2015年9月27日 

ポルトガルは目下、ヴィンディーマ(Vindima=ぶどうの収穫)の時期です。ヴィンディーマはラテン語ですが、英語でいうとヴィンテージとなり、これだと分かりやすいでしょうか。今では「ヴィンテージ・ワイン」などのように高級ワインの代名詞としてこの言葉は使われていますが、もともとの意味は「ぶどうの収穫期」です。

ポルトのドウロ側上流では、ポルト・ワインの、そして、ポルトの更に北のミーニュ地方では有名な「Vinho Verde(ヴィーニュ・ヴェルデ。Vinhoはワイン、verdeは緑、若さを意味します)のヴィンディーマがたけなわです。

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ーこの画像はWikiからー

昔ながらの人手で摘む方法と機械で摘む方法があります。

Vinho Verdeは白ワインが広く知られますが、赤やロゼ、さらにシャンパンもあります。アルコール度数は8.5 から 11% の発泡酒。「Vinho Verde」と呼ばれるのは、ポルトガル、ミーニュ地方を産地とするロウレイロ(Loureiro)葡萄を代表とする特別ので作られたものを指します。

ブレジョエイラ宮殿
ーこの画像はWikiからー

ポルトガルの最北部、ミーニュ地方は内陸部と違い冷涼な気候で冬季は雨が多く、日照時間が少ないので、葡萄畑の仕方は日が当るように工夫されています。

普通、ワインは葡萄が熟成し、十分な糖度を得てから収穫しますが、ヴィーニュヴェルデは熟す直前に収穫するので、酸味が強くなります。瓶詰めされてから先1年が賞味期限です。

ブレジョエイラ宮殿

この夏は、北上して、上図、緑の部分のワインの里を訪ねてきましたが、今日は、以前から行って見たいと思っていた、この地域のワイン製造業者でもあるブレジョエイラ宮殿をご紹介します。

ブレジョエイラ宮殿

ブレジョエイラ宮殿

ブレジョエイラ(Breijoeira)宮殿は、既に紹介済みの町モンサォンの近郊にあり、ポルトガルでは有名な白ワインの銘柄「Alvarinho(アルヴァリーニュ)」の業者でもあります。モンサォン、メルガッソ(Mergaço)の町は、ヴィーニュヴェルデ産地の一部なので、ポルトガル人も含めて多くの人が、Alvarinhoワインは、ヴィニュヴェルデだと思われがちなのですが、実はその辺のヴィニュヴェルデちょっと違う、ということを主張しているのを、今回、地元に行ってわたしたちは知ったのでした。

ブレジョエイラ宮殿
Alvarinho 葡萄 ーこの画像はWikiからー

アルヴァリーニュ・ワインはモンサォン、メルガッソでのみで栽培されるアルヴァリーニュ葡萄から作られるのだそうです。アルコール度数は11.5から14%で、透明感があり、レモンやグレープフルーツ、アプリコットなどの香りを持ち、ヴィニュヴェルデと違い、賞味期限は長く、ヴィンテージ物もあります。

ブレジョエイラ宮殿
さて、ブレジョエイラ宮殿では、まず、キンタ(Quinta)こと、農園から案内されます。

ブレジョエイラ宮殿
 8月のブレジョエイラ宮殿のアルヴァリーニュブドウ畑↑と 葡萄の房↓   
ブレジョエイラ宮殿

ブレジョエイラ宮殿
キンタで見かけた毒っぽい植物。

ブレジョエイラ宮殿
岩から生えている木。 その下は洞窟になっている。この農園も地下道があると推測する。

ブレジョエイラ宮殿

ブレジョエイラ宮殿
緑の池                    

ブレジョエイラ宮殿
白鳥もまた神秘主義のシンボル

ブレジョエイラ宮殿
農園の最後はかつて使われたと言うワイン倉庫の見学。

ポルトガルの農園主の多くは、シントラのキンタ・ダ・レガレイラのように、池、洞窟、地下道を建造する、メーソン、もしくは神秘主義者であると推測しています。思った通り、後に案内された礼拝堂には、祭壇の上に太陽と「全てを見通す目」のメーソンのシンボルが見られ、質問すると、宮殿の2代目がメーソンリーであったとの回答が返ってきました。

農園の見学時間はおよそ40分ほどでした。宮殿を案内は次回に。
では、皆様、また!
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2015年9月25日 

こう書くと、spacesisさん、息子さんかモイケル嬢がいよいよ?と来るであろうか(笑)まぁ、一応、娘とも言えるのですが、我がモイケル娘ではありません。

夫の親友であった外科医のS氏が亡くなってから10年くらいになります。S氏はコインブラ大学時代からの夫の親友だったとのことで、わたしがポルトに嫁いできた頃から、家族ぐるみの付き合いをしてきました。

S氏夫妻にお会いしたときには、すでに娘さんが二人おり、男の子が一人欲しいと望んだものの、結局3人目も生まれたのは女の子で3人姉妹。末っ子は我が東京息子と同じ歳です。今は、事情が多少変わりましたが、こちらでは、結婚するにあたり、花嫁さんが、家具、家電を揃えるのが慣わしですので、娘3人いれば身上が潰れると俗に言われます。

夫とわたしは、S氏夫妻に頼まれ、末っ子のGodparents(代父母)なのです。ポルトガル語ではPadrinho(Godfather)、Madrinha(Godmother)と呼ばれ、その子供は男の子ならFilhado、女の子ならFilhadaと呼ばれます。

この慣習はカトリック教において大切なもので、子の洗礼の立会人になり、いざと言うときには親代わりをする責任を持つのが本来の意味なのです。わたしはカトリック教徒ではありませんから、名ばかりということになります。

さて、そのS氏の末娘が、今週土曜日に結婚するのです。35歳になりますが、彼女の経歴が面白い。獣医科に入り、大学院を卒業したところで、今度は人間の(笑)医学部に入学し、ただ今3年生です。3人娘のうち、お父上と同じ道を選んだのは彼女だけです。一人前の医者になるには、まだまだ長い道のりですが、頑張りやの彼女のことです、必ずやこのコースを終えることでしょう。

ポルトガルの結婚式は何度か経験していますが、これが、大変なのです。何が大変かというと、披露宴がとてつもなく長い!日本ならば、挙式、披露宴で、普通は2時間半、長くても3時間でしょうか。ポルトガルのは、食べて飲んでおしゃべりして踊って、また食べて飲んでと、それはもう、明け方まで続きます。ウエディングケーキ入刀が一番最後なんであります^^;ほんと、結婚式出席も体力がいるんであります。

久しぶりにドレスアップして、と衣装は決めたが、靴は、これも久方ぶりにハイヒールを履こう!と思っていたのが、は、は、履けない・・・・先日の転倒で痛めた脚が長時間のハイヒールには耐えられないようであります。しかし、ペタンコのサブリナシューズもいかがなものかと思われ^^;

当日ハイヒールを履く地獄の苦しみも久方ぶりになろうかと、今から戦々恐々たる思いであります。着物という手もありますが、帯が一人で結べないんですってば・・・^^;

というので、この件、顛末は後日に!
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2015年9月18日

先週末、夫とハイパーマーケットへ買い物に行った時の出来事。その日は雨が降っており、駐車場に水溜りができていたのに気づかず、うっかりそこにstep into !、はまって、ズルーッと滑って転んでしまった(泣)。

その転び方なのですが、右脚はどういうわけか咄嗟にひざを折り、長くもない左足を前方に投げ出すようにして転び、普段使ってない筋肉がしたたかに伸ばしされた感じで、たいそう痛うございました。立ち上がることどころが、しばらく息ができず、吐き気を催したくらいです。

車の後座席にようやくと乗り込み、フラットの階段を夫の手助けで上がり、そのまま、昨日の午後まで ずっとベッドでありました。 が、外猫たちが気になり、足を引きずっては雨の中のエサ運び。夫に見つかって叱られましたです、はい^^;

そんな訳で、昨日夕方からの図書館の日本語教室、夫が送り迎えしてくれ、んまぁ、歩くのもさることながら、階段が多いもので苦労したのなんのって・・・実は左足の付け根あたりがひどく痛くて、椅子に腰をかけるのがきつかったのであります。幸い、日本語教室ではほとんど、座ることがありませんから、授業ができましたが、ちょっと体の方向を変えるごとに、脚に痛みが走り、「いたたたた!」と小さな悲鳴^^; 生徒たちから、「どうしたの?」と(笑) これでは、隠し用がありません。

あぁあ・・・反射神経がかなり鈍ってきたなぁ。まぁね、あと2ヶ月ほどで、ロッパになりますんで、さもありなん、か・・・ショック。
ロッパとはなんぞや?ええがなええがな。気にせんといて~~(笑

さても、エントリーの「恥ずかしいな」は、これではないんです。
昨夜からその行方が気になって、気もそぞろだった安全保障関連法案、参院平和安全法制特別委員会を安保法案が、参院特別委で可決されました。日頃からニュースを読んでいればわかるように、現在日本を取り巻く安全保障環境は昔と大いに変わっています。そして、そうなってからでは遅い、中国の脅威に備えるために、今回の安保法案は必要であろうとは、わたしの思うところです。

が、採決までの一連のなりふり構わぬ野党の阻止を見るにつけ、ん?と、デジャヴ。これは、時折、こちらの国際ニュースで、呆れ半分に取り上げられる韓国の乱闘国会そのものではないか。映像が流されるたびに、それを見ては、、「あっはっは、これが大の大人のすることか。バッカだねぇ」なんて笑っていたが、ブーメランで自分に帰ってきました^^;

「あらゆる手段を尽くして、本会議採決を阻止していきたい」と、民主党はのたもうておりましたが、法案賛成、反対を関わりなしにして、その暴徒振り、幼稚さぶりには、これが民主主義国家か、国民に選ばれた国会議員かと軽い脳震盪を起こしそうでした。

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「触るな!セクハラだ!」と、理事会室前のドアを占拠し、委員長入室の妨害をしているピンク鉢巻の野党女性議員たち。

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自撮りしてる場合か!

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民主党による佐藤議員への首絞めと、右は同じく民主党の白真勲氏による目潰し。

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委員長めがけて危険なダイビングキックを試みる民主党問題児の小西氏。

下は韓国国会の日常茶飯事的な暴力沙汰
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これらの画像は全てネットから拾いましたが、Facebookに掲載するには、たくさんのポルトガルの人たちとつながっているものですから、一人の日本人として、画像を見られるのがあまりにも恥ずかしくて、できませんでした。

おまけに「暴力的な採決は無効だ」と主張する民主党は、いったいどの口でいうのか。審議が足りないと言うならば、最初から審議拒否しなければいいのです。国会の乱闘なんて韓国だけかと思って笑ってたら、とんでもないことになりました^^;

と、書いていましたら夫、が、「こっちでニュースになってるよ、日本の国会」ですと。恥ずかしいな・・・・

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2015年9月13日 

9月に入り、通常通りの日本語グループ授業、個人授業が始まり、夏の間、少し不調だった体調も元に戻りました。体調不良の原因はというと、言うも恥ずかしいところですが、食事会での暴飲暴食であります^^;

気の合った夫の医者仲間が、連れ合い同伴で8人ほどのメンバーを作っており、年に2、3回、集まって食事会をするのです。

ポルトガル語が皆目分からなかった始めの頃、少しずつ耳だけは肥えていき、なんとなく話の内容が想像できるようになり、と、この段階までの食事会は、ちっとも楽しめませんでした。話に加われず、「Sim(ええ)」「Não (いいえ)」「Mais ou menos(まぁまぁ)」の三語以外は黙々と食すのみです。何しろ、3時間は続く食事会、「早く終わってくれ~」と、心中で叫んでいたものです。

この頃は子育てと主婦、土曜日の補習校の仕事で、時間的にも経済的にも手一杯。子供たちの弁当作りから始まり、学校が私立で遠くにあったため、毎日の送迎(わたしは迎え専業)、稽古事の送迎、学校からの宿題、土曜日補習校の宿題、日本からの4教科の通信教育と、これらを子供たちと共に時間を過ごしていた日々でした。ゆえに、自分のポルトガル語教育に投資する余裕なし。好きな読書が就寝前にできたのが嬉しかったものです。いい訳がましくなりますが、そんな事情でポルトガル語を学習し始めたのは、60を過ぎてからです。

やがて、共通の話題が子育てや子供たちの進学、進路のこととなり、わたしもポルトガル社会に慣れて行き、たどたどしいポルトガロ語で少しずつ仲間の話に加わっていきました。今では、文法的な間違いはいいや、ここでは外国人だし勘弁してもらおうと開き直っています。

7月も終わる頃、定例の食事会の声がかかりました。皆、歳をとりました。話題は子、孫の話でもりあがり、「さぁ、飲め、食べよ」と勧められるままに、自分の小食を忘れ、飲み食いしたのが祟ったのであります^^;

冷たいワインもおいしく、コップにつがれては飲みつがれては飲みと、年甲斐もなくついつい・・・以来、夏中ずっと、調子が悪かった(涙)

わたしは大してできた人間ではないので、体調が悪いときは、まじめに物事を考えないようにします。心と体は互いに影響しあうのです。そして、こういうときは、時折、パソコンの側に置いてあるプラスティックの正六面体に目をやります。

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これは我がモイケル娘の手作りです。「作:マイケル・じゃっくそん・コスタ・サントス 11-11-2002」と、別面に書かれてあります。「マイケル、モイケル」は、彼女の日本名を、同級生がポルトガル語で発音すると、そんな風に聞こえることから、彼女に付けられたアダ名なのです。

2002年は、彼女がポルトのブリティッシュ・スクールからポルトガルの私立高校に移った頃で、既に日本の大学で勉強したいとの希望を抱いて、学校環境の変化を克服しようと苦労していた頃です。

幼稚園から中学3年まで、全て授業は英語でなされていたのが、転校することにより、ポルトガル語での授業に切り替わったということで、わたしはこれを密かに「国内帰国子女」だなぁ、と呼んでいました。

日本での進学のためには、父親を説得し、学費捻出を考えなければいけないと、色々知恵を絞るバトルの時期です。夏休みに帰国した折に耳にしたであろう、お千代さんの「人生いろいろ」の歌詞がある面、

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植木等の「金がない奴ぁ~俺んとこへ来い!」の面、

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「明日があるさ、明日がある」は坂本九ちゃんの歌です。

そしてこちらの面には、ドラマ「一つ屋根の下」の有名なセリフ、「心にダムは あんのかい!」
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どれもみな、彼女の年齢にしては古びた歌、ドラマですが、おっかさんであるわたしの影響です。これらの六面体には、日本の大学受験をしたい、及び、合格した後の学資をどう捻出したものだろうか、との、彼女と、彼女の夢実現の手伝いをしたいおっかさんの、毎日毎日、思い巡らしていた希望的観測の思いが表れています(笑)

2006年の「金欠病親子の帰国子女受験奮闘記」にこう書いています。

エピソード2:「お金がないじょ!」

さてはて困ったもんです。
日本へ帰るったって、日本の大学へ行くったって、もいける娘よ、あぁたの親の 生活基盤はポ国であるぞ。

物価が安く、それまで日本のほぼ半分の生活費で暮らしができたお国である。 日本からポ国へ来るのならいざ知らず、その逆コースであるから、これはあぁた、 並大抵なことではございません。

我が家ではその頃、六つ歳が離れた息子は、リスボンで大学生活です。 リスボンと言えば、住居賃貸料の高さでは、なぜかヨーロッパでも1、2を争うという、 どうでもいいようなことで有名な都市です。 法外な家賃を5年間も払って(ポルトガルの大学は5年制)ドブに捨てるよりも、 建て直ししたのでいいからリスボンにアパートの一室を買った方がいい、と夫は判断。

ローンを組んだばかりの頃です。ポルトの自宅とリスボンのアパートのローンと・・・・・・ 日本の大学受験は無理だってば^^;

娘が父親に面と向かって宣言できなかった理由は、ここにあるのでしたw 夢です。夢ならば見ることは自由だ、娘よ。

しかし、かえるの子はかえる。 「いつかアメリカで」と高校時代からの夢を見続け、卒業後都会で一人暮らしをしながら、 オフィス、歌バイトと数年間働いて、ついに夢を叶えた、そのおっかさんこと、 わたくしの、さすが娘(笑) もっとも、自力でその夢を実現できたのは、三十路を過ぎてたが^^;

つまり、そう簡単には諦めず、頑固に色々計画をコネorごね回したのでありまし た。


この6面体の歌を見ながら、心で歌いながら、物事をポジティブにとらえて自分を励まし、目標に向かっていたのだな、と思うと、あの頃の娘を愛おしく思い出します。六面体が作られてから13年になりますが、その後、彼女は父親を説得し、受験し、目標大学への入学を果たし、夢を実現しました。このポジティブ思考を忘れないでほしい。

今、いつでもわたしの目のつくところに置かれた「希望の六面体」は、小雨降る今日のポルトのわたしの前で、歌っています。

「人生 いろいろ~チャチャチャ ♪」

「ズッコケ親子の受験戦記:めざせ夢、日本の大学!」はこちらでご覧になれます↓
http://www.geocities.jp/spacesis_pt/html/kikoku/kikoku_top.htm
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2015年9月8日 

この夏は、ポルトから北上して、拙ブログにて既に案内済みのバルセロス、ポンテ・デ・リマから、ミーニュ川を挟んでスペイン国境に接するメルガーソ(Mergaço)、モンサォン( Monção)を周りました。今日はモンサォンの案内です。

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モンサォンは、ポルトガル人も「モンサント(Monsanto)」と間違えますので、要注意。モンサントは中部地方になります。

国境なるがため、中世にはカスティーリャ王国との戦が耐えなかったモンサォンは、四方が要塞に囲まれた小さな町です。わたしたちが利用したホテルは要塞を少し出た、ビエネスタールホテルで、スパトリートメントや野外プールの設備がありましたが、目前に大きな公園とミーニュ川があって、散策にもってこいでした。

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要塞は一部が歩けるようになっています。

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歩いて小1時間ほどで、全体が周れるほどの小さな町です。残念ながら鉄道でのアクセスは不可。要塞の中で、かつての駅舎が古びたまま残されています。
 
この地方は有名な「Alvalinho(アルヴァリーニュ)ワイン」の産地として名を知られており、町にはそのワイン博物館があります。訪問すると開館に少し時間があり、町の中心広場に面したオープンカフェでコーヒーを啜りながら時間をつぶしていると、突如、鳴り物とともに現れたこのひとたち↓

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何事かと思ったものの、町のあちこちで見かけた「Festival de Folklore」張り紙を思い出しました。

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「FOLKMONÇÃO」と呼ばれるこのフェスティヴァルは、1986年以来毎年、世界各国からグループが参加し、モンサォンを初めとするミーニュ地方の10市を周ってお国自慢のフォークローレを披露するのだそうです。この日はちょうどその初日でした。今年の参加国はブラジル、チャイナ、ジョージア、メキシコ、ポーランド、ロシア、台湾、ウクライナ、ポルトガルです。
 
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広場の周囲を一周して、広場に集まります。

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ダレ~っと時間つぶしにコーヒーをすすっていたのが、やおら席を立ち、夫をそこに残してデジカメ向けて目の前の広場へ。以下、民族衣装を紹介します。

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美しい民族衣装はロシア↑↓
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こちらはメキシコ
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台湾。とっても賑やかなグループでした。                          
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ウクライナの民族衣装もきれいです。
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それでは、本日はこれで。                      
 
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2015年9月6日 

子供に勧めるためにと、子供向けの本はまず自分が手にとって読んでみます。そして、読後、いつの間にか自分の愛読書となり、買い足して手元に置いてある児童文学が何冊かあります。

ざっとあげると、「王さま でかけましょう」「手ぶくろを買いに」「チロヌップのきつね」「100万回生きたねこ」「片足ダチョウのエルフ」「椋鳩十さんの本」など。洋書では「戦火の馬」「Giving Tee」「はっぱのフレディ」「クオレ物語」等がそれです。

数年前まで、日本人の子供たちが土曜日だけ通う補習校で20年ほど講師をしていましたが、「今の子供たちはマンガは読むが、本を読まない。何とか子供たちに読書をして欲しいものだ」と言うのは、いつも先生たちの間で上った話題でした。
しかし、考えてみると、児童文学書と名の付く本は図書室の本棚にたくさん置かれてあるものの、この本は面白いからどう?子供たちにと勧めるには、まず、大人が読む必要があるとわたしは考えました。そこで、自分が読んでみておもしろかった本は、教室で数ページ、朗読してあげ、続きは翌週に、という方法を取り入れました。

子供たちが興味を示す本は、2週目になると、続きが聞ける翌週まで、もう待てないと言いだす子供が出てきます。ここまで来るとシメたものです。本当は漢字にルビが振られていない本をと、大人は欲を出しがちですが、物語がどうなるのか先を早く知りたいという子供には、結局、読めない漢字で興ざめし、放り出すことが多い。ルビつきでいいのです。

そうして教室で朗読した児童文学の中に、「ルドルフとイッパイアッテナ」があります。ルドルフとイッパイアッテナというネコたちの物語なのですが、斉藤洋さんの文章が歯切れよく、物語の展開がはやいのとで、本嫌いな子供が一気に読んでしまい、わたしも親御さんも驚いたという数例がある一冊です。この本は、わたしのお気に入りの一冊でもあります。

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かつて飼っていた白猫にはこの「イッパイアッテナ」という長たらしい名前をつけたくらいで、我がモイケル娘の気に入りのニャンコでもありました。ただし、物語のイッパイアッテナは白猫ではありません。

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幼いころのモイケル娘とイッパイアッテナ

とある事情で飼い猫から野良猫になったルドルフが一匹の先輩ノラネコに出会います。名前を尋ねると、「オレの名前はいっぱいあってな」とあちこちで呼ばれる名前が違うのだとのを聞いて、「イッパイアッテナ」が名前だとルドルフが勘違いするのです。

さて、前置きが長くなりましたが、人間同様、犬やネコにも、人生、色々あってな、が、本題です。既に当ブログで取り上げた、近所にあるジョアキンおじさんの畑の新顔ネコなのですが、母ネコと4匹の子猫は、毎朝毎晩、エサを運んでるうちに、子猫が2匹になってしまいました。誰かが持って行ったか・・・
こちらのブログ記事→http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1616.html

ところが、クロネコちゃんが見る間にやせほそり、目ヤニがたくさん出ています。何かの病気を抱えていると思われ、考えたあげく、思い切って有志でノラ犬ノラネコを保護しているボランティア協会へネコちゃんの写真を送り、治療費は手伝えることを付け加え、メールで相談してみました。

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新顔のノラちゃん一家。黄色のねこちゃんは可愛いくオスなので、誰かが持っていった可能性大です。

すると、この周囲を担当するボランティアが受け取りに行くので、立ち会ってくれ、との返事です。ネコちゃんを保護するのに、畑の戸を開ける必要があるのです。その日の夕方、ジョアキンおいさんの畑の前で待ち合わせて会ってみると、あら!そのボランティア女性は、去年だったか、偶然、同じ場所で車を止めて、わたしに「やっと、あなたに会うことができた。通りかかるたびに、いったい誰がいつもエサを運んでいるのかと、いつも気になり、会いたいと思っていたのです。」と、話しかけてきた若い女性でした。

黒ネコちゃんを保護し、その後、避妊手術をするために母ネコも保護していきました。この協会は避妊手術は30ユーロ、オスネコは15ユーロで、ボランティア活動の一環として、動物病院と提携して格安で手術を施しているので、常に寄付金を募っています。わたしもいくらか手伝わせていただきました。その後、猫たちの安否をメールで問い合わせると、こんな写真が送られてきました。

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母ネコは間もなく避妊手術、子猫はもう少し体力がついてからタイミングを見て避妊手術。母ネコは、引き取り手が現れるのが難しいので、その後、もとのテリトリ、つまりジョアキンおいさんの畑に戻されます。子猫は、そのまま、保護されて人懐っこいので貰い手が現れるのを待つことになります。

保護した猫たちの避難所は、ボランティアの自宅で待機するのだそうです。保護した女性は、ごく普通の勤め人で、ご両親の家が広いので、何個もケージを用意し、こうして一時的に預かっているとのこと。

さて、今、畑には、以前からの住人7、8匹の成猫に混じって、残された一匹のこねこが、写真左のまだら猫ちゃんです。一人残され、母猫といっしょの時にはみられなかったのですが、保身のためでしょう、エサを食べるとき、いっちょまえに先輩の成猫たちに少しうなるようになりました。慣れるまでだとは思うのですが、本能で一人で生きていくことを、目下、学習しているのでしょう。

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保護される前のクロネコちゃんと一緒に。

今、わたしが考えていることは、これから段々雨も降り、寒くなってきますので、畑に避難場所を作れないかな?です。

先日マーケットで見つけた発砲スティールの小さい箱を買ってきて、避難場所としてこんな風にしてみました。これだと、雨が入りませんし、中もあったかいようです。果たして入ってくれるでしょうか?
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人同様、ねこ、犬の人生も、いっぱいあってなぁ、と思うのでした。

ついでに、ジョアキンおじさんの畑で、ある日、おじさんが、「ドナ・ユーコ、見せたいものがある。ちょっとこっちへ来てごらん」と招かれて行くと、

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か、かわいい!Piupiuだ!(ひよこのこと)子供の時以来、見ていませんでした。喜んで帰ってきたものの、「あれ、もしかして、わたしが猫たちに持っていくエサを、結局食べることになるんでは?」と、なんだか気になったのではありますっけ(笑)
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2015年9月1日

さて、皆様、「アリゾナの空は青かった」、実はまだまだお話していないことはあるのですが、ずらずら書き連ねて、もう24までも来てしまいました。そろそろ閉じてもいいとこまで来たと言えましょう。

思い立ったら前後も考えずすぐ実行するわたくし、その即行動力に一番驚いたのは、恐らく春に帰国することとなっていた彼の人(現夫)でしょう(笑) 空港まで出迎えに来てくれた二人の友人とそのままアサヒ・ビアハウスに向かったわたしをいつものように迎えてくれたのは、相変わらずの常連たちである愉快なアサヒの仲間でした。アパートは引き払い、家財道具という道具は一切合財売り払って渡米したわたしです。行くアテもなく、まさに「ふうてんのyuko」の名にふさわしく(笑)、その日の宿のことも考えず、アサヒの仲間達との再会にビールで乾杯し、歌姫カムバックでした。

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オフィス時代のチーフと仲間たちがさっそくビアハウスに顔出しに^^

翌年、1979年3月の婚姻の事務的手続きまで、わたしはどこにいたかと言いますと、今では「かつらぎ山房」の持ち主となっている我が親友、みちべぇのご両親宅にしばらく居候したのでした^^

今は亡き我が親友のお父上の「娘3人がもう一人増えて4人になったとて、どうということはなし。うちへいらっしゃい。」の一言には、人を大きく包む人生哲学がうかがえます。わたしは親友みちべぇの三姉妹の家に転がり込み、乙女四人で枕を並べて寝たのでした。

みちべぇとわたしの関係はと言うと、彼女はわたしが勤務していたオフィスの後輩で、7つ8つ年下です。後先考えずに行動に移すわたしとは対照的に、彼女はおっとり型。それもそのはず、京都のダ○女卒ですが、芯はしっかりしています。どういうわけか気が合い今もって交流が続いています。

さて、3月のわたしたちの婚姻届には二人の証人が要り、一人はみちべぇ、そしてもう一人は、これまたいつの間にか帰国していた、かつての会社の同僚であり、アメリカ留学の下宿時代の同僚でもあった「ザワちゃん」であることを付け加えます^^

1978
ザワちゃんと我が親友みちべぇ

夫とわたしはセレモニーは特別にしませんでした。届けを出した当日の夕方に、常連や友人達がアサヒに集いそこでお祝いを受けました^^いかにもアサヒの歌姫、ふうてんにふさわしい。わたしはそれで満足なのです^^

後年、我がモイケル娘に、「おっかさん。結婚式の写真はないの?」と聞かれたことがありますが、はい、ござんせん^^あるのは、二人で正装して写真館で撮った記念写真のみです。

3月、我が夫となった人は、一足先にポルトガルへ一人帰国し、ミセスとなったわたしは、5月の渡航まで今度は横浜の叔母の家に居候。あっちでもこっちでも、居候しては皆様に迷惑かけててきたのでありました。

1979年5月、ポルトガルを3人で新婚旅行することとなる、夫の日本人の親友Dr.D氏と二人で、パリ経由で成田を飛び立ち、生まれて初めてポルトガルという地に足を踏み入れのでした。
1978
同行のDr.D氏撮影。珍しくショートカットです。            

1978

中継地パリでポルトまでの乗り継ぎまで8時間も待ち時間があったため、いったんパリ市内へ出て少し歩いた。この後のわたしの生活は、「ポルトガルよもやま話」につながります。

最後に、先だって初めて、ツーソンの我が下宿先が今はどうなっているかと、住所を覚えているので、検索してみました。当時の女主人が存命かどうかも分かりません。住所と下宿名「ケンタッキーイン」で探ってみましたが出て来ませんでした。何しろ37年も昔のことです。ほとんど諦めかけたとき、ストリートビューで見つけることができました!見つけることができたのは、いやもう、建物が昔と変わりない姿であったからです。
 
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1978年のケンタッキーイン。       

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現在。

ほとんど変わっていません。まだ、下宿やなのでしょうか。看板はあがっているのでしょうか。こんなこともあるんだ、ここにわたしの青春の一コマがあったのだ。変わらぬ姿でツーソンに建つこの家に再会したわたしは懐かしさと嬉しさで、しばし写真の家に見とれて思い出に浸ってしまいました。

ということで、「アリゾナの空は青かった」、また、面白いエピソードを思い出しましたら、追記させていただくとして、いったんここで閉めようと思います。

今で言う、貧困女子だっわたしが、「アリゾナ大学留学」に漕ぎつけるところまでに興味のある方は、左メニューにもありますが、「あの頃、ビアハウス」までどぞ。 しばらく中断していましたが、今後、エピソードを書き加えてまいります。 記事は新しい順から始まっています。

また、こちらは梅新アサヒビアハウス」の「レトロ・ギャラリー」です。いずれ、ブログサイトに移動させる予定ですが、興味のある方はどうぞ。

それではみなさま、また。
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