2014年8月28日

お掃除のベルミラおばさんは月末まで2週間の夏休みをとっているし、リスボンに一週間、ポルトに2週間と帰省していた東京息子も、再び日本へ帰ったしで、家の中も我が心もガランとしている。

自宅の日本語レッスンは夏休み中も来たいと希望する生徒が6人ほどいたので、この春の日本帰国で一ヶ月ほど授業を空けたこともあって引き受けているが、それでも普段とは忙しさの程度が違い、読書に割く時間ができ、7月からの一ヶ月半で手持ちの本も読みきってしまった。

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本に関しては好きなジャンルがあるとは言え濫読もする。しかし、読み進めて興味がないものもあったりする。そういう時は時間の無駄だと判断し、途中で読み捨てことも時々ある。
時代物は妹が置いていったもので、どれどれ?と読んでみると意外やおもしろかった。訳あって浪人となり付き添いや(今で言うボディーガードだ)を生業にする主人公が出くわす話だ。作者は「鬼平犯科帳」「研客商売」などのドラマの脚本家だという。

「ケルトの封印」はわたしが好きな宗教シンボルのミステリー兼アクションものだが、この手の本はキリスト教の基礎知識がいる。古代のシンボルと併せて現代科学の先端を行く遺伝子組み換え作物問題が絡むアメリカの秘密特殊部隊のシリーズものだ。読後感はまぁまぁ、かな?

逢坂剛氏のハードボイルド作品「百舌シリーズ」5巻は面白かった。これはTBSとWOWOWが共同でドラマに仕上げている。

最後に読んだ平河スケ弘氏の「日本人に生まれて、まあよかった」、過去の歴史と著者の豊かな海外生活経験を通して現在の日本が抱える問題に切り込み、しかも使えそうな解決方法を提案している。あそこがここがと批判論は多いが、批判するだけなら誰でもできる。わたしは常々、公で批判するは結構。しからば解決策を提案せよ、と考える。平川氏は日頃わたしが思っていることをそのまま上手くこの本に書いてくれたとさえ言える。

特に氏のこれからの学校教育への指針がいい。興味のある方は是非この本を一読ください。

学校教育と言えば、今、日本の小学校では英語が必修化されたと聞くが、わたしは英語教育よりもむしろ、ディベート教育を小学校から取り入れよ、と言いたい。討論するためにはその物事をよく知る必要があるので自ずと勉強することになり、真実、本質に迫ることができるチャンスなのだ。

なんでもかんでも相手を打ち負かせばいいのではなく、相手の意見に耳を傾け、自分の意見を根拠に基づいて堂々と述べる姿勢を身に付けることは、国内外で評価されるはずである。
海外に在住していてつくづく思うのは、わたしも含め、日本人て自分の意見主張の際の根拠がつくづく弱いなぁ、である。この点は戦前の日本人の方が語学力云々を越えてしっかりしていたのではないか。思うに、自国の歴史をよく知り、日本人としての誇りをもっていたのであろう。

終章で氏はこう述べている。

「世間には「朝日新聞」の主張と異なる意見を述べると「日本の右傾化」と騒ぐ人がおります。だがそうした人は「朝日新聞の」左傾化という現象に気がつかない、」やや鈍感な方ではないでしょうか。右か左かは相対的な見方です。日本国がきちんと自国の安全を守ることができるよう法律を改めることを右傾化と呼ぶのは、日本人に軍隊をもたせればわが国がまた必ず軍部主導の国家となると決め手かかるようなもので、それは日本に対しいささか自虐的な見方に過ぎるのではないでしょうか。日本は自国の防衛い自分で責任をもつことが出来ぬ永遠に12歳の子供なのでしょうか。国家としても普通の一人前の国家となり、欧文の責任を分かち持たぬ限り、日本人は人間としても一人前の大人にならないと思います。」引用終わり

朝○新聞の長年の誤報や捏造が明らかになりつつある今、氏の終章、「朝日新聞を適購読でお読みになる皆さんへ」は、今日を透視していたかのようで、改めて戦後の民主主義とはなんだったのかと考えさせられる。もうひとつ、この本で付け加えたいことは、氏の文章が非常に分かりやすという点です。小難しくない^^

というので、最近読んだ本を取り上げてみましたが、実はもう読む本が手元になく、6月の帰国時に日本から送った船便を待ち焦がれているところです。さぁ、本がないと手持ち無沙汰で落ち着かない。そこで手にしたのがこれです↓

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随分前にポルトで手に入れて放ったらかしにしていた一冊、「すうどく」。 Middle(中級?)の途中から進まん・・・・^^;毎晩、布団に入ってから読書ならず、これとにらめっこです(笑)

では、みなさま、また!
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2014年8月23日 

コア渓谷の岩絵の存在は古くから噂があったと言われる。話題に上り世論を沸かせたのは20世紀に入ってからだ。1995年にポシーニュダム建設予定地としてコア渓谷の調査を開始したところが、渓谷沿い数キロに渡り岩絵遺跡群が発見されポルトガル政府はダム建設を中止した。現在はスペインのSiega Verde(スェガ・ヴェルデ)一帯の岩絵群も加わり、世界遺産に登録されている。

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四駆ジープを降りて本の少し歩きます。 

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カメラと三脚を担いだ我が東京息子。息子よ、いつから写真マニアになったのかしら?

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案内人の女性は古学者であろうと推察。説明がとても面白かった。夏のきつい日差しアレルギーがあるわたしは太陽光線を避けるため完全武装で出かけたというのに、この方、それに同グループの若い人たちはみんな強い日差しなどお構いなしですw


これまでに発見されている岩絵の多くは洞窟に描かれているのに対し、コア渓谷のは世界でも最大規模の野外岩絵だそうです。
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案内女性のポルトガル語フランス語の説明が一通り終わったところで質疑応答です。

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1万年、2万年前の岩絵を前にした時は何本もの線が重なった絵であるため分かりにくかったのですが、しばらくじっと見ている間に漸く絵が見えてきました。

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拡大してみましたがわかりますか?「↓1」は牛もしくは馬の横向きの顔の部分です。

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「2↓」は牛です。角を含めて体全体が描かれています。腹部の膨らみ具合、頭部の動物の特徴を見事にとらえた素晴らしい線画です。

人間のみが古代からこのような芸術性を備えていたのに感嘆します。岩の面に幾重にも重ねて線画が描かれているのは、この面が描きやすかったのだろうかと色々思考をめぐらしてみる。

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描かれている絵はどれも幼稚なものではありません。見事に活動的に描かれています。

すぐ側に今では小さくなった小川も見られます。古代にはここは魚捕獲の場でもあったのでしょう。

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東京息子も撮影に余念が無い。

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本の少しだけ岩山を上ります。ここにも数多くの岩絵が刻まれているとのことですが、ここより上はツーリスト踏み入れ禁止です
 
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Penescoaでは3箇所の岩絵を見て、山小屋を後に出発点のCastelo Melhor(カステロ・メリョール)へと引き返し所要時間はほぼ1時間半。写真から分かるようにこの日が曇り。出かける前にポルトガル人の知人に散々脅されていたもので高温でなかったのは、わたしにとって幸運でした。

下はVila Nova de Foz Coaの小さな町とモザイクタイルです。

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ここにも岩絵が使われています。
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この後、国境の小さな町、Miranda de Douroへ移動です。

最後までお付き合いいただきありがとうございます。ランキングクリックしていただけたら嬉しいです。
では、また。

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2014年8月18日

ロックペインティング、つまり岩絵と聞けば、レイフ・ファインズ主演の映画Inglish Pacientの冒頭シーンが思い浮かぶ。



筆で何かをなぞっているのだが、それはサハラ砂漠にあるCave of Swimmers(エジプト)の岩絵のひとつなのであった↓
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岩絵の代表的なものと言えばアルタミーラ洞窟壁画だろう。(1万400年程前)
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随分昔になるが、子供たちが幼かった頃、家族旅行でピレネー山脈を越えた1980年代初期に、わたしたちはこの洞窟絵を見に立ち寄ったのだ。今ならpcで前もって調べていけるのだが、その時は情報もなく直に訪ねた。しかし、日に数人の限られた人数でしかも予約でしか入ることができず、諦めざるをえなかった。現在は外気に触れて痛みがひどくなっているとのことで非公開である。

若い時分からオーパーツが好きなわたしわたしは古代の興味深い岩絵を本の中で幾つも目にしてきた。

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↑同じくサハラ砂漠(アルジェリア)、タッシリ・ナジェールの岩絵。

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↑イタリア北部ヴァルカモニカ岩絵のひとつ。約1万年前のものと推測される。

非常に興味深いものでは、ウズベキスタンのパイロットと呼ばれる紀元前に描かれたとされるフェルガナ岩絵.がある。ここには明らかに宇宙飛行士と未確認物体が描かれている。これを見てわたしは大いに人類起源史に想像を膨らましたものだった。

Fozcoa

さて、古代のロック・ペインティングの殆どが洞窟で発見されているのですが、コア渓谷には洞窟がなく岩絵は野外でそのままむき出しになっています。岩絵は60数箇所で発見されているそうですが、現在訪問できるのは「Canada do Inferno, Penascoa, Ribeira de Piscos」のは3箇所のみで、(下図の青○の所)予約を入れ7、8人のツアーで行きます。
Fozcoa

わたしたちが今回訪れたのはPenascosa(ペナスコーザ)の岩絵です。
総人口が220人ほどの集合場所、Castelo Melhor(カステロ・メリョール)という小さな村に入ると目前に見えてきたのがピラミッド型の小さな山です。

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う~む・・・ここの岩絵に上記のようなオーパーツ的絵が発見されたとしたら、この山も発掘してみる価値があるかもと、しきりにカメラを向けたのでありました^^;

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ここからジープで出かけること、往復1時間半のコースです。ここから先の道は一般者は入れません。
 
Fozcoa
わたしたち3人を入れて8人のツーリストで午後4時半に出発です。前方に見えるのが道。昨年訪れたポルトガルの秘境の山道に劣らず(後記にて案内)狭い凸凹道で冷房なし(笑)なもので、土ぼこりをモロに被ります。

Fozcoa

この日の女性ガイドさん、説明が実に上手く楽しい人でした。帽子、グラサン、首には大きなスカーフ、長袖にもちろん長パンツ、更に手袋姿のわたしを見て、完全武装ね!と笑っておりました。彼女の説明によると、夏は50度を越えるのが普通なのだが今年はいったいどうしたの!というくらい気温が低い30度以下、この日の天気は曇って陽が隠れていたので半死を覚悟していったわたしなどは大助かりと言うもの。

Fozcoa
15~20分ほどして岩絵が見られる現場に到着しました。

あたりはゴツゴツした岩山です。
Fozcoa

続きは次回に。

昨年訪ねた「ポルトガルの秘境」はこちら。

「タラズナール」
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-date-201309.html
リニャーレス
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1381.html
「ピオーダン」
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1383.html
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2014年8月15日 

8月15日、ポルトガルは「Assunção de Nossa Senhoraの日」で休日です。
「Nossa Senhora」は聖母マリアのことで、カトリックの国では聖母マリアが天国に上げられた「聖母被昇天祭」の日になります。

日本では丁度お盆、それに終戦の日です。戦後を引きずる厄介な問題もまだありますが、とにかく、今日この時に砲撃の心配なく、食べ物にありつけ、家族や友が無事で自由に論ずることができるというのは平和以外のなにものでもないでしょう。しかし、それにただ甘んじて思考停止してはいけないと自分を戒めます。今日までの人生を先の大戦で命を落とした人たちや苦労を重ねた我が母の世代の人たち、戦後身を粉にして勤めを果たしてきた人たち、また、ご先祖様に深い感謝の念を抱きます。

日本を考える時、文化的にも思想的にも日本は他に類を見ない独特な個性を持つ国だと長年異国に住んでみて思うことです。もっと自分の国の昭和史について学ぶべきだったと後悔しながら
今、少しでも多くのことを吸収し国の歴史を自分なりに考えてみようと思っています

さて、今週初めに2年ぶりにポ国に帰省している息子を連れ立って親子3人でポルトガル北部のドウロ川上流にあるFoz Coa(フォス・コア)の辺りを2日間回って来ました。Foz Coaの正式名はVila Nova de Foz Coaといいスペインの国境も近いところです。

Fozcoa

地図から分かるようにドウロ川はスペインを水源としポルトで大西洋に流れ込む全長897mの川です。Douroはケルト語で「水」を意味すると言われます。

Fozcoa

当初、今回のフォス・コア行きにわたしはあまり乗り気ではなかったのです。何しろ8月中旬のドウロ川上流は1年中でも最も気温が高い時期で通常は47~50度を越えると言われます。ドウロ川上流はこれまでに2度のクルーズのダム越えとSLの旅でTua(トゥア)まで行っています。(後記にて案内)

先月のシントラ歩きでうっかり手袋と帽子を持つのを忘れ、顔もそうですが長袖から出ていた両手もかなり日焼けしてしまい手入れに苦労しているところ、もうこれ以上は焼きたくないと、避けたい気持ちだったもののホテルの予約もしており夫に引きずられるような感じで出かけてきました。

間もなく2週間の夏休みに入るというお手伝いのベルミーラおばさんに五匹ネコの世話を依頼して火曜日の朝車を走らせること3時間少し。まずはVila Nova de Foz Coaにある考古学博物館(Museu deArte e Arquiologia do Vale do Coa)に到着です。

Fozcoa

2010年夏にオープンした博物館の入り口。景観を損なわないように建物が地上に姿を現さない形で渓谷の斜面を利用して建築されています。
Fozcoa

入り口を下へと下りる。
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↓ガラス張りの空間はレストランになります。
Fozcoa

レストランでの昼食を長時間待つ羽目になり、岩絵を見に行くツアー出発地がそこから更に20分程の場所にあったので、結局博物館入館は叶わず。ドウロ川上流の景観をカメラに収め、急いで目的地に向かったのでした。
Fozcoa

次回は岩絵の紹介です。

インフォメーション
開館時間:10:00-13:30 | 14:00-17:30
閉館:月曜日
所在地:Rua do Museu, 5150-610 Vila nova de foz Côa – Portugal


ドウロ川クルーズの過去記事
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1219.html

ドウロ川SLの旅(1)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-791.html
ドウロ川SLの旅(2)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-795.html
ドウロ川SLの旅(3)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-798.html


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2014年8月11日

無性に美しい日本語が恋しくなることがある。そんな時に手にする本が長谷川櫂氏の「一度は使ってみたい季節の言葉」だ。わたしはこの本を一挙には読まず、その時その時に応じて開いたページをゆっくり読む形を取っている。

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8月だと言うのに気温が上がらずあたかも初秋の装いをなすような空色を仰いで後、開いて思わず目を惹かれた「秋の声」の項。平家物語の高倉天皇と琴の上手で美しい小督(こごう)の悲話が取り上げれらている。以下、ざっと要約してみます。

平家全盛の平安朝末期、時の高倉天皇は美貌と琴の誉れ高い小督という女房を深く慈しんいた。しかし、天皇が小督に溺れる事に怒る中宮の父である平清盛を恐れ、小督は宮中から姿をくらませる。天皇の嘆きは深く、密かに腹心の源仲国に捜索を命じる。

折りしも仲秋の名月の頃、月が白々と照る中、嵯峨野のあたりを訪ね回る仲国は、小督が応えることを期待し得意の笛を吹いた。すると、あたりからかすかに「想夫恋(そうぶれん=男性を慕う女性の恋情を歌う曲)」の調べが響いてくる。

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(Wikiより)


以下、平家物語からの抜粋です。

亀山のあたりたかく松の一むらのある方に、かすかに琴ぞきこえける。峯の嵐か松風か、たづぬる人の琴の音か、おぼつかなくは思へども、駒をはやめて行くほどに おぼつかなくは 思へども 駒を早めて行くほどに片折戸をしたる内に琴をぞ弾きすまされたる。控えて これを 聞きかれば少しもまがふべうもなき小督殿の爪音なり。


さて、本日のトピックはこれなのです。ここで我が目は「ちょと待てぃ!」と相成ったのであります。わたしにとってはこの「峰の嵐か松風か、たづぬる人の琴の音か」というのは、子供の頃から、恐らくは歴史好き、歌好きだった母を通して覚えたであろう、「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」に続く「黒田節の歌」なのであります。これはいったいいかなる事か?

そこで調べてみたところ、「峯の嵐か松風かたづぬる人の琴の音か」は平家物語で最初に語られ、謡曲「小督」に登場し、やがて「黒田節」の2番目にとなったと言う。文言は後半が「駒をひかえて 聞く程に 爪音(つまおと)しるき 想夫恋(そうぶれん)」と変わりはしているが意味はほぼ同じかと思われる。

言って見れば、子供の頃からそれと知らずして平家物語の「小督の琴」の文言を歌っていたということで、一冊の本から手繰った今回の発見は少し刺激的であった。

最後に高倉天皇と小督のその後はどうなったかご存知の方もおられようが、記しておきたい。

小督は清盛を恐れて宮中に帰るのをしぶるが、「想夫恋」の曲で彼女の真意を悟っていた仲国に押し切られこっそりと天皇の元に帰ってきた。2人はひっそりと逢瀬を重ねるが、清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は京都清閑寺に出家させられてしまい、高倉天皇もほどなく21歳の若さで世を去る。

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2014年8月10日 

シントラ到着の日の夕食、9時近くに階段を上って行ったところが、店員が「今日は9時で終わりです」^^;

シントラ2014

ポルトガルのどこに夜9時で閉店するバー・レストランがあるのよ!と、苦笑して上った階段を下り、前回案内したレストラン「アルコバサ」に入ったわけですが、あの日は9時半からワールドカップ、ブラジル、ドイツの準決勝戦の日です、「絶対それを観るがための閉店だ」と夫と話していたのでした。

そして、しつこく翌日の昼食に行ったので、「昨日の人たちだね」と店員さんが覚えており笑顔で迎えてくれました。
シントラ2014
 
テラスの側に席をとりました。眼下にシントラの旧市街の中心の広場が見えます。
シントラ2014

そして、すぐ向かいにはシントラ国立宮殿が建っており、見晴らしがいい。この日の昼食の客はわたしたちのみ。シントラは7月終わりにならないと賑わわないのでしょう。
シントラ2014

店内の壁の色がピンク、グリーン、ブルーのそれぞれ部屋によって違い、
a href="http://blog-imgs-68.fc2.com/s/p/a/spacesis/sintra_barbinho3.jpg" target="_blank">シントラ2014

シントラ2014
テーブルも室内装飾品もレトロで、いい雰囲気です。

Wall Artがいかにもワインバーらしい。左から訳してみました。

シントラ2014
「最良のワインは友達と飲むワインだ」

「何かいい事が起こったらワインを飲むべし。何か嫌なことがあったらワインを飲むべし。何も起らなかったらワインを飲むべし。」

「安物のワインをも飲むには人生は短すぎるよ。(いいワインを飲めよ)」

「ワインがない食事なんて、朝食と同じだ」

シントラ2014
我らの昼食は店にお任せしました。オリーブオイル、もしくはバルサミコをつけて食べる数種類のパン、それにチーズ類か、ハム類、そして勿論、とりあえず4人でビールでカンパイ、それからワインであります。

シントラ2014
デザートにシントラ伝統菓子「Travesseiros(トラベセイロス)」と「queijadas(ケイジャーダス)」。両方ともに「s」はポルトガル語の複数形です。Travesseiroは「長まくら」の形が語源、queijadaはチーズタルトの種類。queijadaのqueijo(ケージュ)はポルトガル語のチーズのことです。

お菓子についてはこちらの過去記事でも取り上げています。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1270.html

「Wine Bar Bistro da Praça」では赤、白、ロゼ、シャンペン5百種類が用意されてあり、コップでの注文可。サイトでは開店時間24時間とあります。

では、みなさま、また。
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2014年8月9日

旅の話を明日にするとして、今日は我が子の話題を。

我がモイケル娘、この夏は修論に専心するもさることながら、院生時代最後の夏季休暇をチャンスと見て先だってから自動車学校に通っている。かなり目減りしたであろう、3年間の勤務時代の最後の蓄えをつぎ込んでのことだ。

来春就職したらその後一ヶ月の生活費やなんだかんだと物入りであるので、それはちと気の毒、息子のときは運転免許を取る際に援助したもので、それではと、夫と二人で自動車学校の費用を手伝うことにした。

オートマが殆どかと思われる日本と違いポルトガルはマニュアルが主力である。我が家に滞在したことのある甥や妹もわたしのマニュアル運転を目にして、「お、マニュアルで!」と少し驚いていた。わたしが免許をとった30年ほど前は自動車学校はマニュアルだったのだもの。
故にわたしは「オートマ」と聞いてもどうもピンとこないのだ。

さて、どこででも運転できるように先々のことを踏まえマニュアルを学ぶべしとしきりに勧める夫の意見に従い、モイケル娘、目下挑戦中なのだが、自動車学校の件はいったいどうなっているのかと数日前にモイケル娘のブログを覗いて爆笑したのである。そして、自分がかろうじて自動車免許が取れたあの頃を思い出した。以下、「バイリンガル物語」の過去記事Rewriteを掲載します。

海外の子供達の学校送迎(1)

行きつけのブログの「スクールバスの悩み」という先ごろの記事を読み、わたしたちも、ほんと、子供達の通学に骨折ってよくもまぁ17年も続いたものだと我ながら今頃感心していました。
その頃は、毎日ただ必死に朝と午後の送り迎えを繰り返していましたが、ある日ハッと気がついてみれば、なんとまぁ、いつの間にやら通しで17年間の送迎を続けていたというのでした。

17年間というのは、息子と娘の年齢が6歳離れているので、彼らが通ったOporto British Schoolを上の息子が出た後もまだ娘の6年間があったのです。通しで二人とも幼稚園に2年間、小中学部が9年間です。

我が家からBritish Schoolまでは、自動車道路が整った今なら車で20分くらいの距離ですが、子供達が通っていた当時は、自動車道路もなく市内を通るのでラッシュアワーにまともにぶつかり、それはもう大変でした。あちこちの、「知る人ぞ知る抜け道」を通れども、ゆうに1時間はかかり、親達は悲鳴をあげたものです。

9時から始まる学校ですが、家を早く出発しても交停滞で遅刻ということはよくあり、子が学校に遅れると学校から引き返して職場に向かう親も必然遅刻^^;この朝のストレスたるや、よくやったものだと今にして思います。

運転免許証など持っていなかったわたしが、British Schoolに子どもを入れるなら「君、免許とりなさい!」と恐ろしいことを夫に宣告され、数ヶ月の一時帰国を利用して仕方なしに日本で自動車学校に挑戦したのは30も半ば過ぎていました。元来がさして運動神経のいいほうではなし。若い人たちがかける費用の1.5倍はかかりましたです、はい^^;

そうしてなんとか晴れて取れた免許、運転暦はというと試験の時に外を走っただけです。
それで、国際免許証に変えてポルトに戻ってきたのですが、今度は運転席が逆のポルトガル、おっそろしくて、ハンドルを握るのもイヤでしたね。それでも必要に迫られてどうしても車を走らせざるを得なかったのでした。この間たるや、様々な失敗をしでかしました。

話を子供達の送り迎えに戻しまして。
登校は夫が連れて行けども午後は仕事の関係上迎えにいくことはできない。定時に迎えに行くのはわたしの役目です。
学校は子供一人で校舎から出ることを許可しません。徒歩で通う生徒も中学生以上で、しかも学校が発行する通行パスなしでは外へでることはできません。そして、親が迎えに行くのには、この時間までと決められており、なかなか厳しい規律です。

そこで、朝の通学は、比較的近距離内に住む4家族が(学年もそれぞれ違う)グループを作り、夫たちが1週間の当番制を組みました。皆が集まりやすい場所というので「サン・ジュアン病院集合」です。全員が到着して、みな1台の車に乗り込み、当番の父親が数人の子供達を運びました。

最初は4人の子どもだったのが、その兄弟たちも通学するようになり、1台の乗用車に子どもだけで6人7人となり車の中は子どもの顔だらけ!小さい子は大きい子の膝にのるのですが、これは乗用車に乗れる数が定められている今ならできません。あの頃はまだそんな規則がなかったのです^^ 今思うとちょっとぞっとしますが、幸い一度も事故が起こらずに来ました。幼稚園児から高学年まで、子供達はさぞかしうるさかっただろうと想像します。

帰りも母親同士で当番を作っていたのですが、わたしは加わりませんでした。なにしろ、運転に自信なく、自分の子どもならまだしも、よそ様の子どもを同乗させて、万が一のことでもあったら、取り返しがつかない。迎えの役割を親として毎日黙々とやりましたw子供達が学校にいる間は、こちらも日本の通信教育の手伝いの準備です。その17年間はひたすら、子育てと迎えに徹しました。

PTAは何度か学校にスクールバスの要請を出したのです。が、これも考えてみると、なかなかに大変そうだとわかりました。比較的近距離の子どもはいいのですが、遠距離の生徒は一番最後になります。他校のスクールバスを利用している親達の「車で行ったら10分ほどの距離が、1時間ときには2時間かかって帰宅する」との話も聞いていました。

往復の通学に順調に行って2時間もかけるのは得策ではない、まして、我が子たちは、現地校の宿題もさることながら、補習校の予習に宿題、海外子女教育財団から通信教育も受けており、これを毎月期日に合わせて郵送することになっているのです。親が頑張って迎えに行くか、子どもが疲れて帰るか、どちらかです。迷うことなく毎日迎えにいくことをとりました。

そうなると車も1台では間に合わない。結局車はわたし用にもう1台中古車を買うことになりました。
この頃は、お金も時間もいくらあっても足りなかった。しかし、こうして親も辛抱して頑張ることによって得たものも多くあったように思います。

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制服を着たあの頃の子供達


件のモイケル娘の爆笑記事はこちらです↓ http://portosentido.blog54.fc2.com/
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2014年8月7日

妹夫婦、わたしたちと4人のシントラ旅行で見つけたレストランとワインバーを。

日中リスボンを歩き、シントラに入ったのは夕方でした。

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ホテルのベランダからシントラ山頂の「ムーア人の城跡」が見えます。

いったんホテルで荷をほどき、町を散歩がてら、食事処を探して歩きました。7月半ばのシントラは
週日だということもあって観光客もまばら。
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午後8時も過ぎ日も少しずつ暮れようとしています。

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訪れるたびに入ってみたいと思っている「ロード・パイロン」なるバー&レストラン。この日もドアは閉まっておりました。それで今回、検索してみると、営業は12時から夜8時まで^^;観光地としては早すぎる閉店ではござらんか。次回は是非と思っています。って・・・またいくつもりかいw いやいやシントラの魅力はつきないのですよん。
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「Cintra Grourios Eden」と、シントラをエデンの園に讃えたバイロン卿の言葉が彫られています。かつてはSintraではなくCintraと書いたのですね。
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そうして入ったのがこのレストラン、Alcobaca(アルコバサ。cの下にニョロマークcedilhaマークが付く)です。 Sintra2014

妹が店の天井が鍾乳洞のようで面白いというので入ってみました。
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いつもの如くビールでまずはビールでカンパイ!それからワインへと入るのでありましたw
Sintra2014

この日は丁度ワールドカップのブラジル対ドイツ準決勝戦で、間もなく試合も始まろうという時間、サービスマンもテレビの画面に気をとられ(笑)

さて、ここでは店主、サービスマンにわたしたちも加わり食べながらテレビでサッカー観戦。
ブラジルチームが一点入れられるたびに、あちゃー、ガーン、で、後半は「だめだ、こりゃ・・・」「どうなってるん?」の連発。まさかまさかの7:0。信じがたかった・・・

ところが店主、ホクホク顔ではないか。聞けばこの勝負、なんと彼は「7:1でドイツに勝負あり!」と賭けていたのだそうな!あまりにもあまりにも見くびり過ぎじゃぁござんせんか?これで一晩40万近くを手にしたとのこと、ホクホク顔になるはずであります。

客がわたしたちだけで店主とこの話で盛り上がったこの晩でしたが、店主、太っ腹でひょっとするとおごってくれるかも?と冗談に少し期待して翌晩も出かけていった我らでしたが、彼は休んでおりましたっけ(笑)。

次回はもう一軒、気に入ったワインバーの紹介です。ではでは。
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2014年8月3日 

毎日ではないが、日本語教室の生徒やポルトガルの知人達相手に、塾と称してフェイスブックで、日本文化や漢字、愛唱歌、ニュースなどの情報を載せている。夏休み中なのと、生徒の漢字検定試験に向けての準備も兼ねて、彼らが興味を持ちそうな面白い漢字と言葉を選んでみようとネット検索していたのだが、よくあることで、いつの間にか本題を離れて目にした、外国人が着る日本語ロゴが、いと可笑しく、夫にまで声をかけ、二人して笑い転げていたのであった。

2年前にブルッセルを訪れた際、街を歩いていて目にしたブティックのショーウィンドーの日本語訳に「なんだ、こりゃ?」とカメラを向けて撮影してきたのに、こんなのがあったのを思い出し、やおら画像を引っ張り出してきた。

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「極度乾燥(しなさい)」・・・(しなさい)ってなによ、(しなさい)って、と苦笑しつつ、正面玄関にまで回って写真を撮ってきたのだが、ブティックのロゴにも「(しなさい)」が入っているのには苦笑にすら困ったわたしであった。

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以下、ネットで拾った、外国人が着るTシャツの日本語ロゴの写真をば。

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               さいでございますか^^ 

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大変でございますなぁ。            お励みください。

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あらら、お大事に。            まぁ、よくあることではございます。

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い、いや、あの、その、ご自慢は分かるんですが、大汗もので^^;

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キャバクラと幕府がなんで「いい国」なん!

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い、いいけど・・・言わんでもええがな(笑)
 
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なんだかなぁ・・・
 
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いやぁ、お食事処でそれはないっしょ! ↑「侍」とまちがっとらんか?酷い!!!

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おいおい、お前さんがた^^;

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「寿司 さしみ」^^;ブルータス、お前もか!って、誰だったっけ、この人?(笑)
 
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ダニエル君、「Tokyoな」ってなんですのん・・・ま、確かに名詞に「な」をつけることで「な形容詞」になるにはなるが、これはちょっとねぇ。「Tokyo的な」でしょうが。

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お、出ましたね、Superdryの「極度乾燥(しなさい)」(笑)

このSuperdry、気になるもので調べてみると、英国の国際服飾で、「Superdry極度乾燥(しなさい)」がブランド名なのだそうです^^;び、びっくりしました・・・
「極度乾燥」製品は、米国のビンテージ生地と日本に触発されたデザイン、英国テーラーの三つ巴を組み合わせた製品である。極度乾燥ブランドは欧州、北米、南米、中東、豪州、アジアの40ヶ国に展開している。」(Wikiより)

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あははは。これは小気味いい。

外国人のTシャツロゴを楽しませてもらったのですが、逆も然りで、わたしたち日本人の英語ロゴも酷いのがあること確信です。昔、息子用に日本から買ってきたTシャツの英語ロゴに「Fry away」ってのがあり、「うは!」と思いましたっけ。そう言えば我がフラットの前のカフェ、「Take Way」と看板を一時出していましたが、誰かが伝えたのでしょう、じき「Take away」に訂正されました。

気がつかないところで自分もヘンチクリンなロゴの入ったものを着たりしているかも知れないので、クワバラクワバラ、人様のことを笑えた義理ではありません。それにしてもいったいどんな人がこんな酷い日本語ロゴを作るのだろうかと思わずにはおられない。

変な英語ロゴの多くは英語に疎い日本人が作るのだろうから、日本語ロゴもそれと同じように日本語をかじった外国人が作るのだろうか。それとも手当たりばったり、目に付いた日本語をプリントするってことだろうか? Or、漢字に対する自分たち(外国人たち)の感覚で選ぶのか。大笑いした後で思ったことである。お粗末さまでした。

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2014年8月2日 

8月に入ったといは思えないような気候です。昨夜からの小雨で今日の気温は19度。昨年夫にねだって取り付けてもらったエアコンもほとんど出番がありません。今年のVindima(ヴィンディーマ)こと、ブドウの収穫も気になるところではあります。

先週は会社が3週間の休暇に入るのと、出張がないとのことで、某企業のお偉いさん、マセラティの君から毎日日本語レッスンのお呼びがかかり、毎朝通勤の様を呈し、かつての日本でのオフィス時代を思い出しました。

週日の日本語教室も5月の我が帰国で一ヶ月休講にしたが故、生徒たちの要望で8月も続けている状態なのですが、土曜日の教室二クラスは今週から夏季休暇に入り、少しのんびりした週末、久しぶりにゆっくりと調べものをしながらブログを書いています。

7月に日本から来た妹夫婦を連れて2年ぶりにシントラを訪れました。シントラはポルトの次にわたしが愛する町で、今回の訪問が5回目でしょうか。妹も「車とユウ(わたしのことである)の案内で、ガイドブックにはない、普通であれば気づかないものをいっぱい見せてもらえた!」と我が案内を大いに面白がってくれました。行く度に新たな発見があり、わたしにとっては実に興味深い町シントラです。夫の多少食傷気味な顔を横目に、今度は秋が深い頃に来て見たいなぁとねだっています。

今日はわたしが少し面白いと思ったものをご紹介します。久しぶりの、「spacesis、謎を追う」シリーズの一環とお思いくだされ。シントラの中腹にある「Chalet Biester」の紹介です。恐らく日本語ブログでこの館を取り上げるのはわたしが初めだと思います。エヘン^^

Chalet_biester2014

ポルトガル語では「シャレ・ビエステール」と読みます。Chaletと言うのは建築様式でアアルペンスタイルの家のことだそうですが、「Chalet Biester」はむしろ「シャトー」と呼ぶのが適切ではないか。19世紀の建築様式イギリスのクィーン・アンスタイルとネオゴチック、ネオロマネスクが混同しています。建築は19世紀の有名なポルトガル人建築家Jose Luis Monteiroです。

Biester館の存在を知ったのは、昨年、ジョニ・デップ主役の「The Ninth Gate(邦題:ナインスゲート)」をテレビで偶然観たときです。Ninth Gateと言うのは「影の王国への九つの扉」の意味。原作は、1993年に書かれたスペインの作家、アルトゥーロ・ペレス=レベルテの「デュマ倶楽部」で映画監督はロマン・ポランスキー。う~む、デュマ、ポランスキーと聞いただけでも摩訶不思議な作品と思えます。
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ジョニ・デップが演じるCorsoは稀覯本(きこうぼん)を発掘してはそれを売り込むことを生業にしています。ある日、世界に3冊しか現存しないと言われる祈祷書『影の王国への九つの扉』のうち、どれが本物なのか調査を依頼されます。捜査をするうちに不可解な殺人事件が起こり、やがて本物の本を見つける鍵は堕天使ルシファーの署名が入った挿絵の版画にあること突き止めまる訳ですが、3冊の稀覯本を捜し求めて行く先がパリ、トレド、そしてシントラのこの屋敷です。
Chalet_biester2014

シントラが出てくるのでこの映画を観たのではなく、見ている途中で「あれ?知ってるジャン、この道・・・」と相成ったのでありました。以来今日まで時間なく、そのままになっていたのです。

わたしが調べる限り、シントラは太古の昔から「月の山」と呼ばれてきたエソテリックで多くの神秘思想主義者を魅了してきた町ですから、この映画の1シーンに取り上げられたのはさもありなん。

トップのBiester屋敷の写真は今回探して門外から撮ったものです。と言うのは、この屋敷はかつても現在も個人住宅で入ること叶わず^^; よって下記にネットで拾った画像をアップして見ます。

Chalet_biester2014
森の中にあるBiester屋敷。

Chalet_biester2014
正面。映画を観たからか、どことなく妖気が漂っているような気がする単純なわたしであります。映画では屋敷の前の噴水の中で、稀覯本の一冊を持った館主の死体が浮かびます。外見もさることながら、内部をもネットで拝見してみました。

Chalet_biester2014
最初の持ち主はドイツ系のコルク大商人、Ernest Biesterと言われます

この部屋などはじっくりと観察して探ってみたい思いに駆られます↓
Chalet_biester2014

Chalet_biester2014
屋敷内にある礼拝堂。色具合がフランスの「レンヌ・ル・シャトー」に似通っていないか?

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神秘主義には定番のドラゴン。

ジョニ・デップの映画そのものはシンボル探索好きのわたしには面白いものでしたが、断っておくと、わたし自身は特別にオカルトに興味があるわけではないのです。昔から残されて来たシンボル読解と、それらを未来の人々に伝えんとした人間の心理に興味をもつ者です。

いかにしてキリスト教が欧米社会を支配してきたか、キリスト教から見る悪とはなんだったのかとヨーロッパ圏に住んでみて、これを知らずして文化は理解できないだろうとの結論に達し、追っかけ始めた謎シリーズではあります。

Ninth Gateに興味がある方は映画のCorsoの各シーンと本の挿絵を併せて意味を考えてみてください。シンボル解きのダヴィンチコード好きには面白いかもしれません。

私たち人間そのものが善と悪を内に持つミクロコスモス、されば、宇宙全体、マクロコスモスも然り。神、悪魔は言葉として知っているものの、それに対する欧米人の考えはキリスト教文化を背景に持たないわたしにはなかなか理解し難いものがあります。

どこかで目にした、「悪魔には問題があるが 神にも疑問がある」がわたしの正直な気持ちでしょうか。

最後にNinth Gateの中からの言葉「Every book has a life of it’s own life」ということで、本日は閉じます。

それでは、また明日。
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