2016年12月30日 

第一章からのスターウォーズファンとして、レイア姫を演じたキャリー・フィシャーが27日にまだ60歳の若さで亡くなったのは残念なことです。そして、彼女の母親、デビー・レイノルズがまるで後を追うかのように、翌日28日に死去したのも切ない話です。

デビー・レイノルズはわたしにとって、我が青春時代の忘れえぬ歌を歌った歌手でもあり、立て続けの母子死去の報道を耳にし、自分が生きてきた時代が大きくうねって変わっていくのを目の当たりにするような気がします。

かれこれ7年ほど前の今頃に綴ったデビーレイノルズに関する記事を少し書き換えて今日は載せようと思います。以下。


弘前からおじ夫婦のいる大阪へ家出をしたのは「日本海」がまだ急行列車だった1960年初期、わたしが中学生の頃でした。(この時のエピソードは記事の最後に案内しています。)

当時、地方の多くの若者がそうであったように、わたしも父に反抗する気持ちも加わって、こんな古臭い田舎はイヤだと、「都会」への強い憧憬はわたしに家出という手段をとらせたのでsじょた。

立て続けに家出して押しかけるわたしに、おじ夫婦は「困ったものだ」と思ったことでしょう。が、当時、子供がいなかった彼らは、結局わたしを引き取ってくれたのでした。1年後には高校受験を控えると言う中途半端な時期でしたが、おじ夫婦の親切に救われてわたしは中学3年生を大阪で過ごすことになりました。そうして始まった叔父夫婦との1年間は、わたしの人生の最初の転換期になったと思います。

思春期のわたしにとっては都会に生活することもそうでしたが、おじ夫婦が田舎では見られない新鮮なカップルの姿に見えたもので、その夫婦のあり方に当時は少なからず憧れたりしたものです。しかし、両親のもとにいた時のような経済的な不自由がなしと言え、「他人の釜の飯を食う」ということがどんなことなのかを、薄っすらと知ることができた時期でもありました。

弘前の両親との朝食はご飯に納豆だったのが、おじ宅では食パンにバターやマーマレード、ハムエッグにミルクと変わり、週末にはおじの運転で京都や奈良へドライブしたりなどして、弘前にいては見聞できなかった多くを経験できたものです。

それらの経験の中でも特に忘れられないのが「シネラマ」です。シネラマというのは、映画のスクリーンが湾曲しており通常の3倍ほどの大きさになったもので、日本全国で、そのスクリーンを持つ映画館は東京と大阪の二箇所のみでした。

湾曲した巨大なスクリーンで見る映画は音響も当時の普通の映画館で見るのとは俄然違い、映画の中に観客をひきこむような迫力がありました。大阪の梅田界隈だったと記憶しているそのシネラマ劇場におじに連れられて観た映画は「これがシネラマだ」「世界の七不思議」、そして「西部開拓史」でした。

中でも、「How the West Was Won」(=西部はいかにして勝ち取られたか)の「西部開拓史」は、以後わたしの大好きな映画のひとつになりました。もっともこれは白人側の目で見たアメリカ歴史で、アメリカン・インディアンからすると虐殺の歴史にも通じるのですが、本日はそこを置いといて。

映画は、いかだで川を渡り、大草原を切り開いてひたすら西部を目指す1830年代から半世紀にわたるある家族の3世代の物語。南北戦争、鉄道敷設、そしてウエスタン拳銃時代と大きなプロットが入ります。

出演はジェイムス・スチュアート、グレゴリー・ペック、ジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマーク、ヘンリー・フォンダ、キャロル・ベイカー、デビー・レイノルズといった、当時のハリウッドきっての豪華キャストで、アメリカの開拓歴史とともに西部劇の面白さが結集された作品です。

165分という上映時間の長さを忘れてしまう程、興奮の連続でした。その映画でわたしは初めて「フロンティア精神」と言う言葉を知り、「アメリカ」という国のとてつもない大きさ、逞しさに15歳のわたしは圧倒されたものです。

インディアンの襲撃や川をいかだで下る恐ろしいシーンなど、手に汗握る興奮の160分は瞬く間に過ぎ、生き残った3代のジェネレーションを乗せた幌馬車が大西部の砂漠に消えて行くラストシーンは今でも鮮やかに思い浮かべることができます。

映画の中でデビー・レイノルズが度々歌い、ラストシーンでも昂揚的に流れる歌が、以来わたしの頭から離れませんでした。今でこそ、この美しい歌の原曲が「グリーンスリーブス」だと分かるものの、当時は歌の題名も知らず、上映中に覚えたメロディーと歌詞の一部「Away away come away with me 」「Come Come  there is a・・・・」。これのみが、映画のラストシーンとともにいつまでも耳から離れることがありまっせんでした。

この歌が流れるラストシーンは、3代の家族の過去と現在、未来をつなぐ希望の歌であるような気がして、その高揚感がたまりませんでした。

メロディーと耳に残った歌詞の一部を時折口ずさみながら、曲名を知りたいと思いながらずっと分からぬままに、やがて大阪暮らしの1年後、わたしは生まれ故郷へ帰郷、高校受験をし、当時の新設南高校に第一期生として入学しました。

ある日、音楽の授業で若い女教師が「今日はこの歌です」とピアノで引き出した曲に、わたしは頭をガツーンと殴られたような衝撃を受けました。なんと、それはわたしの頭から離れなかった映画のメロディではありませんか!手渡された楽譜をまじまじと見つめながら、その偶然に震える思いで歌ったものです。わたしたちが覚えた歌詞は以下。

 ♪みどりの並木に そよ風吹く頃
  わたしの心も 緑にもえる
  あなたとともに 語る日近いと
  ばら色の雲が 呼びかけて 過ぎて行った

          イングランド民謡「グリーンスリーブス」

後に英語の歌詞も知ったのですが、しかし、あれ?「西部開拓史」で自分が聴いた歌詞とは違うではないの?

♪Alas, my love, you do me wrong
 To cast me off discourteously 
 For I have loved you well and long
 Delighting in your company.

ああ愛する人よ、
つれなくわたしを捨てた残酷な人
心からあなたを慕いそばにいるだけで
幸せだったわたしなのに。

なんだか違うぞ^^; これは恋人に捨てられた恨みつらみの歌ではないか?ついでに書きますと「Greensleaves」と言うのをわたしは辞書でろくに調べもせず長い間高校で習った歌詞の影響で、
「緑の並木」くらいに思ってきたのだが(いい加減な。笑)、実はとんでもない!

一説では、Lady Green Sleeves、つまり「緑の袖」とはイギリスではかつてその職業を表す印として、娼婦がつけることを求められたのだそうで(Wiki) いやはや、それを事実とすれば長年の勘違いもはなはだしいもの!

ネットがなかった時代は下手するとこういう勘違いはずっとそのまま生涯に及んだりすることも考えられるわけで。

さて、2年ほど前に、ショッピングセンターにあるフランス系書店「FNAC(フナック)」で、あの頃見た「西部開拓史」のDVDセットを購入しました。

eiga2-1.jpg

3枚のDVDに映画の説明の小冊子、それに撮影現場の写真も数枚含まれています。写真左上、デビー・レイノルズとグレゴリー・ペックのワンシーン。こういうのを見ると、アメリカはやはりとてつもなく大きな国なのだと改めて思います。

おお、出た!デビー・レイノルズがきれいな英語の発音で歌っており、わたしも15歳の昔と違い、今度はしっかりと歌詞を聴き取ることができました。

♪Away away come away with me
Where the grass grows wild
Where the wind blows free
Away away come away with me
And I'll build you a home in the meadow….

Come Come
There's a wondrous land
For the hopeful heart, for the willing hand
Come, Come
There's a wondrous land
Where I'll build you a home in the meadow

タイトルも「Home In The Meadow=草原の家」と、恨みつらみのグダグダ言った原曲を遥かにしのいで、大いなる希望を抱かせるようなデビーの歌は、わたしが15才のころから抱いていたイメージそのものでした。やっと、やっと巡り合えたわたしのあの歌!新たな希望が全身に涌き出て来るような素晴らしい曲調です。

毎年新しい年が明けるたびに、わたしはなぜか心の中でこのメロディーを口ずさんで来たのでした。

Away away come away with me
Where the grass grows wild
Where the wind blows free

Come Come
There's a wondrous land

「さぁ、わたしと一緒に行こう。
わたしと一緒に希望の土地へ行こう」
 
下ではデビー扮するリリスとグレゴリー・ペック扮するギャンブラー、クリーブが船上で再開するシーンです。


このようなわけで、グリーンスリーブス、いや、デビー・レイノルズの「Home in the Meadow」は、15の大阪時代から半世紀以上を経た今も、この歌を聞くと胸いっぱいに大きな希望が湧いてくるような我が心のエバーグリーンの歌であります。この正月休みには再びこのDVDを鑑賞しようと思います。

デビー・レイノルズ、レイアリ姫、安らかに。

下記、興味あらばどぞ。

急行日本海:夜汽車に乗って(1

急行日本海:夜汽車に乗って(2)


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年12月28日 

25日のクリスマスは、恒例の昼食会でアヴェイル(Aveiro)市に住む義姉宅に家族が集まりました。

わたしはと言うと、朝7時にはご飯を仕掛け恒例の持ち込み料理である巻き寿司を作り、今年はそれにトリのから揚げも一品増やしてみました。

sushi-1.jpg

義姉宅での昼食はレイタォン(Leitão)が定番です。レイタォンと言うのは「子豚の丸焼き」のことで、これはポルトガルではご馳走なのです。義姉宅では丸焼きを注文して、それを食べやすい大きさに切るのには、コツが要り、毎回、義姉の長男の役割です。わたしたちがアヴェイルに到着すると、大きな体にエプロンを締め、肉切り包丁を手に子豚と奮戦している姿をいつも目にします。

子豚の丸焼きは下のように切られます。焼きたては皮がパリパリして、とてもおいしいのだそうです。

kobutamaruyaki

が、わたしはこれが食べられないのです。こんなおいしいものが!とすすめられてもダメッす。肉類を食べることから遠ざかりつつある今では尚更いただけません。それを知っている義姉は、しないでいいと毎年言うのに、わたし用にと牛肉を用意してくれるのですが、これも食べきれず、困ったものなんですね。

義姉宅で昔もろに目にした最初のショックが↓、未だ尾を引いているのであります^^;
kobutamaruyaki

そのままの画像を載せるのはキツイと思い、色具合に少し手を入れました。皿にのっかってるのが子豚ちゃんの頭でありんす。

値段はというと、1キロが20ユーロ前後でしょうか。10キロですと200ユーロ(約25000円)くらいになります。バカリャウ(大ダラ)同様、その時期になると値段が跳ね上がります。日本では5キロ3万円くらいでいただけるようです。

どこぞの話に、とある母親が、幼稚園で子どもに食前の「いただきます」を教えたところが、給食代を払っているのだから、うちの子には「いただきます」など、教える必要はないと、ありましたが、「いただきます」が言わんところを英語にするとこうなるのだそうですよ。
「I am so sorry for taking your life and am greatly appreciate to be able to have your life.」

肉好きにとっては、一度は食べてみたい子豚の丸焼きだそうですが、この子豚ちゃんの顔を見ると、とてもとても・・・つくづく、命をいただいて生きているわたしたち人間の業に思いを致すのが、イースター、クリスマス、新年の食卓ではあります。

kobutamaruyaki

別テーブルに並んだ左上下はドライフルーツ、(上、左から)大好きなプディン、Bolos de Gema(Gema=卵の黄身)、お姉さんが作ったPão de ló de Ovar(Ovar式のカステラ。カステラはポルトガルではパン・デ・ロと言う。これについてはこちら、「カステラはポルトガル語か」で、どぞ)。

下、左から、クリスマス、新年の食卓に必ずのるラバナーダ(揚げパンをたっぷりの甘いシロップに漬け、シナモンをふり掛ける。フレンチトーストに似ているが、味は別物)、Bolo Rei(ボーロ・レイ。王様のお菓子の意味)、最後がFilhoses(フィリョーゼス。揚げパンの種類)。

こうして昼食を含め、何時間も食べては話し、飲んでは話し、ポルトガルのクリスマスはとにかく胃が丈夫でなければ、持ちこたえられませんぞ。

この日の一食だけで、丸いわたしの顔は輪をかけてまんまるになるわけであります。休息にと義姉の家のベランダからこんな景色がみえました。

aveiroDec-1.jpg

平和なり。

ではみなさま、また明日。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年12月21日 

師走の12月、日本ではお歳暮の時期でもある。クリスマスも今週末にせまり、まだまだプレゼントの買い出しに駆け回る人も多いポルトガルだが、日本のお歳暮にあたるのではないかと思われるひとつが、「カバス(Cabaz)と呼ばれるグルメセット籠です。

cabaz
12月ともなれば、大手のスーパーに並ぶ。

ワインを始め、缶詰、ハムソーセージ類、チーズ、ジャムなど、中身は選ぶことができます。

cavaz2.jpg
Wiki より。Cavaz(果物かごの意味)値段はと言うと、40ユーロくらいから上は300ユーロを超えたりする。

日本と少し違うところは、職場の上司や仕事関係のお得意先への義理がらみの付け届けはしない、という点です。丁度クリスマスとあいまって、一年を振り返ってみてお世話になったと思われる人に感謝の印としてクリスマスの贈り物を届ける、という具合です。

この他、、生ハムの脚一本とか、この時期には欠かせないバカリャウ(Bacalhao=大きな干しダラ)などがあります。
 
produtos2016-1.jpg

生ハムの脚一本。食べるために下は薄くきったもの

presunto3-1.jpg
                     
わたしはこの生ハムが大好きなのですが塩気が多いので近頃は血圧の関係上、極力避けなければならないのが残念至極。

bacalhau2016.jpg
Wiki より。 大きなバカリャウ一枚は5キロ前後、42x92cmの大きさで、厚みは一番分厚いところで5cmにもなる。

上の写真は一枚のバカリャウの切り方を示しているが、切り売りも多い。なにしろ、一枚全部は値もはる。

さて、今日は生ハムにまつわる古い話を引っ張り出しましょう。以下、どぞ。

かつて庭付きの借家に住んでいたころの話ですが、冬の間の湿気を追い払うのに、日中は車庫の戸をよく開け放していたものです。今の自宅フラットと違い、当時は夫の書斎がなく、写真に見られる生ハム、もらって大いに嬉しいのだが、置き場所に困り、車庫の壁にぶらさげて置いたものです。

ある日の夕方、車庫に車を入れ終えて「ただ今」と家に入ってきた夫いわく。

「生ハム、君、上にもってきたの?」
我が家は3階建ての家屋の一番上であった。
「あんな重いもの、わたしが抱えて来れるわけないじゃない」
「でも、壁にぶらさがってないよ」
「ええ??」

慌てて車庫へ行って見ると、確かに夫の仰せの通りあるべき場所に生ハムの脚が・・・ない@@
車庫の奥へツーッと目をやりましたら、れれ?車庫の奥のワイン棚にずらり並んでいるはずのワイン、ウイスキーの本数もガバと減ってるではないか!

し、しまった!そうです、こそ泥にしてやられたのでありました。

当時のわたしは、常日頃から窓開放主義、全面的に人を信頼する人間(笑)日本にいたときからきちんと戸締りをするなど心がけたことがないのです。仕事で日中空けているアパートも、当時飼っていたネコのポチが自由に出入りできるようにと、表通りに面した台所の窓は、いつも少し開けっ放し。それでもあの頃の日本は世界一安全な国と謳われたように、一度も空き巣に入られたことがない。

そんなものですから、ポルトガルへ来てからも風通しをよくするためにと、何の疑いもなく車庫のドアは、特に夏は、そして冬でも天気のいい日には開けっ放しにしておりました。

どうも、それで目をつけられていたようです。

考えて見ると、それまでにも何度かおかしいなぁと思ったことに思い当たる。「確かに夏のシーツ全部を車庫のここに置いたつもりなんだがなぁ。見あたらない」とか、「あれぇ?亭主がいただいた陶芸作家の人形一式の箱、どこへいっちゃんたんだろ・・」等々。

のんきなわたしは、多分自分か夫が整理して車庫の棚に乗せたのだろうくらいに思っていたのですが、思い当たる節がたんとあることにそのとき初めて気づいた。道理でそれらが出てこなはずです。

ふん!ワイン、ウイスキー、それにこの生ハム一本で、こそ泥たちめ、今宵は酒盛りかと思うと、さすが、のほほん者のわたしも面白くない。

こういうことが数回あったというので、物を盗まれるよりも自分が家にいるというのにこそ泥が堂々と入っていたいうことに恐れをなし、とうとうわたしはドア開放主義を止め、以来車庫のドアをしっかり閉めることにしたのでした。

今はこの生ハムを狙う相手が「こらぁ!」の一言で散らばる、たかがネコたち(笑)可愛いもんです^^

バカリャウに関しては下記に記事を書いています。よろしかったらどぞ。

・「これがなくては始まらないイヴ


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年12月20日 

気のあった者同士、いつもの4人仲間で忘年会をしようよと、先日曜日はポルトダウンタウンのレストランで昼食をしてきました。

moinhodevento.jpg
よく利用するポルトガル伝統料理のレストラン「Solar Moinho de Vento 「風車」の意味。

ポルト在住期間も来年5月から39年に入ろうと言う長老(!)のわたしを始め、30年程の同年代二人、それにおそらく20年近くの若いOちゃんと、各々、ポルトガル人の連れあい抜きの会食ですから、みな本音がでることでること。その間柄ゆえ、久しぶりに会っておしゃべりするのが楽しいのです。

かつては子育て、子達の日本語教育等が我らの話題の中心でしたが、やがてその子どもたちも、Oちゃんのを除いては独り立ちし、うち、我がモイケル娘を含む3人は所帯を持ちです。長年共にポルト補習校に携わってきた同僚だったI氏は既に二人の孫がおり、「次はあんただね」と今回は囃し立てられて参りました。が、こればかりは天のみぞ知る。

さて、そうこう話しているうちに、話題の行き先が老後を越えてその向こう、つまり終活となるのが、近頃定番になって来た我らであります。一人が、実は時間的、距離的に墓守も大変なので兄弟で話し合った結果、日本での墓地を売ろうとしたところが、お寺から「では、土地を平地にして返してください」と言われ、その費用に200万円かかると言われた、とのこと、なんとまぁ!!

してみると、亡くなった我が母の実家、弘前にある先祖代々の墓も、おじたちの連れ合いたちも分骨などして、現在墓守をする従弟も子供がいないもので、先の問題がもちあがっているのを耳にしましたが、核家族化し、少子化になり、古い慣わしが消滅しつつある事態が、都会のみならず田舎にも押し寄せているのだなぁ、と思わされた一件でした。

ポルトガルと言えば土葬の習慣でしたが、近年はCremaçãoと言って火葬を望む人が増えて来、古い習慣の変化はこの国にも色々現れてきています。で、今回わたしたちの終活話で持ち上がったのが、ロッカー式納骨堂です。

ポルトガル語でColumbário(コルンバーリオ)と言います。先祖代々の墓地があれば別ですが、それも
田舎にある場合は、新しく墓地を買い求めたりするのですが、土葬だと日本同様、高いのです。それで、近年出てきたのがこのコルンバーリオです墓地の一角にこんな感じで設置されています。

columbario1.jpg

う~ん、あまり入りたないな、と見た目に思ったものですが、同じポルトに子供たちが住む友二人と違い、
夫とわたしの場合は娘はもう日本在住確定ですし、息子も今のポルトガルの状態では帰ってこない確立が高い。

ならば、誰も来ぬ墓地などあっても仕方あるまい、あるいはこのロッカーも要らないかもね、と夫と話していたのが去年くらいでしょうか。すると、今年の春先、突然夫が「買ったよ、将来の家」と言うではないですか(笑)

えー!、どこに?いつの間にそんなお金、持ってたの?と問うと、「だから、ほら、近くの墓地に」 がーーーん!何が将来の家よ、冗談きついよ。聞くと義兄も義姉も同じブロックに買ったという^^;なんだかなぁ、と思いながらもさすが仲のいい兄弟だわい、と受け入れざるを得ないのでありました。

わたしたちからするとまだまだ若いOちゃんそっちのけで、60代の我ら(来年の1月までかろうじてひっかかることができるわたしだw)、レストランで食事しながらこんな話に盛り上がり、わーっはっはと時に大笑いして盛り上がっていたとは、満席の周囲の客たちはつゆ知るまい。

どうもどうも皆様、クリスマス間近、年末お正月も少しに控えているこの時期に、滅相もない題材でごめん遊ばせ。

食事も終わり、今年もI氏の畑でとれた貴重な大根をヨッコラショとかついで、その重さで少し汗をかきながら、人出で賑わう暮れかかったポルトの市庁舎通りをのぼって帰宅したのでした。

daikon.jpg
虫食いがあり見た目は悪いが、水分たっぷりのI氏の大根はまことにおいしい。

本日も読んでいただきありがとうございます。
ではまた!
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年12月16日 

毎年のことだが、この時期の悩み事にクリスマスのプレゼント買出しがある。

家族を始め、クリスマスの祝いに集まる親戚の大人子ども、普段あまり付き合いのない親戚にも届ける。その他、名付け親であればその子どもたち、それに常日頃お世話になっているお医者さん、ポルトガル語を習っているディアス先生、お手伝いさんもいる。

わたしの場合、息子、娘、妹などが日本にいるので、テーブルワインを送るなどすると、中身より送料の方が高いということが、ざらにある。ポルトガルは送料が高いのだ。

プレゼントはもらったら喜ばれるものを、と、あの人にはこれ、この人にはこれと、一人ひとりを思い描きながら買おうとするのだが、いよいよNatal(ナタル=クリスマスのこと)と切羽詰まってくると、それどころではない。とにかく人数分の数を揃えなきゃ、と相なり、ごった返しのショッピングセンター、書店を回ったりするので、体力たるやなかなかに消耗するのである。

息子と娘の学校教育が終わるまでは、どうしても教育費にお金がかかっていたので、限られた予算でたくさんのプレゼントを用意するのは決して楽なことではなかったのだが、今年は、わたしたちにとっては「エイヤ!」という気分で少し奮発してみることにした。

するとまぁ、あららと言う間に、先週で買い物はほぼ終了。あっはっは。買い物に時間がかかったのは、
予算とにらめっこしながらだからなのだと、今更知ったというわたしである。

ポルトガルのボーナスは昔から給料の一カ月分となっているので、夫がまだ若かった頃は、ボーナスは全部クリスマスプレゼントに使われていたの。夏は夏で出たボーナスは家族旅行に費やしていたのだから、端から見ていたわたしは、いったいこれでどうやって貯金できるのだろうか、と焦ったりしたものだ。

natal2016

プレゼントはもらうより上げるほうが楽しいし嬉しい、と思うようになったのは近年のことである。
わたしは夫からのプレゼント以外は(毎年、日本への航空券なのだわさ^^)、クリスマス、誕生日と言えどもなくても構わない。取り立てて、欲しいものはもうないといってもいい。いただいてどこぞに仕舞いこんでいるものがどれだけあるだろうかと思うと、もったいないな、の感がある。

そこで、数年前から夫には、プレゼントの対象は子どもだけにしないかと提案してあるのだが、夫の考えは違うようだ。また、子どもには日本のお年玉のようにお金であげるのはどうかと、再三夫に言ってきたのだが、これも受け入れてもらえなかった。

子供が小さいうちは物であげるのもいいが、たくさんのプレゼントの中にひとつ「お金」があってもいいのでは?物の場合、ダブルこともありうる、それに、わたしは長年チャイナフリー(チャイナ製品ボイコット)主義なので、ほとんどの子どもおもちゃがチャイナで作られるゆえ、そうでないおもちゃを探すのが大変なのである。お金なら、子供が積み立てて将来何かにつかうことができようし、それで好きな物を買うこともできよう。

そう提案してきたのだが、その習慣がないポルトガルのことゆえ、夫はわたしの提案を受け入れてこなかった。が、今年は、12才、13才になる子どもたちには、ついに日本からわたしが持ってきた「お年玉」
袋に入れて渡すことになった。なにしろ、おもちゃを上げる年齢ではもうない。かといって、身に着けるものも、それぞれ好みが出てきて、あげた物が必ずしも喜んでもらえるとは限らない。図書券と言う手もあるが、それも本好きならではの話だ。

ふっふっふっふ、だんなさん、ね?わたしの言うことも一理ありますでしょ?数年内には、サントス一族のクリスマス祝日には、大人へのプレゼントなしということもあり得るかしら?

なにしろ断捨離を始めているわたしである、なのに、毎年毎年、物が増えるのは実は困るのであります。
欲しい人があればあげるのだが、それも気をつけねばならない。下手すると周りまわってそのプレゼントが贈った当人に渡らないとも限らない。クリスマスは色々気を使うシーズンでもあるのだ。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年12月15日

本日は、お知らせです。

ペンギン翻訳さんの協力のもと、ポルトガル雑貨のミニ販売会第2弾を開催いたします!

日本ではまだあまり知られていない、ポルトガルの暮らしが垣間見えるようなグッズを、小さなエピソードたちと共にお届けします。お時間のある方、お気軽に立ち寄っていってくださいね。

【東のポルト屋】

日時:12月17日(土)11:00~18:00
(販売アイテムがなくなり次第終了となります。)

●会場:ペンギン翻訳
千葉県市川市真間1-15-21 真間ビル401
 ★JR市川駅から徒歩5分、京成市川真間駅から徒歩1分
和菓子屋「市川ちもと」」のドウロを挟んで向かいのビルになります。
2階に「まつげエクステサロン」のがございます。

前回好評だったポルトガルアイテムプチ販売会を再び開催致します!今回は一部商品が20-30%オフ!クリスマスギフトに是非いかがですか?

商品はどれもポルトガルに行って買いつけてきた一点もの。 日本では手に入らない、ユニークでカラフルなポルトガルならではのデザインは、年末年始を華やかに彩ること間違いなし!前回並んだアイテムに加えて、さらに新しい商品も登場します。

当日はポルトガル生まれポルトガル育ちの買い付け担当スタッフもいますので、商品にまつわるエピソードも詳しく聞くことができますよ。
「ポルトガルに行ってみたい!」
「ポルトガルってどんな国?」
「ポルトガルってそもそもどこ?」

という方…是非お越し下さい!
(ちなみに、主催者はドバイで暮らした経験がありますので、ドバイに興味がある方も是非(笑)

とは、「ペンギン翻訳」の主催者と「東のポルト屋」店主からのメッセージです。

雑貨の一部を紹介します。

portugalgoods

↓【限定2冊】レロ書店のコルクノート
世界遺産に登録されている『レロ書店』のコルク製ノート。レロ書店は、ハリー・ポッターの著者であるJKローリングがよく立ち寄ったお気に入りの本屋だったとか。
portugalgoods

開くと中にはこんな、レロ書店のクラシックなロゴマークのページが含まれています。
portugalgoods

パッケージがかわいいポルトガル石鹸!
Portuguese soap with lovely design.

portugalgoods
portugalgoods

ポルトガル伝統の「恋人たちのハンカチ」モチーフを使ったコーヒーカップ
portugalgoods

portugalgoods
真ん中はコルクを材料に使った万能バック。雨に濡れても大丈夫。

portugalgoods
アソーレス・マデイラ地方のハンドメイド刺繍のクリスマスモチーフ。普段のコスターとしても使える。

冷やかしでも結構、よろしかったら是非お時間を見ておでかけください。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年12月8日 

去る九月に娘夫婦と訪れたシントラの「コルクの修道院」の紹介です。

シントラ山脈には樹齢幾千年もの樹木が生い茂っており、古くから大地の気が感じられると言われてきました。うっそうとした森の間からは離宮や小宮殿が姿をのぞかせ、王侯貴族や詩人たちを魅了し、今もその幻想的な華麗さで多くの人々を惹きつけています。

シントラの旧市街から8キロほど登った森の中に「コンベント・ドス・カプーシュス」または、「サンタ・クルス修道院(Convento da Santa Cruz」、俗に「コルクの修道院」と呼ばれる無人の修道院があります。

capucho
岩と樹木に囲まれた修道院の入り口

16世紀半ばに、セバスチャン王の顧問、Dom Álvaro de Castroの許可を得て8人のフランシスコ派修道士が住み始め修道院を造りました。フランシスコ派は厳格な清貧主義者として知られ、頭巾(カプーシュ)のついた衣を着ていたことからこの呼び名が広まりました。
 
capucho

capucho

今度で3度目の訪問になりますが、近年観光化に力を入れている諸所の歴史建築物と違い、この修道院は元が質素に出来ているので、余計な手を入れると本来の姿が失われそうな気がわたしはします。

capucho

修道院への入り口。全て近辺の森で拾い集めたコルクで造られたと言われます↓
convento_dos_capuchos_2.jpg

それでも、例えば内部には、わたしが始めて訪れた2008年にはなかった通路にライトが取り付けられていました。

capucho

通路には大きな岩がそのまま突き出ています。
capucho

訪問したこの夏はところどころ修繕の手が入っていました。
capucho

capucho

現在の修道院の中庭↑と↓数世紀前の中庭。十字架が立てられた大きな岩をのぞいてはほとんど変化がみられない。下の図右に見えるのは礼拝堂で現在もそのまま残されています。

capucho

今回は娘夫婦を誘って石の山道を上り最初に来たときに見た岩穴を見に森の中に少し入ってみました。この手の山道は降りる時が怖いのです。
capucho

恐らくここまではツーリストも上ってこないであろう。

capucho
8年前と変わらぬままの岩穴。

もっと森の奥深くまで上ってみたい気があったが、石道を降りるときの危なさと時間の余裕がなかったのとで、諦めて降りたのでした。

かつてはシントラの穴場であったレガレイラの森ですが、現在多くのツーリストが押し寄せていることを考えれば、コルクの修道院は未だ、訪れる人も少なく、願わくはこのまま太古からの大地の息遣いが感じられるような状態を維持してほしいと思いながらもこうしてわたしがするように、訪れた人たちがブログ、写真等で紹介することにより、本来の静寂は破られていくのでしょうか。

秘境が秘境でなくなるわけですが、しからば、これからは、どこと言わず、写真だけ掲載しようかしらん?などと思ったりするのでした。それは、ちとないでしょうね。はははは。

なお、この修道院については2008年にも写真と併せて詳しく書いていますので、興味のある方はどぞ。

 コルクの修道院(1) http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-582.html
 コルクの修道院(2) http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-590.html
 コルクの修道院(3) http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-594.html


では、また!
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年12月5日 

恒例の食事会をしようよ、と4人仲間の大阪出身の友から今朝電話があった。今年はポルト日本人会の忘年会がなくなり新年会になったので、それじゃ、時節柄忘年会と行こうかとなり、しばらくぶりの電話だったので、ついつい長電話に興じた。

その彼女、「この頃、目が悪くなったような気がする。車幅をとるのがどうも今一上手く行かなかったりしてる。車の運転が怖い」と言いだした。日本に帰国した時、眼鏡を作ってもらったようで、その時に少し白内障のケがありますねぇ、と言われたと言う。年を取ると多かれ少なかれそのケが出るので心配いらないと思います、とも言われたゆえ、そのままにしてるのだと。

それはいかんぜ。何もなかったらそれで万々歳、眼科へ行きなはれ。と言いながら、先だってから何度かやらかしている自分の粗忽を思い出し、ねぇねぇ、と彼女に語りだした今朝のことである。

若いときから強度の近眼であるわたしだが、その分、どうやら老眼には縁がなさそうだ。寝付く前のベッドでの読書は今でも裸眼だが、立っていると床の上に何が落ちているかも見えないわたしだ。つまり、自分の身長分の153cmの距離にあるものが、よく見えないということである。

ポルトガルの夏の日差しは日本よりきついと思われるので、随分昔から、春夏秋冬、外では度付きサングラスが手放せないで今日まで来た。サングラスと言っても外側から見ると色が付いているのだが、それをかけているわたしから外を見ると、さして暗くは見えない質のレンズである。

かれこれ三つほどを買い換えて使ってきたのだが、しばらく前のこと、飼い猫に床に落とされ、まだ新しかったサングラスのツル(耳にかける部分)の片方がポキンと折れてしまった。そこで、行きつけのめがね屋に持っていく直しようがないと言われ、フレームを買い換えることにした。フレームに合わせてレンズの形に少し手を入れたという。

で、某企業での日本語授業が終わって4階にあるおエライさんの部屋を出たある日のこと、階段を下りて車を置いてあるショーウインドーの一階フロアに来たところで、バッグからサングラスを取り出してかけたところが、おろろ???なんか、焦点があわないぞ、え?え?と、もう一度サングラスを目から外してかけ直す。げ!よく見えない・・・目がどうにかしたんじゃないかと全く焦った。

右手に持つサングラスに目を落とすと、がーーん!片方のレンズが入っていないではないか!
こんな具合(笑)

sunglass1.jpg

なにかのはずみでレンズがはずれてしまったようだ。これじゃぁ、焦点が合うはずもなし。びっくりした。それにしても、こういう状態のサングラスに気づかず、そのままかけるとは、わたしも随分とのほほんものではないか。レンズは意外と簡単にフレームに納まり使い続けていたのだが、以来、ちょくちょく外れるようになった。

週に1、2回ほど食料品の買出しに行くエル・コルテ・イングレーズデパートでの先週こと、買出しを終えて車のトランクに食料を入れ、運転席に座り、さて発進とエンジンをかけて走りかるや、どうも視野がおかしいと思い(ちなみにデパートの駐車場は少し暗い)、サングラスを外すと、やや?レンズが片方入っとらん。

即、車を止めてレンズはいずこに?と運転席、駐車場の自分が歩いてきた跡を引き返して探してみたが見当たらない。まさか、デパートの中でレンズを落とし、そのまま気づかずに歩き回っていたってか?い、いやいや、いかなわたしでもそこまでおトンマではないと思うんだが・・・

と、ここまで話すと、受話器の向こうで聞いていた友、きゃーはっはっはと笑い出し、止まるものではない。「あんた、ようやってるわ。丹下左膳(たんげさぜん)なり」・・・・

若い人たちは存じないかも知れないが、丹下左膳とは林不忘原作の時代小説シリーズで登場する隻眼隻手(せきがんせきしゅ=片目片腕)の主人公のことである。弘前の下町で幼い妹とともに近所の手下ども相手にチャンバラ遊びに明け暮れた子ども時代のわたしにとっては、大菩薩峠のニヒルな机龍之介同様、我がヒーローの剣客の一人であった。こんなん^^ ↓

tangesazen.jpg
大友柳太郎の丹下左膳。画像はwikiより拝借。

ふふふふ、おぬしも歳が分かろうというものじゃのぉ~、と友を笑い、友に笑われ、若い時であればすっかり赤面して人に話すのもはばかれるであろうおアホな失敗談を、笑いすごして楽しめるような歳になったのだねぇ、と、これまた二人で妙に納得して電話を切ったのであった。

レンズはどうなったのか?はい、車の後ろ座席に落っこちてありやんした^^; とっつばれ(津軽弁でおしまいの意味)

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
2016年12月1日 

独立回復記念日で休日の今日、昼食を兼ねて夫とダウンタウンへクリスマスプレゼントの買い物に行って来ました。

そして入った店が「Burel(ブレル)Factory」ブティック。

burel

ブレルというのは古くから独得の製法で作られたポルトガルの伝統的なウール100%の布のことです。
ポルトガル北部、セーラ・ダ・エストレーラ(星の山脈の意味)にあるMangeigasという小さな村で生まれました。
しっかりした糸で織り込まれた布は固く、昔から雪が多く風が強い北部の山間部でマントやコート、チョッキやズボンなどを作るのに用いられて来ました。、

burel

展示されてあるマントやコートに触ってみましたが、これなら風を通さないだろうと思われるくらいゴツッとした手ごたえがありました。

burel

この丈夫なブレル布を利用して、ブレルファクトリ社ではファッションやハンドバッグ、カーペット、スツールなどの室内装飾関係にも進出しました。

burel

ポルトガル語でMochila(モシーラ)と呼ばれるバッグパック。
mochilauprotatedbaggray.png

フード付きのMochilaも面白い。↓
mochilaCapuz-1.png

その中に、今回わたしたちがクリスマスのプレゼントにと数枚選んだ「マンテカ(Manateca=)」と呼ばれる軽くて柔らかいショールがあります。

burel
何よりも暖かい点がいい。ショールにもひざ掛けにも使用できます。


burel

写真撮影の許可を得ましたら、階下もどうぞというので、見てきました。

burel
↑ブレル布とその布を作り出す糸↓

burel

布物には目がないわたしです、 取材に年内にもう一度この店に来ることになりそうです。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村