2014年4月25日 

4月も下旬とは思えぬような突然の雹の落下に昨日は驚いた。
自宅で日本語の授業をしていた最中で、日本語教室に使用している部屋の窓を雹がバラバラと打ち付ける音を耳にしながら、同年代の生徒(つまり60代半ば過ぎなんですってばw)と「こんなこと、非常に珍しい。どうなってるんだか」と言い合っていた。

思えばわたしもポルト在住まる35年を過ぎようとしており、現在持つ66歳の3名、75歳、80歳の5名の生徒たちとは、時に政治や歴史の話に及ぶことがあり、1974年までの長期独裁政権のサラザール時代を知らないけれど、35年前のポルトを知るわたしは、少し話に入っていける。

「あなた方は知らないでしょうけど」と、自由を喫している今のポルトガルの若い生徒たちに自分が来た当時のポルトガルの光景を話すこともままある。20数年間勤めた補習校時代にも日本でのわたしの子供時分のことを国語授業の単元によってはとりあげて語りきかせた。

戦後生まれで周囲の多くはまだまだ貧しかったこと。テレビが無くてラジオ放送ドラマで育ったこと。いじめられっ子だったしいガキ大将でもあったこと。トイレが水洗式でなくてぼっとん式だったこと。風呂は銭湯で、田舎の冬は家にたどり着く頃洗った髪が凍りがちだったこと、トンボとり、蛍がりをしたこと、蚊帳というものがあったこと、おやつは畑からとりたてのキュウリだったこと、など等、時には図入りで、まるで孫に話しかける祖母の如しではあった。親達からはその日の授業内容よりもY先生の子供時代の話をよく覚えていますわと報告されたものだ。

計算の仕方や国語の読み取りを覚えてもらうことは勿論大切だが、そう遠くない昔の歴史を知ることは意義があるし必要である。本で学ぶよりも当時を知る人の口から直に聞くことは記憶に残るだろう。幾時代、幾世代を経て今の平和が培われたのだと年頃になって知ってくれたらと願うものである。

さて、4月25日の今日、「Vinte cinco de Abril (ヴィンテ・スィンコ・デ・アブリル=4月25日)」、カーネーション革命とも言われるが、42年間ものサラザール長期独裁政権を壊滅させて無血革命記念日で休日で、今年は40周年を迎える。無血革命とは言うが、これにたどり着くまでには革命にはつきものの、独裁者側による多くの血が流されたことは言うまでもない。

25_abril.jpg

このところ立て続けに観た映画、2本、いずれも独裁政権を舞台にしたもので、一つはジェレミー・アイアンズ主演の「Night Train to Lisbon」。スイス、ベルンの高校教師グレゴリウス(ジェレミー・アイアンズ)は、ふとしたきっかけから、アマデウ・デ・プラドというポルトガル人作家の著書を手に入れ、その本に挟まれていたリスボン行きの切符で夜行列車に飛び乗り、独裁政権下でのアマデウの足取りを追うことになる。

Night_Train_to_Lisbon_2013_Poster.jpg

独裁政権下での地下抵抗組織運動、秘密警察、アマデウとジョージ、そして一人の女性を巡るミステリーを追って過去と現在を行き来するグレゴリウス。彼が訪ね歩くロケ地になったリスボンの古い街並はよく捉えられている。

もう一本は31年もの恐怖独裁政治をとった南米ドミニカ共和国のトルヒーユを扱う「The Feast of the Goat(原題はLa fiesta del chivo=チボの狂宴。Chivoはヤギの意味。日本では未公開のようだ)。主演のイザベラ・ロセリーニの語りで少女時代の残酷な回想を取る形で物語りは進む。政敵、批判者の暗殺、国外追放等を始め、35、000人ものハイチ系住民を虐殺したと言われるトルヒーユ反政府活動側による襲撃までを描いている。

feast_of_goat.png

この種の映画は観た後数日、ズシリと重くのしかかるのであまり好まないのだが、かような歴史があることを知るのは自由と平和に甘んじているときには必要なのかもしれない。右派左派関係なしに、人間の自由を抑圧することは誰にも許されないはずである。「自由とはいったい何か」と、この年齢にいたって未だ思い巡らすことがある。

生まれながらにして自由であるのと、自由を渇望してそれを得た時代の人とは自ずと「自由であること」の意味が違うであろう。が、いずれの場合も自由とは責任が伴うものだとわたしは思っている。ともすればわたしたちはそれを忘れ、己の思い通りにすることが自由だと錯覚しがちだ。そんなときに気分が重くなる自由のなかった時代の歴史に目を向けてみる事は意味があると思う。

午後は、10日後に控えた日本帰国のみやげ物調達に夫と二人でダウンタウンに出向いたのだが、路行く多くの市民の胸に赤いカーネーションが挿されていた。行きつけのRua das Floresの店、「Memorias」でわたしもカーネーションをいただいて来た。

cravo1.jpg

ポルトガルのカーネーション革命40周年に今日は自由を噛みしめる。自由に甘んじていてはいけない。希望のなかに自由を夢見、ついに手に入れた自由を決して手放してはならぬと嚙みしめる。

本日のエントリー題はスティーブン・キングの本「監獄のリタ・ヘイワース」(映画名:ショーシャンクの空の下)に書かれた下記の一節からです。

希望はいいものだ。
多分なによりもいいものだ。
そして、いいものは決して死なない。


下記では、4月25日について書いています。よろしかったらどぞ。

ポルトガルの春 4月25日に思う
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2014年4月21日 

ポルトガルの学校は目下復活祭休暇だ。復活祭はポルトガル語でPascoa(パスコア)と言い、この休暇は日本で言う春休みに当たる。復活祭は移動性休日なので、こちらの春休みは日本のように毎年決まっておらず、その年によって3月だったり4月だったりする。
復活祭の前の聖金曜日(Sexta Feira Santaと言う)が祝日になりPascoaそのものは昨日の日曜日で、キリスト教の国では復活祭後の月曜日も休みにしているところが多い。復活祭については過去に何度も取り上げているので興味のある方は、後記案内からどうぞ。

さて、復活祭を前にしたしばらく前、気になっていたサン・ミゲル通りをもう一度歩いてきました。
3月1日の記事「14世紀の通りとサン・ミゲル通り(1)」↓の続きになります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1438.html

14世紀から15世紀にかけてはポルト最後のユダヤ人ゲットーとして、また16世紀には新キリスト教徒としてユダヤ教からキリスト教に転じた(と思われた)ユダヤ人たちはドン・ジュアン3世王の命でこの区域に押し込められたわけです。

これらポルトガル、スペインに15世紀前後に定住したユダヤ人をセファルディム(Sephardim)と言いますが、1492年に、カトリック両王(スペイン、アラゴンのフェルナンド2世とカスティーリャのイザベル女王)はユダヤ人をスペインから追放します。この時のラビが、スペイン最後のイエシーバ(タルムード=モーセが伝えたもう一つの律法を学ぶ学塾)の学長、Isac Aboab。

Isac Aboabは数百人のユダヤ人を引き連れリスボンのポルトガル王ジュアン2世と渡り合い、ポルトのこの区域での居住許可を得ます。この数ヵ月後に、イベリア半島最後のGaonことイエシーバの学長がここで生涯を終えます。
1496年には前回の記事で述べたように、ドン・マヌエル1世王の命でせっかく得た居住地もユダヤ人は国外に出るかキリスト教に改心するかの選択を迫られることになりますが、多くのユダヤ人は改心したと見せかけ、密かに自らの宗教を信仰していました。見捨てられた彼らの住居はキリスト教会や慈善教会に譲渡されました。

さて、話は現代に戻って2003年のこと。
サン・ミゲル通りの一軒を譲り受けた牧師がそこを老人ホームにしようと改築し始めたところ、室内の壁にモーゼ5書の巻物トーラを保管する聖櫃(せいひつ)が設置されたと思しき窪みが発見されました。

sinagoga

シナゴーグとはユダヤ教の集会所、会堂のことですが、ポルト大学の宗教審問の研究者、エルビラ・マエ氏は、16世紀のImmanuel Aboab(Aboabラビの曾孫)が「教会(ヴィトリア教会)から下る通り3軒目にシナゴーグがあった」と記述してある場所とピッタリだと言うので、ここが隠れユダヤ教徒のシナゴーグであったとの説を取っています。これに対してポルトガル系イスラエル人のジャーナリストInacio Stainhardt氏は「隠れユダヤ人達がシナゴーグで祈るなど、当時としてはあまりにも危険すぎて信じがたい。Aboabラビがここをシナゴーグとした可能性はあるが、恐らく1496年のユダヤ人追放時点で聖櫃はどこかへ移動されたと思われる。」と反論しています。

エルサレム神殿の聖櫃、つまり「聖なるアーク」はモーゼの十戒の石版が納められており「契約の箱」と呼ばれるもので、トーラを収納する聖櫃とは別ものです。
sinagoga
契約の箱の一般的なイメージ。インディアナ・ジョーンズまがい^^;失われた聖櫃とも呼ばれる。
下がトーラです。
 
sinagoga sinagoga
 
トーラは詠むときにトーラ聖櫃から取り出し読み終えたらケースに入れ聖櫃に仕舞いこむ。トーラを収納する聖櫃の形は調べてみると色々あるようです。トーラの聖櫃はエルサレムの方向に向いた壁に設置されます。
    
聖櫃の前にぶら下がるのはテールターミードと呼ばれるp永遠の灯火で、紙の永遠なる存在を意味する。香炉のときもある。右の聖櫃は、メーソンのシンボルと似てるように思われる。下も聖櫃のひとつ。サン・ミゲル通りのシナゴーグにあった聖櫃は壁の窪みから下のような形であったろう。

というので、さて、これがくだんの家がこれです。
sinagoga
手前の9番地。現在は老人ホームになっています。訪れた週は復活祭の前でそれを祝う小さな垂れ幕があちこちで見られました。

ついでに42番地。入り口には「っこに商人バルボーザが住んだ」と彫ってあります。
sinagoga

本日は久しぶりにポルトの歴史に関する穴場を取り上げてみました。

イースターに関する記事は下記にあります。

①復活祭 
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-741.html

②イースター・なぜ卵?うさぎ?
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-54.html

③復活祭・キリスト教との関わり 
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-56.html

④ポルトガルのイースター 
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-58.html

では、みなさま、次回はサン・ミゲル通りに隣接するヴィトリア通りをご案内します。普段は人があまり歩かない路地ですがわたしの取って置きの場所でもあります^^ お楽しみに!
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2014年4月13日 


「できたら来てや!」と声をかけられていた友人の絵の個展。リベイラ対岸「Calem」ワインセラー内で昨日は初日のオープニングセレモニーでした。夫は週末だと言うのに珍しく病院の仕事でしたから、午前中二つの日本語グループ授業を終え、一旦帰宅して5匹猫達にエサをあげて再度の外出です。いつもの通り、大学の近くで車を乗り捨てメトロでダウンタウンへ出てリベイラを歩き対岸のガイアへ。
ribeira2_April2014.jpg


ポルトは今年、ヨーロッパで一番行きたい街のトップに選ばれたのはすでに書きましたが、そのせいもあろうか、ダウンタウンもドウロ川縁も大変なツーリストで賑わっていました。
ポルト

少なくとも3時間半は日本語授業で立ちっ放しの土曜日ゆえ、できるものならばダウンタウンへ歩いて出て云々はしたくない。が、ドウロ川近辺は車で行くも、駐車場に入れると結局歩く羽目になるのと交通停滞で余計な時間をくうことになるのがオチです。

よし、今日は歩くのカッタルイ、トンネルを通って近道を、と思いきや、がーん、トンネルの歩道工事中で歩くこと叶わず。引き返すのも嫌、すぐ横の薄暗い路地に入りました。この路は初めてです。
ribeira3-April2014.jpg

入るやすぐ、あれ?こんなところにあったんや!スシバーー「兄弟」一号店。
何年も前からあると噂に聞いていたものの路地であろうというので一度も足を運んだことがない。
経営者はプラジル人の兄弟とか。下記では「兄弟2号店」を案内しています。
kyodai1.jpg

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1294.html

昔ながら古い家が上に延び、ポルトガル独特の路地です。この路は直接リベイラのカフェに出るのであります。

calem1.jpg

二階の展示会場からCalemワインセラーをちょいと撮影。

ribeira1-april2014.jpg

展示会場から見えるポルトの街並。窓枠がちょうど額になりました。
会場では在住の日本人達はほとんどいなかったものの、ポルトガル人を始めイタリアからの若い人達もいましたが、嬉しかったのは久しぶりに顔を会わせたポルト補習校でかつて自分が教えた数人の元生徒たちでした。

1時間ほど会場の人たちとおしゃべりをして帰路についたのですが、ドン・ルイス一世橋を渡って更にサン・ベント(Sao Bento)メトロ駅まで歩く気力なし。橋の目前にあるフニクラール・ケーブルカーで
上ってポルトの中心街にそのまま出ることに。何しろ、ドウロ沿岸へは下り坂道になっており、行きはよいよい帰りは怖い。
そうそう。かつてはメトロの切符で乗れたフニクラールケーブルカーも今はダメです。片道2ユーロを払います。

funiclar1-2014.jpg

できるならこんな急傾斜のケーブルを利用するのは避けたいわたしですが、昨日は飛びつきましたです、はい。
フニクラールについてはこちら↓で案内しています。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1393.html

たった一駅、バターリャ広場(Batalha)についたところで、そこからはサン・ベント駅まで下り坂、さて帰ろっと、と初夏の気候の午後、後少しだと思うと足も軽く「1月31日通り」を下りて駅に到着し切符をスキャナーに当てたところ使い終わっており買い替えが必要でした。

切符自動販売機に行くと10回分まとめ買いの機会が故障だとさ。ダメじゃん、これ。Best European Destinationの名が泣くぞ!で、コインをと我が財布をみるとコインがない・・・サン・ベントメトロ駅には売店もない・・・く○!結局もう一駅、アリアードス(Aliados)駅まで歩くことになっちまいました。

くたびれた。夫の夕食を作り、わたくしめはさっさとベッドインですとさ(笑)
丸一日、外に出っぱなしは堪える歳に相成りました。とは言え、これが久しぶりの帰国で歩き回るは別ものでありましょうな。わはは。
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2014年4月8日  

わたしの故郷は弘前である。4月に入るや、外国では耳慣れない「さくら前線」という言葉が踊りだし、日本列島は南から北へ北へとさくらの花で埋め尽くされて行く。

南でさくらが咲く頃、北国はまだ早春で長い冬の衣を脱ぎ捨てるのを今か今かと待ち構えている。
春の訪れとともに一斉に芽吹き息づく花々を見ては、毎年決まってポルトにいながらわたしは日本の春を、さくらの春を、さくらの弘前を恋い焦がれるのである。

sakura1.jpg
昨年弘前で買い求めたもの。今は手元に置いてあり、いつでも手にとって眺められる。

「敷島の やまとごころを人問わば あさひににおう山桜花」
 
高校時の代教科書に出てきた本居宣長の歌である。
あの頃はただただ外国に憧れ、やまとごころのなんたるかに目を向けることもなかった。
ポルトガルという異文化に長い間身を置いて初めて自分の日本人のルーツに心を向け始めたと思う。

その折に、この本居宣長の歌は透明の水の中に、あたかもペンから一滴の青インクが滴り落ちて、静かに環を広げて行くかのように、記憶の向こうからわたしの中にやって来たのである。
本居宣長のこの歌には、色々な解釈があるようだ。
「やまとごころ」を「武士道」と照らし合わせる解釈もあるが、大和人は男だけではないからして、わたしはもっと平たく、日本人の心と解釈することにしている。

日本人の心とはなんであろうか。
そんな大それたことをわたしには論ずることはできないが、祖国を30年以上も離れて異国に住む一人の日本人として綴ってみたいと思った。

作家曽野綾子さんのエッセイに、4月に成田上空にさしかかった時の経験を書いたものがあった。

曇り空の下に点々と枯れ木にしか見えない木々があった。大変だなあ、今年はあんなに木が枯れた、と思ってからギョッとしたのだそうな。 ひょっとすると桜ではないかと。果たしてその通りで、飛行機が次第に高度を下げて来て、枯れ木としか見えなかった木々がわずかに色彩の変化を見せ、桜となったのだそうだが、機内の外国人客は、誰一人としてさくらに反応を示した様子は見られなかった。この時初めて、桜は花の下で見るものなのかもしれないと思った、(ここまで要約)と。

わたしはこれを読んだ時、軽いショックを受けると同時に、日頃、日本語クラスで日本文化の話に及ぶとき、ついつい「さくら」の美しさを、目を細め熱っぽく語ってしまう自分の姿を思い浮かべたのだ。

桜への思い入れは、日本人独特のものではないだろうか。そうして見ると、秋の紅葉や真っ白い雪の中に映える「寒椿」等にも、わたしたちは深い思いがあるように思われる。このような光景を思い浮かべるだけでわたしの胸には美しき天然へのなんとも言われぬ懐かしさがこみ上げてくる。

詩人、大岡信さんが京都嵯峨野に住む染色家、志村ふくみさんの織物を綴っていたことがある。美しい桜色に染まった糸で織ったその着物のピンクは、淡いようで、しかも燃えるような強さを内に秘め、華やかでいながら深く落ち着いている色であった。その色に目と心を吸い込まれるように感じた詩人は、桜から取り出した色だという志村さんの言葉に、花びらを煮詰めて色を取り出したのだろうと思ったのだそうである。

しかし、それは、実際には、あの黒っぽいごつごつした桜の皮から取り出した色なのだった。しかも、一年中どの季節でもとれるわけではなく、桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると言う。
「春先、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿。
花びらのピンクは幹のピンク、樹木のピンク、樹液のピンクであり、花びらはそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものに過ぎなかった」(要約)

この詩人は、「言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だと言ってもいい。これは言葉の世界での出来事と同じではないかという気がする」と言うのですが、わたしは詩人のエッセイにも、そして嵯峨野の染色家にも、いたく心惹かれて、ずっとこのエッセイに書かれてある言葉が心に残っている。

さくらに限らず、異国の町を車で走りぬけるときも、日本ほどではないが、それなりの季節の移り変わりを見せてくれる景色はある。車を走らせながらも、目前に広がる大きな並木道に 「あぁ、きれい。春やなぁ。秋やなぁ」と、思わずその移り変わる季節の匂いを空間に感じる。

とは言え、ひとひらの花びらを、一枚の紅葉を、そっと拾い上げて日記に仕舞い込む。ポルトガルの生活の中で、こんなことを密かにしている人は、何人とはいないであろう。

sakura
ー画像はWikiよりー

そんな時、わたしは自分の中のやまとごころがふと顔を出すように思う。無意識のうちに、自分に密かに語りかける自然の声が聞こえる気がするのだ。大自然が広がるアメリカやカナダにも、そういう人はいるだろうが、わたしのような、極々一般の人間でも、そういう感覚は多くの日本人が持っていると思う。花を愛で、はらはらと散り逝く花の潔さと儚さに美学を見るのは日本人の特性なのだと異国に長年住んで今はしきりに思える。   
  
今年も弘前にさくらが咲く季節になった。
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2014年4月3日 

長い間続いた雨もあがり暖かい春が来るかと思いきや、数日前から気温が下がり雨模様が多い。まるで冬の再来ではないか。どうなってるのよ?と思いながらも
地球環境は昔のように季節が大まか規則的にめぐってくる時代を終えつつあるのかも知れない等と思ってみる。

そうしてみれば35年前にわたしがポルトの空港に降り立った時は、5月だと言うのにセーターが必要で、そんな準備をしてこなかったわたしは夫のセーターを着ていたものだ。

それがいつの間にか4月ともなると初夏を感じさせる様な気候になり、それに慣れきってきた長年だったのだろうか。今日も曇り空、小雨が降っています。

そんな中、夫を誘ってしばらく前から気になっていたボアヴィスタ(Boavista)に昨年オープンしたホテル・ダ・ムジカ(Hotel da Musica)を訪れて来ました。

その名の通りホテルはロビーから客室まで音楽アイテムに溢れています。
hotel_musica1.jpg
白の空間に真紅の一対の真紅のコントラバスが目に鮮やか。

hotelmusica
ロビーへの階段絨毯にも音符が。

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レセプション。天井からのライトも音符を象っています。

客室にはモーツアルトの楽譜が施されて。
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画像はWikiより


こちらはレセプションにつながるパヴァロッティ・バー。
hotelmusica

ボサノバを創り出したアントニオ・ジョビンの名曲「Aguas de Março(三月の水)」の楽譜も廊下の壁に見られます。

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♪São as águas de março fechando o verao,  
 É a promessa de vida no teu coracao     

1行目を「三月の水、夏を閉じ」と勝手翻訳し、三月の水がなんで夏を閉じるんだ? 夏を閉じたら秋ではないか、変なの・・・と思ったのですが、ハッと気がつきました。南半球にあるブラジルの3月は北半球と違って秋に入るのでありました。

「Aguas de Março」はこちらで。


では、本日はこれで。
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2014年3月31日 

先週土曜日は、YY塾のボランティア活動として同僚のOちゃんと、ドン・ルイス一世橋を渡ってまもないところのCasa Barbot(カーザ・バルボ)カルチュアセンターで、影絵上映と折り紙のワークショップをして来ました。

5歳児以上の子供が対象ですが、12人ほど参加してくれ、加えて親御さんも同席、全部で26、7人の参加者。小さい部屋は人でぎっしりになりました。このプログラムは、幼児期から異文化に接してもらおうというアイディアの元、幼児教育活動を展開したMINDTRACESというグループとCasa Borbotとの協催で行われました。

プログラムは10時半から12時半までの2時間です。影絵「キョウリュウ年代記」上映のあと、日本語でキョウリュウをなんと言うか、どのように書くのと子供達へアプローチしていきます。この部分は日本文化紹介の一部にもなり、日本語がカタカナ、ひらがな、漢字で書かれることを簡単に話し、Oちゃんが「キョウリュウ」を三種類の文字で紹介しました。

kagee
MINDTRACESグループのマリアさんが、影絵を見た後で子供達と話しながらキョウリュウの意味や感想を引き出していきます

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そしていよいよ簡単なキョウリュウの折り紙指導です。今回はブラキオサウルスとティラノサウルスの2種類を作ってもらいました。

origami_kyoryu1-1.jpg origami_kyoryu1-2.jpg
   
終了後、紙風船を自由に持って帰ってもらいました。
kagee

毎回、影絵上映には夫も会場に詰めて、アドヴァイスをするなど手伝ってくれるのですが、今回は医師会に出席、Oちゃんもわたしも慣れてきたので初めの頃に比べ大分手際よくで影絵スクリーンのセッティングができるようになりましたが、それでも1時間ほどかかります。

今回は思いもよらぬ日本女性の飛び入り助っ人が会場に現われてくれました。
ブログのコメントもしてくれていますが、ポルトのダンスカンパニーで踊っているAyakaさんです。メールのやりとりはたまにしていたものの、なかなか会う機会がないままになっていたのですが、ブログ上の影絵上映の報せを読んでわざわざ来てくださいました。

kagee
Ayakaさん、後でこの写真を送ります^^

準備中でおおわらわのところでしたので、初対面の挨拶もそこそこに(笑)、さすが人使いの荒いspacesisでござんす、「丁度いい!手伝って!」てな具合であれやこれやと指図してこき使い^^; Ayakaさん、さぞかし驚いたのではないでしょうか(笑)折り紙の指導手伝いもしてもらい、とうとう最後までいていただきました。

Ayakaさん、本当に助かりました、ありがとうございます!この埋め合わせはそのうちさせていただきますね。

こうして終わったのが土曜日でしたが、いやはやその日の夕方から今日、月曜日の今に至るまで
腿の筋肉痛~~!なにしろ、影絵はかがんでするものですから、毎回後がこたえるのです。椅子に腰を下ろすたびに、立ち上がるたびに、フラットの階段の上り下りのたびに(外ネコのエサ運びでありんす)、アイテテテ、オイテテテと声をだすことしきりなし。傍で笑うは亭主なり。フン!
次回からは絶対床に膝をつこう!

というので先々週の「日本語を話す会パーティー」、先週の影絵上映、そして本日締め切りの雑誌原稿を写真ともどもまとめ上げ、ぎりぎりに送付終了。今年前期の行事はとりあえず、一旦落着させて、(実はもう次のボランティアの話が来ているのだがしばらく休みたい!)5月帰国に備えて日本語授業にしっかり取り組んでまいります。

Oちゃん、いつも文句も言わず一緒に行動してくれてありがとう!お疲れ様でした!

ランキングクリック、お時間がありましたら、よろしくお願いいたします。

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