2015年9月28日 

2、3ヶ月に一度の割で、気の合った日本人仲間と昼食会を開いています。わたしも入れて3人の女性とI氏の4人です。

7年ほど前に、22年間講師を勤めた補習校を去って以来、普段は日本人とほとんど言葉を交わさなくなったわたしにとり、この食事会は久しぶりに母国語を耳にし話す潤いの機会でもあります。また、I氏とは同世代であるのと補習校時代の同僚でもあったので、話もはずむと言うものです。
昨日はその食事会でした。午前中の企業での日本語を終え、5匹ネコに昼ごはんをあげるため、一旦帰宅し、すぐに車でダウンタウンの待ち合わせ場所へと向かいました。これまでは近場のメトロ駅まで車で行き、そこからメトロで出ていたのですが、この頃は車を駐車する場所を探すのに苦労することが多くなり、車で直行です。

今回はいつものレストランを変えて新しいところでと、待ち合わせ場所もいつものカフェ・グアラニからカルモ教会。そのすぐ側には地下駐車場があるので、そこに車を停めようと、勝手知ったるダウンタウンの道を入っていくと、あれ?左折できるはずの道、左折できない!仕方がないので右へ行くっきゃないのだが・・・と、狭い道をグルグル車で回る羽目になった。

と、路地のオープンカフェでくつろいでいる若者たちが、「ここからは車、入れないぞ~」と言う。標識を見落としたのだろう、うっかり途中から車進入禁止になっている路地に迷い込んでしまった!と、いうことは・・・車、バック?・・・いやだ~~!こんな狭い道、バックなんていやだいやだ!バック、嫌いや・・・

そのまま前進して突っ切ってしまいたい衝動的な気持ちを振り切って、仕方なくバックギアを入れる。すると、後方のカフェのおじさんが飛び出してきて、「看板にあたるぞ、左へ切れ」「壁だ壁、ほれ、もうちょっと右へ切れ」と色々・・・・・^^; おいちゃん、親切はありがたいんだけど、却ってドギマギするんだよね^^;

こんなときは、もう車から降りて、車放ったらかしにしてどっかへ消えたい衝動的な気持ちになりまっせ。この後も袋小路に入ったりして、やっとの思いで市庁舎大通りに出ることができ、そこから別の順路でカルモ教会に着いたときは、途中、ケータイで10分ほど遅れると予告はしましたが、約束の時間を20分も過ぎておりました。

日差しが夏並みにきつかった昨日の昼過ぎ、3人とも教会向かいの日陰で待っており、さぁさとレストランへ入って、とにかく乾杯。 冷や汗をかいた後のビールのおいしかったこと!(笑

それにしても、ツーリストが俄然増えて活気付いたポルトの街だが、交通標識もこのためにあちこち変えられたのかも知れない。活気付くのはポルトの経済が潤うので喜ぶべきなのだが、旧市街の色々な変化は、逆に言えば、れまでの古いものが失われるということでもあります。

今週はこれ、来週はあれ、と古い歴史遺物を探して、少し寂れたポルトの街を訪ね歩いた頃がふと懐かしくなるのも事実です。個人的な心情としては、新しいイヴェント開発や新観光スポット開設などのような、ツーリストに媚びる街づくりではなく、これまでの落ち着いたポルトの街並みを維持し続け、それを紹介していけたらなと思ったりしています。

yugure

ツーリストに媚び過ぎると本当のポルトの街のよさ、美しさが損なわれます。隣国ツーリストに媚びて京都も大阪も、銀座も大きな異変が感じられるようにならないことを夕空に願いつつ。

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2016年9月26日 

2009年に訪れた時のモンセラーは庭園も館も修復中で、当時は訪れる人もほとんどおらず、園内の休憩所で出会った初老のイギリス夫人がわたしたちに話しかけて来ました。

曰く、1940年代に私邸だったモンセラーをポルトガル政府が買い取ったのだですが、そのまま長い間荒れたままに放置されていたのを、この女性たちがボランティア活動を開始し、近年ようやく森と館の修繕作業に及んだとのこと。

あれから7年たった今、館はどのようになったかと期待して今夏、娘たちと再訪してきました。

モンセラーの名の由来はスペインのカタルニア山岳地方にある、俗称モンセラート修道院から来ます。カトリック教会最古の修道会のべネディクト会修道院で、正式名は「サンタマリア・モンセラート修道院」。ポルトガル語では「モンセラー修道院」となります。「Monserrate」の意味はラテン語を原語とする「刻みの山」。ラテン語系のポルトガル語でもserrarは、「のこぎりをひく」、serraは「のこぎり、山脈」の意味。名の如くギザギザ山の集合です↓

シントラ・モンセラー

ちなみにべネディックト会は数あるカトリック教会の中でも最古の修道会で、創設者は5世紀の人、聖ベネディクトス。 後にこのベネディクト会からは、十字軍遠征、テンプル騎士団認可に大きな役割を果たしたシトー会修道会が派生しています。

もうひとつ、スペインのモンセラー修道院で言及すべきは、「黒い、もしくは褐色のマリア像」の存在です。黒いマリア像については諸説ありますが、テンプル騎士団を隠れ蓑とする異端崇拝者のシンボル、マグダラのマリアであると言う説もあります。

テンプル騎士団に付いては、拙ブログで何度か取り上げてきましたが、今夏も2年ぶりにトマールのテンプル・キリスト騎士団修道院を訪れてきましたので、追って再度取り上げていきます。

前置きが長くなりましたが、さて、シントラのモンセラーの森案内です。

入り口
シントラ・モンセラー
門にはあたかも森を護衛するかのような一対のキメラ。レガレイラ宮殿、パリのノートルダム寺院もそうですが、ファンタスティックな仮想動物gargoyleはゴチック建築にはつきものです。拡大してみましょう↓

シントラ・モンセラー

森に入ってすぐ見えるのが巨大な岩戸「Vathek」(ヴァセック)の門。

シントラ・モンセラー

「Vathek」はイギリス18~19世紀にかけてのゴチック作家ウイリアム・ベックフォードの著書名です。ベックフォードのゴチック趣味に基づく、ムスリムのVathekを主人公にしたこの小説は、ゴチック文学の傑作と言われます。が、当時のヨーロッパ社会からすると異教的であり、発表当時は大きなスキャンダルになったと言われます。
ベックフォードは作家であり、子どもの頃はモーツアルトに師事したピアニストでもあり、また、数ヶ国語をあやつり建築にも興味を示した、多才な人であったようです。

Vathekはわたしは未読ですので、内容に興味ある方は検索してみてください。

シントラ・モンセラー
森の中で見られる「ベックフォードの滝」。

シントラ・モンセラー

こちらは18世紀末、ベックフォードが作ったと言われる、クロムレック(Cromlech=列柱の上に乗せた大きな平石を言う)。太古の人々が信仰のために作った古代の遺物。

シントラが太古の昔から神聖な山とされてきたことを考えると、ベックフォードがこうしてまがい物を作らずとも、この「月の山」には本物のクロムレックがないとは言いきれないでしょう。

さて、ここで何度も出てくる「ベックフォード」ですが、若くして莫大な遺産を相続した彼は、当時のイギリスで最も裕福な富豪の一人で、詩人のバイロンとは交友関係があり、バイロンがシントラに住んだと同様、実はこの森を所有して一時期住んでいたのでした。

モンセラー、次回に続きます。
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2016年9月23日 

8月には息子とガールフレンドが、9月には娘と婚約者がと、それぞれ一ヶ月近くいて、毎日の食卓の賑やかだったこと。 普段は7時過ぎにとりかかる夕食も、この夏は5時半ころから下準備のため台所に立ち、おかずも普段より3種類は多く並び、毎回、気持ちがいいくらい完食してもらいました。

占領されていた寝室二部屋も、人の気配なし。ネコのマーキング防止のため、人がいないときはドアを締め切っていた「開かずの間」も再び開かれ、5匹ねこと夫婦二人だけの生活に再び戻り、ふと外に目を向ければ夏の日差しは消え、空も青さが少し薄らぎ、もう秋の気配です。

8月の末に息子が日本へ帰った後は、3日と置かず娘たちがやってきたのであまり感じなかった「ガランドウ感」が、今頃どっと押し寄せて、♪子供が帰った後からは、まぁるい大きなお月さま~ならず、まぁるい大きな空洞感~、なのであります。

が、今回初の丸2ヶ月間の夏休みを終え、来週からはまた忙しく日本語教室を始めます。そう気持ちを切り替えて、日本語授業もボランティアの影絵作成も参りますぞ。

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12月上映に向け作成中の作品

つまり、なんですな、日本語を教えるのも影絵作成するのも勿論好きなことではありますが、これが子供たちのいない異国でのわたしの日常を潤わせているというわけで。となれば、息子はまだ不明ですが、娘の方は将来ポルトガルに帰ってくることはないと見られますので、この二つの仕事は、この先まだまだつづきそうな気配です。生涯現役でまいりまするかな?

本日はこれにて。

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2016年9月21日
 
首都リスボンはもちろんポルトガル一の素晴らしい街だ。しかし、我が街ポルトについて言えば、大きさでは太刀打ちできないが、ドウロ川沿い、大西洋沿岸、そして街並みもリスボンとは一味違う美しさがあり、歴史的にも見逃せない建築物が多く見られる。知れば知るほどその魅力にとりつかれ、すっかりポルトファンになったわたしである。

その地元びいきのわたしが、なんとしても抗えずこれまで度々訪れてきた町がシントラだ。

リスボンから電車で40分ほどのところに、かつて王侯貴族の避暑地とされた小さな町、シントラがある。「月の山」とも呼ばれるシントラ山脈は、古代から神秘的な山として知られてきた。山中のキンタ・ダ・レガレイラ(レガレイラの森)を始め、ペナ城、カプーシュ修道院、ジョニ・デップ主演の映画「Ninth Gate」のロケにもにも使われた私邸など、多くのエソテリックなシンボルが見られる町でもある。

それらの多くは、2008年より拙ブログにてとりあげてきたが、6度目の訪問の今回、改めて紹介していきたいと思う。

本日は、実はまだ一度も記事にしていなかった、Castelo dos Mouros(カステロ・ドス・モーロス=モーロ人の城)。日本語では「ムーア人の城跡」と紹介されているのだが、写真満載でお送りしたい。

シントラ・ムーア人の城跡
シントラ旧市街から見上げる城跡

MourosはMouroの複数でポルトガル語。モロッコ、チュニジア、アルジェリアなど、北アフリカ一帯のマグレブ地方、アラブ諸国を意味する。俗に「ムーア人の城(Castelo dos Mouros)」と呼ばれるが、正式には、Castelo de Sintra(カステロ・デ・シントラ=シントラ城)のことである。

シントラの名前はギリシャ語の形容詞を語源とし、神話にある月の女神アルテミスがCynthus山で生まれたことに由来していると言われる。 紀元前から、この山は月の女神に捧げられ、ケルト人は「cynthiaの月の山」と呼んでいたという。

8世紀にモーロ人がイベリア半島に侵入しシントラの山に城を築いた。以後、12世紀までシントラはモーア人(モーロ人)が占領している。現在わたしたちが町から仰ぎ見るのはその城の城壁(muralha)だけなのだが、この夏は、娘と連れ合いがペナ城を見学している間に、夫とわたしは城壁の頂上まで登ってみた。

シントラ・ムーア人の城跡

入り口から山道へ入ると、周囲は岩だらけ。
シントラ・ムーア人の城跡

この辺りから城壁の一部が見られる。
シントラ・ムーア人の城跡

上る途中で、小宮殿やシャレーの頭を覗かせるシントラの森が見渡せる。
シントラ・ムーア人の城跡

高部の城壁を伝ってこれから頂上へ。
シントラ・ムーア人の城跡

眼下には先に登ってきた底部の城壁が見える。
シントラ・ムーア人の城跡

シントラ・ムーア人の城跡

急な石段を上って。
シントラ・ムーア人の城跡

この辺りで、高度恐怖症気味のわたしは弱気になるが、夫の「引き返してもいいけど、ここまで来たんだからもったいないね」、との言葉に、よし、行ってやる!と決心。
シントラ・ムーア人の城跡

城壁のポイントごとに立てられている国旗は建国から現代の共和国になるまでの、ポルトガルを代表する歴代の国王の国旗だ。

シントラ・ムーア人の城跡
その中に一つだけ、アラブ語で「シントラ」と書かれた旗がはためいている。敬意を表してを表しているのだろう。

シントラ・ムーア人の城跡

こうして、ついに上りきった頂上は人が多い上に足場ば狭く、わたしにとっては危なっかしいといったらなかった。 
シントラ・ムーア人の城跡

たかが高さ420m、が、急な石段を上るのは骨が折れることではあった。近頃、時間がとれず、町歩きをしなくなった運動不足のわたしだ、翌日足腰の筋肉痛になったのは言わずと知れたことである。

上っている途中で、何度も雲の流れが変わり、青空になったり霧になったりと、やはり月の山シントラにふさわしいミスティックな天気ではあった。そして、ムーア人の城壁の頂上の向かい側には、華麗なペナ城が霧の流れで姿を隠したり現したりしていた。
娘たちは今、あの城内を見学しているであろうと、反対側にいる母はそう思いながら、眺めたのである。

シントラ・ムーア人の城跡

うっすらと霧に被われたペナ城をバックに、夫が撮ってくれた一枚。
シントラ・ムーア人の城跡

本日も読んでいただき、ありがとうございます。では、また明日。

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2016年9月15日  

わたしたちが滞在したサン・ミゲル島、Ponta Delgada(ポンタ・デルガーダ)周辺はパイナップル栽培でよく知られています。

パイナップルはポルトガル語で「ananas(アナナス)」と言いますが、子供たちが家にいなくなったころは、よくパイナップルケーキを作り、これはわたしの十八番(おはこ)です。

一度などは、ポルト補習校時代に受け持っていた生徒たちに頼まれて、パイナップルケーキの作り方教室を開いたものです。その後、彼らがそのケーキを十八番にしているとは、親御さんから耳にしているのですが、
嬉しいことです。また、年に一度、同僚のOちゃんと開く個人授業、グループ授業の日本語学習者合同のNHKパーティーこと、「日本語を話す会」でも出します。

アソーレス

さて、アソーレス最後の日にパイナップル農園を訪問してきました。

恥ずかしながら、この日までろくに考えることなく、パイナップルは大きな木になっているものと思っていたおアホなのでした(笑

してみれば、あんな重い果物です、木からぶらさがるなどちょっとありえませんね^^;


アソーレス
パイナップルの温室。

パイナップルは19世紀に南米からサン・ミゲル島に紹介され、現在では写真のように温室栽培されています。

アソーレス

アソーレス
  
アソーレス旅行の最終回は、案内し忘れた写真です。

アソーレス
サン・ミゲル島Ribeira Grande。小さな海辺の美しい町。町から海を望んで。 
 
通りには、意外にもマヌエル建築様式の窓を発見!
アソーレス

こちらは、Frunasの公園。
アソーレス

サン・ミゲル島で見かけた家々。

アソーレス

アソーレス

アソーレス

旅行中、世話になったレンタカー
アソーレス


これで、アソーレス案内は一件落着。
次回は、シントラへ!

本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。では、また明日。


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2016年9月13日 


サン・ミゲル島のポンタ・デルガーダから目指すは三つ目のカルデラ湖Lagoa da Fogoこと火の湖。

途中の展望台、Miradouro de Santa Iriaで大西洋を望む。緑の絨毯を敷いたような突き出た半島が見られ、海の色も空の色も吸い込まれそうなくらい真っ青でした。

アソーレス

アソーレス
 
1831年8月に、この緑の絨毯の中腹では、兵を率いてブラジルからポルトガル本土へ向かうリベラリストのドン・ペドロ4世(ブラジル初代皇帝)と絶対主義者の弟ドン・ミゲル1世の兵とが戦ったことでも知られます。

勝利したドン・ペドロ4世はこの後、1832年7月にポルト北部のメモリア海岸に上陸するわけですが、1829年からドン・ミゲルがオーストリアへ亡命する1834年までを、ポルトガルの内戦とされています。

ポルトの隣町MatosinhosのPraia de Memoriaにあるドン・ペドロ上陸の記念碑オベリスク。過去記事でとりあげていますのでリンクは後記に。

アソーレス

ほぼ山頂にある「Lagoa da Fogo」 火の湖と言う名からは想像しがたい美しい水面のカルデラ湖です。後姿の若い男女は息子とそのガールフレンド。

アソーレス

雲を下に見ながらの帰路でした。
アソーレス


「メモリア海岸のオベリスク」はこちらで↓
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-556.html

アソーレス案内は次回が最後になります。では、また!

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2016年9月8日

アソーレス

サン・ミゲル島三つ目のカルデラ湖はLagoa do Fogo(直訳は火の湖)を含むCaldeira Velha(カルデイラ・ヴェリャ)と呼ばれる自然公園。UNESCOに登録されています。

アソーレス

アソーレス
 
山道をのぼっていくと、最高温度100℃にも上がる温水池があります。

アソーレス

自然公園の中には二つの野外温泉プールがありますが、下がこの温水池から流れこむ温水プール。

アソーレス
  
山道をもう少し上るともう一つの滝がある温水プールがあります。

アソーレス

温水は少し茶色に濁っていますが、子どもも含めたくさんの人に混じって、私を除く我が家の3人も入りました。プールの横にある小さな小屋が着替え場です。
caldeiravelha14.jpg


インフォメーション: 入園料 大人2€
開園時間 4~9月 9:00~20:30   
10~3月 10:00~18:00
11月と12月 9:00~17:00

アソーレス案内はまだ続きますが、本日はこれにて。


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2016年9月8日 

アソーレスはまだ続くのですが、今日は休んで。
息子と入れ替わりに、東京で働く娘が今度はフィアンセを伴って滞在中です。

近頃はスカイプとやらで、ウエブカメラを通せば遠国にいながらにして、顔を見ながら話ができ、わたしたちもこの文明の利器にあやかっているのですが、身近に見るというのは別です。年に一度、日本へ帰国するわたしと違い、4年ぶりの娘の帰国は夫にとっても4年ぶりの娘との再会になります。

8月には息子とそのガールフレンド、9月は娘たち、と我が家の賑やかな食卓は2ヶ月続いていますが、友人から「子供たちが帰った後のリバウンド、気ぃつけや」と言われています。

ええのよ。それは今考えない。その時はその時、それを考えて、今を楽しまないでなんとする!というので、
本日は家族4人で昨日行ってきた、ポルトから車で2時間ほどのオビドスの写真をば。

オビドス

オビドス

オビドス

オビドスを訪れるのは今回で5度目くらいでしょうか。これまで行ったのは春先と7月で、9月の訪問は初めてです。案内はその都度、書いてきましたので町については後記にサイトリンクを貼ります。

オビドス
9月ともなれば、花咲き村のオビドスも少しずつ色あせ始めたブーゲンビリアが目に付きました。


オビドス
 
観光客もさほど多くなく、歩くのにちょうどよい。

でも、今回は新しい発見がありました。
オビドス

ボザーダ(ホテル)の横の教会が、なんと書店になり代わっていました!

オビドス

普通はこ1時間で回れるのですが、2時間ほどかけて後、定番のジンジーニャ・バー「IbnErrikRex」に立ち寄り、
4人でチーズとショリースで、今回はジンジーニャならずビールで昼食。

オビドス

ここのメニューはこれのみ。そして、年取った店主も息子の代に変わっていました。

オビドス

オビドス

歴代のポルトガル王妃に愛された花の町オビドスの城。

オビドス

城内では、ギター曲「アランフェス」が流れていて雰囲気がありました。

下記、当ブログのオビドス過去記事です。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1490.html
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1489.html


本日はこれにて。

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