2015年10月26日 

今日は、東京に住む我がモイケル娘の猫たちを過去記事から、二つほど。

以下引用ー
 泥棒ぬこ

今日の下宿猫の姿は傑作だ。(下宿猫と言うてござる←母のツッコミ)
mariana_gato1.jpg

一瞬目を疑い、近所の子どもにいたずらでもされたのだろうかと思ったけど
よく見るとただの汚れ、きれいな丸になっているのを眺めてるとだんだん笑いがこみ上げてきた。

mariana_gato2.jpg

私にはこう見えたのだ(発想がすっかり日本人っぽくなった←母のつっこみ)
それにしても一体どこに頭を突っ込んできたんだ(笑


私は今ネコと喧嘩をしている

ことばにするとこの上なくバカバカしいが、言わずにはいられない。

事の発端は先週の台所での出来事。いつもの平日の朝に部屋を出てそこに向かうと、洗面台の下にある収納入れの扉が半開きになっていた。

嫌な予感しかしない。なぜならそこにはネコのエサが保管されているからだ。

収納入れの中を覗いてみると、案の定無残に穴を空けられたフード袋。

取り出しやすいように、フードはプラスチックの箱に詰め替えてあるが、入りきらなかった分は袋に入ったままだった。

事件は夜中に発生しているので誰が犯人だか分からない。

無性に腹が立ったのですぐにごはんをやる気にはなれず、寄ってくるやつらを無視してまずは顔を洗うことにした。

洗面所で水道の蛇口をひねって水を出すと、タメがやたら水に興味を示す。なんじゃい今日に限ってと思っていると、なんと顔を近づけて水を飲みだした。

ちらりとネコ用の水のお皿を確認してみると、水が全部なくなっている。

おまえか。
ばかめ。食べ過ぎて喉が渇いたんだろう。仕方ないから水を補充してあげる。

他の2匹が朝ごはんを食べてる間、必死に水を飲み続けるタメ。

余っていたプラスチックの箱に残りのフードを袋から移した。それで解決したはずだった。
ところが今夜また事件は起こってしまったのだ。

開かれた洗面台下の扉。空けられたプラスチックの箱。水のない水入れ。

どうやらフタのしまり具合が緩かったらしい。

必死な目で見つめてくる3匹。あーそりゃ喉も渇くでしょうよ。け!

普段エサを入れる皿それぞれに水を入れてやると、飲むわ飲むわ、すごい勢いで飲むわ。まぬけでしょうがない。

飲み終わった後の彼らのパンパンに膨れ上がった腹。やばい。やばすぎて撮影して公開する気にもなれない。苦しいのか、動きがゆったりしている。ていうか動かない。

腹をぽんって触ってやったら「うぷっ」の呻き声。もはや酔っ払いのおっさんではないか。

この3匹の腹が食べ物ではなく水でふくれているのだと願いたい。

そんなわけでただいま喧嘩をしている。正確にいうと私が一方的に怒っているだけでもある。

ネコと喧嘩するとどうなるか。
人間の喧嘩とさして変わらない。
口を利かないのだ。


ー引用終わり

24日から28日まで、バルセロナ滞在中ですので、
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2015年10月24日 

久しぶりに今日は我が家の猫たちの姿を。

neko
頭隠して足隠さずのゴロー君。
 
neko
カメラ目線だw

neko
あらら、お行儀の悪い^^;クルル

neko
目の見えない先輩猫ゴンタにくっついて安心にゃ^^ 

neko
のぞいてるの?
 
neko
視力を失ってもまだまだ大将現役^^ 手下どもの喧嘩仲裁に飛んで行きます。

neko
うちのいじめっ子ことペト。悪さばかりしますが、可愛いんです^^

ということで、お粗末さまでございました。

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2015年10月14日 

Miragaia
ミラガイア。路面電車の見える景色

おほほほほ。ミラガイアつながりでこんな楽しいことがあったとは!

「ミラガイア」とは、恐竜ステゴサウルス科の名前でもあるということをご存知かな?発見された恐竜のには発掘地の名前が付けられるのだそうで、ぬぬ・・・「恐竜ミラガイア」は、ポルトのミラガイア地区の古代地層から・・・と期待したのだが、どうも合点がいきません。

小さな街のことです、そんな発見でもあれば大ニュースになり、博物館もどきができるはずです。それに、ミラガイアの地形的からしてハテナ?です。科学博物館新築の話など耳にしたことがありません。しかし、待てよ?何年か前にポルトガルで恐竜の化石が発見されたとのニュースがあったのをうろ覚えており、早速調べてみました。

ミラガイアはミラガイアでも、ポルトのではなく、リスボン近くにあるローリニャン(Lourinhã)にある村でした。ローリニャンとリスボンを結ぶ自動車道路建設中の2009年にミラガイア村で、化石の一部が発見されています。ニュースを耳にした時は、ほぉほぉ、ポルトガルにも太古には恐竜が住んでいたのかと、この手の話が好きなわたしは喜んだものですが、その後、すっかり忘れてしまい、どのような種類なのかも知らずに今日まで来たわけでした。

さて、では、ミラガイアとはどんな恐竜なのか。
ジュラ紀後期、つまり1億5000万年前に生息していたステゴサウルス科の恐竜で全長5.5メートル。
ステゴサウルスというのは、背中に大きなボーンプレイト、尾先にはスパイクを持っている草食恐竜です。わたしがボランティア活動をする影絵のステゴサウルスをひっぱってきました↓

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普通のステゴサウルスの首がズングリ短いのに比べ、恐竜ミラガイアはなんと首の長さは1.8メートル、頭部も入れると前兆の3分の1にもなります。

miragaiadino
ポルトガル、ローリニャンで発見された「恐竜ミラガイア」Wikiより

現在ローリニャンには恐竜博物館がありますが、次回、リスボンを訪れるときには是非よってみたいと思っています。

miragaiadino
ローリニャン博物館で見られる恐竜の卵の化石 Wikiよ

そして、今考えていることは、次回の「キョーリュー年代記」の影絵上映には、子供たちのために、これまで見せてきた首長竜ブロントサウルスに、ボーンプレイトをつけたミラガイア恐竜も登場させるべきだろうということです。

dino

こんな風になるかな?

というので、そろそろ今年も影絵の新作に取り組む時期になりました。作品のポルトガル語訳、使用する音楽は出来上がり、後は我がモイケル娘の朗読を待って、これから相棒のOちゃんと、切り絵に励むのであります。今年の題材は?はい、作成途中でお披露目いたしますれば^^

本日はこれにて。

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2015年10月21日 

ミラガイアにある急勾配の石段は、上るのは避けたいが、ドウロ川と隣町ガイアの景色が入る上から眺めは好きです。そして、ミラガイアと言えば、これも好きなスポット。

ミラガイア

川に沿った横の道路より下の位置にある古いアーケードの一部ですが、ここは近年、柱と天井が修繕されました。下はもちろん新しい木材が使われてはいるのですが、これが昔のアーケードです。

ミラガイア
 
2年前に歩いた時は人影もなかったが、昨年、ポルトがヨーロッパで、「行って見たい町」のトップに選ばれて以来、観光客が訪れるようになり、こんな場所にあるレストランでも、オープンカフェなどでワインやビールを楽しんでいる人たちを見かけるようになりました。しかし、アーケードの店舗は2、3軒あるです。

ミラガイア

その一軒、おじさんの店のリードでつながれている猫。「ファ~」と思い切り手足を伸ばしたところ、あらら、おめでたでざいますね。
ミラガイア

この猫には2年前にも出会い、写真を撮っています↓
ミラガイア
 
さて、アーケードを抜けてその向こうは行き止まりなのでうっかり見落としてしまうのが、大理石仕込みの「Chafariz da Colher」と呼ばれる泉です。

ミラガイア

Chafarizは「噴水、泉」のことで、Colherはスプーンを意味します。「Colher」はまた、ポルト市内に商人が持ち込食料品に課税された税金のことでもあります。15世紀の終わりごろ、ミラガイア住民のために造られたこの共同水汲み場は有料であったということですね。当時は、この泉の水がポルトで一番いい水だと言われたそうです。

うっかり泉を含む建物の全体像を撮り忘れましたが、ご覧の通り、噴水は、右横が普通の家の車庫に接触し、泉の上は、これまた、家のベランダの下になっています。この泉は、長い間、忘れ去られ、ほとんどなくなりかけていたのを、市が保存に乗り出し、ポルト市遺産に指定したと言ういきさつがあります。

Chafariz da Colherは、ポルトで一番古い共同泉だと言われます。

下記は2年前にアーケードを訪れたときの記事です。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1306.html

では、本日はこれにて。

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2015年10月13日 

転んで足を痛めたのやら、日本語を教えるので忙しかったのやらで、ポルト一人探検隊をこのところすっかり失念していたのだが、2、3日前、体重計に乗ってみると、がーーん!となった。ふ、増えてる・・・

「歳をとったら痩せてるとシワが目立つ、少しふっくら目が若く見えていいよ」なんて、丸顔のわたしに言う友達の話を、「うんうん、そうだよね。」と素直に信じたのが油断であった!

足の調子もやっと通常通りに戻りつつあることだし、うまい具合に午後の日本語授業がキャンセルになったので、よし!と、久しぶりに昨日の午後、メトロで町へ出、2時間半ばかり歩いてきた。

行き先は我が気に入りの区域、ミラガイア(Miragaia)。特に今回は、先週ポルトガル語のディアス先生と勉強した「人形の館(Palacio das Sereias)」の側に残っている「Bandeirinha de Saude(Bandeirinha=小さな旗、Saude=衛生、健康)」の再確認も含めて。

ドウロ川から眺めると、ポルトの街並みは家々の屋根が段々畑のように重なっているのが分かる。ポルトの街丘陵地帯に築かれているのである。如実にそれを実感するのが、ミラガイア地区から望める景色だ。ご覧あれ。

Porto Miragaia

ここは14世紀に造られた石段「Escadas do Caminho Nove(新しい道の階段)」。長さは100メートルもある急階段。ミラガイア区域にはこのような石段が他に5つほどある。左に見える石壁は同時代に築かれた、市をぐるりと巡る防御用のフェルナンディーナ・ムラーリャ(Muralhaは城壁のことだが、ポルトには城がないので城壁とは呼べないのである。ムラーリャについてはいずれ取り上げたい)。

わたしはミラガイアに足を踏み入れるときは、いつもこの辺りから始める。日中も閑散としているミラガイア区域はわたしにとり堪らない魅力がある。一歩入るや、まるで中世に紛れ込んでしまった気がする。その歴史を知ると尚更だ。

ミラガイアの起こりは2世紀、ローマ時代に遡ると言われる。13世紀には、漁師が多く住み、ドウロ川という地の利を得て、運送業、商業の中心地であった。また、職人や商人が屋敷を構えることも多かった。特にポルトガル国内からのユダヤ人追放、15世紀まで、ミラガイアにはユダヤ人社会が築かれていた。その名が「Rua do Monte dos Judeus(ユダヤ人山の通り)」として現存する。
 
Porto Miragaia
ミラガイア地区の石段「Escadas de Monte dos Judeus」。

今回は入り組んだ狭い道を通り、いったんミラガイアの平地に下りて、この石段を上った。石段の途中の横道に入ってみると、奥まったところにこんなドアがあったが、シナゴークではないかと思う。

Porto Miragaia

この家の横にもう一本細い坂道があったので入ってみたが、行き止まりだった。

Porto Miragaia

「ユダヤの山の石段を上りきったところが「ユダヤの山の通り」である。 

Porto Miragaia
「Rua Alménia(アルメニア通り)

アルメニア通りは、15世紀の東ローマ帝国滅亡、ひいては、ローマ帝国滅亡となったオスマン帝国によるコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)陥落時、住民のルメニア人のほとんどがキリスト教の一派、アルメニア使途教会信者であったため、コンスタンチノープルを捨てて難民となり住み着いたところがミラガイアのこの通りである。
Porto Miragaia
 
ユダヤ人放浪もコンスタンチノープル陥落もわたしたちが知っている遠い西洋史上の出来事ではあるが、この区域を歩いてみると、歴史に翻弄され流浪してここにたどり着いた民族の哀切を現代も伝えているような感じがしてならない。

ミラガイア、続きます。
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2015年10月11日 

12月始めに実施されるJLPT(Japanese Language Proficiency Test=日本語能力試験)と、1月の漢字検定試験を受験する生徒が数人おり、特にJLPTは受験料も高いことだし、できれば全員に合格して欲しいものだと、色々教材を作成し、しばらく前から、自分ができる範囲で受験指導をしています。

個人授業の場合は、丁寧に見てあげることが可能なのですが、グループ授業となると学力の差があったりするので、そういうわけにはいきません。また、漢字検定試験については、9級の漢字160字に10級の80字が加わり、240字からなる語彙知識が求められます。あまり難しくなかった10級受験と同様に考えて気を緩めている生徒が多いので、のんびり構えていると、失敗することになるのです。

外国人向けのJLPTに比べ、日本人を対象とした漢検は、9級ともなると、日本語テキストで学んできた語彙の種類が違うので、日本語学習者にとり決して簡単なものではありません。

そんなわけで、このところ、ああしようこうしようと、受験教材を作成しているもので、ブログがつい滞っているのですが、昨日の「南京事件資料がユネスコ記憶遺産」のニュースにはおったまげてしまいました。おったまげを通り越して、沸々と怒りが沸いてきます。

何に対する怒りかといいますと、チャイナの狡猾さには今更言うまでもないのですが、自国のふがいなさ、事なかれ主義にです。竹島、尖閣、慰安婦問題、今回の南京問題と、全て対策が後手に回っています。その対策だって、これで大丈夫なのか?みたいな程度で、「やる気あるんか!」と、わたしですら思うような情けなさです。

「南京」については、日本側では各方面からの検証からしてしており、ほぼ「でっちあげ」だと言っていいとわたしは思っています。世界記憶遺産の審査は、文書保存などの専門家14人で構成される国際諮問委員会が行っているそうですが、委員の選考基準は明確ではなく、その中に歴史学者も含まれていないため、資料の内容を歴史的事実かどうかを諮問委員会が見極めるのは困難だと言われています。

チャイナは南京記憶登録のために、ユネスコ事務局長らを収賄で抱きこんでいたとの話もあり、さもありなん。日本は分担金、拠出金の見直しを検討すると言っていますが、なってからでは事既に遅し。

ユネスコへの拠出金は、トップだったアメリカが現在凍結していますから、事実上日本がトップです。
わが国の言い分が通らないから、拠出金を凍結せよ、と言うつもりはありませんが、資料の内容を両国面から審査すべきです。だいたいが、歴史と言うのは勝者側の理屈が通りますから、歴史的事実かどうかの判断は非常に難しいはずで、いとも簡単にチャイナに靡いて、いったいどこがユネスコなのか。

ポルトガルでも、英語で出版されている南京事件、慰安婦問題関連の本を読んで、それが事実だったと信じている人が多くいるのです。これが、口角泡飛ばさずにおれようか。何ゆえ、日本はそれに対して、「わが国の言い分はこうである」と、世界に広めないの!

unesco
軍艦島登録で、韓国の要求をうかつにも飲み込んでしまったという失態がついこの間、あったというのに

ユネスコ、国連に多額な拠出金を出す余裕があるなら、日本は、教育を始め多くの社会問題の抜本的な案を探るなど、国の将来のために予算を回して欲しい。金だけ出して舐められて、情けないったらありゃしない。また、国際舞台には、日本人としての矜持をもち、違うものは違うと発言できる正義と語学力を備えた人を持って行って欲しい。こうしてみると、教育とは、20年、30年先を見て、地に足の着いた教育者が求められます。まるばつ式、丸暗記式でなく、どうしてこうなるのか、どうしてこうなったのかと、原因を追究し議論し、未来に目を向ける教育を施していくことが大切だと思います。

ユネスコ世界遺産登録については、ポルトガルの記事を書くにつけ、「へぇ、これもあれも世界遺産か」と近頃、「遺産」の乱発が鼻について仕様がありません。世界遺産に登録するのに、ユネスコに金銭的な働きかけをするのだとすれば、ユネスコの理念、地に堕ちたり。

遺産指定認定によって、観光客が地元にお金を落としてくれるのが目的だ、なんてのも、事実だとすれば気に入らない話です。昔と違い、これだけ世界遺産の数が増えると、そのうち世界中遺産だらけでにっちもさっちも行かなくなるのではないの?
ちなみに、現在のユネスコ事務局長はブルガリアのイリア・ボコヴァと言う女性です。

というので、今日はこんな記事でご勘弁ねがいます。

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2015年10月5日 

9月21日の記事、「結婚式なのだが・・」と書きましたが、今日はその後日談でして。

26日土曜日、日本語教室が終わって4時過ぎから、隣町Matosinhos(マトズィーニュス)の大きな教会での挙式でした。

casamento

教会の中は、Dourado(ドーラード)と言うところの、金箔尽くめです。花嫁は8歳の甥っ子にエスコートされて入場し、聖歌(の替わりに今回はハープとバイオリンの音楽演出でしたが、とても素敵でした)、聖書の朗読、神前での誓約、祝福、別室での結婚誓約書への署名と、1時間ほどで儀式を一通り終え、教会前に全員集合、記念写真が撮影されました。

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予想通り、殆どの女性招待客はロングドレスにハイヒールでござんした。んで、わたしはもちろん、ハイヒールを履く脚の状態ではなく・・・(泣)しかし、いくら好きだとは言え、サブリーナシューズはいかんでしょ、と言うので、一応ヒールがある「ローヒール」で参りました、ハイ。

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晴れの日を迎えて幸せそうな新郎新婦。とても素敵でした。

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披露宴は6時から結婚式会場として知られるBoa Vistaの「Casa do Arcos」で行われました。約150名ほどの
招待客で、まずは、ガーデンパーティーです。若いシンガー生バンドが入っていました。

casamento

この間、2時間ほど、立食とおしゃべりです。
久しぶりに会うどころか、もう30年近くも会っていなかった人たちに顔を合わせることができました。

mate2.jpg

そです、この下の写真に写っている、子供たち全員、結婚して子供がいる大人になっていました(笑


写真はかれこれ30年くらい前の、誰かの誕生会のときのものです。
写っている子供たちは、亡き夫の親友の子供たち、それに甥姪たちで、赤い矢印の子、アナが今回結婚したのです。

全員集合して記念写真を撮ろうというのに、シャベルを手に逃げんとする息子をひっ捕まえようとしている瞬間・・・・こんな写真、撮らんでもええやないの^^;と当時は思ったものの、今では本当に懐かしいしいものになりました。

息子の自由奔放さはこの頃と変わらずで、写真の子供たちの中で、唯一、いまだに独り身なのでありますれば(笑)右側にいる双子の男の子、それにアナ、息子は同い年であります。息子への双子の表情を見るに付け、苦笑してしまいますっけ。因みに、このとき、我がモイケル娘は未だこの世に生を受けておりませなんだ。

さて、ほとんどの女性がロングドレスの中、転ぶことに恐怖感を植えられているわたしは、ロングドレスの裾でも踏んづけてごらんなさい、恐ろしいことです。んで、こんなドレスでまいりやんした。
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んで、靴はというと、同系色のローヒール。こういうとき、新品などは決して履きません。靴擦れなどの恐怖は避けます。なにしろ、長時間の披露宴ですからね。
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と、ところがです、ガーデンパーティーもそろそろ終わり、いよいよテーブルで正式な食事という段になり、って、もうわたしのお腹はいっぱいだったのではありますが、さて、夫と腕組、室内に少し足を運んだところが、ご覧アレ、下の写真の床、タイルなんであります。ここで、先日水溜りで滑って転んだ右足が再び、ズルッ!とズルッ!とズルッ!とズルッ!とズルッ!と~~~(涙涙)。

夫と腕を組んでいたのでしがみつき、かろうじて転ぶのを免れましたが、痛みで真っ青。歩くのが怖くなってしまい申した・・・・
もう動きたない~~と、側にあった椅子に腰掛け、水溜りもないのになんでやろかと、靴をぬいでひっくり返して見ると、あちゃ~~いつも間にやら、かかとのゴムが、とれてるやん^^;

casamento

なんでぃなんでぃ^^; これじゃあ、すべるのも道理。食べる気も歩く気も失せて、新郎新婦に先日のスベコロ(すべって転んだ)の事情を話し、靴のかかとを見せ(^^;)、披露宴はこれからだという、肝心の食事を丁重に辞退して、そそくさと帰宅、まっすぐベッドにゴー。

仕事しすぎで運動不足やな、これは・・・なんとか方法を講じないとこのままではいけまへん。

そして、逃がした食事はでかかった。ちょっ・・・
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2015年9月29日 

ご主人の仕事の関係でポルトに3年ほど駐在した日本人家族がいました。彼らの帰国後、毎年末、日本の美しいカレンダーが届けられ、随分と重宝しています。返礼に、ご主人が好きだというアルヴァリーニュ・ワインをポルトから送るという交換が始まって、かれこれ15年ほどになりましょうか。

そのアルヴァリーニュ(Alvarinho)ワインは、今回案内するブレジョエイラ宮殿のものがよく知られています。
モンサォンのブレジョエイラ宮殿
門から見る宮殿             

モンサォンのブレジョエイラ宮殿
前庭から見る宮殿門

ブレジョエイラ宮殿は19世紀初期に、世襲財産相続人及び、キリスト教騎士団の騎士であったLuís Pereira Moscosoの命で建築、4つの塔を持ったネオクラシック建築で、完成に28年が要されました。4つの塔の宮殿は、王家の血筋でないと建築することができないため、Luís Pereira Moscosoは当事の王、ドン・ジュアン6世に願い出て許可を得て造っています。

モンサォンのブレジョエイラ宮殿
宮殿のファサーダー(正面入り口)には、Luís Pereira Moscosoの家紋が見られる。

1920年以来、国の文化遺産に指定されています。

モンサォンのブレジョエイラ宮殿
宮殿別棟の入り口では、見学後、ワインの試飲もできる。

残念ながら宮殿内は全て撮影禁止。これらの画像は、アルヴァリーニュワイン博物館の画像を撮影し
たものです。

モンサォンのブレジョエイラ宮殿
宮殿内へは青タイル絵ことアズレージュで装飾されたこの階段から。

モンサォンのブレジョエイラ宮殿
ドン・ジュアン王に敬意を表して作られた「王の間」

モンサォンのブレジョエイラ宮殿

モンサォンのブレジョエイラ宮殿


モンサォンのブレジョエイラ宮殿
宮殿内には観客席を持つ小さな劇場もあり、往時の華やかさが偲ばれる。


モンサォンのブレジョエイラ宮殿
宮礼拝堂のパイプオルガン。

モンサォンのブレジョエイラ宮殿
農園内に設けられているティーサロン。

ブレジョエイラ宮殿は、今日までの2世紀間に所有者は数人に変わっており、現在は今年91歳になるドナ・マリア・ヘルミニア・パエス(dona Maria HerminiaPaes)という女主人です。Dona Maria Herminia Paesによると、父親が宮殿を買い取った1937年(13歳のとき)に、礼拝堂で、「お前の家の鍵だよ」と、宮殿の鍵を手渡されたのだと言います。

モンサォンのブレジョエイラ宮殿

それまで農園で生産されていたのは赤ワインだったのを、1964年、アルバリーニュ葡萄を仕込み、最初に栽培したのは、この女主人でした。「アルヴァリーニュワインなら、ブレジョエイラ」と今日の銘酒に挙げられるのはこの所以です。

モンサォンのブレジョエイラ宮殿
ブレジョエイラ宮殿のイラストが入ったワインレベルが美しい、我が家の一本。

インフォメーション
所在地:Pinheiros 4950-660 Monção Portugal
開館時間:10~3月 火~日曜日 9:00~12:00 14:00~17:30
       4~9月(無休)9:00~12:00 14:00~17:30
入館料: 7.5ユーロ(農園、宮殿+アルヴァリーニュワイン試飲)
      5ユーロ(農園と宮殿)
      3ユーロ(農園のみ)

本日はこれにて。
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2015年10日1日 

「月日は百代の過客にして、 行かふ年もまた旅人なり。 舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅をすみかとす。 古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず・・・」

の、序文で始まる「奥の細道」。今、80歳を越える日本語の生徒さん、アルフレッドさんと一緒に読んでいます。高校時代に暗唱させられ、今でもそらんじられるこのさわりの部分には、「万物は流転し、人生は旅である」との芭蕉の人生観が表れています。1689年(元禄2年)3月、弟子の曾良をともなっての奥羽、北陸、美濃の国(今の岐阜県の南部)までの2400キロを150日ほどで旅しています。芭蕉はこのとき、45歳です。

高校時代にはその人生観に惹かれ、芭蕉にならって放浪の旅をすることに随分と憧れたものです。実際に、そんな旅をして人生の数年を過ごした友人がいます。大阪時代に出会ったイギリス人のロブですが、思うに彼はほとんど世界を回ったのではないか。ロブは、わたしの「アリゾナの空は青かった」のツーソン留学記に登場しています。

さて、「奥の細道」ですが、中学3年生の教科書を使用しています。まずは意味を置き、原文を少しずつ読んでもらいます。古いひらがな仕様がたくさんありますから、学習者にはただ文字を追って読んでいくのも大変です。しかし、何度か読むうちに古文のリズム感の美しさに気付きます。こうして、注にある語彙を参照に意味をつかんでいきます。
教科書に取り上げられているのは、上記の序文と平泉です。

「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」
「夏草や兵どもが夢の跡」
「五月雨の降りのこしてや光堂」

「奥の細道」を読みながら、アルフレッドさんと二人、できるものなら、この路の一部でも歩んでみたいものだと話しているのですが、実はアルフレッドさん、今年の夏に日本で「熊野古道」の一部を5日間、歩いてきたのでした。途中、一度は雨に降られ滑って転んだそうですが、たいしたことにならず無事歩き通したようです。

熊野全体は浄土の地だと考えられ、昔、人々は生きながら浄土に生まれ変わることを目指して、熊野詣の道を歩いたので、熊野詣は、死出の旅であるとも言われたそうです。

古典の授業は、わたしも高校時代に、また、子供たちに教えた補習校時代に戻り、再び勉強をする良い機会になります。
実は古典の授業は楽しむのが教えるわたしだったりするのです。

以下、他の過去の古典授業の様子です。

「日本語生徒と読む平家物語「扇の的」
 「日本語生徒と読む平家物語「平敦盛

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