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2018年1月30日 

遅延原稿提出、鍵持ち忘れの締め出し事件、2時間半の特別日本語授業準備、そして土曜日午後が生徒たちの漢字検定試験場への付き添いとハードだった一週間が終わりました。

が、今週は通常週二回のマセラッティの君の日本語授業が毎日入ったのと、ただ今、NHKのラジオ出演のため、色々下調べをしているのとで、今週も落ち着かない毎日です。

放送は2月3日、今週の土曜日の日本時間5時からのNHK番組「地球ラジオ」のプログラム「イチメン」です。

日本のラジオ放送には2005年に初めてNHKさんから依頼があって2、3回出演していますが、その後、東京FM、九州朝日放送からも出演が舞い込み、その都度、失敗如きをしでかして、恥じ入るばかりでした。

最後が今回と同じ番組で、2010年の地球ラジオで、こんな具合でした。

2010年7月12日 ラジオ出演裏話

昨日の朝は、さっさと猫にご飯を食べさせ、インタビューが始まる前に猫たちを電話のある玄関ホールから締め出し。だってそうでしょ? 5匹もいる猫です、インタビューを受けて話している最中に、猫同士が騒ぎ出したり追いかけっこしたりして、わたしの元に逃げて来て、その足がうっかり受信ボタンにでも乗ってごらんなさい・・・こういうことは、電話で話しているとき、日常的に起こっているのです。

それに、番組中に夫が起きだして、部屋からホールに続くドアをうっかり開け、ねぼけ眼で「Ohayo」なんてきたら、生放送ですから、そのまま筒抜けです。 テレビ、その他の音源は切ってくださいとお願いされています。これも音源です。

そこで、事故防止のため、直前にドアに「On Airにつき、Do not open the door!」の張り紙をいたしました^^モイケル娘にこれを話しましたら、「おっかさん、せめて、Do Not enter ,Pleaseで行こうよ」諭されましたっけ^^;
い、いや、だからね、さほどに気が急いてたもので、もともとがたいしたことない英語、そうなっちゃったのよん^^;

そうして始まった地球ラジオ出演でしたが、みなさま、聴いていただきありがとうございました。

実はあれ、原稿どおりではありませんでした(笑)
当初の原稿はいたってまじめなもので、そのまま行くつもりでしたが、わたしの前に出演したのオーストラリアさんの語り口がなかなか面白かったので、「あら、なんだ。こんな風でよかったのん?それならわたし、地で行けるわん」と急遽、原稿そっちのけで、しゃべりに入りましたw

そんなわけで最後にもうひとつ、話す予定のトピックが用意されていたのですが、そこまでたどりつけず、時間切れのとっつばれ!(=津軽弁で終わりの意味)

でも、ひとつ、「ゲタの君」こと「がっぱさん」のコメントのご指摘で気づいたのですが、配慮に欠けた言葉があったのが「ドウロ川」!この言葉、自分の頭の中では「知ってて当たり前」になっていて、つい注意を怠ってしまいました。

ポルトを知っている人、またわたしのブログに遊びに来る人には、なじみの言葉ですが、知らない人には「道路側」と聞こえても恨めませんわ(笑)
「文は聴く人が聴いて分かるように」という作文を書くにあたっての自分の原則を作っているのですが、「ドウロ川」を今回はすっかり忘れました!アカンやん、これ・・・・・^^;

さて、こんなことを書いておりましたら、仕事が退けて帰宅したモイケル娘、スカイプに上がってきて言うには、「今日は、会社で面白いことがあった!」

いつもはつまんねぇと言ってる娘、ん?どんなことがあったのかとおっかさんは訊ねる。

「会社の広報の人がうちのショに来て、モイケルさんのお母さんてユーコさん?」と聞いてきた。「げ!ホームページでも見つかったか!」と思ったら、どうやら昨日の地球ラジオを聴いたらしい。ポルトガル、それに、あまり聞かない苗字からして、ひょっとして、と確認にきたらしい。

で、モイケル娘がわたしに言うことにゃ、
「○○(←我が苗字)は下手なことができないね」
そりゃそうだす。全国でも130人くらいしかいないと言われているのであります、娘よ。
・・・・・・・・・・

5年前(2005年)に出演したときは、ある日突然、手紙が舞い込み、「え~っと、あれ?」と知ったような知らないような名前に頭を傾げて封を開いてみると、

「○○さん、びっくりしました。今日ラジオを聴いていたら、突然、この苗字!めったにある苗字ではないので覚えています。40年ぶりの遭遇にただただ驚いています。しかもポルトガルにいたとは!」と、差出人は、弘前の我が母校、南高校時代の同窓生の女性でした。

そんなこんなで、長崎からもそして、昨年初秋の帰国時に40数年ぶりに再会した我が永遠のペンフレンド、今はメールフレンドのAさんからも、連絡を怠ったにも拘わらず「聞きましたよ」とメールが届きました。

もしかして、他にも会うことなくして何十年なんて知人がわずか数分の放送ですが、それを聴いたかもしれないと思うと、電波の力の素晴らしさ、そして珍しい苗字のありがたさに今更のように感心しているのであります。

ほんと、モイケル娘ではありませんが、これじゃ下手なことができない^^;
ということで、聴いてくださったみなさま、ありがとうございました!

こちらは、2007年6月13日

6月6日に出演した九州朝日放送KBC番組生放送ですが、放送内容をmp3ファイルで送ってくださいました。

しかし、聴いてみてやはり気恥ずかしかったのが正直な感想です。そして、思ったのが、自分が時々国際電話で話す際に、受話器を通して聴く妹の声に、なんとまぁ似ていること!

自分たち姉妹はそう思わないのですが、どうもかなり似てきる姉妹らしいです。帰国して所沢の妹宅に滞在するたびに、外を出歩くとわたしの見知らぬ人たちが何人も挨拶して行くのには毎度戸惑っているのです。

二人して歩いているときなどは、あれれ?と皆さんの戸惑っている様子がうかがわれます。
妹などは「ププッ。また困ってるのね」と喜んでいる始末。考えてみると、ヘアスタイルは同じ、茶髪も同じ、背格好も同じ(笑)

時々、妹に「あれ、Kさんの妹さんだったの?」なんて言う人には、わたしは思わず、ニタ~。
「なんでよ!」と言う妹を笑っているのであります(笑)

子どもたちが幼い頃は、長い夏休みを利用して1ヶ月以上の滞在。台所にわたし、若しくは妹が立っていると、4人の子どもたち(我が子二人、妹の子二人)は、よく間違ったものでした。
後姿もよく似てるのですって(笑)

妹の飼い猫のジャイアンまでが、見間違って後ろからわたしの肩に飛び乗ったりすること度々。
妹とお互い、「いやぁね。」と言い合わないのがいいところでしょうか^^

さて、話がラジオ出演からそれてしまいましたが、MP3を聴いて「げ!」も、もうひとつ、間違い発見をしたのです^^; やっぱり粗忽者だ。

これまで何度か経験してきラジオインタビュー、質問をちゃんと聴く余裕もできてき、自分が準備した原稿どおりいかなくても、なんとか取り繕うこともできてきたのはいいが、調子に乗りすぎて、ポルトのいわしの話に及んだ箇所で、その時飲むワイン、「VinhoVerde」のテーブルワインなのに、うっかりポルト・ワインと言って・・・しまってた・・・・・

すわ!と勿論すぐ番組担当者に陳謝のメールは送りましたが、数日前の生放送ではもうどうもなりませんわい^^;リスナーのみなさま、平に平にご勘弁を^^;

ディレクターのお礼のメールにあった一言に、
「たいへん上手に話していただいたので、なにか喋ることを仕事にしていた人かとみなで話していたのです」(汗)

日本語教室や土曜日の職場で、確かに話してはいるから、それもまったく当たっていないとは言えません。

わたしが送付したMP3を聴いたモイケル娘いわく、「相変わらずよく喋ってるね」どうもどうも(笑)


しかし、なんと言っても印象的だったのは2005年の最初のラジオ出演です。この時の様子は次回に。
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2018年1月27日 

自分のおアホさ加減に疲れたのと滅入ったのとで、この3日ほどブログを書く気も削がれておりました。
ハイ・・・

木曜日の昼頃のこと、外猫たちの昼ごはんを運ぶがためエサを持って出ました。少し日が照っており、大きなゴミ箱の上で日向ぼっこをしていた赤ネコちゃんと黒猫君が、わたしの合図を聞くなり飛んできました。

二匹にそれぞれエサを分けてやり、どれ帰ろうか、今日はポルトガル語に出かける日だし予習をしないと、と思い何気なしにコーデュロイパンツのポケットに手を入れてハッとした!か、鍵があれへんやん、うわ~~ん(涙) 2年ぶりに鍵を持つのをうっかり忘れて家を出たなり。どうにもあきまへん。
おまけにすぐ側ですから、家の中にいるままの服装で出ちまった。

外は日が照っているものの1月ですからね、寒い。これは大分困ったぞ。ケータイやスマホに頼っていると電話番号を覚えないので、こういう時はまことに問題だ。向かいのカフェやコンドミニアムのご近所で電話を借りることができたとしても、電話番号をしらないからどうにもならないのである。

合鍵を預けてある義兄のとこまで行きドアの呼び鈴を押しても応答なし。いつもこうなの。合鍵預ける意味がないじゃ~ん、と自分の迂闊さを棚に上げ、人をチョイと責めてみる。そだ、Oちゃん夫婦が夫のケータイ番号を持っているのだった。彼女の固定電話番号なら、影絵や日本語教室関係でちょこちょこ連絡を取り合っているので覚えてる。カフェのおじさんに頼んで電話を貸してもらい番号をプッシュすれども、こちらも応答なし。

コンドミニアムは年に数回会議をするし、代表もいるのでいざという時のためにお互いの電話番号を交換しているはずだと思い、階下の人に聞いてみたが持っていない。
えっと、夫は今日はどこの病院におるんだっけ~~。これもはっきり覚えていないのんきな妻であります。

そうこうすること2時間、いよいよ持ってこれは諦めて夫の帰宅を待つほかあるまいと腹をくくり、
コンドミニアムの呼び鈴で住人にビルの外ドアを開けてもらい、二階の我が家の前にある階段に座ること15分ほど。

すると、階下から「お~い、奥さん」と呼ぶ声がする。なんぞやと下へ降りてみると、うわ!階下のご主人がご近所のジョアキンおじさんが持っているアルミニウムの2連はしごを借りて来て、二階の我が家のベランダに渡している。

ご主人が上ろうとするので、「待って待って。わたしが上ります」 なんとなら、おじさん、少し足が不自由ゆえ、自分が落ちるには仕方ないが、おじさんが万が一落ちでもしたら責任重大。

わたしは高所恐怖症気味なところがありますんで、怖かったです(泣)
たまたまベランダのガラス戸がロックしていなかったのでよかったけれど、そうでなかったら・・・家には入れませんでした。

夫が帰宅したのは夜8時ころ。あのまま外にいなければならなかったとしたら、今頃は風邪にやられたこと間違いない。

と言うので、今日は日本語教室の仕事から帰宅するなり、「プレゼント」と夫から我が首にかけられたのが、これ↓

key.jpg

これをね、ドアの取っ手に常にかけておきなさい。出るときに首に下げて出るべし・・・・ あわわわわ、これでいっぺんに年相応になった気分だい。いえね、これは今に始まったことではないので、歳じゃないのよ、ダンナ・・・

とまぁ、こんな数日だったのでした。

過去のこの手の失敗談のひとつを下記に(汗)

2009年5月

「動きすぎるんじゃないのか?」とそれこそ忙しい夫に言われてしまった今日のできごと(笑)

今朝10時からの予定だった出張日本語が12時からに変更。7月始めまでは、とある語学学校の日本語短期コースを受け、これが水、金の2時半から二時間です。いったん帰宅してサーッと簡単な昼食をして出かければ間に合う、と読んで、朝さっそうと出かけたはいいが^^;

しばらく前から復帰した我が家のお掃除のベルミーラおばさんが、火金と来るところ、今週に限って水曜日の今日に変更したいとのことで、「時間が来たら終わって帰ってね。あ、コーヒーも適当な時間に淹れていいのよ。」と彼女に家を任せて出たのでした。

外での授業を終え、車を止めてフラットの表ドアの前、バッグに入っているはずの鍵をゴソゴソ探ったら・・・ぬぬ?な、ない?ないの?うそだ~(泣)

鍵にはかなり用心するようになったので最近、忘れることはあまりないのだが、今日はベルミーラおばさんが、わたしの後に残るのでドアをロックしないで出たのでありました。ポルトガルの家のドア、うっかり鍵を持たずに閉めようものなら、消防車でも呼ばない限り金輪際中に入れない。

これはもう、過去にさんざん失敗をやらかして、そそっかしいわたしがやっと学び、近頃はこういうことをしでかさなくなったのでしたが^^;

また、家中に人がいるのに迂闊に外からロックすると、今度は中の人も鍵なくしては金輪際外へ出られない(笑) わたしは一度、ベルミーラおばさんを閉じ込めて出かけてしまい、エラい気の毒なことをした経験があるのです。

はて?どうしたものか。

そうだ、こんな粗忽者のためにと、近くの義兄の家に合鍵を預けてあるのだ。「兄貴、いるかな?いるといいな・・」と一心に祈りながら彼の宅へ向かったのだがベルを押すとドア越しに聞こえるのは、彼の愛犬の吠える声のみ。

こまったぞ、こりゃ。2時半の授業にはまず間に合わん^^;めったに使うことのないガラケーでもこんなときに役に立つ。早速夫に電話。すると、「もしもし」とポルトガル語で女性の声が。

あやつの携帯になんで女が!そこをぐっと抑えて、
「あたしが話してるお相手はどなた?」と問うと「Y子です~」。
「なぁんだ、Oちゃんか^^」 友人ではないか。
慌ててるから間違ってかけたんだ(笑)

夫に連絡がつくが、鍵を届けてあげたいが、2時半から患者が待ってるから無理とのこと。車ぶっとばし夫の働く私立病院があるボアビスタまで行くっきゃない。結局、この日の日本語授業は申し訳ないが、電話で学校の事務員に笑われてキャンセルを入れたのあります。あ~あ、疲れた。


昔から同じようなことをし続けている学習能力がない人間でございます でも、今回はいいことを思いついた!しかし、ここでは書けませんです。ひ・み・つ

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2018年1月24日

毎月ではないが、依頼を受けて、時には翌月も、或いは2ヶ月置きにと10年以上、ヨーロッパ在住の日本人向け会員雑誌にポルトガルの記事を書いてきましたが、今回初めて原稿締め切りを失念しとり、催促されました。

10年以上も書いているとネタも少なくなり、2年ほど前に「読者が比較的容易に足が運べるポルトガルの名所、穴場は、ほどんど紹介したので、そろそろ執筆を失礼いたしたい」と申し出たところが、替わりが見つかるまで年に四回ほどでもいいので」となって今日に至っています。

2018年は1月4月8月12月の執筆で、既に取り上げる箇所を昨年のうちに決めてしまい、1月号は覚えていたものの、次の4月号をコロッと忘れてしまっていたのでした。掲載する記事は自分が直接現地に行っていなければならないのと、撮った写真も提供するので、季節に合わせるには普段から取材の気持ちを持っていないと、いざ、これを書こう!と思っても写真の関係上、1年先のテーマにしなければならないこともよくあります。

そんな訳で、原稿提出の延期を願い出て、下調べに勤しんでいる午後であります。

さて、ポルトは相変わらず雨模様でうんざりしております。そこへ持ってきて先日こんなニュースがありました。

8000枚のアズレージュ(絵タイル)からなる、ポルトガルの著名プラスティック・アーティストのジョアナ・ヴァスコンセロス(Joana Vasconçelos)の壁画がヴァンダリズムに会う」
ヴァスコンセロスの外壁画は、ポルトのダウンタウンに昨年2月にオープンしたアメリカのチェーンレストラン「Steak 'n Shake」店の呼び物になった外壁一面に貼られたシンボルのアズレージュ絵なのです。

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「Steak 'n Shake」レストランの外壁

大きなアズレージュ絵は通常一辺が15センチの正方形を何枚もつなぎ合わせて作るもので、15世紀以来のポルトガルの伝統的工芸品と言えます。ヴァスコンセロスの作品スタイルはアズレージュに限らず、鮮やかな色彩を使った斬新なデザインで知られます。
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アーティストの名前と作品が作られた年数2016に傍線が引かれ、大きな文字が緑色で書かれています。カラースプレーの落書きは消すのがなかなか手がかかって厄介なようです。

これまでにも街のあちこちで見かけてきた落書き、例えば、わたしが街で見かけた下のようなのもひどいけれども、これは私有物の芸術作品ですから犯罪でしょう。

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ポルトガル、スペイン、アメリカ、南米などに、カラースプレーを使った落書きが多いのは共通した心理があるのだろうか。日本人はこんなことはしないよと、苦い顔をしてニュースを聞いていたら、なんとまぁ!  

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今朝のネット新聞で見たのが上の画像です。

「東京都内の地下鉄各線で、電車の車体に落書きされる事件が相次いでいる」とのこと、この手法からして、恐らく外国人であろうとわたしは推測しています。つい先だっても、アメリカで人気があるYoububerが日本に旅行に来て、青木が原の遺体を写して動画に上げるなど、好き放題のことをしている日本を小ばかにしているような画像を目にして、不届き者め!と立腹していたわたしです。

東西南北、おふざけじゃござんせんよ。どんな気分になるか自分の家の壁に描いてみろ!と、本日は少し怒っているおっかさんでございます。

ジョアナ・バスコンセロスと彼女の作品については下記にて案内していますので、興味がある方はどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1777.html

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1811.html
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2018年1月22日 

日曜日の昨日、2週間ぶりに埼玉の妹宅に電話をして、あれやこれやと近況報告をしていたところ、「明日の雪が色々心配なのだ」と言う。

屋根に積もった雪が狭い庭に落ち、植えてある木や花を直撃するので、紫陽花がモロに被害を受けて花が咲かなかったし、木も一本ダメになったのだそうだ。あららら、と、雪なんて随分長い間見ていないわたしは、そんなダメージを考えず、雪を懐かしいとさえ感じていたのでありました。

わたしたち姉妹は弘前の雪国育ち。子どもの頃は、軒下ほどまでもどっさり積もった雪相手に屋根から飛び降りたり、かまくらなるものを作ったり、荷橇(にぞり)に子どもたち数人が乗って長い坂道をすべりおりたりと、寒さも雪による害も知らずに遊んだものでした。

今日の東京は大雪に見舞われ積もったようですね。東京に住む息子と娘が気になりLINEに「お~い、そっちは雪、大丈夫?」とメッセージを入れたところ、息子から帰ってきた返信、「大丈夫。でも電車、動いては止まり動いては止まりして、仕事場の埼玉にある大学から帰宅まで4時間かかった」

「それで、帰宅したらこうなってたぁ~」、と送ってきた画像がこれなり↓

yuki2.jpg

我が東京息子、この1月からパートナーと一緒に住むため、西武沿線の広い住居に移ったのですが、彼女は数日前から海外出張でおらず。今朝は、洗面所の窓を閉め忘れて出勤したため家について見たら、この通り、窓から雪が吹き込んで積もってるではないの(笑)

窓閉め忘れって、おい!わたしがいた頃の日本ならいざ知らず、戸締りをきちんとしないと今は危ないよ、と言いかけて止めた。4階だし、ま、いっか(笑) しかし、この後、息子はこの雪をどうしたんだろうか^^;

と、思っていたら、今朝ほど再びこんな画像が送られて来ていました。

yuki4.jpg

たまたま大学の授業がない今朝、新居のベランダに積もった雪をかき集めたのだそうだ。てっぺんにチリさらいが突っ立てているのに笑った。そりゃそうだろう、雪国じゃあるまいし、雪かき用スコップなど備えているわけがない。

モイケル娘からは遅くに「こっちは大丈夫だよ。メトロだから」と返信が入りました。

息子よ、娘よ、今なら東北へ足を向ければ見たかった雪がいやと言うほど見られるぞ、と思っている母であります。

今日は昨夜アップしきれず、日遅れの記事になってしまいましたが、ご勘弁を。

では、また後ほど。
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2018年1月20日 

サラリーマンにとっては花金の金曜日も、わたしにすれば日本語個人レッスンと併せて土曜日の授業準備の日でもあり、バタつく一日です。

目下、市立図書館の土曜日コースは2クラスなのですが、一つが初級2年目のクラスで来週末には漢字検定試験10級を受験することになっています。漢検は通常日本人向けの試験で10級は小学校1年生が習得する80の漢字から成る語彙の音訓の読み方、書き、筆順、とめ、はね、はらいが問われます。

これを海外の日本語学習者が受験するのは、10級たりとも侮れないのです。一つには、語彙が日本の小学生対象ですから、日本語テキストではまず目にしない言葉が多いのです。

例を挙げると、校てい、ろう下、こん虫、かぶと虫、玉入れ、お年玉、一りん車、等々、日本の小学生の生活に関する言葉は混ぜ書きが多く覚えにくいものです。知ってて無駄だということはないのですがね。

漢検に合格して日本語の証明書を手にすることにより達成感を味わってもらい、漢字、ひいては日本語を習うのは面白い、というところへ引っ張って行きたいのです。

その漢字を覚えてもらうには、検定試験のような目標があると生徒がよく勉強します。また漢検の受験料が13ユーロ(1700円くらい)と安いのも魅力です。

我がYY塾では、ローマ字版の日本語テキストを使って文法を勉強しながら、同時にひらがなを一通り習います。その後、日本語版テキストに切り替えてカタカナを覚え、テキストがだいたい読めるようになった時点で、漢検10級、つまり小1の漢字80文字を習い始めます。

そして、週一回の日本語授業で、毎回20分ほどの模試を繰り返します。模試に使用するのは過去問題集一冊ですが、これを宿題と授業とで併せて3回繰り返してもらいます。つまり、一冊の問題集を3回繰り返すということです。

こうすることで、授業で使う日本語テキストには出てこない漢字熟語を覚え、よくする間違いをクリアしてもらいます。筆跡、筆順も改めてこの時に指導します。3回繰り返し自分の弱点をクリアすることで、受験を2、3週間後に控えた頃には、合格点が総合得点の80%のところを、全員ほぼ90%以上のところまで到達します。

これで、試験で見たこともない新語を目にして間違ったとしてもほぼ全員合格できるというわけです。

pass-2.jpg
Wikiより

このように、これまではずっと試験一週間前ともなると受験者全員がほぼ90%以上の正解率になっているのですが、今回は少し手こずっています。一週間に一度、80分の授業ですから自宅学習を怠るとてき面書けなくなります。覚えないのです。今回のクラスのように社会人が多いと、仕事と勉強の両立が難しく、そうなりがちなのでしょう。

でも、生徒さんたちへの指導は、spacesis、ひたすら「忍耐」の二文字です^^

「親という字は、木の上に立って子供を見るです!」
「数えるという字は、米を女が数えるのです!」
「南という字は、南十字星が見えることから、十で始めます!」
「休という字は、木に人がよりかかって休むAlentejano(アレンテジャーノ)だよ」
アレンテジャーノとはポルトガル南部の農業地アレンテージュの農夫の意味で、画像の如し↓

yasumu.jpg

という具合に、「あなたのウィークポイントはこの漢字!」としつこく何度でも教えますぞ^^

見逃せないのが「算用数字」です。これは筆順の番号を書くときに使われるのですが、「1」「4」「7」の数字はポルトガル人の独自の個性があり、日本人からみると紛らわしい。そこで、これらの数字も

わたし「1、4、7はこんな風に書いてはいけません!」
生徒「オー・マイ・ガッド!数字の書き方で落とされたらかないません!」

押さえるべき、目をつけるべきポイントを教えた後は、わたしが言えるのは、「後一週間もある。まだ間に合うから諦めるな!」です。そうして、全くダメだったのが頑張って合格したケースもあります。

今年の漢検受験生は我が塾から10級が8人、9級が一人、同僚のOちゃんのクラスからは9級が3人と、合わせて12人ですが、数年後の予備軍として8級と7級を我らがジィジィズたちが受験を目指して目下勉強しています。ジィジィズとはわたしがつけた名称で、65歳以上のおじさん生徒たち、JiiJiisのことであります。

って、自分もその仲間に入るんだった。しかも最年長者の先生だった。がはははは!

来週土曜日の昼から、付き添いで生徒たちの漢字学習を試験ギリギリまで見てあげるつもりです。受験前には、「みんな、合格点は150点満点の120点。つまり、問題を15こ間違ってもいいんだよ!」と送り出します。

こうなると、もう親の心であります(笑) 

本日はこれにて。
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2018年1月17日 

久しぶりにポルトは雲ひとつ無い真っ青な空です。

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こんな青空の下、自動車道路で車を走らせ、今日は10時から某企業のおエライさんの日本語レッスンへ行き、その後スペイン系のデパート「エル・コルテ・イングレーズ(El Corte Inglês)」で買い物をして着ました。

店内では1月に入るなりすぐバーゲンセールが始まったのですが、実は先週夫に話して許可を得、買ってきたものがこれであります↓

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スーツケース、うふふふ。 もうすぐ帰国かって?いえいえ、まだちょっと先になるんですけどね、気が早いのと、4割引というのに惹かれ買ってきました。3年ほど前に買ったものにまだ十分使えるのがあるのですが、実はこれ、二つ持っていくスーツケースの一つなのです。

数年前から、23キロの手荷物がを二つ持っていける、持って来られると言うので、昨年までスーツケースは一つにし、もう一つは段ボール箱に日本食品等をぎっしり詰めて持ち込んでいたのですが、こちらの空港で通関する時、必ずや止められるのです。

段ボール箱が係員の目を引くのじゃないか?と思ったもので、今回は少し小さめのスーツケースを買ってきたというわけです。これにぎっしりと本やら食品やら詰め込んで来るのさ!と考えて眺めるだけで、思わずうっふっふなのです。単純なわたくしでございます。

みんな、春になったら行くからね、待っててや!

これは閑話休題として、さて、本日の本題、「東のポルト屋」。
我がモイケル娘が店長なのですが、クリスマスから10日間ほどの休暇をとり、「東のポルト屋」サイトをもっと賑やかにしようと手を入れる予定だったのが、風邪でダウンしたようでせっかくの休暇もクリスマスも正月も寝て過ごしたようです。

幸い、婿殿が厨房に立つをいとわぬ御仁なので、娘の食事はあまり心配なかったのですが、こういう時、すぐに飛んで行って手伝ってあげられないのが、母として残念です。

そんな訳でサイト更新が遅々として進まず、代わり映えしなかったのですが、やっと少し手を入れ始めたようです。
トップページはこちら→http://www.higashinoportoya.com/

今回はポルトガルの伝統刺繍のひとつ、フィレ刺繍もこちらで見ることができます。
http://www.higashinoportoya.com/bordadofile/

この手作りのフィレ刺繍ですが、わたしはファンです。日本の友人知人には必ず持っていくお土産のひとつなのです。まだ、ポルトが今のようにツーリストが訪れず、寂れていた頃、(それがまたそれなりによかったのですが)暇を見ては良く歩き回って写真を撮っていたのです。

ダウンタウンのとある伝統手芸品を売る店で見つけ、すっかり気に入ってしまったのです。以来、その店に立ち寄っては買い付けるのですが、中には注文して作っていただいたものもあります。

フィレ刺繍は後継者がいなくて、なかなか目にしない伝統工芸です。とても残念に思い、わたしはブログではもちろんのこと、ヨーロッパ在住の日本人会員向けの雑誌にも取り上げて、紹介しています。

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フィレ刺繍の大きな作品。

ショップで扱っているのはモチーフですが、大きいものに興味がある方はあちらでお問い合わせください。

こちらはポルトガルのキチン雑貨です。
http://www.higashinoportoya.com/kitchen/

お時間がありましたら、是非「東のポルト屋」にお立ち寄りくださいませ。冷やかしでも結構です^^

また、サイト右欄では「ニュース・ポルトガル」もいつの間にか更新しています(笑) 日本で今ブームのAnelloリュックについても一言、書いています。

と、今日は、親バカなのでありました。本日はこれにて。
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2018年1月16日 

子供の頃から観てきた映画は数知れず。
わたしの小学生時代は今のようにテレビなどほとんどない時代でした。小学校の講堂を利用して映画教室(わたしたちはこれを「幻灯」と呼んだりもした)が、時々催されました。

椅子などには座らず、そのまま床に地べた座りです。スクリーン代わりに講堂の壇上に大きな幕が張られ、私達のすぐ後ろでは映写機が裸のままジ~ッと回るのです。

そうして観た映画は数々。「綴り方教室」「にあんちゃん物語」「コタンの口笛」「地の涯てに生きるもの」「24の瞳」「柿の木のある家」「のんちゃん、雲に乗る」「緑遥かに」「怒りの孤島」等等。

これらの物語はどれも、子供心に深い感銘を与えたように思います。なぜなら、わたしは今、ここにこうしてずらりとタイトルをあげることができる程に、覚えているのですから。

本から学ぶことはたくさんありましたが、映画鑑賞から教えられたことも山ほどあるような気がします。根が単純なせいか、映画などは観ている途中から観客としての立場を忘れて思わず引き込まれ、主人公にめり込んでいることが度々あります。

観て一巻の終わりではなく、「もし自分の身にあのようなことが起こったら」と後で考えて見ることは、普段ののんびりした生活のちょっとした起爆剤になるような気がします。

たかだか70年80年の人生で、わたしたちが経験体験できることは、知れているでしょう。でも想像力を持つ私達人間は、それを駆使して模擬体験できます。更に、賢い人はそれを未来につなぐことができるでしょう。

自分の身を人の立場に置いてみる。これはたやすいようでなかなか難しい。孔子の論語に、「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。」とありますが、「60歳で他人の意見が分かる」と言うのには、その歳の頃には、「人のなすこと言うことが、環境、文化、教育の背景から来るものであり、いちがいに笑ったり怒ったりはできない」という意味合いも含むのではないかと思います。

異文化社会に身を置く場合、私たちは、特に若い時は往々にして自分が体得してきた常識なるものをうっかり振りかざし、批判しがちです。わたしにも若い時、迂闊にもそういうことをしてしまった後悔があります。

日本の教育が一番いい、と錯誤したこと、日本人は時間厳守、常にきっちりしていて他人に及ぼす迷惑行為はあまりとらない、と言う幻想、これらは勿論、まったく違うわけではないのですが、時間を守らない、きっちりしない、迷惑行為を平気でする、などの同国人に実際は出会って来ました。

するとですね、ここで言えるのは、日本人だから、ポルトガル人だからの問題ではないと言うことです。日本人であるわたしも、同じ国の人から、「ポルトガルに長い間住んでる人だからねぇ」との印象を与えることがあるかも知れません。しかし、海外に長い間住んでいてもむしろとても昔の良き日本人かたぎをもつ人も結構いるのです。

このように海外在住が長い人と言うのハ実は、「異国に住んでいる」からではなくて、「単一の文化を離れて体得してその考え方、行動の仕方に辿り着いた人」だと、今思っています。つまり個性と言えるのではないか。

国柄は人柄に似ているのでしょうか。国も人も個人的に好き嫌いはあるでしょうが、それの批判にとらわれるか、個性ととらえて理解しようとするかで、随分私達の接し方にも生き方にも違いが出て来ると思います。

このように物事をとらえる想像力は、読書や映画の鑑賞から、そして異文化体験からも十分に養うことができるでしょう。

名古屋に住む知人の杉さんというテレビ局関係だった人がいますが、若い頃、彼は卒論のために淀川長治さんや小森和子さんにインタビューで何度かお会いしたことがあるのだそうで、「映画をもって人生を生き抜く術」をお二人から教わったとおっしゃいます。

読書も映画も、そして海外生活も、「想像力を駆して自分の身をそこに置いてみる」。これは不満から出る、ああだこうだとの批判以上に、わたしたちに素敵な生き方のコツを示してくれると思います。

今日も雨のポルト、日本語教室は1レッスンのみの日、真っ青な空が恋しいなぁと思いながら、家の中でこんなことを考えていたのでした。
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2018年1月15日

海外に住むようになって気づいたことのひとつに、日本人の臭覚は敏感だというのがある。

日本では街を歩いていても、はっきりと気づかないような香水、オーデコロンのつけ方をするように思う。ところが、ポルトガルではすれ違いざまに強烈な香りを放つのに何度も出会っている。

わたしの香水に対する持論は、病院、レストラン、学校、混雑する電車を利用する場合はつけないこと、である。が、こちらにはそんなことに構わない人がたくさんいて、閉口することに度々で出会っているのである。

もっと身近な例を取り上げると、わたしの住むフラットは4階建てで8世帯のコンドミニアムなのだが、週に一度、建物内の階段を掃除する人がいる。2年前までは、我が家に通っていたお掃除のベルミラおばさんがこの仕事も請け負っていて、清掃には爽やかな香りのする洗剤を使用していた。

ところが、ベルミラおばさんが事情で来られなくなり、新しく若い人に頼むことになった。これが甘い強い香りの洗剤を使い始め、わたしは室内にいてもその匂いがするもので、それには辟易。

そんなときに一歩自分の家のドアを開けるや、階段から匂いが立ち上がっているような錯覚すらして、自分の髪にその匂いが染み付くもので、「掃除係の人に洗剤を替えてもらえないか」と夫に苦情を言ったことがある。

夫は、少し強いが自分はあまり気にならないというのであった。しかし、匂いが気になり始めると限界がある。係りにそれとなく話してもしばらくは洗剤を替えてくれないので、わたしはこっそり掃除用具置いてある納戸の洗剤を替えて置いたものだ。

そんなことが何度か続き、近頃はやっとなんとかわたしが我慢できるくらいの匂いの洗剤が階段掃除に使われている。
さて、今どうしたものかと思案しているのだが、これも匂いに関すること。わたしはヘアケア類にPantene(パンテーン)を長年使用してきたのだが、昨年夏あたりから、新製品としてPRO-Vシリーズが売り出され、旧製品は全てマーケットの棚から引き払われた。
ところが、この新製品の甘くてかなり強い匂いがどうもいけない。何度か使ってみた結果、洗髪中も髪をドライした後も匂いが鼻についてダメなのである。

そこで、他社のものを色々試してみたが、匂いは気にならないが髪はゴワゴワだというのがほとんどで、パンテーンには他社のは太刀打ちできないのだということを知った次第。

そんな訳でわたしの髪はボロボロ状態が現状である。

強い匂いにはわたしだけでなく他のアレルギーを持つ人もいるだろうに、新製品一色にせず、旧製品、もしくは無臭に近い製品も製造して消費者が選択できるようにして欲しいものだと思い、今回生まれて初めて「クレームメール」如きを書いたのであります。

「長年使用した来たのに、新製品の匂いが気になりもう使えません。残念です。将来、あまり強い匂いがしない旧製品のような洗髪類が売り出されるプランはないのでしょうか。」というようなメールです。すぐ来た返信には「そのようなプランは今のところない。アレルギーを引き起こしたりしませんでしたか」とあった。

ネットで検索してみると、他にもわたしのように匂いが強すぎるとの意見はあるようだが、すぐに変革は望めそうもない。

困ったなぁ。じゃ、いっそのこと、洗髪時は洗濯ばさみで鼻をつまんでやるか。いやいや、それだって、洗った後、髪に匂いがつかないわけではないので、同じじゃないか。他社の製品とミックスしてみるか・・・色々思案中なのであります。

モイケル娘曰く、日本から送ってあげようか?嬉しいんだけど、シャンプーは日用品だからねぇ、そんな訳にも行かないよ。というので、以前あげた香りに関する過去記事もこちらに再掲いたします。以下。

2009年2月20日「使わないのに捨てられないもの」

この2月で母の7回忌を迎えたのだが、若い頃から親の気持ちも思わずに、あっちへふらふら、こっちへふらふらさすらってきた親不孝のわたしは、今回も7回忌に帰国できなかった。

戒名もお経も要らないからといっていた母、最後は棺をたくさんの花で囲み、好きだったタンゴ音楽を流した葬儀になったが、それなら仏教式の7回忌とやらも、きっと「まぁ、いいから」と許してもらえるだろうと、これはわたしの勝手解釈、帰国できなかった言い訳ではある。

中学時代に1年間同居して大阪の学校に通わせてもらった(この時のエピソードはこちら→「急行日本海」)母の妹、横浜の叔母も4年ほど前に亡くなったのだが、彼女は遺言で樹木葬を望み、今は岩手県一関の山奥に眠っている。

その叔母には娘がいなかったので遺品の整理と後始末を叔父に頼まれたのだが、わたしと妹が遺品整理ができたのは、叔母が亡くなって2年後であった。何しろ当時は教育費が大きくておいそれとすぐには帰国できなかったわたしである。

専業主婦だった叔母は、身の回りにあるものはいつも整然と整理しており、一つ買ったら一つ捨てる、もしくは人にあげるというような事を実行した人で、遺品を整理しにいったわたしと妹は正直、舌を巻いたものである。叔母の遺品整理は1日で終わった。

それに比べると我が母ときたら(笑)、特に衣類があるわあるわ。「おばあちゃん、いつのまにこんなのを買ってたのよ?」と同居していた妹が首をかしげるような、まだ一度も袖を通したことがないと思われる着物や新品の帯までが何枚か箪笥の中からでてきたのだった。

着物を着る人がめっきり少なくなり、特に母のような年寄り柄のものは貰い手に困り、紋付を除いては泣く泣く捨てることになったのだが、それ以外にもガラクタまがいのものがたくさんあって、もちろん、見
覚えのある品々は「あ、これ!」と言いながら、姉妹二人、思い出話に花を咲かせながらの遺品整理は随分と時間がかかった。

その時わたしは思ったものである。
叔母のように遺品整理があっさり終わるのも楽だけれどなんだか少し寂しい気がする、物足りない気がする。かといって母のようでは、残されたものが、例えば遠い外国から整理にかけつけなければならないなどとなると、これはかなり困るのではないか?

かくして近頃のわたしは、衣類、食器類、布類など、今持っているもので使わないものは、ふんぎりをつけて少しずつ人にあげるなり捨てるなりしようと時間をみては整理しているだが、中に、もう決して使うことはないと知りながら、どうしても人に譲れない、捨てられないものがいくつかある。

そのひとつがこれだ↓

石の花
=キャロンの香水「石の花」(Fleul de Rocaille)とオーデコロン

石の花

お金もないのに大人の女性の香りに憧れて、20代に初めて身にまとった香水はゲランの「ミツコ」の香りだった。香水「ミツコ」を知ったのは、当時読んだ「クーデンホーフ・光子伝」がきっかけである。

クーデンホーフ光子とは、明治時代に日本に赴任していたオーストリアの外交員クーデンホーフ伯爵と結婚しヨーロッパに渡り、夫の死後もオーストリアに残り7人の子を育てながら、当時のヨーロッパ社交界で「黒髪の伯爵夫人」として知られた日本女性だ。ゲラン社の香水「ミツコ」は彼女の名前からとの由来もある。

しかし、「ミツコ」の香りは若かったわたしには強すぎた。それは成熟した女性の香りで20代やそこらの女が身に付ける香りではないと知った。背伸びはいけない(笑)

「石の花」もロシア民話の同名の物語を知って香水の存在を知ったのだが、この香りは気に入り、以来わたしのコロンも香水もこれ一本で来た。が、ポルトガルに住んでから気がついたことがあり、香水に対するわたしの考えは変わった。

何がというと、香水はつける人は気にならないのだが、周囲の人には意外と気になったりすることがあるということだ。込んだ電車の中、レストラン、スーパーマーケット内、はたまた病院と、香水もT.P.O.を考えないと、時にははた迷惑になる。

ポルトガルでわたしが驚いたことのひとつは、病院へ見舞いに行く人が香水をつけていったりすることである。また、匂いに敏感なわたしは、スーパーマーケットですれ違い際に嗅ぐ強い香りが、いつまでも鼻について、しきりに気になることがよくある。

ポルトガルの女性は、老いも若きも香りを思い切り使うのが好きな人が多いようだ。

こういう訳で、わたしはコロンも香水も使うのを止めて久しい。香水の寿命は開封もので約1年、保存状態がいいと3年、未開封でうまく保存すると10年持つという人もいる。

が、写真にあるわたしの「石の花」は、ポルト近郊に住むブラジル人の友人がパリ旅行をした折に買ってきてもらったもので、10年どころか実は20数年になる代物で、この間、ずっとわたしの下着類が入っている箪笥の奥に眠ってきた。

箪笥を整理するたびに、取り出しては眺め、「今年は捨てようか?」と思いながらも、箱と香水びんの持つ素朴な可愛らしさに負けて、結局また箱に戻し箪笥にしまいこむ。

「石の花」はポルトガルの市場ではなかなか見つからないということも手伝って、賞味期限がすっかり切れてしまい、使うことはないのに、その名の響きに魅惑され捨てられないのである。

本日もありがとうございます。
では、また。
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2018年1月11日 

今日は日本語教室ネタです。

日本語を教えていて苦労する点は、わたしの場合、なんと言ってもヒアリングだ。ここでは生徒が日本語を耳にする機会が本当に少ないのである。年齢によってヒアリング力の差があるのは若者はyoutubeで好きなアニメを通して耳が鍛えられるし、その時間があるが、勤め人となるとそうは行かない。年配者はむしろ読み物を好み、アニメは興味の対象外になる。

アニメで日本語を学ぶことに異を唱えるつもりはないが、文体の言い切り形(わたしはこれを辞書形と呼ぶ)を学ばないことにはため口のアニメを見て聞き取れたところで理解できないゆえ、週に一度のわたしの教室では、日本語学習歴1、2年ではアニメや日本映画をヒアリング手段としては勧めない。ていねい体口語体の使い分けは注意をして学んでもらわなければならず、日本語学習者にとりnこれはなかなかにやっかいな問題なのである。

しかし、持論を言えば、TPOによって失礼になる口語体よりも、どこでも誰とでも使えるていねい体こそ教養ある美しい日本語だとわたしは思うので、生徒さんには是非それを身につけて欲しいと思っている。

基本テキスト2冊を終えて日本語学習を継続する学ぶ生徒には読解力に合わせてヒアリング力を少しでも磨いてもらうにはどうすればいいかと、ずっと思案してきた。

思い立ったのが、Youtubeをうまく利用できないか、だ。日本の面白いドラマはたくさんあるし、楽しみながらの学習は続くはずだ。そのためには内容が全部理解できなくても「この後、どうなるのかな?続きを見てみたいな」と思わせるドラマがいい。

ドラマでは家族同士の会話に遣われる口語体と外での会話のていねい体が遣われる場面が必ずある。「ははぁん、こうやって言葉をつかいわけるのだな」と知ってもらえる。そして、ストーリーの運びをだいたい分かってもらうためには、できれば英語字幕があれば最高だ。

そう思って片方の白目半分が真っ赤になるくらいあれこれ長時間探して見つけたのが、少し古いがモイケル娘とわたしも夢中になって見たドラマ、「ひとつ屋根の下」。英語字幕が入っていて、うってつけではないか。そこで、生徒たちに話して、毎週10分ほどの1エピソードのサイトアドレスをメールで送り質問を受けることにした。

さて、ほとんど日本語で授業をしていた研究所所員の若い女性Jちゃんが、かつて夕方我が家に来て言うには「先生、うなぎはさびしいと死んじゃうってどういう意味ですか?」

「う、うなぎ?」と繰り返しながらアッと気がついた途端に、わっはっはっはっは!う、うなぎじゃなくて、Jちゃん、ウサギだよ~^^;
(Jちゃん、ごめんなさい^^;)ここから言い切り文章が通常文章に(笑)

そうなんです。ドラマは両親を交通事故で失い別々に暮らすことを余儀なくされていた6人兄弟が、長兄が上京することで一人また一人と彼の下に集まり、それまで違った生活をしてきた兄弟が一つ屋根の下で共に暮らすことにより引き起こす喜怒哀楽を描いています。

ドラマの中で長女の小雪が度々使うせりふが「ウサギって寂しいと死んじゃうのよ」なのです。ウサギはデリケートな動物で、きちんと世話をしないと死にいたるのだそうで、小雪は自分の身の上をそれに重ねてせりふを遣うのです。

Jちゃん、待ちきれずドラマの先をどんどんみたのでしょう、ところが意味がピンとこない。で、わたしに質問と相成ったのですね。

誤解を招いてはいけないので書きますが、Jちゃんの聞き違いを決してあざ笑っているのではないのです。こんな風な間違いをきっとわたしも英語やポルトガル語でしてきてるんだろうなぁと思い至り、なんだか可笑しく、そしてこんな愉快な間違いが時には楽しいひと時をくれるのかもしれないと、Jちゃんに感謝すると同時に、自分が日々しているであろう外国語の間違いを誤魔化して笑い飛ばしているのであります。

ついでに、かつてネットを駆け巡って大うけした日本語学習者の短文を下記に。

問1 「あたかも」を使って短文を作りなさい。
答え:「冷蔵庫に牛乳があたかもしれない」

問2:「どんより」を使って短文を作りなさい。
答:「僕は、うどんよりそばが好きだ」

問3:「もし~なら」を使って短文を作りなさい。
答:「もしもし、奈良県の人ですか?」

問4:「まさか~ろう」を使って短文を作りなさい。
答:「まさかりかついだ金たろう」

問5:「うってかわって」を使って短文を作りなさい。
答:「彼は麻薬をうってかわってしまった」

問6:「なり」を使って短文をつくりなさい。
  (ex.彼女を見るなり走り出した)
答:「コロッケはおいしいナリ」


なんだか楽しくなるような天真爛漫な苦肉の作文ですね。2、3、4、6などは、うちの生徒さんたちからは期待できないでしょう。やはり日本で日本語を勉強していてこそ思い付く文ではないかと思います。

ではまた。
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2018年1月9日

2、3ヶ月に一度の割で、市内のレストランで昼食会をする気のあった4人仲間がいる。わたしも入れてみな連れ合いがポルトガル人だ。
その中ではわたしが一番長くポルトに住み最年長になる。他はご主人がポルトガル人が一人、奥方がポルトガル人が一人、そして関西出身の我が友は寡婦である。

かつては集まると、それは各々の子供や日本の子供に関する教育の話、そして今ほど簡単には耳に入らなかった日本のニュース、ついでにおっと連れ合いの愚痴話(w)、果てはポルト市のどこどこの店で日本食を見かけたとか、今度スペイン系の大きなデパートがどこそこにできる、等等の情報交換の場にもなっていました。

しかし、やはり主だった話は、みなが子育てに必死になっていた時期でもあり、こどもたちへのしつけや学習のことが大方でした。

それが、いつのまにか、教育話から老後はどうするかに話が及んで来ました。
わたしも含め、みなさん子育てが一段落したということです。

やっぱり、老後は日本!と言って、帰国して自分一人老人ホームに入る、というI氏。(彼はかなり真剣に考えてましたが、孫ができてからと言うもの、今ではその考えをうっちゃってしまいました。)

持ち家を売っぱらって大阪かイタリアに住みたいという我が友Kさん(日本語通じないイタリア行ってどうするんや!と突っ込む。今では、「ポルトガルが一番ええわ」に転んだ。笑)

こんなことをワイワイにぎやかに話し合ってるうちに、日本で一軒家を借りて、Vila Portugal(ヴィラ・ポルトガル)とかなんとか名前付けて、みんないっしょに住んでみたらどうか、なんてところに話が及んだことがある。

「お、それいいじゃないの。」
「どのあたりにするね?」
「親友が和歌山の片田舎にギャラリーと称して、古いけど物凄く広い土地屋敷を
持ってるから、その畑の一隅を借りるのはどう?春にはあそこ、桃源郷だよん」
「いいね。けど、その親友にもしものことがあったら、遺産相続なんやらで
わたしら年寄り、おんだされるよ」
「あ、それもそうだ」
「証書、とっといたらどう?」(←まだ、貸せとも貸すともなってない話ダスw)
「でもね、そんなド田舎、年寄りばっかり住んで、食料買い出しはどうするのよ?」
「う~~ん、車一台いるね。しかし80過ぎての運転はちょっとこわい」
「自給自足はどう?」「Iさん、農学部出だしね、そっちはお任せ」
このI氏からは毎年季節になると、見事な美味しい大根を皆おすそ分けしてもらっている。
「よっしゃ。料理は好きだから、わたしがする」Kヤン
「キレイ好きなRさんはお掃除係だね。うんうん」
わたしの役割は・・・ぼけ~~としておもろいことばっかりやってるから、それでだけ
でも十分存在価値はある、(笑)←とは、自分の言w
「でも、アンタ、年金あれへんやん」と、すぐ要らんことを突っ込んでくる友。
「あ、いけない。どうしよう・・・」
「ご主人の遺族年金があるから心配いらんか。仲間になんとか入れたる」
(入れたる、って和歌山はうちの親友がらみだで・・・w)と思いながらも
「うん。そだね」とお気楽なわたし^^


ここまで来てわたしはハタと気づいた。
「ちょとまてぃ!」
みんな、自分は、絶対連れ合いが先に逝くという前提で話してますわ(笑) 厚かましいったらありゃしない。この一言で爆笑です。そして全員しみじみしましたです。
なんの因果でか知らないが、長い間ポルトガルに住んじゃったね、と・・・

わたしは、といいますと、老後云々の前に、もう一花小さいのを咲かせてみたい、なんてこの当時密から思っていたのです。わたしは何事も夢の実現にかなりの時間がかかる人間です。しかし、夢は見続けることこそ大事。それがいつか実現につながると思うわたしはかなりおめでたいかな。

何の花かと言いますと、ただ今実現中ですが、いずれ綴ってみたいと思っています。

本日はこれにて。
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2018年1月8日

「言った言わなかった」、「した、してない」と証人もいず提出できる確たる証拠が出されないようなバトルは無実な方の身にとっては、まったく辛いものがある。

昨今日本のメディアで取り上げられるこの類の記事には、「はぁ・・・」と、ため息がでるばかりです。
    
私事になりますが、20数年ほど前、わたしは職場でこれと似たようなドロ沼戦に陥れられ、苦い思いをしたことがあります。

わたしは性善説をとりたい人間です。面と向かって話をする人には、やはりある程度の信頼を置こうと思う。面と向かって平気で嘘を言うような人間は、なかなかいるものではないと信じたいと思っている。

しかし、あれは晴天の霹靂。我が人生では天地もひっくりかえるような突然の災難で、なにがなんだか分からない間に、職場関係者全てを巻き込んでの、言わば、証拠提出不可能な「した、しなかった」のバトルでありました。

正直者はバカをみる。うかつに人を信じたがために、してやられたのであります。友人だと思っていたその御仁でしたが、あちらは違っていたようで、陥没の穴を掘りまくるチャンスを迂闊にも彼女にあげてしまったのであります。
   
いえね、こちらも少し張り切りすぎて調子に乗り、妬まれたのかな、と思います。一生懸命燃えて調子よくやっている人に、ついつい妬み心を持ってしまう。同じように頑張ればいいのにと思うのですが、そこは、人間の欠点です。妬みにより伸びる芽も摘んでしまうのは、残念なことです。

 「くそ、仕事を止めてやれ!」と思ったときに、「止めたらやっぱり、と後々まで言われるよ」サポートしてくれたのが夫です。
そこで一晩かけて、汚名を払う必死の思いで声明文を作成、翌日皆さんの前で申し開きをさせてもらいました。言うなれば、記者会見でしょうね(笑)
    
もちろん、その一件発覚以来、天敵となった捏造元の主も出席。まさか、わたしがそのような挙動にでると予期していなかったであろう、その相手に、いささか返礼をさせてもらったのでした。

この経験から思ったものです。 人間いくつになっても、世の中のこと、学ぶものだなぁ。いろんな悪い人がおるんやなぁ、世界は腹黒いわと(笑)

申し開きをしてそれで終わり、ということには勿論なりませんでした。真実が明るみに出るには、時間がかかるのです。わたしの場合、数年、職場では針のむしろに座っているような思いではありましたが、やがて御仁の化けの皮は少しずつはがれていき、周囲もさもありなん、と納得に漕ぎつけたと思っています。
    
この時期のわたしの座右の銘は「天知る 地知る 我知る」。 これを内心で唱えて耐え抜きました。
    
ま、自分の人生史ですらこうですからね、国の歴史となると人によって多様なとらえ方があるわけで、よく勉強しないとうっかりとんでもない方向に引きずられてしまいます。主義思想の違いは、堂々論議をつくして論破して欲しいと思うばかりです。
    
今日は抽象的な記事になってしまいましたが、「言った、言ってない」、「した、してない」レベルの諍いは、たくさんある昨今、どちらかが虚偽を言っているわけです。やられた方はたまらないだろうなと、自分の経験から同情します。

わたしのように、数年後、真実が日の目を見ることになったのは、恐らく幸運なことなのだろうとも思いつつ、世界の腹黒さには、みなさまもお気をつけくださいませ。

本日はこれにて。

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2018年1月6日

「金曜日(つまり昨日)夕方6時から、Reitoria(ポルト大学学長執務室がある建物)で、Janeirasがあるから、行って見ない?」と夫から誘われたのですが、泣く泣く断りました。

夕方の日本語個人レッスン、それに翌日の土曜日(今日)は図書館で今年初の日本語授業です。金曜日の夜なんて、普通は、花金だ!TGIF!(Thank Gad. It´s Friday! 助かった、金曜日だ!花金と似たような意味合いでアメリカでよく使われる)と、パーティーなり映画なりイベントなりに出かける人が多いのですが、私の場合、補習校時代から今日まで、翌日授業があるので、実は準備に追われる曜日なのです。

昔は金曜日の夜を楽しめる人たちを多少羨望的な横目で見てきたのですが、長年の土曜日の補習校を退職して、さて、土曜日が休みであるという状況になったとき、実を言うとわたしは慌てました。手持ちぶたさになり落ち着かず、それで結局、図書館で日本語教室の土曜日コースを開いてしまったのであります。

一言で言えば、情けないことに土曜日をゆっくり過ごせない貧乏性^^;。ははは

さて、「Janeiras」とは? 10年ほど前に拙ブログで一度とりあげていますが、今回は夫が撮影した新しい写真と共に紹介したいと思います。

ポルトガル語で1月を「Janeiro」と言います。英語と似ています。「Janeiras(ジャネイラス)」は、キリストの誕生を祝うと同時に新年を祝って、各家の玄関を古くから伝わる歌を歌い歩く1月の数人のグループのことで、これはポルトガルの伝統文化です。

ポルトガルJaneiras
ポルト、Reitoriaの前のPraça dos leões(ライオン広場。正式名はPraça de Gomes Teixeira)で歌うジャネイラス。

ポルトガルの昔のコスチュームをつけたReitoria内のジャネイラス。

Quinta de Sao Roque

ご近所や友達がグループを作る訳ですが、ギターやアコーディオンなどの鳴り物はあってもなてもよろしい。ジャネイラスが歌い終わった後は、しきたりとしては栗やクルミなどの木の実、果物、ポルトガル独特のソーセージなどをお礼としてあげるのがしきたりですが、昨今はチョコレートやお金をあげることが多いようです。

これは、ハロウィンで子供たちが「Trick or Treat(お菓子をくれないといたずらするぞ」と唱えて一軒ずつ家を訪ねるのに似ています。ただし、Janeirasの方はTrickはなしです。

↓学生たちのJaneiras。う~ん。こっちは見た目から、なにやらいたずらっぽい雰囲でTrickが出てきそうな気がしないでもない(笑)
ポルトガルJaneiras
Wikiより

いかにも伝統的なJaneirasたちです。
ポルトガルJaneiras
Wikiより

ポルトガルJaneiras
Wikiより
さて、この「Janeiro,January」についてですが、いったい何ゆえ1月にこうやってドアからドアを歌い巡るのか?と不思議に思い、調べてみたところが面白いことに出会いました。

古代ローマのJano神(←ポルトガル語。英語ではJanusと書いてヤヌスと読む)にまつわるのだそうです。ヤヌスは頭の前と後ろに顔をもった神で、過去と未来、つまり事の終わりと始めの間を司り、天界の門番でもあります。それで門や入り口の守護神とされているのだそうです。

Janeiro、Januaryはこのヤヌスの名が由来で、「ヤヌスの月」と言う意味です。一月に家々の門から門へと歌い渡るジャネイラスは、この守護神の意味もあるのでしょう。

で、この名前を最近どこかで目に、耳にしたことがある・・・と思っていましたら・・・なんと!ダン・ブラウンのベストセラー、「ダヴィンチ・コード」の映画のシーンと「天使と悪魔」で使われていたではありませんか!

映画「ダヴィンチ・コード」では、最後には本性を表すティーヴィング教授の書斎に飾られているヤヌス像が映し出されます。ヤヌスは二つの顔を持つので、「Janus-faced(ヤヌスの顔を持った)」つまり、「two-faced」。二心のある、とか、人を欺くとかの意味にも用いられるようです。ティーヴィング教授その人もヤヌスの顔のように、もうひとつの隠れた顔を持っていました。

昨10月バチカン訪問で撮影してきたヤヌス像
ヤヌス神

また、「天使と悪魔」では、ヴァチカンの次期教皇候補4人の殺害指令を次々に出すアサシン(暗殺者)の背後の者のコードネームとしても登場します。こういう言われ等を知っていれば、推理映画、小説も深い読みができ、もっと面白くなること、請け合いです。

それにしても、始まりと終わりの鍵をにぎるヤヌス神が、現代ではあまりいい象徴に使われないのには、神なりとも天界で歯軋りしているのではないでしょうか。

本日はこれにて。
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2018年1月4日

おふくろは日本語を教える
息子は日本で英語を教える
娘は派遣で共稼ぎ
これはまったく当たりまえ おふくろは思う

でもおやじ おやじは何をする?
おやじは退職したがまだ仕事をする

おふくろは日本語
息子は英語
娘は派遣
おやじは仕事
こいつはまったく当たりまえ おやじは思う
こいつはまったく当たりまえ おふくろも思う

それなら息子と娘はどんな考えだろう?
まったくなんにも考えていないことはないのさ

おふくろは日本語を教える おやじはまだ仕事をする 
息子は日本で英語を教える 
娘は派遣で共稼ぎ
息子と娘はそれぞれ連れあいと一緒にやっていくだろう

生活は続く おふくろはつづく 日本語を教える
おやじはつづく 仕事をする
息子と娘の人生もつづく


好きなフランスの詩人ジャック・プレヴェールの詩「家族の唄」をもじって我が家族に当てはめてみたのはこれで二度目だ。

わたしは時折、こんな風に「こいつはまったく当たりまえ」と思っている「おふくろ」をしている自分を見る。

若いときは、この「当たりまえ」ができず、目一杯抵抗したこともあり、頭をぶつけたり叩かれたりしたのも1度や2度ではない。「こいつはまったく当たりまえ」等と、あらまし物事を考えるようになったのは近年である。美空ひばりさんが歌った「川の流れのように」ではないが、多少のでこぼこ道や曲がりくねった道がわたしも振り返れば遠くかすかに見えたりする。

この頃、わたしは思うのである。
「一生懸命何かをしているわたし(*^_^*)」と自分自身が思っている間は、どうしても見せかけが入って本当の一生懸命ではないのだと。「本当に頑張っている人は、自分が頑張っていることに気づかない」という言葉をどこかで目にしたことことがある。

「大変なんですよぉ」と言う言葉にも、どこかにその人の見せかけを匂わしている気がする。

夫も息子も娘も、「大変に頑張っております」という素振りを見せないし口に出さないタイプである。わたしはと言えば、体力があるときは調子いいが、元が少し「あかんたれ」のところがあるので、しんどくなってくると、てき面に本性が出て夫やネコに八つ当たりである。人間ができてないのだ。

これも気持ちの底に、「自分は頑張ってるのに、あんたらは~」の見せかけがあるからだと反省する。「見せかけない自分」で行くのは自然体であるはずなのに、なぜだか努力が要るのは不思議だ。

などとこうしてブログを書くこと自体が、ああああ、すでに自分を「見せかけている」ことになるではないか!自爆。

さてと、家族の唄に出てくる息子ですが、「オレ、ネクタイしめるのは嫌だね」などと贅沢なことをのたもうて、ホワイトカラーの職場を避けてきたのだが、今は日本の大学で英語講師の仕事に就いている。
息子、曰く「仕事着が背広だってよぉ~」 息子よ、お前も自爆だ(笑)。

初めて息子の背広姿を目にした時は、着こなしが全く板についとらん、借りてきた衣装みたいで、なんだか可笑しくて、笑いをかみ殺すのに必死だったおふくろではありました。

息子も娘も、今では日本の社会人が板についたであろうか。
映画「ターミネーター」のシュワルツネッガーが演じたサイボーグのセリフ同様、息子も 「I’ll be back (帰って来るよ)」と言ってポルトを発って行ったが、人生は分からない。
仮に帰らずとも、

生活は続く おふくろはつづく 日本語を教える
おやじはつづく まだ仕事をする
息子と娘の人生もつづく


と、家族の唄ではあります。

ではまた。


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2018年1月3日

我が日本語教室は今日からのつもりだったのが、昨夜、生徒さんから電話で「休み中、ちっとも日本語の勉強ができなかったので、来週からお願いします」と、連絡が入りました。

この分だと明日の生徒さんももあまり当てにはならないようで、いっそのこと日本式の正月ってことで、今週いっぱい休みにすればよかったな、と、ちと後悔しています。

しかし、こんな時、武田鉄也さんの母上さまの言葉が思い浮かびます。
「休みたいだの、遊びたいだのと考えるものではない。」なんかこんな意味のことをおっしゃってたように思う。ほっとくと、ドンドン怠け者になりがちなわたしには、これくらい言い聞かせてちょうどよろしw

大した儲けにもならないのですが、この数年、日本語授業数をバンバン増やしたせいか、日中は準備に追われ、パソコンの向かっていることが多くなりました。以前は、夜就寝前に必ず30分から時には1時間にも及ぶ読書をするのが慣わしだったのに、疲れがあるのか、とんとそれができなくなっていました。

読書が習慣ですから、枕もとのサイドテーブルに数冊本を重ねてあるのですが、それの手に取り開くには開くが、そのまま寝入ってしまい、いつの間にか夫が元の場所に本を戻してくれていることも多くなりました。

しかし、久しぶりに手に取った本、あっはっはっはとベッドで笑わせてもらいました。
いえね、旧職場のリサイクルコーナーから拾ってきた文庫本なのですが、「おせいさん」こと、田辺聖子さんの著書でやはり笑わしてくれます。

関西人のユーモアについて触れておるエッセイなどは、ほんま、そうや!今風に言う「あるある」なんです。ほんまとうまいこと、書いてます。初笑いです、ちょっと面白い部分を引用して、紹介しましょうw大阪弁のシャレ言葉だそうで。

「あの商談は夜明けの幽霊でんなあ」 → 「夜明けの幽霊」は立ち消える。
「あいつはトコロテンの拍子木や」 → トコロテンの拍子木なんて、音もでまへん。
                        つまりは、おとなしい人のこと
「お前はとんど、八月の槍やの」 → 八月の槍は「盆槍」→ボンヤリ
「饅頭の臼で、あいつはあきまへん」 → 饅頭屋の臼は餡をつく→アンツク(あほう)


ぼんやりだのアンツクだのと言うと角が立つが、「饅頭屋の臼やぞ」「八月の槍やぞ」だと、そう決め付けられても、言われた当人も、あははと笑ってしまい、
「すんまへん、桶屋の前だれで、忘れてました」と頭に手をやり、恐縮できる、とのことw
     ↓
「桶屋の前だれ」は、いつも桶の輪に擦れる→わすれる
もう一つ。これは格言類をもじったもの。

「ぼくは君といる時が一番しわよせ来るんだ」→「ぼくは君といる時が一番幸せなんだ」
                             加山雄三もじり
「金類みなちょうだい」→「人類みな兄弟」
「歯がために金が要る」→「誰がために鐘は鳴る」
「目に入れても見たくない」→「目に入れても痛くない」
「コネにて一件落着~」→「これにて一件落着~」(遠山の金さん)


いかがでござんしょ?笑う角には福来たる。

え?「あんたもお盆の商店街でんなぁ」(←spacesis作→お盆の商店街→暇)
ほっといてんか~笑

お粗末さまでございました。
では、また。
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2018年1月2日 

新年 明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
また、皆さまにとってこの1年が良い年になりますよう、願っております。

さて、ポルトガルより9時間先に時を刻む日本ですが、ポルトガルは1月1日だけ休日で勤め人は2日から普通の生活に戻ります。夫の仕事も始まり、わたしも、クリスマス、大晦日、元日と一日中台所に立って料理に酷使した(笑)体を今日一日休めて、明日からは再び日本語教室再開です。

その2018年の最初のトピックは、なんとまぁ、ネコの話であります。

まず、こちらの過去記事を再掲載させてください。

2016年7月18日 

拙ブログ記事で、7月6日に取り上げた、瀕死の保護ねこちゃんの報告です。

「儀を見てせざるは勇なきなり」、で、目の前の行き倒れノラネコちゃんを黙って見過ごすことができず、とうとう拾って持ち帰ったモイケル娘のその後、いや、ネコちゃんのその後であります。

4週間ほど我がモイケル娘のアパートのベランダで獣医に連れて行きながら、面倒をみたようですが、仕事がある身です。残業も多く、ちゃんとした面倒をみるのは、仕事を犠牲にでもしない限り、難しい。外部はこれからどんどん暑くなっていくので、いくら日陰に工夫を凝らしても、ネコにとっては危険です。

動物保護のボランティアなどにも相談してはみたものの、どれも直接的な手助けにはならなかったようです。そこで、娘にクリニック入院を勧めました。その方が、ネコちゃんにとってもどんなにか安全なことでしょう。

また、本人も、帰宅後、自分の3匹猫の世話をした上に、動けないネコちゃんですから、下の世話から食事やり等は大変なことですから、入院することで、かなり気が楽になるはずです。 入院費、治療費とどのくらいの費用になるかは分かりませんが、娘の体調も心配ですしね。

そこで、彼女、近くの獣医さんに相談したところ、なんとまぁ、その獣医さん、入院費は要らない、治療費と食費だけでいい、と言ってくれたとこのとでした。これはとても嬉しいことです。元はと言えば、道で出会ったのが縁で、見捨てられずに保護したネコちゃんです、きっと、娘、どのくらいの費用になるか、ドキドキしながら相談をもちかけたことでしょう。

「ほ、ほんと?」ってな気持ちだったと思います。何しろ、そんな獣医さんは、海外ならいざ知らず、日本国内では、まだまだ少ないと見ていますから。そのようなわけで、しばらく前から娘の保護ネコちゃんは、近くの古い動物病院の獣医さんのところに入院していました。

モイケル娘もできるだけネコちゃんの入院先に顔を出すようにしているようですが、何しろ残業が多いので、閉院後の帰宅も多く、週末くらいしか覗きにいけないとこぼしていました。

費用はかさばると、ギョッとする金額になりかねないので、そろそろ、一度お支払いしなさい、といくらかサポートすることにしたおっかさんこと、わたしが言ったところ、件の獣医さん、「うちが面倒をみよう」と言ってくださったそうです!

そして、名前も「フジちゃん」と名づけられました。保護から2ヶ月近く、今のところは前足しか動かせないが、
2キロしかなかった体重も増え、ダニのせいで剥げていた頭もやっと毛が生えてきました。

ふじちゃん1

モイケル娘のメッセージには、

―親切な動物病院が引き取ってくれ、『不治の病から立ち直ったから、フジちゃん』と名付けられました。
体重はみるみる増え、足の突っぱりも完全回復。なんとか姿勢を保てるようになりましたが、後ろ足は依然として動かず。人馴れしておらず、いつも鋭い目か怯えた目のフジちゃん。思う所は色々あるけど、がんばってほしいー   

と、ありました。

保護した頃に比べると、状態はとてもよくなったように思います。ただ、未だにエサを差知れても人が見ている前では食べず、トイレの後は風呂に入れるので、ケージを開ける毎にシャーシャーッと威嚇するのだそうです。

生まれつきのノラネコ生活をしてきたのか、あるいはよほど人間に酷い目にあわされたのか。四肢、健康の完全回復までにはまだまだ時間を要すると思いますが、フジちゃん、元気になってね。そして、引き受けてくださった獣医さん、本当にありがとうございます。

実は、わたしは密かに考えていたことがあったのです。モイケル娘とその連れ合い、狭いアパートで、これ以上、飼い猫を増やすわけにはきませんから、これも乗りかかった船、もし回復して里親を探せど、どうしても見つからない、ということであれば、夫には「何をバカな! これ以上どうするのだ!どうやって連れてくるのだ!」と言われるのを承知で、ポルトで引き取るにはどういう手続きがいるだろうかと、おアホなことを考えて調べていたのでした。

しかし、なんと言う幸運!意思あるところに道は拓ける。なんとかしたいという強い願望のもと、ひとつひとつに懸命に取り組んでいると、手助けしてくれる人も現れるのだと、おめでたい母子は、件の獣医さんに感謝感激している次第です。わたしたちのためでなく、ネコちゃんのために、です。


これが、かれこれ一年半前のことです。そして、この保護から1年ほど経ったころが下の画像。

fujichan-1.jpg

目から察するに、人間に対する不信感はまだ取れていませんが、ふっくらしています。ほとんど治療は終わったものの、これでは里親は難しいでしょう。かといって一生涯ケージで過ごしてもらうわかにもいかない。かと言って、外へ解放したらどうやって食べていくのか、再び飢餓状態におちいるのではないかと、獣医さんもわたしたちも頭を悩ましていたのでした。

このフジちゃん、年末にモイケル娘の言うことにゃ、「避妊手術を施した後、試しに外へ出してみたら、毎日ご飯を食べに獣医さんの家に帰ってくる」のだとか。これだと、家と外を自由に出入りする飼い猫と同じようなもので、フジちゃんの件はなんとか一件落着、めでたし!

更に、娘曰く、「ちゃんと新しい土地でご飯を食べにくるように仕向けたのがすごいね」

保護した時は、あちこちの保護団体や新しい設備の整ったクリニック等にも相談したのですが、どこも引き受けてくれませんでした。結局、昔からその地域にあった年配の獣医さんが引き受け、娘も時にエサの差し入れをしたりしてフジちゃんを覗きに行ってたようですが、フジちゃんが独り立ちできるまで見てくれたことには、脱帽です。

獣医さん、ありがとう!そして、フジちゃん、逞しく生きてね。

新年から、こんな報告ができるのは嬉しいことです。

Jan_1-1.jpg

我が家の猫たち。パズルの如くしっかりくっつきあって暖房機の前でまどろむの寒い日。

では、皆さま、また明日。
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