2016年7月31日 世界遺産のポルト、レロ書店の新装お目見え

あの小さな書店に日に3000人は訪れると言われるポルト世界遺産指定のレロ書店(Livraria Lello)。今年で創立110年を迎えます。

実は4月以来ずっと美しいファサーダ(正面)に幕が張られていたのでした。5月にポルトを訪れた知人の杉さんと写真家山之内さんも、ファサーダが撮影できないのと、おまけに以前は無料だった入店が有料だったのとで、がっかり度が増したようでした。

下は幕が張られたレロ書店と手前は入場券を買わんとするツーリストの列です。有名になり、訪問客が増えたのは嬉しいことですが、この110年間書店内はほとんど手が入れられていない状態で、わたしなどは人の出入りが激しいことによる店内の傷みが気になっていたのでしたから、有料設定を歓迎した方です。その費用がこうして色あせてきたオリジナルの美しさを再現できたのではないでしょうか。

レロ書店

昨日はその幕が外され、ニュースで新装お目見えの様子が伝えられました。

レロ書店
ーPublicoよりー

ファサーダについては、すでに書いていますので興味ある方は後記リンクからどうぞ。

写真は「Before & After」です。

Before
レロ書店

After
レロ書店
ーPublicoよりー

ファサーダだけでなく、レロ書店のシンボルでもある天井のステンドグラスも、きれいに洗われて元の位置にはめ込まれました。その作業たるや7時間。縦横8メートル3メートの55枚のステンドクラスです。こちらもその「Before & After」を載せてみます。

Before
レロ書店

After
レロ書店
ーPublicoよりー

汚れが落ちて店内が明るくなったとのこと。

あまりの人の多さで撮影もままならないでしょう。わたしが実際に新装されたレロ書店を訪れるのは、秋も深まるころに、と思ってます。今回のレロ書店案内、古い画像はわたしの撮影ですが、新装画像はニュースが元になっています。

ところで、ちょうど昨日はJ.K..ローリングの「ハリー・ポッターシリーズ新作」がイギリス時間の寄る10時から発売されたとのこと。一時期ポルトに住んでいたJ.K.ローリングはレロ書店ともゆかりがあり、ハリー・ポッターのホグワーツ魔法学校の図書館を描くにあたり、ヒントになったと言われるレロ書店。同時のイベント開催は偶然とは言えないのを感じますね。

レロ書店
Wikiより

下記、拙ブログの「レロ書店」案内です。

ハリポタのモデルにもなったレロ書店
ガーディアン紙が選んだ世界で最も美しい書店・ベスト10

本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。
お時間ならば、ランキングクリックをしていただけると、嬉しいです。
では、また!

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年7月30日  

夏休みが待ち遠しかった!

土曜日の3時間あるグループ授業は先週で終了し、自宅での個人授業も、中でどうしても続けたいというのを除いては、全面的に9月半ばくらいまで休息です。と言っても、数えてみたら続けたいという生徒が5人になっているではないか。これはまずいと言うので、8月の2週間は全休にしました。

待ち遠しかったのには、好きなこの仕事も自分の体力と見合わせてそろそろ控えて行く必要があるな、と思うほど、近頃疲れがひどいというのがひとつ。今のままでは時間の余裕がないので、好きなことの勉強もできないということです。

また、自分の一ヶ月、一週間のスケジュール表を見て、うわ!今週は気合いれなくちゃ!と感じていたのが、近頃では「げ!こりゃ、しんどいぞぉ」と、気持ちに前向きの姿勢が失われつつあるということです。
好きなことだったのが、段々と頑張りがきなかくなってきたと言えましょう。秋からは、このスケジュールを改造する必要があると思っているのです。って、前にも同じようなことを言ってた様な気がするな^^;

待ち遠しかったことのもうひとつは、もうすぐ2年ぶりに東京息子が、9月始めには4年ぶりにモイケル娘が婚約者を伴って帰国するというのがあります。夫婦だけだった我が家は久しぶりに賑やかになり、我が家の5匹ネコたちは人が増え家の中をきっとおろおろすることでしょう。

わたしも、日頃、どちらかと言えば手抜きが多い料理も、少しは腕によりをかけようかと思っています。

滞りがちだった拙ブログも更新度がアップすると思いますので、お付き合いの程、みなさま、よろしくお願いいたします。

では、本日はこれにて。また明日!

moonstar2016-1.jpg
月と星と。July 2016


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年7月25日

近年のように仕事で忙しくなく、時間的に余裕があった数年前、ファサーダの面白さに惹かれ幾度もカメラを向けながら、ついぞ紹介に至らなかったCafé A Brasileira(カフェ・ア・ブラズィレイラ)。更に残念なことに、入ってみようと思いながらもついに入らずじまのまま、今日では紹介も叶わなくなってしまいました。

と言うので、2013年にその長い歴史の幕を閉じたのですが、ポルト最古のカフェのひとつに数えられた故、メモとして記録しておこうと思い、本日取り上げます。

まず、紛らわしいのですが、ポルトにある「Café A Brasileira」 と「café Brasil」を混同なさいますな。

下がサン・ベント駅横にある「café Brasil」。庶民的なカフェで歴史はさほど古くありません。

cafe_brasil

こちらがサ・デ・バンデイラ通り(Rua de Sá de Bandeira)にあるポルト最古だったカフェ「Café A Brasileira」です。

abrasileira1-1.jpg

すぐ側には、映画やネットが普及した現在でも頑張って、まだ存在しているのが不思議なくらいの古いサ・デ・バンデイラ劇場(Teatro Sá de Bandeira)があります。
teatro.jpg


さて、ポルトの古い有名なカフェと言えば、代表的なのが「Majestic Café(1921)」、そして、「Guarany(1933)」「Proguresso(1899)」「Cae Piolho(1909)」が挙げられますが、Café A Brasileiraは1903年にポルトでオープン、ポルトのカフェの中でも、鉄線の美を使った大きなファサードが人目をひきました。

店内もクリスタルと大理石、細工のある皮の装飾で、当時は大いに話題を呼び、文化人を始め政治関係者など、エリートが集ったと言われます。創立者はブラジルへ出稼ぎに行き財を築いたAdriano Soares Teles do Vale。

ポルトガルに帰国し、リスボン、ポルト、ブラガなどでブラジルから輸入したBrasileirasコーヒーのチェーン店販売を展開するのですが、外でコーヒーを口にするなど、まだ一般的な習慣になっていなかった当時、Adriano Teles 氏は、それを広めるために、自分の店でコーヒー豆を買う客に、その場でコーヒーカップに入れた自前のブラジルカフェをただで提供し続けたと言われます。しかもその年数たるや、なんと13年間!

また、現在で言えばマーケティングの走りとも呼べる、カフェのスローガンを市内の壁のあちこちに描かせて宣伝し、店の名とそのスローガン「O melhor café é o d'A Brasileira」を有名にしました。afeabrasileira3.jpg
その宣伝はわたしも何度かダウンタウンのLargo Mompilharにある石壁で見かけました。

さて、下のファサーダにわたしは興味をもったのでした。

cafeabrasileira.jpg

これは、Adriano Teles氏の家紋でしょうか。ダビデの星こと五芒星(ごぼうせい)です。よく見ると下のリボンにはTeles氏の苗字もTELLSとLLになっています。これはメーソンのシンボルでもあるわけですが、Tele氏のメーソンの関わりは検索では今のところ、ひっかかってきませんが、恐らくそうであろうとはわたしの推測です。

2013年に、ポルトのCafé A Brasileiraは閉店の憂き目を見、予定では2017年にホテルになるとのこと。さすれば内装は大きく変えられ、かつてのCafé A Brasileiraの面影はなくなるのは残念ではありますが、これも逆らえぬ時代の流れを表します。

Café A Brasileiraは上述したようにリスボンにもあり、詩人のフェルナンド・ペソアが通ったカフェとして名が知られています。

cafebrasileira2_1.jpg

何度かこの通りを歩いているのですが、この夏には是非、訪れて入ってみようと思っています。ポルトのCafé A Brasileiraのように、後悔せぬように^^

fernandopessoa_1.jpg
カフェの前の通りに座る、フェルナンド・ペソアの銅像。

フェルナンド・ペソアの関連記事はこちら→「轟く海辺の妻の墓
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年7月18日 

拙ブログ記事で、7月6日に取り上げた、瀕死の保護ねこちゃんの報告です。

「儀を見てせざるは勇なきなり」、で、目の前の行き倒れノラネコちゃんを黙って見過ごすことができず、とうとう拾って持ち帰ったモイケル娘のその後、いや、ネコちゃんのその後であります。

4週間ほど我がモイケル娘のアパートのベランダで獣医に連れて行きながら、面倒をみたようですが、仕事がある身です。残業も多く、ちゃんとした面倒をみるのは、仕事を犠牲にでもしない限り、難しい。外部はこれからどんどん暑くなっていくので、いくら日陰に工夫を凝らしても、ネコにとっては危険です。

動物保護のボランティアなどにも相談してはみたものの、どれも直接的な手助けにはならなかったようです。そこで、娘にクリニック入院を勧めました。その方が、ネコちゃんにとってもどんなにか安全なことでしょう。

また、本人も、帰宅後、自分の3匹猫の世話をした上に、動けないネコちゃんですから、下の世話から食事やり等は大変なことですから、入院することで、かなり気が楽になるはずです。 入院費、治療費とどのくらいの費用になるかは分かりませんが、娘の体調も心配ですしね。

そこで、彼女、近くの獣医さんに相談したところ、なんとまぁ、その獣医さん、入院費は要らない、治療費と食費だけでいい、と言ってくれたとこのとでした。これはとても嬉しいことです。元はと言えば、道で出会ったのが縁で、見捨てられずに保護したネコちゃんです、きっと、娘、どのくらいの費用になるか、ドキドキしながら相談をもちかけたことでしょう。

「ほ、ほんと?」ってな気持ちだったと思います。何しろ、そんな獣医さんは、海外ならいざ知らず、日本国内では、まだまだ少ないと見ていますから。そのようなわけで、しばらく前から娘の保護ネコちゃんは、近くの古い動物病院の獣医さんのところに入院していました。

モイケル娘もできるだけネコちゃんの入院先に顔を出すようにしているようですが、何しろ残業が多いので、閉院後の帰宅も多く、週末くらいしか覗きにいけないとこぼしていました。

費用はかさばると、ギョッとする金額になりかねないので、そろそろ、一度お支払いしなさい、といくらかサポートすることにしたおっかさんこと、わたしが言ったところ、件の獣医さん、「うちが面倒をみよう」と言ってくださったそうです!

そして、名前も「フジちゃん」と名づけられました。保護から2ヶ月近く、今のところは前足しか動かせないが、
2キロしかなかった体重も増え、ダニのせいで剥げていた頭もやっと毛が生えてきました。

fujichan

モイケル娘のメッセージには、

―親切な動物病院が引き取ってくれ、『不治の病から立ち直ったから、フジちゃん』と名付けられました。
体重はみるみる増え、足の突っぱりも完全回復。なんとか姿勢を保てるようになりましたが、後ろ足は依然として動かず。人馴れしておらず、いつも鋭い目か怯えた目のフジちゃん。思う所は色々あるけど、がんばってほしいー
   

と、あります。

保護した頃に比べると、状態はとてもよくなったように思います。ただ、未だにエサを差知れても人が見ている前では食べず、トイレの後は風呂に入れるので、ケージを開ける毎に、それかと思うのか、シャッシャッと怒るのだそうです。

生まれつきのノラネコ生活をしてきたのか、あるいはよほど人間に酷い目にあわされたのか。四肢、健康の完全回復までにはまだまだ時間を要すると思いますが、フジちゃん、元気になってね。そして、引き受けてくださった獣医さん、本当にありがとうございます。

実は、わたしは密かに考えていたことがあったのです。
モイケル娘は婚約者もいることですし、狭いアパートで、これ以上、飼い猫を増やすわけには行かないのを承知していますから、乗りかかった船、もし回復して里親を探せど、どうしても見つからない、ということであれば、夫は「何をバカな! これ以上どうするのだ!」と言われるのを承知で、ポルトで引き取るには、どういう手続きがいるだろうかと、調べていたのでした。

意思あるところに道は拓ける。なんとかしたいという強い願望のもと、ひとつひとつに懸命に取り掛かっていると、手助けしてくれる人も現れるのだと、おめでたい母子は、件の獣医さんに感謝感激している次第です。
わたしたちのためでなく、本来はネコちゃんのために、です。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年7月17日 

6月30日の夫の誕生日プレゼントに、と、日本に住む息子と娘から、隣町ガイア市の海岸沿いにあるレストラン、Casa Branca(カザ・ブランカ)での、二人分の夕食招待をもらった。

昨日、行ってきたのだが、今日はそのレストランの紹介。

ポルトからだと自動車道路を抜けて、隣町ガイアのPraia de Lavadores(ラヴァドーレス海岸)にあり、旅行者が行くには不便な場所なのだが、海のまん前にあり眺めがよい。ここ数年でポルト市内には高級レストランがたくさん出来たが、Casa Brancaは昔から高級レストランとしてよく知られている。

restaurante_casabranca

8時に予約をとって行くと、わたしたちが夕食一番最初の客で、レストラン内はとても静かだった。窓際のテーブルに案内され、西日が少しきついが海の景色は美しく、ここから日没の時間まで太陽が沈むのを眺めながらの食事であった。

casabranca3.jpg
テーブルについたときの景色

restaurante_casabranca
徐々に日は海に沈み。同じように海岸で日没を眺めるカップル。

restaurante_casabranca

日が没した後の残照が美しい。
restaurante_casabranca

下記、この日のニュなり。
restaurante_casabranca
前菜の盛り合わせ。

restaurante_casabranca
夫が好きな、フィッシュスープ。

restaurante_casabranca
肉料理と下、Arroz de tamboril(Arroz=ご飯、米、tamboril=あんこう)。常々思うのだが、量が多すぎ。

restaurante_casabranca
冷めないように、こちらでは鍋ごとテーブルに出される。

restaurante_casabranca
食後のデザート、パイナプルとMaracujá(マラクジャ=パッションフルーツ)のアイスクリーム。これはおいしかった!

restaurante_casabranca
レストランを9時半ころに出る。外はまだ薄明かり。夜はこれからだ。

息子よ、娘よ、ありがとう^^

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年7月12日 

UEFA2016_1.jpg
写真は決勝戦当日ごご8時過ぎ。ポルト市庁舎大通りAliadosにて。市が設置した巨大TVの前で大勢の人たちが集まりポルト市長も同席して観戦です。


ポルトガルはもちろんのこと、チモールまでが興奮に沸いたパリでのUEFA2016決勝戦。対するは現地チームのフランスでしたが、延長戦もあと数分というところで、ポルトガルのエデルが一点入れて、ゴローーーーー!と相成り、ポルトガルのキーナス軍団は、サッカー欧州選手権で初優勝を獲りました。

キャプテンのCR(クリスチアーノ・ロナウド)は試合前半で膝を負傷し、退場したのですが、場外で時折膝をかばいながらも、熊の如く歩き回り、コーチまがいの応援。ついに勝利を得たときは、試合を続けられなかった悔しさと喜びとでしょうか、涙で顔をくしゃくしゃにいていました。

そうなんです、ポルトガルは初優勝なのです。
これまでの試合ではいいとことまで行くのですが、肝心の決勝戦となると、がび~~ん、なのでありました。

そのようなわけで、夫は8時からソファに座り、試合中継に見入っていましたが、わたしはと言えば、相手が地元のフランスチームだということもあるし、これまでの様子では、また準優勝どまりかも、と、本当言うと期待しないで晩御飯の後片づけをしている台所から、「どんな具合?」と、ちょこちょこリビングに顔を出し。

それから、いつもの如く、ジョアキンおじさんの畑の猫たちへのエサ運びに外へ出ると、通りは人影もない。人っ子ひとり、見かけませんでした。いつもだと、夏場のこの時期、学校も6月の20日を過ぎると休暇に入り、おとなも子供連れでカフェへ行ったり、外のオープン席で大声で話したりと、頭にくるほど賑やかなのですが、みなさん、その日だけは、家のテレビの前で応援していたのですね。

延長戦も時間切れになってきた頃、これはPK戦に入るかと思いきや、エデルのGoloが見事入りました。その後は、試合よ、早く終われ早く終われと、中継中のアナウンサーと共に秒読みです。
ゴールキーパーのパトリーシオも素晴らしかった。

というので、ポルトガルは、「We are the Chanpions!」の高揚したお祭り気分がもう少し続き、やがて気だるく長い夏休みに入ってまいります。

こちらは、リスボン、ポルトガルチームの凱旋です。写真は共にWikiより。
UEFA2016_2.jpg


ポルトガル、優勝おめでとう!
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年7月10日 

日本は参院選、こちらは夜8時からポルトガル対フランスUEFA決勝戦の今日です。
当方は6月下旬にリスボン日本大使館にて、既に投票を済ませていますが、みなさまはいかに。

さて、今日はしばらく前に入ってきたポルトの新しいカフェと併せてポルトガルのコーヒーの話です。

カフェと言えばポルトガルでは「エスプレッソ」である。
かつてのポルトガルの植民地、ブラジル、アフリカのアンゴラ、モサンビークなどは有数のコーヒー豆の産地であり、現在でもこれらの国から多くのコーヒー豆が輸入されているのだが、ポルトガルのコーヒー文化は意外と知られていない。

ポルトガルで知られるコーヒー豆は、SICAL, Cristina, Delta, Buondi, Nicolaなどがあるが、中でも40年以上の創業歴を持つDelta社はNo.1と思われる。Delta社はコーヒー販売と同時にカフェも展開している。そのひとつがポルト、ブリャォン市場側の「Cafe Delta Q」。

Cafe_Deltaq

コーヒーマシーンやパックされたコーヒーの粉、カプセルコーヒーも売られている。
Cafe_Deltaq

店内

Cafe_Deltaq

Cafe_Deltaq

Cafe Delta Qのカフェことエスプレッソ。
Cafe_Deltaq

カフェを飲む目的で入ったので気づかなかったのだが、ふと手に取ったドリンクスのメニューに少なからず驚いた。
Cafe_Deltaq
なんと、普通のポルトガルのカフェでは見かけない飲み物がたくさんあるではないか。ポルトガル人にはあまり人気がないであろうが、エスプレッソが苦手な人もこれなら入れるというもの。次回はわたしもこれらメニューにある飲み物を試してみようと思っている。

もう少し、ポルトガルのカフェの話、お付き合いいただきたい。

同じポルトガルでもリスボンとポルトではエスプレッソの呼び名が違う。リスボンではBICA=ビカ、ポルトではsimbalino=スィンバリーノ、もしくは単にCAFEと注文する。

ポルトのsimbalinoはイタリアのエスプレッソを作るコーヒーマシーンのメーカー名、「La Cimbali」から来る。
また、リスボンのBICAもエスプレッソを作る機械の蛇口を言う。
   
しかし、BICAには面白い説がある。昔、リスボンの街のダウンタウンにあるカフェで、エスプレッソが出始め
たころ、その苦さに慣れていなかった客は、これまで親しんできたコーヒーの味と違うため、文句を言い出した。

そこで店主は言った。
「Beba isso com açucar!=砂糖をいれてそれを飲め」。
(ベバ イッソ コン アスーカル)

以後、BICAと呼ばれるようになったと言うホンマかいなと思われる冗談のような説ではある。

上記写真にあるようにエスプレッソは普通カップ半分くらいで出される。なみなみと欲しい場合は、「cafe cheio=カップいっぱい」と頼めばいい。値段は同じである。

ポルトガルのカフェはエスプレッソだけではない。 例をあげると次のようなものがある。

Pingo(ピンゴ。ポルトを含む北部での呼び名) ミルクが少し入った甘いコーヒー。

garoto.jpg

リスボンではPingoをGaroto(ガロート)と呼ぶ。garotoはポルトガル語で小僧、子どもの意味で、強いエスプレッソを飲むのにまだ時期尚早であるからして、小僧はこれを飲んどけ、というのでできたらしい。デミタスカップで出される。

Meia de Leite(メイア・デ・レイテ。半分ミルクの意味) コーヒーとミルクの比率が同じ。カップはエスプレッソのより大き目。

meialeite.jpg

Galão(ガラォン) 
galao.jpg

エスプレッソとあわ立てたミルクで作られる。ミルクの割合が多い。量も多く通常はガラスコップで出される。熱いので写真のように取っ手が付いてくるが、そうでない場合もある。

これがポルトガルのコーヒー類の主な種類だが、ポルトガルでは一般家庭でも食後のコーヒーはエスプレッソ。わざわざカフェまで出かけず、エスプレッソマシーンを買い、カプセルで楽しむ人も多おい。

maquina_cafe1.jpg

しょっちゅう使うわけではないが、我が家のエスプレッソ・マシーン。
下は気に入っているデミタスカップ。
cafe2_2016.jpg

また、下のようなクラシックなコーヒー沸かし器もよく使われる。
コーヒー薀蓄

上下二つの部分に分かれている。下は水が入り、上部には挽いたコーヒーの粉を入れるサイフォンがついている。このまま火にかけると、沸騰したお湯が下から上に上り、コーヒーが溜まる。我が東京息子はこれをポルトからもって行った。

こんなおしゃれなコーヒーマシンもある。
cafemachine_2016.jpg
これに興味ある方はご一報を。

余談だが、コーヒーの呼び名からもお分かりかと思うが、リスボンとポルトで呼び名が違うものは他にもいくつかある。生ビールもそのひとつ。

ポルトではCerveja pressao=セヴェージャ・プレサォン(pressaoは圧縮の意)、あるいはfino=フィーノ(細い、上品な、の意味がある)、リスボンではimperial=インペリアル(ビール工場の名前)と注文する。

ものの名前からして分かるように、ポルトとリスボンはなにかとライバル意識がちらつくのが面白い。

では、本日はこれにて!

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年7月6日 

一ヶ月になろうとしている。 千葉に住む我がモイケル娘が、道端に倒れている瀕死の猫を見捨てることができず、獣医に運び、家に連れ帰ってから。

モイケル娘とは週に2、3度スカイプを通じて話しているのが、その話を聞いて正直なところ、「アチャー、またか」と思ってしまった。何しろ、もちろんペット可のアパートではあるが、娘にはすでに3匹も愛猫がいるところに、である。(5匹ではありません、それはポルトの我が家のことで^^;)

これが、ある意味、自ら厄介を背負うことにあるのでありまして。ま、そういうことに出くわしたら、わたしも同じことをしたであろうから、「放っておけばよかったのに」とは、とても言えないところである。

獣医によると、このネコちゃん、推定年齢4、5歳、他の病気もあるだろうが、脱水状態、餓死寸前だったとのことだ。ガリガリにやせ細り、四肢を動かすこともできず、横になったままなのだそうな。なんとかエサをあげようとすると、「シャッ、シャッ!」と威嚇だけは根性出してするようで、このことからしてノラ猫ちゃんであろうと判断。

しかし、まだ入浴させるわけには行かず、ポルトのように何部屋かあるわけじゃなし、先住猫にノミ、ダニがうつらないように、しばらくは隔離する必要がある。が、2部屋しかない、同居者がいるアパートである。3週間ほど、ケージに入れてベランダに置くことになったのだが・・・・

保護したい気持ちは分かりすぎるくらい分かるものの、手足がまったく動かない状態なので、世話がいる。
が、本人は日中仕事で家を空けるのである。更に、しょっちゅう残業があり、帰宅時間も遅くなったりする。その点が気になる上に、もうひとつ、6月も半ばを過ぎると暑くなり、ベランダに置くのは、例え日陰を作ってあげたとしても、病気の猫にとっては、それも命取りになったりするのである。

帰宅して、自分の3匹猫の面倒を見、ノラ猫ちゃんを獣医まで点滴に連れて行き、云々の環境では猫ちゃんの回復も娘の生活もしんどいものになろう。そこで、お金はかかるが入院させる方を勧めてみた。その方が猫にとっても娘にとってもいいはずだ。

ボランティアや動物愛護協会など、あちこちにあたってみたが、健常体の猫ならいざ知らず、この手のノラ猫には、どこも手を貸してはくれないようだ。挙句にひどい人となると、「一度拾ったんだから、最後まで面倒をみるべき。それができないなら、最初から拾うな」なんてことをのたまうのもいたりするらしいので、わたしもそんな話を読んだり聞いたりすると、怒り顔になり、
「そんなら、ボランティア、愛護協会などの名前を返上してくれぃ。自分の環境では非常に難しいと知っていながら、何とか助けたいという気持ちが、ノラ猫ちゃんを拾うのだよ。アメリカの動物愛護協会のボランティアたちを見よ、ポルトガルのボランティアもすごいぞ。」
と、ついつい悪たれ口を叩きたくなるのである。

となると、自分がするしかない。結果が目に見えているから、保健所へは連れて行かない。紙おむつや、シートを用意して世話をしていたモイケル娘だったが、「これは回復するかどうか分からないよ。するとしても何ヶ月もかかる」との獣医の診断で、一週間ほど前に、とうとうノラ猫ちゃんを入院させた。「おっかさんからのお祝い金が、飛んでいくかも・・・」と言いながら。

実は娘がノラ猫ちゃんを連れて行った獣医さん、年配でクリニックそのものはパッとしないらしいのだが、「入院費はいらない。治療費と食費だけでいい。」と言ってくれたそうな。
貧乏娘がなんとか助けたいとの必死な姿に、同情してくれたのだろうか。こんな同情なら、何はともあれ、猫ちゃんのためになるのだから、いくらでも欲しいところで、本当にあり難い。

アメリカやポルトガルの動物保護ボランティアは、獣医と連携しているので、それがかなりのサポートになっており、ひいてはノラ猫、ノラ犬たちの救助につながっているのだが、日本の現状はどうなのだろうか。

下はモイケル娘が保護したノラちゃん。保護して一週間、やっと前足だけ少し動かせるようになったころ。

norachan1-2.jpg
がんばって元気になるんだよ。

というので、今日のエントリー「子猫を抱いて Pt.2」とあるからには、Pt.1があるのであって。以下、その過去記事です。


小猫を抱いてPt.1

この春先の帰国時に(2007年5月)、東京から下関へ引っ越したモイケル娘のアパートを訪ねた二日目のことです。

まだ時差ボケが残っていたのと、新幹線と言えども東京から下関までの長旅で疲れていたのがあって、娘の携帯電話が鳴るまで、二人ともぐっすり寝入っていました。見ると朝9時をすっかり回っていました。

携帯電話で話していたモイケル、「はい、じゃ、すぐ行きます。」と切るではないか。
「どこから?」とわたし。
「保健所から。小猫ちゃんが入ったんだって。10時まで行かないとすぐ処分されるって」

そう言うなり顔も洗わずジーンズに足を突っ込み、セーターをひっかけ、小猫を入れる布袋を引っさげて自転車で保健所を目指し慌てて出て行きました。なんだか胸騒ぎがするおっかさん・・・

彼女のブログでは、捨て猫ちゃんがいないかと探して神社まで行ったら、猫はおらず、代わりに神社にはたくさんの雄鶏が捨てられてた、と書いてあったの思い出し、前日の久しぶりの親子の話題でも、ネットで里親を探している
人にも連絡をとったことがある、保健所にも出向いたけど、その時にはネコはいなかったと話していたモイケル娘です。 あぁぁ、とうとうネコちゃんを・・・と気をもみながら帰ってくるのを待っていました。

そして、ただいまとドアが開き、見ると、なんとまぁ~~、彼女の抱いてる布袋の中身、ひゃ~~~!か、かわゆい小猫が二匹も!

tamemikan2007_1.jpg
連れてきたばかりの二匹。

おい!ど、どないするのよ、二匹も^^;聞くと、
「おっかさん、二匹も持ってくるとは自分でも思ってみなかった。けど、保健所に着いてみると三匹いたんだ・・・・それで、一匹だけ選ぶのはとてもできなくて、結局自分ができる範囲内の二匹を連れてきた。わたしの後に男性が一人いたから、もしかしてその人が残りの一匹をもらってくれるかもしれないと期待して・・・」

モイケルよ、よくぞやった!とこれがポルトなら誉めてつかわす。けど、大丈夫? えさ代もかかるし、予防接種とか、トイレの砂とか色々物要りになるのだよ?少ない仕送りからそれを捻出しなければならないのだぞ・・・

あ!そういえば、アパートに入った時にすぐ目についた、床から6、70cmの部屋中の壁、水色のナイロンシートで覆われていたのでしたっけ・・・あれはネコの爪とぎ防御の準備か~~~!

呆れながらも今更返して来いとも言えず・・・見ると、おいおいモイちゃん、こりゃツガイではないか^^;知らんぞぉ~~!

しかし、小猫を抱いてしまったが最後、おっかさんももうダメです^^;可愛いったらないのです。

保健所では一ヶ月未満の小猫は、まだ母ネコの乳で育てるのだ持って行ってはいけないのだそうですが、その二匹はどう見ても一ヶ月はたっていない、目がろくに開いていないからです。

下関に着いて二日目は、モイケル娘のアパート整理云々より、まず小猫の粉ミルクと毛布を探して走ること始まったのでした。

neko
   
さて、元来が動物好きなわたし、モイケル娘と同じことに遭遇したら二匹どころか、おそらく後先も考えずに三匹とも連れてきたことでしょう。そうやって、結果的には、一時の感情で行動を起こし自分を後で窮地に追い込むようなことになるのですが、ことネコに関してはいくつになっても冷静に見る大人になりきれないところがあります。

そのDNAをしっかり受け継いでいると思われるモイケル娘とおっかさん、子猫用の高い粉ミルクを買い、まだ自分で器から飲むことも知らない小猫たちに、人間の赤ちゃん用の哺乳瓶で3時間置きに授乳する羽目になったのでありました。

これがなかなか大変な作業でした^^;小猫たちが哺乳瓶の乳首を受け入れようとしないのです。下関の娘のアパートに滞在した10日間は、こんなこともずっとし続けていたのでした。

わたしが下関を去るころには「みかんちゃん」「ためごろー」とようやく名前も付けられ、

neko

2007mikan_1.jpg
こんなあどけない顔をどうして無視できましょう。

今では元気いっぱいにアパートを走り回り、こんな風になりました。

2007tame-1.jpg
タメことタメゴロー

neko
手前がみかんちゃん、ひっついているのが後の養子のチビ。(2011年)


neko
タメの現在。だらけすぎだ・・・・

今日はひたすらネコの話でございました。 ではまた!
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年7月1日 

bairroalto9.jpg

Bairro Altoとポルトガル語で書きます。Bairroは「地区」、Altoは「高い」の意味で、リスボン中心地の高台の一区域です。旧市街バイシャ(Baixa)を挟んで反対方角にあるアルファマ同様、昔からの古い家並み、石段があり、カフェ、バー、ライブハウス等が多いのでナイトライフの一帯と化します。

リスボン・バイロアルト

オープンカフェもあちこちで見かけます。
リスボン・バイロアルト

リスボン・バイロアルト
狭い道の合間から向こう側の丘の家々が臨まれます。頂上に見えるのは「サン・ジョルジュ城」。

リスボン・バイロアルト

建物のコーナー、「カフェ・ブエノスアイレス」の看板。ひと際目を惹きます。中に入る時間がなかったのが残念。次回入ったら、また紹介しましょう。

リスボン・バイロアルト

リスボン・バイロアルト
 
バイロ・アルトを降りて、バ旧市街の中心ロシオ広場に出ました。正式名は「ペドロ4世広場」です。広場の中央にはペドロ4世の高い銅像が見えます。

リスボン・バイロアルト

ポルトガルの歴史上「ペドロ4世」と呼ばれる王は、ポルトガル領土だったブラジルを独立させ、ブラジルの初代皇帝になった自由主義者の王です。後にポルトガル本土の内乱を収めるために軍を率いてポルト近郊に上陸し、内乱を収めた後、リスボンで死去。「解放王」と呼ばれます。

ペドロ4世とポルトガル内乱については下記の過去ブログにて詳細を書いています。

ポルト・メモリア海岸のオベリスク

では、本日はこれにて。


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村