2013年6月28日 
gato-tanpopo1.jpg
我が思い出の「タンポポちゃん」ノラでした。

今朝は出張日本語がキャンセルになり、それでは食料買出しをと準備してい
た。出がけにお掃除のベルミーラおばさんとちょいと世間話をしたのだが、
おばさんがプリプリして言うことにゃ、

先日、家のポストに市からの通知パンフレットが入っていた。読むと、
「ノラ猫ノラ犬にエサを与えたら最高3000ユーロ(30万円以上)の罰
金が課される」と書いてあったのだそうだ。

12時少し前から自宅での日本語レッスンがあり、買い物ならばもう出かけ
なければならない時間だったのだが、なぬ?と思い、つい話をもう一度聞く
ことになった。

彼女が住むのはポルト近辺にある「Espinho」と言う町だ。ポルト市を中心
にその近辺の11都市を併せて「Grande Porto(グランデ・ポルト)」と
呼ぶのだが、Espinhoはそのひとつに数えられ人口3万ほどの町である。
海辺に面しているのとカジノがあるのとで、夏場客で大いに賑わう。

ベルミーラおばさんは娘さん一家と同居しているのだが、動物好きでつい先
日も庭に誰かが4匹の子猫を捨てていったとかで、目下引き取り先を探して
いるところだ。

そんな矢先にくだんの罰金の通知が市民に知らされたことで、迂闊に家の外
でネコに餌をやり近所の誰かに通報でもされたらエライことだと不満たらた
らだ。

ふむふむと聞きながら、買い物に出たわたしは、危ないことに車を運転しな
がら何かおかしいではないかとの念が頭から離れない。

昼からの日本語レッスン終了後、確認のためにネットで情報を確認してみる。
すると早速、今日のこんなニュースに突き当たった。

―Espinhoで母親と同居する現在無職のテレザさんは、収入が乏しい中で
家の側にやってきた5匹の野良犬と2匹のノラ猫にエサをあげた。その上、
テレザさんたちは、なんとか費用をひねりだし避妊手術と治療も施したそう
だ。これをよからぬことと見た近所の人が市当局に連絡したようで、二人に
は970ユーロ(ほぼ10万円)の罰金が課せられる予定。

市議員の一人がジャーナリストに説明するに、「わたしたちは動物に餌を
あげることに反対しているわけではない。むしろ逆に思っている。しかし、
規則に従わなければならない」―

ちょっと待ってください。反対するのでなければどういういきさつがあって、
こんな規則が市で決められたのか。この規則はおかしいではないか。罰則さ
れるべきは餌をあげる人ではなくて捨てる人であるべきだ。

ネコや犬が嫌いな人がいることは承知している。そういう人にとっては、ノ
ラネコやノラ犬が近辺に住み着くのも好かないことだろう。道で餌をやるの
も気をつけないと不衛生になるというのも分かる。だから、わたしの場合は、
食べ終わったと思ったころに再び外へ出てトレイを片付けに行ったものだ。

件のニュースに寄せられたコメントにざっと目を通すと、まぁ、非難轟々で
はある。しかし、同時にこれを取り決めている市が意外や他にもあることを
知った。心無い情けのない取り決めだと思うのはわたしが動物好きだからか。

市の制定するこの規則にわたしが感じるのは「アイツにやるなよ。やったら
こうするんだぞ」みたいな「見せしめ」感覚だ。

道路はコンクリートで舗装され、草も生えない。生ごみもわたしの居住地区
などでは、ポルトガルとしては珍しくしっかりした政策で、各家庭がごみ用
のコンテナ所有を義務付けられ、それに入れる。ネコや犬が漁る餌となるも
のは皆無だ。その上、餌をあげるなとは、ノラ猫ノラ犬に「死ね」と宣告し
ていると同じではないか。

「日本は日本人だけのものではありません」なんて言いもって日本国民から
顰蹙をかった元総理がいるが、それをもじって敢えてわたしは言いたい。
「地球は人間だけのものではありません」

「花に鳴く鶯 水にすむ蛙の声を聞けば 生きとし生けるもの いづれか歌を
詠まざ りける」(古今和歌集仮名序)と歌にある。

生きとし生けるもの、生命あるもの全てのものである。

次から次へと物珍しい品種の動物を作ってはペットにし、飽きると、邪魔に
なると捨てる、そんな人間社会になりつつある。捨てられたペットたちは死
の宣告を受けるのである。

いつかわたしたち人間が動物たちに見捨てられる日がくるかもしれない。
抱きたい、触りたいと思ってもネコや犬のペットが絶滅していないという
ような日が。そんな日が来ないことを心から願う。

最近のうちのネコ一部を紹介します。

gato
記事にある外界のことなど知らぬが仏の我が家のネコたち。
右は盲目のゴンタ君。

gato
この数日の暑さに、あじ~~

gato
あれこれ体の向きを変えてみても暑いものは暑い。どうにもならん。HOT.

gato
なんとかしてくれ~~。しゃんとしなさい!

本日もありがとうございました。
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2013年6月25日 

ポルトもサン・ジュアン祭が終わり、やっと夏到来。本日は真っ青な空に雲
ひとつない快晴です。これこそがポルトガルの夏であります。
ところでSuper Moon、ご覧になりましたか?

2013年で地球に一番近くなり、一番大きく見える満月をスーパームーン
ろ言うのだそうです。下記、Wikiから拾って来ました。
スーパームーン

23日のサン・ジュアン前夜祭にまだかまだかと満月が昇るのを待っていま
した。そして、夜12時も近い頃、昇ってまいりました、通りを挟んだ我が
フラットの向かいの屋根の後ろから(笑)

スーパームーン
 
うちはフラットの二階ゆえ、ベランダから見る月は写真のように向かいのフ
ラットから昇るように見えるのであります。

スーパームーン

デジカメですので、画像がどうもいまいちですが、ご勘弁を。
んで、お向かいからは見えないのでありますね。うふふふふ、悪いなぁ。
よって、我がベランダでは月光浴もできると言うもの。子供たちの部屋も
通りに面しているもので、時に窓から月光が差し込んでハッとさせられる
ことがあります。

「忙しい」と書いて「心を亡くす」。日ごろの忙しさに自然の美しさ恵み
から目をそらしている自分をつかの間、反省します。

さてもさても、プレラーダ園のシンボル・ミステリー解読に没頭してきた
ここ数日、取り上げてみます。下はプレラーダ園の入り口。

prelada

プレラーダ園は先日紹介したプレラーダ邸とつながっており、かつては邸
から散策できました。しかし、所有はポルト市に移り、邸そのものは一時
老人ホームとして利用されていました。そしてこれは一時期キャンピング場
として園が使われていたころの出入り口です。

prelada
入り口からまっすぐの並木道を歩いていくとたどり着くのがもうひとつの門

その向こうに見えたのが、わたしが自動車道路を走りながらいつも右手に見
えて気になっていた塔です。マグダラの塔の様子をしていますが、実はポル
トガルで一番小さい「Castelo(カステロ)」こと、お城なのだそうです。

prelada
美しい。

池の中にあるということにまず注意を払います。ひょっとすると、洞穴が
ないかと思いきや、案の定、ありました。ちょうど塔の後ろに位置します。

prelada

う~む、やはり。
prelada

↑日光がさして水面で光った円を作っていますが、月光がこの横穴から差し込
むのではないかと、勝手想像。水のある洞窟から塔が見られる。

prelada

塔の位置がずれるのは、洞窟の真ん中から撮影できないからである。

これらのアイテムから、既にプレラーダ園は神秘主義(古代ギリシャの秘儀。
錬金術、ヘルメス主義、神智学、自然哲学、カバラなどの総称とされる、と
思う)を表現しているとわたしは解釈する。

プレラーダ邸は恐らく大まかに改築されたであろうから、先日内部案内して
もらったときには、殆ど見かけることができなかったので、再度訪問する必
要があると思っているのですが、邸の外部に見られるいくつかのシンボルか
らは神秘主義思想が否めない。これについては後日に。

さて、この塔同様、わたしが観たかったもうひとつはこれです↓

prelada

次回はこの像について書きます。
なお、これはあくまで「謎追っかけ」を趣味とするspacesisの素人解釈で
あることをお断りしておきたいと思います。

それでは皆様、本日もお付き合いいただきありがとうございます。おもしろ
いと思われたら、ランキングクリックをしていただけたら、嬉しいです。

関連記事→ついに入った!ナゾニのプレラーダ邸
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2013年6月23日 

今日はプレラーダ園を書くつもりでしたが、変更です。

と言いますのは、本日はポルト恒例のビッグイベント、サン・ジュアン祭の
前夜祭なのです。

ここ数年、この日には晩御飯を終えてからダウンタウンを通り川沿いにある
リベイラへ向かうのですが、今年は日ごろ忙しいこともあり、休息です。
しかし、金曜日に祭の雰囲気が恋しくて旧市街を歩きながらサン・ジュアン
祭を探してきました。

サン・ジュアン祭
クレリゴス塔がある通りではこ~んなに山盛りのにんにくが売られていま
した。

そこでこんな懐かしい秤をみました。
サン・ジュアン祭

サン・ジュアン祭の前夜祭には欠かせないにんにくの花。
サン・ジュアン祭
Alhos-porros

根がにんにくですが茎から上の花を持って、これで道行く人の頭を叩いて
いいのです。実際にみんな行き交う人を構わずぽんぽん叩きます。この夜は
無礼講なのです。強く叩かれたからと言って怒ってはなりません。

近年はプラスティックのわたしが「ピコピコハンマー」と名づけているプラス
ティック・ハンマーことmartelinho.
サン・ジュアン祭

旧市街の路地はこちらも、
サン・ジュアン祭

あちらも、
サン・ジュアン祭

そしてここも、
サン・ジュアン祭

昔ながらのお菓子の出店もあちらこちらで見かけられます。
サン・ジュアン祭

前夜祭の準備は整いつつありました。

よろしかったら過去ログになりますが、昨年のサン・ジュアン前夜祭
の様子をこちらと↓
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1082.html
こちらでどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-784.html
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2013年6月21日

前の記事で言及した我が友マリアさんとニコラウ・ナゾニの謎を追っかける
わたしとの縁を述べたいと思います。実を言えば、6月18日の「プレラー
ダ園」とも関連してくるのです。

ポルトを中心にポルトガル北部にたくさんの建築を残したナゾニですが、そ
の建築物の所々にはめ込まれている風変わりなシンボルに惹かれ、以後数
年来ナゾニの作品を追いかけています。

多くの建築物の中でも一番最初に「シンボルがおもしろい!」と探すことに
なった、フレイシュ宮殿との出会いが、マリアさんと繫がるのでした。

過去に我がホームページ「ポルトガル・ロマン」サイトで綴っていますが、
前のパソコンが壊滅して以来、そちらの方の更新が不可能になってしまい、
目下、全記事引越し中。恐ろしい作業です・・・

そこで、ついでにこちらのブログサイトに載せたいと思います。長年お付き
合いいただいているブログ友、ネ友の中にはすでに読んでいる方もいるかも
しれませんが、その場合、スルーしていただきたいと思います。
では、以下、引越し記事です。

フレイシュ宮殿への道

「フレイシュ宮殿への道」は2005年11月の発見から2006年4月、実際
に宮殿に入るまでの過去録をまとめたものです。

2005年11月6日(日) 宮殿を探しに

今日は久しぶりのいい天気で、午前中、夫を引っ張り出し、車でポルト散策
しました。目当ては、ポルトに渡ってその生涯をここで終えた、かの18世紀
のイタリア人画家兼 建築家「ナゾニ」の作品と言われる「フレイシュ宮殿
ことPalacio de Freixo」です。 
ドウロ川沿いにあり、家からさほど遠くはないずなのですが、午前中に探し
あてることができませんでした。・・・

夕方午後5時近くにもう一度探しに出発! 陽が大分傾いて来たころについに
見つけましたぞ!しかし、あんなに素敵なバロック風の宮殿が、あんなところ
にあるとは。そして、知らない一般人が多いなんてもったいない!
残念ながら鉄柵で囲ってあり入ることはできませんでした^^;

これではツーリストが気づくはずもありません。外見もさることながらわた
しはこの宮殿の中を見てみたかったのです。 

一般公開していないとなると、なおさら見てみたくなるのが人情と言うもの、
ただいま、なんとか入れないものかとツテを探り中です(笑)

ナゾニのこの遺作も、或いは他のいくつかの作品と同様、市の予算がない
ため、持ち主から寄贈されたものの、「金がなしでどないもでけまへん」式、
荒れ果てたままにしていかないかと気になるところではあります。

2005年11月7日 歴史の時空

世の中にはこんな奇遇があるものだと、今日はつくづく感じ入って家に帰っ
てきました。

コペンハーゲンから帰って以来、忙しかったのと雨天だったのとで、ここし
ばらく月曜日のポルト・デジカメ突撃隊(笑)を休んでおりましたが、今日
はいそいそと出かけて参りました。

11時に、1年半ぶりに顔を会わせるポルトガルの友だちを自宅に訪ねる約束
もありました。曇りですが、途中の公園に車を乗り捨てて、1時間少し歩き
回り、友人宅を訪問。

彼女は1年半前にご主人を亡くし失意の毎日でしたが、ようやく元気をとり
戻してきたようで、会うことになったわけです。まだモロイところが見受け
られますが、大丈夫、彼女の新しい人生の歯車がギィ~っと音を立てて動き
始めたように感じます。

一年半のつもる話をあれこれしたところで、自分のデジカメ突撃隊の話をし、
昨日、夫と探し回ったフレイシュ宮殿に話が及び、
「あんなところに、なんの標識もなく荒れたままにしてあるのよ。もったい
ない。おまけに行ったけど入れなかった、残念無念」

とこぼしましたら、ボソリと彼女、

わたしの母はそこに住んでいたのよ・・・」
 「ん?そ、そこってどこ?」
 「Palacio de Freixo・・・」

鳥肌が立つとはこんなことを言うのです。なんという奇遇!偶然!
みなさん、信じられます? 昨日の今日ですよ!

フレイシュ宮殿はナゾニによって完成されて以後、バロンを初め持主を何
人か変えてきました。一番最後の持主は、彼女の祖父。株の暴落で失敗し
手放すことになったのだそうな。

「あなたはそこで生まれたの?」
「いいえ、わたしは祖父を知らないのよ。工場もフレイシュも手放した後、
自殺したの。」
「・・・・・・・・・・・」

宮殿の横には、今では廃墟となった荒れ果てた大きな工場があったがそれ
が彼女の祖父の工場だったのだそうだ。
「母の兄弟は七人。 最後に残ったおばは、2年前に亡くなったわ」

そうです、わたしは時々、その伯母上の話を彼女に聞かされていたのでした。
彼女が言うには、自分の一族がフレイシュ宮殿に住んでいたことは家族から
聞かされていたが、自分は一度もそこを訪れたことはない、とのこと。
 
わたしが、修復工事を手がけて、この夏亡くなった建築家のサイトで、内部
の素晴らしさを知ったと話すと、従兄弟がかつての宮殿内で撮られた古い写
真を持っているかもしれない、と言います。

わたしたち二人が話していた彼女の書斎には、古いピアノがあったのですが、
そのピアノはかつて宮殿にあって、母上が使っていたものだそうです。 
彼女の母上はピアノの先生でした。海辺にある彼女の別荘には、他にも宮殿
を手放した時に持ち出した当時の家具がいくつか置いてあるのだそうです。  

わたしはこれまで何度もその別荘に招かれていたのですが、時間がとれず、
今日まで来てしまいました。
今までそんな上流社会出だと言うのをおくびにも出さず、まったく気取りの
ない彼女ですが (わたしはそこが好きなのです^^)、この本日の偶然に、
ただ恐れ入り、ナゾニを通した不思議な出会いを感じないわけには行かな
いのでした。
フレイシュ宮殿の歴史の一部を見て来た、母上の形見の古いピアノ、写真を
撮らせてもらいました。 鍵盤その他の木の部分がボロボロになっていたの
を、新しいピアノが買える程の修繕費をかけて直し、今も彼女が、そしてピ
アノを習って音楽学校に通っているお孫さんが弾くそうです。
freixo-piano.jpg

ということで、マリアさんとフレイシュ宮殿とわたしのいきさつでしたが、
このころ、宮殿はいったいどうなるのかと気にかけていたのが、現在は修繕
改築され、ポルトのポザーダ(古い宮殿や修道院、お城などを修繕した高級
宿泊施設のこと。後記にて案内)として広く利用されています。

さて、次回はいよいよ「プレラーダ園」です。
これもなかなかに面白みがあります。
ナゾニらしく、メッセージを伝えんがためと思われるシンボルが見られます。
お楽しみに!

興味のある方はこちらにて→「宮殿ポザーダ(外観)」
       →フレイシュ宮殿(内装

また、ポルトガル国内のポザーダに興味のある方は、こちらへ↓
                「ポルトガルのポザーダ
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2013年6月19日 

2013_2-2.jpg
ベランダのブーゲンビリアとゼラニウム。

長年の付き合いで日本語の生徒と言うより友人と言える我が教室最年長の
マリアさん、70を優に越している。

彼女との奇遇な交流については次回にアップするとして、今日日本語レッス
ンにやってくるなり、
「I have to tell you this in English」と言う。いつもは頑張って
何とか日本語でわたしに語るのだで、あらら?と思った。こういう時はちょ
っとした事件が起こったに決まっているのだ。

2013-6-1.jpg
ブーゲンビリア

因みにかつては高校で英語の教鞭をとっていた彼女、その昔イギリスの大学
にも留学しており、わたしたちがまともな話をする時はどういうわけか英語
になってしまうのである。もちろん専門に学んだマリアさんの英語はわたし
など及ばない発音と知識で、しかも早口!

そんな彼女が英語で話したいなどと言い出すのは、わたしに話したくてうず
うずしているからなのだ。

「一昨日、海の家の裏庭で愛犬と一緒にイスに座って海を眺めていた。
 天気がよくてすばらしかった。」

マリアさんはポルトの街中に住んでいるが、海辺の近くにセカンドハウスを
持っており、水泳、太極拳、孫の面倒、ロシア語学習など等の合間を見ては
毎日のようにポルトから電車に乗ってそこに通うのである。

セカンドハウスにはフレイシュ宮殿の中にあった家具を見るために(これ
も後記する)わたしも招かれて訪ねたことがある。通りに面して前庭があり
低い壁がめぐらされている。裏庭には木々が植えられていて、夏場は娘さん
一家や彼女の兄一家がひと夏を共に過ごすのである。建物は著名な建築家
の手によるらしい。

しょっちゅうセカンドハウスに通う理由のひとつが、いつの間にかそこに居
ついてしまったノラ猫や犬のエサやりなのである。彼女もわたし同様、ノラ
たちを見ると知らぬ顔ができないタイプで、この点気が合うのだ。

2013_7-1.jpg

さて、続けて彼女がいうことに、
「海を眺めていたら、どこかからちょっと変な物音が聞こえた。それで何か
と思いながら玄関のほうへ向かおうとしたところ、ケータイが鳴り、それに
応対。で、その後、その物音のことを忘れ、犬を連れて海岸まで散歩するこ
と20分くらい。」

家の前に着いて一瞬、あれ?と違和感があった。何かがいつもと様子が違う
・・・とその瞬間、「えーー!通りに面した庭のドアがない!ウソウソ!」

ここまで聞いたわたしも、えーー!な、なんでドアごときが?

「うちのドア、新しくINOX(イノックス)ことステンレス製に変えた」
そのドアがあって然るべき場所にない・・・つまりは盗まれたのであ~る。

通りに面したステンレスドアは二つあるのだが、一つは錠がかかっていたの
だそうだ。果たして散歩に出る前に彼女が聞いたと言うあの変な音は泥棒た
ち(一人であんな重いステンレスドアが運べるはずがなし。複数は確信だ)
の仕業であったのだ。

教鞭を取っていた頃は演劇部を指導していたという彼女、その時の自分の反
応振りを身振り手振りよろしくわたしの目の前で再現するもので、これが笑
わずにおらりょうか~。悪いけどマリアさん、はしたなくもわたしはガハハ
ハなのであった。

家は保険に入っているので、すぐさま保険会社に連絡をすると、写真を撮り
にくると言う。それがまた、マリアさんに言わせると「ドアの無くなった写
真を撮っていったいどうするのよ!」

実を言うと、彼女のセカンドハウスはこれまでにも何度か空き巣の被害を
被っており、前の保険会社から解約をおおせつかっているのだ。
まぁ、本当に慰めの言葉がありません。と言いたいところだが、それでは
いくらなんでも友達がいが無いではないか。

「不幸中の幸いです。複数の泥棒とかち合ってでもしてごらんなさい。ドア
を盗まれたどころでは済みませんぞ」と一応なぐさめの言葉をかけたが、あ
のク○重たいステンレスドアを泥棒たちめ、どうやって運んで行ったのかと
思うと、内心わたしは可笑しくて可笑しくて、マリアさんの手前、二度目の
ガハハ笑いを堪えるのに苦労したのである。

2013_8-1.jpg

わたしも突拍子もないことに出くわすことが結構あるが、マリアさんのには
かないませなんだ。それにしても、泥棒も何でもありのポルトガルではある
なぁ、と思わされた一件ではあった。

我が家はフラットゆえドアが盗まれるなどの心配はないけれど、皆様もどう
ぞお気をつけ遊ばせ。

次回はフレイシュ宮殿と我が生徒マリアさんとの出会いをば。
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2013年6月18日 

前回触れたプレラーダ園(Quinta da Prelada)ですが、昨日、企業での
日本語教室イブニングコースを「ではまた水曜日に」と終えたところで一人
の中年の生徒さんが話しかけてきました。
「カメラであちこち撮影していたあなたをプレラーダ園で土曜日に見かけま
 したよ」

いつ、どこで生徒さんたちに見られるか分からないので、あんまりアホなこ
とはできないなぁ。

というので、「これは見逃せない、すわ!」と先週土曜日に行ってきたプレ
ラーダ園の塔を本日はチラッとだけご紹介。

prelada

おいおい、spacesisさん、ちょっと話が違うんではないの?今日のトピッ
クは「さくらんぼの実る頃」になってまっせ・・・

はいはい、分かっておりますってば(笑)
けれどこの面白い発見を何日も一人じっと秘めておけないのであります。
予測したとおりエキサイティングなシンボルを発見し、目下、検索中考察中
なのであります。仕事の合間を見てはこれまでに読んだ本をひっくり返した
りしていますが、もう少ししっかりしてから綴りたいと思っていますれば。

さて、本題です。

亡くなった夫の母の故郷はポルトガル北部、スペインと隣接するTras os
Montes地方のミランデラ(Mirandela)。9人兄弟だった彼女の
従姉妹ハトコの親族が多く、彼らが所用でポルトにやってくる時には、自家
製のオリーブオイル、オリーブの漬物や季節季節の果物などをよく届けてく
れますが、今回は見事なさくらんぼが届けられました。

saojoao

今年のポルトガルは春があったのかなかったのか、初夏はもう来たのかまだ
なのか、急に暑くなったと思うと翌日はドーンと気温が落ち込み、衣替えな
どとてもできそうもありません。

気象予測によると今年は200年振りの冷夏になるとのこと、いちごもさく
らんぼもあまり店頭で見かけず、あっても甘みがない。
そんな中で届けられた大粒の見事なさくらんぼでした。

そして、ポルトの街はそろそろサン・ジュアン祭の準備で浮き立っています。
写真はサン・ジュアン祭には欠かせないにんにくの茎と鉢植えのマンジェリ
コが並べられた出店。

saojoao

我が家のマンジェリコ(manjerico)↓
saojoao

日本語で何と言うのか不明です。しそ科の種類だそうですよ。香りに特徴が
あり、日本人には好き嫌いがあるかもしれませんね。

そこで、今日はこの季節になるとついハミングしてしまう好きなシャンソン
の一つLe Temps des cerises(さくらんぼの実る頃)をYoutubで紹介さ
せてください。こちら→「さくらんぼの実る頃

歌手の加藤登紀子さんがアニメ「紅の豚」中、フランス語で歌っていますが、
画面に邦訳が映されています。

6月の季節をロマンチックに歌っていますが、調べてみるとこのシャンソン
は1870年代の第3共和政に虐殺された多くのパリコミューン参加者を悼
んで市民に歌われ始めたのだそうです。

また、作詞家はパリ・コミューンの一員で、当時、バリケードを築き政府軍
に抵抗していたコミューン軍に参加しようと、手にさくらんぼのカゴを抱え
てやってき、落命した若い看護婦に捧げられた歌でもあるそうです。

昔、ロンドンを訪れた時にモイケル娘、夫と見たミュージカル「レ・ミゼラ
ブル」で市民がパリの一画にバリケードを築き、少年ガブローシュが政府軍
の撃った弾を拾い集めようとして撃たれ、死ぬ場面がありましたが、ミュー
ジカルと言えども圧巻でした。思わず目が潤んだのでありましたが、あれと
重なる時代でしょうね。

あっという間に終わってしまうさくらんぼの短い季節は、夏を目の前にした
明るい光の中で、なんだか少し寂しげな気がしないでもありません。

それでは、みなさま、次回は「プレラーダの謎解き」、お楽しみに^^
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2013年6月14日 

昨日は12時からの日本語レッスンが直前にキャンセルになり、次のレッス
ンまで少し時間ができた。

この所ずっと曇り空の天気が続いていたが、真っ青な空が一面に広がり気持
ちもいい。予測なしに転がり込んだ自由な時間、外へ出かけない手はない!
と気になっていたCasa da Preladaこと「プレラーダ邸」まで車を走らせた。

プレラーダ邸とわたしのいきさつはこれまで何度か書いているので細かいこ
とは省かせていただくが(記事終わりで案内いたす)、プレラーダ邸は18
世紀にポルトに移住し、多くのバロック・ロココ調建築を残したイタリア、
トスカーナ地方出身の建築家、ニコラウ・ナゾニが手がけた私邸のひとつだ。
ポルトや近辺の街には彼の建築がたくさん見られる。

ナゾニは壁画画家でもあり、建物、絵のそこかしこに見られる彼のシンボリ
ックな象形にゴチック建築に見られるような不思議な魅力を感じ、ずっと興
味を持ってきた。

長い間閉鎖されたままで、これまでに何度か足を運び、ナゾニファンのわた
しはいつの日にかこの邸宅と邸の後に広大に広がる庭園を見てみたいとずっ
と願ってきた。

それが、日本から帰国後間もなく邸の修繕は終了し文化センターとしてオー
プン、そのセレモニーが催されたことを新聞で知らされていたので、ひょっ
として中を見られるのではないかと思い立ち、行ってきた。

prelada
ファシャーダ(表門)の壁も薄緑色に彩られ、真っ青な空に映えている

人魚が頭に掲げる巻物らしきものの謎は未だに解けていないのだが、
prelada

その門をくぐるなり訪れた冬場には目につかなかった二本の大木の緑も鮮や
かに、その後ろに黄色い邸がたたずんでいる。

prelada

邸の内側からみた表門。
prelada


入り口のホールに入ると警備員が一人いたので、一般人でも内部の見学がで
きるかと聞いてみた。すると、ちょっと待ってくれと内線電話で連絡をとっ
てくれ、「今、人がくるので少し待て」と言う。

10分くらい待ったであろうか、階段を降りて若い男性がやって来、さぁ、
中を案内しよう、と言う。え!一人ですけど、いいんですか?と尋ねると
「もちろん」。

修繕された部屋という部屋、つまり邸宅の部屋が展示会場やオーディトリオ
や会議室に改善されたのだが、一室ずつ説明しながら案内してくれた。

内部撮影は禁止だと言う。残念。

prelada

ナゾニを思わせる独特の不可思議な壁画も見られず、それを期待していたわ
たしはがっかり。3階建ての邸ゆえ、それぞれの階段づたいの壁は広いスペ
ースが見られ、なんのへきがもないとはナゾニらしからぬではないか。

長年荒れるままにされてきた邸である、修繕不可能ということになり、壁画
はとりのぞかれたということはあるまいか、と何もない壁を見ながら心中勝
手に思ってみたのだが。

カルチュアセンター機能を円滑に活動させるためにと邸に新しく増築した
部分のホールも案内してくれたのだが、日の光をいっぱいに取り込むその
ホールの窓から、見えた!イベリア半島の大きな迷宮こと「ラビリンス」。

labirintos
画像はWikiより

邸もさることながら、それ以上にわたしが興味を持ってきたのが、実はここ
を訪問する直前に、ひょっとして入れるかも知れないと思い、行ってみたのが
Quinta da Preladaことプレラーダ庭園だ。が、No Visiterの標示が相変
わらず掲げられてあった。

そこで邸の案内人に聞いてみた。
「キンタ(Quinta)の方はまだ入れないのですよね?」
すると!「今度の土曜日に開きますよ」

これはこれは!土曜日は仕事で結構きついところがあるが、見逃せない
ぞ、よし!

prelada
装いも美しく蘇ったプレラーダ邸ことプレラーダカルチュアセンター。

プレラーダ邸についてはこちらでも。

本日も読んで頂き、ありがとうございます。
バタバタしている中で記事をアップしたりしていますので、これまでにも
増して誤字脱字が見られることかと思いますが、どうぞご勘弁ください
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2013年6月12日
2013_June-1.jpg
この所、曇り日が多い。いかにもポルトガル的なこんな真っ青な空が恋しい


5月に日本から帰国後、週二回、夕方からの新しい日本語コース開講で生活
のリズムが変わった。

教えるということは、エネルギーを放出するものです。特に最初の授業は生徒
さんたちもやる気満々で臨みますから、熱気のある授業になります。これを終
えて家にたどり着くのは午後8時近く。日中の自宅日本語の合間を見て、食
事の準備を心がけるものの、これが授業の準備、食料買出し等で上手くいか
ないこともあります。

我が家の男ども(故あって目下義兄が我が家で晩御飯を共にすること、4ヶ
月)は、こういうとき役に立ちません。でも、そうそうしょっちゅう外食に送り
出すのも気がひけます。

頑張ってエプロンを掛け台所に立つものの、出来上がった料理をテ―ブル
に運んで自分は食欲なく、お先に~と言いもって当初は何度か自室に直行、
寝入ったものでした。

そして、「ちょっとだけ横に」と服を着たままベッドにもぐりこんだのが、ありゃ
どん、翌朝目が覚めて服を着たままの自分を発見!眠りの浅いわたしが、
前夜10時から翌朝まで熟睡とはめったにないことです。

これが2度続いたもので、夫に、
「ねぇ、わたしが着たままで寝てたの知ってたの?どうして起こしてくれ
なかったの?」と聞くと、
「いや、おもしろいパジャマを着てるなぁ、と」・・・・おいおい。

あっはははと笑ってすましたけれど、何と言いいますか、ため息が出て
まいった。

服を着たまま寝入るのは、熟睡したとは言え、どうもわたしは寝た気がしな
い。こんなことをしたのは、口角泡飛ばし一晩中青臭い人生論を闘わした
19、20歳の頃の「津国ビル下宿時代(記事最後にてご案内)」以来です。

しかし、どういう訳かその日を機に、我が時差ぼけも負担だった疲労感も
ストンと抜けて今はすこぶる調子がいい。体重も3キロほど落ちた。

そして、やっと市から許可がおり、先週土曜日から始まった市立図書館の
第二回目日本語初級コース、これが予想を遥かに上回る20人の生徒数
です。この生徒さんたちをいかにして、できるだけ多くが残るように引っ張
っていくかが課題でもあります。

受講料が安いこと、土曜日の授業ということもあっての申込者数でしょうが、
ポルトガルに普及している日本のスポーツを始め、日本映画、アニメ、果て
はコスプレ、ロリータファッション等を通して日本文化に興味を持つ人が老若
男女に拘わらず増えてきているというのを表す現象かと思われます。

この図書館の日本語コースですが、ポルトガルは目下お先真っ暗な経済状
況ですから、若い人、一人か二人の特待生制度(授業料無料)を導入して
みました。

勉強したいけれども経済力がないという無念さをわたしは経験しています。
小さなコースのちっぽけなことではあるけれど、誰かの日本語学習の機会
に、そしてその後にその人の日本文化への夢が続いたら、とわたし自身が
密かに見る夢です。

spacesis、齢65、今が頑張りドキ、一生頑張りドキ。
調子づいてコケないようにしよっと!でもノリノリです^^

「津国ビル下宿時代」のエッセイはこちら。

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2013年6月8日
 
今の若い人については、家を訪問したことがないので分からないけれども昔
のポルトガル女性のきれい好きは半端ではなかった。

現代と違い専業主婦がほとんどだったこともあるだろうが、それにしても、
と、その徹底さには感心を通り越して、そこまでやる意味がどこにあるん
だぃと時に反発を覚えたくらい、亡くなった夫の母や叔母たちは家の中を
ピカピカに磨いていたものだ。

台所にいたっては、本当にさっきまでここで料理し汚れた食器が重ねられ
ていたのかと思われるほど全て戸棚や食器洗い機に仕舞いこまれ、調理台
にはきれいなレースが置かれて、その上には台所に相応しい陶器の果物入
れや置物などが飾られるのだった。流し場には水滴ひとつ残さない。

3時間もすれば再び台所で料理をすることになるのだというのに、いい加
減な片付け方をしないのである。嫁いできた当初それには驚いた。

手伝いをと思い夫の母やおば達と一日中一緒に台所に立った日のこと、残
念ながら修練の足りないひ弱な我が両脚は大根のようにパンパンに腫れ上
がったものだ。

ピカピカに磨かれた家中の家具にはたいてい手製のレース編みのテーブル
センターやテーブルクロスなどが敷かれる。わたしがポルトに来た30年
ほど昔は、バスの中で、電車の中で、病院の待合室で、果てはいかがなも
のかと思われたが、公の場での、例えば郵便局、市役所などの窓口でさえ
も女性職員が暇を見てはせっせとレース編みの手を動かしていたのさえ、
目にしたのだった。

フランス語かドイツ語が第二外国語で、英語はその次の地位にあった。
言葉が通じない、容易に外出もできなかった当時、時間だけはたっぷりあ
ったわたしは日本にいた時は一度たりとも手に取ったことがない編み物の
かぎ針を手に持ち、本を頼りにレース編みの独学を始めたのである。

夫の母やおばたちに素直に教えてもらえばいいものを、わたしは何事も自
分で探求(笑)することをよしとするタイプ、何度も間違いほどいては肩
を凝らしながら少しづつ編み慣れていった。

根が大雑把なところもある性格が出てか、わたしは細いレース糸で編むの
はあまり好きではない。専ら太いのを使うのだが、出来具合は大きなもの
なので見た目にはなかなか立派に見えるのである。

レース編み
↑居間のソファの横にはいつでも編み物ができるようにこのかごが置いて
ある。が、ソファに座って休憩する時間も近頃はトンとない。

 
レース編み
友人の0ちゃんへのプレゼントにと編み始めてもう3年ほどになる^^;
こ、今年の夏は終えよう^^;


↓こちらは自宅用のテーブルセンター。まだ4分の3の網かけが残ったままだ。
これも足掛け3年ほど、ほうったらかしになっている
。 
レース編み

そうしていったい何枚のテーブルクロスを作ったことだろう。未だに我が家
で使用しているものもあれば、妹宅や友人宅に嫁いだ作品も多々ある。
が、近年はさっぱりそれができなくなって久しい。レース編みとて20年来も
使ってくるとさすが、ほつれて来るのもぼちぼち最近は出てきた。

さて、ここで我がお掃除のおばさんことベルミラおばさんの出番なのである。

日本から帰って来て時差ぼけの頭で、まだボーっとしていたある朝、その日
はいつもの通りベルミラおばさんがやってきた。掃除が始まりわたしはシャ
ワーを浴びて我が部屋にもどり何気なくチェストに目をやると、あれ!

レース編み

極細のカーラーレースで編まれた見慣れないテーブルセンターが敷かれて
ある。真ん中の布はリネンだ。ベッドのサイドテーブルにもお揃いのレース
編みが敷かれ、んまぁ、ベルミラおばさんのこれは仕業だ!

レース編み

数年前まではうちのすぐ側に長女の家族と同居していたのが、事情あって
長女一家と隣町マトズィーニュスに引っ越していった。モイケル娘が生まれ
る前から我が家に通ってきていたので、長年の付き合いで、よく気が利くし
陽気だし、何と言っても信頼できるのが心強い。

困ったな、どうしようかと内心思っていたら、電車、バスを乗り継いで1時
間半をかけて継続してくれると言ってもらったときは、本当に安心した。

小さな家ではあるが、週に2度ベルミーラおばさんが来てくれるのは何かと
助かり、わたしも安心して外で仕事ができるというものだ。この通勤時間を
利用して、電車を待ちながら、車内で座りながらと、手にもつかぎ針をせっ
せと動かしているのだそうだ。

レース編み

↑わたしの留守の間にソファ横のローテーブルにも、新しいレース編みが。

↓こちらもベルミーラおばさんの作品。ソファの背もたれにかけてあるのは
彼女にしては珍しく極太糸で編んでおり、聞けば、「あまりにも大きすぎて
気に入らない、ドナ・ユーコ、使ってよ」(笑)
レース編み

こんなことをしてくれるのは長年の付き合いもあろうか。嬉しい限りだ。
とまぁ、本日はベルミーラおばさんの作品紹介になった。

日本に帰国し、子供達のアパートに到着するなりわたしが最初にすることは、
「着いたばかりだから休んだら?」と半分迷惑がられながらもポルトガルか
ら持ち込んだ独特の金属タワシと布巾で台所を始め、洗面台、トイレ、果て
は部屋中のドアまで磨きまくることだ。

一度などは時差ぼけで寝付かれず、とうとう朝5時頃に起き出して洗濯機を
回すやらパタパタ拭き掃除をするやらしていたら、「眠れない!」と息子に
怒られた^^;す、すんません。
なにしろ小さなアパートだもの、さもありなん。そこでそんな朝は子供達の
衣服や布物などにアイロンをあてることにした。

こう書くと、いかにも子供達のアパートが汚らしく聞こえるが、一応きれい
にしてある。が、わたしの目からすると磨きが足りないように映るのである。
無理もない。息子も娘も専業主夫、専業主婦ではないのだからw

長年ポルトガルに住む間に、徹底した掃除の仕上げとまでは行かないが、
ふと気がつくと、昔のポルトガル女性の煎じた爪の垢の半分を飲みでもし
たくらいにいつの間にか片付け魔になっていた自分がいる。
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2013年6月1日 

本日は再びポルト、ドウロ川に架かる橋の話です。

ペンシル橋(Ponte Pênsil)は、ズバリ「つり橋」という意味。

ポルトとガイア市を結ぶドウロ川に架けられた七つの橋のひとつですが現在
ではもう見られない幻の橋です。つり橋を支えていたpilarと呼ばれる橋
脚のみがドン・ルイス一世橋のすぐ横に残っています。

june08_pontepensil1.jpg

写真はガイア側からみた一対のオベリスクがかつての橋の橋脚でポルト側に
しか残されていない。

1841年5月2日、ドナ・マリア2世の名前を冠し、彼女の誕生日に建築
工事が開始。1843年2月に完成したこの橋は、正式名のドナ・マリア2
世(1826年―1853年に在位したポルトガルの女王)橋よりも「ポント
・ペンスィル(つり橋)」として1877年までの半世紀近く、人々から親
しまれました。

下記、wikiから拝借したPonte Pensil。上方に「D.Maria Ⅱ」と書かれ
てあるのが見えます。
ponto_pensil.jpg

ドナ・マリア2世橋は現在川に架かっている鉄橋「ドナ・マリア・ピア(ポ
ルトガル最後の国王ドン・マヌエル2世が孫に当たる)橋」とは別物です。

さて、このポント・ペンスィル、実は更に前身があるのです。
Ponte das Barcas(ポント・ダス・バルカス)と呼ばれた下記の橋がそれです。

pontebarcas-1.jpg

Barcaは渡し舟のこと。 つまり、ドウロ川に架けられた史上最初の橋は、
下の絵のように、渡し舟を並べてつないだ橋ということになります。
「渡し舟の橋」とはうまく言ったものです。渡し舟の部分をもう少し拡大
してみました。小船を連ねているのが分かるでしょうか。

pontebarcas-2.jpg

1806年8月に20艘の渡し舟を連鎖させてできたこの橋は1809年に
ナポレオンの命でフランス軍がポルトに攻め入るまでポルトとガイアを結ぶ
橋として人々に利用されたのでした。

potpourri   
1809年3月29日・Ponte das Barcasの悲劇

ドウロ川沿いリベイラの土産物店、カフェレストランの立ち並ぶ壁にとも
すればうっかり見逃してしまうような場所にひっそりと埋め込まれている
「Alminha da Ponte(Alminha=スピリット)」と呼ばれる青銅版が
ある。

ponte-barcas-painel2-1.jpg

これには次のようなエピソードが語られている。

1809年3月29日、ナポレオンの命を受けてフランス軍は二度目のポル
トガル侵攻を試みた。この時、Soult将軍は前回目指したリスボンを避け、
北部から侵入、ポルトへと向かった。

フランス軍侵入の噂を耳にしたポルト市民達はドウロ川を渡って対岸のガイ
ア市に活路を開こうと、いっせいにPonte das Barcasを目指したのである。

もとよりたかが20艘の渡し舟からできている橋だ。波のように押し寄せる
人々の重さには到底耐え切れず、橋はもろくも崩れ多くの一般市民が溺れ死
んだと言われる。

その人々の鎮魂のためにこの銅像版は作られ、今日も祈りの火を絶やされな
いでいる。
 
青銅版の上にはキリストの姿が描かれ中間には渡し舟も見られる。

本日はドウロ川に架かる橋の第2話でした。

★フランス軍侵入の記事についてはこちら「ナポレオン侵入戦争とモニュメントまで。
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