2015年11月26日 

土曜日の補習校時代からの付き合いで何となく気が合い、わたしが補習校を退いた後も、2ヶ月に一度くらいの割で、食事会を持つ4人の仲間がいます。

うち、わたしが一番の年長者でしかもポルト最長在住者なのですが、中に黒一点のI氏がいる。I氏とは補習校時代から学校や授業に関する意見交換をよくしたし、今でもお互いが本好きなもので、持つ本を貸し合っています。その彼は、時折、「この映画、ドラマ、面白いよ」と言って、メールで仲間にサイトを流してくれます。

映画「ビリギャル」もそのひとつで、つい先だって回って来ました。 「なんだ?ビリギャルって?」と、思いましたら、学年で成績がビリッケツのギャル、女子高校生のことなのだそうです。

既にネットでは知られており、わたしも噂を耳にしていたのですが、敢えて検索をしなかったのでした。
まじめな映画も好きですが、こうした若い人に人気があるものも結構面白くて、見ます。「電車男」「花より男子」「ノダメカンタービレ」など等、見ながら腹を抱えて笑ったりしてるのです。

さて、せっかくI氏が教えてくれたのだし、どれどれ、と「ビリギャル」を見てみたら、あらま、これが見ていくうちに、自分の体験と重なる部分が結構あり、少しマンガチックなところも大して気にならず。ついつい最後まで見てしまいました。

素行不良のギャルで、高校2年生で小学4年生程度の学力しかなかった少女・さやかが、塾講師坪田の指導を受け、学力偏差値を上げて、ついには慶應義塾大学に現役合格するまで(ここまではWwikikから)を描いた実話だそうです。

映画を観ていくうちに、中学時代の自分や、ポルトガルの高校の成績を挙げなければならないと同時に、日本の大学を目指して独り黙々と勉強していた11年前の我がモイケル娘の姿とも重なり、なんだかじ~んときたのでした。元々は原作がある「ビリギャル」、もちろん多少の粉飾はあるでしょうが、これが実話だと言うのが、自分の体験から素直に信じられます。



拙ブログでもエッセイ「思い出のアルバム」で下記にて綴っていますが、中学3年生の時、田舎の弘前から西宮中学校に転入して、
あまりの自分の勉強のダメさ加減にショックを受け、生まれて初めて机に向かうことをし始めたあの頃なのでした。
下記にエピソード。
 
我が清秋の急行日本海1」
我が清秋の急行日本海2


モイケル娘との受験体験は「ズッコケ親子の受験戦記:めざせ夢、日本の大学」で綴っていますが、入るまでも地獄、入っても地獄の経済状態ではありました^^;

帰国子女なら、英語が話せるから大概どこの大学でも受け売れてもらえると考えるのは甘いのであります。話せるだけではダメで、きちんとしたエッセイが書けるくらいまで求められ、その上、小論文が書ける日本語の能力も必要です。週に一回、のほほんと補習校に行くくらいではとても間に合いません。

運の良し悪しもあるでしょうが、我が子ながら、よくがんばったなと今にしてつくづく思い出したりします。
しかし、その早稲田も2年で勝手退学し、地方の大学へ転入した時は、さすがわたしも、「おいおい、どこへ行くにゃ~?」と悲鳴でござんした^^;

そして、3年の社会人を経て、再びと、今度は立教の院入試です。見ず知らずの日本近世文学分野、しかも「狂歌」なんぞに^^; 無事入ったはいいけれど、修論の取り組みは、恐ろしいことであったでしょう。これを無鉄砲と言わずして何と言う。我が血であります^^;

その後のモイケル娘はって?はい、春から小さなこんにゃく会社、いや、翻訳会社で、日々奮闘しているようであります。わたしが彼女の今の年齢だった頃は、渡米を夢見て、オフィス(月々のカツカツの生活費w)とビアハウス歌姫のバイトで(これは全て渡米資金に!)、ひたすら蓄えていたものでした。

夢に向かうって、つまづきもあるけれど、わたしたちに素晴らしい飛躍を与えてくれると思います。
「ビリギャル」を見ながら、娘の姿、自分の姿が重なって見え、大変だったけれど、楽しかったな、とあの頃に思いを馳せ、久しぶりに、なんだか勇気がわいてくるような、モチベーションが上がる映画に出会いました。

単純だな、わたしって(笑)
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2015年11月23日

勉強できるのは今のうち、持てる時間全てを勉強に費やすことができるのも今だからこそできるぞ!と、日本語教室の若い生徒たちにハッパをかけている。

と言うのも、4人の生徒が12月始めにJLPTこと日本語能力試験を、OちゃんとのYY塾全体から20人以上が1月末の漢字検定試験を控えているのである。
漢字検定試験は、これまで毎年、生徒を受験に送り出しているし、学習範囲も決まっているので彼らへの指導は怠らない。が、JPTの受験対策を授業にとりあげるには、通常の日本語レッスンを多くつぶすことになるので、ここがあそこが、と質問されれば答えるが、生徒からも指導して欲しいと言う声が聞こえなかったし、わたしはこれまで生徒個人に任せてきた。

しかるに、今回は、一グループ4人が「受験する」と言い出した。50ユーロの受験料は、今のポルトガルの不況時代では気軽に受けるという額ではない。そこで、おっかさん、いや、わたくしこと先生、受験料の半額を支援することにした。なに、このクラスを一ヶ月無料で授業することと同じであり、これが若者に自分ができることのひとつであるから、望むところではある。

さて、試験範囲はというと、言語知識(漢字、語彙)、文法、読解力、それに聴解が入る。「君たち、だ、大丈夫か?」と、わたしはやたら心配になってきたのである。試しに模試をしてみると、案の定、あちゃ~、これは放っておけまへん、ということになってしまった。そんなわけで、このところ、受験対策資料作成に忙しい。

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そして、週に一度、たった90分の我が日本語塾、時期が現地の大学試験とも重なったりして、生徒たちが日本語の十分な勉強はできないことも予測されるので(甘やかし過ぎだ。笑)、「JLP対策だ!」と、実は日曜日も2時間半の日本語出勤をしているのである。

まず、模試をする。各部門の回答が終わり次第、すぐ添削し、最後の添削が終わるまで、生徒には添削済みの解答用紙を返却し、どこがまちがったかを見てもらう。仕上げで、解答説明をし、 注意を与える。例えば、「ここ、みんながまちがってるぞ!」とか、「これは、ついこの間も設問として出たものだ。テストのやりっぱなしはダメ!」とか、まぁ、自分の子供に言ってるのと同じですな。ははは。

が、正直を言えば、あと2年で古希を迎える身としては、日曜日の休みなしは、きつい。これが、後もう一週間続くので、さすが、今日は休息を入れました。ブログが空いてしまったのは、この所以であります。

今週も日曜出勤のJLPT対策だ、かすれた声で、参りますぞ!

では、みなさま、また!
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2015年11月18日 

人の記憶力は意外と当てにならないものだなぁ、と、20数年ぶりに訪れたグエル別邸を目の当たりにして思ったことです。

グエル別邸は宿泊先から路電、数駅向こうで、この日は一人行動。雨でも降りそうな中を探していきました。

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周囲の住宅からは異を放っており、すぐ見つけられました。そして、あれれ?と思ったドラゴンの錬鉄の門は5メートルほど。もっともっと大きいと思っていました。

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わたしの記憶ではもっともっと大きいドラゴン門だったのです。このドラゴンは、11月15日の拙ブログで述べている、バルセロナの守護聖人、聖ジョージが退治したドラゴンかと思いきや、案内書を見るとそうではないとのこと。

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わたしの好きなガウディのドラゴン、「ラドン」

グエル別邸のドラゴンは、ギリシャ神話の女神「ヘラ」が持つ、ヘスペリデスの園にある黄金のリンゴを守っていた竜「Ladon 」のこと。Ladonはコウモリの羽と100の頭を持つと言われますが、黄金のリンゴを盗むヘラクレスに倒されます。

グエル別邸の門は、このギリシャ神話に基づいた、19世紀のバルセロナの詩人、Jacint Verdaguerの詩、「アトランティダ」ををモチーフにしているとのこと。

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別邸とは言うものの、当初のその計画は変更され、門番小屋と厩舎、庭園のみ。

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↑↓厩舎の建物と内部。中央に明かり取り窓がある。

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その明かり取り窓を外から見た様子。
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イスラム建築の香りがします。

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門番小屋                  
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グエル別邸はガウディが彼から請けた最初の仕事です。エキセントリックなガウディの建築はここでも見られます。訪問客はわたし一人でした。

入館料4ユーロ

では、みなさま、また。
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2015年11月14日 」

今日は、バルセロナで最後の夕食をとったレストラン「Botafumeiro」の案内です。

「Botafumeiro」の意味は、スペイン、サンチアーゴ・デ・コンポステラ大寺院で使われる、天井からぶら下がる大きな香炉のことです。儀式で、聖堂内で振り子のように振られます。もっと知りたいと言う方は、下記の過去記事にて取り上げていますので、どぞ。

サン・チアゴ大聖堂の大香炉・ボタフメイロ

レストラン「ボタフメイロ」は、バルセルナでも有数のシーフードレストランです。わたしたちはバルセロナ最後の夜食に行きました。

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入り口を入ると、右側には、クリントン前米国大統領、ウッディ・アレンを始め、これまでレストランを訪れた著名人の写真がズラリと壁にかけられています。

ワインは、ポルトガル北部でも知られる「Alvarinho」で、前菜から始まり、

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まぐろとチーズを盛り合わせた前菜。タレは醤油味。これはおいしかった

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前菜。シーフード。タラだと思われる。

そして、出てきたメインディッシュの量の多いのにはうわー!とびっくり!

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もちろん皿に乗っているのは4人分ですが、小食のわたしには、一人分でも、とても食べきれる量ではありませんでした。

サービスよし、客はみな、かにバサミ、かにスプーンを手に。必死にこれらのシーフードと格闘しておりました。一人分、締めて1008ユーロ(約14000円)なり!食べきれず、残した料理がうらめしかったわたしでありました。

さて、同じ食卓に着いた夫の知り合いで、現在はリスボンの病院に勤めるドクターの、「奥さんの(って、わたしのことですばい^^)ブログでポルトの写真をたくさん載せてくれて、嬉しいよ。長い間、離れてはいるが、自分はポルト出身だからね」との言に、

となった一幕もありました。

「げ!ど、どういう経緯で拙ブログにたどり着いたんでありんすかね??」とわたし。
「”Porto Sentido”がキーワードであるよ」と件のドクター。

なるほどなるほど。そう言えば、わたしはこの歌を何度かブログで取り上げているし、我がモイケル娘の過去ブログにもこのキーワードでたどり着けるのではあった。

「Porto Sentido(ポルト・センティード)」は、リベイラの哀愁をあますところなく歌いこんだ、ポルト出身の歌手、RuiVeloso(ルイ・ヴェローゾ)の歌です。わたしは「哀愁のポルト」と勝手に邦訳しているのですが、よろしかったらお聴きのほどを。



バルセロナの紹介が、最後はひいきポルトの話で終わるわけで、お粗末さまでございました。


インフォーメーション
レストランBotafumeiro
住所:Carrer Gran de Gràcia, 81, 08012 Barcelona, Spain
予算:1000円以上
予約を入れるべし。


ではみなさま、また。
  
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2015年11月12日 

ガウディ巡りを一休みして。

地中海性気候のバルセロナの10月下旬は、湿気が多く日本の気候を思わせました。滞在中の気温はポルトより高く、歩いていると汗ばむくらいでした。

それに調子付いて、ポルトに帰ってもうっかり薄着でいたのが響いたのでしょうか、先週、水曜日に、日本語3クラスを終えたとたんに、あれ?と気づいたら、喉が潰れてしまったようで、声がまったく出なくなり、それが1週間ほど続いていました。

電話呼べど、応答できず、夫との会話も不可、ネコどもの悪さも怒鳴ることできず。日本語教室は当然、全てキャンセルするという一週間でした。昨日からやっと少し発声できるようになったものの、平常の声にあらず。ただいま、我が声は、トム・ウエイツの如し。ん?トム・ウエイツとは、誰ぞいな?
興味のある方は、下記の拙ブログ記事をどぞ。

Tom Waits と ワルツリング・マチルダ 

こちらもトムの泣かせる歌です。「If I have to go」



さて、熱はなかったものの、声が一週間もまったく出ないということが、これほどのストレスにつながるとは、思ってもみませんでした。こんなときに物事など考えるととんでもない、ネガティブな方向に頭が行ってしまいがちです。ゆえに、わたしは調子の悪いときは、思考を停止し、ネコたちをベッドの足元に侍らしてひたすら読書です。今回読んだその本、これがなかなかに面白かった。

歴史推理小説2巻、加藤 廣氏の「信長の棺」は、明智光秀謀反の本能寺の変にちらつく秀吉の陰謀、本能寺の変の原因を、信長に使えた官僚「信長公記」の著者である太田牛一の視点から追って行くというもの。

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信長の死に関しては、燃え盛る本能寺にて自害したというのが、これまで歴史で語られていたことですが、遺骸が発見されておらず、また、光秀謀反の理由も、いまいちピンと来ないところでしたが、加藤 廣氏の見解は、新鮮で説得力あり。とても楽しめました。

続編のつもりで読んだ「利休の闇」も、天下を取った秀吉と利休の関係がどのようにして崩れ、利休切腹と相成ったかの著者の見解も興味深い。

信長と言えば、藤吉郎、明智光秀に次ぎ、

「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」

と、信長が好んだと言われる幸若舞は「敦盛」のくだりが知られますが、「信長の棺」を読んで、本能寺と阿弥陀寺を検索し、ついつい時間を費やしたのでありました。

本日はこれにて。
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2015年11月11日 

毎年11月11日は、「サン・マルティーニュの日」です。サン・マルティーニュの前後はまるで初夏のようなポカポカした暖かい日が続くと言われますが、それにたがわず、昨日今日とまことにいい陽気のポルトでした。

この日は、今年採り立ての焼き栗をほおばりながら、この夏、9月10月に収穫されたぶどうで造られたできたてのワインやポルトガル伝統のJeropiga(醗酵前のぶどう液に、醗酵を止めるためにAguardento という焼酎を加えたもので、アルコール度18度)、もしくはポルト・ワインを味わうのであります。

サン・マルティーニュ

さて、聖マルティーニュ(マルティン)」とは誰なのか?
これには4世紀終わりころの古い言い伝えがいくつかあるのです。そのうちのひとつをご紹介します。

ローマ帝国軍の兵士としてマルテーニュが馬上の人としてイタリアからフランスへ向かっていたときのこと。悪天候でとても寒く強風も冷たく吹きつける11月のある日、目の前に、着ている衣服もボロボロの貧しい男が現れ、物を乞うたのであります。

施し物を持たないマルティーニュは、やおら剣を取り出し、身にまとっていた当時のローマ兵が着る真っ赤な自分のマントを真っ二つに裂き、半分をその男にあげたのでした。するとその瞬間、これまでの寒さも強風も止み、日が照りだして来たのであります。マルティーニュの善行に報いる神のなした技です。

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(Wiki引用)                      

その夜、その時はまだ異教徒だったマルティーニュの夢の中に、赤い半分のマントを着けたキリストが現れ「ここにいる、洗礼を受けていないローマ兵士のマルチーニュがわたしにこのマントを着せてくれた」と天使に話している声が聞こえ、周囲が急に暖かくなり寒さにこごえるマルティンの体を温めました。以来、秋にも拘わらず11月11日前後の3日ほどは良天候に恵まれ、まるで夏のような暑さになると言われています。

そうして見ると、確かにこの2、3日は暖かく、まさに「サン・マルチーニュの夏」と言われる所以にうなづけます。これは英語では「Indian Summer」、日本語では「小春日より」に当たります。世界の国々のそれぞれの習慣は違っても、どこか似たようなつながりが見えて面白いなぁと、わたしは思っているのですが、こういうことは探してみるとたくさんあるような気がします。

さて、この夢を見て後、マルティーニュは18才で洗礼を受けやがてフランス、トゥールの大司教になり81歳で没したと言われます。マルティーニュはヨーロッパで最初の殉教なくして聖人に列せられ、フランス、ドイツの守護聖人、イタリアではワインの守護聖人になっているそうです。

我が家では、デザートの替わりに、今晩はゆで栗を食べながらポートワインで夕食を締めました。秋の夜長、本に目を落としながら芳醇の酒ポートワインを傾けるのもオツでござんすね。

では、みなさま、本日はこれにて。
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2015年11月6日 

バルセロ市街を見下ろす小高い丘にある、グエル園。
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宿泊したディアグナル大通りのホテルから歩くこと1時間半。知り合いの医者のカップルが一緒に行こうとなり。歩いている間に、別ホテルに宿泊中のもう一カップルとグエル公園前で合流しようという話に及び、なんだか、なんだかだぞ・・・と少し不安が横切ったのでありますが、これは後述するとして。

グエル公園は、元はと言えば、建築家ガウディとすっかり意気投合したグエル伯爵が、分譲住宅地として、計画、建設されたと言われます。正面のユニークな造りのファサードからに続く高い壁は、公園周囲をとり囲み、ここに住む人たちの十分なる保護の意味もあったようです。

barcelona guell

モザイクには「Guell」の文字が見られる。

barcelona guell
両脇のファサーダはまるで御伽噺にでも出てくるような^^
写真上、左は当時、運営事務所に使われ、下、右の建物は門衛所に使われていました。

barcelona guell

園内での住宅の建設は、日の当る場所に限られ、公園の総面積の50パーセント以上を緑地とする
設計だったそうです。居住者のために、多くのガウディの斬新なデザインが取り込まれたのですが、この計画は、全体の2区画しか買い手がつかず、しかも、1区画はグエル伯、もう1区画はガウディ本人が買うという状態で、失敗に終わりました。後にバルセロナ市に寄付され、現在にいたっています。

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グエル公園。下の入り口

20数年前に訪れたときは、無料で人もなく、自由に園内を歩き回ったものですが、グエル公園は2013年10月から有料化とのこと。入場券を買おうと思ったら、なんと、当日券は売り切れで、翌日の午後の分しかない、とのことでした。

天候があまり芳しくなかったことだし、雨でも降ったらどないする?それに、翌日と言われても、全員が来れるかどうかわかりません。そこで、公園内の無料区域を歩くことにしました。で、残念ながら、肝心のガウディ独特の色彩鮮やかなモザイク作品は見ることができないかったのでありました。ま、昔見たからいっか(笑

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Wikiより。有名なモザイクとかげの噴水。ここで、家族で撮った記念写真があります。

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Wikiより。モザイクベンチのカーブは「カサ・バトリョ」の屋上にあるドラゴンの背中を思わせます。

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歩行者用プロムナードとして造られた陸橋。下は陸橋下部。石で覆われたレンガだ。

barcelona guell

グエル伯爵は生涯、ガウディのパトロンであり続けました。

無料で散策できる園内の展望台から、公園が眺められる。園内を歩くこと約1時間半。合流して6人で歩いたのですが、男も女もほんとによく喋るのであります。喋ってたら周囲の景色が見えないジャン^^;と内心思いながら、わたしは先頭に立ってさっさと歩くのでしたが、結局、「お~~い、まだか?」と度々足を止めて待つ羽目に。できるものなら、旅行は単独に限る・・・

そして、朝から4時間近くも歩き、更にグエル公園から市街へと、これまた徒歩で3時間ほど進むのでありました。この日は日がな一日中、つまり昼食時間の1時間を除いて、結局7時間も、バルセロナの街を歩き回ることに、あいなったのでありました。いや~~、これにはいかなわたしでも、堪えましたぞ。

本日はこれにて。

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2015年11月5日 

10月24日から5日間、夫に誘われて行って来たバルセロナですが、徒歩1、2時間で到達できる範囲内は全て、そうしてみました。ということは、片道2時間のところは往復4時間ということで、実にいい運動になりました。

中でも、かつてぐる~っと周ったことがあるガウディ建築を、今回はゆっくり回ってみました。奇抜に感じられるガウディ建築は20年前に訪れた時も、今も、わたしにとっては魅力です。

Gaudi

↑カサ・ヴィセンス。 タイル商人ヴィセンスがガウディに設計依頼した別荘。1880年代建設されましたが、その後、人手に渡り、現在は2016年の一般公開に向けて修繕中との事。

ガウディの多くの作品に見られる錬鉄を使った柵が美しい。
Gaudi


Gaudi
街の中心にあるカサ・ミラ。積み上げられた石のような形から「ラ・ぺドレイラ」(pedraha=石)とも呼ばれますが、曲線が美しい。しかし、もっと興味深いのは、屋上の煙突群です。建物は普通の住居ですから内部を見ることはできませんが、屋上の見学はガイド付きでできるとのことです。時間の関係上、残念ながらわたしは上ることができませんでしたが、Wikipediaから画像を拝借しました。

a href="http://blog-imgs-84.fc2.com/s/p/a/spacesis/gaudi_mila3.jpg" target="_blank">Gaudi
この画像のみWikiより

この不思議感。これらの煙突はまるで異次元の生命体であるかのようです。ガウディの作品に接触するに当り、この人の思想は、この人の信仰は?と、つい想像を広げてしまうわたしではあります。ガウディについては、そのひじょうに個性的な建築からして「彼が狂人なのか天才なのかはわからない、時が明らかにするだろう」と、ガウディが学んだバルセロナ建築学校長をして言わしめています。

 
Gaudi

↑街中にあるカーサ・バトリョ。カタルニア(バルセロナがある州名)の大ブルジョア、繊維製造業者バトリョ家のために、既にあった古い建物を改造した家だと言われます。このファサーダにも、カーサ・ミラの屋上にあるような、異次元を思わせる仮面のような、骨のようなデザインが見られます。

面白いのは屋根です。
gaudi

これは、ドラゴンのウロコがある背中だと言われます。また、横の塔はダブル十字で、一説には、この部分はバルセロナの守護聖人「聖ジョージ」のドラゴン退治を表していると言われます。
下はバルセロナの広場でお!と見つけた聖ジョージが竜を退治している場面の像です。
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「聖ジョージ」は英国王室とも深い関係があります。過去記事で、書いてますので、どうぞ。

トマール・キリスト騎士団修道院「大窓」シンボルの謎(2)
 
キリスト騎士団修道院・大窓シンボルの謎解き(3)

本日はこれにて。

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2015年11月 

20数年ぶりに訪れたバルセロナ、天候にはあまり恵まれませんでしたが、大いに歩き、楽しんで来ました。

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バルセロナで一番広く長いDagnal 大通り。

最初に行ったのは、息子が小学生、モイケル娘がまだ小学校にあがる前だったと思いますが、当時はポルトから車での家族旅行。サラマンカで一泊しバルセロナに到着、その後、ピレネー山脈を越えアンドラ王国に入ったのですが、それが、わたしたちの一番長い車旅行です。

さて、まだバルセロナ旅行の疲れから完全復帰していない今日は、小雨の午前中、滞在したホテルから徒歩で10分くらいのところにある リージャ・ディアゴナル(L’lla Diagonal) ショッピングモール内で見かけたこれの紹介です↓

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歩いて行く正面に、まるで待ってでもいたかのように鎮座ましますこの車!そうです、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のドクが開発したタイムマシン「デロリアン(DeLorean)」ではないですか!

2015年10月21日は、バック・トゥ・ザ・フューチャーPt.2で、主人公のマーティーがガールフレンド、ドクと共に、未来にタイムとラベルするという、その日付。ファンの間では去る10月21日が大いに話題になったのでした。

何を隠そう、このわたしも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」&「スターウォーズ」ファンなのであり、バック・トゥ・ザ・フューチャーは、繰り返しみて、同じ場面で繰り返し笑っているというマニアなのであります。
特にPt.1でのロックミュージックを演奏する舞台のシーンでは、何度見ても抱腹絶倒するわたしではあります。

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横からのデロリアン              

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デロリアン内部 前座席。日付が示されているはず。

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デロリアン後座席              

わたしの他にももう一人、この場に立ち止まって、同様にシャッターをバチバチ切っている若者がいました。前から横から後ろからと写真を撮っていましたら、なんと、最後には煙まで出してくれましたっけ(笑) 

de_lorean4-1.jpg

本日はこれにて。


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