2015年3月30日
 
「日本語を話す会(Nihongowo Hanas Kai)」を仲間うちで「NHKパーティー」と呼んでいる。
インターネットが広く普及した昨今、海外の日本語学習者はYoutubeなどを通じて日本語を耳にすることができるが、いざ、自分が使って話すとなると、ほとんど機会がないのが現実だ。

そこで、何かいい方法はないものかと考え、思いついたのが個人授業の生徒、グループ授業の生徒の交流を兼ねて、少しでも日本語を発してもらおうと、気楽なパーティーを立ち上げたのだが、もう5年になる。

日本語を話す会
生徒さんの一人に毎回ケーキを注文して作ってもらう。

相棒のOちゃん宅の一階をYY塾、兼NHKパーティーの会場にしており、毎年3月の学校の復活祭休暇を利用している。それぞれ料理の分担を決めて作るのだが、参加する生徒数がすこしずつだが増えて、今年は10人ほどが不都合で欠席、それでも総勢36人のパーティーになった。

今回のメニューを覚書として。

巻きずし(8本)、炊き込みご飯、押し寿司、カレーライス(人気がある^^)、Yuko式白身魚のグラタン、
ツナ入りサンドイッチ、焼きそば、トリのナゲット、一口カツ、トリのから揚げ、ローストビーフ、豚肉の紅茶煮、ハム、チーズ類、サラダ、メロン。

日本語を話す会

日本語を話す会

これに、生徒さんにお任せのデザートとしてのケーキ5種類とカラメル入りポプコーン。
飲み物だけは、ビール、水、ワイン数本をわたしたちが用意し、あとは、ジィジィズ(65歳以上のおじさん生徒たち5人、って、自分もその仲間に入るんだった。がはははは)たちに良質のワイン持参をお願いし、ジュース類は生徒たちに。新参者は会費2ユーロのみ、となる。

日本語を話す会

今回はこの人数分の立ち食い昼食を準備するのが、大変だった・・・^^;
金曜日から仕込みに入り、土曜日は朝6時起床。揚げ物はふたつの鍋を使ったが、どんだけ時間が
かかることか!

昨年はうっかり記念写真を撮り忘れ^^;出席者の半分が帰った後できがついたという失敗があったので。今回はパーティーの途中で。

日本語を話す会

生徒15歳から84歳まで、全員集合。老いも若きも長期日本語学習者もシンマイも和気藹々と交流です。「日本語を話す会」の目的は、5年目にして、生徒たちの間で今回少し聞かれるようになったことに気がつきました。これからが楽しみなわたしたちです。

1時半から4時半までのパーティーが、いつの間にか時間オーバーし、パーティーのお開きは6時半(笑)。 大まかな後片付けが終了は、例年よりずっと遅い8時半になっていました。Oちゃん、お互い、お疲れさまでした。そして毎回協力してくれる夫たち、感謝しています。

もうひとつ、1月の漢字検定受験者12名、全員90%以上の成績で合格しました。

本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よろしかったら、ランキングクリックをおひとつ。

では、また明日。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年3月26日 

今日は写真が盛りだくさんです。写真の2枚ほどを白黒にしてみました。

リスボンのアルファマを歩くのは初めだが、この地区に入るのは二度目です。

アルファマ

亡き母が、「どうしても娘が嫁いで住んでいる国を見たい」と、わたしたちがポルトガルに帰るのに合わせて一緒にやってきた26、7年も前に、親孝行の真似事をと、リスボンまで家族旅行をしたときに訪れたのが最初でした。

ポルトガル滞在歴10年足らずのあの頃は、夫がどこへ連れて行ってくれても「この国ってどんな辺鄙な田舎でもサッカー場と教会だけはあるのね。教会なんてどこも同じじゃない。フン」と、時々憎まれ口をきいていたのでした^^;そうまで言うほどにこの国に愛着心の「あ」もなかった(笑) 分かっちゃいなかったのですね、なぁんにも。

後2、3年もすればポ国滞在40年のわたし、10年滞在のあの頃は青二才の口だったな、と思うこの頃。大概のことを自然体で見られるようになりましたが、この国の欠点にばかり目が行く間は、周囲がよく見えていないとでも言えるか。
アルファマ

話を戻しまして、最初のときは、うかつにも車でアルファマ地区に入るという、わたしも夫も田舎者ではありました。狭い道が入り乱れているアルファマです、セコハンの大き目のフォード車に乗っていたこともあり、行き止まりの道迷い込み焦ってそそくさと出てきたのですから見る余裕などなし。

車で乗り入れたのには、アルファマは当時もバーなどが多く危険な区域だという噂が当時は聞かれ、歩くのを避けたのでした^^; 今なら日中は恐らく問題がないと思われます。

アルファマ

1755年11月1日のリスボン大地震はマグネチュード8.5から9度、リスボン南のサン・ヴィセント岬の西南西200キロの大西洋海底が震源と推定されています。この時の死者は津波も合わせて10000とも90000とも言われていますが、多くの宮殿を含む建物の85パーセントは破壊されリスボンは壊滅しました。当時のリスボンの人口25万人のうち、2万人がこの地震で犠牲になったと言われます。

アルファマ

11月1日は「聖人の日」で、習慣として前夜から多くの家や教会ではロウソクの灯が灯されていました。また、この日は非常に寒い日だったので、各家庭では火を炊いて暖をとる家が多かったのも大きな火災の原因になりました。

テージュ川が流れ込み、海に面しているリスボンは同時に津波にも襲われました。地面が裂け、その地割れが水を、風、蒸気を呼び、火災も3日間続き、リスボンをほぼ完全に崩壊したのです。宮殿を始め、絵画、古書など失われた国家財産は膨大なものだったと言われます。この時、かろうじて大きな被害を免れたのが、狭い路地の迷路が密集しているリスボンの旧市街、アルファマ地区です。

alfama12.jpg

アルファマも目の前がテージュ川なのに、なぜ被害が少なかったのか。今回アルファマを歩いて後、近くのアポローニア駅まで行く道すがら、振り返ってみて気がつきました。アルファマは見上げるような小高い丘にあるのです。それと、調べてみてわかったことですが、この丘に建つサン・ジョルジュ城、大寺院、そしてアルファマ区域に巡らされた中世時代の壁の遺跡(Muralhas de Lisboa)も津波から守ることになったのかもしれません。

alfama13.jpg

Alfamaとはアラブ語のAl Hamma, Hot spring熱い泉、Bath浴場という説と、Alhamme、口という説が
あります。いずれにしても、アラブ人が支配していた時代にはアルファマは街の中心であったのが、キリスト教徒のレコンキスタ国土奪回戦争でやがて、リスボンの中心はバイシャ(baixa低地)へ移り、ダウンタウンになります。

アルファマ
ファドが聴けるレストランや小さなバーが多い現在のアルファマ。

alfama14.jpg
Jose Malhoa(ジュゼ・マリョア)による絵「Fado」はよく知られる。

alfama15.jpg

夫と迷路を歩き回り、アルファマ旧市街を出ようかという時に出会った一連のツーリストグループ。
アルファマ

う~ん、歩かなくて済む楽な手もあるにはあが、これじゃぁ、石段は上れないよ?写真撮るのも大変だぞ・・・操作違いで突然バックしたりしてね^^;わたし向きでは、まず、ないな。

一つことに夢中になると疲れも忘れてしまうタチのわたし、アルファマはもっと歩きたかったのだが、「もう5時間近くも歩いてるよ(リスボン市内を)」と夫が音をあげました。どうだ、まいったか。お主の妻の健脚ぶりに。わっはっは。

観光は歩くに限るのである。

本日もお付き合いくださり、ありがとうございました。
では、また。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年3月24日

再び連絡板です。

藤枝様
メールでご連絡をとりたいのですが、どういうわけか、メールアドレスにアクセスできません。
御ブログのコメント欄に、先生のご連絡先を記入して参りました。

ご覧くださいませ。  

spacesis
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年3月22日 

ずいぶん以前のことではある。

所沢の妹からのメール内容に思わず懐かしくなり、すっかり「股旅気分」(笑)

 「股旅CD」手にいれた。覚えてる?
 
♪「春は世に出る草木もあるに アホウ烏の
   泣き別れ~」


大川橋蔵主演映画「旅笠道中」で、三波春夫が歌っていたものだ。そして、歌詞の1番から3番までそらんじておる自分^^ 妹によると二人で観にいった映画だ、とありまする^^いったいいつ頃のことであろうか。

そう思い、調べて見ると、なんとわたしは10歳、妹は8歳ではないか。
わたしは近頃、我が妹の記憶力の良さに、舌を巻くのである。二つ年上のわたしがちっとも覚えていないことまで彼女はしっかり記憶していることが多い。おそろしや、逃げも隠れもできません(笑)

誤って弟分の源次郎を手にかけてしまった草間の半次郎。伊那でその源次郎を待つ盲目の母親(浪花千枝子)に、妹に頼まれて息子を装う。盲目と言えど母親は、やがてそれが息子でないことに気づくのだが・・・

懐かしくてその歌が聞きたくなり、Youtubeで検索すると、出てくるのは同じ「旅笠道中」でもショウジ・タロウや氷川きよしの「夜が冷たい 心がさむい~」ばかり。わたしは俄然、三波春夫の「旅笠」が好きである。

若い頃から、あちらこちらと落ち着きなく彷徨して、母にはずいぶん心配をかけたわたしだ。
3番目の最後の箇所、「伊那の伊那節 聞きたいときは 捨てておいでよ三度笠」の辺りに来ると、なぜかジンとくる。ポ国に嫁いでくるときに、亡き我が母が言った、「どうしてもダメだったら、わたしの目が黒いうちに帰ってくるんだよ」の言葉と重なってしまうのだ。
                             
思い出のオルゴール」でも書いたが、我らが母はハイカラで洋画好きでした。同時に時代劇をも好み、わたしと妹はかなりたくさんの東映任侠映画を見せられた。特にわたしの記憶に残っているのは、長谷川一夫の「雪の渡り鳥」である。
                                           
♪「かっぱからげて三度笠 どこをねぐらの渡り鳥
愚痴じゃなけれどこの俺にゃ 帰る瀬もない伊豆の下田の灯が恋し」

                                                   
yukino-watarodori.jpg
-wikiより-

伊豆の下田の渡世人、鯉名の銀平の秘めたる恋を絡めた、ご存知股旅映画。雪の降りしきる中、合羽絡げて三度笠をかぶり、スックと立つカッコよさに、子供のわたしは至極憧れたものである。「鯉名の銀平」と名がすぐ出て来るのは、検索したからではない(笑)

この主題歌は3番まであり、それをわたしは全部そらんじてるのである^^
      
♪「払いのけても降りかかる なにを恨みの雪しぐれ
俺も鯉名の銀平さ 抜くか長ドス 抜けば白刃の血の吹雪」


と、歌詞に名前が出てくるから覚えているのである。

ちなみに「かっぱ」の語源はポルトガル語の「capa」。大学生が今でも着る。16世紀にキリスト教布教に訪日した宣教師たちが羽織っていたもので、南蛮蓑とも呼ばれ、元は高価な布を用いて織田信長、秀吉を始め、上級武士の間で広まり、後に裕福な町人にひろまったようだ。それがいつの間にか渡世人のトレードマークになるとは^^;

capabatina.jpg

ふと思った。
昨今の新しいJ-ポップ(Japan pop music)、色々とある。中にはなかなかいい歌詞もあるにはある。しかし、これから30年40年経ち、今のティーンズたちがわたしの歳になったころ、彼らにとってどんなものになるだろうか。
                                                                           もう40年以上も昔に覚えたこれらの歌詞は、日本古来の七五調であり、そらんじ易い。藤村も啄木も土井晩翠も、堀口大学の訳詩集「月下の一群」も、それらの作品はなべて、この七五調である。若い時にそらんじたこれら七五調の歌や詩が、時折ふと顔を出して子供の頃や母との思い出にわたしを誘う。過ぎし日に思いを馳せながらつくづく思うのだ。人生って初めから今に至るまで、何から何まで繋がってるんやなぁと。

それでは今日はみなさま、この辺で。
西も東も風まかせ。失礼さんでござんす(笑)
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年3月22日

藤枝宏壽様へのご連絡

御ブログサイトにコメントとして、メッセージを残してまいりました。
ご覧くださいますよう、お願いいたします。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年3月18日 

セルベジャリーア・トゥリンダーデ入り口をくぐるといきなり右手にこのアズレージュです。

Cervejaria Trindade

折れた柱を持つ、もしくは柱を支える女性は、古典タロットカードの一枚に見られる絵で、「力(Power)」を表します。通常のタロットカードでは「力」ライオンを連れた女性として描かれます。タロットカードは、輪廻、再生、霊的復活、変容といった異端のテーマに触れており、ローマ・カトリック教会の教義に反する精神性を説くと言われます。(註:異端とは、ローマ・カトリック教会の教義に反する思想を言う) 異端者だと分かると大変なことですから、異端思想の秘儀参入者はこうしてタロットカードを携帯用の教材として使用しました。

上の絵タイルに続くのは太陽を背景として、ピラミッド三角に「All-Seeing Eye」、すべてを見通す目、フリーメーソンのシンボルです。
Cervejaria Trindade

下も同様に。
Cervejaria Trindade

メインホールを見てみましょう。

trindade1-1.jpg
船底型の天井とテーブル、椅子の並べ方は、トマールのテンプル騎士団修道院の食堂を思わせます。
左側に並ぶアズレージュ絵です。

Azulejo

錬金術の四大元素、土(Terra)、水( Água)、風(Vento)、火( Fogo)が描かれ、
azulejo

シンボルのライオンも
trindade_lion2.jpg

右側の壁には同じく錬金術にて自然の要素を表すOutuno(秋)、 Estio(夏)、Primavera(春)の季節の絵が見られる。元は四季の絵だったのが2度の火災で冬の場面は失われた。
Cervejaria Trindade

部屋の正面左の壁には「産業の女神」が左手に携えるのは「すべてを見通す目」と翼の付いた杖です。
azulejo

そして、同じく正面壁右には、翼のある帽子と靴を身に着け手には2匹蛇が巻きつく伝令杖、カドゥケウスを持つのは、疑うことなく錬金術師の守護神ヘルメスです。
azulejo

これだけのシンボルを描いた青タイル絵こと、アズレージュを備えているセルヴェジャリーア・トゥリンダーデは紛れもなくフリーメーソンのものだったと言えます。そこで、創立者であるマヌエル・ガルシアを調べてみましたら、ついに「フリーメーソンメンバーであった」との一文に行き着きました。

170年の歴史を有するビアレストラン「セルヴェジャリーア・トゥリンダーデ」のゲストブックに見られる名前も、マリオ・ソアーレス元大統領、元政治家で現在は大学教授及び評論家として知られるマルセロ・デ・ソウザ、ジョルジュ・サンパイウ元大統領と、そうそうたるものです。

ビール工場からビアレストランとして営業を始めたのは1930年代です。1986年にはリスボン市の文化遺産指定を受けて、現在に至っています。セルヴェジャリーア・トゥリンダーデで飲めるのはサグレスとハイネケンのみ。現在はハイネケンの傘下にあるゆえんです。

azulejo

azulejo
昼食にわたしたちが乾杯したハイネケンビールと、おつまみ類。
 
trindade10.jpg
黒い大理石のテーブルと古い椅子も趣がある。

最後に、奥の部屋に見られる大きなタイル絵は13世紀にトゥリンダーデ修道院を創立した3人の修道士にちなんでいます。
azulejo3.jpg
画像がよくないのはご勘弁。
ワインもビールも、果ては美味しいデザート類までも、美味いものは元はと言えば多くが修道院から始まっていますね。^

セルヴェジャリーア・トゥリンダーデの所在地:Rua Nova da Trindade, 20 Lisboa.
年中無休。思ったより安く、開店時間も午前10時からとポルトガルにしては随分早い。お勧めです。

本日はこれにて。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2014年3月16日 

トゥリンダーデ(Trindade)と聞けば、映画マトリックスファンでもあるわたしはすぐにヒロイン、トゥリニティ(Trinity)を思い浮かべるのですが、本文に入る前に、レストランの店名でもありますし、トゥリニティとはなんなのか?を少し。

「トリニティー」はキリスト教の三位一体、「父なる神・子なる神・聖霊」が一体であるとの教えで、ポルトガル語では「トゥリンダーデ(Trindade)」と言います。また、「3つのものが1つに心を合わせること」との解釈もでき、キリスト教の世界でもこの三位一体論は厄介らしい。

上述の「マトリックス」は、「三位一体」の定義同様、一度観ただけでは理解し難い映画で、隠されたメッセージがあると思われます。そして、主人公のネオとトリニティー、そしてモーフィアスを、「3つのものが1つに心を合わせる」三位一体と考えることができるのではないでしょうか。

映画を漠然と観ていると、ネオたち、三位一体がいったい誰と戦っているのかはっきりしないのですが、
「マトリックス」はかつて人類と呼ばれた培養人間とAI(Artificial Inteligence=人工頭脳。映画の場合は意識をもつコンピューター。)の戦いを描いているのです。

セルベジャリーア・トリンダーデ

現実だと思って生活していた世界が実は仮想世界であり、現実世界ではネオも培養器にコードでつながれている培養人間だと言うわけです。人類は誕生するのではなく、バイオテクノロジーで培養されているのが「マトリックス」の映画の設定なのです。

こういうことを踏まえて映画「マトリックス」を観直すと、面白いを通り越して不気味な人類の未来を想像してしまうわたしですが、考えすぎ、映画の観すぎじゃ、と言われるでしょうか^^;

Matrix
マトリックスのTrinityこと、三位一体の三人(画像はWikiより)

というので、さて、本題の「Cervejaria Trindade」です。

Cervejaria とは生ビールが飲めて酒の肴があり、食事もできる、謂わばビア・レストランとでも言いましょうか。ビールをポルトガル語でCerveja(セルベージャ)と言います。

現在セルヴェジャリーア・トゥリンダーデがある場所には、13世紀の終わり頃に、「聖なるトゥリンダーデ修道院(Comvento da Santissima Trindade )」が建てられていましたが、18世紀初期に火災にあいます。

1755年にリスボン大地震が起こり破壊。再建されたものの、翌年、再び火災に会い、1834年にはポルトガル国内における宗教団体の廃止命令により、この「聖なるトゥリンダーデ修道院」も消滅します。1834年と言えば、絶対主義者ドン・ミゲルと自由主義者ドン・ペドロ4世兄弟が国主の地位を争ったポルトガル内戦でドン・ペドロ4世が勝利し内戦が終了、自由主義改革が推進され始める頃です。

この2年後に、スペイン、ガリシア人のマヌエル・ガルシアがこの建物を買い取り、ポルトガル初のビール工場、トゥりンダーデ・ビール工場を創立したのが、Cervejaria Trindade の始まりです。
今回の目的はこのビアレストランの中にあるアズレージュなのです。

セルベジャリーア・トリンダーデ

明日は内部の紹介です。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年3月14日 

パスポート更新の必要があり、日本大使館があるリスボンまで出かけてきたのは木曜日。
いつもは車で行くところを、夫の提案で、今回は電車で行ってみようということになりました。ポルトガルは、65歳以上は電車賃や公共博物館拝観料などが割引されます。

我ら夫婦もその対象です^^; ポルト、リスボン間の往復料金が、車で行くとかかる高速料金、ガソリン代の経費に比べて、電車の方が二人分としてもかなり割安になるのです。電車は時刻に合わせなければいけないのでうっとおしく、車での移動の方が時間を自由にできるのでわたしは好きなのですが、途中での休息時間も入れると片道4時間近くの日帰り行程になります。ドライバーの疲労を考えて夫の提案にしぶしぶ賛成したのでした(笑)

午前11時まで入館しなければならないので、朝7時前の電車です。起床5時半。夫よ、翌日は朝から三つの日本語授業とポルトガル語レッスンがあるんだわ、きついよ・・・と宵っ張りのわたしは内心でブツブツ言いながら、電車に乗ること3時間。パスポートの申請を終えた後は、夕方の電車時刻まで、リスボンの街を見学と相成りました。

リスボン

ポルトのカンパニャン駅からアルファ・ペンドラール号に乗って降り立ったのはリスボンのサンタ・アポローニャ駅。
テージュ側沿いにある水色の駅です。下は駅周辺に立ち並ぶ建物。趣がポルトとは違い、どこか南国風です。しかし、建物の後ろに更に家並みが続くのが見えます。ポルト同様、リスボンも実に坂が多い街なのです。

リスボン

大使館があるリベルダーデ大通り(Avenida da Liberdade)からバイシャ(Baixa)こと、旧市街へ歩いてみましょう。この大通りは道幅90m、長さ役1.5kmでリスボンきっての大通り。毎年6月12日には、サント・アントニオ前夜祭の盛大なパレードが行われます。

大通りの左横道を入り石段を上ると、昔からの古い家並みが建て込んでいる細い道にぶつかります。ここには5年ほど前まで、息子が10年間リスボンで暮らしたわたしたちの小さなアパートがありました。
リスボン家4 リスボン家1

はてな?何と言う名前をレストランにつけるのよ?

リスボン

意味、分かってるのか、あんまりな!と夫とあきれながら通り過ぎたのはTivoliホテルの駐車場。ヤバクない?
  
リベルダーデ大通りを下りロシオ駅を右手にして出るのが大広場がロシオ広場(正式名ドン・ペドロ4世広場)。この広場の周辺には1840年来長い歴史を持つ、リスボンっ子なら知らぬ者がいない、ジンジーニャの立飲み屋、「A Ginjinha(ア・ジンジーニャ)」があります。

リスボン

ジンジーニャというのは、赤黒いさくらんぼ、ジンジャ(ginja)から作ったリキュールで、リスボン、アルコバッサ、オビドスなどのポルトガル南部でよく飲まれる甘いお酒です。
3、4人も客が入ればいっぱいになる暗い小さなバーです。ジンジーニャはコップで注文。お酒にさくらんぼを入れてお願いすることができます。

下記にて、オビドスで飲んだジンジーニャについての記事があります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1490.html

カフェ、劇場、多くのブティックを抱えたバイシャ(Baixa)一帯はシアードとも呼ばれるリスボンの文化地区とも言えます。
リスボン

リスボン
鮮やかな赤、緑、黄色のポルトガルカラーです。

リスボン
通りの向こうに見えるのは、リスボンのランドマーク、サンタ・ジュスタ・エレベーター。

下記は「サンタ・ジュスタ・エレベーター」の記事
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1217.html

商店街通りの真ん中のオープンカフェ。
リスボン

リスボン
緑のクラシック・カーからはファドが流れていた。

リスボン

リスボン

↑ポルトガルを代表する詩人、「フェルナンド・ペソア」。彼がよく通ったと言われる「Café A Brasileira 」の前に。Café A Brasileiraはリスボンでも最もよく知られた古い、アールデコ調のカフェです。

フェルナンド・ペソアについてはこちら→フェルナンド・ペソアと「轟く海辺の妻の墓

今回、シアード周辺をウロウロしたのには、目的がありました。それについては次回に。

本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
ではまた明日。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年3月10日  

今は日本に住んで10年になる娘が、ポルトの私立高校12年生の学年末試験も終わったある日のこと。気分的に余裕があったのか、突然、「おっかさん、高校時代にどんな詩を書いてたん?」と、おいでなすった。

仕事で丁度パソコンに向かっていたわたしは、ちょっと照れくさかったけれど、
画面に「え~と、そだね。例えばこんなのとか。」 パチャバチャバチャとキーボードを打ち出す。  
                        
「あとね、こんなんもある。」
「それから、これは数十年温めていて、まだ完成してないのだ。」
「えっと、これは自作の詩の中でも気に入ってるヤツ。作ったのは20代の時だが、あんたの兄貴が生まれたときに、この詩をあげた。おほほほほ」  
「へぇ、意外と哲学的な詩なんだ。」とモイケル娘が言う。 

愛だの恋だの、あなただの好きだなどの言葉は、それらの詩には見あたらない。使ってる一人称言葉も「わたし」でなく、「ぼく」だ。

それから母娘で話が広がり、わたしは話の弾みに好きだった青春時代からの愛読書である蜷川譲氏の「フランス文学散歩」と堀秀彦の「現代に生きる古典」、2冊の文庫本をわたしは書棚から引っ張り出してきた。 仕事はこの辺りから放ったらかしだ(笑)

book

その2冊の本は表紙がボロボロで中身は既に黄ばんでいる。なにしろ2冊とも初版が昭和34年、1959年になっているのだから。わたしが18、9歳の頃から愛読書としてきたこれらの本がどんな経由を辿って手に入ったのか、覚えていないのである。

book

「現代に生きる古典」はその名の通り、論語を始め、パンセ、デカメロン、新曲、ボバリー夫人、カラマーゾフの兄弟などの海外名著に加えて、徒然草、福翁自伝、花伝書、曽根崎心中をも取り上げている。
「古典は書物の源流である。そうであるのは、人間の本質が今も昔も大して変わらぬからだ」と、この本の序章で著者は書いてあるのが印象深い。


もう一冊の「フランス文学散歩」は、「ラ・フォンテーヌ」「星の王子さま」、コレットの「青い麦」、そしてわたしが高校時代夢中で読んだサガンの「悲しみよ今日は」、「狭き門」「赤と黒」「谷間の百合」エトセトラエトセトラ、フランス文学のさわり部分が読める。

さて、親バカが、娘をひっつかまえて、ついつい文庫本に書かれてあるアラゴンやエリュアールの抵抗詩の断片箇所を、
「ねね、ほれ。ここ、この詩。好きだったんだよ。読んでみぃ~」と押し付け^^;

そうして久しく忘れていた胸高ぶる青春時代の思いもよみがえり、仕事の教材作成もうっちゃっといて、あの頃の自分と同じ年頃になった娘とこんな風に話をするようになったと思うと、心もホットになるというもの。

この本の中にある、わたしが18、9の頃、まだ意味を漠然ととらえただけなのだが、好きだったモンテルランの言葉。

     人生を前にして、ただ狼狽するだけで、無能なそして哀れな青春。
     だが今、最初のしわが額に寄る頃になって得られるのが、人生に
     対するこの信頼であり、この同意である、「相棒、お前のことなら
     わかっているよ!」と言う意味のこの微笑だ。
     今にして人は知るのだ、人生は人を欺かないと、人生は一度も
     人を欺かなかったと。

17、8で、人生の意味など分かろうはずもない。しかし、あれから半世紀たった今、改めてこの素晴らしい言葉に感動するのである。

この2冊の文庫本をわたしは今でも時折思い出しては、書棚から取り出してめくってみる。わたしの青春時代と娘の青春。時代の流れで違うところがあるにしろ、不変なものもあるはずだ。そのひとつが、「文学は青春の生命を謳いあげる」だと、わたしは思っている。

漫画、ゲーム、パソコンに取り囲まれた今の若者たちが、いったいどんな本に手を伸ばすのか、わたしは大いに興味がある。時代も風俗も違う現代の若者たちにとって、古典作品を手にして、ゲームや映画のように血わき肉踊るというような喜びはないかもしれないが、「古典を読む喜びは、川の流れで身を洗う喜びだ」と、哲学者ショーペンハウアーは言っている。

16、7の頃、わたしはレマルクの「西部戦線異状なし」にすっかり引き込まれて、嗚咽しながら読んだものだが、わたしの読書の原点はその本にあるのだと近頃思う。そして、多くの古典読書を通して今の自分が培われたような気がする。

一冊の本が与えるものは、大きい。  


今日のエントリーは10年ほど前に書いたものの、満足していなかったのを再度書き直してみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

お時間あらば、ポチッと下のランキングクリックをしていただけたら嬉しいです。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年3月8日 

雨天でうっとうしかった連日でしたが、3日ほど前から、からりと晴れました。街のあちらこちらで見かける木々の花々が真っ青な空に映え、春の到来を告げます。

昨日の土曜日は、午前中の日本語2クラスに加えて、午後から市立図書館の日本語クラスもありましたが、、気力だぃ!と日頃口癖のわたしも、さすが顎を出す寸前、かろうじて持ちこたえました。

というのは、水曜日の午後からのクラス、教室として使用している部屋が当日は使えなくなったのです。週日の午後は、自宅での授業があるので、結局、わたしの時間で空いているのは土曜日の午後のみ。

せっかく楽しみに来ている生徒さんたちに休講をつげられず・・・なぜそれが分かるかと言えば、4時半に始まるクラスですが、4時にはみな、教室の前に集まっているのです。これはポルトガル人にしてはそうそうあることではありません。教室はわたしが行かないと開きません。そこで、わたしも4時には図書館に到着するようにしているわけです。

土曜日の午後も図書館でとなると、丸々外にいることになり、これはわたしにとって体力的に苦しいのであります。そこで、1時までの授業終了後、いったん自宅へ帰る。再び外出するまで昼食時間も入れて2時間しかないのだが、それでも、家でわずかでも時間を過ごして出直すというのは、わたしにとって気分的に大いに違うものがあるのです。

外部で次のことをするまでに1時間の待ち時間があるとすれば、外で時間をすごさず、いったん我がホームに帰るというほど、わたしにとって家はまさにベースであります^^

そんな訳で、さて、大変なのはわかっているが、本当を言うと、「試験的にやってみよう。ひょっとすると、これがうまくできたら、次に土曜日午後のクラスを図書館で開講できるやも~」などと欲をだしてみたのでした。

帰宅して昼食を作り、後片付け後再び出かけるのは無理。いつも通りに夫と外食して、というのは、仕事をする上で気分がだらけてしまうので、いや。そこで、夫には「わたしは適当になにか食べるから、悪いけれど、お一人でお外食を~」とお願いした。

「ただいま~」と重い教材かばんをぶらさげて帰ると、夫がまだいるのである。
「あれ?ご飯、まだ食べに行ってないの?」とわたし、
夫、「うん、一緒に食べようと思って、今日はTake Awayを持ってきたみた」

ひゃ~~、見るとテーブルには、これが(笑)
bacalhau com broa
↑バカリャウ・コン・ブロア。大干しダラに、とうもろこし粉で作ったブロアパン粉をふりかけ、オーブンで焼いたもの。それに色鮮やかな菜の花の茹でたのと、バタータ・ムーロ。Batata Murro. Batataはじゃがいも、Murroはゲンコツの意味で、いうなればゲンコツ芋ですねw ジャガイモに少し切り目を入れて皮ごとオーブンで焼いたものですが、うまくできたのは美味しいよ^^ 皮ごと食べられます。

多くの人がレストランで食べずに、その料理を作ってもらい家の食卓で食べるというTake Away(アメリカ、日本はTake Out?)は、わたしたちにとって今回が初めてなのであります。家で食べるなら自分が作る、ということに頭が凝り固まりすぎていたかものわたし^^;

おいしくいただき、いい、と言うのに、疲れて帰るから、途中、事故でも起こされたらかなわないと、夫が図書館まで車で送迎^^; 授業終了後の帰路は、ダウンタウンを通らず海沿いを走り。その夕暮れが美しかったこと!
   
twilight

待て待てぃと、何度か車を止めてもらい、写真を撮ってきました。ポルトに住んで幸せだなぁとわたしをして思わせる景色のひとつが、この海に沈む夕日、そして夕焼け、夕闇です。 

twilight
アラビダ橋をくぐり、大西洋に沈む太陽。昨日は大きな大きな夕日でした。

ポルト海岸通
Foz海岸通り。

で、土曜日午後の日本語コース体験結果は?と言うと、くたびれた・・・の一言ではありました。

本日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。では、また明日!
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2015年3月3日

日曜日の夜、パソコンに向かって日本語教材作成をタイプしていると、横から聞こえてきた。

♪Close your eyes,
  Have no fear,
  The monsters gone,
  He's on the run and your daddy's here,

  Beautiful,
  Beautiful, beautiful,
  Beautiful Boy,

我が家のリビングに置かれているアナログテレビからだ。 このアナログテレビについては、何年も前からデジタルに換えようよと言っているのだが、こういうところに頑固な夫、「壊れるまで使うのだ」と、聞くものではない。

元々、映画放映以外はあまりテレビを見ないわたし、そうかいそうかい、勝手にせぃ、と、近頃ではあきらめて放っておいてる。

歌っているのはリチャード・ドレファスの声だから、映画「Mr. Holland´s Opus」(邦名:陽のあたる教室)だ。夫がアームチェアに座って見ているのである。

holland

1960年代を舞台に、バンドを組みながら作曲家を目指していたホランドは、もっと自由な時間が欲しい、教師ならそれができるだろうと、とある高校の音楽教師になるのだが、それが間違いであったことに気づくのに時間はかからなかった。そして、徐々に生徒たちに音楽の楽しさ、素晴らしさを知ってもらおうと、授業に力を入れていく。
映画の中ではクラシック音楽を始め、当時のポップミュージックがふんだんに取り入れられている。特に、ホランドに密かに思いを寄せる女生徒ロウレナ(Jean Louisa Kelly)が、学校のミュージカルコンサートで思いを打ち明けるように歌う、ガーシュインの「ラプソディーインブルー、Someone to watch over me」が圧巻だ。

ホランドはある日、生まれた自分の子供に聴覚障害があることを知る。それを忘れようとするかのように、音楽授業に情熱を注ぎ、音楽を通して生徒を立ち直らせたり、才能を引き出したりするのだが、聴覚障害がある息子コールとはどこか交流ができないでいるのだ。

ジョン・レノンの殺害ニュースを耳にした日、父親のひどく浮かない顔を見て、コールが心配したときも、「お前には分からない」と言ってしまうのだが、それを聞いたコールは初めて憤慨し、手話で自分の怒りをホランドにぶつける。

ホランドは長い間、息子から目を背けて妻に任せきりにしてきたことを悔い、なんとか心を通い合わせようと悩み、コールが通う聾唖学校で、自分の高校の音楽部員たちを率いて、光で音を表す方法で演奏しようとする。

その演奏の舞台で彼が息子コールに向け、手話を交えて歌うのが、上述のジョン・レノンが作った「Beautiful Boy」だ。この歌はジョン・レノンが息子シーンのために作曲したと言われる。

歌詞に「Life is what happens to you While you're busy making other plans」(人生とは、君がこれもしよう、あれもしようと考えている間に君に起こる全てのことさ。spacesis勝手訳)の一節があるのだが、美しいフレーズ、人生の名言だなぁとわたしは、この頃、思う。

既に何度も観た映画だが、結局、教材作成の手を止めて最後まで見入ったのだった。
Opus(オーパス)とは音楽作品の番号に用いられる単位だが、ホランドが音楽教師として育てた生徒一人ひとりが、彼の音楽作品、Opusだということになろう。

「Mr. Holland´s Opus」は、比較的ハッピーエンドで終えているが、古くは、朝な夕なに、下り階段を上れ、グッドウイルハンティング、デッド・ポエツ・ソサエティと、教育現場を取り上げた映画は往々にしてハッピーエンドではない。かほどに教育とは、こうすれば巧く行くなどのマニュアルがなく、古今東西一筋縄ではいかないものだ。さもありなん、人間形成助成だもの。

ということで、本日は取り留めのないエントリーになりました。
下記に、Someone to watch over me、借りました。



では、また。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村