2015年6月29日  

アリゾナ大学キャンパス内にあるカフェで、ひとり次の授業までの時間をつぶしていた時である。
およよ?と思ったら、あっと言う間に数人の若い日本人男子学生たちに囲まれてしまった。手紙を書いていた手を止め、何事かとキョトンとした顔で彼らを見上げるわたしに、ボスと思し召しき若造が(笑)、

「アンタさ、生意気じゃない?」
「日本人と交わらないって言うじゃん」と、おいでなすった。

わっはっはっは。おふざけじゃござんせん。

ツーソンに着いて大学に通い始めたころ耳にしたのが、「前期コースの日本人留学生が全員、ミセス・ネス(ESL校長)に呼ばれてしこたま大目玉を食った。週末のみならず週日までディスコやパブで遊びまくって成績劣悪。コースの修了書出さん。」と、いう噂である。

1979年のことですから、日本はまだバブル経済に突入してない。そういう時期のこと。親のスネをかじった分際で、遊ぶのはまぁ人の金だからいいとして、勉強しないで何のための留学よ!と人事ながらわたしは心苦く思っていたのである。

見た感じがちょっとだけ若く見えると思って(笑)徒党を組んでちょいとヤキでも入れてやったらビビるとでも思ったんでしょうが、そうは問屋がおろさない。

このボスとはリスニングクラスで同じになり、メキシコ人の少々お高くとまった女子学生と言い合って、男が女に吐くべからざる「Fで始まる4文字」を公衆の面前で言い放った子です。自己主張を履き違えるとこんな風になる^^;あぁ、恥ずかしいw

オフィスの仕事が終わったあと、何年もかけてビアハウスの歌姫バイトで貯めたわたしの留学資金、彼らと行動を同じくしてとても遊んでなんかいられまへん・・・「危うし」エピソードでも書いたように、このころわたしは読解力クラスと作文クラスで必死こいていたのでありますもん。

で、実はシェアハウス内でもちょっとしたトラブルが、芽を吹き出しはじめていたのでした^^;アメリカでは「T.G.I.F.」(Thank God.It`s Fridayの頭文字をとったもので、ああ神様、金曜日だぜぇの意味)と言って、金曜日の夜は誰でもたいていどこかのパーティーにでかける。一人で行くのは少なく、たいがい誰かパートナーを連れて行く。パートナーは別に恋人でなくていいのだ。そこで独り者のロブはしきりにわたしを誘う。「金曜日の夜くらい息抜きしなよ」

最初のころは、時々お付き合いしたものの、週末も宿題等の勉強に追われ、ロブの誘いもほとんどお断りです^^;「アホか~~」と言われながら、この頃はどんな誘いも断っていました。今考えると、ちょっと意固地になっていたところもなきにしもあらず。

結果としては、ロブともギクシャクしていたのでありました^^;そこで考えた。ちょっと考えた。(よく考えるのだw)
うん。自分の部屋には机ちゅうもんがないし、それでいつも夜遅くまで大学の図書館での勉強を強いられる。これはこれで好きなのだけど、夜のキャンパスは危険なので女は一人で歩くなとお達しが出ていたし、故に図書館で勉強するときは、ボディーガードも兼ねて必ず誰か男子学生を誘わないといけない。これもちょっとめんどくさくなっていたのでした。 よし、引越ししよう!spacesis、927番地を出ることになったのであります。

さっきの徒党を組んだ若造たちとの結論、忘れてましたw こちらはとっくにトウが立ってる遅まき留学生(笑)、理論整然です。わたしの言に返す言葉もなく、それでも空威張りで、彼らは肩で風だけはしっかり切ってさったのでした。(爆)

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2015年6月27日 

「ポルトの小児病棟で影絵上映をしてくれませんか」と打診が入ったのは3週間前のこと。わたしが日本語コースを開いている市立図書館では定期的に、年に1度12月の上映を始めてこの活動をも4年になりますが、今回はその図書館を通しての打診です。

これまで、7回ほど、ポルトやガイアで作った影絵作品を持ってボランティアで上映してきました。

わたしに異存はないのだが、一緒に活動をしてくれているOちゃんに、スケジュールを聞いてみます。彼女の子供たちが夏休みに入っている時期をというので、日程を今月30日にしました。影絵のスクリーンを設定をのするのに、部屋の大きさ、机の大きさを知る必要があり、先ごろ病院のレクレーション・ルームを下見に行ってきました。

子供のレクレーションルームですから、机そのものが低い。わたしが注文して作ってもらったスクリーンは幅117cm、高さ88cm、それに開き扉がついています。大きなスクリーンを机に載せるので、それが低すぎるとスクリーンに影絵を映す出すわたしたち裏方は、頭や手が映ったりしないように苦労するのです。

kagee

上の写真は過去の市立図書館での子供のアクティビティルームでのセッティングですが、これくらいのテーブルの高さが欲しいところです。先方のテーブルの高さは66cmしかありませんので、今回は17cmくらい高さをあげる工夫がいるのです。

テーブルの足は四本ですから、4箇所の高さを同等に上げすることになります。何かいい方法はないものかと、色々考えてみたところ、ふと、東京息子が4、5歳の頃、随分気に入って遊んだ積み木を思い出しました。あれならば、形が違っても高さは均等なはず。と言うので、長年車庫に仕舞っていた積み木を探し出して、もってきました。

tsumiki1.jpg

30年もお蔵入りだった引き車の木の積み木。昔、息子のためにと、日本から頑張ってポルトガルに持ち込んだものです。よく遊んだので積み木の色はかなりはがれていますが、プラスティック製とちがい、木製は、こんなに古くなったと言うのに、なにかしら温かみを感じます。それで、懐かしくなり、当時の息子の写真を探してみました。

joao.jpg
倒さずに見事に積み立てたのを、照れくさそうに自慢している30年前の息子、ジョン・ボーイです。

まさに積み木を積み立ててテーブルの脚を乗せる方法ですが、果たしてうまくいくか?日曜日の明日は、Oちゃんと二人、我が家でリハーサルを含めて、それを試してみることになっています。出し物はと言うと、湿っぽい話は抜きで、いつの時代も子供たちに人気があるキョーリューの話です。地球の誕生から、海の中の生命誕生、魚が陸に上がり両足で立つようになり、そして巨大なキョーリューの出現誕生から地球への隕石落下による大気異変、キョーリューの滅亡、人類誕生までの長い歴史をまとめた
「キョーリュー年代記」です。
影絵

kagee

kagee

子供たちの様子をみて、影絵上映の後、もしもう少し続けられるようであれば、これまでもしてきたように、折り紙で1、2種類のキョーリューを折ってもらおうと思っています。
ヨーリュー

本日はこれにて。
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2015年6月26日 

今日はツーソン留学記、第10話です。

「グリーンが来るよ。」
三週間ころ経ったある日、シェアハウスの友、ロブが言った。ブルース・グリーンは20歳を少しだけ過ぎた、とても若い友人で、彼は前年まで日本で交換留学生としてホームステイしており、たまたまわたしが通勤に利用していた京阪沿線に住んでいたのである。

ブルースとわたしの出会いは誠に偶然なものであった。当時わたしは留学資金を貯めんがため、梅新のビアハウスで歌姫のバイトをしていたのだが、ビアハウスを9時半で終わり帰宅につくと、よく同じ車両に乗り合わせる外国人がいるである。

午後10時ともなるとさすが電車の乗客は少なく、乗り合わせ客同士は、しようと思えばお互いにいくらでも観察できたw若くやたら背の高い、色が真っ白の典型的なアメリカ青年である。気をつけなくたって目立つと言うものだ。後で知った話だが、あちらもしょっちゅう乗り合わせるわたしの顔だけは知っていたようだ。

それが、ある日偶然アサヒビアハウスへ、ひょこっと本人のバイト先、語学学校の上司マーチンさん、そしてイギリス人の同僚、ロブとで現れたのだ。その時のわたしたち、アリゾナ大学でわたしがザワちゃんんを見つけた時と同じようにお互いを指差しあって「ウォー!」(笑)

アサヒビアハウス
ブルースが働く語学学校のグループ。右手前が校長のマーチンさん

アサヒビアハウス
かつての梅新アサヒビアハウス名物(現在は「アサヒ・スーパードライ梅田」と改名)、5リットルジョッキー廻しのみに挑戦するBruce君。 

そんな経緯もあってか初対面からロブとグリーンとわたしはすっかり意気投合、以後週末が来る度に3人でつるんでは、
「タコスとシャングリラが美味しいパブがある」と神戸へ、
「京都にビートルズって名前のビートルズ曲だけ聴ける店がある。すわ!」
「相国寺では観光客に座禅体験させてくれる。行こうよ!」という具合であった。ロブとグリーンのこの二人、背丈の差がありすぎてまるでサイモンとガーファンクルみたいで、それがとても面白かったwそのグリーンがミズーリーから車で数日かけて、ツーソンにやって来ると言うのだ。

そして、来ました来ました(笑) ミズーリーの片田舎の農家の子です、後ろが荷台になっている大きな車を運転してはるばるやってきたのであります。

久しぶりに顔を会わせたずっこけ3人組、早速砂漠へでかけて、前座席に3人腰掛け、アメリカはなんつったって車が運転できなきゃいけない、とわたしの運転練習(笑) 今はどうか知らないが「車を前進させられれば免許がおりる」と言われたくらい、当時のアメリカでは、自動車学校などに行かなくても運転免許がとれたのである。

アリゾナ
ソノラ砂漠で。グリーンとロブ。これだけ広かったら、さすがの運転音痴のわたしも何とか運転できそうだと思ったのがまちがいだった。

「ここだと車がほとんど走らないし、突っ込んでも砂漠かサボテンだから、Yuko、心配するな」って、おいおい、みくびっちゃぁいけないよ(笑)とは思ったものの、情けないことにその通りで、何度もサボテンに突っ込みそうになり、横に座るブルースが慌ててわたしのハンドルを奪い取って切るのであった。終いには、「運転能力まったくなし!」と二人に太鼓判を押されたのでした。
(今はこのポルトガルで、わたしが奇跡的にもイッチョ前に運転しているとは、二人とも夢知るまい。笑)

アリゾナ
サイモンとガーファンクル、おっと違った、RobとBruceでした。 

アリゾナ
ソノラ砂漠の巨大なサボテンの前でグリーンと。これに突っ込んだら・・・^^;そしてこの背丈の差。ロブだけでなく、自分も同じくらいチビなのを忘れていたのであった(笑)              


夜ともなると、3人でわたしがこれまでに見たこともないデカいアメリカピザをたいらげ、当時上映中の人気抜群、「Saturday Night Feaver」を大学構内の映画館に見に行ったりしたのでした。グリーンはわたしたちの家のリビングのソファので寝、三日目に再びミズーリーのいつもの生活の場へと帰って行った。

三島由紀夫が「午後の曳航」の中で、ミズーリーのトピーカ出身の船乗りのことを書いてるのを教えてくれたのは、このグリーンである。そのミズーリーが彼のご自慢であったのだ^^

「ずっこけ3人組」はあれから35年、再会していない。

【追記】2012年1月に、ズッコケ3人組の一人、ロブと25年ぶりにフェイスブックを通じて連絡があり、わたしたちはネット上での再会を喜んだのでした。なんと、オマーンの大学で英語教授をしているのでありました。

次回のエピソードに続く。

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2015年6月24日 

今日はもりだくさんの写真です。

サン・ジュアン祭日で、24日のポルトは静かなものです。

サン・ジュアン祭りは前夜祭が賑やかで真夜中12時にはドウロ川周辺で盛大に花火が打ち上げられます。祭りの古里である「Fontainhas(フォンタイーニャス)」地区では今日の日中も人出でにぎわっていることでしょうが、昨夜とは比べられません。

我が家のご近所が、夕方7時半頃、「そろそろ庭で鰯を焼くので、すみませんが洗濯物を取り込んで~」とご挨拶にきました。隣近所もダウンタウンも、街中に鰯の炭焼きの煙と匂いが充満するのであります。毎年、言ってるような気がしますが、家中の窓と言う窓を閉め切っても、鰯の焼く匂いは家内に入り込みます。そんなら、いっそのこと街に出よう、となるのです。

ベランダがある我が家ですが、そこで鰯を焼くのは禁じられています。恐らく、市内ではどこでもそうなっているのではないかと思いますが、それでも時々、焼いてる人たちを見かけます(笑)
ま、この日は見逃してくれることが多いのですが、中にはすぐさま苦情を言いにドアを叩くうるさいご近所もおり、気をつけませんと^^;

さて、いつもわたしたちがこの日に鰯を食べに行くレストランへ2軒とも行列ができていたので鰯は諦め、昼食がまだ腹に残っていると言う夫の提案にて、20年ぶりほどぶりで、若い子供連れや若人たちが溢れるマクドでSandae(サンダヱ=マクドで食べられるソフトクリーム)を食べて、それが夕食代わり(爆)

サンジュアン祭り

そして、いざ、祭りへ!今年は、かなり離れた場所に駐車してドウロ川沿いのリベイラではなく、ドウロ川にかかる6つの橋のひとつ、サン・ジュアン橋の側、Fontainhasへ足を運びました。

サンジュアン祭
サン・ジュアン橋。橋の向こうがリベイラ。

老いも若きも今宵は誰の頭に振り下ろしてもよい無礼講のピコピコハンマーを片手に、10時ともなると人でごったがえしになっていました。
サンジュアン祭

サンジュアン祭
もうもたる煙は、ご存知、鰯の炭焼き。
ポルト・サンジュアン祭

ドン・ルイス1世橋と左はガイア市のSerra de pilar修道院。
サンジュアン祭

写真、夜空に見えるポツポツの正体はこれです↓

サンジュアン祭

サン・ジュアンの熱風船(Balão de São João)。紙でできており、風船の下に火をつけて熱で膨らまし飛ばします。この熱風船が夜空をフワフワさ迷い、まるで赤い星のように見えます。

夜11時くらいにもなると、12時の花火を見るために川べりに向かってどんどん人が集まってきますが、わたしたちはこの頃、引き上げます。駐車場に向かって歩いていく途中の小さな広場にふと目を向けると、・・・
「おろ?どこかで見たような人が・・・おぉ、マリアさん!」。友達のマリアさんが娘さん、お孫さんなど家族と一緒に、風船飛ばしに兆戦しています!「写真、撮らしてくれ~」と声をかけ、夫も手を貸し。

サンジュアン祭
下の装具に火をつけ、数人で紙風船の表面を膨らますように持ちます。

サンジュアン祭
完全に膨らんで熱気をふくんだところで、飛行準備完了。
 
サンジュアン祭
手を離すと夜空に飛んで行きます。

サンジュアン祭

そして、帰り際に道に落ちていた風船を拾い上げる夫^^; 昨日の今日はきっとあちこちにしぼんで落ちた風船が見られることでしょう。

祭りの最後をビール、スーパーボックで閉めて。
saojoao2015_13.jpg

今年もこうしてサン・ジュアンは終わり、ポルトは本格的な夏に突入します。

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2015年6月23日 

日本から逆帰国以来、ずっと軽い喘息に悩まされ体調思わしくなく、ポルトのデジカメ突撃隊もすっかり影を潜めてしまっていました。

ひたすら、日本語教室の仕事をするのみなので支出は減る(笑)。生徒を相手に日本語を教えること事態は、楽しいのですが、しかし、仕事だけではわたしの場合、段々凹んで参り、どうもいけません。

そこで、今日は、旬の鰯の炭焼きで街中がもうもうたる煙だらけになるサン・ジュアン前夜祭、明日は休日なのを幸いに、エイや!と気合をかけて、2時間ほど歩いてきました。

サンジュアン祭り
サン・ベント駅の前のRua dos Flores(花通り)。

  
サンジュアン祭り

サンジュアン祭り

街は祭りの準備OK!

サンジュアン祭り

花通りに花の自転車。赤、黄色、緑はポルトガル国旗の色です。
サンジュアン祭り

どんよりと曇った天気が、実はサン・ジュアン定番の天気なのですが、今日もそれに違わず(笑)

そして、見つけた新しいスポット↓花で飾られたこの店はとてもきれいです。近々、取材を申し込みに行くつもり。そのときに、改めてご紹介します!
サンジュアン祭り

久しぶりに歩いて街の空気に触れて、生き返ったような気分で帰ってきました。これでなくっちゃ!

さてさて、わたしたちも遅い夕方には、鰯を食べて、もう一度ダウンタウンまでサン・ジュアン祭りにいざ!

下記では過去のサン・ジュアン祭りの様子が書いてあります。

http://www.geocities.jp/spacesis_porto/html/cidade_do_porto/saojoao1.htm

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1082.html

では皆さま、また明日!

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2015年6月21日 

ジュアキンおじさんの畑の猫たちにごはんを運んだ今朝、わずか数分のことなのに帰って来ると腕がひりひりしました。室内の温度計を見ると、もう27度、外は33度です!昨日もそうでしたが、今日も暑くなります。

6月はさくらんぼの季節です。昨日の土曜日は夫の長年の同僚、ドクター・テルシオ夫妻に、泊りがけでサクランボ摘みに行こうと誘われていたのですが、生憎、わたしの土曜日日本語教室は4月の日本帰国で休暇を入れてしまったので、もう夏休みまで休講は無理というので、残念ですが断ってしまいました。

下はマーケットで手に入れたサクランボですが、これで200円もしません。日本に比べ、ポルトガルは果物が安く、たっぷり食べられ、我が家では、この季節ならメロン類、オレンジ、もも、スモモなどの果物を口にしない日はありません。
sakuranbo2015.jpg

さくらんぼと言えば、我が家ではもう一人、いや、一匹と言うべきですね、それが好きなのがいます。
ご覧のとおり、ゴロー君です。

さくらんぼ
じーっと見つめています。

さくらんぼ
間もなく、手でちょちょっとひっかけ、この通り、口に加えては、持って行くのです。
さくらんぼ

ナイロン袋にいれたままにして置いても、サクランボの匂いですぐ分かるようで、袋を破って持ち出しますから、うっかり籠にいれたまま放って置くものなら、ゴロー君、次から次と持ち出しては、少し噛んであちこち床に転がしておくもので、強度の近眼で床に大きなゴミが落ちていても見えないわたしは、何度も踏みつける羽目になり、コラー!ということに相成ります。

こうして今年もポルトはさくらんぼとサン・ジュアン祭りの季節を迎えます。

サン・ジュアン祭

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2015年6月17日

前回のアリゾナ、ツーソン留学記で、アメリカの歌手、トム・ウエイツに因んで、もうひと話。

高校教師を退職した友人のマリアさんが、時折自分が手がけた劇の脚色の話をしてくることがある。先日も話の弾みでわたしたちは日本語授業そっちのけで、30分ほど話が盛り上がったのだが、

「それでね、その場面にTom Waitsの歌を使ったのよ。」との彼女の言に、
「ま、待てぃ!トム・ウエイツってあのトム・ウエイツ?」

トム・ウエイツにあのもこのもないのだが、わたしがこれまでこのアメリカの歌手の名を引きあいに出しても、一人として知っている
人に出会った験しがなかったのである。そして彼の歌を紹介すると、決まって聞かされるのが、「なんだ、この声?」という感想である。若いときからトムの声は酒とタバコで潰れたシャガれ声で、近年は歌うというより、語りと言った方が適していよう。

しかし、1970年代も終わりに渡米して、たった半年ではあるがアリゾナにいたわたしにとって、トム・ウエイツはノスタルジックでたまらない。目を閉じれば、ツーソンNorth 2nd Avenue 927番地のドアの向こう、裏庭に面し、遅い午後の光を取り込んだ空間の一隅で、くわえタバコにアンダーウッドタイプライターでパチパチ原稿を打っているハウスメイト、ジョンのシルエットが浮かび上がってくる。

「ワルツィング・マチルダ(Tom Trauberts Blues)」と「ニューオリンズに帰りてぇな」(I wish I wasin New Orleans)」は、トムのシャガれた声が却ってジンと染みていいのである。(↓わたしの持つ1976年版Small Change LPジャケット裏のTom Waits)

tom waits

♪疲れちまってよ。
 月のせいじゃねぇんだ、身からでたサビってことよ。
 また明日な。おい、フランク、2、3ドルばかり貸してくんないか?
 To go waltzing Matilda,waltzing Matilda,
 You´ll go a waltzing Matilda with me. 
(spacesis訳)


今日は英語で書かれてあるWaltzing Matildaの解釈なのです。

このワルツィング・マチルダがどうも意味がつながらなくて、長い間気になってきたのだ。「2、3ドルばかり貸してくんないか?マチルダとワルツを踊りにいくのによ」と、考えてみたのだが、それだとMatildaの前に前置詞withが入らなければならないではないか。英語の部分2行目のように。

マリアさんと話すことで、久しく忘れていた疑問を思い出したのである。

トム・ウエイツが編曲して引用しているワルツィング・マチルダは、今はどうか知らないが、わたしが若い頃はよく耳にした歌で、オーストラリアの第二の国歌とも言われる。渡米の資金調達のために、わたしは、昔バイトで大阪梅新のアサヒ・ビアハウスの歌姫をしていたことがあるのだが、よくこの歌をリクエストしたのが日本人の奥さんを持つオーストラリア人のマーチンさんだった。時にはステージに彼やアメリカ人の友人ブルースを呼び出して一緒に歌ったりもした。

アサヒ・martimgreen

♪Once a jolly swagman camped by a billabong  
  昔、陽気な放浪者が池の側にキャンプをはった
 Under the shade of a Coolibah tree       
  ユーカリの木の下で、
 And he sang as he watched and waited till his billy boiled
  ブリキ缶の湯沸しが煮え立つのを待ちながら歌ったとさ
 You'll come a waltzing Matilda with me     
お前が俺と一緒にくるのさ、ワルツィング・マチルダよ

「a waltzing Matilda」とはswag(山の放浪者が携帯する今で言う寝袋?)を背負いながら放浪すること、と見つけたり!

Matildaは、紀元前300年頃からエルバ川北方に移住し始めた民族(主にドイツ人を指す)の逞しい女性の代名詞。同時に、移動するワンダーラー(Swagies)達に同行し夜は侘しい彼らを暖める女、妻の意味もあることから、放浪者が携帯する毛布、寝袋等の荷物をMatildaと呼ぶに至ったらしい。(興味のある方はこちらを参照。英文です)

そう言えば、当時わたしが勤めていたオフィスの本社のアメリカ人、ボブ君が、「この歌は英語を話す僕らもなんだか意味がよく分からない不思議な歌なんだ。」と言っていたのを思い出した。

オーストラリアの「Matilda」の意味は分かったが、それでもトム・ウエイツの「2、3ドルばかり貸してくんないか?To go waltzingMatilda=旅に出るのによ」では、まだしっくり来ない。昔のこととは言え、2、3ドルでは旅には出られまい。

ねぇ、トム。あんたの歌ってあんたの心の中のように、分からないのかね?と思わずトムの口調で呟いてしまう本日のspacesisでありました。

ちなみにワルツィング・マチルダは、かつてわたしがチャット・ルームでお開きの合図として流してたものです。本日の色々な検索で、トムもこの曲をライブのトリに使っていたようです^^

また、日本のテレビドラマ「不毛地帯」のエンディングに流されていたと聞きます。
一編聴いてみてもいいかなと思われる方は、下記でどぞ。


   
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2015年6月14日 

開校から21年間、全力投球して取り組んだ補習校を退いて6年になる。
下記に退職時の記事がある。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-722.html

途中から同僚になったI氏も2年前に補習校から身を引いたのだが、その彼が、この春、奉仕として向こう1年間、高校生のクラスを持つことになった。 高校生は一人で、その中に父母、一般の日本人の聴講生を受け入れるのをボランティアの条件にしてもらったという。聴講生は結局3人に集まったそうだ。

孫も行くので、と断りを入れるが、孫とは同居しているわけでなし、孫との住まいの距離も片や隣町のガイア市、片やポルトなので、おいそれとは行かないはずだ。 それは彼の周囲への配慮であろうとわたしは思っている。偉い!とこの話を人づてに聞いて思わずわたしは膝をたたき、「がんばってね」と電話を入れたのが3月のことだ。

さて、そのたった一人の高校生が、6月半ばで日本へ一時帰国することになり、二学期が始まる9月まで、補習校での正規の授業がない。そこで、I氏、その時間を父母や一般の日本人に参加してもらい、勉強会に当てようではないかと考え、昨日の土曜日が第一回の勉強会だった。

1時限目は歴史の勉強で、参加者を補習校の父母限定でとの条件を示され、補習校の一室をなんとか貸してもらったようである。2時限目は、一般者も参加できるようにと、11時から学校の近くにあるカフェでの勉強会にしたと言う。初回の議題は「第9条」を中心とする「日本国憲法」だ。

普段はこのような政治的な話をする日本人の知り合いがほとんどわたしの周囲にいない。この手の話題を取り上げるとすれば、友人であり、長年の日本語の生徒でもあるポルトガル人のマリアさんを始め、いずれもポルトガル人の人たちと、夕食時の夫が相手になる。

日本国内でも常々話題になって来、今も国会を賑わせている「憲法」の勉強会である。大いに興味をそそられたのと、I氏を少し応援したいのとで、毎土曜日は10時から1時まで日本語塾の2クラスがあるのだが、「わたしも勉強したい」と、生徒たちと話し合い、3回ほど、スケジュールを変更することにしてもらった。

10時からの授業を9時半から(生徒たちが、げ~~~と言っていたw)。11時からわたしの勉強会出席になるので、塾の2時限目は各クラス交代で休講にしてもらったのである。学生たちは今、学年末試験の時期で、タイピングもちょうど良かった気がする。

興味がないのか、場所移行がよくなかったのかは分からないが、勉強会に集まったのはわたしも含め3人だけであった。その一人が、なんと、補習校時代、長年わたしが受け持ったTちゃんである。現在は二児の母になり、その一人を現在補習校の幼稚園部に送っている。

文藝春秋の対談記事をTちゃんに読んでもらいながら、各章ごとに話し合い意見交換をする。Tちゃんの補習校歴は、当時、高後部の設立を希望したものの、なされなかったので、中学3年を修了しただけですが、文藝春秋を読めるのは立派なものです。

kenpo.jpg

この勉強会に臨んで、わが子たちの昔の教科書巻末にある「日本国憲法」の全文を今回初めてゆっくり読んでみた。特に「第9条」に関しては、今後国民投票にこぎつける可能性もなきにしもあらずであるから、自分の考えをしかと持っておく必要もあろうかと思う。そのためには、このような勉強の場に足を運び、人の意見にも耳を傾けることは大切なことだ。

1時間半足らずの勉強会では、記事全てを読み、意見交換することはできなかったので、議題は引き続き次回に持ち越されることになった。

このカフェは、わたしの補習校時代には、月に一度、授業が終わった後の3時から6時まで、職員会議として先生たちが集まり、どのようにしたらいい補習校が作れるか、子供たちをどのように指導し教育すべきか、など等、大いに意見を闘わせた場所でもあった。そのような切磋琢磨は人を成長させる。補習校に、それがなくなったのは非常に残念なことである。

かつての生徒と一緒にこんな風に勉強するとは、これまた嬉しいものだ。

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2015年6月13日

エッセイのタイトルに「ツーソン留学記」と堂々と掲げているものの、あつかましい(笑)

後にその訳を明かすのですが、移住するつもりで渡ったアメリカ大陸でしたが、志を翻し、実は半年で日本へと、とって返したわたしでありました^^; しかし、このわずか半年のアリゾナ生活は、その後のわたしの人生の指針になり、方向づけしてくれたような気がします。

たいしてお金は持っていなかったので、帰国すると決めた後も、思い出の品物は皆目買いませんでした。「これが若き日に訪れたアメリカの記念品だぜ。」と、だから、しみじみと手に取って眺めるものはほとんど皆無。あるのはこれのみです。

bracelet.jpg
ツーソン周辺にはインディアン保護地区がある。シンプルなインディアンアート細工が施された銀のバングル。奮発して4つ手に入れたが、ひとつはモイケル娘が今は保持する。

アリゾナの思い出は、茫洋とした記憶のなかで漂っては、時折ひょこっり姿を現す。その時に決まって脳裏で流れてくるBGMが、トム・ウエイツの「Waltzing Matilda」であり、「 I wish I was in New Orleans」だ。

ハウス・シェア仲間の一人、ジョンはエピソード②でも、ちょこっと言及したツーソンのカレッジの歴史講師です。夜間授業をしており、日中はというと、いつの日か自分の歴史本を出版したいと原稿を書いているだった。

8時半からの大学のESL授業を終えて帰宅する午後、927番地のドアをあけると、直ぐがリビングルーム、それに続くダイニングホール、そして、その向こうにある裏庭に面した縁側のような小さな細長いスペースがジョンのお気に入りの場所だ。タバコをくわえ、アンダーウッド・タイプライターを打っている。ノミ市ででも買ってきたような、旧式のステレオに載せられ、家中いっぱいに流れているLPレコードのトム・ウエイツ。ジョンがいつも聞いていた音楽だ。
arizona6.jpg
このドアの向こうに・・・

   ♪あぁ、ニューオリンズにいたらなぁ
    夢に見えるようだぜ
    みんなと腕組み合って
    バーガンディーのびん持ち 酒盛りをする・・・(spacesis勝手訳)

この歌とアンダーウッド・タイプライターを打つパチパチとした音は不思議に融合し、夕闇が迫りランプシェードの薄明かりの中に浮かび上がる、痩せた背中を少し丸め、前のめりになったジョンの姿は、まるで一枚のシルエットのように、今でもわたしの心に残っている。

ジョンに誘われて、わたしは一度彼の夜間の歴史講義を聞きに、カレッジへ行ったことがある。(←偉そうに書いてるが、なにを隠そう、内容は皆目分からなかったのだ^^;) それはアダルト・スクールと言われる、アメリカ特有の夜間学校コースの一環で、様々な職種の人が、居眠りもせず講義を真剣に聞いていた。

今でこそ、日本でも一部の大学の門戸が一般社会人に開かれ始めているが、これは35年も前の話で、授業料も日本のそれとは比べられないほど安く、多くの人が受講できるようになっていた。アメリカの教育制度の豊かを当時のわたしは感じずにいられなかった。やる気のある者には、チャンスのドアが開かれる。そのドアを押すか押さないかは自分次第である。少なくともあの頃のアメリカはそんな風に思われた。

その時、初めて「あぁ、アメリカに来たのだ。」と震う思いに襲われたのだった。

トム・ウエイツ「ニューオーリンズに帰りてぇ」。トムのダミ声はご勘弁。しかし、聞きなれるとすごくいい感じが出てるように思われてくる不思議な魅力があります。


本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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2015年6月10日

今日は「ポルトガルの日」で休日です。
わたしがポルトガルに来た30数年前の昔は、「Dia de Camões=カモインスの日」と呼ばれいましたが、正式には「Dia de Portugal,de Camoes, de Comunidades=ポルトガルとカモインスとポルトガル人の日」と言う長い名前です。

カモインスとはポルトガルを代表する16世紀の大詩人、「Luis de Camões」のことで、この日が彼の命日であることに因みます。今日はその詩人について、過去にも案内していますが、書きます。以下。


首都リスボンを含む、「エストゥラマドゥーラ・リバテージュ」地方は、ポルトガルの政治経済の中心地です。

この地域には、イギリスの詩人バイロンをして、「エデンの園」と言わしめたシントラ、猟師達の独特な模様をしたシャツで知られる伝統的な漁村「ナザレ」、王妃が愛した城壁に囲まれる小さな小さな町「オビドス」と、訪れてみたい所は数えあげればきりがなく、この地方はポルトガルの宝石とも言えるかとわたしは思っています。

さて、この地方に観光客をひきつけるもうひとつのハイライト、それがユーラシア大陸の最西端と言われる「ロカ岬」(Cabo da Roca)です。

北緯38度47分、西経9度30分、海抜140メートルの断崖のロカ岬は、海に臨んで、頂上に十字架を掲げた石造りの碑がぽつねんと立っているばかり。石碑には、「ここに陸尽き、海はじまる(Onde a terra se acaba e o mar começa」の文字がポルトガル語で刻まれています。
   
ロカ岬は、まさにユーラシア大陸の地の果てであります。前方にはただただ亡羊と大西洋がひろがり、打ち寄せる波の音と吹き付ける風の音のみが、最西端の名誉を孤高として守っているかのように思われます。

冒頭に掲げた石碑に刻まれている言葉は、ポルトガルの国民詩人、ルイス・ドゥ・カモインスの書いた詩の一節からとられています。カモインスを抜きにしてポルトガル文学は語れません。また、「Os Lusíadas」(ウズ・ルズィアダス=ルズィターニアの人々、ポルトガル人の古い呼称)を抜きにしては、カモインスを語ることはできないのです。 

「Os Luíadas」はポルトガルを代表する16世紀の詩人カモインスが書いた9000行からなる大叙事詩です。バスコ・ダ・ガマの偉業を讃え、ポルトガルの大航海時代の歴史を謳いあげたものです。叙事詩集は10章に分かれており、先の「ここに陸尽き、海はじまる」は第3章20で謳われています。ちょうど我が家に素敵な装丁の「Os Lusíadas」があったのでその箇所の写真を載せて見ます。

Os Luíadasの本

       os lusiadas
       美しい装丁が施された限定版の本です。 
camoes_livro.jpg  
        各章ごとの歴史にちなんだイラストが内装もカラフル。

os lusiadas
                  第3章20の扉

     os lusiadas
          20(XX) 上から3行目。

   「Onde a terra se acaba e o mar começa 」 「ここに陸尽き、海はじまる」とある。
     os lusiadas


「Os Lusíadas」 は膨大な叙事詩で、ポルトガルの学校では全編ではありませんが、必ず読むことになっています。わたしは今のところ、本を開いては美しい装飾に目を奪われるのみで、残念ながらまだ読んでいません^^;ロカ岬の案内所では有料で「ユーラシア大陸最西端到達証明書」を発行してくれます。古典文字で書かれており、carimbo(カリンボ)と呼ばれる蝋(ロウ)印が押されます。現在では日本語もあるようです。

さて、カモインスについて。

15世紀の冒険家Luis de Camoes(ルイス・デ・カモインス)カモインスの伝記は謎に包まれている。いつどこで生誕したかも不明である。そして、芸術家の多くがそうであるように、カモインスもまた、生存中はあまり名の知られた存在ではなかったようだ。

当時の知識人と比較しても該博な知識を持っていたらしく、コインブラ大学で聴講したという話はあるが、その知識をいつどこで身につけたのか明らかではない。

またカモインスは無類の冒険家であり、恋多き人でもあった。リスボンでは傷害事件で投獄の憂き目にあったり、アフリカ、東洋を廻り難破にあったりもしている。

カモインスは片目だが、15世紀初期、北アフリカのセウタでムーア人と戦った際に右目を失ったと言われている。

os lusiadas
Wiki より

「セウタの戦」とは、ドン・ジュアン一世の時代でポルトガルの大航海時代の扉を開くことになる戦いである。王の3人息子、ドアルト王子、ペドロ王子、そして後、トマールのテンプル騎士団修道がキリスト騎士団修道院に改名した時にその騎士団のマスターとなり、航海王子の異名をとることになる三男のエンリケ王子も参戦した。この様子は、ポルト、サン・ベント駅構内のアズレージュ絵に見られる。

azulejo_saobento.jpg

もうひとつ、付け加えるならば、ポルトの有名な伝統料理「Tripas」はこの「セウタの戦」に由来する。 (これについては下記の案内からどうぞ) 
            
恋と冒険とそして貧困のうちに、ポルトガル文学の偉大な遺産「Os Lusiadas」を残し、1580年6月10日、カモインスはその生涯を閉じる。毎年6月10日は、カモインスの命日を記して「ポルトガルの日」とし、この日は祭日になる。

最西端のロカ岬は、訪れる観光客の浪漫的な予想からは遠く、波打ち寄せ風吹きつけ、大航海時代の栄華のかけらも今は見えず、ただ荒涼としているだけである。それでも、石碑に刻まれたカモインスの一節に、いにしえのポルトガル人の果てしない未知への冒険心をかいまみる。

★ポルトびと、その名はトリペイロはこちらにて。→http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1167.html

本日も読んでいただき、ありがとうございます。


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2015年6月8日

日本から帰るなり、体を休めるを惜しんでいきなり仕事を始めたのが祟ったのか、ここ十日ほど、起きているのは仕事時間のみでそれ以外はずっとベッドに臥していたのですが、体力回復、一歩手前。

そんな訳で、今日は6時半に起床し、肌のリフレッシュと称して週に2回の割でする、手製のフェイスパックを作りました。 が、ジョアキンおじさんの畑のねこたちが、わたしがいない間にずいぶんやせ細ってしまい、このところずっと、朝と夜の日に2度、エサを運んでおり、パックの前に彼らに朝ごはんを届けようと、それを台所のテーブルに置いて行きました。

エサやりから帰ってくると、黒猫ぺトが、台所のテーブルの上でなにやらやっております。わたしを見るなり、サッとテーブルから降りたその後をみると、作っていったフェイスパックがきれいに無くなっています。

neko.jpg

んもう!お前、顔パックできないから、舐めたってかい!材料はというと、ぺトの好きなヨーグルトが使われている訳で、置きっぱなしにすべきではなかったのだ^^;

本日は我が家のネコたち、ひさしぶりに登場です。

petokururu-2015-1.jpg
クルルとぺト。猫たちも歳をとり、我が家は飼い主も入れてさしづめ「高齢社会」に突入しつつありか?
鋭い目つきはぺト。別名イジメッ子のジャイアン、横が苛められっ子のクルル。表情が・・・(笑
   
goro.jpg

爪を見せて、甘えるゴロー君。 
goro2015-June.jpg
 

gonta1-2015-june.jpg
ほとんど全盲のごんた君、時々壁に頭をぶつけることもあるが、家の中は自由に歩ける。わたしがパソコンの前に座ると、すかさず自分も場所を陣取るので、実は邪魔なのである。

2015_chibi_1.jpg
紅一点のチビ。お前はナニをしてるのだ?

体調悪い故、ついつい、ブログの間を開けてしまいましたが、日本での出来事も合わせて綴りたいことは山ほどあり。 本日を復活助走にいたしたいと思います。では、みなさま、また明日!
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2015年6月3日

クラス全員に手渡された一冊の分厚い本、「Travel with Charlie」にわたしは呆然とした。

本の内容を知るためには、たとえ牛歩の歩みのごとくであっても、辞書を片手に読んでいくしかないで。
金曜日、週末の誘いの声もうわの空、帰宅して読書にすぐにとりかかった。そして知った己の語彙力のなさ。誠に牛歩の歩みなのだ。それでも投げ出すことはできなかった。

こんな状態ででどうやってテストに臨めるか。考えました。
そしてわたしがしたことは、もう単語はいい!分からなくてもとにかく最後まで通しで一度読破すること、これで行こう!

するとです、分からない部分が殆どなものでドンドン飛ばして、一回目は辞書なくして意外とスムーズに終わった(これがスムーズと言えるのか。笑)

うむ。しょっちゅう出てくる単語があるぞ。これ、気になるから、調べてみよう。2度目はそういう単語のみ辞書をひき、他は分からないままにして読み進んでいくのであります。最後は、辞書なしで初めと同じように3度目を読み終えた日曜日の夜、「ふむ。要は、スタインベックがチャーリーと言う名の犬を連れて、トレーラー車でアメリカ中を旅して、行き先々でいろんな人に出会い、その体験をああだらこうだらと書いているのだな。」と、なぁんとなく分かった気がしてきた。(笑)いい加減なものです。

こうして臨んだ月曜日のテスト、これが思いの他、良い結果が出たでした。Mrs.chisholmから採点された答案用紙を手渡されたときの、あの一言。「Excellent」 うひょひょひょひょ^^ 実に爽快でありました。「おバカ。週末くらいリラックスしなよ」の友の言葉に背を向け、それを返上して勉強した甲斐があったというものだ。

以後わたしはこのやり方で、テキストを読みこなしていきます。そして、この「Excellent」の結果に気をよくして、Mrs.Chisholmのクラスに留まるのでした。ESLのコースが終わる半年後、わたしがもらったReading Comprehensionの評価はAでありました^^ えへん。

ない頭も、必死に考えをめぐらして方法を編み出せば、突破口はできる。わたしの例がそれです。それにしても立派なのは、わたしの弱音を安易には受け入れず、冷たい素振りでチャレンジを促したMrs.Chisholmです。彼女はアメリカインデアンとアメリカ白人の血をひいていると聞きました。

上でエヘンと威張ってみたものの、この評価「A」は、「実質は伴わないけれども、努力」の部分が多分に含まれている、額面どおりではあるまいと、わたしは自覚している。
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