2014年2月25日 

会社の仲間と偶然流れ込んだ梅新「アサヒ・ビアハウス」の雰囲気に、わたしは一度ですっかり魅せられた。夏場ともなると満席になり、脚の高い小さな丸テーブルを囲んで飲む立ち席ですら隙間がないくらい盛況な当時のビアハウスだった。

私たちオフィス仲間が最初に行ったのがそんな時期で、ホールが最高潮になると、アコーディオンのビアソングに乗せて「むかで行進」が始まった。むかで行進は、前の人の両肩に後ろの人が両手を置き一列に並んで行進するのである。

アサヒ・ビアハウス
オフの日にビアハウスに遊びに行ったときのムカデ行進。後ろが我が親友、みちべぇ。その後には当時のAB社のおエラいさん、故高松氏、そして常連の杉やんと続く。ムカデ行進の音楽は「ビア樽ポルカ(ロザムンデ・ポルカとも言う)」を中心に数曲続く。(後記に案内あり)

ムカデ行進のトップに立ちタンバリンか角笛を持って座って飲んでいる人たちをこの列に誘い込むのは歌い手か常連の一人の役割だ。最高潮時には全員がムカデ行進に加わり店内の席を取り囲むようにして長蛇の列の輪ができ、気がつくと誰一人として席に座っている客がいなくなるほどだった。この最高潮の夜にわたしは初めて行ったのであった。見知らぬ客同士がビールと音楽を通じてひとつになるわずか数分の一体感であるが、これは本当に楽しかった。初めての客の多くはこのムカデ行進でアサヒ・ビアハウスの虜になる。わたしもその一人で、いつの間にか女だてらに度胸よく、一人で顔を出すようになった。

さて、女一人の出入りが珍しいことが手伝ってか、しばらく通ううちにまもなくフリーパスの常連にわたしはなった。と言うのは、ビアハウスへ行けば払わなくても生ビールを飲めるようになったということである。
  
なに、もう時効だから種を明かしてしまうと、当時の店長、塩さんやその他、立ち飲み席にいる常連さん達がおごりで差し入れてくれたのでした。(笑)そのお礼として常連のリクエストに答え、わたしはいつも「サン・トワ・マミー」を歌ってお返しをしていたわけで。
そのうちに、店長の塩さんと歌姫宝木嬢にスカウトされた形で、いつの間にかわたしは週に三回、6時半から閉店の9時まで、会社が退けた後アサヒ・ビア・ハウスの小さなステージで歌うことになっていた。

しかし、わたしがそこで歌うように要請されたのは、当然であるがこれまで自分がほとんど耳にしたことがない、しかもドイツ語の歌である。
どうする?英語ならなんとかなりそうだが、ドイツ語など、まして歌の基礎を習ったことなどないわたしにできるのか?楽譜は読めるし音感がいいのでメロディーならすぐ覚えられるが・・・今ならさしづめ、ネット検索してカタカナ読みで誤魔化しもきくだろうが、当時のコンピューターと言えば、我がオフィスの本社にあったようなアナログコンピュータがせいぜいであった。与えられたドイツ語の歌詞を手にわたしは正直、途方にくれたものだ。

アサヒビアハウスへ遊びに行く度に、歌い手の宝木嬢が歌い、ホールの聞き手が大いに盛り上がる好きな歌があった。

♪ダス・ギブツ・ヌア・アインマル
 あこがれの楽園に  夢見る喜び
 ただ一度  二度とない あわれ そは夢か
 春の日はただ一度  春の花もひととき


1934年のドイツの最高傑作と言われる「会議は踊る」の主題歌「ただ一度の贈り物」である。ナポレオン敗退後のヨーロッパをどのようにまとめていくか。オーストリアの名宰相メッテルニッヒが諸国の代表を招いて開いた、「会議は踊る、されど進まず」と言われるウイーン会議を舞台にしたオペレッタ映画である。
その会議に出席するため、ウィーンを訪れていた若きロシア皇帝・アレキサンダー1世に市井の人、手袋屋の娘クリステルが、皇帝差し回しの素晴らしい馬車の人となって皇帝の別荘へ向かいながら喜びを絶唱する、その時の歌が、

♪ヴァイン イヒ ラッハ イヒ
Wein' ich? Lach' ich?
トロイム イヒ ヴァッハ イヒ
Träum' ich? Wach' ich?
ホイ(ト) ヴァイス イヒ ニヒ(ト) ヴァス イヒ トゥー
Heut' weiß ich nicht was ich tu'.  


で、始まる「Das gibt's nur ein mal(ダス ギプツ ヌァ アィンマル)」、ただ一度の贈り物だ。

アサヒ初代歌姫こと我が先輩、宝木嬢が歌ったこの心躍る楽しい歌を彼女の雰囲気に併せてネット検索してみたのだが、どれも違う。一件のみ、比較的似たのがあったので後記に。
  
「ただ一度、二度とない、春の日はひととき、春の花もひととき」
人生もまたこの歌の如くであり。ただ一度の人生をこの歌のようにわたしも目一杯生きてみよう、せっかく転がり込んできた歌姫のチャンスだ、やってみようと単純なわたしはそう思い己を激励して引き受けた。
  
20代も後半、わたしはドキドキする胸の動悸を抱いて梅新アサヒ・ビア・ハウスの歌姫デビューをしたのである。
アサヒ・ビアハウス
歌い始めの頃、大先輩宝木嬢と。民族衣装を用意するお金なく、手持ちの服で了承してもらってました。ひどいなこのカッコ

さて、最後にこの「ただ一度の贈り物」についてもう一言。
宮崎駿氏のアニメ作品「風立ちぬ」の中で、この歌が使われているそうです。映画の中盤、軽井沢のホテでドイツ人がピアノを弾くシーンでこれが出てくるとのこと。下に歌を案内。宝木嬢が歌ったのと感じが少し違います。こう言っては何ですが、彼女の「ダス ギプツ ヌァ アィンマル」は本当に素晴らしかったです。



こちらは、アサヒビアハウスのムカデ行進のBGM。少し古そうですがこれがあの頃の演奏に一番近い。


梅新アサヒ・ビアハウスで歌うことになったいきさつが終わったところで、次回から愉快な常連さんたちにご登場願います。
では、みなさま、また!


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2014年2月24日

ポルトガルの東北部、山に囲まれた人口5万人ほどの町Vila Real(ヴィラ
・レアルへ、我が追っかけの18世紀のイタリア建築家ニコラウ・ナゾニが
手がけた建築物を作品を見に行ったのは2年前にもなり、やっと整理できた
ところでご紹介します。

Vila Realは「King´s Town」と言う意味で1289年にディニス王によって造ら
れた町です。中世期には首都リスボンより多くの王党派がこの町に居を構
えたと言われます。

ポルトから自動車道路を車で2時間足らず。ヴィラ・レアルにはナゾニが造
ったマテウス邸があるのです。

Casa de Mateus
Casa de Mateusことマテウス邸の入り口。駐車はこの中だと有料だが周囲
に無料で止めることができる。


マテウスと言うのはこの地域の名前で、邸を建築したのはこの土地を代々継
いでいたモーラォン家の三代目António José Botelho Mourão。入り口で入場
料を払って少し歩くと前方に見えてくるのが邸です。

Casa de Mateus
大きな人工池に姿を映すバロック建築様式のマテウス邸

Casa de Mateus
ニコラウ・ナゾニの特徴、美しいシンメトリーの階段を備えている。
ナゾニの尖塔としてはちょっと見られないデザインです。邸内はガイドが案
内してくれます。内部撮影は不可。


Casa de Mateus

邸の一部をなすカペラ(礼拝堂)。下は庭に面したマテウス邸の裏側。

Casa de Mateus

アーチのトンネルが続く↓
Casa de Mateus

casa de Mateus
美しく手入れされた庭園

面白いのはヒマラヤスギのトンネル。
Casa de Mateus

外側からみるとこのトンネルは下の写真のようにこんもりと葉で覆われて、
非常に興味深い↓ 暑さもトンネルで涼むことができます。
Casa de Mateus

園内にはブドウ畑、果樹園があり、マテウス邸ではここで取れた果物からワ
イン、コンポートも作られ、売られています。

さてと、そのワインですが、日本で昔から輸入されているのにポルトガルワイ
ンの「マテウス・ロゼワイン」があります。

Casa de Mateus
ボトルの形が素敵な上に廉価で手に入りますが、このマテウス邸でわたしは
長い間とんでもない勘違いをしていたのに気づきました。

ご覧の通り、ボトルには「マテウス邸」のラベルが貼られていますしマテウ
ス・ロゼという名前からしてもこのワインは「マテウス邸」で造られるもの
とてっきり思っていたのですが、さにあらずとは!

マテウス・ロゼは1942年に設立されたSograpeワイン会社の最初のワイン、
且つポルトガルワインでもグローバル販売ネットを開始した最初のワインだそ
うです。

マテウス・ロゼはポルトガルではあまり飲まれませんが、Sogrape社は今で
は国内でも最大のワイン青山業者であり、世界120カ国以上のマテウス・
ロゼの販売網を持ち、ドウロ川ガイア岸に林立するポルトワインのワインセ
ラーのうち、サンデマン、ポルト・フェレイラ、Offleyの所有者でもあり
ます。

それでは、何ゆえ「マテウス」と名づけたのか。
癪にさわる故、今回は名前の所以を調べてみましたが、ソグラッペ社の歴史
を読んでもなかなかに出てまいりません。
しつこく検索していくと、とある英語サイトで「ドウロ川上流のブドウを使い、
プロセスとボトリングはVilla Realの借用したセラーで成された」との一文を
発見しました。なるほど、これで納得と言うものです。

それにしてもややこしいではないか。
わたしがVila Realまで足を延ばしてみたのには、ナゾニの建築だというこ
とは勿論だが、日本で昔から見かけてきた「マテウス・ロゼ」の酒造現場も
見て見たいと思ったこともあったゆえ。

Casa de Mateus
マテウス邸のワイン工場。

ブログ記事を書くにあたって、「マテウス・ロゼ」について調べてよかった。
危うく、「かの世に知られるマテウス・ロゼはここから!」なんて書くところ
ではありましたっけ。思い込みは危ない危ない^^;

インフォメーション:
Casa de Mateus: Vila Real
5月~10月 9:00~19:30
11月~4月 9:00~18:00
12月25日休館
入場料:邸内と庭園9.50€
    庭園のみ 6€
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テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
2014年2月23日  

スポーツの実況中継を観るとすれば、せいぜいがオリンピック競技も最後
のマラソンとワールドカップもしくはUEFAカップくらいだ。それもポルト
ガルか日本が出場すればの話。

夫はベンフィキスタ(Benficaフットボールチームファンのこと)で普段
からテレビで試合を見ては「ゴロー」(我がネコの名前ではない。Golo)
とか悔し紛れにMで始まるポルトガル語のいただけない言葉をテレビの画
面に投げつけたりしているのを冷ややかな目で眺めている妻である。要は
スポーツ音痴なんであります^^;

それが、ここ数日ネットの動画サイトに張り付いてていた。ソチオリンピ
ックのフィギュアスケート競技を見るためだ。ファンというほどではない
が、浅田真央選手と韓国選手が常に比較されているのに興味を惹かれ自ず
と見るようになった。

また、今回は古いのにそれが却って斬新さを覚えるGary MoorのParisi‐
enne Walkways(パリの散歩道)をバックに滑る羽生結弦選手の活躍も
見てみたいと思ったのだ。羽生選手は見事金メダルをしとめた。見ている
ととても礼儀正しそうな若者に思えた。



浅田真央選手、16位の20日のSP(Short Program)をわたしはニュー
スで知っただけで、実は怖くて演技をみることができなかったしまだ見てい
ない。可哀相にいったい彼女に何が起こったのだろうかと、その無残な結果
に人事ながら胸が痛んだ。フリーの最後の演技は怖くてとても見れないなと
見ないことに決めた。

わたしはこういうのをじっと見ていられないのだ。他国選手が転んでも、
「あ!あ!可哀相に」と思わず大きな声を出してしまい、どうも心臓によく
ない。

21日朝、ドキドキしながらネットニュースにアクセスすると、ぅわお!
「浅田真央 6位 フィギュア 女子シングル フリー」との見出しが目
に飛び込んできた。大急ぎで画像をネット検索する。

心の葛藤はいかばかりであったろうか。今まで誰も挑戦したことのない史
上初の6種類の三回転ジャンプという難技を全てやり終え、万感の思いで
あったろう彼女の姿にわたしもこみ上げてくるものがあった。

maochan

素晴らしい!技云々ではない。あれほど打ちのめされながら最後まで自分
の目標に向かい頑張るその姿勢と、普段の彼女持ち前の心優しい性格が多
くの人の魂に触れたのではないかと思う。これをスポーツマンシップの真髄
と言うんだ。メダルなどはどうでもよくなっていた。

あれに感動したこれに感動したとは気恥ずかしくてなかなか書き明かさな
いタイプの人間だが、今回は記録して置きたい。

浅田真央選手からもらった、久しくなかった静かな感動を「すごいなぁ」と
ひとり噛み締めている。

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テーマ:オリンピック
ジャンル:スポーツ
プロローグ
2004年に我が最初のホームページで、記憶が薄れないうちにとの思いも
早まり、書くに任せて一挙に綴った「あの頃、ビアハウス」のエピソードを
今回は順を追って少し書き直してみようと思います。古い写真も現在持って
いるデジカメで新たに撮り直し、カテゴリも新規にしました。

歌っていた当時は意識していませんでしたが、梅新アサヒ・ビアハウスが
大阪では老舗も老舗、当時の関西経済人や文化人が毎夜集った最古のビア
ハウスであり、その全盛期に自分は身を置いていたという幸せを今にして
じんわり感じています。

「あの頃、ビアハウス」登場するのは彼らの多くが今では鬼籍に入ったで
あろうと思われる当時の愉快な常連さんたちです。わたしのところには今
でも時々「あの頃のビアハウスを知っています」「通っていました」と見
知らぬ方からメールが舞い込んで来ます。

その人たちにも鮮明な姿を刻んでいるかつての常連さんたちを身近に見て
きたわたしが書かずしてなんとする?それが書き直しの理由です。
稚拙な文章で書き足りないところもあるでしょうが、アサヒビアハウスを
通して人生の楽しみ方、お酒の飲み方を教えてくれた我が恩師たちでもあ
るかれらを、そして、多くの人たちが知らないであろう、あの頃、ビアハ
ウスで歌われていた古き良き時代の素敵な歌歌を併せて、我が記憶を紐解
きながら一人ひとりに登場していただこうと思います。

では、アサヒビアハウスとの出会いから、題して

2014年2月20日 「サン・トワ・マミー」
 
人は、それが苦しいことであれ楽しいことであれ、それぞれの人生に「と
っておき」の話を持っているものだ。わたしがここで取り上げていく話は
自分のをも含めて、「ねね、あのさぁ。」と、ちょっと人に披露してみた
いと思ってきた1975年からのビアハウスでの出来事である。
  
大阪梅田新道(通称梅新)の交差点の一角に同和火災ビルと言う古い建物
があった。今ではそのビルは建て替えられ、同和火災フェニックスタワー
と名を変えて見るからにモダンな姿に変貌したが、かつては重厚さと威厳
をもった大理石仕込みの古いビルであった。

そのビルの御堂筋側に面した小さな入り口をくぐり、階段を地下へ降りて
いく。すると、大きな重いガラスドアの向こう側に「梅新アサヒ・ビア・
ハウス」の世界があった。

アサヒビアハウス
1970年代、梅新アサヒ・ビアハウスの地下階段への入り口にて。バイ
ト出勤寸前。誰がこの写真を撮影してくれたのか覚えていない。入り口で
常連さんにでもひっつかまったかな?オフィスはここから歩いて7分ほど
の場所にあった。


わたしがそこに足を踏み入れたのはホンの偶然からだ。
当時勤務するオフィスは北新地にあり、わたしも若かったのと一人暮らし
だったのとで(ポチというネコを飼ってはいたがw)、会社が退けてから
毎晩のように誘いにのって上司や同僚たちと一緒に周辺の盛り場へ繰り出
していた。お代はというとか弱き若い女性が二人であるので(同じオフィ
スの気があった女性同僚。わたしたちは事務仕事の最良コンビと言われて
いた)殆どの場合、男性たちがもってくれたものだ。

アサヒビアハウス
雑然としたオフィスだが楽しい職場ではあった。


アサヒ・ビアハウスはそんなある夏の夜にわたしたちが何気なしに流れ込
んだ会場だったのである。
地下への階段を降りてドアを開け一歩足を踏み入れるや、ワイワイガヤガ
ヤと客たちの喧騒と熱気がドッと体にぶつかって来た。店内は一通り見渡
せるが少し薄暗い。初めてだったので、ホールの端にある分厚くて古い木
製のテーブルにオフィス仲間のわたしたち6、7人は遠慮がちに陣取り、
生ビールを飲みながらいつもの如く判で押したように会社の諸々の話で盛
り上がっていた。

やがてホール中央の壁よりにある小さなステージに二人の男女が上がった
と思うや、いきなり始まった音楽は随分と威勢がよい。アコーディオンと
リズムボックス、それにドイツ風の民族衣装をつけてハットをかぶった歌
姫が一人、まずはドイツ語で「乾杯」らしき音頭のイントロを始めに数曲
を歌った。
  
そうしているうちに、待てよ?と注意してみていると、歌い手に名前を呼
ばれては店内のあちこちの席から客が立ち上がり、ビア・ジョッキを片手
にステージに上がって歌いだすではないか!歌姫はといえば、3曲ほど歌
っただけだ。カラオケなどまだなかった時代、アコーディオンの「生オケ」
を伴奏に後半のステージは歌う客たちの独壇場であった。 

「おもしろい、これは愉快だ!」と、飲むほどに俄然気が大きくなり陽気
に騒ぐ我がオフィスの飲み仲間達。客も容易に歌えると思ったのか、
「おい、ゆうちゃん、おまえも歌え!」との彼らの言に、お酒が入ると調
子に乗ってしまうわたしは、仲間のリクエストに応えんがため、かくして
初めて人前でマイクをにぎったのである。

「歌謡曲、演歌はだめです!」と歌姫嬢。
「あの・・・この歌、弾けますか?」
  
♪ふたりの恋は おわったのね
 ゆるしてさえ くれないあなた
 さよならと 顔も見ないで 去っていった男の心
 楽しい夢のような あの頃を思い出せば
 サントワマミー 悲しくて 目の前が暗くなる
 サントワマミー
           
サルバトール・アダモの「サン・トワ・マミー」である。
わたしは人前で歌うことはなかったが、テレビを持たなかった当時、小さな
自分のアパートにいるときは、バカの一つ覚えのアルペジオでギターを伴
奏に、時間のたつのも忘れて歌いったものだ。毎月の給料でカキカキの生
活だったが、わたしにとって歌は聴くことも声をだして歌うこともお金のかか
らない大きな心の慰みだった。
  
歌い終わると客席から大きな拍手と歌のお礼にもらったジョッキ一杯の生
ビールを手に仲間のテーブルに戻ったわたしは少し上気した顔であった
ろう。規模が小さいとは言え、なにしろ生まれて初めてステージなる場に立
ち、聴く人を前にして歌ったのであるから。
   
「サン・トワ・マミー」はアサヒのアコーディオニスト、ヨシさんの伴奏でわたし
が歌った初めての歌であり、これがアサヒビアハウスとの出会いであった。

アサヒビアハウス

いつも笑顔のアコーディオンのヨシさん。

下記、アダモが日本語で歌っています。


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2014年2月17日 

昨日はドウロ川対岸のCalemワインセラーに触れましたが、今日はわたしが
何度か足を運んだ「サンデマン(Sandeman)」セラーにまつわるお話を。

「サンデマン」と聞けば必ず思い出されるカップルがいる。
マリーとアベルで、我ら夫婦共通の友人であった。

マリーはフランス人で、彼女を知ったのは34年ほど前のわたしがポルトガ
ルに嫁いで来た年だ。ブラジル人アベルとの出会いは、もっと前で大阪の
「アサヒ・ビアハウス」とまいる。

アサヒ・ビアハウス
1970年代の梅新アサヒ・ビアハウス。老いも若きも、毎晩賑やかなビア
ハウスであった。


この日を6月30日とわたしはしっかり記憶している。なぜならば、6月
30日は夫こと、当時はポルトガル人のカルロスさんの誕生日で、アベル、
カルロスを含んだ数人の留学生がグループをなし、カルロスさんの誕生日を
祝おうとアサヒ・ビアハウスにやってきたのである。

ビア・ハウスの話は一旦置いておき、こんなわけでこの日もわたしはステー
ジ休憩中はまだ日本語が分からないその留学生グループと同席して話しこん
だのであった。当時のビアハウスでは、その日を誕生日とする来店客が申し
出ると、ステージから「Happy Birthday」の演奏と歌姫たち、客達から
の合唱、そして、ビール大ジョッキーのプレゼントがあった。
アベルとカルロスとわたしの、それが出会いだった。

わたしが一緒にお茶を飲んだりして友達付き合いをしたのは、実はアベル
君の方でありました 哲学の勉強をしていた彼は自由人そのもの。
日本の留学期間を終えた後、すぐには帰国せず、ヨーロッパ無銭旅行を企
んでいた。わたしもその頃は、同じように自由に飛ぶような精神で、アメ
リカ移住を目指していたわけで・・・

それがまぁ、どういうわけかアベル君の友人であるカルロス君と一緒にな
るとは、人生、あな不思議。 わたしとは友人付き合いであることをアベ
ル君に確認したカルロスさん、当時のビアハウスの店長、塩さんに聞いて
も「だめ!」と言って教えてもらえなかった我が電話番号をアベル君から
ゲット。こうして、真夏の炎天下、彼を3時間待たせた初デートと相成っ
たのが、彼の「運のつき」と相成った^^;

一旦、わたしはアメリカ、カルロスさんは日本にと別れたわたし達、ふと
気がつくとポルトくんだりで共に生活しており、そんなある日届いたのが、
「ポルトに行くぜ~」とフランスからのアベルの便り。と、やっと本題です。

アベルが車で一緒に連れてきたのがフランスで同居していたマリーだった。
彼より一回りくらい年上の建築家だが、わたしの想像するプライドの高そ
うなフランス女性のイメージをすっかりひっくり返してしまった、ザック
バランで親しみの湧く素敵な女性であった。

今と違い、ワインセラー見学は当時は無料だった。
ガイドがセラー内を案内してくれたコースの最後には、ポルトワインの甘
口、辛口、そしてキリリと冷やされたポルトワイン白を3杯、只飲みでき
るのであった。
なるべくお金を遣わない。これがマリーとアベルの旅行で、酒の好きなア
ベル君、ここでうまいことを考えたのである。

仕事であまり付き合えない夫を、「放っときなはれ。一緒に行こう!」と、
わたしを引っ張り出し、只飲みできる「サンデマン・ワインセラー」へ、前
日に引き続きその日も訪問。

案内時間が来て、「さぁ、ご案内を」とガイドを見ると、なんとその日の
見学客はわたし達3人だけ!おまけに、前日と同じ女性ガイドさんだと。
あはははは。

彼女いわく、
「あら、あなたがた、昨日来たではないか?」
まぁ、しっかりガイドさんに覚えられていたとは大笑い。アベルの言い訳
は、「いや、今日は日本人の客を連れてきたのだぞ」。
ほんまにもう人をダシにして!

わたしにとっては初めての、彼らにとっては二度目のサンデマン見学。
女性ガイドさんの太っ腹で、最後のワインフリー試飲、私達にお代わりま
でしてくれて、ご機嫌でセラーを出て来たのであった。ついでに言えば、
アベル君はこの時、おつまみまでポケットに忍ばせて持ち込み、取り出し
て3人で分け合ったのである。
      
マリーとはその後、何度か手紙のやり取りをしたが、わたしは子供も生ま
れ、子育てに追われている間にいつの間にか音信不通になった。
アベルは後にブラジルへ帰国し、サンパウロの学校で教えているとの手紙
と、時々クリスマス・カードが舞い込んでいたが、それも、今ではどこに
いるのやら行方は不明である。

サンデマンの黒いマントにハットを被ったトレードマークを「The Sande
-man Dom 」というのだが、それを目にすると、マリーとアベルとわたし
の3人で笑い転げながらただのポルトワインに舌鼓したあの頃を思い出す。
そして、我が思いは、わたしたちが出会ったころの「梅新・アサヒビアハウ
ス」へ還って行くのである。

明日はそのビアハウスを語りたいと思います。 

さて、改造された今とは違う、わたしたち3人が訪れた頃のサンデマンケ
ーブについては下記に書いています。よろしかったらどうぞ。↓
サンデマン入り口の奇妙なプレート
(このプレートは残念ながら現在見られません)

また、こちらでは改築後のサンデマンセラーを案内しています↓
ポルトワインセラー・サンデマン

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ではみなさま、また明日!

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2014年2月16日 


今日は久しぶりにポルトの話題です。

経済低迷に喘ぐ近年のポルトガル、おまけにクリスマス以来2ヶ月近くもの
雨雨雨の天気で、気も滅入りそうな毎日ですが、ポルトっ子には嬉しいニュ
ースが飛び込んできました。

毎年「Europian Best Destination」と言う組織が欧州の20の候補
都市から1位を選出するのですが、ポルトがそれに選ばれました。

ポルト


2位がクロアチアのザグレブ、3位がオーストリアのウィーンと続きますが
わたしたちが昨年11月に訪れたブダペストも5位に入りました。

ニュースの喜びを受けてか、今日は突然の真っ青な空がお目見え。ポルト
ガルやっぱりこれでなくちゃ!何がなくともこの抜けるような青い空は人
々を陽気にしてくれます。わたしもこの雨天続きでポルト散策もままなら
ず、毎日ひたすら、日本語レッスンの準備に励んでいるのですが、家の中
のみならず心にもカビが生えそうで、つい政治がらみの文句も出ると言う
ものです。

アメリカのとある州では在米韓国人の要望を取り入れて、地元の学校で使
用する教科書の地図に「東海」を単独で書き入れるのやら、先日ブログでも
取り上げたアングレーム漫画祭のいざこざやらを夫に愚痴ると、彼、一言
「子供の喧嘩と同じだ」・・・・

分かってる、わたしもそう思う。でも、無視してやられっぱなしに捨て置く
と、とんでもないことになるのが両隣国なのだと、ついまた力説してしま
うのありました。おっと、話が横道に^^;

下記のサイトではポルトの魅力をショートフィルムで紹介しています。



もうひとつ、ファドはリスボンが本場ですので、ポルトで聞ける場所とい
うと数少ないのですが、先だってからドウロ河畔、ガイア側になりますが
建ち並ぶワインセラーの中の一軒、Calem社ではセラー見学後、赤、白の
ポワインを試飲させてくれるのですが、その際にファド・ライブを取り入
れました。

ポルト
画像はWikiより

インフォーメーション:
場所:カレン・セラー(Calem)
入場料:見学、試飲、ファド・ライブ込みで 17.50ユーロ
ただし夕方6時から(11月~3月)、もしくは6時半から(4月~10月)


この時間帯はファド・ライブ目当てのツーリストで込むでしょうから、日中
予約を入れことをおすすめします。



なお、ファドに関する我が過去記事はこちら→リスボンのファド
コインブラの学生ファドはこちら→http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-979.html


ポルトワインについてはこちら→「ポルトワイン/ポートワイン

それではまた!
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2014年2月10日 

先週土曜日は図書館での日本語教室を終え、別クラスのポルトガル人生徒5
人を引き連れて漢字検定試験場である我が古巣、「ポルト日本語補習校」へ
行ってきました。

この学校で創立時の1987年から2009年の3月まで22年間毎週土
曜日に通いました。もちろん、わが子たち、東京息子もモイケル娘もです。

「土曜日の 補習校までの道のりは 母の説教 9年間」とはモイケル娘
の中学卒業時に残した短歌であります。
うちでの説教もままありましたが、補習校までの20分ほど、後座席に座
る彼らにそれとはなしに軽い説教をよくしたものでした。が、当のわたし
はどんな説教をしたのか覚えてはおりませんです、はい。

そんな古巣に足を踏み入れると、我が子たちのみならずそれまでの22年
間で受け持ってきたたくさんの子供達の顔も蘇り、少しジンと来ます。
これまでで最長年勤めたというので、学校を退いた後も一応顔パスで出入
りできるのですが、物欲しそうに見えるのも不恰好であり、年に一度の漢
検に生徒を連れて行く以外は顔を出しません。

ともに仕事をしたかつての同僚も現在何人かいますが、新しい人たちもお
り、行くたびに補習校から感じ取られる雰囲気は違います。時代が変わり
つつあるのだと思います。

さて、1時半から試験開始です。連れて行った生徒達が終了するまで補習
校が図書室として使用している教室で控えて待とうと椅子に座るや、すぐ
YY塾のパートナーでもあり補習校でも教えているOちゃんがやってきて、
「これを」と何やら、プレゼントらしきものを差し出されました。

誕生日でもなし、バレンタインデーでもなし、なんで?といぶかっている
わたしに、いつもお世話になっているからと言います。
断るのもなんですしねw、頂いて帰りうちであけてみると、おお!なんと
懐かしや、「カルヴァドス(Calvados)」ではありませんか!

calvados.jpg

ひぇ~、Oちゃん!
今でこそ、飲むものと言えば赤ワインかビールに落ち着きましたが、若い
時分は結構酒豪でいろんなお酒に手を出しました。日本酒から始まりウイ
スキーは全部ストレート、ブランディ、ビンごと凍らせて飲むドイツのお
酒シュナップス、そしてほろ苦い思い出がからむフランスのブランディ、
りんご酒のカルヴァドス。

ビールを好むようになったのは当時大阪の梅田新道にあったビアハウスの
老舗「アサヒビアハウス」で留学資金作りにバイトで歌うようになってか
らです。このビアハウスは現在も同じ場所にありますが改築されて同和火
災ビルという名もフェニックスタワーとなり、「アサヒビアハウス」も
アサヒスーパードライ梅田に変更されました。
店内も改築と同時にガラリと変わりましたが、アコーディオン演奏でビアポル
カのライブは今日でも火・木の週2回聴けるそうです。

さて、話をカルヴァドスにもどして。Oちゃん、なにかの折にわたしが話した
カルヴァドスのことを覚えていてくれたのでしょう。このお酒の名前を知る
きっかけになったのは20代に読んだレマルクの名著「凱旋門」でした。

nihongo

カルヴァドスは物語の最初の場面ででてきます。
フランスに不法入国し身分を隠して闇の手術を請け負ってその日暮らしを
して生きているドイツ人外科医ラヴィックがこれまた異国人でよるべない
端役女優ジョアン・マズーに夜更けのパリで出会う。うつろな表情の彼女
を放っておけず、タクシーの運転手達のたまり場のビストロへ誘う。


夜も遅いそのビストロで二人が注文して飲むのがカルヴァドスです。

今回改めて読み返してみようと手にとったのですが、記憶違いな部分や忘
れていた部分がたくさんありました。長い間、この本の舞台は第二次世界
大戦中のパリだと思っていたのですが、旅券を持たない避難民で溢れかえ
っている大戦勃発寸前のパリでした。

「凱旋門」は2度映画化されています。ラヴィックをシャルル・ボワイエ
ジョアンをイングリッド・バーグマン(1948年)が、 1984年には
アンソニー・ホプキンス主演ですが、どちらも原作には歯が立ちません。

最初のはメロドラマ的でわたしは途中で投げ出し、アンソニー・ホプキン
スのはと言うと、いい役者さんではあるけれど、「ハンニバル・レクター
のイメージが強烈でダメでしたw
光が消えた暗いパリ、人々の果てしない恐怖と絶望が渦巻く大戦勃発前夜
のパリを描き出している原作にはかないようがありません。

わたしは本の虫ゆえ、読書そのものは常にしているものの、若い時に読ん
だ多くの文学作品からは長い間ついつい遠ざかっていましたが、60も半
ばを過ぎた今、改めてそれらの文学作品を読んでみようと思っています。
Oちゃんのカルヴァドスがきっかけです。

そうそう、今回発見したことがもうひとつあります。カルヴァドスはりん
ごを原料にしますが、いわゆるアップル・ブランディーとは一線が引かれ、
フランスのノルマンディー地方で造られたもののみを指すのだそうです。

このお酒の名前を「凱旋門で」知って以来、20代の頃に勤めていた会社
の東京本社上司が頻繁に仕事でフランスへ行くのをいいことに、わたしは
その都度、当時国内では入手不可だったこのお酒を買ってきてもらったも
のでしたが、これがなんとアルコール度数40度だったとは!
こんなのを20代でちびりちびりと飲んでいた自分を思い出して、あはは
はは、ではあります。

ポルトガルに来て以来、アルコール度数の強いお酒といえば20度前後の
ポルトワインしか口にしてきませんでしたので、こんな強度のお酒は?
味は?と多少躊躇するところがあるものの、Oちゃんからいただいたこの一
本のカルヴァドス、過ぎし青春の日々に思いをめぐらしながらじっくり、
ゆっくり、この先の一生をかけて飲み終えようと思っています。

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ジャンル:本・雑誌
2014年2月5日 

前回取り上げたイルカ漁についてはまだまだ言い足りない部分があります
が、要は、わたしは鯨、イルカ漁には個人的に反対であり、伝統的な地域
文化をないがしろにする気はもうとうないものの、屠畜に非残虐的な方法を
探ることは大切だと思います。
こんな短いことを長々と書いてしまったんでした^^;でも、文字にしな
がら自分の考えの整理もしていたわけで、ご理解いただきたいです。

さて、気を重くしていた2つめは、フランス、アングレーム市での国際漫画
祭のすったもんだ。今回のごたつきがなかったら、そんなフェスティバルが
あることすら、わたしは知りませんでした。

アングレーム国際漫画祭は40年の歴史をもつバンド・デシネの権威ある漫
画祭(と、謳っている所もある)で、毎年1月に開催され3、4日の期間中
に20万人以上を動員するヨーロッパ最大の漫画祭典だそうです。

バンド・デシネというのはベルギー・フランスを中心とした地域の漫画を指
します。ヨーロッパではよく知られている「タンタン」「スマーフ」「アス
テリックス」などがバンド・デシネの代表作です。
tintin1.jpg asterix.jpg
Wikiより

「タンタン」「アステリックス」は夫は昔から知っているそうですが、わた
しは外国漫画は日本のとは作風が違うのでどうしても馴染み難くて手にした
ことはありません。
    
ポルトガル生まれポルトガル育ちの我が子たちも日本マンガファンではわた
しの血を引いてか欧米マンガには興味をしめしませんでした。
唯一は「スマーフ」のみ。
smurf.png

ベルギーがヨーロッパでこれまでに色々な人気漫画を生み出し、ブリュッ
セルには3万冊もの漫画を所蔵する漫画博物館まであると知ったのは、一
昨年ブリュッセルを訪ねたときでした。下記、ブリュッセル旅行記で市内
のあちこちに隠された巨大漫画について当ブログに書いています↓

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-48.html

アングレーム漫画祭も近年は「20世紀少年」浦沢直樹や水木しげるなどが
受賞するなど、日本の漫画も人気を集めています。、

その会場で今回は日本、韓国、主催者側も三つ巴で起こったスッタモンダが
これ↓、Youtubeニュース動画です↓


今回は、あちらこちらからの引用になります。青色はワタシの突っ込み。

最初は、テキサス親父ことトニー・マラーノさんとともに現地入りされて
いた「テキサス親父日本事務局」スタッフのShun FergusonさんのFBから


Nicolas FINETと言うアジア部門のコーディネーターと言う男がブースに
来て、バナーやその他の展示物を全て持ち去り、たまたまそこで一部始終を
見ていた産経新聞のロンドン支社の記者の問いかけに名刺を渡して、その
記者の質問にもまともに答えずにブースを破壊。

ほとんどの物を持ち去られた何も無いブースで記者会見を始め、最初の数
分が経過した時にそのNicolas FINETと言う男がブースの記者と私達の間
に無理矢理割って入って来て
「ここで記者会見を開く許可などしていない!」「出て行け!」「このブー
スはもう終わりだ!」「日本のブースは撤去だ!」などと怒鳴り散らし、
そこにあったフランス語に翻訳された慰安婦関連の本を「この糞!持って
帰れ!」など暴言を吐き、周囲があっけにとられる中、私はその男に、テ
キサス親父は、その男と一緒に来ていた主催者の1人に抗議をしました。

ブースで記者会見を開くことは既に主催者のプレス担当に話をして口頭で
許可を貰っていたのですが、「ブースで記者会見など認めてない!」と大
声を張り上げたので「ジュリーというプレス担当者に許可も取ってあるし、
そのブースで記者会見をしてはならないと説明するも、そんな事は言って
ないと一点張り。

契約書の何処に書いてある?案内書の何処に書いてある?」と問い詰める
と、「俺が決まりだ!」と、勝手に禁止事項にも無い事を非常に汚く強い
口調で吐き捨てました。


日本側のブースを破壊した主催者側のアジア担当実行委員Nicolas FINET
(ニコラ・フィネ)氏は、産経新聞のインタビューに対し、その理由をこう
答えています(産経新聞2014.2.2 21:46)。

「彼らは、政治活動を禁ずるこの私有施設で許可を得ず記者会見をやった。
主催者側の意向を無視して文化を語る場で政治活動を始め、その政治宣伝の
内容が歴史的事実の否定を禁止するフランスの法律に抵触して
いると忠告したのにやめなかった。彼らはルールと法を破った」

日本側の主張とはかなり乖離があります。
しかも、「歴史的事実の否定」の中身を聞かれると、こういう回答。

彼らは、日本政府も認めている慰安婦の存在すら認めていない。こう
した極右思想・団体とは戦う」
彼らが「慰安婦の存在すら認めていない」なんてことは全くないでしょう。
認めていないのは「日本軍による組織的強制連行慰安婦」だ。「論破プ
ロジェクト」のサイトでも明記していますが「慰安婦の強制連行はなかっ
た」と主張しているだけです


ニコラ・フィネの勘違いあるいは思い込みから来る、行き違いがあったの
かもしれません。アングレーム市長は日本のブースを継続して良いと言って
いますが、ニコラ・フィネが強行に拒否しています。
ニコラ・フィネはアングレーム市長と共に昨年韓国に招待されています。
やっぱり!)

以下はFBでの日本側の団体「論破プロジェクト」代表の藤井実彦さんの
報告です。

私自身はフランスのマンガ祭りに出展して、日本側主張に沿った展示を行
い、メッセージを伝えれば、フランスの方達に理解されると軽く考えてお
りました。
 
しかし主催者側からは我々の考え方、主張は
「ナチスドイツのガス室は存在しなかった」
と主張するようなものであると伝えられ、そして慰安婦問題に関しては
すでに韓国側の主張がフランスにおけるスタンダードであり、私たちが
行おうとしている考え方、日本の立場はこのスタンダードな立場を危うく
する修正主義に基づいた危険な思想である、だから私たちのブースは
撤去すべきである、という立場を貫こうとしているように感じました。

今回翻訳をしていただいたパリ在住の方によると、フランスの有力紙
フィガロ紙やルモンド紙においても、数ヶ月前の「慰安婦」関連の記事
まで振り返り確認していただいた所、この「慰安婦」が、韓国の主張し
ている通りで歴史的事実として確定しており、日本がなかなかそれを
認めない、という見方では一致しています。
 
フランスにおける世論形成については、ある意味すでに決着がついて
しまっているのが実情であるということをより我々日本人は理解する
必要があると私は思います。
 すでに決着したと思われる問題を蒸し返す極右政権という誤ったレ
ッテルを貼られる事に対しても、より効果的なカウンターを打つ必要が
あると私は思いました。】

今回主催者側の見解として、「私たち論破プロジェクトの主張している見
解は政治的意図を持っているが、韓国側の主張はすでに事実認定をされ
ているものであるから、その事実に対して各クリエイターが自由に創造
的な作品を制作したにすぎない」という立場に依拠しているとあるマス
コミの方から教えていただきましたが、それはこの主催者側が韓国に
利益供与されている、という単純な陰謀論とは事を異にしていると私
は痛切に感じました。フランス全体の問題でもあるという事ですよね。

日本人の感覚としてはどうしても「真実はひとつ、真実は負けない、真実
は最後には勝つ!」と考えるフシがあるのですが、結局フランス側に自国
の見解をより積極的に伝えた韓国側の主張が勝利してしまい、事実認定さ
れてしまっている、という結果になってしまっているわけです。

韓国側が大々的に政府を利用し、潤沢なお金を使いフランスでロビー
活動を行っている実態も、徐々にわかって参りましたが、それを打ち返
すだけのカウンターを日本側がここ数十年間怠っていたのも事実だと
思います。

さて、こちらはわたしがネットで集めた情報の一部です。

・漫画祭の会場はアングレーム市内の35か所に点在しており、韓国の
企画展はふたつのメイン会場やアジア館から離れた場所にある「韓国
館」という独立した建物に設営された。(韓国だけ特別扱いだね)
(Wikiアングレーム国際漫画祭より)


・市民団体「論破プロジェクト」は幸福の科学を母体とする幸福実現党
などの後援をもとにする(Wikiアングレーム国際漫画祭より)
フランスに於いて幸福の科学は創価学会、統一教会に継ぐカルト指
定だという情報があるので気になる部分ではある。これに関する韓国
側からの告げ口がなかったとは言い切れないが、今回のごたごたの
本質は慰安婦問題対策への日本の姿勢だとわたしは思う
。)

引用、ここで終わり。

朝日新聞の捏造や、河野談話や村山談話やアジア女性基金など、ひたすら
謝罪のみを繰り返して来た日本の外交政策を振り返ると、他国から謂れな
き批判を今もって招いている原因は「ことを荒立てずに」というわが国の
ことなかれ主義の姿勢が引き起こしていると思います。

陸続きの大陸諸国が領土獲得戦争に明け暮れている間、戦なく250年も
鎖国と言う繭玉に守られて、日本は独特の文化を形成しました。阿吽の呼
吸、言わなくても通じるという意思の疎通は日本国内で、日本人同士なら
ではの話です。

それに比べ、お互いに外国語である言葉を駆使し手練手管、駆け引きで乗
り切る外交をしてきたのが陸続きのユーラシア大陸諸国です。生真面目な
わたしたち日本人はそれが苦手なのだと思います。習慣が同じ、お互いに
知り尽くしている日本人同士ではそれなりにロビー活動、つまり「袖の下」
もするのでしょうが、こと外国が相手となるとダメなようです。

わたしもそんなことをするのは嫌い!しかし、いざというときのために先
を見越して、するべき相手には誠意をこめた対応をすることはできるはず。
そして、今わたしたち日本人が気づくべきことは慰安婦問題でしてきたよ
うな「誠意」の対応の仕方ではダメだということです。

問題点に焦点をしぼり、時には相手が言ったことを逆手にとったりして自己
の正論を広げることは大切です。これはわたしたち日本人が苦手な部分で
す。「言わなくたって分かるじゃない」という日本人の習慣思考、「誠実で
あれば相手はきっと理解してくれる」という希望思考が邪魔をするのです。

個人的な見解ですが、ポルトガルに長年住んで思うことは、自分が感じる
こと、思うことを言葉で人に伝達するのが、いかに下手かということです。
それが人と反対意見であれば尚のこと、どうしたら相手を少しでも傷つけ
ずに自分の思うところを伝えられるかとの方向へ行ってしまい、単刀直入
に言うことを恐れます。

いつまで経ってもこちらの人の様に、思ったことをそのまま言葉で顔で表現
することに躊躇するのです。つくづくわたしはやっぱり日本人だなぁと嬉し
く思う反面、この日本的な性格がいざ国際社会、国際政治の取引の場に立た
されるとしたら・・・と考え、恐ろしくなります。

世界は友愛と善意に満ちているのも事実なら、世界は悪意と嫉妬、策略に
満ちているのも事実です。今回のアングレーム漫画祭のごたごたも、これ
までのわたしたち日本人の対外政策の仕方が下手なのと、ことなかれ主義、
騙されやすい人の良さという、民族性の根源に関わるのかも知れません。

欧米人と同じにならなくてもいい。日本人の矜持に立った理論の展開の仕方
で応戦することが必要だと思います。
国際公用語の英語やフランス語をしっかり勉強して応戦すればいいじゃん、
というのは違うとわたしは思う。言葉を駆使するにはその国の文化背景を
理解しなければならないのです。島国の日本に住むわたしたちがそれをす
るには難しさがあります。

日本ではこれから小学校から英語授業を取り入れるようですが(もう取り
入れている?)外国語ができるのは無駄なことだとは思いません、しかし、
1億2千万人のうち、果たして何人が英語を耳にして、書いて話す職につく
のだろうか。

多くはその環境に程遠いと思われます。それよりも、歴史を振り返ったり
本を取り上げたりして何故、ディベートを教科に取り入れない?高校生に
なってからでは遅きに失す。
ディベートをすることで、歴史の矛盾点も必ずや見えてくるでしょう。

12月に産経新聞が、「元慰安婦報告書、ずさん調査浮き彫り 慰安所ない
場所で「働いた」など証言曖昧 河野談話の根拠崩れる」とスクープ、政
府は原案の段階から韓国側に提示し、指摘に沿って修正するなど事実上、
日韓の合作だったことが判明しました。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140101/plc14010112380006-n1.htm

韓国中国の日本いじめにはもううんざりです。外務省のトップページには
北方領土、拉致問題。竹島やっと最近、各国語での説明が掲載されました
が日本が今貶められている肝心の慰安婦問題はまだです。

是非とも外務省はこの各国語説明を進めて欲しい。ぐずぐずしていると、
この手の問題はまた襲ってくるのです。

わたしと言えば、日本語の生徒さんたちから質問された場合に備えて説明
や反論ができるように、下手ながらも自分の言葉で英語、ポルトガル語の
準備をしておこうと考えています。

下記は慰安婦問題に関して、朝日新聞社長と河野洋平氏の国会承認喚問要
求の署名キャンペーンサイトです。ご同意なさる方は是非署名してくださ
いませ。
http://chn.ge/1k06sTd

長々と綴ってしまいましたが、読んでくださり、ありがとうございます。
では、みなさま、また。
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2014年2月3日 

このところ、ネット紙上の日本に関する国際ニュースがかまびすしい。
今に限ったことではないが、今回のニュース三件には、未だ降り続く雨のせ
いもあってか、ド~ンと気持ちを暗くしています。

自分の口下手、語彙不足は重々承知しているので、ああだこうだと思いを
巡らすものの政治関係についてはあまりブログで取り上げないようにして
いるのですが、この数日間考えた末、やはり自分なりに書いてみようと決
めました。

そのひとつが1月に就任したカロライン・ケネディ大使のツイッター発言
「イルカ漁」抗議に基づくものです

SS環境保護団体(Sea Shepherd)が1980年代から抗議活動だとし、
世界各地の領海を侵犯しては鯨漁を妨害しているのはご存知でしょう。

わたしは彼らの活動の仕方には全く賛同しませんが、もし、鯨漁がなんとし
ても現代のわたしたち日本人の生活に必要なのでなければ、止めていいの
ではないかと思う一人です。イルカ漁についても同じ考えです。

それを職業とする側と反対する側の両サイドの話を読んで考えると、迷路
に入り込んでしまいそうな問題です。少なくともわたしにとっては。

なるほど、鯨漁もイルカ漁も捕獲、屠殺現場の画像を見せ付けられると誰
もが衝撃を受けないわけにはいきません。しかし、例えば抗議を受けてい
る和歌山太地の漁師にしてみれば、昔からそれが彼らの生活手段であるし、
また擁護する日本側は「伝統文化だ。他国から言われる筋合いはない。
じゃ、自分たちが牛やブタを食ってるのはなんなのだ?」となりそうです。

わたしもこれまでSS団体や国際世論が日本の鯨漁を責めてくるたびに、
「あれは職業なのだ。そんなことを責め立てるのであらば、スペインや南
米の闘牛はどうして放っとくのだ?金をとり観衆の目の前で殺すまで行く
闘牛こそ、野蛮残酷で文明人のすることではないじゃないか。美味だとい
われるフォアグラはどうなのだ?なぜあれらにも抗議しないのだ」と思っ
たものです。

欧米人も日本人も日常食する肉類はどうでしょう。

自動車道路でのある日のこと、前方を走るトラックから、点々と突起して
いるものは一体何なのかと気になり、距離を縮めて分かったのは、それが
恐らくこれから屠蓄場に連れて行かれるのであろう、ブタたちのリアドア
の隙間から出ていた鼻だと言うのを知ったときは、本気で肉類を食べるの
を止めようかと考えたものです。
彼らは本能で自分にこれから何が起こるのか知っているのだろうと。

肉食、止めたんですかって?
いえ、肉類を全く食べないとなると何かと不便なもので、完全菜食主義者に
はなれませんが、それでも肉を食べるのは量も回数もとても少なくなりまし
たが、食べていることに変わりはなし。

替わりに魚類を食べることが多くなったわけですが、これだって海で生きて
いたものを捕って食べるということで、牛やブタと比べてどんな違いがある
のかと考え出すと、もう迷路です。

さて、何年か前に偶然テレビで見た映画に「Temple Grandin」というの
があります。
temple grandin

下で予告編が見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=cpkN0JdXRpM

高機能自閉症を抱えながら動物学博士を取得し動物学者となった彼女は非
虐待的な家畜施設を設計しました。自閉症啓蒙活動と、家畜の権利保護に
ついて世界的な影響力のある学者の一人であり、アメリカとカナダの肉牛
の半数はグランディンが設計した施設で処理されているのだそうです。

映画は彼女の自閉症の子供時代から、大学で恩師に出会い、やがて非虐待
的施設を発案して周囲を説得し、それまでの残虐な牛屠殺方法を換えアニ
マルウエルフェアを目指すまでを描いています。

グランディンはこんなことを言っています。
「動物を食として利用することは人間が避けられないことでしょう。しか
しわたしちはそれを正しい方法でしなければなりません。これらの動物た
ちにはきちんとした飼い方をしければなりません。動物に痛みの伴わない
死を行うべきです。わたしたちは動物に恩義があるのです。」
temple grandin

この映画とグランディンの言葉を思い出し、ツイッターでのケネディ氏の
発言は公的立場の大使としてはまずいかったと思うものの、彼女の発言に
はこの考えが含まれているかも知れないとふと思いました。

さて、「他にもイルカ漁をしている国々があるではないか。なのに何故日
本だけなのか」と言う怒りの声も多々聞かれます。

Wikipedia情報に寄ると、
「イルカ追い込み漁は日本を始め、ソロモン諸島、大西洋のフェロー諸島
や南アメリカのペルーでも行われていますが、うち、最も多数を捕獲して
いるのは日本である。現在、日本でイルカ追い込み漁を行っているのは
和歌山県太地町のみ」とあります。
保護団体攻撃の矛先がこちらに向けられるのは当然と言えるでしょう。

わたしたち日本人も「日本の文化だから、認めるべきだ」だけでは納得し
てもらえないのではないか。世界にはわたしたちから見たら残虐だと思わ
れてもそれが伝統文化であると言える人々が多くいるわけですから、文化
だというだけでは説得性に欠けます。

イルカをどうしても殺さなければならないというのであれば、非残虐的な
方法はないのだろうか。またそれを探ろうという猟師町の取り組みはない
のだろうか。

それが保護団体のみならず、残虐なイルカ漁に賛同しないという一般人を
も、説得できるキーポイントになるような気がするのだが、どうだろう。
                  
実は明日、いや、もう12時を回ったので今日になりますが、日本大使館が
あるリスボンのリベルダーデ大通りで、日本のイルカ漁および捕鯨に反対
する抗議のデモがあるのです。このデモは今週日曜日9日にも予定されて
います。

わたしの頭のどこかで、ひょっとしてこのデモは日本叩きの一環として2
隣国とリンクされているかも知れないとの思いがあるのですが、その理由
は、わたしを憂鬱にさせる今回の3件のニュースの二つ目、つい先週に起
こったフランス、アングレーム国際漫画祭で日本側が受けた不当な扱い事
件ゆえです。

では、みなさま、また明日。
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