4時まで、毎回のごとく、食べながら飲みながら
ワイワイガヤガヤとポルトガル語、英語、そして多少の日本語が飛び交い、
なかなかに賑やかで楽しい昼食会になりました。

昨年18人だった参加者も今年は年齢層17歳から74歳までの25人に増
え、食事の準備は少し大変なのですが、前回生徒たちに人気のあったカレ
ーライスも、巻き寿司同様、食事会の定番メニューに入れました。

現役学生さんたちを除いて、デザートのケーキ類、ジュース類は社会人の
生徒さんたちに持参していただき、主催者のわたしと同僚Oちゃんはそれ
ぞれ料理役割を分担して前日から取り組みました。
会場は例年のごとく、趣があって広いスペースのOちゃん宅です。このス
ペースは、土曜日は日本語教室としても活用されています。毎土曜日9
時50分から一次限目の日本語クラスはここで、そしてこの後、市立図書
館へ車で移動して2次限目のクラスを教えます。午後はOちゃんが教室
として使います。

今回のNHKメニューをご紹介。

巻き寿司、押し寿司、焼きそば、カレーライス、ユーコ式白身魚のチーズ
グラタン、紅茶煮豚肉スライス、一口トンカツ、一口チキン揚げ物、ツナ
サンドイッチ、青とう鰹節かけ、その他チーズ、生ハム、サラミ等のおつ
まみ。↓

NHK2013
揚げ物、巻き寿司、カレーはわたしの分担、下はOちゃんご自慢の焼きソバ
NHK2013

NHK2013
ツナサン、紅茶煮豚肉スライスはわたし。

NHK2013

デザートもチーズケーキ、フルーツサラダ、いちご、チョコレート
ケーキ、その他。
分けても、箱を開けるや皆から歓声があがったのが下のさくらケーキ!

NHK2013
今年ケーキ職人さんのコースを卒業したC嬢の手作りです。あまりの美しさ
にデザートの時間に入ってもしばらくは誰もナイフを入れられず(笑)

NHK2013

今回から入った図書館からの若いメンバーたち。

NHK2013
(左)高校生のCちゃんと紫Menの二人は今年1月の漢検に初挑戦。10級
に二人ともパスしました。面倒みたよん^^

NHK2013
(左)手製のケーキのトッピング作業をしているA君。今年の12月には
JLPT(日本語能力試験)を受けると、独学でも頑張っています。
NHK2013
(右)新しい生徒のNさん。ドイツ人のジャーナリスト兼バイオ日本茶の輸入
業者でもあります。今回の食事会では最後に煎茶と茎茶、2種類の日本茶を
みなさんに入れてくれました。

NHK2013
年に1度の会合に肩抱き合って喜ぶハッピーな二人w
我が生徒の中でも一番長く日本語勉強に取り組んできた二人です。
二人とも日本語学習暦10年以上。まだ一度も日本へ行ったことがないL君
ですが、漢検2級、JLPT2級合格者です。

老若男女そろって食事会の終わりに記念写真。今回の日本人ゲストには亡き
我が友Kさんのご主人をご招待しました。
NHK2013

そしてわたしはこの後、Oちゃんと二人後片付けをして夕方帰宅、そのまま
ベッドへ直行し、月曜日朝の仕事の時間まで爆睡。疲れた~。けれどみな
さんに楽しんでいただき、うれしや。こうして年々生徒の輪が広がり、集ま
ってする情報交換で日本語学習に更に興味を持ってもらえたらと、講師冥利
に尽きるというもの。みなさん、また来年まで。

Oちゃん、お疲れさまでした!

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2013年3月20日 

随分前のことになるが、知人が好意で送ってくれた本に斉藤孝氏の「声に出
して読みたい日本語」というのがある。
その本の一ページ目を開くと、
     
    「知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、
     歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ガ浜」

と、眼に飛び込んできた。
おお、知ってる!ご存知、白波五人男の一人、弁天小僧菊之助」が歌舞伎
「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)、浜松屋の場」での語り
の部分である。興奮で高鳴る胸おさえながら、ザーッと急いでページを繰
ってみると、あるわあるわ、七五調の語呂良い歌舞伎がらみ浪曲がらみの
セリフが。

 「赤城の山も今宵を限り 生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て
  国を捨て、可愛いこぶんのてめえたちとも別れ別れになる門出だ~」
                   (国定忠治 赤城山)

 「旅ゆけば、駿河の国に茶の香り、名代なる東海道、名所古跡の多い
  ところ、中に知られる羽衣の、松と並んでその名を残す、海道一の
  親分は清水港の次郎長の~」
                   (森の石松 金毘羅代参)
                   

わたしはこれらのセリフの面白さと懐かしさに引き込まれ、「ねね、ちょっ
とおいでよ」と娘を傍らに呼び、これも覚えてる、これも!と大声出して一
気に読んだものである。

これら18番のセリフをわたしは学校の教科書で覚えたわけではない。更に
言えば、歌舞伎など生まれてこの方、まだ一度も観劇したことはない。子供
のころからこれらのセリフをわたしは母を通して耳にし、自然に覚えたのだ。

母は大正生まれであったが、当時の人にしてはモダンでわたしたち姉妹を
連れては、よく外国映画を見に行ったものである。しかしその母は任侠物も
好きだったようで、機会あるごとにわたしたちを前にしては朗朗と詠んだも
のだ。幼かったわたしはそれを耳にして覚えたに違いない。

尋常小学校4年を出ただけにしては書物が好きな人であった。晩年まで枕元
に文庫本を目にしない日はなかった。読んでいた本は、池波正太郎、柴田錬
三郎、平岩弓枝、藤沢周平と時代物がほとんどで、母は言ってみれば、好み
が和洋折衷の人だったのだ。

サウジアラビアのジェッダに赴任することになった妹夫婦の家族とと長年同居
してきた母を厳しい気候条件の砂漠の国に連れて行くことはできないと、当初
は妹たちが帰国するまでポルトガルのわたしたちと住む予定になっていた母だ
ったが、渡航前になり「異国で死ぬのはイヤだ。」と言い出して結局学生二人
の甥たちと所沢の家に残ることになった。

しかし、それが軽痴呆症の引き金になったようである。
それまで妹夫婦の4人家族とワイワイ一緒に生活してきたのが、家にいるかい
ないか分からないような甥たちとの同居である。突然ひとりぽっちのようにな
ってしまったのだ。80才になっていた母にこの孤独感はさぞかし堪(こた)
えたに違いない。

当時大学院に通っていた甥からある日ジェッダの妹に、「おばあちゃんがお
かしい。」と連絡が入った。公務員の規定で、またサウジアラビアという国
柄故、すぐには出国できなというので、急遽わたしが一時帰国することにな
った。

それまでわたしが子供や夫を伴って帰国する毎に長い滞在をさせてくれ、ワ
イワイガヤガヤの思い出深い所沢の妹宅は、初夏だというのに冷え冷えとし
ていた。妹夫婦がジェッダに赴任してたった4ヶ月後のことだった。

母は夏だというのに、まだ冬の服を着たままでちょこんとリビングのソファ
に座って見るともなしにテレビを見ていた。その時初めてわたしは母に何が
起こったか分かった。

もはやポルトガルに連れて来るわけにもいかず、妹夫婦も赴任したばかりで
帰国もならず、それでも急いでわたしの後に1週間の休暇をとり帰国してき
た妹夫婦と3人で話し合った結果、母には「下宿」と称して軽痴呆の人だけ
(自分の周りのことができるという条件がある施設)を受け入れる施設に
入ってもらうことになった。

急なことだと言うのに施設が見つかったこと事態が幸運であったと思う。
施設は幸い妹宅からそう遠く離れていないところにあり、入居する前に母も
連れて行き、入居者20名くらいの施設の中を案内してもらい、「ひとりぽ
っちだど寂しくなるし、わたしたちも心配だからね」と母を説得して入居し
てもらうしかなかった。

妹夫婦が先にジェッダに帰り、母の引越しはわたしと甥とですましたのだが、
いよいよわたしがポルトガルに帰る段になり、それまで毎日訪問してきた
施設に母を最後に訪問した日のこと。

「大丈夫。わたしもしょっちゅうおばあちゃんの顔を見に行きますから。」
と親切にも車で施設まで一緒に行ってくれたお隣の奥さんの車に乗り込んだ
のだが、玄関前まで出てきて、小さな姿でわたしに手を振る母を見て、お隣
の奥さんが運転する側でわたしは溢れ出る涙を何度も何度もぬぐった。あの
母の姿を思い浮かべるたびに、わたしは今でも涙がこみ上げてくる。

母は施設に2年もいただろうか、亡くなって後、数年は葬儀を思い起こすと
つらくなり、とても綴る気持ちの余裕がなかったのだが、しかし、今、この
美しき時は春、柔らかい日差しの中で花咲きほころぶこの頃、わたしはよう
やく、少し綴ってみたい気がするのだ。

2005年2月9日の我が日記にこうある。

今日は我が母の命日にあたります。
2年前の今頃は、辛い思いで日本に向かいました。
そして、このとき生まれて初めて、スチュワーデスさんにこっそり告げら
れて、夜間飛行の機内の窓から、眼下にオーロラを見たのでした。
   
昔、ポルトガルへ来る、と決めたときに、アメリカ人の夫を持つアリゾナ・
ツーソンで知り合った年配の日本女性に言われた一言が、今更のよう
に思い起こされた時でもありました。
 「Yuko、外国の人に嫁ぐということは、親の死に目に会えない、という
ことです。」
父親の場合がそうでした。死に目どころか、諸事情で葬式にも出ることもで
きませんでした。
   
我が母のときは、フラットを買って引越ししたすぐ後だったので経済的に厳
しいときであり、補習校の仕事もあっておいそれと帰国ができず、もう少し
後もう少しと帰国を引き伸ばしていたのですが、不思議なことです、その頃
頻繁に母の夢をみました。

すると、間もなしに妹からの連絡で、もう待てない、すぐ帰って来いとの
ことだったのです。

到着して二日目にあたかもわたしを待っていたかのように、母は静かに息を
ひきとりました。わたしは母の目からこぼれ落ちる一筋の涙をふき取り、
それが最期でした。

まだたった二年前のことで、今でも母のわたしを呼ぶ声が耳に残っていて、
ふと今日も所沢の妹のところでいつもと同じように、妹と一緒に台所に立っ
たり、テレビの時代劇を見たりしているような気がしてしまいます。

近頃やっと、母の大きな写真を部屋に飾り、心の中で話しかけられるように
なりました。またまだ考えて行くことはあるけれど、もう少し、今のままで
生活させてください。気持ちの整理はもう少し、先に^^

そして、お若いみなさん、親はいつまでも元気でいるわけではないことを
肝にめいじてくださいませ。



母の葬儀は、仏教式ではなく、読経のない花と音楽の葬だった。費用の高い
戒名はいらぬと同居していた妹の話では、自分の葬儀はそのようにできたら
嬉しいと洩らしていたようだ。

わたし達は市の斎場の一室を、そして、棺の周りをたくさんの花で飾り、
母の好きだったタンゴの音楽を流し続けた。
蒼空、黒い瞳、ブルータンゴ、奥様お手をどうぞ、真珠採りのタンゴ・・・
それを聴いていると、パートナーなしでも、まるでそれがいるかのように
わたしたちの前で一人踊っていた母の姿が思い起こされるのだった。




母の故郷は弘前で、妹夫婦の家族と都会には20数年住んだのだが、年に
1、2度は帰郷し、友人や親戚たちとの交友をあたためていたようだが、
みな歳をとっており、葬式には来れるものでもなかった。

それでも近所や行きつけの店では、ちょっとおしゃれで元気のいいおばあ
ちゃんとして知られていたようで、そういう方たちが集まって母をしのん
でくれた。

当時はまだ花葬式など珍しかったようで、「このようなお葬式、初めてさ
せていただきました。良かったです。」と、葬儀を取り仕切ってくれた人
の言葉だった。

今年も、所沢の妹宅のすぐ側にある母が愛した桜並木の花が咲き始めたと
のこと。自然はこうして一年をぐるりと経て、再び芽吹く。
人間の生は、と思い巡らすとき、わたしは遥かな宇宙の神秘に心を馳せ
ずにはいられない。肉体が滅びた時にわたしたちの生命の種は終わるの
だろうか。それとも巡り巡って再びどこかで植物のように芽吹くのだろ
うか。
Maktub。全ては書かれてあるというアラブの言葉にあるように、宇宙の全て
は、大いなるものの手による法則で始めから定められているのだろうか。

母がみまかって今年で10年になる。
待てよかし。母よ、やがて我もまた逝かん。
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2013年3月18日 


クラシック音楽を聴くようになったのは20代も後半だったと思う。テレビ
を持たない主義だったのでアパートにいるときは専らラジオとステレオ
に耳を傾けて音楽に傾倒していた。

当時のわたしが擦り切れるほど聞いたクラシックレコードはショパンとモ
ーツアルトだけだった。コンサートに出かけたことはなく、モーツアルト
にいたっては、喫茶店で流されていた音楽に惹かれ、その美しい曲が
「Elvira Madigan」だと同席していたロシア人のお茶飲み友達に知らされ
たのがきっかけだった。そのロシア人男性は知人の恋人であったので
誤解なきようw

後に「Elvira Madigan」は映画「短くも美しく燃え(原題:Elvira
Madigan)」のヒロインの名前で劇中テーマ音楽として使われたのが、モー
ツアルトの「ピアノ協奏曲第21番」だと知り、その曲が入っているLPを手
に入れて聴いていたのである。

こんな風なのでわたしはクラシック音楽をあれこれ語ることはできないのだ
が、もうひとつには目に見えない音楽への感動を言葉に表そうとすればする
ほど、段々とお仕着せなものになり、どうもいけないと感じるところがある。
分相応、批評家じみたことはできないのである。音楽や絵画、映画はそれぞ
れ好き嫌いがあり、受け止め方も多様、娘とこれがいい、あれがよかったと
紹介しあうくらいにとどめている。

時代やジャンルを越えて我が心の琴線にふれる音楽が全てこれまでは自分が
知らなかった名曲であると後に判明するので、才能ある音楽家がもたらす音
は人類に共通の言葉だと例えられるように思う。

今日こんな話に触れるのは、実はこのところずっとセルゲイ・ラフマニノフ
の音楽に夢中になっているからだ。今まで気づかなかったその人の音楽の美
しさに心奪われて、こうして日がな一日聴いていると、我が拙文ブログに手
が向かないのであった。つまり、魂を奪われたかの如くぼけ~っとしている
のである。

ラフマニノフの音楽は、モイケル娘に紹介された「シンフォニーNo.2アダー
ジョ」を始めだが、自分で他のを探ってみると、全曲は知らなくともどれも
いつかどこかで耳にしたものが多いことに気づいた。きっとたくさんのドラ
マや映画に使用されているのだろう。

下記、興味のある方はどうぞ。


そんなわけで今朝もパソコンをつけながら仕事しがてら聞いていると、珍し
く所沢の妹が、スカイプで声をかけてきて、突然言うとには、

「昨日、○平(息子の名前)の名を騙って振り込め詐欺の電話がかか
って来た」!!!

わたし:ええーー!
  妹:癌かも知れないて言ってね。
    声が違うじゃないって言ったら耳の後ろにしこりが出来て喉まで
    来て、だから声が変なんだって。(この辺り、赤頭巾ちゃんの狼
    だw)電話は故障してて会社のを使ってるから番号が違うんだと。
わたし:ちょっと~~
  妹:んで、わたし、どこの病院に行ったらいいか教えた後、アンタ
    生年月日言ってごらん、って言ったの。そしたら、なんでお母
    さんそんなこと聞くの、って 
わたし:うんうん、それで?
  妹:いいから生年月日言ってごらん、と言ったら、「死ね!」で
    ガチャン。
わたし:ひゃー!@@


いや~、新聞とかテレビのニュースで耳にする話だけれど、実際に身内から
そんな体験談を聞かされると、ぞっとするものだ。妹曰く、
「開口一番○平だけど、って電話くるんだもの、おかしいとは思っても癌と
いうのに心は揺れる。これは年寄りは騙されるわ。
ちと、してやったり、の感だけどね、ハハハ」

それで、電話番号の記録が残ってあるので、警察が証拠写真を撮りに行った
のだそうな。

我が妹は粗忽者のわたしと違い、冷静な判断力を常々失わないタイプだ、病
院を教えて、即、生年月日を相手に尋ねるなどなかなか機転がきいている。
振込みしてくれというところまで行かず、被害に合うことなく笑って済ませ
られているからいいものの、こういう手合いに来られると、年に1、2度し
か会わないような息子や孫であったら、高齢者が騙されるのは分かる。

新聞等で被害が取り上げられてもなかなか減らない振込み詐欺だが、こう
いうことはある日突然やってくる「まさか」である。最初にまず親を心配さ
せるという手は、上手いものだ。普段から家族同士、こんな時の「合言葉」
を決めて置く必要があろうと本気で思った。

「それで、子供たちはどうしてるの?」とわたしなどはやり返そうかと思っ
ている。我が子たちは子供どころか、結婚もしていないのだからそれに乗っ
てきたら、「このーーー!」なのである。

聴いていたラフマニノフの音楽もいつのまにやらそっちのけで、妹の話に
驚き呆れていた今朝だが、まったく油断も隙もない世の中になったものだ。

goro

が、本日もポルトの我が家は平穏なり。
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2013年3月16日 

子供たちとスカイプ文字チャットが日課のようになってから、息子とは4年、
娘とは足掛け9年になる。モイケル娘の旅立ちは2004年6月末日、息子の
は2009年早春であった。

日本上陸当初は、習慣の違いやヒアリングの聞き違い等慣れない生活での
ズッコケ話を二人からよく聞かされ、文字チャットではあるが、キャッキャ、
ガハハと共に笑いあっては子供たちの新しい門出を心密かに祝福していた
ものだ。

最近その手のズッコケ話を耳にしなくなった。二人とも東京での生活に馴染
み、果たして根を下ろすことになるかどうか息子の方は未定だが、娘は少し
ずつ確実に根を張り始めている。

親離れってこれかもな、とつい先ごろ二人のことを考えながらふと思った。
息子は経済的にはなんとかやりくりしている。過去3年間の会社勤めを辞め
てこの春から2年間を大学院で学ぶことになった娘は勤め時代の蓄えだけで
は納まらず、もう少し親の援助を受けることになるのだが、そして、本当の
親離れは生活の自立と共になされるのだが、それでも近頃の彼女からは、
「親離れ」の雰囲気が感じられる。

で、これもふと思ったことなのだが、世間でいうところの「子離れ」なるも
のを自分はしてるだろうか。別にその言葉にこだわるつもりはないのだが、
何だか少し気になりだしてここ数日、心のどこかにそれがひっかかっていた
のだ。

辞書には「子離れ」とは「親が子供への干渉をやめて、精神的にひとり立ち
させること」とある。
ふむ・・・言わんとすることは分かる。しかし、干渉と心配は違うであろう
し、これは危ないと見えていて、親が干渉しないのもどうかと思うので説明
は納得しがたい。

「親が子に対する過剰な関心を抑えて、独立の生活態度を互いに持つように
すること」と別の辞書にはあった。これならば少しは分かるが、どこまでが
「過剰な関心」になるのか、また「独立の生活態度」とはなんぞや?となっ
てくる。あれやこれやと考えた結果、もともと好かない「親離れ、子離れ」
の言葉だ。もういいや、と相成った(笑)

それぞれの親子関係における互いの信頼感があれば、親離れしないだの、
子離れしない等の言葉にこだわることはない、と思ったのである。

そんなことに思いをめぐらしていたときに、こんな写真と文章に出会った。
「母から娘への手紙」。今フェイスブックでシェアが増大しているのだそう
だ。日本語で書かれてあるのだが、シェア元には訳だとの言及がなされてお
らず、なんとなく日本人の感覚の文章ではないような気がして検索してみた。

オリジナルは写真の撮影者であるGuillermo Pena氏でスペイン語で書かれ
ているとのこと。英訳をしたのがSergio Cadena氏。その英訳をもとにMio
Nakajimaさんという方が訳したのがフェイスブック人気のシェア。

まず、オリジナルを英訳したのから写真とともにご紹介する。

letterfrommather

Letter from a Mother to her Daughter:

My dear girl, the day you see I’m getting old, I ask you to please be patient, but most of all, try to understand what I’m going through.
If when we talk, I repeat the same thing a thousand times, don’t interrupt to say: “You said the same thing a minute ago”… Just listen, please. Try to remember the times when you were little and I would read the same story… night after night until you would fall asleep.
When I don’t want to take a bath, don’t be mad and don’t embarrass me. Remember when I had to run after you making excuses and trying to get you to take a shower when you were just a girl?
When you see how ignorant I am when it comes to new technology, give me the time to learn and don’t look at me that way… remember, honey, I patiently taught you how to do many things like eating appropriately, getting dressed, combing your hair and dealing with life’s issues every day…
The day you see I’m getting old, I ask you to please be patient, but most of all, try to understand what I’m going through.
If I occasionally lose track of what we’re talking about, give me the time to remember, and if I can’t, don’t be nervous, impatient or arrogant. Just know in your heart that the most important thing for me is to be with you.
And when my old, tired legs don’t let me move as quickly as before, give me your hand the same way that I offered mine to you when you first walked.
When those days come, don’t feel sad… just be with me, and understand me while I get to the end of my life with love. I’ll cherish and thank you for the gift of time and joy we shared.
With a big smile and the huge love I’ve always had for you, I just want to say, I love you… my darling daughter. (Guillermo Pena)


こちらは日本語訳

「母から娘への手紙」

私のかわいい娘へ。
私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。
何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。

話をしているときに私が同じ話を何回も繰り返したら、「さっき同じ
こと言ったじゃない」なんて言って遮らずに、ただ耳を傾けていて。
幼いあなたが眠りに落ちるまで、私は幾夜も幾夜も同じ物語を
読み聞かせたわ。

私がお風呂に入りたくないと駄々をこねても怒って私を責めないで。
あなたが小さな女の子だったころ、言い訳をして逃げ回るあなたを
追いかけてお風呂に入らせなければならなかったことを思い出して。

新しいものに対して私が無知であることに気付いたときは、
そんな目で見ないで、ゆっくり時間をかけて覚えさせて。
覚えてるかしら、私があなたにたくさんのことを教えてあげたこと。
正しい食べ方、お洋服の着方、髪のとかし方、そして毎日ぶつかる
人生の壁との向き合い方まで、ね。

私が老いていることに気付いたときには、落ち着いて受けとめてね。
何より、私が直面している状態を理解しようとしてほしい。

私が何を話していたか分からなくなってしまったときは、思い出す
時間をちょうだい。そして、もし思い出せなくても、心配したり、
いらいらしたり馬鹿にしたりしないで。私にとって何よりも大切なことは
あなたと一緒にいることだということを分かってね。

私が年老いて、以前のように歩けなくなったときはやさしく手をとって。
あなたが初めて歩いたときに、私がそうしたように。

そんな日がきても、決してさみしいだなんて思わないでね。
私が最期の日を愛情に包まれながら迎えられるように、
ただそばにいて。

ともに過ごした時間、ともに過ごすことができた幸せを、あなたに
感謝しています。

満面の笑みと、いつ何時も絶やすことのないあなたへの愛と
ともに伝えさせて。愛する、私の大切な娘へ



読後、わたしが感じたことだが、この手紙は今娘を持つ母からよりも既に母
をおくってしまった、今母をしている女性、もしくは、今記憶が薄れつつあ
る老いた母をかかえる女性への手紙ではないのか。

わたしはこれを娘に送りたいという思いよりも亡き我が母をしのんでほろり
としたのであった。

その母が亡くなって今年で十年になった。
明日は母のことを綴ってみたいと思う。
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2013年3月12日 

以前取材で出かけてきた、ちょっと素敵なカトラリーショップを今日は紹介
します。

cutipol
ポルトガル語ではクティポルと発音しますが、ブラジル語ではクチポール。

cutipol
ブティック内

ポルトのボアヴィスタ大通りから横に入る奥まったフラットが立ち並ぶ一角
にあります。こんなところに店舗を構えて果たして客は来るのかと訝しがら
れそうですが、それが知る人ぞ知るで、単品で買うこともできますが嫁入り
道具として一式揃える人が多い。

ここで少しポルトガルの嫁入り道具としてのキチン類について取り上げてみ
ましょう。

前菜皿、パン皿、スープ皿、魚用皿、肉用皿、デザート皿、コーヒーカップ
とソーサー、ここまでは通常12人前を揃えますから、フォーク、ナイフ、
スプーンもその数に併せて必要になります。

その他、サラダ用大皿、キャセロール、ケーキ用の大皿などなど、嫁入り道
具の食器類を揃えるのは大変な準備です。これらは普段のテーブル用ではな
く、いざと言うときのお客様用ですから、収納して置くのに十分な場所が必
要です。我が家はめったに使いませんから、お客用の一式は収納庫のず~っ
と奥に押し込めています^^;

我が家のカトラリーセット↓
cutlery-1.jpg
34年前に結婚祝いにもらったものですから、年季が入っています(笑)
2段になっていてかなり重く出し入れに苦労します。これらの出番は1年で
イースターとクリスマス、そして新年の食卓です。

開けて見ました↓見てのとおり12本ずつです。因みに我が家のはクティポ
ルではありません。 
cutlery-2.jpg

下はクティポルのカトラリー一式。デザインにはシリーズがあり、下の写真
はアテナ(Atena)セットです。
cutipol
130本のセットで価格のほどはと7万から40万円まで。

cutipol
こんなのもセンスがある。

クティポルはポルトガルの一流ホテルやレストランでは必ず見られるほどに
その名が良く知られていますが、国内だけでなく近年は国際的にも評価を得
て人気が高まっているようです。今回は初めて、下記に恥ずかしながら某雑
誌の拙文と写真を載せてみます。

magazine3.jpg
↑画像を左クリックしますと拡大しますので記事を読むことができます。

cutipol

上下、日本で人気があると言われるGoa(ゴア)とNoor(ヌオール)。
似た感じですが、Noorはハンドルにカーブかかかっています。

cutipol

こちらはわたしが好きな丸みのあるmoonシリーズ。
cutipol

カトラリーには下のようにcutipolのネームが入っていますので一流どころの
レストランやホテルへお越しの際は、是非一度確認してみてください。

cutipol

わたしの気がついたところでは、かつて夕食会で招かれたフレイシュ宮殿内
と、もう一軒、ブログで紹介済みのレストラン「book」

クティポルの取材はかなりスムースに行ったのですが、これには訳あり。

クティポル社のご子息の一人が夫の友人でかつて職場を同じくしたドクター
です。子供たちが小さかった頃はよくあちらの別荘に招かれたり、共に国際会
議で同席したりと、家族ぐるみのお付き合いをし、ドクターとは呼ばずファー
ストネームで呼ぶ間柄です。

まさか、ポルトに支店があるとは長い間気もつかず、こうして取材をさせて
もらうことになろうとは思いもしませんでした。ということで、記事にも知
らず知らずのうちに熱が入っておりました(笑)

さて、最後にCutipolという不可思議な名称は、とても気になり経営者に直
直問いましたところ、Culterarias Portuguesas Ltdからとったのだそ
うで、これで納得。

cutipol

本日は少し自慢たらしくなったかな?その辺の失礼はご勘弁ください。

それでは、みなさま、また。
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2013年3月6日 

2月も最後の週末の午後、夫と散歩してきた海岸どおりの「陽気な散歩道」
こと、Jardim doPasseio Alegreを紹介します。

大西洋岸に沿って歩いて行くとやがて出るのが公園です。
Fox porto

写真に向かって右側が公園、左側がRiaと呼ばれるドウロ河口。
Foz

この日の午後はのんびりと釣り客も多くこんな光景があちこちで見られま
した。

Foz

夫に言わせると釣りをしてるというより、みなおしゃべりに来ているのだそ
うな。

Foz

2柱のオベリスクがある公園の入り口。このオベリスクは少し前に紹介した
18世紀にニコラ・ナゾニが建築したCasa da Plerada(プレラーダ邸)
の表玄関に添えられていたのをポルト市が買い取り、この公園に設置しま
した。
園内には他にもプレラーダ邸から移動されたナゾニの作品の大きな噴
水があります。
Foz
このスタイルの噴水はポルトガル語で「Chafariz(シャファリス)」と呼
ばれます。

Foz

Foz
公園の小さなCoreto(野外音楽場)。 かつて祭の時はここでバン
ドが賑やかに演奏され人々は踊ったりしたのであろう。今では6月のサン・
ジュアン祭に使用されます。

Foz

さて、下が園内にあるSanitario Publico、公衆お手洗い。1910年に
造られました。
Foz

こちらは女性用。中は絵タイルで装飾され、古いけれれども清潔感に溢れ
ています。
Foz

下はの紳士用の物が市の文化財なのであります。ご覧ください。
豪華!立派!堂々!の言葉がピッタリと思いませんか?(笑)

Foz

白いのが用を足すところでござる。
Spacesisさん、この撮影に紳士用トイレに入ったのかって?い、いや~、
あぁた、それはいくらわたしでもちょっとしないってば!実はこの公衆トイ
レについては、2006年に一度我がホームページ「ポルトガル・ロマン」
で記事に取り上げているのです。紳士用の画像はWikipediaから拝借した
のであって、その時も、いかな興味津々のわたしでも撮影のためとは言え、
中には入れませんでして。

で、今回は夫を散歩に引っ張り出したお目当てはこの撮影だったのであり
ます。
「ジョーダンでしょ、中で写真を撮れなんて!」と彼。
「ほんじゃ、わたしが入ってくる!」と半ば脅し、悪い妻は行けー!とデ
ジカメを持たせてビビる夫の背中を押したのでありました。

その間も何人か用足しに入る男性がいたもので、夫は出たり入ったり。
ウロウロしており、「君はあっちに行っててよ」(笑)

そうしてヤットコサ得た貴重な一枚であります。多少焦点がぶれているの
が気にくわないが、ま、今のところは雑誌記事に使うわけではないから、
いっか!と妥協したのであります。

現在女性用は一部、修繕中。

園内にはミニゴルフ場もあります。園内を散歩しながらナゾニの作品を楽
しみ、帰路は川沿いを歩いて往復することもでき、これからの季節は格好
の散歩道になること請け合いです。

本日も拙ブログを読んでいただきありがとうございました。
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2013年3月3日 

モイケル娘の大学院合格に気をとられ、うっかり今日がひな祭りだと言うの
を忘れており、慌ててミニチュアのお内裏様とお雛様をひっぱりだして飾り
ました。
hinamatsuri2.jpg

忘れたと言えば、先々週の金曜日、ポルト大学某建築学部からの問い合わせ
で日本語コースの話が来たのですが、すぐに返事をすればいいものを、書き
そびれて週明けに返信したところが、しまった!どこかに先取りされたよう
でした^^;

モイケル娘のサポートが有るゆえ、できれば引き受けて頑張ってみようかと
思ったのですが、ふむ、残念なことではあった。しかし、ま、いっか。この
コース、週2回の夕方からとのこと、下手に欲張って顎を出してしまっては
自分の信用にもかかわることです。人は欲を出してはいかんと我が身に言い
聞かせw

さて、近所に住む夫の兄を含んでの我が家での昼食を済まし、後片付けをし
て午後出かけてきたのが、第18回目のポルト・カメリア・フェスティバル
です。もう何年も前から一度覗いてみたいと思いながら、行けないまま今日
にいたったフェスティバルです。

本日は所用で一緒に行けない夫を置いて一人で出かけて来ました。会場はわ
たしが毎土曜日日本語を教えているアルメイダ・ガレッテ図書館のギャラリ
ーです。入ったころはこんな感じでしたが↓
camelia

4時ともなると会場は来場客でごった返し。
camelia

camelia

カメリアは日本から渡ってきたということからポルトガル語で「Japoneira」とも
呼ばれます。
camelia


camelia

camelia
会場ではカメリアの苗木も売られていました。

さて、ぐるりと一回りして来ましたら、あれれぇ、もしかして?と思って
とある売り場の前へ行くと、「ハーイ!」と声をかけてきたのが、自分が
描いたカメリアの絵を額に入れて売っている息子の幼馴染みことアーティ
ストのジェスパー君でした。

camelia

3年ほど前にイタリア人の友達と日本旅行をし、2週間ほど息子とモイケル
娘とネコ3匹の狭いアパートに滞在ことがあります。北欧系の彼は金髪の上
に背丈があるので、電車に乗っても街を歩いても日本人に恐れられて少々
ガッガリ気味だったとのこと。

我がボランティア活動の一環、日本文化展示会ディスプレイや、日本をじか
に知っているのでポルトの2010年のJapan Weekでも会場で手伝って
もらうなどしました。

しばし、立ち話でお互いの近況を語り合い、わたしも絵を一枚いただいて
来ました。ポルトガルの厳しい経済状況下で、アーティストたちはもろに
影響を被っています。英語講師をしてなんとか絵を描き続けているとのこ
と、東京で大学や語学学校で英語を教えながら、ニュージャンルの音楽作
曲活動をしている息子と姿が重なります。

近いうちに一緒に食事をしようと言って会場を後にしたのでした。

本日も拙ブログを読んでいただきありがとうございました。
それでは、みなさま、また明日!
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2013年3月2日 

海のものとも山のものともつかぬことだったので、書きたい気持ちを抑えて
来たこの数ヶ月間、今日は書きますぞ!(笑)

もぐりこめた!選んでもらった!入った!つまりです、モイケル娘、東京は
R大学大学院に合格しました!

そりゃspacesisさん、幼稚園から数えると12年間もBritish Schoolに
通ったのだもの、外国語科なら合格してあたりまえでしょ、との声が陰か
ら聞こえて来そうですが、おっと待った。外国語科ではないんですってば。

目指したのは日本人のわたしが、ウッ・・・とちょっと退きそうになる日本
文学(わたしは外国文学ファンで、アメリカ文学を覗いては著名な文学の
大半を高校時代に読破した)。その中でも近世文学です。
「これはモイちゃん、た、たいへんだよ」と内心思いはしたものの、本人が
テーマを設定し読書に読書を重ねて力んでいたもので、その言葉を出せ
なかったとは、今こそ言える正直。

高校1年まで週に一度のポルト補習校に通いはしたものの、日本文学
と言えるものは読んだことがない彼女です。せいぜい国語教科書に課
題として取り上げられる二つ三つの古典文学、現代文学の抜粋が関の
山でした。

今回はしかし、筆記試験はなんとか突破したものの、面接後はさすが
のモイケル娘もドーンと不安に陥っていたようです。なにしろ履歴を目
にした面接官から「古典読めるか」「研究したいテーマからすると選科
が違うような気がする」「モイケルさん、進路がちょこちょこ変わってます
な」と申されたりしたのだそうな(笑)

進路がちょこちょこ変わるのは若さの特権であるとわたしは思ってい
るのですが、腰を据えて研究する場ではこの子は大丈夫かと不安がら
れるのでしょうか。言われてみればそれらしきところがなきにしもあらず
です。

大学時代は、2年間生涯学習なるコースをとっていたせっかくの東京の
W大学をあっさりと中退して3、4年生は九州の大学へ編入しました。
しかも、英語科へと学部変更でした。この時もそれまでの単位を認めて
もらおうと、彼女は大胆な行動に出ています。(そのエピソードは本日の
記事最後①にて案内) 

そして、就職活動とやらで初めての日本社会の洗礼を受けました。
(エピソードは後記にて案内)
「石の上にも3年と言う。3年くらいは続けないと働くということがどんな
ことなのか分からないぞ」と親に言われ、3年間東京の某企業で勤めて
いたのが、かっきり3年目の昨春、「働きながら院の受験勉強はとても
できそうもない。2年間の大学院授業料は貯めたので仕事を辞める」と
来た時、わたしはさほど驚きませんでした。

そうして6年ぶりにポルト帰国を果たした昨春、その後日本へ帰ってから
はひたすら図書館を利用して院受験に必要な読書を重ねる独学の数ヶ
月でした。

面接の練習は、大して役に立たないわたしを面接官に例えてスカイプで
こんな突込みがあるかもしれない、などを想定して受験2週間ほど前か
ら、練習しましたが少しは役にたったのでしょうか。

さて、合格発表当日のこと、今回の受験は畑がまったく違うのですから、
かなり厳しかったはずです、こんな奇抜なアイディアをもってする奇抜な
研究テーマをおおらかに受け入れてもらえるかしらと、不安な気持ちで
朝起きてパソコンをつけました。

モイケル娘、スカイプにあがっていません。日本は既に夕方7時過ぎ、
もう大学まで合否を見に行って結果が出ているはずです。いないのは
変だな。あぁ、可哀相に、と慰めの言葉を頭の中で探り始めました。

前日、目一杯やったのだから合格しなくても後悔することはない。1年
間の独学は今すぐ役立たなくてもきっと人生のどこかで引用できるは
ずだよ。ほれ、亡くなった写真家の星野道夫さんが言ってるさ。
「人生はカラクリに満ちてる」って。この1年もそのカラクリのひとつに
なるのだ、と、あたかも落ちるのを想定したかのようなことを言っていた
わたしでした^^;)

さて、息子がスカイプにいました。その彼に「モイケル、いないの?」と
問うと、「通ったよ。」と言う。
「と、通った?あんた、こういうジョーダンはきついんだぞ!」

息子はこの手のジョーダンを度々やるヤツです。
日本での某大学の英語講師応募の面接があったときは、
母「どうだったの?」
息子「ダメだった」
母「そっか。別のチャンスがあるよ、また」と言いかけようとすると、
「えへへへへ。通ったよ」

こんな調子なもので、つい半信半疑になったのですが、「ほんとだよ」
と聞いたときは、思わず、やったー!えらい!と我が膝を叩いて喜んだ
のでした。

娘曰く、発表には友達と一緒に見に行った。自分の番号を見たときは
5回も見直して、ケータイで写真を撮った。可哀相に、そのくらい諦めの
気持ちが強かったのだろう。
曰く、入ってしまったという感じだ。でもせっかくチャンスをくれたのだか
ら挑戦してみようと思う。

モイケルよ、やってみるといい。もしかしたら、その研究がきっかけでま
た別の展開がないとも限らない。ひとつ道をひたすら走るのも生き方だ
が、本当に自分がしたいことを探りながら寄り道して歩むのも生き方で
す。全て自力でその生き方をするのは困難だが、学業を続けたかった
ができなかったおっかさんは、少しではあるけれど、応援したい。自分の
幸運に感謝して進んでください。

さぁ、これからはもしかしたら、今まででこんなに勉強したことはない、と
いうような時間になるかもしれない。けれど、それを楽しむ心の余裕も忘
れないで欲しいとおっかさんは思っています。

oyako
二人ともほんとに成長しました。

2年ぶりにわたしが日本を訪れるこの春は、晴れて院生だね。
合格、おめでとう!

下記、興味がありましたらお立ち寄りください。

帰国子女受験編:ガッツだぜ!」

②「ずっこけ親子の就職活動
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2013年2月28日 

本日は2月22日に取り上げたサン・ロック公園の続きです。

サン・ロック公園は入り口が二カ所あるのだが、Rua da Lameira側は18
世紀に建てられた家、Casa da Lameiraから入ることになる。その入り口
が大きな公園に続くとは一見したところ思えない。

casa1.jpg
外装を手直ししたら、きっと素晴らしい邸宅に蘇るだろう。建築家を目下
調査中。現在はポルト市が管理する。階下の一部が市の都市開発計画局の
支局事務所になっている。

lameiracasa2.jpg
屋敷への横玄関入り口の美しい鉄柵

lameiracasa4.jpg
敷き詰められたアプローチの石畳も目を凝らして見ると、模様が。

lameiracasa5.jpg
少し変わったazulejoタイル模様。シンボリックだ。

lameiracasa6.jpg
軒下にも贅沢にazulejoタイルを使っている。 拡大してみました↓

lameiracasa7.jpg

メーソンっぽいドアノッカー
lameiracasa8.jpg

かつてはキンタ・ダ・ラメイラと呼ばれたサン・ロック公園だが次回はその
庭を紹介します。
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