2013年7月28日
 
普段はぎっしり書き込みがあるカレンダー、月曜日の今日は「真っ白」と夕
べ確認した!つまり今日は授業が全くなしってことだ。この開放感!いつも
だと何時からと何時からがレッスンだとの切迫感があり、何をするにも落ち
着かず中途半端な気分なのだが、今日は自由だぁ。

というので、今週まだ少し自宅授業が入りますが、夏季休暇モードに入りつ
つあります。

さて、古いミュージカルに「メリー・ポピンズ」と言うのがあります。
1960年代の作品でジュリー・アンドリュースが主演。わたしは20代始めに
見たのですが、ジュリー・アンドリュースの話す英語が美しく分かりやすい
ので英語の勉強を兼ねるのと、ストーリーも歌も気に入ったのとでその後も
何度も見てきた映画です。

MaryPoppins.jpg
画像はWikiより

物語の内容はGoogleのここに出てきます。

挿入歌の「チムチム・チェリー」は日本でもヒットしましたし、どんな苦し
いこともひとさじの砂糖で楽しくなるものと歌う「Spoonful of Sugar
(お砂糖ひとさじで)」も知られた歌です。また、この中で乳母のメリー・
ポピンズが子供達に教えるおまじないの言葉「スーパーカリフラジリステ
ィックエクスピアリアドゥシャス」はわたしも必死に覚え今でも言うことが
できます。

それらの挿入歌の中でも今に至ってわたしの心に残っているのが「鳩に2ペ
ンスを(Feed the Birds)」です。
手にした2ペンスを銀行マンの父親に「銀行に貯蓄せよ、そうすると利息が
入る」と諭された子供たちに、魔法のガラスのボールでメリー・ポピンズが
セントポール寺院で鳩の餌を売る老女の姿を映して見せるシーンに使われ
ます。

「鳩に餌をあげてください。お腹が空いているのです。一袋2ペンスです。
あなたが鳩たちを気にかけていることを示してください。寺院に立つ聖人像
たちは老女が鳩の餌を売るのを見下ろしています。あなたには見えないで
しょうが、誰かが一袋買うたびに彼らは微笑んでいるのです。一袋たったの
2ペンス。鳩に餌をあげてください」

ざっとこんな風に歌っています。下記Youtubeでこのシーンが見られます。

http://www.youtube.com/watch?v=Nm_BW1Vy6Zw

何故こんな話に及んでいるかと言うと、先日回ったダウンタウンはリベイラ
へと続く広い道Rua Mouzinho daSilveiraを歩いてあれ?と気づいたことが
ありました。その時間帯には必ず見かけた老女の姿がないのです。

rua_mouzinhosilveira1.jpg

坂道の上り口に座り、売り物を広げて売っているおばあさんです。売り物と
いってもそれを見た人はお世辞にも買おうかと言う気持ちは起こらないで
あろう古い壊れかけた使いようのないような代物ばかりです。
日曜日と雨の日を除いては冬の寒いときでもここで物を広げてはこうして
いつも座っているのです↓
rua-flores3.jpg
2006年撮影

よくこの通りを降りてリベイラへ向かっていたわたしは何年も彼女と
顔見知りです。見かけるたびに昼食の時間にはいつもここに座って
スープをすすっていました。そしてまたその時間には決まって鳩が
たくさん彼女の周りに寄って来、彼女が分け与えるパンをつついて
いるのです。スープはわたしの推測ではこの辺にある食堂からいた
だいているのではないか、でした。

貧しい自分の食事から鳩に分け与えているその姿にわたしは昔見た
ミュージカルの鳩と老女のシーンを思い出し小さな感動を覚えたの
でした。

顔見知りになったきっかけは、そんなおばあさんを何度か見て、「こん
にちは」とわたしが声をかけたことでした。最初はひとつ買おうかと
商品らしきものをざっと見回しましたが、どうも使えそうなものがあり
ません。これでは誰も買わないな、と思いました。

そこで、失礼なことだとは思いながら「コーヒーでも飲んでください」と
少しお金を差し出すと、とても喜んでくれ、なんども礼を言うのです。

かつてはわたしも今のように忙しくなくよくポルトのデジカメ探検隊と自ら
を称して街を歩き回っていたので、しょっちゅうここでおばあさんと挨拶を
かわすことになり、おばあさんの服装は冬は冬なりに一応寒くないように
見えるものの、大分擦り切れて薄汚れています。ひょっとするとホームレ
スかも知れないとの思いもあり、言葉を交わす都度5ユーロ、10ユーロ
と何かに役立ててもらいたい思いで差し上げていました。

「本当にいつもありがとうね。神のご加護がセニョーラにありますように」
と開く口は何本も歯が抜け落ちたのが見えていました。

little old cats woman
2007年撮影。同じ服装だがショールと靴が違っている^^

見かけないのが気になるもので、坂道を上ったすぐのところにある小さな
雑貨屋で「あそこにいつも座っていたおばあさんはどうしたの?」と思い切
って訊いてみました。すると病気になり老人ホームに入れられたと返事が
返ってきました。

そうか。仮にホームレスではなかったにしろ、春夏秋冬ひがな一日あそこ
に座ってスープをすすっていたのは、それなりの苦しい事情を抱えていた
にちがいない。寒さはあの歳では堪えよう、今年の秋口には毛布の膝掛け
を持って行こうと思った矢先だったこともあり、病気になったのは辛いだろ
うけれど老人ホームに入れられたのは案外良かったのかもしれない。

少なくとも食事にはありつけ、夜露雨露をしのぐことができる、とわたしは
少し気が安らいだのですが、あれほど定時間におばあさんに群がっていた鳩
たちは、さて、どうしただろうか。

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2013年7月27日
 
終わったー!

5月に日本から帰ってすぐ始まった二つの大きなグループの日本語コースが
水曜日の夜、そしてもう一つは本日1時に終わり、ふ~っと一息ついている
ところです。2クラスとも希望としては最低7人は欲しいと願っていたのが、
思いのほか希望者が多く、ふたを開けてびっくり玉手箱。18人と19人の
グループができたのでした。

しかし、体力的に厳しかったのが某企業での週二回のイブニングコースでし
た。準備もさることながら、自宅の個人レッスンが終わって夕方から出かけ
るのは我が年齢の身にはやはりしんどかった。が、おもしろかったのも事実
です。

イブニングコースの最後の4回は日本語学習に加えて、日本の伝統文化やラ
イフ、ちょっとしたビジネスでの礼儀作法などの話も希望され、そのテキス
ト作成には手を焼きましたが、えらいこっちゃとその上を行って四苦八苦し
たのが、メモを読まずにポルトガル語で説明することでありました^^;

最初は英語で授業(と、えらそうに書くがたいしたことはないのである。
しかしポルトガル語よりはもうちとマシかと自分では思っている)というこ
とだったのが、一日の仕事を終えた後の日本語教室、生徒さんたち、頭が疲
れていて英語ではしんどい、なんて言い出して予定に反し3回目からはポル
トガル語での授業に切り替えを言い渡されました。

えぇ~い、知らんぞ!とばかりに半分やけくそでやってきたのが正直な気持
ちです。いずれにせよ、文法の説明内容を理解してもらったようで一安心、
ついでに、もうひとつの図書館のクラスもポルトガル語で始めたのでした。

しかし、時折、ハット気づくと無意識に英語で説明している自分を発見、
「すみません!」と生徒に笑われながらの授業です。これだけの人数、名
前を覚えるのも一苦労ではありました。

実は某企業からもうひとつ、とある依頼が入ってきましたが、これについて
は夏休み後、具体的に話が始まってからとりあげますが、夫にはまだ内緒。
「またやるのかー」と言われるのは自明ゆえ、ある程度水面下で密かに話を
進めてからと(笑) 
さて、前置きが日本語コースで長くなってしまいましたが、本題です。

水曜日のイブニングコースが一段落したところで、このここ3ヶ月ほど時間
に追われ歩く機会がなかったポルトの街でしたが、昨日の金曜日は、ポルト
ガル語の個人レッスンが先生からキャンセルされたので、すわ!とばかりに
散策してまいりました。

路面電車
こんな乗り方をするのはポルトではほとんど見かけなかったのですが^^;
ただ乗りの証拠写真であるぞ!

このところ、ポルトはしばらく前の猛暑が嘘のように涼しく、まだ8月に入
る前だというのに夏が終わったと思わせるような気候です。写真からも分か
るように、いつもの真っ青な空ではなく、空一杯を覆ううろこ雲の下を歩き
回って来ました。

ポルト
サン・ベント駅前の少し奥まった空間に新しい広場「Praca das Cardosas
(カルドーザス広場)ができており、広場では「アーバン・マーケット」が。

ポルト
そして、足を向けたのが行きつけのポルトガルの伝統布物を扱っている店、
Rua das Flores(花通り)のMemorias. 今回は取材の申し込みをしてき
ました。Memorias店については後日案内します。

2時間半ほど歩き回った後、岐路につきメトロ駅を目指していたところハッと
目をひいたのが下の画像であります。

ポルト

通りすがりでしたが、手にデジカメを持っていたので、即、カメラを向け、
「Obrigada!」と声をかけました。これは恐らく「Tuna」のグループでし
ょう。Tunaとはポルトガルで言う大学生の伝統学生歌グループとでも言い
ましょうか。スペインにもあるようです。衣装からしてこれは恐らくスペイ
ンの学生グループだと思われます。腰に提げてい
る黄色い布を拡大してみましたが、医学部学生のようです。

ダウンタウン散策は、我が活力の源でもあり、久しぶりに歩いて軽く汗をかいて
きました。

それでは、みなさま、また明日!

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2013年7月23日 

参院選の結果は、どうしてこんな人が?と思われる二名の当選者がいるが,
それ以外では望みどおりだった。別な結果が出ていたら、たかが一票されど
一票、今回はおアホな己の勘違いで投票できなかったわたしは、その悔いを
しばらくひきずることになったであろう。
勝って兜の緒を締めよ。安倍政権の前途は多難だ。

とまぁ、こんなことを書くと、また某所で「右翼のブログ」なんて書かれるの
かしらん 書かれるのは構わないが、それを読んで拙ブログまでご足労
下さる方々の期待を裏切ること100%なので、それがお気の毒だ。

さて、むやみにあれもこれもと引き受けて来た外部での日本語コースも今
週末でやっと一段落。夏休みに入ります。自宅の個人レッスンも一人二人と
みなさんに順番に休暇を言い渡しているのですが、断れない御仁があり、
この方だけは8月中も続けることにあいなり候。

この方は15年ほど前にわたしが初めて外部の日本語コースで教えた数人
のグループの一人でした。ブログでも時折取り上げる、我が自宅日本語教
室の長年の生徒であり、今では友人でもあるマリアさんが当塾では最高齢
者の73才なのですが、その彼女も最初の日本語コースの一人でした。

上述の御仁、アルフレッドさんはマリアさんと一緒のクラスでわたしが受け
持った生徒です。年齢的にはかのマリアさんの上を参りまして御歳80歳!
教える方が脱帽です。ポルトで生まれ育ったドイツの方ですが、この15
年間はポルトを離れてドイツで生活し、その間に数年前に漢字検定試験5級
に合格、目下漢検4級受験を目指して独学中とのこと。
アルフレッドさんとの再会は下記にて昨年記述しています。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1282.html

今回は11月までポルトに滞在するので是非日本語をと乞われ、8月中もわ
たし達が休暇旅行でポルトにいない時を除いてはレッスンすることにしまし
た。今日は2回目の授業でしたが中級用のエッセイが振り仮名なしで読める
ので上級読本を使用することに決めました。

nihongo


テキストは日本の近代化に拘わった20人の日本人、吉田松陰、福沢諭吉、
現在N○K連続テレビ小説「八重の桜」の主人公の夫にあたる新島襄等がとり
あげられ、日本の歴史にも触れることができる内容です。

このテキストを使用するのはわたしのこれまでの生徒でアルフレッドさんが
二人目です。いかような質問がなされるか分かりませんので、こちらも十分
な下調べをすることになるので自分自身もよい勉強になります。

ポルトはこの所、暑い暑いと言っていた先ごろの猛暑はどこへいったやら、
涼しくて肌寒いと感じ、勉強にはもってこいの気温です。
と、こんなことを書いたとたんに暑さがぶり返してくるのですよね^^;


そして、今夏は再びボランティアの影絵作成に取り組みます。これについて
は、後日の話題にて、本日も拙ブログ、お付き合いいただきありがとうござ
います。


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2013年7月19日 


日本では二日後に投票を控える。
今回の参議院選挙だが、わたしは在外投票ができなかった。後悔残ること
しきりだ。自業自得だが、穴があったら入りたいようなとんでもない勘違い
をしていたゆえんである。

在外投票というのは、2000年まで参政権を持たなかった海外在住者が
1998年と2007年の公職選挙法改正により、国政選挙に海外からも
投票できるようになったことを指す。

在外選挙に参加するには、まず、日本国籍を持っていること、国外移住前
に住んでいた自治体の在外日本人選挙名簿に登録してあること、登録後に
発行される「在外選挙人証」を持っていること等の条件を満たしていなけ
ればならない。

在外選挙についてはこれまでにも何度かとりあげているので、興味のある方
こちらの下記過去ブログにて。


どのようにして投票するかと言うと、2種類の方法がある。
在外大使館へ出向いてする直接投票(日本の投票日以前に実施、期間が短い)
と日本国内の自治体から投票用紙を取寄せて送る「郵便投票」のふたつだ。

リスボンまで行くとなると、一日がかりですまないのでわたしの場合は郵便
投票を利用してきた。そこで、問題は投票用紙を取寄せるに申請書を郵送し、
投票用紙をゲットし、最後に用紙に記入して郵送するという3度手間がかか
るこのなのである。この書類郵送の往復にはどんなに急いでも18日の日程
を見なければならない。

これまでずっとそうしてきたのだが、選挙公示日後即座、わたしは投票用紙
請求の手紙を日本国の自治体に送ってきたのだが、いかんせん、その時々の
郵便事情と係りの迅速さに頼ることになるので、毎回、冷や冷やしてきたの
である。

今回は公示日はまだかまだかとネットで確認し続け、7月3日とあったのが、
翌日4日と変更されたときは、その時点で郵便投票は諦めた。21日の投票
日までに17日しかない。しかも20、21日は週末で、とても間に合うも
のではない。

それなら、大使館で直接投票をと思ったのだが、今回は某企業の日本語イブ
ニングコースの仕事が入っており、キャンセルはできない。大使館での投票
は土曜日もできるのだそうだが、土曜日もわたしは二クラスを持っており、
20名近くの生徒たちの授業をそうそう簡単にキャンセルはできない。

あまりの落胆にブログで今回の参院選を取り上げるのもしないまま今日まで
来た。不満やるかたなく、こんな制度は海外在住人にあまりにも冷たいでは
ないかと思い始め、よし、近々、選挙管理委員会、もしくは大使館にクレー
ムをつけずにはおけまいと思っていた矢先、ひょんなことから、この在外選
挙法を再度目にすることになったのがつい先ごろのことだ。

「公示日・告示日に立候補届が受理されると、投票日に向けた選挙運動が始ま
ります」

はいはい、それは分かってます。

選挙の公示・告示の翌日以降、同用紙等に記入の上、日本国内の選挙期日
(投票日)の投票所閉鎖時刻(通常午後8時まで)に投票所に到達するよう
送付・・・

そうなのよ、これが問題でんが・・・・な?んんんーーーー!

ここで目が釘付けになった。

公示・告示の翌日以降、同用紙等に記入!

う、う、うそだーーーー!
同用紙とは投票用紙のことだ。よ?
わたしは長い間、この「用紙」を「投票用紙請求の用紙」と勘違いしていた
のである。投票用紙請求は公示・告示以前にできるということだ。

自分の粗忽さに最早慰めの言葉もなくすっかり落ち込んでしまった数日では
あった。本当に情けない。

それにしてもまだクレームをつけずにいてよかったこと!赤恥をかくところ
であった。

本日はこれでおしまいです

お口直しつけたし^^;
igreja-vitoria-casinhas1.jpg
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2013年7月16日 

週に二回、依頼されてやってきた某企業のイブニング日本語コースもそろそ
ろ終盤に入るというところで、先方から「日本文化を授業に取り入れてもら
えないか」とリクエストが入った。

はて困った。文法を進めながら丁度ひらがな学習を終了したところで、5課
からは今まで使用してきたローマ字版のテキストを一気に日本語版テキスト
に変え、その課の文法をゆっくり学びながら、ひらがなの読み書き8割がた
を身に付けてもらい、コースを終えるというのがわたしの授業計画だ。

それに、一言で日本文化と言うけれど我が国の文化は実に多様であり、キリ
スト教と言う共通の宗教を元にした文化背景をもつ欧米の人々に、独特の
日本文化をそう簡単に口頭や文字で伝えられるものではない。日本文化の
紹介にはビジュアルな教材、つまり実際に目で見ることが必須だとわたし
は思っている。

どういうものを望むのかと尋ねると何でもいいと言う。そういうのが一番困
るのである。折り紙ではあまりにも芸がない。
う~~ん、どうしたものか。

わたしから言わせれば、日本語を学習していること自体が既に日本文化を学
んでいることなのだ。言語を学ぶ途中で必ずや色々なカルチュアが取り上げ
られるので、その都度、知っている範囲内で話すのがこれまでしてきたこと
である。

帰国するたびにわたしが日本から持ち込んできた個人蒐集の(たいして高価
なものではないが)日本文化展を時にボランティアで開くのは独特な伝統文
化紹介はビジュアルに限ると自身が思うからである。残念なことではあるが、
それが、日本の伝統文化に造詣が深くもないわたしができる精一杯のことだ。

とはいえ、できる範囲内でいいのでお任せしたいと先方は言う。何かいいア
イディアはないものかと先週からない頭を絞っていた。たいして上手くも無
いポルトガル語で講演式に話すのは芸の無いことではあるし面白くない。
そこで、うまいことを思いついた!

ひらがな46文字と併せてその小さい「や、ゆ、よ、つ」、長音の遣い方ル
ールも終えたところである。文化もどきを学びながら、ひらがなを読ませ書
かせでいこう!と。どうしても読み書きににこだわるわたしではある。

それで、ここ数日パソコンを使って、spacesis独自の日本文化テキスト作
成に没頭していた。

第五課では「月と日にち」と習うので1年を通して日本の主な行事をとりあ
げることにした。ネットで画像を検索し、行事名は全てひらがなにして読ん
でもらう。そして、それを書写するのである。

異文化を学ぶというので、読み書きという面倒な作業もさほど苦痛に感じる
ことなくできるのではないか。これが狙いである。そうして作り上げたのが
下記のテキストだ。自前のテキストと偉そうにいうものの、自分の画像がな
いものに関しては申し訳ないがWikiから拝借させていただいた。

Japaneseculture1.jpg
新年のページ

やっと作成したテキストだが、この後の問題はこれをポルトガル語で説明す
ることなのである。グーグルで検索をと思いきや、これがポルトガル語では
ないのが結構ある。そんなこんなで、日本語授業の準備に日本文化の準備も
加わり、先週いっぱいはパソコンにずっと向かいっぱなしでさすがこの御歳
で疲れ申した。

しかし、初回日本文化の授業は大いに盛り上がり、ウグッと詰まるような質
問も出て活気のある授業にはなった。一日の仕事の後のコースである。講師
が一人説明するだけでは眠気がさしてくるであろう。

それを防ぐためと、黙読(わたしは「目読」とも言うw)ではなく、実際、声
に出して読むことによる学習を必ず取り入れる。授業ではわたしの読後、全
員一緒に大きな声でテキストの朗誦を繰り返す。寺子屋式です。

斉藤孝さんの本に「声に出して読む日本語」というのがあるが、この方法は
日本語のリズム感を味わってもらえるのと、発音することによりいい加減な
読み方覚え方を防ぐことにもつながると思うのだ。第一、眠くならない!

この方法、実は生徒、最初は少し戸惑うのである(笑)
が、構うものか。はい、一緒に!ハーモニー!と激励する。すると、しばら
くして生徒達は違和感を抱かなくなる。そうするとシメタものだ。

わたしはこの方法を36年前にアメリカのツーソンにある、アリゾナ大学の
ESL(English as a Second Language)コースを取ったときに受けた
作文クラスのMr.Cherryの授業から学んだのである。一見したところ風采の
あがらない中年のチェリー先生がひとたび授業を始めると本当に面白かった。
黙っている生徒にはすかさず、「今日はボクと話そうって気がまったくない
のかい?」ときたものだ。

あの頃習った英語は大分忘れたが、チェリー先生の授業方法はわたしの中に
しっかり根付いている。

というので、日本文化テキスト作りはもう少し続くことになる。

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2013年7月13日 
弘前
弘前でこんな懐かしい昔の映画看板を見た

今年の4月中旬から一ヶ月ほど日本に滞在した。
ちょうど桜の季節で、故郷弘前の桜を観ようと妹に誘われて彼ら夫婦と一
緒に東北自動車道路を行きは8時間、帰路は9時間をかけて往復してきた。

故郷の桜を最後に目にしたのはわたしが20歳ころのことで、以来ずっと
その季節になると見事な弘前公園のさくらを恋うことはあっても訪れる機会
がないままに、45年の歳月が過ぎていた。

弘前
若かりし日の裕ちゃん

公園一杯がさくらで埋まる光景を胸にいだき訪れた4月も中旬過ぎの弘前
は、思ったよりもグンと寒く、わたしが滞在した3日間ではついぞ固い蕾が
開くことはなかった。45年ぶりに見に行ったと言うのにつれないヤツめ、
と悔しがりながらも、これは「もう一度来ないとわたしの優雅華麗な姿は、
そう容易に見せてはやらぬぞ」と言っているのだろうと思い直した。

桜をみることができなかったのは残念だったが、4月に一時帰国するとのブ
ログ記事を目にした高校時代の同窓生タコ君、弘前関連の記事に時々ご登
場願っているのだが、その彼が「ソデが帰ってくるみたいだぞ」とニュース
を広めてくれ、嬉しいことに急遽、歓迎会をという段になった。
音頭を取ってくれたのは我が友シマを中心の女子たちだ。

そのシマがメールで言う。「サプライズがあるよ」
会場は何かのときに必ず同窓生が集まるという行きつけのスナック「あすな
ろ」だ。同窓生の一人が経営している。


小雨が降ったり止んだりのその日の夕方、わたしはポルトガルから持って
きたワインのVinho Verde「Alvalinho」を手にタコ君とシマと連れ立って
「あすなろ」へ。嬉しいことに恩師清水先生もおいでになり、一人二人と知
った顔が集まっておしゃべり飲み会は始まった。

清水先生、タコ君、シマを始め数人の同窓生たちとは卒業後初めてわたしが
わたしが出席した2004年の一期会同窓会で39年ぶりに再会している。


少し遅れて「あすなろ」のドアを開けて入ってきた男子(こう呼びたいw)、
近づくなりわたしに「俺を覚えてる?」。一瞬名前が出てこなかったが、
あ、小○君!

「次回ソデが来るときは是非連絡してくれ」と言っていたので声をかけたの
だとシマが言う。ふむふむ、これがサプライズだったのか^^
高校卒業以来の再会だ。

小○君とは色々懐かしい思い出がある。よく議論を闘わしたし、わたしは彼
から当時の恋人の相談を受けたりして時々彼の家を訪ねることもあった。
結局恋人は他に嫁ぎ彼と結ばれることはなかったが(小○君、もうバラシて
もいいよね?)

校内の文化祭では二人が中心になり喉自慢なるプログラムも作ってみた。
彼はトランペットができたのである。わたしはウクレレ、ビブラフォーンを
担当しそれにギターを加えての即席バンドを結成し、今からすればなんとも
不可思議なバンドではあった^^;
このバンド結成とプログラムを進める上でわたしたちの意見が合わず大いに
やりあったことを覚えている。

飲みながら食べながら、「二人で歌ったのを覚えてるか?」と小○君が言う。
「お前が歌詞を教えてくれてYou are my sunshineを歌ったんだぜ」
それを今でも覚えてる、歌えるぞ」騒がしいおしゃべりの中、二人でその歌
をハモってみた。

♪You are my sunshine, my only sunshine
You make me happy when skies are blue

学生時代の音楽ではいつもそうであったように、わたしはそのときも低音部
を歌っていたような気がする。歓迎会で市議員の顔を捨てた小○君と47年
ぶりにハミングするYou are my sunshineはお互い声の張りもすっかりな
くなったが懐かしい学生時代に我らを帰らせた一瞬ではあった。

10人ほども集まってくれた歓迎会がそろそろ興に入ろうかと言うころに、
「あすなろ」のドアがスーッと開き雨傘をたたんで入ってきた御仁に目を向
けた。その瞬間、「あっ!」と声にこそ出さなかったが内心はまさにそれで
あり、わたしは目を見張った。
弘前
弘前

痩せもせず太りもせず昔とたがわぬ姿のK君が「こんばんは」とメンバーの
中に入ってきた。これがシマの言ったサプライズだったのだ。


し、しかし、どうして彼ら、知ってるのだ?
何をかと言うと、半世紀も昔の古い話だからもう子供達にぶっちゃけても
よかろう。我ら、周囲に気づかれないよう密かに付き合っていたのであった。
付き合うといってもせいぜい当時は学校で禁じられていた喫茶店でお茶を飲
んだり、手紙の交換である。少し言い合いをしたこともある。

弘前
弘前

卒業後、北海道の大学に進学したK君と東京から大阪へ移動したわたしは、
しばらくして音信不通、自ずとそれぞれの道を歩むことに相成り、以後一
度も人生で交差することはなかった。

それで、彼ら、どうして知ってるのだ?なのである。
「なに言ってるのよ。知らぬは本人ばかりなり。みんな周囲は知ってたさ」
あららら、よくある話ではないか、と他人事のよう^^;

お久しぶり。とお互いに挨拶。
なんじゃいな、この挨拶は(笑)もう少し気の利いた挨拶の仕方はなかった
ものかと後で思ったのだが、懐かしい思いとは裏腹に、歓迎会に集まった
メンバーたちの中ではついつい遠慮も出てしまい、47年ぶりの再会だと言
うのに、小○君との様にワイワイとは行かず、なんというぎこちなさ。
却ってサプライズを用意してくれたシマには「悪かったかな」などといわれ
る始末であった。

いや、悪くはなかったよ、シマ。嬉しかったです。ただ気持ちの準備ができ
とらんかったのだ・・・^^;
だからこそサプライズなんだけどね。それにズルイよ。K君はわたしの歓迎会
と知ってきたのではないかいな?と愚痴るも後の祭り。

弘前
右端のおどけているのがタコ君。その隣の白いシャツが小○君。前列左から
二人目が恩師。K君はこの中にいないのであ~る。なんとならば、これを撮影
したからwみんな、写真、まずかったらすぐ連絡されるべし。即モザイクをかけ
るから。


後日、この日のことを振り返ってみると、自分のウブさがちょっとおかし
かったものだ。「やぁやぁ、お久しぶり!おげんこ?」くらいにK君に言って
やっても良かったのだ。

その後、小難しい文章をよく書いていた、理解するのが難しかったぞとK君
を含め男子数人の酒の肴にされたが、群れの中に簡単に入らなかった高校時
代のわたしを、今こうして同窓生の一員として今迎えてくれる彼らに感謝し
たい。

同窓会というのは面白い。忘れかけていた、もしくは忘れてしまっていた遠
い昔のエピソードが、同窓生の口からポロリポロリとこぼれる。
「お前が家出をするっていうから、俺と○○と二人で夜ラーメンのさしいれに
お前んちへ行ったのを覚えてるか?」と突然タコ君。

うげ!そんなことあったっけ?家出はしたが、差し入れのラーメンはさっぱ
り覚えていない^^; わたしの記憶もいい加減なものである。

別れ際、「もうこれで、死ぬまで会えないかもしれないね」と小○君。
おいおい、それはなしで行きましょう。また、来ます。また会います。
「お元気で」とK君と握手。また来ます。また会います。

6月には一期生が65歳の修学旅行を企画していると聞いていた。学生時代
のように雑魚寝で行くのだそうだ。みんな、行って来たの?様子が目に浮か
ぶようです。

シマ、報告を待っとるぞよ。

39年ぶりの同窓会エピソードはこちら → 「思い出のグリーングラス

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2013年7月9日 

先週土曜日は珍しく夫と二人、外で夕食をした。

わたしたちが行くのはたいてい幾つかある行きつけのレストランなのだが、
今回はわたしの提案で、旧市街、クレリゴス塔のすぐ側につい先ごろできた、
実は既に自分が雑誌の取材を済ませているポルトの新しいスポット,
「Passeio dos Clerigos」にあるレストランでの夕食だ。

「クレリゴス散歩道」とでも訳せるだろうか。しかし、散歩道と言えるほど
の長さではなく、スーッと歩いたらすぐ終わりである。

costacaffee
夜のクレリゴス塔。派手なライトアップではなくて、うっすらと灯りが灯っているのが
旧市街にぴったりだと思った。下は日中のクレリゴス散歩道。

costacaffee

ご覧のように、旧市街には少し不似合いな斬新な建築デザインで、雨天の日
にも雨にあたることなく歩けそうだ。

このクレリゴス散歩道はPraca de Lisboaと呼ばれる広場にあり、長年閉
鎖され立ち入り禁止となっていたのだが都市開発の一環として3年をかけて
再建設され、装いも新たにオープンしたのである。

ショッピングセンターではちょっと見かけない新しいブランドブティックも
数軒入っており飲食店としては2軒がオープンした。そのひとつが、スター
バックスに次ぐコーヒーハウスチェーン店「Costa Coffee」だ。
costacaffee

Costa CoffeeってSpacesisさんとこの?って、うちが苗字のひとつに
Costaを持つからってご冗談でしょうw

このCosta Coffeeの発祥地はなんと国民ひとりあたりが一日に5、6杯の
紅茶を飲むと言われる紅茶王国、イギリスである。店名からも分かるように、
イタリア出身のコスタ兄弟が1971年にイタリア式エスプレッソコーヒー
を中心にロンドンに第一店をオープンし、2010年には英国に於けるスタ
ーバックスを抜き、現在では世界29カ国に450のチェーン店を構えると
言われる。

コスタ・カフェはポルトガル国内の空港では既に見かけるが街中への進出は
クレリゴス散歩道が第一店になるのだそうだ。ポルトガルもコーヒーと言え
ばどこのカフェでも出されるのはエスプレッソだが、元はといえばイタリア
から来たのが始まりだと言われる。
costacaffee

その辺のコーヒー薀蓄(うんちく)については後記記事でご案内するとして、
数年前にリスボンにポルトガル初のスターバックスがオープンした折に、日
本のスターバックスで既にエスプレッソを試飲済みでがっかりしたわたしは、
果たして味の分かるポルトガル人の中に定着するだろうかと疑ったものだが、
紅茶好きのイギリス人の中で勢いをなしているCosta Coffee同様、リスボ
ンのスターバックスは去年覗いたときに満席だった。それなりに若い人たち
の間で人気が定着しつつあるのだろう。

さて、もうひとつ、このPraca de Lisboa(プラサ・デ・リスボア=リス
ボン広場)の面白い建築構造を紹介したい。

広場は、三十建築構造になっており、下の写真のように上部が公園、地上が
散歩道、
costacaffee

そして、地下が駐車場になっている。つまり、散歩道の上に公園が乗ってい
るというちょっと面白い構造ではある。↓
costacaffee

訪れたレストランについては、またの機会に。

ポルトガルのコーヒー薀蓄(うんちく)のエッセイはこちら
また、スタバのロゴマークについてのspacesisおもしろ視点エッセイはこちら
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2013年7月5日 
 
この数日の強烈な暑さに飼い猫たちも伸びきっています。

gato
カメラを向けると「なんでぃ・・・」とでも言いたげな、最近登場率が多い
ペト君w

gato

こちらは一応目を開けてくれましたが、さもめんどくさそうなゴロー。

今日の午後は37度を記録しました。熱気と目がくらむような強い日差しを
避けるために朝から窓もブラインドも全部締め切って屋内を薄暗くしていま
す。これでなんとか酷暑が遮断できるのは日本のように湿度が高くないから
です。

誰やねん、今年のポルトガルの夏は200年振りの冷夏だなんて言ったんは

さてと、毎日仕事に追われていると、ふ~っとサボりたくなることが間々あ
ります。それから離れて別のことに頭を泳がせたくなるわけです。わがペン
友、いやメル友から先ごろ「貪欲に働くでない、体を壊すぞ」との警告をい
ただいたこともあり、国際親善協会とポルト市共催のJapan Week2010
年ポルトで共に仕事をしたかつて市の国際課にいた若いM嬢を昼食に誘って
久しぶりにおしゃべりしてきました。

M嬢は息子の知り合いでもあり、現在は市庁舎を離れてポルト大学経済学部で
仕事をしているとのこと、あの1年間、目まぐるしいほど忙しいかったけれど
も無事成功に持ち込むことができた3年前のJapan Weekの懐かしい思い出
話に花を咲かせ、秋には日本語教室の同僚Oちゃんと市庁舎のI嬢の4人のか
つてのJapan Weekスタッフで会おうとなったのでした。

Japan Weekを振り返ってみると、日本人のOちゃんも含めて30代のこんな
若い人たち3人と体力を張り合って、し遂げたポルト初の日本文化大イベン
トでした。我ながら、ようもまぁ投げ出さずにし遂げられたものだとあの年
を思い出します。Japan Weekについては最後でサイトをご案内。

昼食後、M嬢は再び大学の職場へ引き返し、わたしは久しぶりに旧市街を歩
いてきました。そして、おっとまぁ、こんなのに出くわし申したw

alien

うははは、公道にあかんやないのぉと思いながらもあまりのデキに思わず
「差し込んでる光具合も丁度よく折り合ってうまいこと描いてるなぁ。いや、
初めまして。どうもどうも」と挨拶しデジカメでパチリ。

ポルト市は目下、街中の落書き一掃に取り組んでいるのですが、実際のとこ
ろいたちごっごです。
確かに街の景観を損なうのはいけないと思う反面、ユーモアがあるのは少し
くらいいいかもよ、なんて思うわたしです^^;

いっそのこと、こういう落書きをする人たちに集まってもらってブルッセル
のように、街の中にアートの一部として取り入れてしまってはどうなのかと
も思いますうのですが、いかがか。(ブルッセル記事はこちら

両者ともこの不景気なポルトガルで、落書き清掃に費やす費用を考えて欲し
い。それとも、清掃も人を雇用することになるからいいのかな?

rakugaki
こんなところにこんなのを仕掛けていくのもいます。危ないんだがなぁ。

「Japan Week2010ポルト」はこちら

では、また明日。
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2013年7月3日 

6月に紹介しましたが、写真ではなくて自分の目で見てみたいと長年望んで
きたプレラーダ園の小さなお城こと塔は、期待を裏切らない美しさでした。
さて、それに続き今回は池にある塔の入り口から丁度延長線上にある石像に
ついてです。

今日のエントリーはみなさんに披露するというより、思考錯誤するわたし自
身のメモです。ちょっとなぁ、という方はどうぞスルーをば。

塔と併せてこの石像はプレラーダ園のなんたるかを分かる人にのみ示してい
るのです。池の周りを歩きながら通り過ぎていく夫を前にして何か無いかと
デジカメ片手にキョロキョロと周囲を見回していると、目に入ったのが正に
探していた石像の「後ろ姿」でした。
prelada


この像は塔に正面を向けているのではなくて、前方400mほど向こうの
プレラーダ邸に向いています。訪れていた殆どの人は、わたしが見た限り、
この我が憧れの石像に注意を払う人は誰もいませんでした。

これだこれだ!と石像の前に回ろうとすると、なんと黄色い柵が遮っていま
す。困ったぞ、と思ったのは一瞬のこと、申し訳ないが躊躇することなく石
段を降りて柵の横隙間から「ご免あそばせ」と通り抜け真正面に立ちカメラ
を向けました。

開園とは言うものの疑ってかかったわたしは入りしなに「これからはずっと
開いていているのか」と警備員に聞いたのです。その返事や、「開いてい
るかもしれないし、いないかもしれない。まだ分からんのだ」
・・・なんだそりゃ^^;

この機会を逸せばまたもや何年も待たされるやも知れない。通常は鈍いわた
しですが、「この機を逃してなるものか」との思いが咄嗟に思考回路を巡ら
し、「ご免あそばせ」となったのです。

なかなかやってこないわたしを気にしてか、引き返してきた夫、「な、なに
してるんだ?」^^;

石像の正面に立つには石段を降りることになるので、池の周りを歩いて
いる人にはわたしの姿は見えないわけで、夫に「あっち行け~」と手でジ
ェスチャー、そして撮ったのが下の画像です。
prelada

石像全体のシンボルは、下から帆立貝、亀、亀を支える二人の翼を持つ天
使、亀の上にある台座のようなもの、そしてトップの乙女像が立つ異様な生
き物。

帆立貝、亀はいずれも錬金術、秘儀思想のシンボルでもあります。亀は太古
からの生物で宇宙を表すとして、当ブログでかつて案内したシントラのレガ
レイラ邸でも見られます。
何度か行って探し当てたレガレイラ邸の亀!レガレイラ邸の主億万長者モン
テイロ氏は邸の屋上に実験室を設置していたのではある。↓
prelada

石像の上部を少し拡大してみました。
prelada

この石像についてネットで検索してもほとんどヒットしなかったのだが一箇
所、イルカに乗るオーロラだと言うのに突き当たった。しかし既存のイルカ
に比べ、顔のなんとアジア的なこと!この顔は東洋では獅子、つまりライオ
ンになると思う。

単なるドルフィンというのでは納得できず随分あちこち調査した結果、これ
は胴体がイルカ、羽を持ち頭部は時にライオンだったり、馬だったりする
Sea Griffinと呼ばれる海の怪獣だと判明。頭部の横についているエラの
ようなものは翼を表すのかも知れないと勝手に解釈してみる。

prelada
Wikiより。イギリス、サセックスのFishbourne 宮殿にあるモザイク。

さて、こうして探っているうちに、どうもどこかで見かけたような気がして
いたのだが、あっ!と思い出した。これとそっくりのをフレイシュ宮殿で見
たのである。
prelada
写真はフレイシュ宮殿修繕以前。現在は修繕されてポザーダ(お城、宮殿な
どの歴史的な建物を高級宿泊施設にしたもの)になっているが、画像は修繕
以前のもの。

prelada
これとてもズームアップしないと分からないシンボルではある。

いかが?こうして見るとエラに見えるのはやはり羽であろう。ナゾニはこの
東洋的なライオンの顔をどこで知ったのだろうか。フレイシュ宮殿につては
先ごろ新たな発見をしたので、近々再度、取り上げてみるつもりです。

イルカは「王の魚」と言われ王冠をかぶっているのは頷けるが、「王」とは
一体誰なのか?はたまた女王なのか?

オーロラはローマ神話での名前でギリシャ神話ではエーオースとなり天国の
扉を開けて夜明けを告げる女神。翼とばら色の指を持ち「時と知性」のシン
ボルだと言う。

しかし、イルカやSea Hourseに乗るのはギリシャ神話に登場するネレイデ
だ。ネレイデはエーゲ海底の銀の洞穴にすむ海の女神で、イルカに乗って移
動する。この乙女像がオーロラだとすると翼がないし、オーロラはイルカに
は乗らないのだ。よってネレイデではないか、がわたしの意見だが、ネレイ
デでは錬金術との関連が今のところ出てこないのである。
prelada

また乙女像の左手はイルカの尾に触れているが、右手に何か持っているのか
どうか、持っているとすればそれは何なのかが判明できない。というので、
この乙女像については壁に突き当たってしまった。

しかし、である、ちょっと面白いことを考えてみた。

イルカをイエス・キリストのシンボル「イクトゥス」↓だと想定するとイル
カの上に立つのは紛れもなく、イエスの第一弟子マグダラのマリアだと考え
られるのだがどうだろうか。
prelada

ローマカトリックの礎は天国の鍵をイエスから授かったと言われる聖ペドロ
だが、ペドロは女性蔑視思想を持っていたとも言われ、マグダラのマリアを
敵対視していたと伝える書物もある。イエスの死後、弟子達の間でふたつの
勢力争いがあり、マグダラは敗れてフランスに逃れたという説はなりたつの
ではないか。

さて、この石像が持つもうひとつの錬金術のシンボルについて。
prelada

ここでは台座のようになっているが、ナゾニの多くの建築物でこれを見かけ
る。下はプレラーダ邸を囲む、半分崩れかけた外壁である。右手に石灯籠の
ように見えるのがその類だ。壁の中央には大きな帆立貝のシンボルも見える。

prelada

上載、フレイシュ宮殿のイルカの写真右にも見られる。長い間わたしはこれ
をソロモン宮殿を表すと想像してきたのだが、つい先ごろ読んだ小難しい本
にパリのノートルダム大聖堂に彫られた多くの寓意図像が錬金術、秘儀の作
業を表しているとして取り上げられている。

prelada prelada
左:パリ、ノートルダム大聖堂、産後の審判の入り口に見られる。「錬金炉を
外界の影響から守る守る錬金術師」とある。右:同じくノートルダム大聖堂、
救世主の入り口。「哲学的煮沸」と説明がある。

写真の中に見られる炉は多少形こそ違え、わたしがソロモン宮殿だと思ってき
た形に実に似ているではないか。ひょっとして、マグダラの塔も錬金炉か?と
ふと頭をかすめた。

イエスが不思議な術を使い、多くの魚を呼び寄せたり突如としてたくさんの
貧しい人々のためにたくさんのパンを用意し配ることができたとは、聖書に
書かれてある有名なエピソードである。イエスが秘儀を使うことができる人
だということを表している。

ここでわたしは大胆な想像をしてみた。マグダラのマリアはペドロのライバ
ルであり、優れた女性秘術師、錬金術師であったのか?

このような仮説を立てると、ライバルに敗れたマリアが本来の姿を隠し、フ
ランスの地に逃れ、後の世の秘儀参入者の間でローマカトリック勢力の異端
迫害から逃れるために極秘裏にその思想と術が、その道の人のみが分かる
種々のシンボルで秘儀内容が伝えられてきたということが言えはしまいか。

ローマカトリック教が絶大なる力を持ち、キリスト教以外は物にもあらず
と世界への布教が勧められたヨーロッパ中世の時代にいた異端思想の人々に
とり、発覚は即、死につながる時代ではあった。

日本も含め、現代の欧米社会は発言、表現、行動が思うようにできる自由社
会だ。が、現代もなお、世界にはその自由を束縛する宗教がある。そんな社
会で、異なった思想を持つ人も必ずやいるものと思われるのだが、彼らはど
のような形で、自分達の思想を発信しているのだろうかと考えると興味深い。

歴史シンボルの謎解きは人類の真実の歴史を紐解くことだとわたしは思う。
レオナルド・ダヴィンチ、ラファエロ然り、先に拙ブログで取り上げたシン
ボルを書き込むことでバチカン法王に大いに抵抗を試みたミケランジェロ然り。

また、マグダラのマリアを娼婦であると書いてきた聖書のくだりも、その真実
性がどうも本当ではないと研究により少しずつ判明してきている。

なんにせよ、既存する歴史を与えられるまま鵜呑みにすることは危険なので
ある。

最後に、下図はプレラーダ園の地図だが、赤丸が塔、そこからまっすぐ下に
延びる直線は石像を通過し、
prelada
400メートル向こうにあるプレラーダ邸のラビリントスにつながるのを発見した。
prelada
画像はWikiより。

乙女像の謎解きはまだ釈然としないが、引き続き時間をみては探ってみる
つもりだが、造園、建築をしたナゾニ、そして建築依頼主も秘儀思想主義
の人であろう。

案の定、プレラーダ邸の開園はわたしたちが訪れたその日一日で再度閉園
となった。

ポルトガルの高級宿泊施設ポザーダはこちら

最後まで勝手推察にお付き合いいただき、ありがとうございました。
それでは、また明日。
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