2014年11月24日  

ライトレールにお株を取られ、スピード時代の現代にはおよそ似つかわしくなくなった路面電車ですが、ポルト、リスボンでツーリストに多大な人気を持つ事実は否めません。特に車体がカラフルな路面電車は、ツーリストのみならず、普段はそれを利用しない地元の人にとっても見るのが楽しいものです。
 
路面電車
リスボンの路面電車

ポルトには現在、上の写真のように旧市街を縫って走る線とドウロ川沿いに走る2車線があります。ドウロ川沿い線は起点が路面電車博物館でしすが、現在博物館は2015年6月のオープンを目指して改築中で閉館です。

そこで、本日は記録を留めて置くために2回に渡り、かつて訪れた旧路面電車博物館を様子をここに挙げておきたいと思います。今日は路面電車から。
郷愁を誘うその姿に魅せられ、マニアになる人も少なくない路面電車。ポルトガル語では「Electorico(エレトリコ)」と呼ぶ。ポルトは1972年にイベリア半島発の路面電車を走らせた街だ。

路面電車
サン・フランシスコ教会前を起点に川沿いを走るエレトリコ1番、海岸線ことLinha da Marginal(リーニャ・ダ・マルジナル)。

路面電車
昔ながらに座席は革張り、床は板張り。車内アナウンスはないので、ご注意。終点まで10分~15分。

路面電車
エレトリコにぶらさがる子供達。昔も今も少年たちがすることは同じだ。
(路面電車については、古い話になりますが、2005年10月8日にNHKラジオ放送「地球ラジ」にホンの7分ほど出演してポルトの街の紹介と路面電車のことをお話したことがあります)

路面電車

↑路面電車1番はドウロ川と対岸の古くからの家並みを間を縫っていく。ポルトでもわたしが最も好きな光景のひとつ。洗濯物を通りに面して干すのは禁じられているが、旧市街は別である。

路面電車
白馬にまたがる警察官。こんな光景もよく見られた。

近年まで残されたのはドウロ川沿いのサン・フランシスコ教会をパセイウ・アレグレ(Passeio Alegre)間を走る一路線のみだったが、2007年9月に「エレトリコ22番」が30年ぶりに復活した。この路線はダウンタウン、バターリャ広場から「1月31日通り」、クレリゴス教会、カルモ教会前まで往復する。


路面電車
ダウンタウンを縫うツーリスト用のエレトリコ

そしてもう一路線が、マサレーロス(Massarelos)とカルモ教会間の旧市街を走る18番だ。

混雑したダウンタウンで車の間をゆっくり縫って走る黄色いエレトリコは、往時のノスタルジーををかもし出し、大いに市民に歓迎されている。
2014年現在では、8時から20時55分まで、2.50ユーロで利用できる。

読んでいただきありがとうございました。
次回は博物館の案内です。それではまた明日!(また明日、と言いもって、更新できないことも多いのですが、気持ちは明日も!なのでありまして^^;)

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2014年11月23日
 
昨日の土曜日は、ポルト、ラパ教会のすぐ側にあるYY日本語塾での二クラスの授業を終え、そのまま、Campo Alegre(カンポ・アレグレ)にあるブリティッシュ・クラブ内のクリスマス・バザーに直行し借りたテーブルに日本の小物を陳列しました。

この日の10時からしか搬入ができないので、夫が手伝いを申し出てくれわたしの授業中に運んでくれたので、大助かり。授業が終わる頃に夫からの携帯電話連絡で「教会の前で待っているから」とのこと。あらら、そこまでしてくれなくてもいいのに、と思いながら嬉しい申し出。結局、わたしの車をそのもも教会前に置いて、夫の車でバザー会場に到着したのが1時半ころ。開場は2時からなので、大急ぎで品物を並べました。

ポルトガル語では、このようなクリスマス向けのバザーを「Venda de Natal(ベンダ・デ・ナタル)」
と言うのですが、今回は友人から声がかかり、このクラブのバザーに始めて参加してみました。
ブリティッシュ・クラブは私達夫婦にとって懐かしい思い出がある場所です。現在東京に住んでいる二人の子供達がブリティッシュ・スクールに通学していたので、スポーツデイ(運動会)やサン・・ジュアン祭りなどの学校行事が当時はこのクラブの広い芝生の庭で行われていたのでした。
息子が卒業してから20年近く、モイケル娘は13年近くになります。

通学は親が車で送り迎えしていて、生徒が一人で校内から出るのは禁じられていましたから、親は校庭で待つことになり毎日のように親同士が顔を合わせていたものです。その数人の親御さんたち、そして、子供達のかつての先生たちとも顔を合わせ、店そっちのけで会話が弾みました。

かつての我が子たちの同級生も、我が子たち同様、ほとんどがポルトには居残らず、アメリカ、ロンドン、ドイツに散らばっている様子。小学生の頃、モイケル娘がしょっちゅう遊びに行って泊まったりしていたロバート君も今はニューヨーク住まいとのこと。親同士の近況よりもすっかり大人になった子供達の近況に花を咲かせて来ました。
クラブのバザーは入場料がいり、わたしもテーブルを置くのが有料ですがこれらの収益は全て
孤児院や病気の子供達、シングルマザーたちへの寄付に回されます。

クリスマス飾りや手作りジャム、食器類などを売るたくさんのテーブルが並んでいました。日本の小物を並べるわたしのテーブルは特別でした。人出で賑わい、多くの人がクリスマス飾りを買い求めにきていましたが、少しはわたしのテーブルからも売れました。
何度も覗きにくる人も数人おり、欲しいけれど値段的に高かったのでしょう。そういう人たちには半額でお渡ししたりしたので、原価を割ってしまっています。でも、いいではないの。欲しかったらもっていけ~、です(笑) わたしは商売には向きません。

これまで集めてきた日本の物は、展示会に本当に必要だと思われるものを除き、これからはどんどん譲っていこうと決心しました。子供達のどちらもがポルトの市井にある一人として日本文化を広めるのでなければ、これらは後輩であり同僚であるOちゃんに託していくつもりでいます。
今回はそれでバザーに参可したのでした。

開場には日本語の生徒さんも何人か来てくれました。特に長年の生徒で齢70を越えるマリアさんは、お孫さんとそのお父さん(義理の息子)を伴って現われ、息子さん、わたしを見るなり曰く、
「やっと、義母の話にしょっちゅう出るYukoに会うことができた。あははは」^^;
マリアさんの家族は音楽一家です。娘さんも義理の息子さんもクラシックのギタリストで、モウ一人のお孫さんはピアニスト志望です。マリアさんの母上と言えば、その昔、フレイシュ宮殿に住んでいた人で、ピアノの先生でもありました。(→こちらで書いています)

今回のバザーで嬉しかったのは、こういう懐かしい人たちとの出会い、新しい出会いです。来年はどうなるか分からないものの、「では、よいクリスマスを。また来年ここでお会いしましょう!」とみなさんからご挨拶。

そんなわけで、金曜日の夜更けまで、授業準備とバザーの値札付けに終われましたが、ひとまず終了し、後は影絵作成一直線と思いきや、雑誌掲載の原稿締め切りが明日であった!今晩も夜更けまで仕事することになりそうである。

あれ?spacesisさん、今日は写真がない?・・・そうなんであります。開場の様子をカメラにおさめる暇もなく、実は昼食(開場での飲み食いは禁止であった^^;よって食べる間がなし)も夕食(家に着くなりベッドにもぐりこみ、夫の晩御飯の用意もせず、朝まで寝ほうけました^^;)もなしで、今朝はなにやら二日酔いのような気分だったのでありました(飲んでいませんて、一滴も!(笑)

そんな訳で、本日は写真なし。では、みなさま、これにて失礼!
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2014年11月17日 

森の中を一通り歩いた後、案内されたのが、Aguarudente(アグアルデンテ=火酒)である「Adega Velha」の酒蔵です。

アグアルデンテとは、アルコール度数が非常に高い蒸留酒のこと。例えばウオッカ、テキーラ、ラム酒、などが呼び方こそ違いますが、同種類になります。言うなれば焼酎でしょうか。

下がアヴェレーダ社のアグアルデンテ、琥珀色の「Adega Velha」です。(Adega=酒蔵、Velha=古い)

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1975年に造られたものは300ユーロ(4万円前後)の高級品です。下は酒蔵の入り口。

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酒造内では樽の中でアグアルデントが寝かせられています。
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Aveledaの葡萄園のひとつを横に見て、レストハウスでワインの試飲です。
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ロゼと白ワインを注いでくれる案内人のアナさん。試飲したのはヴィーニュ・ヴェルデ白とロゼのCasal Garciaという銘柄。
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Aveledaで作るチーズをつまみに。
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ガイドのアナさんとワインを試飲しながら色々話しているうちに、話題がAveleda社創立者のGuedeという姓に及び、しばらく前に当ブログで紹介したドナ・アントニアの造り上げたワインセラーFerreiraの現在の持ち主がSogrape社(マテウス・ロゼの会社)Guede一族だったので、質問してみると、実は親戚同士で数年前まで共同経営者だったとのこと。これもまた奇遇なものだと感じ入ったのでした。

Ferreiraワインセラーはこちらで。

Aveleda社のワイン「Vinho Verde」の「Casal Garcia(Casal=夫婦)」の銘柄は長い歴史を持ち、世界各国に売り出され、現在では日本にも輸出されているそうです。

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Casal Garciaの珍しいVinho Verdeのロゼ(左)。この画像はWikiから

キンタ・ダ・アヴェレーダはこれにて一件落着です。本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。よろしかったらランキングクリックをお願いします。
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2014年11月12日 朗読録音、ニーナめ~~!(怒)・・  

ここずっと日本語教室の合間を見ては12月27日に上映予定の影絵、「百万回生きたねこ」の切り絵作成に没頭しています。

100mannneko

今回は日本語を学んでいる人たちにも見て聞いてもらいたいと思い、ポルトガル語と日本語で2回に分けて上映することにしました。ナレーションはポルトガル語に翻訳したものを例年通り我がモイケル娘に朗読録音してもらい、日本語版はわたしが録音することにしました。

で、先日から、実は何度となく録音を繰り返しておるんです・・・
ゆっくりと発音正しく、しかもなるべく聞き取りやすいように読みますので15分くらいの朗読になり、BGMと丁度あうというものです。

録音に苦労しているのは、pcのヴォイス・レコーダーを使用しているのですが、我が朗読そのものもさることながら、外部からの雑音も意外としっかり録音されることなのであります。

外からの子供の声(学校が近いのだw)、階上の物音(近頃住人が変わり、子供が4人ほどおり、よく床に物を落としている、その物音が頭に来るくらいはっきり聞こえるのであ~る)、時々上空を飛んでいく飛行機の音、救急車の音、そして、一番血がのぼるのが、階下の人が車庫で飼っているジャーマン・シェパードのニーナちゃん!

今日も、お、今回は結構朗読も良いデキで、なんとか最後までこぎつけそうだワンと思いきや、物語でねこが相棒の白猫の死を悲しむ場面を読んでるときに、「うわんうわんうわん!」と始まり、なかなか止むものではござんせん。腹の中で、「んにゃろーめ、1、2回ならいざしらず、いつまで吠えとんじゃ~~」とわれながらハシタナイ言葉でののしりながらい怒り抑えて読むもので、悲しい場面の朗読に腹力が入り、最後の章寸前でストップボタンを押さざるをえず!あぁぁぁ、腹のたつ^^;
繰り返し読んでるので、もうすっかり暗唱してしまいました。

いえね、ニーナちゃん、二階の台所ベランダから見てると、こちらを必死で覗いてる様子、でっかいお耳だけがチョビッと見えて、可愛いんですよ。けど、これじゃぁ、録音ができない。

マイクだマイク!と、早速FNAC(フランス系の大型書店)で週末に仕入れてきた。どうせ買うなら少しは性能のいいのを、と夫が持ってきた15ユーロくらいのを、「こんなの音響がよくないよ。もっといいのを」と、元歌姫もどきのわたし。歌だってマイクの性能でよくも悪くもなるものなんです^^;そうやって買ってきたマイクだが、家で箱から取り出して接続する段になり、接続口を見るなり夫、「これじゃ接続にケーブルがいるよ」。 ケ、ケーブル?と機会音痴のわたしは、そこまで考えが及ばず、恥かいた。

ケーブルを買いに行った夫がもってきたのは、結局最初に彼が手にした安物のマイクだった。
ケーブルひとつだけは売ってなくて、なくてもいい二ツ入りのしかない。もったいない、だって(怒)、カラオケにも使えるかも~と、この所、声張り上げていなかったわたしは密かに期待したのだが、なんだ、残念。

それでもマイクをpcに接続した後、どこでどのようにプレイバックするのか分からない。錆び付いて古メカの頭に少しはカツを入れようと、これを今週末の課題にした。知っている人にはどうということがない機能なのだが、それにウロタエテいた今週でした。

CDも間もなく取り扱われなくなり、ペンを使うことになるという。グワ~、また新たなことを学ばなければならんのか~と思いながらも、好きな音楽、好きなことが関連するのならば、こればかりは時代に取り残されないように、頑張ってみようと思っているおっかせんである。

本日は多忙ゆえ、これにて御免。
明日はアヴェレダのワインセラーです。
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2014年11月11日

歌、「知床旅情」は「琵琶湖周航の歌」とともに、わたしがアサヒでよく歌った歌である。この歌はまたわたしの「青春の彷徨」の歌とも言える。

数十年たった今でも、「知床旅情」を歌うとき、心は19の歳の彷徨時代にもどるのだ。

♪知床の岬に はまなすの咲く頃
  思い出しておくれ 俺たちのことを
  飲んで騒いで おかにのぼれば~

アサヒビアハウスでは「知床旅情」はベルリンオリンピック水泳競技ゴールドメダリストで常連の葉室鉄夫氏が披露する歌で、わたしも一緒にステージにあげられ、よく氏とデュエットをしたものだ。「君を今宵こそ抱きしめんと~」のところで、氏はそっとわたしの肩を引き寄せるだが、まことに紳士的な方であった。
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だきしめんと~で、こういう具合に↑笑

加藤登紀子さんが歌って大ヒットした歌だが、実はこの歌、ヒットする以前にわたしは既に森繁久彌の歌として知っていた、好きな歌だった。
大学進学を諦めきれず、グズグズしていたわたしは就職の機会も取り逃がし、お金もないのに、高校卒業後上京したり帰郷したりの繰り返しだった。親の心配をよそにフーテンの寅さんの如くウロウロしていたのです。この親の心配はその後を経ても後を絶たず、イギリス、アメリカ、果てはポルトガルくんだりまで流れ着くこととなってしまったわけではある。

spacesis19の歳の9月、親に告げることもなく青森港から連絡船に乗り函館を抜けて札幌に辿り着いたのはもう夜であった。この時わたしは生まれて初めて札幌の豊平川のほとりで野宿とやらを経験するのでした^^;  川のほとりに腰を下ろし、夜の中、一晩中水の流れに聞き入って世を過ごしたのです。^^;  芭蕉の「奥の細道」のようだ、なんてとても気取っておられまへんよ。内地ではまだ残暑ある9月も、北海道では冬支度に入る月だということを、このとき知ったのである。 とにかく寒かったです・・・・

札幌には一月ほどいた。その間、行きずりの親切な人たちと知り合いになり、すすき野界隈の歌声喫茶に入ったりして知ったのが「知床旅情」と「白い思い出」だったと思う。後年、加藤登紀子さんが歌いヒットしたのを耳にしたときは、「ほぇ?」と思ったものである。

ちなみに、この歌は「地の涯に生きるもの」という知床を舞台にした森繁久弥主演の映画撮影のときに、彼によって作られ、北海道から広まった歌と聞く。やはり、であります。^^「地の涯に生きるもの」はずっと昔、子供のころに学校の映画教室で見たのだが忘れられない映画です。春が来て再び猟師たちが知床を訪れるまでの長い冬の間、たった独り、番屋で
猫たちと暮らす森繁演ずる老人が、流氷に乗って流されて行こうとする猫を救おうと、足を踏み外し氷の間から海に落ち、誰にも知られず命を落とす。忘れることができないラストシーンであった。

♪知床の岬に はまなすの咲く頃
思い出しておくれ おれたちの彷徨を・・・

わたしが19の頃は、知床はまだ人跡未踏のさい果ての地ではありました。

葉室先生については、2005年の日記に書いてあります。

2005年10月31日(月曜日)(1)
今朝はネットで小泉第3次内閣の記事を読み終え、何気なく下段へ目をやりますと、スポーツ欄で、知っている方の名前を見かけ、思わず「え!」と声を出てしまいました。

「ベルリン五輪の金メダリスト・葉室鉄夫さん死去」とありました。この年、女子競技では前畑秀子も(ラジオアナウンサーの「前畑がんばれ前畑がんばれ!」の声援があまりにも有名です)メダルをとったのです。

葉室先生は、我が青春のビアハウス時代のお仲間でした。
昨年(2004年)の帰国時に、当時の仲間が集まってくれましたが、その時にはお目にかかれませんでした。でも、数年前に、ビアハウスの歌姫先輩、堺の宝嬢宅におじゃましたときには、随分久しぶりに電話でお話したものです。

温厚で笑顔が絶えない葉室先生でした。
「あの頃ビア・ハウス:知床旅情」に少し登場していただいてますが、この歌は、先生が
いらっしゃるときは、(しょっちゅういらしてましたがw)必ず歌われました。

「君を今宵こそ 抱きしめんと~」で、そぉっとわたしの肩を引き寄せるのです^^
いえね、これは、わたしだけではなくて、わたしが歌えないときは、宝嬢がこの役を仰せ
使うわけでして^^。 要はステージでのジェスチュアなのです。

奥様ともよくいらっしゃいました。
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左から、ドイツ民族衣装を身に付けた我が先輩歌姫「宝木嬢」、葉室先生夫妻。

毎年ビアハウスで行われた「オクトーバー・フェスト」(ドイツのビア祭)では、普段の伴奏はヨシさんのアコーディオンだけなのが、この日はドイツの民族衣装をつけた楽団が入り、ドイツ領事、その他のドイツ人が入ったりと、まさに、ドイツ形式そのままのお祭になるのですが、このとき、乾杯の音頭をとるのは決まって葉室先生でした。

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1970年代、旧梅新アサヒビアハウスでの定例オクトーバーフェスト

左から、ドイツ民族衣装を身に付けた我が先輩歌姫「宝木嬢」、葉室先生夫妻。
何年か前に「文芸春秋」で偶然先生が書かれた記事を読んだことがありますが、ベルリン五輪で、間近にヒットラーに会った、と言うことに触れておられました。

今朝は早速、宝嬢宅へ電話を入れてみましたが、返答がありません。恐らく彼女は、先生のご自宅の方へ行っているのでしょう。今年はアサヒ・ビアハウス黄金時代の店長だった塩さんに続き、葉室先生も、あちらのお仲間になられました。

知っている仲間が一人また一人と、地上から姿を消して行くのは、寂しいことではありますが、歌とビールをこよなく愛したみなさんです、きっと地上の星となり、彼岸の向こうで再会を祝って、「Ein Prosit ein Prosit der Gemutlichkeit!」(ドイツ語、乾杯!の意味)とビア杯をあげていることでしょう。
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2014年11月10日 「アヴェレーダ」の森とポルトガル歴史を少し(2)

はてな?と疑問を持ち始めると調べずにはおられない我が性分、今回もアヴェレーダの森を中心に話題はあちらこちらと飛びますが、関連することゆえ、ご辛抱の上、お付き合いくださいませ。

さて、この「アヴェレーダ(Aveleda)」の名前ですが、わたしが調べたところによると、古代ローマ帝国時代にゲルマン地方で多部族から崇められていたケルト民族の巫女、Veleda(ヴェレーダ)に因むそうです。

塩野七生氏の「ローマ人の物語」を読んでいる方は知っているでしょうが、紀元前一世紀、ガイウス・ユリウス・キウィリスを首領としローマ帝国に叛乱をおこしたBatavian(=ライン川デルタ周辺に住んでいた古代ゲルマン民族)一族は、周辺のケルト民族とも結束しました。この時、預言者として、初期の勝利を予言し彼に影響を与えたのがヴェレーダです。ポルトガルにはこの巫女(達)が作ったという伝説のAveledaと言う小さな村まであるのが面白いところです。

16世紀に遡る歴史をもつキンタ・デ・アヴェレーダは庭園を別に、120ヘクタールの葡萄園を備えています。わたしが訪ねた目的は庭園にあるといわれるマヌエル建築様式を見たかったためでした。マヌエル建築様式の窓は「Janelas Quinhentistas(ジャネラス(窓)・キニェンティスタス(1500年代=16世紀)とも呼ばれますが、こんもりとした森の中にポツンと置かれています。散歩の休憩所として使われたのではないかと推測しています。

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この小さな石造りの「窓」はエンリケ航海王子が生まれたCasa do Infanteと呼ばれる建物の一部だったと言われています。Infanteとはエンリケ航海王子のことで、後日、そこを案内しますが、この建物は14世紀から17世紀にかけて建築されました。その間何度か改築されていますから、建物の一部がここに移動されたという話も理解できるというものです。
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案内の女性が夫を含む他の3人を連れて通り過ぎるのを横目に、これが目的だったわたしは「マヌエル様式の窓」の中に入ったりして内外部から写真を撮り。ふと窓の前方にある石のテーブルと椅子に目が行きました。ここは歴史的に曰くのある場所だと言うことは、昨日判明。

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ガイドさんは説明してくれなかったのですが、ここには「1901年10月にルイズ・フィリペ王子の教育責任者であり、海軍中佐であったMouzinho Albuquerque(モウズィーニュ・アルブケルケ)が王子とこの場所で昼食をとった」との表記札がありました。彼はアフリカ戦争における英雄と崇められました。1898年までモザンビーク総督で、19、20世紀のポルトガルで非常に尊敬された人物とされています。ここでの昼食の翌年1902年に中佐は自殺、或いは殺害と歴史の本にあります。

この時代はポルトガル王朝終焉の時代でもあります。

Mouzinho Albuquerqueが教育を授けたルイズ・フィリペ王子は父王ドン・カルロス1世の王位後継者でしたが、1908年2月1日に父王、その他の王族達と生地アレンテージュ地方のVila Viçosa宮殿からリスボンへの帰途、馬車で市内のコメルシオ広場を通りかかった際に、反王制派の二人の共和党員に襲われます。ドン・カルロス国王は即死、フィリペ王子は重症を負い、20分後に死亡。

故に「即位していた時間が世界で最も短い王」とされます。ただし、正式な即位式に就かなかったのでこのあたりは断言できないところがあり、系図にはフィリペ王子の国王名は掲載なく、弟のドン・マヌエル2世が王位を継ぎ、ポルトガル王国最後の王となります。これについてはペナ城ですでに書いていますのでブログ後述にて案内)


フィリペ王子は享年20歳。芸術の造詣も深く若くして文武両道に秀でており、この前年にはポルトガル王族で初めてアフリカ植民地を訪問しています。

或いは既に命を絶つことを覚悟していたかもしれないモウズィーニュ・アルブケルケ中佐と王子が、アヴェレーダの森の石テーブルに着き、昼食を取りながら、或いは森を散策しながら、一体どんな話をしたのか、興味深いことではあります。

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森の中にあるファシャーダ(紋章つきの表門) 森にある礼拝堂の窓。
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森の中の小さな小屋。既に紹介したシントラの「エドラ伯爵夫人のシャレー」に似ている。

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小さな池に浮かぶ面白い小屋。屋根に乗るわら人形が何を意味するのか、まだ不明。

「華麗なるペナ城、最後の住人」はこちら

「シントラ・エドラ伯爵夫人のシャレー」はこちら

本日はこれにて。アヴェレーダ、次回はワインケーブです。
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2014年11月8日

「キンタ・デ・アヴェレーダの」の続きはもうしばらくお待ちください。ただ今、写真の整理をしています。
今日はわが大阪での青春時代、「あの頃、ビアハウス」のエッセイを。
 
アサヒの常連多しと言えども、続けて2曲歌わせてもらえるのはこの方だけです。しかも、最後の第3ステージ、ゲストシンガーの「トリ」です。

♪あきらめましょうと 別れてみたが
  なんで忘りょう 忘らりょか
  命をかけた恋じゃもの~

沢田先生は歯医者さんでした。仕事を終えた後、毎晩毎晩アサヒビアハウスにおいででした。
ビールは一杯かニ杯です。身長154cmのわたしよりお小さかったです。
ハウスの入り口近くのテーブルにいつもひとり静かに座って、ビールをすすっていらっしゃる(笑)
あまりおしゃべりしない方でしたが、こと歌となると、「あんたな、ちょっとここへ来て座りなはれ。」と呼ばれ、「あんな(あのな)、」と、わたしは時々こっぴどく意見されました。

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ステージで歌う沢田先生

常連さんの出番では我が先輩歌姫、宝嬢が「○○さん、お願いします」と名を呼んで指定するのですが、その必要がないのです。アコーディオンのヨシさんの弾くイントロが鳴ると、まるで全てが最初から打ち合わせてあるかのように、座っていた席を立ち上がり急がず慌てずゆっくりとステージに向かってホールを歩んで行きます。そして、常にイントロが終わりタイミングよく歌が始まらんところでステージにあがり、

「あーきぃいらぁめぇまぁしょおと~(あきらめましょうと)」が始まります。

常にタイミングよく、というのは、長年の経験で常連歌い手と息を合わせることにかけては、抜群の腕を持っているアコのヨシさんの人知れぬ配慮なのです。
沢田先生はこの歌では一番しか歌いません。すぐ「コロッケの唄」が続けられるのです。

♪ 嫁をもらって うれしかったら
  いつも出てくるおかずは コロッケコロッケ
 今日もコロッケ 明日もコロッケ~~
 
「明日もコロッケ~」の後に実はここで文字では表現不可能な愉快な笑いが入るのですが、沢田先生、ここが実にうまい!もうここで、お客さんから大拍手を受けます。

沢田先生の歌い方は堂にいったもので、もしかしたら若いとき歌手の道を目指したことがあるのかな?とわたしは何度か思ったものです。それならば、「あんたな、ちょっとここへ来て座りなはれ。プロを目指すならステージではこんな風にやな」と、ご意見いただいたのはうなづけるというものです。

ビアハウスで歌うのがただ楽しくて、それをバイトに出来、しかもアメリカ行きの自分の夢をかなえるための稼ぎになる、それで十分だったわたしです。自分の歌は自分が一番よく分かっているのです。プロ歌手になろうなどと毛ほどの思いもなかったのですから、先生にしてみたら暖簾に腕押しだったことでしょう。

わたしがポルトガルにいる間にアサヒビアハウスは改装され、その後一度もお名前は耳に入ってきませんでした。改装後のビアハウスは旧アサヒビアハウスの常連の歌が聞けるという慣習もなくなったと聞きます。あの頃ですでにお歳でしたから、あるいは今頃、あちらの世で自慢の喉を披露し、あちらの皆様をうならしているかも知れないな^^

今日もコロッケ、明日もコロッケ。この唄を思い出すにつけ、日本のコロッケがいかに繊細に、美味しくできているかを、わたしは異国に住んでつくづく思ったものです。

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2014年11月4日 

このところ、夜は12月下旬に予定される影絵劇の作成に没頭しており、気がつけば夏時間が冬時間に変わって11月に入っていた。11月はクリスマスデコレーションもちらほら見られ、それに何となく気ぜわしくさせられる月でもある。
さて、本日は2週間ほど前に兼ねて夫と訪れてきたQuinta de Aveledaを紹介します。

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「Quinta(キンタ)」を日本語に訳すのは難しい。この言葉はポルトガル、スペイン、南米で使われる言葉です。英語なら「Country Villa」「Firm」、日本語ではもともとの意味は「すぐそばにぶどう畑を併せ持つ農園」でしょうか。時にそれは森であったり、葡萄園であったり、庭園、別邸であったりします。

今回のQuinta de Aveledaは側に葡萄園があり、1870年代からGuede一族が受け継いできたQuinta です。ここで採れるぶどうで主に白のテーブルワイン、Vinho Verdeの銘柄「Aveleda(アヴェレーダ)」を生産します。

Quinta de Aveledaに到達したのは、ワイン関連ではなくて、「マヌエル建築様式」からだったのです。トマールにはテンプル、キリスト騎士団修道院で見られる巨大なマヌエル建築の大窓があり、リスボンその他の町でも、その建築様式の窓を旅行で見かけているのですが、北部ではあまり目にすることがないというのに気がつき、調べてみたのでした。

これまでわたしが知っている一軒は、ポルトの海岸通Fozにある、Casa de Relogio(時計の家)と呼ばれる無人の邸にマヌエル建築の窓があります。http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1067.html
調べたところ、ポルトから車で40分ほどのPenafiel(ペナフィエール)の町のキンタにあるらしいといのを知て行ったという次第です。石門をくぐると右側には売店があり、多くの近隣のの人たちがキンタの見学ではなく、ワインを買い求めに来ていました。
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ワインだけではなく、自家製のチーズ、コンポートも売られています。

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白ワイン、Aveleda。

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前庭の屋敷は秋のたたずまいをみせて。
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キンタ内見学は一人4ユーロでガイド付き。森の中を散歩し、最後にワインの試飲とチーズが出されます。ここから森の中に入ります↓

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3時からのコースは私達夫婦も入れてたった4人の見学者でしたが、「次のコースは50人以上ある。あなた方はとてもラッキーよ」ガイドさん、嬉しいような大変なような様子で話してくれました。

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古い草木に囲まれて森に入っていきます。 

樹齢300年のユーカリの樹。
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石段もこけが生えている。             

森の中で出会った小さな可愛い小屋。
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これも森の中の家屋。  
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この家の前にある小さな池でちっちゃな青がえるをみ~つけ!
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こんな可愛らしい、やぎの棲家もありました。
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子やぎにカメラを向けていると親ヤギが心配してか、塔から下りてきました。ちょっと迫力あります^^;

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1時間ほど歩く森の中では、他にも可愛らしい小屋に出会いましたが、次に続きます。

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