2014年6月27日 

エストレモス

ポルトガル国土の3分の1を占める南部アレンテージュ地方にあるエストレモス(Estremoz)城は、二重の城壁に囲まれた小高い丘にたたずむ。

エストレモス

13世紀に農業開発に力を注ぎ「農夫王(O Lavrador)」と呼ばれたポルトガル最初のボルゴーニャ(Borgonha)王朝、(初代アフォンソ王に因みAfonsina王朝とも呼ばれる)6代目のディニス王が、スペイン・アラゴン国から迎えたイザベル王妃のために造った城として知られている。

エストレモス
エストレモス城壁内。イザベル王妃の像が広場の中央に立っている。正面Torre de Menagem。「3王冠の塔」の別称を持つ天守閣が特徴だ。3王はイスラムからイベリア半島奪還運動、レコンキスタ時代にエストレモスを征服し領土とするために力を注いだドン・サンチョ、ドン・アフォンソ3世、ドン・ディニスを意味する。

エストレモス
広場に面した礼拝堂。

エストレモスの町が眼下に見られる。
エストレモス
城壁内はアレンテージュの特徴そのままの白壁の家々。
エストレモス


ポルトガルの小学校で必ず教えられる話に、このイザベル王妃の「薔薇の奇跡」がある。慈悲深く侵攻厚い王妃は、尼僧姿でマントの下にパン等を隠してよく城を抜け出しては、街の貧しい人々にこれを施していた。

ある冬の朝、これをあまり好まない王に見咎められ、マントの下にあるのは薔薇の花だと王妃は思わず答える。その瞬間、季節はずれの美しい薔薇の花が何本も王妃の足元に落ちたと言われる。イザベル王妃はSanta Isabel(聖女イザベル)として人々に崇められていた。エストレモスにはインド航路を発見したバスコ・ダ・ガマが後年足跡を残している。

エストレモス
イザベル王妃の正面像。

トップ画像のエストレモス古城は現在ポザーダになっている。ポザーダというのはポルトガル国重要文化財の宮殿は古城を改築した国営高級宿泊施設のことだ。エストレモス・ポザーダ内は17~18世紀王朝時代の調度品があしらわれ、国内にある16の歴史ポザーダの中でも最も美しいとされる。
エストレモス城はイザベル王妃がアレンテージュ地方に残した、さながら小さな宝石と言えよう。
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2014年6月23日 

はじめに、まゆみさんへのメッセージです。

メールでお返事いたしましたが、ジャンクメール(迷惑メール)に仕分けられる可能性もありますので、そちらもチェックしてください。

ここからブログエントリーです。
先週土曜日、ポルトのアートギャラリーが多く並ぶ地区、Miguel Bombarda(ミゲル・ボンバルダ)通りの某店に、日本ポルトガルの友好をテーマにしたいので、日本のアイテムを貸してもらえないかと依頼されました。

大きなイヴェントでないとは言え準備が必要です。金曜日一日それにとりかかり、イヴェント当日の土曜日朝、日本語授業の後で運び出し、ディスプレイを手伝う時間がないのでそれはお店にお任せ。午後、どんな風になっているかとお店まで出かけてきました。

この通りでは数ヶ月1度の土曜日、通りの全店がディスプレイの新装をすることになっており、その都度、目新し物、面白いものを求める多くの人で夕方から8時まで通りは賑わいます。
miguelbombarda1.jpg

それも無事終わり、今朝ほど、届けられた貸し荷をほどき、元の場所に収めたところです。

さて、今年もサンジュアン祭りがきました。今日は前夜祭です。

manjerico2014.jpg
写真はサン・ジュアン祭りには欠かせないアイテムのひとつ、この時期の旬の植物で我が家の「Manjerico(マンジェリコ)です。これに手のひらをかざしてすくい上げた香りを愛でるのです。

サン・ジュアン祭りについてはこれまでに何度も書いていますが、今日は某雑誌用に書いた記事を掲載してみます。クリックすると拡大画像が見られます。
saojoao1_2014.jpg

それでは、本日はこれにて。ポルト在住のみなささまには、サンジュアン祭りでおいしい鰯を!
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2014年6月17日 

車の音なく、周囲から聞こえてくる音と言えば一日中鳴く鳥の声だ。
都会の喧騒を離れたこの環境こそ物作りに専心するにはもってこいであろう。肩の痛みに耐えながら黙々と木に語るかのように彫り込んでいる木彫家、堺美地子の姿が想像できる。

もう30年近くも彫刻刀を握ってないよ、とビビるわたしに、「Sodeさん、70過ぎたらまた始めようなんて言ってないで今から一緒にホリホリ(彫り彫り)しよう」と、3日間の滞在中の一日は工房の一室で友の指導を受けた。

かつらぎ山房
手前がわたしが作業していた木彫り台。先生が我が彫りの手直しをしております。彼女が木を彫る音はサクサク、サクサクと耳によく、わたしが彫る音はガリガリ、ガリガリ。トホホホ。そうして出来上がったのが下の作品だ。

木彫り
表                       
木彫り


厚かましくいっちょまえにサインまで入れてる(笑 )実を言えば、花の周りのポチポチ彫りは、別の図案を描き始めたものの、幾何学模様が細かくて寸法がうまく合わず、それを諦め上のものにしたのところ、その部分にしっかりとコンパスを立てた跡が残ってしまったのである。それでやにわにポチポチを彫り込んで誤魔化したというわけである。かれこれ37、8年前の大阪時代に、こうして友と二人しておしゃべりしながら「彫り彫り」したものだ。友は根来塗りを作品に施すのだが、今回はとても時間が足りず、そのまま持って帰ってきた。

彫刻刀、塗り用の材料、切り抜いた板などを持ち込んで、ポルトガルで独り黙々と彫った時期があった。木彫りも編み物もそうだったが、この町に日本人がいなかった当時、その作業時間はわたしにとって自分の時間を彫り込み、編みこむ思考時間でもあった。

息子が生まれて歩き始めた頃に、刃物を使うというので万が一の事故を考えて一旦木彫りは止めた。90年代に再び彫り始めたが、子供達の日本語教育、補習校の仕事で忙しくなり、彫刻材料もホコリをかぶったまま現在にいたっている。

木彫りは生半可の時間ではできないのである。そのためには何とか今の自分の生活時間を改善する必要があるなと、目下思案中ではある。

和歌山を後にするという日の朝、着物を着る時間はないけれどと断りながら、友はわたしにお茶のお点前を披露してくれた。
ocha-3.jpg かつらぎ山房
炭火をおこし、抹茶をこす作業から。みちべぇは表千家の先生でもあり、かつらぎ山房では月に2度、茶道教室も開かれる。
正座ができないわたしには正座イスを用意してくれた。

かつらぎ山房
「なんでそうするの?どんな意味があるの?」と各動作に逐一うるさく質問するわたしに、「なんでが始まった始まった」と笑いながら丁寧に答える。
かつらぎ山房

別れ際の一服のお茶は、本当に嬉しかった。
かつらぎ山房

性格も、それぞれが歩む道も大いに違うが、何年会わずともずっと昔のままの気持ちで話しあえる、みちべぇ、あなたは人生の真の友です。 また会う日まで。ごきげんよう。

下記では稚拙ながらも、過去の我が作品を披露しています。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1034.html
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1033.html
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2014年6月17日 

今日は日本滞在時のメモです。

親友がおり、遅まきながらの青春を謳歌したアサヒ・ビアハウスでのバイト歌姫時代があった大阪は我が第二の故郷だといってはばからないのだが、ここ数年訪れていなかった。

今回5、6年ぶりの訪問だったが、足の小指を痛めて歩調がグンと落ち、懐かしい梅新ビアハウス(現在は梅新アサヒ・スーパードライと呼ばれる)へ足を運ぶのは泣く泣く諦めて、和歌山紀の川市にある親友の山荘に3日ほど滞在してきた。

かつらぎ山房
今ではあまり見かけられない立派な木の門構え。

築百年の古い民家を購入しようかどうしようかと友が悩んでいたのは、かれこれ10数年前になろうか。彼女の決断は正しかった。

かつらぎ山房
堺美地子による表千家の茶道教室の茶室や着物の展示会場としても使われる。

一時帰国の2005年に新大阪駅から地下鉄、そして線路伝いの畑にコスモスが揺れるローカル線に乗り継いで初めてこの民家ことかつらぎ山房を訪れた時は、まだ十分に手が加えられていなかった。

我が親友こと「みちべぇ」とご主人がほぼ常在しつつある現在と違い、山房は当時、彼女の週末アトリエになっており、木彫教室や根来塗りのメンバーがここに集っていて、今でもそれは続いている。
かつらぎ山房

日本庭を目の前に、和室の縁側で目前に見える山並みと煌々たる月を眺めながら、和歌山の地酒「黒牛」と漬物を肴に、ポルトガルの、そして、みちべぇの四方山話を夜通し語り合った日は忘れなれない。住む国は違えど、結婚した女が抱える問題は似たりよったりだということを、身をもって感じた日でもあった。

かつらぎ山房
かつては庭の木々も低く遠くに山々が見渡せたのだが↑、今ではそれらも時を経て成長し山が隠れそうである↓
かつらぎ山房

ふと別縁側に目をやると、ん?2011年にみちべぇが彼女の娘を伴ってポルトへやって着た時に買い入れていったアライオロスのクッションが見事にマッチしてソファにおさまっているではないか。
かつらぎ山房

二階も改築され、真新しい木の匂いが懐かさを誘う。
katsuragi-6.jpg
 
かつらぎ山房

山並みを背景に二階のベランダで親友のご主人も一緒に、久しぶりの再会を喜びあう。
かつらぎ山房

次回に続きます。
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2014年6月12日 

ずっと気に入っていた場所で言ってみれば意地悪くも(笑)秘匿としていたのだが、ポルトの街の中でもわたしの取って置きの場所がある。

Rua de Vitoria
↑ここに立つと下方に密集する赤レンガの屋根屋根が、そして右手にはドウロ川が大西洋に流れ込む河口も展望でき、↓左手には大寺院、ドン・ルイス一世橋、ドウロ川対岸のかつてのセラ・ド・ピラール修道院などが眺められ、ドウロ川周辺を一望できるのだ。

Rua de Vitoria

市内を探検している間に偶然見つけた場所、Miradouro(ミラドウロ=パノラミックな景色が見られる場所のこと)だが、私有地なので最初は恐る恐る足を入れてこの素晴らしい展望に感嘆していた。
そのうちに、「自由に入ってください」という小さな立て札を目にして以来、遠慮なく入らせてもらっている。
Vitoria教会(ヴィトーリア教会)のすぐ横にある広場である。

本日紹介するのは、その場所から見下ろす上の写真の石段を降りたVitoria区域である。
Rua de Vitoria
こんな風な駐車はないよなぁと、ポルトガル人の肝に苦笑しながらVitoria石段を降りました。

Rua de Vitoria

降り切った通りが16世紀の終わりごろからある小さなVitoria通り。
Rua de Vitoria

壁に聖母をイメージした大きなグラフィティが。(画像をクリックすると拡大写真が見られます)

こちら、「Viva a Rua da Vitoria」とある。(画像をクリックすると拡大写真が見られます)
Rua de Vitoria

途中でこんな石段を見つけ、いったいどこへ出るのかとフォローしてみることにした。
Rua de Vitoria

Rua de Vitoria

Rua de Vitoria

ぬぬぬ・・・・こ、工事中じゃん!ちょっと危ないかも~、と思いはすれ、前方を行く人の姿を認め勇気を振り絞って続いてみる。
Rua de Vitoria

降りた石段を下から。
Rua de Vitoria

そうして出たところが、なんと、Rua Belmonte(ベルモンテ通り)とサン・ドミンゴス広が交差する辺りであった!
vitoria11.jpg

以前撮影したこの廃墟の建物に手が入れられたのでした^^
Rua de Vitoria

お付き合い、ありがとうございました。
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それではまた!
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2014年6月9日 

時差ぼけと格闘しながら、先週金曜日から日本語教室の仕事を開始しました。

行きはよいよい、帰りは怖いとは、帰国するたびに感じることです。日本へ帰ると動き回るのと興奮するせいか時差ぼけは2日でとれるのが、ポルトへ帰って来る時は時間を遡ることも影響するのでしょう、体が通常の状態に戻るのに一週間を要します。

帰る日も近づくとなると、あれもしてあげたかったこれもしてあげたかったと、日本に残る子供たちに後ろ髪引かれます。「頑張りなさい」とは言うものの、親が側にいたらもう少し余裕のある生活ができるであろうにと、若い時分のカツカツだった一人暮らし時代を生じっか知っているので、つい不憫な気持ちになるのは親の甘さかな?幾つになっても子は子。息子よ、娘よ、もっと何かしてあげたかったおっかさんであるぞ。

joaoMariana2014
照れくさいけどわたしの宝

日本、ポルトガル間の行き来に今よりももっと時間がかかった25年ほども昔、道中が長いので体によくないよと言うのに、異国でわたしがどんな生活をしているのかこの目で確かめたいと言って、70でポルトへやってきたあの時の母の気持ちがよく分かる。

母ちゃん、もう日本に住んだ時間よりもポルトガルでの時間の方が長くなったよ。そんで、子育て時代も最高だったけど、今も最高さ!人生いつも、自分にしちゃぁ今が最高って言えるのはいいもんだね。これも若い時分の貧乏暮らしが肥やしになってるんだ。子供たちにも今のしんどいのを未来の糧にして欲しいと思う。まぁ、君らのしんどさは、おっかさんの時代のとは比べ物にはならんけど(笑)

いつまでもあると思うな 親と金。
孝行したい時に 親はなし。

わたしの場合、これはホンマでしたな。

今日はつぶやきでした。
明日はポルトを久しぶりに紹介します!
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2014年6月5日 

4日、羽田を午前1時の夜間飛行便にて出発、フランクフルト経由で、同日、当地時間午前11時頃にポルトに到着しました。一ヶ月ぶりのブログ更新です。

時差をまともに引きずり、今朝は4時半に目が覚めて起床しました。家の中をゴソゴソ動き回ると夫の睡眠を妨げるので、久しぶりにゆっくりパソコンに向かい、留守中の出来事をネットから拾って読んでいます。

我が家はベルミーラおばさんのお陰で家の中は出かける前と変わりなく、ただブーゲンビリアと小薔薇がベランダを賑やかに彩っているのが女主人への歓迎でしょうか。日本滞在中、30度を越す異常気温の最後の一週間に比べ、ポルトの涼しさもまた少し異常かな?うっかり日本のつもりで夏服に着替えると風邪など引きそうです。

滞在中、少し歩くと腫れあがり、どこへ出かけるにもかばっていた右足小指も、昨日今日であまり気にせずに歩くことができるようになりました。予測通り、ポルトの帰る頃に治ったということです^^; 今回の妹宅滞在はこれまで子供達の住まいにいたのと違い、食料買出し、炊事掃除洗濯の家事の類はほとんどさせてもらえなかったので、動き回るのは自由だったはずが、この小指のせいでどうしても行動を制限されてしまい、残念至極!

しでかしたこと、出会ったこと等はボチボチ、取り上げて参るといたしました、今日はポルトガル帰国中に機内から撮影して、偶然ファンタジーな出来上がりになった画像を載せたいと思います。
  
月

月

月

月
雲海に映る飛行機の翼。

サイズを除いては修正なしです。夜間飛行中、ふと窓の外に目をやると、暗闇の中、右側に真ん丸い月が青く美しい姿で独り煌々と光を放っていました。飛行機の窓が2重(或いは3重?)であるのと、自身のデジカメが夜景用ではないのとでしょうか、こんな色をかもし出してくれました。

実際に見た景色は紫色ではありませんでした。右が月の反射、左は・・・?2重の窓で反射された月の姿?
そして、ふと思い出したのに、日本を去る前に眺めた月は三日月だったと記憶しているのがある。地上からは三日月でも、地球上からかなりの高度から眺められる月は満月なのだろうか。
う~む・・・これはちと調べてみないと!

え?おっちょこちょいのあんさんのことだ。何かと見間違えたのと違うか?
ち、ちがうよ。だってちゃんと証拠写真が、ほら、これでっしょ?
どなたか、説明してくださる方、いらしたら嬉しいです^^

それでは、I am back !ということで、できるだけ更新をして参りたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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