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2017年12月30日 

「子どもは別として大人同士のクリスマスプレゼント交換は止めない?」と、ここ数年夫に提案しているのですが、なかなかウンと言いません。

70にもなると、いつ何時どんなことが起こるやも知れない。もし家の中の物をこのままにして逝けばで、後に残る者が整理するのに多大な時間を要すると思い、日本に住んでいる我が子たちにしろと言うのは酷であろうと、できるだけ暇を見ては断捨離なる身辺整理の真似事をし始めています。それで、大して必要でない物はこれ以上増やしたくないのが本音なのです。

物を持つということは、結局それに縛られることにもなるというのをわたしたちは忘れがちです。かく言うわたしも、しっかり縛られそれからの解放を試みてもいるのです。

ところがポルトガルのクリスマス大人も子どもも親戚中が顔を合わせて、それぞれ人数分プレゼントを用意するもので、クリスマスツリーの下に置かれるプレゼントたるや、大変な数になります。もらうんだから文句言うない!と言われればそれまでですが、しからば、「わたしはプレゼント、要りません」と宣言するのも角が立ってなんだかねぇ。それで夫に、子どもにはしましょう、でも、大人には止める方向で持っていくのはどうかと言っているのですが、難しいようです。

書き入れ時の12月に、ポルトガルの大人がみなそんなことをしたら商売あがったりだと怒られそうです。が、
プレゼントに費やすお金を例えば図書券のような、ホームレス支援券とか動物愛護協会支援券とか、そういう類の社会援助券の如きが作られるのはどうだろうか、なんてことを考えたりします。

わたしが夫の親族にあげるものは、だいたいが帰国時に用意してくる陶器類、塗り箸、扇、人形など日本の小物です。それとて、毎年プレゼントしているうちにダブルようになります。金額関係なく喜んでもらえる贈り物を選ぶのはなかなか骨の折れることで、それだからこそ選ぶ楽しみがあると言えるのでしょう。

というので、毎年夫の兄弟親族からのクリスマスのいただきものをどっさり抱えて家に帰って来ては、はて、これらをどこに押し込もうかと思案します。自分の趣味に合うものもあり素敵だなぁと思うのですが、もう飾る場所も無ければ押し込めるところもなく、何としょう、となります。

今回紹介するのはわたしがいただいたプレゼントの一部、実は好きなBordallo Pinheiro(ボルダーロ・ピニェイロ)社の陶磁器です。

ボルダーロピニェイロ

真っ赤なトマトの器とクリスマスツリーの模様が施された、これまた真っ赤な皿です。Bordallo Pinheiro 社の作品には全て、下の画像に見る真ん中にカエルのデザインが入ったロゴがつきます。

ボルダーロ・ピニェイロ

ロゴにもあるように、創立1884年、工場はポルトガル南部、リスボンに近いCaldas da Rainha(カルダス・ダ・ライニャ)にあります。2008年のポルトガル全土を襲った経済危機で危うく閉鎖に追い込まれるところでした。

このニュースが流れた時は、わたしも、これでポルトガルの伝統工芸がまた一つ無くなるのかと、残念に思ったものですが、Viseuに本拠を置くVisabeira複合企業グループが買い取り、閉鎖を免れました。

ボルダーロ・ピニェイロ社の食器の特徴は野菜やフルーツ、魚、動物をデザインに使い、鮮やかな色具合に仕上げられていることです。

特に下にあるキャベツをモチーフにした器はボルダーロ社の人気ナンバー1と言えます。

ボルダーロ・ピニェイロ
我が家の台所の壁に飾ってキャベツモチーフです。同じく下のキャベツモチーフ大皿はわたしのお気に入りで、いつもポルトガルの年越し料理をのせるのに使っています。それで、左端真ん中が少し欠けてしまいました。

ボルダーロ・ピニェイロ

日本語教室の同僚Oちゃんに以前いただいた魚の大皿です
ボルダーロ・ピニェイロ


ついでに、わたしが「ねずみのアナトール」と名付けて台所に置いてあるチーズケースも紹介させてください。

名前の由来は以下の通りです。

「わたしのねずみのアナトール」

「ねずみのアナトールは、フランス一、しあわせもの。パリのちかくの、小さなねずみ村に、おくさんのドセットと、六人のかわいい子どもたちといっしょに、すんでいます。」(本から引用)

と始まる小学生向けの本があります。

アナトール
Wikiより

ある夜、いつものように、家族のためにえさを漁っていると、自分たちの種族が「フランスの恥!」とまで言われて、人間から忌み嫌われていることを知ります。
 
プライドのある「ねずみのアナトール」は、その言葉に傷つき悲しみ、なんとかできないものかと知恵をしぼり、食べ物をもらう変わりに毎夜忍び込むチーズ工場に、「最高においしい」「まずい」と、チーズの味の感想を書き込んだカードを残して行くことを考えつきます。

工場ではその感想を参考に味を改良していき、チーズはやがて大いに売れることになるのですが・・・

週末のかつての我が職場、ポルト補習校でも4年生の国語教科書で取り上げられ、子供たちと一緒に楽しんだたことがありますが、さすが食文化のフランス、なかなかにウィットに富んだお話でした。

実は我が家にも「ねずみのアナトール」がいるんです。え? spacesisさんとこ、飼い猫が4匹もいるのに、ねずみもいるんですか?なんて聞かれそうですが、うふふ^^ ご覧ください↓

ボルダーロ・ピニェイロ

チーズをかじっている我が家のアナトール君です(笑)

夫はチーズ好きで食後には必ずと言っていいほど食べるのですが、中にはかなり強い匂いのチーズもあり、こういう時にはこの蓋つきチーズトレイはとても助かります。30cmX22cmの大きさで、チーズの塊が大きいポルトガル、ちょうどいいのです。

ふたを持ち上げる時は、アナトール君をつまみます(笑)絵をよく見ると、ネズミを追いかけるネコまでちゃぁんと描かれていて、わたしはとても気に入っています。

と、ポルトガル伝統工芸ボルダーロ・ピニェイロ社の陶磁器を紹介しましたが、和食器にはやはりかなわないのではないかなと思っております。一時期は帰国するごとにデパートを覗いては、少しずつポルトガルに持ち込んで来た和食器ですが、ある日、気がついたのです。ポルトガルの食卓には和食器は全く合わない、と・・・・

そして、上述したように、もう収納する場所がない。そんな訳で近年は、デパートの食器売り場を覗くとゼッタイ手が出るので、その売り場だけ足を向けないようにしています。

では、今まで日本から持ち込んだものはどうしているかと言うと、ボランティア活動の「日本文化展示会」がそれらの出番なのであります。

本日はクリスマスプレゼントからこんな話にまで及んでしまいました。

本年度も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、みなさま、どうぞよい年をお迎えくださいませ。
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2017年12月29日 

長い間、雨が降らず南部地方では旱魃の話も出始めていましたが、ここに来て、ようやく雨天が続いているポルトガルです。

野良ネコたちにとり雨は辛いのですが、我慢してがんばっておくれよ、そのうち晴れる日が来るからね、と傘をさして餌運びするここ数日です。

さて、本日はFrancesinha(フランセズィーニャ)の話です。

息子も大好きで、リスボンに住んでいた時はポルトに帰ってくると、必ずフランスズィーニャを食べにいっていました。フランセズィーニャの本場はポルト。

YUKOfrancesinha
レストランYUKOのフランセズィーニャ

食パンの間には、ハム、ソーセージ、肉、チーズが挟まれており、その上にたっぷりのとろけたチーズがかけられています。中身はこういう具合い↓

YUKOfrancesinha
おいしいものをありったけ詰め込んだようなボリュームたっぷりの、言うなれば、特性サンドイッチです。

好きな人はこの上に更に目玉焼きを載せ、フライド・ポテトをつけます。ビール、ワインには最高!カロリーも最高のワッハッハ!フランスズィーニャのお値段の程は、7ユーロ(\1000ほど)。

本日は、フランセズィーニャについて、自分のメモとして記事を上げておきたいと思います。以下。

ポルトガルなのなぜ「フランセ」とつくのか、どなたも不思議に思うのではないでしょうか。そこで、今ではポルト料理を象徴し、世界でも十指に入るサンドイッチのひとつに数えられるフランセズィーニャのストーリーを紹介します。

元祖フランセズィーニャがメニューに載ったのは1952年、ポルトのRua do Bonjardim(ボンジャルディン通り)に開店したA Regaleira(ア・レガレイラ)レストランです。

ある年のこと、A Regaleiraレストランの店主は、フランスに立ち寄りホテルで一人のバーマンに出会います。今でもそうですが、よりよい生活を求めてポルトガルからフランスへと出稼ぎに出るポルトガル人はとても多く、彼もその一人でした。

このバーマンを見込み、店主はポルトの自分のレストランに誘います。Daniel Davide Silvaというこのバーマンがフランセズィーニャを作った人なのです。

Danielはレガレイラ・レストランで働き始め、フランスの「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」というサンドイッチにインスピレーションを得て、肉とポルトガルのハム、ソーセージをパンに挟み、独得のピリ辛ソースを発案し、店のメニューとして出します。

YUKOfrancesinha
「クロックムッシュ(Croque Monsieur)」Wikiより

さて、この名称ですが、Daniel Davide Silva氏、なかなかの女好きだったそうで、フランスではバスに乗っては、小奇麗でシックな服装のフランス女性を観察するのが好きだったとのこと。このソースを思いついたときに「フランス女性はエキサイティングである」との意味で「Francesinha(フランス女性)」とつけたと言われます。

YUKOfrancesinha
レストランYUKOのピリ辛ソース。好きなだけフランセズィーニャにかけて食べられます。

ピリ辛ソースをポルトガル語ではmolho picante(モーリュ・ピカンテ、molhoはソース、picanteはピリ辛)と言うのですが、picanteはそのまま「刺激的」と言う意味につながりますね。

フランセズィーニャはソースがポイントで、レストラン・レガレイラのソースのレシピは門外不出、金庫の中に保管されてあるとのこと。

わたしがポルトに嫁いできたのは1979年ですが、フランセズィーニャはレストラン・レガレイラで既に出されていたものの、名前すら耳にすることはありませんでした。フランセズィーニャを耳にしたのは、息子の口からでした。

ボリュームたっぷりのピリ辛フランスズィーニャは若い人に人気があり、一軒のレストランから口コミで広まったDaniel Davide Silvaのサンドイッチは、今ではポルト郷土料理「Tripas料理(トリッパス)」に継いで、ポルトを象徴する一品になりました。

ポルトガル国内の大きな都市ではメニューに見るでしょうが、食べるなら、やはり本場のポルト、それもできれば、フランスズィーニャが美味しいと評判の店をお勧めします。レストラン・レガレイラは当然のこと、レストランYUKOもそのひとつです。

本日はこれにて。
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2017年12月28日 

昨日の記事の続きで、レストラン「YUKO Tabern(ユーコ・タベルン)」の紹介です。

先だって夜、一見(いちげん)の客で行ったところ、見るからに満席で1時間以上待たなければいけないというので、諦めたのですが、今回は昼でしたが電話予約を入れて行って来ました。まずは店内の案内から。

ポルト レストランYUKO
店内は石造りで田舎風。カウンターの上にもわたしの名前が!(笑)

ポルト レストランYUKO
壁に掛けてあるモノクロ写真は全て古いポルトガルの人物画像です。

この日も満席
ポルト レストランYUKO

そして、壁に飾ってあるAzulejo(アズレージュ)こと、青タイル絵。
ポルト レストランYUKO

絵を拡大してみましょう。
ポルト レストランYUKO

ポルトの象徴であるクレリゴス塔、二重橋のドン・ルイス1世橋、昔ワイン輸送に使われドウロ川を下った帆掛け舟Rabelo(ラべーロ)が描かれています。そして、上部には「Yuko 1987」が見えます。Yukoさんが描いたのか、はたまた単に開店記念としての店の名前と年号なのか。

いずれにしても、ここで店名を掲げられるからには、単にここでフランセズィーニャを作っていた日本人ということではないような気がわたしはするのですが。

さて、前菜から。

ポルト レストランYUKO

Polvo com Molho Verde(ポルヴォ・コン・モーリュ ヴェルデ=グリーンソースのタコ)。Molho verde(グリーンソース)と言うのは、たまねぎ、パセリのみじん切り、それにオローブオイルとワイン酢を混ぜたソースのことです。
言って見れば「タコの酢の物」でしょうか。

レストランによっては酢が入ってなかったりします。わたしは食べるたびに、ここにちょっとだけでも醤油をたらしたら、グンと味が上がるのになぁ、と思いながら食べるのですが、それは日本人の味覚です。

が、ここのPolvo com Molho Verdeはなかなかにイケます。そして、写真をとりわすれましたが、サラダもドレッシングもおいしかった。そこで、日本人味覚のわたしがいうのですが、このソース、ドレッシングのレセピももしかしたら、Yuko仕込みではないのか?です。

とういうので、肝心のメインディッシュ、フランセズィーニャですが、写真を載せて「これです」だけで済ませない
性分です。これには説があります。既に今日の記事が長くなりましたので明日にしたいと思います。

では、また。
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2017年12月27日 

今日のトップはこの写真!

yuko13-1.jpg

「おいおい、ユーさんよ、あんさんが料理好きだとは、ただの一度も耳にしたことがありませんぜ」と、口さがない長年のペンパル、いや、もうそんな言葉は死語になり、今ならメル友でしょうか、Iさんの呆れた口調で言うのが聞こえてきそうです(笑)

挙句は、Facebookに載せたこの画像を見た我が日本語の生徒さん、「先生、次のNHKパーティーはこの先生の店でしようよ」と迫られ、大汗をかいているのであります。

NHKパーティーと言うのは、毎年春に我がYY-日本語塾の生徒全員を集めて、相棒のOちゃんとわたしとが日本の家庭料理を作って奉仕するパーティー(笑)「Nihongo wo Hanasu Kai」の略称で、2011年春に始まったのが今春は第7回目になり、我ながらよく続いてるなぁと。

84才から15才までの老若男女の生徒たちも楽しみにしているようで、「先生、この日はいないのでNHKパーティーしないでください」とか、「今年のパーティーは未だですか」とか、いつの間にか催促が入るようになったというパーティーなのであります。初回の20人ほどから毎年増えて、全員来たら困るかもよ、と、Oちゃんと冷や汗かきながら、料理に精出します。

ちょっとだけ様子を写真で紹介すると、こんな具合です。
日本語を話す会

日本語を話す会

日本語を話す会

日本語を話す会

デザートのケーキは毎回、ケーキつくりを勉強した生徒さんにお願いして作ってもらいます。後は全てYuko & Yumikoの手料理。写真の他に、カレーライス、Yuko式グラタンも出ます。

彼女に作ってもらったケーキで最高だと思われるのが、日本のさくらをイメージしたこれです↓

日本語を話す会

みなから思わず感嘆の声がでたものです。

日本語を話す会
こんな体験も生徒にしてもらいました。


パーティー会場は、毎回Oちゃん宅なのですが、それで上述の生徒さんが、次、つまり来年の春にはタベルナYUKOで、と話が出たのです。

NHKパーティーの説明で前書きがすっかり長くなりましたが、件のレストランは「YUKO Tabern」が店名です。

この店、わたしがポルトに来て以来ずっと目にしてきたのです。開店30年とありますが、それは恐らく今の場所、Rua Costa Cabral(我が家から近い)で営業し始めてではないか?と、思っています。と言うのは、わたちたちの家のもっと近場にレストランYUKOと看板を挙げていたと、記憶しているのです。

わたしと同じ名前で、しかも日本人の名前を店名に掲げるというのは、普通、店主だと思うのですが、どうなのでしょう。YOKOならオノ・ヨーコがらみで話は分かるのですが、わざわざYUKOですよ?

これがずっと長年疑問だったの、パソコンを使うようになって、昔一度検索したことがありますが、どこかで、「ポルトガル人のお姑さんからポルトガル料理を覚え、店を出した」と言うようなことを読んだと思うのですが、今回再度検索してみたものの、ひっかからず。

わずかに出てきたのは、フランスズィーニャを担当していたのが、「日本人YUKO」と言うのみ。今回開店30年にして、ポルトの美味しいレストランにノミネートされたと紹介されています。しかも、フランスズィーニャで、ということらしいです。

では、フランスズィーニャってなに?と、やっと本題に入るのですが、レストランの写真も併せて、明日に続けましょう。

では、みなさま、お楽しみに!
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2017年12月25日 

拙ブログで何度か取り上げてきた「世界でもっとも美しい本屋」とポルトが誇るレロ書店、一時期ポルトに住んで英語教師をしていたハリー・ポッターの著者J.K.ローリングが通った書店でもあり、ホグワーツ魔法学校の着想をレロ書店の内装から得たと言われます。

今でこそ入場料を払いますが、わたしがちょこちょこ覗きに行ってブログや雑誌で紹介し始めた2005年頃は人も少なく、もちろん入場料など必要ありませんでした。ゆっくり店内の彫刻模様を楽しみ、思うように写真を撮ることも許可されました。階上には小さなテーブルと椅子がさりげなく置かれて、注文すればそこでコーヒーを飲むことができた落ち着いた雰囲気でした。

lello2-1.jpg
2017年12月23日撮影

今は連日おせよおせよの人の列で、とても入る気にならないのが正直なところです。いい噂が広まり観光客が押し寄せるということは、もともとあった雰囲気が損なわれる面もあるので、シントラのレガレイラの森も含め、穴場であったところをこうしてブログ等で紹介していながら、実は複雑な気持ちになるのも事実です。

わたしのそういう気持ちはさて置き、このレロ書店、2018年1月13日で創立112年になるのを記念して、12月24日から店頭で宝くじを販売し始めました。

一枚5ユーロの宝くじ販売については、レロ書店のこんなストーリーがあるのです
Fachada(ファシャーダ=建物の正面入り口のこと)の説明についてはブログ最後で案内するレロ書店の記事を読んでいただくとして、入り口の上には建物の番地144の数字が書かれてあり、そのすぐ下には「Livraria Chardron(リブラリア シャルドゥロン」とあるのが見えます。

19世紀半ば、まだ、レロ書店が無かったころですが、フランス人アーネスト・シャルドゥロン(Ernesto Chardron)は、いつかは自分の店を持ちたいという夢を持つモレ書店(Livraria Moré)の店員でした。

1869年のこと、シャルドゥロンは宝くじに当たるのです。この賞金で彼は、クレリゴス通りに自分の名前を冠したシャルドゥロン書店を建て、出版者ともなり、ポルトガル北部出身の著名な小説家、カミ―ロ・カステロ・ブランコ(Camilo Castelo Branco)やエッサ・デ・ケイロス(Eça de Queiroz)の初版作品を取り扱いました。

しかし、シャルドゥロンが45歳で亡くなった後、レロ兄弟が書店を買い取り、1919年に現在の場所にレロ書店として建築しました。シャルドゥロンに敬意を表してレロ書店はファシャーダにその名前を刻んだのです。

このようなシャルドゥロンと宝くじのいきさつがあり、今回レロ書店はリスボンサンタ・カーザ慈善団体と協力して、宝くじを店頭で販売するにいたりました。

抽選は2018年1月29日、一等は6万ユーロ(約780万円)!先週土曜日に夫と出かけ、買ってきましたぞ!

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当ったらどうしよう~~。もしも当たったら、シャルドゥロン氏に倣い、わたしも書店を建てようか!日本語に関する本や、日本の小説、雑誌、辞書、そして、もちろん日本語でのマンガなど日本専門書店がいい!そして、二階は日本語教室にしよう。もちろん、今同様、格安です^^ 

と、取らぬたぬきの皮算用(笑) いいではないですか。年末新年の期間、しばしの夢でございますれば。

下記では、レロ書店を案内しています。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1610.html

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2017年12月24日 

我が家に5匹猫がいた頃の、あるクリスマス時期の話です。

一番若いゴロー君が右上の牙が抜けそうでなかなか抜けませんでした。
牙はかなり下にさがっていて、下の牙と噛み合わず口を閉じることができないらしく、えさを食べようとすると触れるのが痛いのだろう、食べなくなっていました。

2010-1
クリニックに行く前日。痛みをこらえて寝るっきゃないのだ。というので、川の字で寝るゴロー君。左は年長のゴン太(昨年寿命を全うしました。まん丸なのはクルル。太りすぎだよ、君。

それで気が付いたのだが、口を閉じることができないと飲み込みもできないらしいのだ。結局ミルクも水も飲めなくなったので、先週の日曜日には、動物総合病院の救急へ夫が連れていってみた。人間並みである。

診断の結果が病院へ行った夫から電話で入った。

「抜歯して穴を開けたままはよくない。手術して義歯を構築しそれを入れる」

@@ さ、差し歯じゃん!人間並みジャン!加えて手術費用は500ユーロ(=56000円)だという。ガビ~~ン!
ということは、薬代だのその後の通院だので7、8万はかかりそうだと。

「どうする?」と電話で夫。

どうするったって、今、昼食作り中のわたしに即断せよと言われてもなぁ。飯が焦げるよ~

ということで日曜日はいったんうちへ引き返してもらった。7、8万はちょっとかけすぎじゃない? だってペトやクルルもしばらく前に抜けたけど、そのままです。

結局、猫たちの主治医である近くのクリニックで予約を取り、昨日麻酔をかけて抜歯のみしたのだが、これとて、食事抜きで朝、連れて行き丸一日クリニック・ステイである。

そのことを猫好きのモイケル娘とスカイプで話した。

spacesis: 家猫だし獲物をとるわけじゃないからいいんだけど、外へ出たら、
       外猫たちに笑われるのだ、きっとw
       なんだ、おまえ、牙がないのかってw

モイケル:  失格なネコになってしまうねw
    (註:これは兄貴の間違い日本語をそのまま使ってみたようだ。
     「妹失格だ、お前は」と言うべきところを、兄貴、「お前は失格な妹だぁ」
     とやったようだ。爆。まぁ、文法的には、日本語の形容詞としての使い
     方が間違ってないのだがw 我が息子は時々こういう日本語の間違
いをしでかしていた)

spacesis:   あははは、失格な猫って(笑)

モイケル:  あ、でも意外と貫禄がついていいかもよw

spacesis: 牙がない貫禄なんてあるかいな。

モイケル:  片目に斜め傷が入ってるようなカッコよさにはならんかw

spacesis: おお!旗本退屈男のことだね。いやぁ、そんな突っ込み
ができるなんて、モイちゃんもすっかり日本人じゃん

そうは言うものの娘のギャグがこの母の年代ものであるのをご理解くだされ。何しろ、この母の昔話が日本の情報でありましたし、それを聞いて日本に憧れて行った彼女ではありますもので。

とまぁ、こんなくだらない親子話をばらしているのですが、かかった費用はいくらか? はい、麻酔をかけて抜歯し、薬をいただいて当時で60ユーロ(8000円弱)ほどでした。これでよかったかどうかは知りませんが、仮に差し歯をしたとして、それとても人間と同じで合う合わないがあると思われ・・・すると、差し歯で一件落着とはいきません。抜いてしまったら後くされがなくなり、とりあえず落着ですものね^^;

そんなわけで、抜歯後のゴロー君の顔、みてやってくださいな(笑)

22010_.jpg
ボクは嬉しくないのだ・・・と、申しております

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2017年12月22日 

雨が降らない、抜けるような真っ青な空が仰げるポルトガルの夏ですが、今夏、ポルトガル中部ペドロガォン・グランデ山間部で死者61人を出した山火事は乾燥気候の自然発火が原因で、近年に見ない惨事でした。が、雨季だと言われる11月以降もまったく雨が降らず旱魃が心配されて来たポルトガルです。

雨季と寒さの冬を迎えると、わたしが真っ先に気にするのは野良ネコたちです。雨が降らなければ農作物が困る、かといって、雨が降ると可哀相な野良ネコたちです、それでもよほどの大雨でない限り、わたしが毎日エサを届ける時間帯には、がんばって待っているのです。

一時期には大小20匹近くいたジョアキンおじさんの畑を根城にする野良ネコたちも、ボランティアの動物愛護協会が捕獲しては避妊手術を施され、引き取り手が少ない成猫は戻されてきましたが、子猫は術後、貰い手を待つためにそのまま施設に残るという状態でした。

そのため、コロニー(野良猫が集まる箇所)の一つであったジョアキンおじさんの畑には黄トラのオスネコ一匹が住むだけになってしまいました。他はエサの合図を聞くとすぐどこかから現れる頭の大きな黒猫、それとジョアキンおじさんの家の庭でいつもエサをまっている2匹がいます。

このうちの一匹は毛がふわふわの黄色いネコですが、もうかれこれ2年近くエサを上げていると言うのに、人間に対する不信感が強く、シャーッと威嚇するので未だに触ることができません。

ジョアキンおじさんの畑の、或いは庭のネコたちですが、実はおじさんは飼っているという意識はなし。自分の周りに生き物がいるからとの単純な理由で、かつては自分ができた残飯集めを毎朝しては、それを畑のネコたちにやる、というを繰り返していたのですが、数年前に相棒のロバが死んでからは近くの商店街の食べ物屋を回る事もできなくなり、今ではその役割が完全にわたしのものになったわけです。

それで野良ネコたちを見過ごしておけないわたしがバトンタッチしたわけで、おじさんからは、「Obrigado(ありがとうね、)と言われる毎朝、毎夕です。

ジョアキンおじさんには拙ブログに何度か登場願っていますが、ここ数年痴呆が始まった奥さんを抱えていました。「ちょっとドアを開け放しにして畑仕事をしていた隙に、どっかへ行ってしまった」と、大騒ぎになり、ご近所で探し回ったこともありました。その奥さんを数ヶ月前に亡くし、以来、以前毎朝のように行っていたすぐ側の畑にあまり足を向けなくなりました。

無駄金を使わないおじさんです、大きな家の中はこの季節でもきっと火の気がないままでしょう。日中、庭の陽だまりで椅子にすわり、自分の畑で採れた野菜を仕分けしている姿を近頃よく見かけます。その丸まった背中は寂しそうで、ネコにエサを運んでいくときは「Bom Dia, Senhor Joaquim !(ジョアキンおじさん、おはよう!)」と思い切り大きな声をかけるようにしています。

今日は下記にジョアキンおじさんについての過去記事と写真を再掲します。

senhor_joaquim1.jpg
ジョアキンおじさんと愛ロバのマリア・リタ嬢

2010年5月:ジョアキンおじさんのドロボー対策

あんなにたくさんいて、毎晩の餌時には二皿三皿運ぶこともあった野良猫たちが、気がつくといつの間にかかなり数が減っており、あれ?と思っていたこの頃。それもそのはず、数十匹という猫が、土地成金の小金持ちジョアキンおじさんの畑に住み着いていたのですが、その畑の真ん中を市道が通ったのでした。

市道と畑を仕切るのに、こんなに高くしなくたって・・と思われるほど高い石塀を建て、聞くところによると、塀の向こうは地面が道路よりずっと低地になっているのだそうな。

それはつまり、ドロボーが塀を乗り越えて入っても、内側から簡単には這い登れないようにしたのだとか。
ジョアキンおじさん、これじゃ、猫もそう簡単に出入りできないでしょ・・・

joaquim3.jpg

写真の家畜小屋には、ジョアキンおじさん、今時このあたりでは珍しくブタと鶏を飼っているのです。で、どうやら寒い時は猫たちもそこを宿にするようです。

小金持ちのジョアキンおじさんは、我がフラットの斜め向かいにカフェを持ち、そこをダイニングルーム代わりにしているのですが、ちゃんとした大きな家を近所に2、3軒持っております。そのひとつがわたしたちの住む同じ通りの角っこ。写真で言うと右側の車が止まっているところであります。

さて、つい先ごろ、夜も11時を過ぎ、いつものように2、3匹になってしまった野良猫たちにご飯を運んでいきました。ねこたちは、ジョアキンおじさんの家の庭の中や家の塀越しの外で食べるのです。

その日はどういうわけか、呼んでも猫たちが現れない。畑からのそこで帰りがけ、ジョアキンおじさんの家の庭をちょいと覗いてみました。

ん?いつの間にか広かった庭が狭くなり、車庫と隣り合わせにアルミサッシとガラスを使った高い小屋のようなものができております。曇りガラスが使われており、「へぇ~、なんでまたこんなのを?」と不思議に思い、目を凝らしてみると、ふむ・・中でなにかがたくさん動いているような気がしないでもない。

噂では結構お金を出したがらないお方らしい。そんなジョアキンおじさんが、いくらなんでも野良猫たちのためにこんな小屋を自分の家の庭に造ったわけではあるまい。しかし、小屋の中で何かが動いているのは間違いない・・・

そこで、今日、週に二回我が家に掃除をしに来てくれるベルミーラおばさんをひっ捕まえて聞いてみました。

「ドナ・ベルミーラ、ジョアキンおじさんの庭に新しくできたあの小屋の中、何か生き物が入っているようなのだけど、まさか猫たちじゃないわよね?」
ベルミーラおばさんは、実によくご近所のことを知っており、「ペドローソス新聞(ペドローソス=わたしたちが住む区域)」との異名をとっております(笑)

ベルミーラおばさん、その言葉を聞くや、待ってましたとばかりに手にしていた掃除機のホースを放り投げ、「オ・ドナ・ユーコ!」と言うことにゃ、

つい先だって、あの高いレンガ塀を乗り越えて、ジョアキンおじさんの畑からブタと鶏20羽を盗んだヤツがいたのだそうな。

わたし  「あら、ブタは騒ぐでしょ?」
ベルミーラおばさん 「それが ドナ・ユーコ。そのドロボー、ブタをその場で
             見事に始末して、持っていったのですよ。」

ベルミーラおばさん 「それでね、セニョール・ジョアキン、すっかり怒って、
             自分の家の庭にあの小屋を造って畑からブタと鶏を
             移したんでやんス」

わたし 「う、移したって・・・だって、あんなとこで飼ってたら畑と違い、匂いが
      ご近所迷惑ではないの?第一ブタはどうしたのよ?

メルミーラおばさん 「ブタはね、車庫なんざんス!」

えーー!車庫にブタってあぁた、聞いたことありませんぜ・・・車庫に入れる車を持たないからってジョアキンおじさん、なんぼなんでもそりゃないぜ。それに、町の家の庭でそういう家畜、飼えないと思うがなぁ、と言うと、
ベルミーラおばさん、

「だから外から見えないように曇りガラスでゴマカシテルですよ。ドナ・ユーコ!」

ブタをその場で始末して盗んでいくドロボーもドロボーだけど、ジョアキンおじさんのドロボー対策もなんだかなぁ^^;


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2017年12月20日 

以前見たイギリス映画に「カレンダーガール」というのがある。ヘレン・ミレンが主役で、夫を亡くした夫人会の仲間を慰めようと、自分たちをモデルにしたカレンダー作り、しかも、それが中年女性たちのヌード写真なのだが、その売上金を亡くなった仲間の夫の面倒を見た病院に寄付する、という小さな田舎町の実話を映画化したものだそうだ。

Calendergirl-1.jpg

女性のヌードとなるとなにかにつけ殿方の興味をひくもの、しかも、一般の中年女性という自分たちの身近にいる人たちのヌードってどうよ?と言った同性女性も羨望と嫉妬が混じったような感情に釣られるようで、彼女らが作ったカレンダーは話題を呼び売れに

さて、今回はこれと似たような、ポルトガル版「カレンダー・ガールズ」の話題です。

ここ数年、ポルトガルは観光地として脚光を浴びていますが、若い人たちの就職状況はとても悲観的なのが実情です。大学を出ても正規の仕事がなく、多くはイギリス、フランス、ドイツなどに仕事を求めて出て行くか、国内で飲食店、店員などのパートに就くか、厳しい選択に迫られます。

両親に経済的な余裕がある人は、院コースへと進みますが、それとて修了後の仕事の保証はありません。確かに、一時期のエコノミック・クライシスよりはマシになっていますが、働きたくても職がないというのは将来がないのと同じこと、国は特殊な枠で外国企業を呼び込むなどの斬新的な政策をとる必要があると個人的には思っています。

かといって、近年一帯一路政策を掲げて国際社会に警戒心を持たれている隣国に来てもらってもなぁ、と。

そんなポルトガルですから、999ユーロ(学部3年間)、1250ユーロ(院コース2年間)の年間授業料も生活費もかかるわけですから、親によっては決して楽ではありません。

そこで、数年前から、ブラガのミーニュ大学で学生緊急支援ファンドグループが立ち上げられ、始まった学生支援カレンダー、今年で4回目になるのだそうですが、今回はこんな思い切ったカレンダーというので、ニュースで話題として取り上げられていました。
こんなのです。

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ポルト大学、12人の女性ハンドボールアスリートたち。2010年にヨーロッパでブロンズメダルを獲得しています。
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一部5ユーロで12月13日から売り出されています。売り上げは経済的に苦労している学生、また、他の奨学金が受けられなかった学生の支援にまわります。

昨年度は144人の応募学生があり、うち98人を支援することができたとのこと、「カレンダー・ガールズ」ならず、「カレンダー・アスリートス」と相成りますね。

ヌードなのに写真に卑猥さが少しも見られないのは、写真家の腕、アスリートたちの肉体の美しさも去ることながら、苦学生を支援するという精神が底にあるからだと思います。母子家庭だった我が夫もかつては奨学金をもらってコインブラ大学医学部、更にポルト大学医学部でコースを修め、大学病院に定年まで勤めました。

このアイディア、ひょっとして、くだんの映画「カレンダー・ガールズ」から拝借したのかも知れないなと思いながら、12月の暖かい話題を本日は拙ブログで取り上げてみました。
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2017年12月17日 

拙ブログに長年お付き合いくださっている方は既にご存知であろうが、わたしは大阪のアサヒビアハウスで歌姫バイトとして遅咲きの青春を謳歌したのでした。1990年代後半、27、8才ころからです。

日中は堂島のオフィスでタイピストとして働き、渡米の夢を見ていたときに舞い込んできた歌姫バイトスカウトは渡りに船の話でした。週に3、4日、夕方6時半から9時までのビアハウスでのバイトは、一般人、著名人合わせた多くの常連たちと、ビアハウス仲間だと思わせる愉快な雰囲気のハウスでした。

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1990年代黄金時代の梅新アサヒビアハウス

わたしにとってあの時代は今でも色褪せない珠玉の思い出です。そんな素晴らしい青春を過ごせた自分を本当に幸運だったと思っています。

仲間内では27、8才のわたしが若年でしたから皆さんに随分可愛がっていただきました。なにしろ、皆さん愉快な中年のおじさん、おばさんたちで、ビアハウスの外でも色々お付き合いがあったようです。

ポルトガルに嫁ぎ、かれこれ40年以上もの星霜を重ねたことになるのですが、ビアハウスの愉快な仲間たちも相応に歳を重ね、人づてに耳に入る人を指折れば、仲間の多くは鬼籍に入りました。

その人のもう一エピソードを書かずばなるまいと思いつつ、未だに筆が進まないままでいるアサヒの名物男、元朝日放送のコジマ氏についても、お仲間から訃報を知らされたのは何年前でしょうか。 店長の塩さん、アサヒビール専務の高松さん、今年に入ってからは、元ベルリンオリンピックゴールデンメダリスト葉室先生の奥様がいらっしゃいます。わたしは、そのような場合、直ぐにはブログに書けない性分です。

去る11月にはわたしも七十路に入り自分でもヒャッと少し驚いているのですが、そうしてみると当時の常連さんたちはわたしより一、二回り年上ですから、あぁ、あの人も、と悲しいことではあるが、これも自然の摂理であると受け取れっています。

若いときは命は永遠に続くとでも思っていたのが、遅かれ早かれいずれ自分の旅立つ日が来るというのを、まだ漠然とではありますが、時に思ったりするようになったのはこの頃です。

さて、前置きが長くなりましたが、しばらく前に、とあるブロガーさんが「小館さんがお亡くなりになられたのです」と、拙ブログのコメント欄にメッセージを残されました。小館さんと同大学の方だったようで、その方もブログで思い出を綴っておられます。

小館氏とは大したお付き合いはありませんでしたが、ビアハウスではよくお目にかかっております。本日は拙ブログ「あの頃、ビアハウス」で取り上げた小館氏のエピソードを再掲することで、遅まきながら鎮魂の祈りとさせていただきたいと思います。

 「あの頃、ビアハウス:プロジェクトX」

「JSTV」といって、海外で日本のテレビ番組の一部が見られるシステムがあります。普及し始めた頃、それを受信するためにはパラボラアンテナ設置では足らず、特殊なアンテナを取り付け、さらにカードを差し込む機械を購入しなければなりませんでした。その上、受信料が当時月々35ユーロほど。それはポ国の物価からすると、かなりな値段になるのでありました。

見たい気持ちは山々なれど、パソコンを使い始めたおかげで、今ではネット上で新聞は読めるし、ポルトガルに住んでいながら、あまりに日本一辺倒というのでは、現在の自分を見失いがちになることも考えて、我が家ではそのTSTVを導入していません。

そんなわたしのために、ポルト市に滞在していて親しくなった、とある日本企業の友人がわたしの好きなNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」を録画して送ってくれ、月遅れになるのですがわたしはそれを楽しみに見ていました。

さて、とある夕べ、娘と二人、日本から届けられたそのビデオテープを見ておりました。中島みゆきのヒット曲「地上の星」でオープニングです。

今回送ってもらったビデオ最初のエピソードは、瀬戸大橋を建設するために奮闘した男たちの話でした。 「いい話だね。もうひとエピソード、見ようか。」などと言いもって、少し遅い時間ではありましたが、続けて次のエピソードへとテープを進めました。わたしも娘も、見始めると止まらなくなってしまうのです。

二つ目のエピソードは、1970年に大阪で開催された「万博会場」に入場する、その数5千万人と予測された入場客の警備の指揮をとった男の物語。

「おお!この頃わたしは20歳もそこそこでね」などと言いながら、始まる画面を見ていたら・・・出てきたその男の人の顔を見るなり、「あれーー!こ、こ、小だてさんや!」。実名出しちゃいましたけど、いいですよね、テレビにも出てましたし。素っ頓狂な声をあげたので一緒に見ていた娘がびっくりです。
      
そうです、アサヒ・ビアハウス時代の常連客のひとり、その人でした。いやぁ、驚きました。 そう言われて見れば、番組のなかでも紹介していたように、確かにアサヒでも時々「村長さん」て呼ばれていましたっけ。元々は新潟県警のお人だったのですね、知りませんでしたが、今思えば東北なまりがしっかとありました。

アサヒ・ビア・ハウスはお酒を提供する場所にしては、珍しく「その道の人」と思し召す客が入って来ませんでした。その手の人がうっかりビアハウスに入って来ても、場違いなことにすぐ気づき、そそくさと出ていくのでした。

歌姫としてバイトし始めるときに、店長の塩さんが「店に変な客は来ないから安心していい」と保証してくれましたが、まさにその通りでした。そのはずです。アサヒビアハウス梅田には、曾○崎署関係者が毎日のように入れ替わり立ち代わり来ていたのですから。
     
ビデオを見終わってから早速に歌姫時代のアルバムを持ち出してきては、娘に「ホレ、見てごらん。これ、わたしと一緒に写っている人、さっきテレビに出てた人でしょ?」と、自慢たらしく話したのでありました。

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小館氏。アサヒで歌われたのは多分この時が最初で最後だったように思います。送別会の席でした。

世の中せまい!明日はあちこち、ポルトの友達たちに電話してやろっと。「プロジェクトXに出てた人、知ってるひとだった!」なんてね。

プロジェクトX番組のエピローグ「ヘッドライト・テールライト」を心で歌いながら、そう思いながらホクホク顔で床に就いた夕べでありました。



小館さん、どうぞ安らかに。あちらではビアハウス時代のお仲間もきっと「ささ、Ein Prosit(ドイツ語で乾杯)とまいりましょ! 」と、お迎えしていることでしょう。

ビアハウス時代に興味がある方は、こちらからどうぞ  →♪ あの頃、ビアハウス

また、ギャラリーはこちらです ♪「旧アサヒビアハウス、レトロギャラリー

古いホームページに置いたままになっていたのに気づきましたが、いずれ、こちらに移動させるつもりです。

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2017年12月16日 

いわゆる「花金」だが、夏休み、冬休みを除けば、30年近くもそれには無縁のわたしです。

なんとなれば、20年以上も土曜日の補習校講師をしていたし、退職してからは土曜日の日本語教室を開講して現在に至るので、金曜日ともなると翌日の授業準備で今も昔に変わらず大忙しの状態です。

ところが、図書館の都合で教室に使用していた部屋が使えなくなり、この12月は30日までする授業をやもなく先週で切り上げることとなり、晴れて昨夜は花金となったのでありました。

そこで、金曜日7時までの日本語個人レッスンを終え、夫と以前から気になっていたタベルナ(レストラン)へ行ったついでに、市庁舎通りのクリスマス・イルミネーションを見ようということになりました。

そのタベルナへ行ったところが、ポルトガル人にしては早目の時間に行ったというのに、なんと満席で諦めざるを得ず。近日中に予約を入れて再訪しアップする予定ですが、わたしにとってはイワクがあるタベルナでありまして、お楽しみの程を。

さて、仕方がないもので、しからばまだ拙ブログで紹介していないが、ちょうどいい、ダウンタウンのPraça dos Leões(ライオン広場)近くのレストラン「Zé Bota」へ撮影がてら行こうぞ、と車を向けました。街は若い人たちと観光客とでいっぱい!新しいカフェや食事処がたくさんできて、ポルトも本当、観光客相手に設備が増えたという感がしました。

肝心の「Zé Bota」も満席で10時まで待たないといけないと言います。ご冗談でしょ!そこで隣の「Papagaio(オウム)」に入ろうと夫が言う。「随分空席があるじゃない。おいしいの?」と危うく口から出そうになった言葉を飲み込み、夫に付き合うことにして入ったのですが、ん~、やはり今一でありました。
先ほど覗いたZé Botaはドアを開けたとたんに熱気があり、店内が暖かいのに比べ、こちらは二重ドアになっていないがため、人が出入りするたびに外から風が流れ込んできて薄ら寒かった。

下は市庁舎前ことAvenida dos Aliados
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市庁舎の建物前にある白い三角がツリーなのですが、スマホカメラで撮ったらイルミネーションもみな白っぽく写ったのは赤系でなく白系青系のランプを使ったせいでしょうか。

アリアードス2

「Árvore de Natal(クリスマスツリー)」は2018年1月7日まで見られます。
因みに下は2015年の12月の市庁舎通りの様子です。

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本日はこれにて。
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2017年12月14日 

拙ブログ、左のカテゴリ欄でお分かりの通り、自分が発見して気に入ったポルトガルの伝統工芸品を紹介しています。

それを読んで、買いたいのですがとか、送っていただけないかとかのメールが時に入ったりします。

ポルトガルは郵送料が高いのと、それを買い求める時間、更に郵便局まで出向く時間がないのとで、残念ながらお引き受けしないのですが、こういうものをもっと日本に紹介できたらいいんだがなと、以前から考えていたのでした。

そこで、本日は、まだ構築途中ではありますが、既にいくつかアイテムがアップされていますので、ポルトガル雑貨オンラインショップ「東のポルト屋」をご紹介いたします。

ガロ
     東のポルト屋

また、下記はフェイスブックサイトです。
https://www.facebook.com/mikeyinPorto/

本サイトでは工芸品にまつわる小ばなしや説明を併せて載せています。また、ポルトガルのメディアから拾った「ニュース!ポルトガル」も和訳して設置していますので、お時間を見て訪問していただけたら嬉しいです。
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2017年12月13日 

自宅での個人レッスンはまだ続いていますが、市立図書館の初級、中級クラスは先週で学習納めになりました。
できれば、クリスマス前の23日の土曜日まで続けたかったのですが、教室として使用している部屋、2年ほど前までと違い、最近は利用希望者が増えたようで、日本語教室だけ専用するわけに行かず、他の利用者に譲らざるを得なかったのと、23、30日は閉館とのことゆえ、今年度の授業は終了というわけです。

年末ぎりぎりまで授業をしたかったのには、初級クラス8人全員が1月末の漢字検定試験10級を受験することになっているからで、丁寧な指導をしたかったのですが、こういう事情であればやむを得ません。クリスマスプレゼントとして、コピー店で取った試験問題集を生徒にどっさり上げたのでした(笑)

ポルトガルではわたしの元職場、ポルト補習校とリスボン補習校とが受験会場に指定されており、もう15年位も昔になりますが、我がモイケル娘も当校で漢検3級まで受験しています。補習校に通ったのは週に一度の3時間、そのうち国語学習は1時間半でしたが、3級を受験したのは高校1年のときで、よく頑張ったなぁと思ったものです。日本の大学に行きたいという夢あったればこそでしょう。

しかし、そうして覚えた漢字は、日本で生まれ育った人たちの身についたものとは別問題のようで、漢字に関しては結構面白い失敗をしでかしております。

早稲田大学に入学して2年目の終わり、我がモイケル娘、なにやら勝手に他大学編入試験を受けたときの話です。

手ごたえはどうだったの?」(←断固、転入編入反対していたのではあるが、とりあえず聞いてみたw)
「う~ん、どうなんだろ・・・でも、英語を和訳するところで、漢字間違った。」
「漢字を?自信がない漢字はひらがな、もしくはカタカナで行こうよ。」

試験問題の和訳は「核」に関する英文だったそうだ。「nuclear」つまり日本語では「核」であります。その「核」が三箇所も出てきたのだそうで、間違った漢字というのは、「核」なんだって^^;どんな風に間違ったかと言うと、あっはっはっはっは!これが笑わずにおらりょうか!

もう腹が痛くて涙が出てきて、それを披露した当時のチャット仲間たちにも一言、「お前、それ落ちてるぞ。」と言われプリプリしている娘をも構わずパソコン前で体よじって笑ったのでした。

で、どういう字を書いたかと言うと、木へんに玄。ぐっはっはっはっは!
そんな字、あったっけ?本人も既に調べたようで、「ない!」と(笑)しかし、なんとなく似てるには似てるわ^^
帰国子女は往々にして、こういう間違いをします。どれどれと思って調べて見ると、この「核」という漢字、2級で出題です。やっぱりねぇ^^ 2級まで挑戦してみましょう、もいちゃん^^

「核」の間違いに拘わらず、編入試験に通ってしまい、東京から遥か離れた本州南の外れに行ってしまった娘の話ではありました。

さて、大卒後、東京都内の某企業に就職し3年勤めて学費を稼いだ娘は今度はとんでもないことに挑戦しました。近世文学専攻だと(大汗)。 近世文学は徳川時代から明治維新間の文学で、古典に比べると文章も比較的分かりやすいとは言うものの、問題はくずし字でありました。

モイケル娘、当時、かように書いております。

<strong>こころは豚にひかるる大八車

いやー。参った。文字に襲われる夢を見ました。はっはっは。

自分のペースでできることをやるしかないと再度自分に念押しを。周りはどうあれもっと気楽に失敗しまくろう\(^o^)/ と思うことにした結果

豚にひかるる1

赤枠内の文字を「豚にひかるる大八車」と解釈して今朝発表して先生の盛大な苦笑いを頂きましたww正しくは「縁にひかるる」ですね。

いやー、おかしいとは思ったんだよ。でも他の字が浮かばなかったし、そもそも辞典の豚の字と似てたし、右のルビも「とん」に見えるし。「えん」だったんだねー。

ちなみにこれは1688年に増田円水に書かれた『好色大神楽』という浮世小説です。物語が井原西鶴のなんかの小説(忘れた)に酷似しているのがひとつ注目すべき点だとかなんとか。

ほんと気分は暗号解読者だよ。今日から暗号解読者を名乗ろうかな。

どうも。暗号解読者です。ディサイファー(decipher=判断が難しいものを読み解くこと)です。

豚は大八車をひきませんよ。



んで、ちょうどこの時、日本に帰国して子どもたちのところに滞在していたわたしと言えば、次の如くなり。

いやぁ、参った参った。紀貫之さまではありませんが、「娘もすなるくずし字といふものを、母もしてみむとてするなり」でありまして、モイケル娘が生まれて初めて取り組む1600年代に書かれた小説の原文読みの講義、いやはや崩し文字の漢字もさることながら平仮名のややこしいこと。

書物をただ眺める分には、美しいなぁで済ませるものの読むとなると、これは殆ど苦行であります。二人して迷路に入り込んだ心地して、面白いもののその結果、いと恥ずかしき(笑)

ひかるる2豚に

江戸時代に「豚」っておったのかな?いや、ブタとはイノシシのことかも知れんぞ・・・しかし、なんで「心」なのだ?と不可思議に思ったものの時間切れ。えぇい、分からん、しないよりはましだというのが「ブタにひかるる」と相成りそうろう(爆)これからが恐いような楽しみなような。

大学から帰宅した講師からの正解を聞き、ガハハハと爆笑してしまったくずし文字探りテイタラクでありました。この母にしてこの子あり。

本日はこれにて。お粗末さまでございました。
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12月11日
   
思い出のオルゴール:綴り方教室」に書いてあるのですが、わたしが初めて本らしい本を手にしたのは、小学校5、6年のころ、学校図書室から借りた探偵小説シリーズです。

今のように、簡単に本を買える環境になかったわたしは学校の図書室を大いに利用しました。それは高校時代も続き、自分の本となったものは一冊もありませんが、それらの借りた本の中で見つけた輝くような言葉たちをノートに書き止め、そのノートを何度も開いては覚えたものです。
本がない時はよく国語辞書を読んだりもしました。目新しい言葉に出会うのは新鮮な喜びでした。また、書店の本棚に並んであるたくさんの本のタイトルをひとつひとつ読んで見るのも好きでした。

小学時代のルパンシリーズやシャーロック・ホームズシリーズを読んだ地盤がありますから、大人になってからも文学系のみならず、警察ものや推理、ハードボイルド作品もたくさん読んできました。好きな探偵は?と問われればすかさず、フィリップ・マーロー、リウ・アーチャーと答えます。我が息子の日本名「理宇」には、この探偵の名を、実は拝借しているのです。

フィリップ・マーローもリウ・アーチャーも今では古典になってしまいましたが、10年ほど前までわたしが好きで読んできた本に、女性検死官、ケイ・スカーペッタを主人公にしたアメリカの作家パトリシア・コーンウエルのシリーズがあります。コーンウエル自身が実生活で検死局で仕事をしてきた作家です。

さて、これはまだ本では読んでいないのですが、イギリスで人気を博してきたドラマにイギリスの作家、リンダ・ラ・プラント原作の「Prime Suspect(第一容疑者の意味)」があります。

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(Wikiより)

1992年に始まったこのジェイン・テニスンなる女性警部(後に主任警部となる)シリーズ、全部で7話、2006年12月の先週、最後の7話を終え完了しているのですが、ポルトガルではいい番組は再放送が繰り返されますので、好きな番組は何度でも見ることができます。

かつては男性を主人公にしてきた警察ものも近年はそこに女性を据えての物語が多くなりました。わたしは性差別主義者ではないと思っていますが、一部の人たちが押し進めようとする、ジェンダー・フリー論には組みしません。体力的にはとても男には適わないと思っています。男同様の能力体力を持っている女性には、男性と同様な機会が与えられるべきだとは思いますが、全女性がそうでないことは、自分を見て分かっているつもりです。

ケイ・スカーペッタもそうですが、Prime Suspectのジェイン・テニスン警部も、事件のみならず、男性社会の職場にいて、女だということで同僚、部下との確執や差別を抱えて闘い抜き、部下の信頼を勝ち得て行くのですが、主演女優の演技の素晴らしさ、ドラマとは言え非常にリアリスティックで思わず引き込まれてしまいます。

本、ドラマを通してではありますが、ケイ・スカーペッタもジェイン・テニスンもキャリア・ウーマンとして生きていく上での大きな孤独を抱えており、その孤独が見ているものの胸にもズシリとのしかかってくるようで、所詮人間は男も女も最後はひとりだということを頭で理解しているつもりのわたしも、殺伐とした人生の終着点にふっと思いを運んでしまいそうになります。

特に、定年を目前に、最後の事件を手がけた「Prime Suspect: Final Act」のテニスン主任警部が抱える大きなストレスに抗いきれなくなる様は迫力があり、女性が仕事を全うして生きることの厳しさを、見事に描いています。

ドラマが取り扱う事件そのものより、テニスン主任警部が事件の主犯を執拗に追い続ける刑事としての心理が見えるとてもいいドラマでした。

これらは過去のわたしのヒーローたちですが、2013年に始まったシリーズ「Endeavour(エンデヴァー)」、これがまたいい。オックスフォードを舞台に、DC(巡査) Morse(モース) が、上司のサーズディ警部補と解決していく警察ものシリーズなのです。

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左がサーズディ警部補、右がモース(演じるのはShaun Evans )(Wikiより)

年に4エピソードで、今年2017年にシリーズが放映され目下来年度の新シリーズを楽しみにしているのですが、では、タイトルの「Endeavour(エンデヴァー)」とは何の意味かと言うと、これがしばらく明かされないままで行くのですね。

「ファーストネームはなに?」と問われても「モースと呼んでくれ」というのみで明かさないのですが、実はタイトルのEndeavour(努力、試みの意味。米語のeffort)がそれなのです。なるほど、努力ってのがファーストネームじゃ気恥ずかしくて隠したいという気持ちも分からないではない(笑)

Endeavourは、英国推理作家協会の投票で「好きな探偵第一位」に選ばれた「Inspector Morse(モース警部)」の続編として、モース警部が亡くなった後に彼の若き日の刑事時代のシリーズが放映されたものです。

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モース警部と愛車ロールスロイス(Wikiより)

両シリーズでは、モースが愛するモーツアルトやワグナーのクラシック音楽、特にオペラがBGMに流され、オックスフォードの古い街並みと融合して、なかなかに味のあるクラシック探偵ドラマになっています。

残念なのは原作者のColin Dexterが今年3月に86歳で亡くなったことです。来年のEndeavourは既に撮影に入っているとのこと、果たしてどんな展開を見せてくれるか、楽しみにしているのであります。

下記、Youtubeにある宣伝画像です。

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2017年12月7日 

お歳暮という意味合いの言葉こそポルトガルにはありませんが、12月の贈答はそれに相当すると思います。
  
日本と比べて違うところは、職場の上司や仕事関係のお得意先へという義理がらみの付け届けはほとんどないという点でしょうか。また、わたしたち日本人は早く義理を果たしてしまいたいとでも言うように、お返しは早々に果たしてしまおうとします。ポルトガルでは一年を振り返ってみてお世話になったと思われる人に、クリスマスの贈り物を届け感謝の気持ちを表すのです。

どういうものが贈られるのか、ちょっと興味があるところでしょう。
ワイン、ウイスキー等は日本と変わりませんね。ポルト・ワインやウイスキーは高価なものを贈りますから、たいてい一本ですが、Vinho Verde等のテーブルワインとなると、ドバッと10本から20本が届けられます。これなどは日本で言うビールを贈る感覚でしょう。
そう言えば、こちらではビールがこういうお届けものに使われることはまずもってないのが面白いです。
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Wikiより

また、この時期にはデパートや大手のスーパーではクリスマス贈答品コーナーが備えられ、ワインを始め、チーズ、生ハム、缶詰などが入ったcabaz(カバス=果物等をいれるカゴ)がたくさん並びます。

その他、贈り物として室内の飾り物、クリスタルのデキャンタ、銀製品、そして不景気な今からは考えられませんが、たまに金の装飾品などもありました。これらはかなり高価なものになりますから、受け取る方も多少躊躇します。銀製品の菓子皿、ぼんぼん入れ、燭台などは3、4万円はくだりません。

食べ物としては、「バカリャオ=bacalhau」と呼ばれる大きな鱈を開いて干したものを贈り物に。これは、肉類を食さないクリスマス・イブと、そして大晦日にポルトガルの習慣として他の野菜と茹で上げて食します。また、豚の足一本からなる生ハム、これも贈答用に使われます。

とまぁ、本題「アフォンソとマチルダ」の前置きが大部長くなってしまいましたが、色々な頂き物の中には「こりゃ困った」と言う物も多々ありました。

さて、これはわたし達一家が現在の我が家、フラットに引っ越す前の古い小さな庭つきの家に住んでいた時の出来事で、子供たちが小学生だった頃のこと。

夫の仕事柄、この時期にはお届け物が参ります。12月のある日のこと、田舎の方と思し召すセニョールが玄関の前に立ちました。
「だんな様に大変お世話になった。どうぞこれを。」と言って大きなのダンボール箱を置いていきました。
「あらら、なんでしょ」と、中身が生ものであっては後で困りますので箱を開けてびっくり、玉手箱!ナマモノもナマモノ、生きた二本足を紐でくくられた二羽のトリではないですか!一羽は真っ赤なトサカを冠しており、もう一羽は見事な七面鳥です。12月は七面鳥の季節でもありますものね。

しかし、これ、どうするのよ?自分・・・
よく見ると可哀相に、この2羽、足をくくられたままでとても辛そうです。で、いやだったんですが、恐る恐る両手を差し伸べて抱きあげようと両手を出しましたら、騒ぐこと騒ぐこと、そのけたたましさといったらありません。こちらの方がビビッてしまいましたが、思い切って抱き上げました。その柔らかい体を通して体温が伝わってきます。

庭には昔の鳥小屋がそのままほったらかしでありましたから、庭まで運び、くくっていた紐をほどき、二羽を庭に放して見ました。子供達が帰宅して、特に動物好きの娘は大喜びです。早速にこの二羽に牡雌も分からないと言うのに「アフォンソ」「マチルダ」と名づけました。アフォンソとはポルトガル王の名前ですから、ひどい話ではあります(笑)

夕方になると、今度は庭中追い掛け回して二羽をひッ捕まえ、一時しのぎの鳥小屋に入れるのですが、これがまた一仕事です。あちらは必死で逃げ回るし、こちらはこわごわ追いかけ回すわけです。庭には好きなバラをたくさん植えてましたし、大きなあじさいの木もありましたから、それらの陰に入ると捕まえるのにこちらは手や腕が傷だらけです。

こういう悪戦苦闘の数日が続いたのですが、クリスマスがいよいよ近づいてくると、さて、ここで問題が持ち上がりました。こうして名前までつけてしまうと、とてもとても潰して食卓に載せることなどできましょうか・・・名前はつけるべきではなかったのです。娘など、よもやそういうことには考えが及ばないでしょう。夫もわたしも、つぶせるわけはなし。

しかし、このまま庭で飼っておくというわけにもいかないのです。なにしろ、我が家には犬のポピー、そして数匹の猫たちもいるのです。このまま飼って行くと、アフォンソとマチルダを守るために四苦八苦、そのせいで毎日クタクタになるのが目に見えています。

一日一日と延ばし延ばしになり、ついに決心を迫られる日が来ました。我が家で始末するわけには参りません。ネコや犬たちが騒々しさや血の匂いできっと怖気づいてしまうに違いありません。裏に大きな畑を持つジョアキンおじさんの飼っているブタが、悲鳴を上げて鳴くことがままあるのですが、わたしには何が起ころうとしているのか想像できます。そのときの我が家の犬猫たちは「なにごと?!」とでも言うかのようにみな揃ってあっちへすっ飛びこっちへすっ飛び。その不安な様といったらありません。

子供達に、「これはアフォンソとマチルダです、頂きましょう」と言えるくらいの気概が哀しいかな、わたしには当時ありませんでした。

結局、週に2度、我が家の掃除にくるお手伝いのドナ・ベルミーラに2羽とも上げました。不意に手に入った素晴らしいご馳走です。嬉々として2羽を抱えて帰って行ったお手伝いさんの後姿を見ながら、わたしはちょっと複雑な思いでした。こんな気持ちになるのなら、肉類はもう口にしなくてもいいや、なんて偽善的な思いが頭を横切ったものです。

生きる、ということは、そのために生かされてる命があるのだ、ということに思いを馳せる出来事でありました。子供達には、一言「お手伝いさんにあげましたよ。」それで十分伝わったでしょうか。

モイケル娘の複雑な表情を打ち消すかのように、わたしはクリスマス・ソングのCDをボリュームアップでかけたのでした。

ごめんよ、もいちゃん、そしてアフォンソとマチルダに合掌。
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2017年12月3日

街はすっかりクリスマス気分で、夫と昼食をとろうと出かけたダウンタウンのレストランBrasão(ブラザォン)も窓がこんな感じに飾りつけられ、おまけに満員でありました。

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車を駐車する場所もなかなか無く、やっと見つけたのが、エヴァンジェリカ教会(福音主義キリスト教会)の前
そうして、帰宅後は我が家も例年の如くクリスマスツリーを引っ張り出して、飾りつけました。

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クリスマスツリー
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暖炉の上
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スノーマンもこの時期やと登場です。
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パソコン周りはこんな具合に。絵は「Véspera(ヴェスペラ)」と題されてありますから、聖夜のことですね。
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ポインセチアは残念ながら造花です。我が家は4匹猫がいるのですが、ポインセチアを食べないとも限らないのです。左のオルゴールは息子のもので、30年以上の年期が入っています。

クリスマスの飾りつけはまだ全部終わっていませんが、こうして幾ら飾り立てても毎年どうしても足りないものがあるのです。子どもたちの姿です。ポルトガルでは、ヨーロッパに出稼ぎや移民で住んでいる人たちがたくさんいますが、この時期に両親のいる家に帰ってきて、家族で過ごす人が多いのです。

長い休暇がとれない日本から、我が子たちがこの時期に帰国してくるのは難しいのですね。
でも、まぁ、さて置き、1年の締めくくりの月、12月に入りました。
本日はこれにて。
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2017年11月30日 

我が家のリビングには、セラミックアーティストの義兄の作品を始め色々な作品が飾ってありますが、これもその一枚です。

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現在住んでいるフラットに引っ越してきたときに、ポルト郊外に住む大阪出身の長年の友が、「あんたにええもん、プレゼトしたる」といただいのが、この油絵です。猫の好きなわたしをモデルにして描いた、題して「猫と女」なのだそうで・・・

モデルと言っても、実際にモデルとしてキャンバスの前に突っ立った覚えはありませんw それに彼女と知り合う前なら、この絵のように45キロでスリムでしたが、現在のわたしゃ、こんなわけではないし(笑) しかし、顔の表情がどことのぉ、似てるような気がしないでもない。

髪の様子など、まるで「髪バリバリ冷や汗事件」の如しではないか^^;

彼女の想像でガーッと描かれて(あやつのことだす。そんな調子にほぼ間違いないw)、出来上がった作品ではありますが、色具合がとても気に入ってるのです。

ところがこれを入れる額を注文するとしたら、2万やそこらではすみませんですよ・・・(額も一緒にくれ~~w)
引っ越した当時は、ローンの他にモイケル娘日本の大学受験という密かなる計画もあり、まだまだ物入りな時期、そのうち余裕ができたら注文しようと思い、お蔵入りももったいないので額無しで飾ってきました。

絵の決め手は額縁、と考える人もいるとのこと。また中身の絵そのものより額縁の方が高かったりするらしいですが、額によって絵の出来栄えが違ってくるとは、素人のわたしにはよく分からないところです。

でもって、15年来ずっと額無しで、我が友からプレゼント、「猫と女」はリビングにおわします^^
本物の4匹猫とモデル女と一緒に^^

本日はこれにて。
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