2013年9月22日  

初めて飛行機に乗りわたしが外国へ行ったのは1975年、今から38年も
遡る6月に入る頃だった。男女合わせて7名ほどのグループで、銀行から借
金をしての一ヶ月のホームステイ英語研修だ。行き先はイギリスのケンブリ
ッジであった。

ケンブリッジ
Kings Collegeのキャンパスで同クラスのスイス女性ブリジットと

高校を卒業して以来、好きで英語を独学で勉強していたわたしは、当時話
題になった中津燎子氏が英語の発音体験を書いた「なんで英語やるの?」
の本を読み、それにいたく感心し自分の発音も少し改善できたらいいなと
密かにその本に書かれてあることを参考に、鏡を見て唇の形を作ってみたり
して発音練習を一人でしていたものだ。
ケンブリッジ
ケンブリッジ市のマーケットで

現代だったらYoutube等で生の英語を聞いて学習もできるが38年も昔の
ことだ。やがて本場の英語を耳にしてみたいという願望に変わり、勤務し
ていた会社の支店長と東京本社の上司に一ヶ月無給でいいと直談判し、会
社の寛大な懐と留守中我が仕事を引き受けるという同僚の協力を得ての英
研修だった。一ヶ月もの休職をしたのは、後にも先にも恐らくわたしだけ
であろうと思う。

ケンブリッジでわたしは「LとRの発音がおかしかったら訂正して欲しい」
とホームステイ先のイギリス人夫妻に念入りにお願いしたのだが、これが
実にやっかいなことになったのである。

日常、夫妻と会話をするごとに厳しく直され、わたしは何度も何度も発音
し直さなければならず、会話はしょっちゅう途中でとぎれる羽目になった。
もちろん、大して会話ができるわけではなかったが、それでも会話どころ
じゃあれへんで・・・

L、Rだけではない。わたしは専門に勉強したこともないのを承知で素人
意見を書くのだが、英語もポルトガル語も音を発声するときの口の形、口
内の舌の位置の関係で大いに違う。

よく違いとしてとりあげられる言われるFとVがあるが、これはなんとか
なった。が、簡単だと思われるch、sh、jだってtだって意識してみれ
ばなかなかに発音が厄介なことに気がつく。うっかりすると、つい日本語
式の発音になってしまいがちだ。と、偉そうに書いてみる^^;

L、R同様、Jの発音を昔、ポルトガルでしこたま訓練されたことがある。
古い我が日本語生徒の奥方であったが、わたしが日本語を教え、彼女がわ
たしのポルトガル語の発音を指導するという、言わば国際交流である。

彼女からOKが出るまで口の形、舌の位置をああでもないこうでもないと、
まるで壊れた蓄音機の如き。映画My Fair Ladyの1シーンを彷彿させる
一時期であった。

今日なぜこんなことを書いているかと言うと、ここからが本題だ。

しばらく前から気になっているテレビコーマーシャルがある↓


ポルトガルのインターネットプロバイダのひとつ、ZONの宣伝だ。
先だって偶然、テレビから日本語が聞こえてきたので「お?」と思い見た。
コマーシャルの内容そのものは別に大きな問題はない。その宣伝のタイト
ルがちょっとなのである。

008.jpg

「APOVADO」と書かれてあるが正しくは「APOVADO」で、
「承認済、許可済」とでも訳そうか。これはLとRの発音がきちんとでき
ない日本人を揶揄したものだ。あんまり嬉しくないわね、と一瞬思うと同
時に待てよ?

日本語の「らりるれろ」はRに近い発音だから正しい方の「APOVADO」
は何となくできるはずだ。わたしたちにとって難しいのはLなのだからこ
の揶揄はおかしいだろ!と、早速罪の無い夫に息巻いた。

ポルトガル人もHの発音ができないぞ。hana(花)が ana(穴)だ。
鼻濁音の「がぎぐげご」もできないぞ~と、大人気なくちょっとリベンジ
してみる。

話して行くうちに、わたしは中国語を知らないので確かなことではないが、
これは中国語の発音を揶揄しているのか? 中国人のRをLと発音する揶
揄はポルトガルでは昔からよくあったと夫は言う。だとすれば日本語も中
国語も混同したコピーライターは全く不勉強である。

わたしはこの宣伝が中国語を揶揄したのならいいというのではない。
先日の記事にとりあげた東京オリンピック決定に因んでフランスの某誌が
揶揄したFukushimaに関するイラスト
でも見られたことだが、こういう手
のものはユーモアの資質に欠けていると思う。

あの時、ユーモアの概念、ユーモアの意味を調べてみたのだが、こうある。

①相手の立場を思いやり、自分と相手を対等の階梯に置いて接する人にしか、
 ユーモアのセンスは持てないと言われる。

②人の行為、かかわりについての深い洞察や世知の豊かさが、上品でセンス
 のあるユーモアを生み出すことが多い。知的な要素が強い場合は機知と
 呼び得る。

③わたしが持つ日本語辞書には、
「上品なおかしみやしゃれ。知的なウィット、意思的な風刺にたいして
 ゆとりや寛大さを伴うもの。諧謔(かいぎゃく)=気の利いた冗談」

ブラックユーモアを解せないのかとの言葉をもらうかもしれない。そうい
うことをするなとは言わない。内輪同士、分かるも物同士の間で笑っている
間はまぁ、それもよかろう。だが、今回のZON、フランスのFukushima揶
揄ともに公に出されるものにはユーモアの対象者に対する偏見が伺われる。
表現の自由、発言の自由と叫ばれる現代だが、果たしてそれでいいのかと
わたしは問うのだ。

他宗教、他国に因んだユーモアには十分な教養と配慮が必要だと思う。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年9月17日

さて、翌日向かった高さ500mに位置するシスト(片岩)の村Talasnal、
これが大変でした。山道は狭く凸凹道で車の速度をグーンと落とし牛歩の
如し。勿論公共交通機関は全く通っていません。対向車がきたらどうやっ
てすれ違うのだろうかとの不安とともに、まぁ、座席が上下左右に揺れる
こと30分。そうして到着したTalasnalは人気もなし。

Talasnal
山道横の長い坂道が村の入り口

Talasnal
途中から坂道が階段に変わる。下から撮影。

Talasnal
「フィリパおばさんのちっちゃな店」と書いた看板。しかし閉まっていた。
この店は本当に営業しているのだろうかと思われるほど、時折黒猫が真昼の
静寂な時間を横切るかのように姿を表しては消え(もしかしてわたしたちの
後をついてきていたのかも知れません)、人影が見当たらない村でした。
が、所々、戸の向こうにはカーテンが見られ花が咲いているのは人が住んで
いるという証拠です。
Talasnal

村の家々のほとんどは無人になっており、見捨てられた村とも言えないこと
もない。中には少し手をいれた家屋もありましたが、恐らく町へ出た人が夏
の休暇滞在用にしているのでしょう。この村まで食料を運んで来るのも車で
往復1時間くらいはかかるので大変な様子が伺われます。

Talasnalは、「天国への門」と銘打って2010年に新聞記事に取り上げ
られたことがあり、わたしたちのようなその存在を知っている旅行者やハイ
カーたちが夏場のみ訪れるようになったのはごく最近のことです。
talasnal9-1.png

町の喧騒を逃れ、こんな古村で山の空気を吸い夜空の星を仰ぎながら一週
間でも過ごすのは悪い案ではないですね。ただし、衛生面が気になる人に
はあまり向かないかも知れません。

実はこんな人気のない村に一軒レストランがあるのです。村の入り口である
坂道を少しくだったところのレストラン「Ti Lena」(レーナおばさん)。
金、土、日のみ開店して必ず予約が要ります。
Talasnal

夫がここで昼食をどうかと提案したのですが、こと食べ物に関して神経質
なわたしは、写真に街灯が見られるので電気は通っていますが、果たして
この村に水道はあるのか?と衛生面が少し心配で、実は同意しなかったの
でありました^^;

もうひとつ、今回の旅行中、わたしは暑さでまいっており、体調もいまい
ち良くなかったこともあります。何しろ前記事の小宮殿ホテルの撮影もわ
たしとしては珍しく全くしなかったと言うくらい、この二日間は普段の冒
険心がどこへ行ったやらの感でした。帰宅してからこの旅行の整理にあた
り、そのレストランを検索してみると、内部はなかなか面白そうでした↓
talasnal10.jpg
この画像はWikiから。

むむ、残念ではあったぞ。もう一度訪れるにはしんどい場所でもあり、中を
見るだけでもと入ればすればよかったと後悔しています。

そうこうして村を半時間ほど見歩きしているうちに、山道の反対方向からや
ってきたハイカーとマウンテンバイカー数人が村に入って来ました。
今回周った古村の周辺は3、4時間のウォーキングコースとしても知られて
います。

こうしてもと来た凸凹の山道を再び通って岐路に着いた我ら、お掃除のベ
ルミラおばさんに3食の世話をお願いしてきた5匹ネコたちの待つ我がへ
一目散。3時間の道のりを走りましたとさ。

本日も拙ブログを読んでいただきありがとうございます。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年9月14日 

mapa2.jpg

今夏のポルトガル古村巡りは最後がエストレラ山脈(Serra da Estrela)
をくだったローザン山脈(Serra de Lousa)にあるTalasnalです。
Talasnalへはローザンの小さな町から上ったのですが、古村の前に宿泊し
たパラシオホテル(Palacio Hotel da Lousa)、かつての小宮殿を修
繕したホテルの内部が素晴らしかったので今日はそれを紹介します。

下がホテルのファシャーダ(Fachada)こと、表玄関です。
lousa3.jpg

入り口を入ると目の前に各部屋に続く大理石の階段があります。
lousa7.jpg

ホテル内はかつての宮殿の各部屋を再現してくつろぎスペースやレストラン
として使われています。

lousa5.jpg
レストラン

lousa8.jpg

lousa6.jpg

そして18世紀に建築された重厚な表玄関と対照的にモダンな裏から見たホ
テルです。↓
lousan4.jpg

パラシオホテルは結婚式等のイベントにもよく利用されるそうです。
今回のホテルの画像ですが、暑さのせいかはたまた歳か、うっかり撮影し
忘れてしまい、全て借り物になりました^^;

明日は旅行最後に訪れた山間の村Talasnalです。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年9月13日

2018年韓国平昌オリンピックの公式サイトへ出かけてみてびっくりした。

kankoku1.jpg

日本はどこに?韓国が完全に覆い被さったこの画像はなんともはや@@
公式サイトでここまでやるか!と変に感心してしまいました。だめだこりゃ。

と思っていたら、今度はフランスでこんなイラストが載せられた記事が。

cabu cartoon

日本大使館を通じて政府が抗議したそうですが、「このようなフランスの
ユーモアは、日本人の好みには全く合わないようだ」と件のエクスプレス
社は開き直ってます。そんなユーモアが好みでなくて日本人は幸いである。
こんなのはいただけない。このイラストを見て日本人に対する偏見がない
なんて言われても信じられません。こんな風にして日本はこれからもなん
だかんだといじめられていくのかと思うと腹が立ってきます。
母国よ、負けるな、がんばれ!

と、本日はこんなエントリーになりましたが、近況を報告したい。

3週間前に再開したポルトガル語レッスンから帰宅してフラットのドアを
開けると、あら、涼しいではないの?
今日のポルトは気温があがり、夕方5時過ぎでもまだ28度くらいで、
ワーッと夕食にとりかかるのはあっついなぁと思いながら開けたドアで
す。リビングではこの時間にしては珍しく夫が在宅、アームチェアに腰
掛けてテレビなど見ています。

涼しいのもそのはず、これでございます。
aircon1.jpg

そうなんです。この夏、と言ってもつい先週の夏も終わるかという頃にな
ってやっと、リビングと寝室にエアコンを入れてもらえたというわけです。
aircon2.jpg

この夏のわたしの腕の蕁麻疹はひどかった。
外出時はもちろん太陽光線から腕を守るために長袖を着るのですが、今年
は家の中にいても、そしてこれまでになかった就寝中でさえも熱帯夜には
突然の蕁麻疹で目を覚ますことが何度かあり悩まされました。

これは虫だとか食べ物だとかじゃなくて、熱中症の一部だと思うよ。これ
から年々齢を重ねていくわけで、暑さに弱いわたしはそれだけでまいっち
ゃうってこともありますよ、旦那さん。と、夫を少々脅して^^;ついに
ゲットしたエアコンです。実はこれもスムースに運んだわけではありません。

2年前に修繕したはずの水道管が再び階下に水漏れを起こし、壁を壊して
の穴あけ、床のタイルをこわして、そこでなければ今度はこちら、鬼さん、
こちらじゃあるまいし、もうその破壊作業は本当にうんざり。

床や壁に埋め込んでるからだめなのよ!え~い、いっそのこと水道管を全
部外壁にめぐらしたらどうよ?と夫と決心したのが夏休み前。何事の修理
も頼んですぐに来ないのがポルトガルであります。辛抱強く待つこと数週
間。やっと来て水道配管工事が始まったのは実はつい先週の月曜日、夏休
みの最後の週でした。

そのまるまる一週間、外へ出るにも出られず、壁を壊したり水道管を切っ
たりすることで出るホコリホコリホコリ・・・・・夫と二人で毎夕工事が
終わってから箒とモップで掃除すること1時間あまり、さすがくたびれま
した。

食料保存庫の壁内になる管から新たな水道管を、台所、入り口ホールに
ある客用トイレ&小さなシャワールーム、家族用トイレ兼浴室へと引くわ
けで、プランを聞いたときは、気が遠くなりそうでした。そうして一週間
後に出来上がった配管の様子が下です。
suidou1.jpg

台所、トイレはそのまま水道管が見えますが、入るときは見えねども、リ
ビングを出ると即、目に入るホールの入り口ドアの上の水道管、これはな
んぼなんでもカッコ悪いよ、というので、ご覧のようにカバーしていただ
きました。トイレはこうなっちゃったんですよね^^;
suido2.jpg

ボイラー室にいる気がしないでもないが、ま、慣れたら気にならないかもw

この工事の最後の日に取り付けられたのがエアコンなのですが、工事の人
が帰った後、早速夕食時に試しにとつけてみると涼しくならないのであ~
る。や、やっぱりポルトガルだ・・・と言いたくはないが思ったものであ
ります^^;

結局本日、もう一度エアコン確認に来てもらいやっとこさ機能が正常に働い
たというわけです。

さて、快適快適と喜んで、うっかり風邪等ひかないように気をつけなくては。
それではみなさま、次回はポルトガル古村の最終回です。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:フランス
ジャンル:海外情報
2013年9月11日

2013-Sept-1.jpg
我が家から見えた昨日の夕空

今日はポルトガルの秘境、最終回を後回しにして。

ネットやフェイスブックを見ていると、2020年のオリンピック会場に
東京が選ばれたことに疑問を呈する人が結構いるのが目につきます。理由
の多くは「福島、原発問題があるのに」なのですが、その問題を踏まえて
もわたしは東京でのオリンピック開催決定は喜ばしいと思っています。

日本が今抱える原発問題は多額の国家予算をつぎ込んでも、今現在世界に
ある最良の技術を用いても、数年では解決できないはずです。わたしたち
人間は、いざ問題が起こったときにすぐに解決策を提示できないもの、ひと
つ間違えば悪魔の炉と化するものに手を出してしまったのです。

原子炉が吐き出してきたゴミの処理さえ人間はまだ正確にできていないの
です。原発事故の問題を解決するには、果てしも無い科学者技術者たちの
努力と研究を待つしかないのではないかと推測しています。

原発問題は今の技術でできるだけのことをしていく、先への大きな不安は
あるものの、同時にオリンピック成功というひとつの夢と目標に向かって、
我が国が持つ素晴らしい技術を活かし古くなったインフラも整備、経済も
活気をとりもどしていくのではないかしら?

オリンピック開催はまた、世界に安倍首相が発信したスピーチにより福島
の復興にも加速するような気がします。

今から50年ほど前、1964年の東京オリンピックが開催されたとき、
わたしは高校生でした。その東京オリンピックは「オリンピック景気」と
言う経済景気を日本社会に吹き込み、日本の新しい技術が発展する土台に
もなりました。


その数年前には東京タワーが、そして1964年には東海道新幹線路線が
開業しました。映画「Always三丁目の夕日」の時代です。

今の若い人たちからすると、レトロの世界でしょうが、東京タワー、東京
オリンピック、新幹線、そしてオリンピック開催数年後の大阪万博と、日
本がどんどん発展していく様を目前にするような出来事が多かった時代です。

7年後の第二回東京オリンピックは、原発で破壊かと思われた日本が、再び
建設に向かうそんな大きな機運になるような気がしないでもありません。

さて、第一回東京オリンピックが開催された1964年といえば、この年は
個人的にわたしにとってはオリンピック以上に忘れられない年です。

以下、過去エッセイですので、既にお読みになった方はスルーを。

「1964年夏・江東区の夕日」

現在の住居のフラットからすぐ目と鼻の先にわたし達一家の旧住まいがある。
当時でも既に築70年はたっているであろうと思われたボロボロの家であった。
あちこちガタが来ていて、雨季の冬には壁に結露があらわれ、娘が赤ん坊の
ころは毎朝起きてはすぐ、壁の結露を拭き取るのが日課であった。

冬は隙間風が堂々と入り我が家を訪れる日本人客はみな寒い寒いと、スト
ーブの前でお尻をあぶり、そこから動くものではなかった。しかし、家の
裏にあたる、台所からの眺めは格別であった。

当時の我が家は借家で、「Moradia=モラディア」とポルトガルで呼ばれ
る3階建ての一番上。勝手口からは一階にある庭に通ずる屋根のない石の
階段が続いており、その庭の後ろは、だだっ広いジョアキンおじさんの畑。
そして畑の向こうはフットボール場だ。試合のあるときなどは、階段の踊
り場に椅子を持ち出して観戦できるのである。
  
そこでの16年間、わたしは春にはジョアキンおじさんの一面黄色になる
菜の花畑の世界に心和み、秋にはとうもろこし畑のザワワと歌う音を楽し
み、そして真冬の夜半には、小型の天体望遠鏡を持ち出して月面のクレー
ターやかろうじてキャッチできる木星の衛生に見入ったものだ。
  
夜空の観察に文明の利器の街灯や高層マンションの明かりなどは、ただジ
ャマになるだけで、この明かりがなかったら星の観察もどんなにかいいだ
ろうと思った。

それにも増して素晴らしかったのは夕暮れ時だ。言葉を失うほどの一瞬の
美を自然が目の前に描いてくれるのである。勝手口から見える向こうの林
と、そのまた向こうに見える町に、大きな真っ赤な夕日が膨らみながら沈
んでいく様に、しばしわたしは夕げの支度を忘れ見入ってしまったものだ。

やがて群青色の空が少しずつ天空の端から暗くなり、天上に明るい星がポ
ツリポツリと灯ってくる景色は、もはや、わたしの稚拙な文章力ではとて
も表現しきれない。それを見る特等席は、実は勝手口よりもその隣にある
息子の部屋の窓なのである。
  
幾度もそうやって、わたしは夕暮れ時の贈り物を天からいただいていたの
である。どんな写真でもどんな絵画でも見ることのできない、空間をキャ
ンバスにした素晴らしい絵の一瞬であった。

わたしには、忘れ得ぬもうひとつの夕日がある。

高校3年の夏休み前、先立つものがないのは分かっていても進学を諦めき
れず、就職の話に乗ろうとしないわたしの様子を見かねた英語教師がなん
とか取り付けてくれた話に、朝日新聞奨学生夏季体験があった。

この制度の何と言っても魅力だったのは、大学入学金を貸与してくれること
である。4年間新聞専売店に住み込みし、朝夕刊を配達しながら大学に通う
ことができる。その間は少額ではあるが、月々給与も出、朝食夕食もついて
いるのだ。女子の奨学生体験は初めてだったと記憶している。

高校3年の夏、往復の旅費も支給され、初めてわたしは東京へのぼった。
東京の江東区、当時はゼロ地帯(海抜ゼロメートル)と言われた、とある
下町の新聞専売店だ。

その専売店にはすでに数人の夜間大学生や昼間大学に通う者、また中学卒
業後、住み込んで働いている者など、男子が数名いた。
二階の一つ部屋に男子はみな雑魚寝である。隣にあるもう一部屋には、賄
を切り回していた溌剌な25,6歳の、おそらく専売店の親戚であろうと
思われる女性がひとり、専用としていた。そこに一緒に寝起きすることに
なったのである。

新聞専売店の朝は早い。4時起きである。ちらしを新聞の間に挟みこむのも
仕事だ。そうしてそれが終わったあと、配達に出る。夏の早朝の仕事は、
むしろ快かった。

なにしろ初体験のしかも女子である、部数はかなり少なくしてくれたはず
だ。いったい何部ほど担いだのか、今ではもう覚えていない。
狭い路地奥の家に配達する際には、毎回イヌに吠えられ、けつまづきそう
になって走り抜け、両脇の塀に腕を打って擦り傷を何度こしらえたことで
あろう。それでも、大学に行けるという大きな可能性の前に、くじけるも
のではなかった。
 
しかし、仕事の内容は配達だけではなかったのである。
集金、これはなんとかなる。拡張、つまり勧誘です、これが、わたしには
どうにもできなかったのでした。
  
「こちらさんが新聞を取ってくれることによって、わたしは大学に行くこ
とができます。どうかお願いします」という「苦学生」を売り物にするの
だ。この売りが、わたしはできなかったのであります。

確かに自分は苦学生と呼ばれることになるのだろうけれども、それを売り
物にすることは、わたしの中で小さなプライドが立ちはだかり、その売り
をすることを許さなかったのである。

頑として、勧誘先の玄関に入ろうとしないわたしを見て、中卒後そこで働
いていてわたしの指導員をしていたHは、自分が入り一件取って来た。
「ほら、とってきた。とらないとお前の成績はあがらないぞ。成績があが
らないと、金だってちゃんともらえないのだ。お前がとったことにするか
ら、いいな。」

助け船をだしてもらいながら、情けなさとやりきれない思いとで、自分自
身がつぶれてしまいそうな午後だった。

その日の夕刊配達時は、江東区の空を真っ赤に染める夕焼けであった。
おかしなもので、それまで気にもならなかったのに、、その日は、自分と
行き交う同年代の若者達がとても眩しく目に映り、肩に担ぐ新聞はズシリ
と重くのしかかり、不意にこみ上げてくるやり場のない哀しみをわたしは
噛み砕くことができなかった。

赤銅色の、焼き尽くせない孤独を湛えた江東区の夕日。
わたしは進学を断念したのだった。
                           (2005年4月記)
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:オリンピック総合
ジャンル:ニュース
2013年9月4日 

2009年に書いた「悲恋の王妃と王」と題したブログ記事があります。
「王妃」と言う言葉はこの場合当てはまらないのですが、一応、ペドロ王
の切なる願いであろうとその思いを汲み入れてみたのでありますが^^;

今日のピオーダン番外編はこの歴史が分からないとピンとこないかと思いま
すので、少し長文になりますが過去記事を持ち出してみました。以下。


2009年2月2日

バレンタインデーの2月にちなんで、わたしとしては珍しくロマンスのお話
をひとつ。

南米コロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスの小説に
コレラの時代の愛」がある。19世紀から20世紀のコロンビアを舞台に、
ひとりの女性を51年9ヶ月と4日待ち続け、ついに思いを遂げる男の熱
愛を描いた物語で2007年に映画化もされている。
このような愛情は狂気にも近いように思うのだが、ポルトガルの王家に
もこの狂気の類のロマンスがある。
「ペドロとイネスの悲恋」として小学校のポルトガル歴史の本でも必ず記
述され、ポルトガル人なら誰しもが知っている話だ。今回はイラストと突っ
込み入りでペドロ王子とイネスの悲恋物語をご紹介。

ペドロとイネス(赤い字はわたしのツッコミです)

ポルト北部のギマラインスから興ったアフォンソ王子率いる、レオン・カ
スティーリャ(現在のスペイン上部)からのポルトカレンス独立運動を経
て、王子がポルトガルを建国し、初代王アフォンソ一世となったのは12
世紀のことです。

下の地図は、スペインと共にポルトガル初代王も活躍した、レコンキスタ
運動(註:8世紀初期にイベリア半島に侵入し占領していたイスラム教徒
からキリスト教徒による国土奪回運動のこと。この頃にテンプル騎士団が
ポルトガルに入った。)の時代のもの。
ペドロとイネス

赤丸で囲まれたのがポルトガル。12世紀のレコンキスタ運動が進められる
までは、図のようにイベリア半島の下半分はMouros(イスラム教徒)が占
領していました。

これから話すペドロ王子の時代にはイスラム教徒からの領土奪回も終わって
おり半島の下半分は赤線を境界にポルトガル、スペインとなっていました。

ポルトガル建国から2世紀後の14世紀も半ば、7代目の王アフォンソ4世
の時代。独立国とは言え、地図から分かるようにレオン・カスティーリャ王
国に隣接するポルトガルは、友好政策に心をくだかなければなりませんで
した。そこでアフォンソ4世の取り計らいで、王位後継者である息子のペド
ロ王子にカスティーリャからコンスタンス姫を迎えることになります。

ところがペドロ王子、あろうことか、コンスタンス姫にお付きで来た女官の
イネスに心を奪われてしまい、政略結婚の相手である正妻コンスタンスを
見返りません。(よくあるお話です

ペドロとイネス

イネス・デ・カストロ。金髪で澄んだ目をし、白鳥のように優雅な首を持って
いたとイネスの美しさは後世に言い伝えられている。父王アフォンソ4世は、
公務をないがしろにしてイネスにおぼれるペドロを憂慮、王子にイネスとの
関係を切るように申し伝えますが、「はい」とそれを聞き入れるペドロ王子
ではありません。

二人の不倫はやがて人々の口に上るようになり、父王はイネスを遠く離れた
castelo de Alburuqueruqueに送りますが、この距離も二人を遠ざける
ことはできませんでした。

この翌年、一子(後のフェルナンド国王)を生んですぐコンスタンスは、
23歳の若さで亡くなります。(世継ぎを残して死ぬとは、Good Job 、
コンスタンス。でも傷ましいですね

自由になったペドロは早速イネスを自分の下に呼び戻し一緒に暮らし始め、
これは大きなスキャンダルとなり、父王とペドロ王子の親子の間柄にひび
が入ります。
ペドロとイネスは3人の子供をもうけます(一人は死亡)。
                 
ペドロとイネス

愛の巣でペドロとイネス。

父王はペドロに再婚を何度か進めますが(イネスとではない)、その都度、
「妻を亡くした悲しみがまだ消えず、再婚などは今考えられない」と断り
ます。 (こういう見え透いた嘘を平気で言うかぁ~)
この頃には、カスティーリャ王国内に紛争が起こり、イネスの元にはその
兄や同派の人たちが集まるようになり、やがてペドロ王子にも思想的な
影響を与えていきます。

イネスとつながるカスティリャ王国の内紛に巻き込まれるのを慮り、また、
コンスタンスが残した正統な世継ぎであるフェルナンド小王子の暗殺が
予測され、イネスの子供たちとの間に起こるであろう家督争いも憂慮され、
宮廷では、国政の争いごとのタネになりつつあるイネスに不審不信不満
の目を向けるようになり、父王の早急な対策がとられます。(次期世継ぎ
がこれでは当然こうなりますね


国安泰のために側近の意見を聞き入れ、アフォンソ王はついにイネス殺
害の命をくだすため、ペドロが狩りに行っている間を見計らい、当時二人
が住いにしていたコインブラのサンタクララ小宮殿へ、3人の処刑実行者
を伴います。

ペドロとイネス
絵はアフォンソ王を前に、この子供たちのためにどうぞ自分を殺さないで
くれと哀願するイネス。(一瞬気持ちが揺らぐか、国王!
イネスの涙ながらの哀願に国王は3人の処刑実行者に「後はそちたちに
任せる」と言い、その場を立ち去るのですが、イネスはここで殺害されます。

伝説では、この時のイネスの流した涙が、コインブラを流れるモンデーゴ川
を溢れさせキンタ・ダス・ラグリマス=Quinta das Lagrimas(Quinta=
農園 Lagrimas=涙)の「愛の泉=Fonte dos Amors」ができ、そこの赤
い藻はイネスから流れた血でできたと言われます。

さて、物語はイネスのこの死でペドロ王子も諦めがつき、終わりかと思う
と、実はそうではないのです。この後日談がまた凄いのであります。

さても、こうなりますとペドロ王子の顔とやらを見てみたいと思うのが人情
と言うもの。写真はイネス殺害2年後に戴冠してポルトガル王8代目ドン・
ペドロ一世となった王子です。
ペドロとイネス

イネスの死を知ったペドロ王子は激怒、二度程父王への反乱を試みますが、
母后の 取り計らいで父子は和解します。(いつの世にも見られる親子の
確執です。ここで 思うのは、父王、側近ともに後継者である一人息子のペ
ドロに「王道」のなんたるかを教えこまなかったという大きな失敗ですね。
甘やかしすぎたのである(笑)

イネスと結婚するとなると、ペドロ王子が王位を継いだ暁には、イネスが王
妃となります。すると恐らく、正妻コンスタンスとの間に生まれたフェルナ
ンド小王子は暗殺され、ガリシア人=カステーィリャ人であるイネスやその
兄、更に母国から亡命していた取り巻きガリシア人たちの思惑でイネスとの
間に生まれた子供が王位を継ぎ、初代王アフォンソ一世がせっかく築いたポ
ルトガル独立国は混乱に陥り、再び隣接国に従属しなけらばならない羽目に
陥ることが目に見えています。

父王の憂慮はここにあり、イネス処刑はやむを得ない事情でもありました。
しかし、親の心、子知らず、恋は盲目で、ペドロ王子は恋の熱病に冒されて
しまったとも言えますね

王位についたペドロ一世、「実は自分はイネスと既に秘密裏に正式な結婚し
ていたのだ。よってイネスは王妃である」などど血迷いごとを言い出します。


しかし、そのような過去記録はないことから、これは愛したイネスをポルト
ガル王妃として人々の記憶に残って欲しいとのペドロの切ない願望と、もう
ひとつ、復讐心が絡んでいたのではないかしら?

現に、この後ペドロ一世王は埋葬されてある墓からイネスの遺体を掘りおこ
し、それに冠させ、ポルトガル王妃への礼節を取る様に、膝まづいて椅子に
座らせた遺体の手へのキスを家臣に要求します。(こうなるともう、悲恋も
行きすぎて、なにをかいわんや^^;とても尋常の神経とは思えません 


父王とは和解したものの、イネスを処刑した3人の騎士を王は許すことは
しませんでした。王位につくや、隣国に逃げていたそのうちの二人をすぐ
ひっつかまえ、自分の目の前で一人は胸から、もう一人は背中からその心
臓をえぐりぬいたといいます。(3人は、父王の「イネスの処分は任せる」
と任せられ、国思うゆえの行動ではあったわけで、ペドロさん、父を許さ
なければならない羽目になり、その分の憎しみがこちらの3人に向けられ
てしまったと、思われ。
)もう一人はと言うと、Diogo Lopes Pachecoと
言うのですが、運よく追手を逃れたとか、自殺に追いやられたなどと言わ
れています。

これらの所業から、ペドロ一世は「残酷王、復讐王、法の厳格王」との称
号をもらいます。さて、ペドロさん、これでもまだ気がすまない。(いっ
たいこれ以上どうしろと言うんや~

やがて訪れるであろう死に備えて、イネスと自分の棺を造らせます。この棺
が素晴らしい!ペドロさん、イネスさんには悪いけど、「悲恋」と後の世が
謳うこの物語で、唯一、わたしが「あら、いいじゃないの^^」と思う部分
です。

皆様、もうわたしの文体からお分かりでしょうが、どうもわたしは、このペ
ドロ王子もイネスも好きにはなれんのです(笑)。16世紀のポルトガルの
大詩人カモインスを始め、多くの詩人や文学者が後世の文学で取り上げてき
た宮中恋物語ではありますが、「あんたら、ちょっと勝手すぎん?」という
思いを否めないのである。

今も昔もある不倫の恋ではありますが、一国が傾くかどうかになるのでっせ。
イネスにいたっては美貌を武器にして、おとなしい女主人をいいことに、ま、
取り巻きもいたのであろうが、次期王をまんまと丸め込み。

ほんじゃ、コンスタンスさんはどないなりまんねん?少し気の利いたお方な
ら、イネス暗殺の刺客もむけましょう。コンスタンスさん、そんなこともな
さらんと、ご自分の侍女のところに入り浸りの夫の仕打ちにひたすら耐えて、
3人のお子を残しましたです。

って、あれ?ペドロさん、こっちでもしっかりやっとったんやん~(爆)

ということで突っ込みの青字が多い記事になりましてすみません^^;      
                         引用ここまで


ペドロ王子とイネスの話はこの後2回、アルコバッサの二人の石棺の話へと
続くのですが、興味のある方は後記より読んでいただくとして、さて、やっ
と本日の本題です。

上述で語られる、ペドロ王子の愛人イネス殺害に父王が送った3人の刺客の
ひとり、Diogo Lopes Pachecoについてのその後が判明しなかったのです
が、ピオーダンには、彼にまつわる話が残っているのです!

スペインのカスティーリャ王に保護を求めた刺客3人を一旦は保護するも
のの、ポルトガル王となったペドロの要求を受け入れカスティーリャ王は
約束を反故にし、3人をポルトガルに引き渡すことにします。その情報を
いち早く手に入れたDiogo Lopes Pachecoは日ごろ援助していた乞食の
助けを得て幸運にもこの危機を脱出。

その後彼は人の目の届かぬ深い山奥にある孤立した村、ピオーダンに隠れ
住んだとの謂れが現在に引き継がれています。

2009年に書いた記事が4年後のピオーダン訪問につながり面白い展開に
なりました。

「アルコバッサ:ペドロとイネスの石棺」はこちらです↓
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-705.html

次回は今回最後に訪れたピオーダンよりも更に山奥にある古村です。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年9月3日 

ピオーダン

写真でひとまとまりになった村を見ると気がつきませんが、山すそを平地に
せず傾斜をそのまま利用して家々を建てたのだろう、

ピオーダン
村の入り口とも思われる白い教会から上っていくに従い、村の戸口や窓が全
て青色に統一されているのが分かります。
ピオーダン
建材はすべてシスト(結晶片岩)です。

ピオーダン
窓枠も手すり階段も青。

ピオーダン
これなどは見事な色彩の演出(それとも偶然か?)です。

ピオーダン

ピオーダンの村の家々には十分人が住んでおり、売り出されている物件まで
ありました。

入り口の教会から少しのぼると、カペラ(礼拝堂)があり、村のお年寄り達
がイスに腰掛けて集っていました。
ピオーダン

カペラの写真を撮っていると既に夕方の7時も回っているというのに、親切
にもカペラを開けて案内してくれました。ドアも窓も青い色を使っている理
由と尋ねてみると、
昔、この村ができたところで、さぁ、ドアと窓のペンキを塗ろうをという段
になったのだが、村の店に運び込まれたペンキを青色しかなかった。山の奥
深いこの村まで交通もなく村人たちは仕方ないとそれを使うことになり、以
来、今日まで習慣として青色が使われて来たのだそうです。

こういう人里離れた所は日本ではさしづめ、落人の村になるのですが、ピオ
ーダンにもその手のちょっと興味深い言い伝えが今に残っています。

この伝説は歴史を遡ること14世紀、かの有名なポルトガル王家の悲恋、ペ
ドロ王子と愛人イネスの物語に関連しているのであります。

次回はピオーダンの伝説について。乞う、ご期待!
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2013年8月31日 

昨朝、某企業での日本語レッスンへ出かけようと外へ出ると、西側が青空だ
というのに東側半分がずず黒い異様な空模様でした。自動車道路入り口に近
づくと煙の匂いが車中にも流れ込んで来ました。思ったとおり近隣市の山火
事です。こういう時は単なる気温の暑さではなく空気の熱さなのです。

ポルトガルは今年も各地で山火事が発祥し、亡くなった消防士もいます。
山林の手入れをすることが少ないので乾燥気候の夏は乾いた落葉が自然発
火するのですが放火もあるようです。

毎年こうして山火事が繰り返されることで山間部に住む人たちへの被害もさ
ることながら、自然破壊や火事が引き起こす公害に焦り、誰も何もできない
のか、しないのかと管理の不備への焦りが怒りに変わりつつあります。
「国はお金がないからねぇ」との一言に深いため息をつくこの頃です。

本日の本題に入ります。


ポルトガル中部ベイラ地方(Beira)の山間部はトラズ・ウズ・モンテス
(Tras-os-Montes)並ぶシスト(xisto)と呼ばれる石の産地です。
日本語では結晶片岩、もしくは単に片岩と言うそうです↓

ピオーダン

この石はポルトでも時折見かけることがあり運が良ければ石の中に化石が
あったりします。そこで、我が家の歴史ある(笑)化石入りシストをご紹介。
ピオーダン

歴史あると言うのは、上のシスト、我がモイケル娘が小学校低学年の頃、当
時通っていたBritish Schoolで工事施行中、校庭をぶらついていた際に見
つけたものなのです。よく見ると貝の化石が見られます。
ピオーダン

こちらはシダの化石。
ピオーダン

モイケル娘、その頃は石を拾い集めるのが趣味だったようで、彼女のコレ
クションは置き場に困ったものでした。そうして、現在残ったのが20年
近く我が家のリビングに置かれている化石のシストなのであります。
そうしてみたら近頃わが子たちの話題、綴ってませんね^^;中傷、悪用
されることに多少怖気づき避けてきましたが、そろそろ再開しましょうか。

話をもとに戻して。

ピオーダン(Piodao)はアソール山脈(Serra do Acor。「c」の下に
ポルトガル語のニョロマークことcedelha記号が付く)の山あいにある人
口180人ほどの37k㎡の小さな村で、村の家々は全て上述したシストで
作られています。

ピオーダン

全国に指定されるAldeias Historicas(Aldeias=村々Historicas=
歴史ある)の中でも最も人気のあるひとつです。アクセスは車です。古村
の殆どがそうであるようにここにも公共交通機関は通っていないと思われ
ます。

ピオーダン
山が日向と日陰に分けられて。

ピオーダン
わたしたちが宿泊先はこの谷をもう少し上った、ピオーダンを眼下に見下
ろせるところです。ホテルからはピオーダンの小さな村がまるでマッチ箱
で作ったように見えました。夕暮れ時ともなるとあちこちでポツポツと灯り
が灯り、雪深い冬はどんなにかきれいだろうかと想像してしまいました。

いったんホテルにチェックインして後、訪れたピオーダンの村、明日写真で
ご案内したいと思います。それでは明日!

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村