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2018年2月27日 

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春はもうすぐそこなんだけどね^^


我が家は二人の子どもが家を出て独立し日本で職を得ているので、家族揃ってと言っても夫婦二人きり。ウィークデイの朝は昔から夫はポルトガル式の朝食を好み、焼きたてのパンにバターとジャムをつけ、Café com leite(カフェ・コン・レイテ=ミルクコーヒー)を自分で淹れる。わたしはと言えば、近頃は、ご飯に味噌汁を中心の日本食もどきなのである。

午後、加えて週に2、3回は夕方からも仕事があったりするので、晩御飯は手軽にできる食事を用意するわたしだが、日曜日の昼食は少しだけ気合を入れて作ってきたが、これも近頃は夫が気を配ってか、外へ食べに行こうよと誘う日が多くなった。なにしろ、一週間でわたしが終日授業をしないのは日曜日だけだからであろう。

日曜日の家での昼食は、朝食が遅いので、午後2時ころからワインかビールを開けてゆっくり食べるのが慣わしだ。それが、途中からなにやらアパート内がかしましい。我が家は、ポルトガルではCondominioと呼ばれる分譲フラットである。各フラットのドアを開けて話そうものなら、エコーで響き、家の中に居ながらにして、聞きたくもないのに全てを聞き取ることができるのである。

さて、ある日のこと、昼食をとっていると、階下がなにやら騒々しい。
「何だろうね・・・」と夫と話しながら食べていたのだが、そのうちかしましかった声が更に大きくなり、どうやら女性二人の応戦抗戦が始まったようなのだ。おおおお、やっとるやっとる(笑)

階下、向かい合ったお宅二人の奥方同士は反目する仲なのである。やりあっている現場を目前にしたことはないが、お二方がそれぞれの窓から顔を出して激戦している様を二階の我が窓から、こっそり身を乗り出して見たことはある(笑)

こういう場合、典型的なポルトガルおばさんなら一言二言言って間に割って入るであろう。が、こちらは日本人おばさん、あちらのお二方が派手にガナルほどに、我が家はシーンと静まりかえり、思わず聞き耳を立てていたりする。そしてこういう時は、なぜだか知らないが、我が動きは抜き足差し足状態になっているから不思議だ^(笑)

聞き耳を立てるのは最初の頃だけで、後は聞きたくもないののしり合いであるからして、後半は、わたしは窓をピシャンとしめて、激戦終了を待つのみ。

向かい合ったフラットのドアを開けてガンガンやっている階下の隣人(?)の姿を想像しながら、これでストレス発散しまた当分はやりあいがないだろうと思った次第。日本の「騒音おばさん」たちよりは大分マシであろう。

それにしてもお二人の夫たちが口を出さないで放っておくとは、犬が食わないのは夫婦喧嘩だけではないようだ。はははは。

お粗末さまでございました。
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2018年2月26日 

Válega(ヴァーレガ)はオヴァールから6.5キロほど奥に入った小さな村ですが、こんな素敵な教会があるのです。

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ヴァーレガ教会(Igreja de Válega)です。美しいアズレージュ絵(青と白のタイル絵)で被われたポルトガルの教会はたくさんありますが、壁面がこんなにカラフルなタイル絵の教会は初めて見ます。規模も色付きタイル絵アートとしては傑作に入るのではないでしょうか。

何年も前からオヴァールにあると知っていたのですが、近場ゆえいつでも行けるなどと高をくくって、とうとう今日まで放ったらかしになってしまったのです。今回は帰国している息子を理由付けにして、先々週日曜日に、既に紹介済みのIgraja Mátri de Cortigaçaの後に、探して行って来ました。ここも車がないとアクセスは難しそうです。

教会の全身は12世紀初期には個人所有の今とは違った形だったと思われます。16世紀終わりごろにはポルトの大聖堂に属し、18世紀に入って今の土台が計画され、1975年に現在のヴァーレガ教会が完成しました。

絵タイルはアヴェイル(Aveiro)のセラミック会社Aleluiaによって作られました。

教会の内部も全部鮮やかな色タイルで被われています。
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壁に描かれている一枚の絵は人目でわかります。三人の牧童と共にファティマに現れた聖母マリアの奇跡を描いています。

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ポルトガルの「ファティマの奇跡」については下記でどうぞ。

ファティマの奇跡(1
ファティマの奇跡(2
ファティマの奇跡(3

本日はこれにて。
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2018年2月24日 

「群盲象を評する」という諺がある。

盲人たちが一頭の象に触り、それぞれが象とはいったいどんな動物かと語ることを言う。英語では、It´s the elephant in your living room.となる。

足に触る者、耳に触る者、鼻に触る者と、触る箇所によって色々に言い、全体像が見えない。同じものを論ずるにしても、その印象も評価も人によって違い、一部分だけを取り上げただけでは、全体は見えないぞ、ということを言っているのである。

随分前の話になるが、日本人の怒りを買ったマッカーサー発言の「日本人は精神年齢12歳」の真意は侮蔑ではないと、前バンクーバー総領事多賀敏行さんという方が書いてあった。

この方は国立国会図書館へ出向き、その言葉が書かれてある箇所の前後10数ページを読み、日本人を侮辱したというニュアンスで引用されているこの証言が、どのような文脈で飛び出したのかを調べたのである。

証言録を読んだ氏は、「マッカーサー本人は、主観的に日本を守ろうとして、日本を軽蔑するつもりがなかったのは、文脈から明らかである」との結論に達したそうだ。

日本だけに限らないが、近頃の報道をみていると、人が言った事の一部を取り上げて節度なく騒ぎ立てる、つまり、揚げ足をとるとは報道関係者として余りにも品がないではないかと、わたしは少々うんざりしているのだ。自分の発言に責任を負うべきは当然だ思うのだが、それをスッポリ忘れていませんか、てんです。

わたしたちは、こういうエレファント的な判断を毎日のようにしているのかも知れない。瞬時に視覚に入ったもの、耳に入ったものを通して、浅はかな自己判断をしているのかも知れない。

故意に言葉尻をとらえて人を批判、攻撃する節が多いことにも眉をひそめるにいたる。全体像を見せずに、こっそり悪意を吹き込んで言葉尻だけ垂れ流されたらたまらんだろうなぁと、そういう批判にさらされた人を気の毒に思ったりするのである。

こうなってくると、報道のエレファント的吹込みにとらわれないで全体像を見るように、わたしたちも賢くならなければならないと思っている。

また、発言するときに、安易な言葉を使って人の気を引くような物事の例え方には気を払うべきだろう。あっという間に発言が拡散されてしまうツィッターのようなSNSなどは危険性を含んでいるものだと思う。

少し前に手にした本のページに↓実はドキリとして、象に触る群盲の一人のように、いとも簡単に物事を判断、評することを控え、全体像を見ないといかんなぁ、と思った次第である。

Elefante
小泉吉宏氏の「シッタカブッタ」より。
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2018年2月22日 

子どもたちが帰国すると決まって夫が言う。「家族旅行に行こう」。
2月という時節柄、寒い中、知らない街を歩き回って風邪をひくのが嫌でわたしは行きたくないのだが、せっせとホテルの予約を取ってあるではないか。

行き先はというと、スペインのサラマンカだ。サラマンカにはちょっと面白いシンボルが彫られてある大寺院があるので、そのうち行って見たいとは思っているものの、雨でも降ってごらんなさい、撮影だってうまくできないんだから、とかなんとか行かなくて済む理由を述べ、終に夫が折れたのでありました。

しかし、去る月曜日の天気のいいこと!家にいるのはもったいない。そこで夫、息子とわたしの3人で、車で1時間ほど北にあるViana do Castelo(ヴィアナ・ド・カステロ)という古い町を日帰りで行って来ました。

山頂の聖堂「Santuário de Santa Luzia(サンタ・ルズィア聖堂)」が目的です。

Viana do Castelo

Viana駅。後ろの小山の頂上に見えるのがサンタ・ルズィア聖堂です。車でも行けるのですが今回はケーブルカー(Elevador)で登る事にしました。

Viana do Castelo
ケーブルカー乗り場。往復3ユーロ(約400円)

Viana do Castelo
無人のケーブルカー

ケーブルカーは2005年に造られ、国内で一番長い650mの距離を7分くらいで頂上に。
viana do cstelo

表三面は同じ建築スタイルだが、後ろは様子が全く違う。ゴチック、ロマネスク、ビザンチン建築様式を備えています。
Viana do Castelo

残念ながら祭壇は修繕中でした。
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四方には美しいステンドグラス窓が。
Viana do Castelo

言い伝えでは、いつの頃か、騎兵隊キャプテンLuís de Andrade e Sousaが重い眼病にかかり、この山に見捨てられていたシラクサのサンタ・ルズィア礼拝堂に願をかけ、その願いが叶って後、町と山頂を結ぶ道を造り、サンタ・ルズィア友愛結社を創設したとあります。

サンタ・ルズィア聖堂の建築はは1904年に始まり1959年に完成、現在に至っています。

さて、この名前サンタ・ルズィアですが、イタリア語ではサンタ・ルチアとなります。イタリア民謡でも歌われるナポリの港の名前ですが、名前の本当の意味は聖ルシア(ルチア)です。ローマ帝国がキリスト教信者の迫害を行っていた時代の女性で、キリスト教徒であるがため捕らえられ、両目を抉り取られます。

が、それでも見ることができるという奇蹟がおこり、絵画にはよく皿の上に自分の眼球を置いた形でよく描かれます。騎兵隊キャプテンが荒れ果てたサンタ・ルズィア礼拝堂に願をかけたといういのは、これで頷けますね。

では、本日はこれにて。
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2018年2月19日 

鍵二つって、そりゃSpacesisさんはそうでしょよ。二つどころか三つ四つあっても住む人が同じだから、自分の家から自分を締め出すのは再三起こりますってば。
なんて、だれだぃ、そんなことを言ってるのは(笑) 意味が分からんという方はこちらでどぞ。

迂闊者にはしんどい鍵社会

今日はそれじゃないんです。
先週から、大学講師の仕事が休みの東京息子が帰国しているのですが、昨日は雨もあがり天気がよかったので、急遽、以前から見たいと思っていた教会を見にオヴァール(Ovar)まで探して行って来ました。ポルトガルでも美しい教会のベスト10に入ると言われておりずっと興味をもっていたのですが、機会がなく今日まで来ました。

オヴァールの町中にあると思いきや、探して行ったふたつの教会はどちらもかなり奥まったところにありました。今日はそのひとつ、Igraja Mátriz de Cortigaçaの紹介です。

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Cortigaça(コルティガッサ)というオヴァールの村にある教会は、ポルトのイルデフォンソ教会のように建物の外側が全てアズレージュで被われています。12世紀のものであろうと言われます。残念ながら昨日は閉まっていて中が見学できませんでした。

アズレージュは向かって左が聖ペトロ(ポルトガル語ではサン・ペドロ)、その下がアッシジのサン・フランシスコ、右が聖パウロ、その下がサンタ・マリア(聖母)が描かれています。

教会入り口中央の上部にはサン・グラールこと聖杯が見られます。その下にも聖杯と十字架が交差しているシンボルが見えます。写真を撮っていると、ぬぬ?サン・ペドロは二つの鍵をもっているではないか。

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サン・ペドロはイエス・キリストの12使徒の一人で、昨年初秋にわたしたちが旅行してきたバチカンの初代教皇でもあり、「天国の鍵」を手にしています。

すると、息子と一緒に後ろにいた夫も「あれ?鍵がふたつあるぞ」と言う。「あ、ほんとだね。ふたつって?」とわたしが応じると、夫、すかさず、「スペアキーだよ、君同様、サンペドロも時々自分を締め出してしまうので、天国に入るのに合鍵が要るんだろ」・・・・

側で我ら夫婦のやりとりを聞いて息子がぷっと吹き出している。この間の締め出し事件を彼に話して「また、やってたの?梯子のぼるの危ないよ」と息子に言われたところであった。

夫のこの手のジョークは毎度のことで、言い得ているのが、これまた腹が立つのであります。ちがうわ!なんでサン・ペドロが、天国に入るのに合鍵がいるんだぃ!と、いきり立ち、よし!家に帰ったら早速調べてみようと思い、したのでありました。

サン・ペドロが天国の鍵を持つ、というのは知っている人も多いかと思います。かつては国民のカトリック教徒が多かったポルトガルです、夫もカトリックではありませんが、こと聖書に関してはやはり色々知っています。

しかし、日本語では単数複数の表現はなく「鍵」です。ポルトガルの伝統陶芸家ローザ・ラマーリュのサン・ペドロも手に一つの鍵を持っているし、わたしは昨日までサン・ペドロの鍵は一つだと思っていました。

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陶芸家ロザ・ラマーリュの作品「サン・ペドロ」

調べた結果がこの絵で分かりました。

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上の絵はバチカンのシスティナ礼拝堂にある壁面画の一枚です。下に拡大しました。

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確かにイエスから二つの鍵を受け取っています。

「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」( マタイ伝 16:18)

金の鍵は天の国における権威を示し、銀の鍵は縛ったり解いたりする地上の教皇の権限を意味しているのだそうです。鍵の先は上(天)を指し、鍵の握り部分は下(この世)に向き、これらはキリストの代理人の手にあることを示唆しています。 二つの鍵をを結んだ紐は天国とこの世に渡る二つの権威の関係を示す、とあります。

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上記バチカンの紋章にもペドロが授かった金銀の鍵が描かれています。現フランシスコ教皇はサン・ペドロから数えて266代目の天国と地上の権威を現す二つの鍵を預かる教皇ということになります。

ということなんだよ、うちのダンナ!合鍵じゃないわ・・・
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2018年2月16日 

今日は、ポルトガルの文化と暮らしの情報、それに、ポルトガル雑貨を紹介するサイト「東のポルト屋」の紹介です。

前にも紹介しているのですが、その後、店長こと我がモイケル娘は新装したいと言うので、しばらく工事中でしたが、数日前にめでたく開店できたようです。

ネットショップを開くに至ったいきさつを少し話させてください。
伝統工芸界はいずこも後継者の問題を抱えています。ポルトガルもその例に漏れず、かつては街のあちこちで見かけることができた北部工芸品の多くが、今ではすっかり店頭から姿を消してしまいました。それらを手に入れようと思ったら、探さなければなりません。

ポルトはこの数年観光客がたくさん訪れるので、ツーリスト向けに手ごろな値段でいわゆる観光土産はあるのですが、わたしが言う伝統工芸品はあまり目にすることがなく、あっても量産できないのでどうしても値が張ります。

ボルダーロ社の陶器、金銀を使って繊細な細工がなされる装飾品フィリグラーナを始めとする北部工芸品に限らず、南部の手作りのアライオロシ・カーペット、そしてポルトガルで新たに開発されたコルクを使った製品など、他にもたくさんあるのですが、わたしは長い間、これを独り占めにするのはもったいない、なんとか日本に紹介できないかとずっと思ってきたのでした。

ボルダーロ社の有名なキャベツ皿。
ポルトガルの伝統工芸

ポルトガルの伝統工芸
夏も冬も 足に触る感触がいいアライオロスカーペット。

ポルトガルの伝統工芸
可愛い「恋人たちのハンカチ」。素敵ないきさつがあります。東のポルト屋にて説明しています。

特にわたしが惹かれるものにポルトガルの布物があります。ポルトガルの一般家庭ではたいていどこの家でも、あちこちにレースや伝統的な織物の横長 クロスが敷かれています。小さなスペースでも、ちょっとしたところにちょっとした心遣い、というので、小さなレースのモチーフもよく使われます。
ポルトガルの伝統工芸

わたしがこれを同じように我が家でもするのは、ポルトガルに来た最初の6年間を同居した夫の母の影響です。彼女も同居していた夫のおばも、よく暇を見てはレース編み等に手を動かしていました。当時はバスの中や診療所の待合室でも、レース編みをしている女性をたくさん目にしたものです。

これらの布製品も今は市内ではあまり見かけないもので、年に一度の遠くのリネン工芸フェアにも足を運びます。手織りのリネンには飽きが来ない質素な美しさがあります。

あれやこれやと紹介したい思いが今回のモイケル娘の「東のポルト屋」オープンに結びつきました。まだまだご紹介できる品数は少ないですが、徐々に増やしていけると思いますので、どうぞ覗いてやってくださいませ。また、布物についてはご興味あらば、「東のポルト屋」まで、お問い合わせください。出展はしていませんが、数点在庫であると思いますので。

下記、「東のポルト屋」サイトです。
http://www.higashinoportoya.com/

本日はこれにて。
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2018年2月15日 

キターー!と喜んでホクホクしています↓

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イエイエ、写真のドラ焼きなどではなくて、息子がキタのが、ですよ、喜んでいるのは(笑)

2月後半から3月いっぱい大学の講義がないので、目下、我が東京息子が帰国している。羽田空港からもう少しで飛行機に乗るけど、明太子いくつ欲しいの?と聞いてきたので、二つ三つでいいよ、と言ったら、1キロ持って来た^^; ドラ焼きも2箱持ってきて、期限があるから毎日食べないとだめだよ、と言う。

ふっふっふ。冷凍という一手があるのだぞ^^ これで4月中旬の自分の帰国まで、日本食が恋しくなっても、なんとか持つのである。

と言うので、今日は息子に関する話。

★東日本大震災の年2013年
息子、娘は千葉にアパートを借りて共に住んでいたが、気が気でならず、震災の一ヵ月後には、子どもたちの様子をこの目で見んがため、帰国した。その時のこと。以下。
2011年4月27日
未だ時々余震の揺れを感じたりするものの、精力的に東京と家の中を動き回っています。起床7時、モイケル娘を職場に送り出し、掃除洗濯、アイロンあてをしているうちに、午後から英語講師の仕事を持つ東京息子がやがて起床。で、またご飯の用意なんです^^;

この家事ですが、いやいやもう、子供たちの住まいはかなり光ってまいりました。なにしろ、わたしは亡くなったポルトガルのピカピカ好きのお姑さん仕込み、それに我が家で長年働いてくれているお掃除のおばさんこと、ドナ・ベルミーラ仕込みの腕です、トイレ、風呂場、台所、冷蔵庫とお掃除はお任せあれ。

子供たちを見るにつけ、働きながら家の中を整頓するのはなかなか大変なことのようで、共働き女性の負担たるもの、さぞかし苦労なことだろうと思われます。わたしもポルトガルでは、一応共働き主婦のお仲間に入るとは言え、たいていが自宅での日本語教室ですから、仕事の合間を縫ってちょこっと家事ができるのは嬉しいところです。

都内へ出かける予定がない日中は、午後の食料買出し。これがポルトでは普段車を使っているもので、重い買出し荷物をぶらさげての歩け歩けは結構疲れる、いや、運動になりますわ(笑)人目も構わず、ヨイショコラショと思わずかけ声が出ます。

夕方6時少し過ぎには、退社後まっすぐ帰宅するモイケル娘です、ポルトにいたらとても考えられない7時台の晩ご飯。この後片付けが済むころの10時に息子の帰宅で再び食事の用意。久しぶりに母親業をしっかりやっております。

日本とポルトガル、遠く離れていてもメッセンジャーやスカイプのあるご時世です。女同士のモイケル娘とはほぼ毎日のようにチャット交換してきたのですが、息子とのそれは、「元気?」「うん。そっちは?」「問題なし。仕事はちゃんとできてる?」「うん、」「なにか必要なものはない?」「Nothing special」と短いものです。だが、三つ子の魂百まで。子供のころからの息子の性格からして、きっと大笑いされるような話が山ほどあるに違いない。

そんなことを思っていた今日、遅い夕食をしながらの息子の話に腹を抱えて笑い転げていたのでした。

週に何度か近くのジムに通っている息子、力いっぱい、筋トレをしていたら、係員が顔を青くして飛んで来て、「お客さま、もう少しヤサシクしてください」と言われたのだそうだ。

筋トレ用具を壊さんばかりに思い切りガンガンやっていたのだろう。まったくいい年をして加減と言うことを知らないヤツではあると思いながら、その様子を想像し、ジムには悪いが可笑しくて笑い転げていたら、そんなのがいくらでもあると息子が言うのだ・・・・・

年末に福引がすぐ近くの商店街であった。例のガラガラポンを一回まわすのだが、あれを衆人の目の前でいい歳をして力いっぱい何回も回して、とうとう玉いっぱい外へ飛び出してしまったって・・・・
息子いわく、
「おれ、知らなかったんだ、一回しか回さないってこと。てへへ^^;」

そこに居合わせた日本人たちのあっけに取られた顔を思い浮かべると、「お前というヤツは~」と言いながら、これが笑わずにおらりょうか(爆)
日本の皆様、息子がご迷惑をかけておりますが、どうぞ長い目でみてやってくださいませ。

日本人の友達からは「ジュアン君て原始人みたいだね」と言われるのだと言う。げ、原始人^^;「粗にして野」か・・・・

すると横からモイケル娘、「おっかさん、うちでも外でも変わらない、裏表のない人間に育って欲しいと
願ったんでしょ?その通りじゃん、はははは」(エピソードはこちら↓)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-287.html

そ、それはそうだけど、微妙にちがうんだよね^^;今更意見を言っても始まるまい、息子よ、城山三郎氏ではないが、粗にして野、しかし、「卑」にはなるなや。


ポルトに帰った翌日の昨夜は、早速、学校時代の友人たちが集まってくれたのか、自分が号令をかけたのか、出かけて午前さまの息子が今部屋で眠っている。
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2018年2月13日 

「三丁目の夕日」はもう何年前になるでしょうか。ブログ友ちゅうさんと話が盛り上がったことがあり、ネットでそのオフィシャルサイトを何度ものぞきながら、観たいなぁと思ってきた映画のひとつです。涙腺が弱いわたしは、ホームページのノスタルジックな音楽を聴いただけで、胸がいっぱいになりました。カーニバル休みを利用して今日もう一度観て見ました。

三丁目の夕日
画像はWikipediaから。

原作は1955年から1964年までの東京近郊にある「夕日町三丁目」を描いた漫画とのこと。わたしの8歳から17歳までの昭和が背景で、東京タワーが、まだできるかできないかの時代です。

この映画の町並み、アスファルトではない土の道、オート三輪車、キューピー、フラフープ、タバコ屋の「新生」にいたっては、名前を耳にしてあっ!です。久しく忘れていたいたことでしたが、亡くなったわが母が愛したタバコの商標だったのを思い出しました。

青森から列車で上野に着く集団就職の「六子」ちゃん。中学時代のわが友にもこうして集団就職列車で石川県に行った人がいます。なんだか切ないのです。

映画の中心のひとつとなる「鈴木オート」には、母の9人兄弟の中でも一番出世したといわれる弘前の我が叔父の「マツダオート」と姿を重ねてしまいました。モダン生活の三種の神器(じんぎ)と言われた、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が少しずつ、一般家庭に浸透していったのもこの時代です。
わたしも初めてのテレビは、この映画の中にあるように、ご近所へ観に行かせてもらったものです。

子ども時代から10代の終わり頃まで自分が生きたのがこんな時代だったとの思いで見るものですから、たまらなく懐かしく、ちょっと感傷的になりました。

わたしが我が子達へのメッセージとして書き留めているエッセイ「昭和時代の思い出:思い出のアルバム」があります。この映画が1955年から1964年までとうたってありますが、丁度その1964年の夏に、わたしは今回の映画を見た懐かしい思いとは別の、挫折したような心地で東京の夕日を眺めたことがあります。

後のわたしの歩く道を決めることになった出来事ですが、この夏の落胆はのしかかる岩のように大きかったです。翌年からのわたしは、これまでの多くの人とのつながりを断ち切ったようなところがあります。

今にして見ればそこまでしなくてもよかったと思われるのですが、若さゆえ、そうすることで新しい道を自ら切り開くのだとの思いがあったような気がします。

A君という中学時代からのペンフレンドが東京にいました。1964年、高校生活最後の夏、東京の新聞専売店の配達体験中の休みの日を見て、手紙にある住所を頼りに、なんの前触れもなしにわたしはそのペンフレンドを訪ねたことを覚えています。いいのか悪いのか、思い立ったらぱっと行動に移す、落ち着きのない、そんなことを繰り返す10代の頃でした。

Aさんとその時どんな話をしたのか、その後どうなったのか、何年も文通していながら、いい加減なことにわたしはよく覚えていないのです。1964年の夏前後の記憶を、1964年の江東区の夕日がさらって行ってしまったのか。

「おいおい!優さん、それはないぜ、ったくもう」とAさんの声が頭のてっぺんに落ちてきそうです。はい。
落ちてきそうだというのはちょいと現実味があるでしょう?実はそのAさんとは偶然が偶然を呼ぶ形で、ほぼ半世紀ぶりに、再会し、文通もメールの形で再開したのですが、もちろん、ひっそりと色っぽく文を交わしてるわけじゃ、ございません。

だいたいが物事をうまく隠したり、嘘をついたりができない性分です、「半世紀ぶりで昔のペンフレンドが見つかった!会ってくるよ!」と夫、モイケル娘、(息子は母のこういうことにはあまり興味がなさそうでw)に宣言し、所沢に住む我が妹にまで、

「ねね。覚えてる?ペンフレンドのA君。今度会うんだべさ~」なんて派手に騒いだわけで。
「おまえさん、そろそろ少しは大人になったであろうか、人生は捨てたもんではないよ。」と、1964年に眺めた江東区の夕日が、あの頃をもう一度、今度は別な方面からちらっと見せんがために、姿を現したような、そんな思いにさせてくれた「Always三丁目の夕日」、いい映画でした。

「一期一会」(いちごいちえ)は茶道の精神性から来ることばですが、その説いているところは理解するとしても、「この人とは再び会うことはないだろう」と、常に一生一度、誠心誠意で接していると疲れてしまうわたしなどは、いいように勝手解釈しています。

わたしたちのただ一度の人生、一度は途絶えてもいつかどこかで再び遭遇し得る、点と点をつなぐ出会いもまた、一本の線となる。「一期とはひとつの人生、一会とはその人生で一本の線となる出会い」と
言えるかもしれないと。

ネット経由でわたしを見つけてくれたAさん、そしてブログ友や昔からの知り合いのみなさんは我が人生の「一期一会」です。ええ加減なところのあるspacesisではありますが、どうぞ今後もよろしくお願いいたします。

って、なんだい、こりゃ(笑) センチメンタルジャーニーじゃあるまいし、三丁目の夕日がこんな風になっっちゃいました^^;

さて、実は一昨年、急にこのブログにアクセス、更新ができない状態が一ヶ月以上続き、慌てたことがあります。そこで、このブログのミラーサイトとして、「ポルトガルの空の下で」と題して、過去ログをランダムにピックアップし手を入れて書き直しています。興味のある方は足を伸ばしていただけると嬉しいです。

ポルトガルの空の下で

また、Always三丁目の夕日はこちらで見られます。→ https://vimeo.com/30893348

では、本日はこれにて。
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2018年2月12日 

2月は母とおばが身まかった月でもあります。母は83歳、叔母は70代後半でした。
日本国内に住んでいるとすぐ飛んで行ける距離もポルトガルからだと直行便はないので、「すぐ帰れ」
の報せには実におろおろしてしまいます。親の死というのは普段から親不孝をしてきた者には、いつまでたっても整理して心の引き出しにしまえないような気がします。

母については明日にでも話そうと思いますが、今日は、中学生時代に弘前から何度か家出をして、ついには引き取ってもらい、中学時代の最後の一年間をに大阪の西宮で共に暮らした叔母の連れ合い、伯父の話です。

ある日のこと、所沢に住む妹からのメールで、話したいことがあるからメッセで声かけてね、とありました。ぬぬ?モイケルめ、何かやらかしたのであろうか(この頃我がモイケル娘は日本の大学受験のために妹宅に下宿)、と恐る恐る、オンしてみますと、「お~~~い、ゆう。待ってました」聞いて聞いて、と始まりましたw

叔母が亡くなって横浜で一人暮らしの江戸っ子の伯父、それでも元気この上ないらしい。伯父には時々ポルトから電話をするのだが、こちらの時間の都合上、どうしても伯父の夕食時間とか、スイミングクラブに行ってる時間とかにかち合うようで、ここしばらく電話に出た試しがない。

その話を妹にすると、伯父の携帯電話に連絡を入れたらしい。、「おじさん、ちょうど飲んでる最中で、元気ご機嫌だった」。

で、ゆうこは今年来るのか、と聞くから、

妹、「お金がないから今年は来れない、来年だってよ」(子どもたちの教育費が大変だった)
叔父「おい、待ってるんだぞ。いくらだ?4、50万かかるのかい?」
妹「そんなにはかからないわよ。飛行機代、20万ほどじゃないかしら」
叔父「よし!出してやるから、今年来いと、メールで言え」
妹「あら、おじさん、飲んだご機嫌で調子よくなっちゃってもう。」
叔父「んなことないよ。ちゃんと出してやる!」
妹「ほんとにそう言っていいの?」
叔父「おおよ!江戸っ子だい!」

・・・・・・・・・
で、我が妹、伯父の気が変わらないうちにと、すぐさまメールを入れてきたのだそうな(笑)

前年、伯父を横浜に訪ねたときは、もいける娘のアパート探しで忙しく一泊もできず、横浜に訪ねたものの、お焼香して、ちょっと話をして日帰りで所沢にとんぼ帰り。

その時、叔父に「叔母さんのもの、全部とってあるんだ。お前、整理してくれないかい?」と言われ、「いいわよ。でも、今年はだめ。泊まれないもの。この次の帰国には必ずします」と言ってポルトに帰ってきて、早や2年。

妹によると、「おばさんの衣類やその他、虫干しするのも大変なんだぞ」と愚痴ってるのだそうな(笑)わたしの帰国を当てにしていたらしい。

うひょ~!しからば切符代を出していただこうか!と一瞬喜んだものの・・・・ま、待てよ。あたしゃ、いったい幾つになるのだ?この歳になって、まだお小遣いやら、飛行機代やら、人様に出してもらうのか?

妹いわく、「いいじゃない。おじさんの気が変わらないうちにさっさと切符予約して、ありがとうさんと電話しなさいよ」
・・・・・・
い、いや。なんぼなんでもそれは・・・ちと考えてみるわ・・・
おじさんには「あと1年、がんばってせっせと虫干ししとけ~~」と言っといてw

叔母の生存中は、伯父と二人でちょっと飲みにでも行こうものなら、フクレられてなかなかできなかったw今度帰ったら、久しぶりに一緒に飲もうと思ってます。

と書いてから数年経ち、かくしゃくとしていた伯父も80をとうに過ぎ、昨年訪れたときは、スイミングクラブにも行かなくなり、粗忽でよく転ぶわたしが言うのもなんだが、足元がちょっと怪しげに感じられました。

聞くと、先年、朝起きようとしたらグラッとめまいが来て起き上がれなかった。しばらく休んで後、一人でがんばって、近くの総合病院までよろよろ歩いて行ったと言う。軽い脳梗塞を起こしたらしい。安易に人を頼らないのが伯父なのだが、危ないじゃないの!

三菱石油の現役時代は転勤が多く、東京から大阪(子どもがいなかったこの時代に中学生のわたしが居候した)、福岡、東京、再び福岡と最後は横浜に自家があったので単身赴任でした。叔母夫婦は後に息子に恵まれましたが、わたしはすっかり大人になってからも、ポルトガルへ渡る前の3ヶ月ほどを居候したのでありました。

去年聞いた話では、もう、元の会社仲間との年に一度の慰安旅行も昨年で終わり、「俺が一番若いんだよなぁ」ですって(笑)

春が来たらまた帰国しますが、妹夫婦を誘って伯父の顔を見に行こうと決めているのです。
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2018年 2月11日

日本では今日は建国記念日、亡くなった我が母は「紀元節」とよく呼んでいました。日本書紀に於いて日本の初代天皇とされる神武天皇が紀元前660年(神武元年)に即位した日で、明治時代に定められた祝日だそうです。ですから今年は、西暦2018に660を加えて、皇紀2678年ということになります。

ポルトガルはと言うと、今年はカーニバルとバレンタインデーが来週重なります。時節柄、おおむね、ポルトガルのカーニバルには雨が多いのです。と、書いている今日も、また雨です^^;

季節が夏の地球の裏リオの大々的なカーニバルには足許にも及ばないが、ポルトガルでもカーニバルのパレードはあります。わたしは観たことがないのですが、特にポルトから40キロほど離れた町、Ovar(オヴァール)のパレードはよく知られています。

今年の来週火曜日はポルトガルも休日になり、今週末から火曜日まで4日間休みです。

カーニバルはポルトガル語ではCarneval(カルナヴァル)と書きます。これはラテン語の Carne Vale(肉よ、さらば)から来ると言われ、復活祭同様、移動性休日で毎年その祝日が変わります。

元来は春の訪れを祝う祭りだったのがキリスト教に取り入れられ、一週間羽目をはずした祭りで騒ぎ、終わった後、それらの乱痴気行状の罪を大きなわら人形に託して焼き払う、というのが起こりだそうです。

一週間の最後は、必ず火曜日(翌日の水曜日はポルトガルではDia de Cinzas=灰の日)となります。

現在では、すっかり観光化されてしまったカーニバル(謝肉祭)ですが、カトリックの国で、このような、言って見れば、「無礼講・乱痴気」の祭りが取り入れられたのには、ちょっと驚きですね^^

ポルトガルでは、幼稚園児、小学生が、カーニバルの時期には、みな思い思いの衣装を身につけて登校し、学校によってはパレードをしたり、校内でパーティーを催したりします。我が子たちが通っBiritish Schoolでも行事として毎年学校内でパーティーが行われていました。

下はわたしが気に入っている娘のカーニバルの王子さまです。愛犬ポピーもこの頃はいっしょに。

Carnaval1-1.jpg

豪華な衣装を買ったり作ったりする人もたくさんいますが、子供の衣装は一度着たら翌年はサイズが合わなくてほぼ再び着ることはないので、これは知人から借りたものです。昔と違い、今は大手のスーパーマーケットなどで、安いのだと7ユーロ(\1500)くらいから、様々なコスチュームが売られています。買った衣装はもったいなくて、今でもとって残してあります。

さて、本題の「黒いオルフェ(Orfeu Negro)」ですが、これは、1960年のカンヌ映画祭でグランプリを、米アカデミー最優秀外国映画賞を受賞した映画のタイトルです。カーニバルの季節が来ると、賑やかさとは対象に、わたしはこの映画を思い起こします。映画「黒いオルフェ」は、ギリシャ神話を原作に、リオのカーニバルの日の若い黒人の恋人たちの悲恋を描いた物語です。

ギリシャ神話のオルフェウスはアポロの息子、トラキアの詩人で音楽家、竪琴の名人です。彼の奏でる竪琴の調べは、鳥獣草木さえも魅了するのです。死別した愛する妻ユーリディスをこの世に引き戻すためにオルフェウスは黄泉の世界へ下って行きます。

その美しい竪琴の調べで、冥界王プルートの心を揺り動かし、「決して後ろを振り向かない」という約束で妻を連れ戻すことができたというのに、黄泉の世界の出口で己の心の誘惑に負け、後ろを振り向いてしまう。オルフェウスの望みは永遠に絶たれてしまうのでした。


映画はこれとは内容が違います。

orfeu-negro.jpg
Wikiより「黒いオルフェ」

―リオも街、急な坂の上に住む人々はカーニバルを前に仮装の衣装作りをしています。若者オルフェもこの丘に住む市内電車の運転手ですが、彼がギターを抱えて歌うと鳥も羊も静かになり近所の人々はうっとりと聞きほれるのです。

田舎からカーニバル見物に来た若い娘ユーリオディスが電車にのり、オフフェが住む丘の上の従妹を訪ねてきます。隣から聞こえてくる美しい歌声に惹かれて覗いてみると、それはさっき電車であったオルフェでした。

オルフェにはカモシカのようなしなやかな体と豊かな胸をもつ美人の婚約者ミラがいますが、気が強いのです。オルフェは慎ましやかな美しさをもつユーリオディスに心を惹かれます。

カーニバルの前夜、街に出たユーリオディスは死の仮面をつけた不気味な男に追い詰められ、からくもオルフェに救われて気を失います。ミラは嫉妬の炎を燃やすのです。

翌日、カーニバルで群踊のパレードが繰り出します。ユーリオディスは衣装を借りておrフェの踊りの組に加わりますが、彼女を再び死の仮面をつけた男が追い詰めます。駆けつけたオルフェはユーリオディスを助けようとして高圧線のスイッチを押しますが、却ってそれがスパークして彼女を焼死させてしまうのです。 

ミラは嫉妬のあまり正気を失い怒り狂い、彼女と巫女たちはユーリオディスの死体を抱きかかえたオルフェに石つぶてを投げて断崖に追い詰め、転落させます。二人は屍を重ねて死にます。
白々と呪われた悲劇の夜が開け、何もしらない子供たちはオルフェのギターをかき鳴らして踊っているのです。

(猪俣勝人著:世界映画名作全史・戦後編からの要約)―


映画の中で流れる二つの主題曲がとても美しいのです。
ひとつはLuis Bonfáの「Manhã de Carnaval(カーニバルの朝)、日本では「黒いオルフェ」でヒットしました。1960年ですから、わたしがやっと洟をたらしていた時期を抜けようとしていた頃ですw 

もう一つが、ブラジルの作曲家アントニオ・ジョビンの「Felicidade(幸せ)」です。ジョビンはこの数年後に、「ボサノバ」を編み出して、世にその名を永久に刻むことになります。

「Felicidade」を知らない人でも、「イパネマの娘」はご存知でしょう。この作曲家なのです。当時のわたしは英語もよく知らない時代でした。ましてポルトガル語など分かるはずもないと言うのに、「黒いオルフェ」の歌には心惹かれてメロディーを覚えたものです。

ポルトガル語が少し理解できるようになった昨今、「Felicidade」のさりげないブラジルの歌の人生哲学にも少し惹かれるこの頃です。

挿入歌「Felicidade(しあわせ)」の一部をご紹介。
     
♪Tristeza não tem fim      哀しみには終わりがない
  Felicidade sim          けれども、幸せには終わりがある
  A felicidade é como a gota    しあわせは
  De orvalho numa pétala de flor 花びらの露の一粒の如く
  Brilha tranqüila           静かに光り
  Depois de leve oscila       かすかに揺れて
  E cai como uma lágrima de amor   愛の涙のように落ちる 
                -spacesis勝手訳

こちらで聴けます → https://www.youtube.com/watch?v=Go4hNtzRx-M

物語は、古いしきたりのわら人形を焼き払うシーンとも重なり、熱狂的なサンバに浮かれた一夜明けての物悲しさと空しさが感じられるような終わり方です。

そんな訳で、カーニバルというと、映画「黒いオルフェ」が印象が強く、わたし自身はあまり楽しめる気分にはなれないのです。

「黒いオルフェ」の詳しいストーリーに興味のある方は、こちらのサイトで読むことができます↓
http://cinema.werde.com/new/orfeunegro.html#TOP 

また、原語、ブラジルポルトガル語に挑戦したいかたはこちらで↓
https://www.youtube.com/watch?v=y5yo7IyLfwY


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2018年2月9日 

かつては中華料理店があちこちで見かけられたポルトですが、それが今ではSushiレストランに名前を変更したりなどしてブームに乗っかり、中華料理店は数軒を残してほとんど姿を消し、近頃はSushiレストランとうたう食事処の多いこと!ネコも杓子もとはこのことなり。

敢えてSushiと綴るのは、やはり日本で食べる本物とは違うからです。特別寿司ファンではないのですが、こうなってくると、これが寿司だ!とこちらの人に思われるのも癪なもので、エラそうに、フェイスブック上で「これが寿司だ!」なんて画像をあげたりしているのでした(笑)

さて、しばらく前にいつも買い出しするハイパーマーケットへ行くと、あれ?と目にしたスシ・コーナー。興味がわき、どれどれと覗いてみました。へぇ~、スシパックじゃん、と言うので大して期待はしないものの、試してみることにしました。

夫にはサーモン入りの(900円相当)を、わたしは、出されて食べなければいけない場合以外、海外では生魚をまず口にしないので、peixe cru(生魚)抜きのベジタリアン用(1000円相当)。

こちらの人はどうも黒い海苔で巻いているのが苦手な人が多く、カリフォルニア巻きのように海苔は中で具と一緒になっています。

日本人の評判はと言うと「おいしくない、高い」です。酢が足りないよ、とその感想にはわたしも同意するのですが、逐一作るのは大変だしスシの味が欲しいな、とか、寝込んじゃったなどの時には、いくらなんでも「一番」さん(ポルトで只一軒日本人の板前さんがいるレストラン)まで行くわけにはいかないので、何とか食べられるのじゃないかと、実は少し安心しているのです。

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すると次から次と大手のマーケットにこのコーナーが出現し、え?餃子?挙句は「えー!ドラ焼きじゃん!」てなことになり、驚きなのであります。フランチャイズ店でしょうね。

で、ドラ焼きが大好きなわたし、子供たちが帰省してくるときは必ず「明太子、ドラ焼き!」と空港での
買い物を頼むのですが、しっかし、これ、小さめだし2ユーロ近く(266円相当)とは高すぎるじゃない?と、一度は通り過ごしたものの、二度目に目にしたときは買ってしまいました。

dorayaki1.jpg

写真はふっくらして見えるでしょう?固そうだったので電子レンジでチンしたら、こんな風にふっくらとや柔らかくなり、早速かぶりついたのですが、皮はよろしい、が、あんこが少ないよ!とまぁ、文句の多いわたくし、ごめん遊ばせ。試し故、最初で最後のポルトのドラ焼き紹介でありました。

では皆さま、本日はこれにて。
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2018年2月7日 

このところ冷え込んでいるポルト、ここ数日は朝からヒーターをつけています。でも、澄んだ空気は美しい夕暮れを映し出してくれます。

feb2-1.jpg

先週の日曜日は、2、3年ほど日本語教室として居間を借りてお世話になったOちゃん一家を昼食に招き、一段落。ようやく日本語を教えるので家を出たり入ったりのいつもの生活にもどり、こうして夕暮れ時は、デジカメを向けられるようになりました。

ポルトの街は相変わらず、ツーリストが多く、かつては日曜日と言えばダウンタウンの食事処は、ほとんど閉まっていたのが、近頃は出かけるたびにあちこちに新しい店が出来ていて、驚くべき発展状態です。これがいつまで続くのかと、ふと不安になったりもするのですが、栄えている時に水を差すのは野暮というもの。

そんな訳ですから、ダウンタウンにはこれまで窓が閉められていつ移動させられるかと気になっていたあちこちのキオスクが新装し蘇っています。

下はツーリスト案内や観光スポットの入場券が買える「花通り」ことRua das Floresにある多分、街で一番に賑やかなキオスク。

ポルト

こちらは「カルロス・アルベルト広場(Praça Carlos Alberto)」の真っ赤なキオスク。パッと人目を惹きます。
ポルト

そして、今日案内したいのがLargo de Mompilherにある六角形のキオスクです。このキオスクですが、実は昔から「Quiosque Japonês(キオスク・ジャポネーズ)」とよばれ古い歴史があるのです。

ポルト
画像は古い写真から。

この広場につながる通りには、息子の友人である画家ジャスパー君のアトリエがあり、わたしとOちゃんの最初の日本語塾として、土曜日の午前中と午後を借りていたので、しょっちゅう目にしていたキオスクです。

それが人呼んで「キオスク・ジャポネーズ」であるとは、つい最近知りました。で、なにゆえ「ジャポネーズ(日本の・日本人の)」と呼ばれるのかと調べてみました。

1930年に建てられた個人の所有物で、その古さと鮮明な赤色とで、長い間、ポルトのイコン的な存在だったとのこと。赤と白は日本のインスピレーションなのだそうです。つまり日本の国旗から来るのです。

このキオスクをしばらく見かけなかったのですが、2013年に小火(ぼや)で焼け、そのままにしていたもので色々なパーツが無くなり、2016年にポルト市が取り払ったのこと。

そして、2年たった今、2月の終わり頃に修繕されてお目見えすることになっています。これまでは新聞雑誌等を売っていたキオスクですが、市の文化遺産に指定され飲み物やスナックを中心に販売するとのこと。

観光客の増加により市の財政も豊かになると、これまで古びたまま修繕もなく放置されてきた大小の建築物が蘇っていくのは、街の美化につながり嬉しいものです。古さと新しさが混同して、ポルトの街が今後どのように変身して行くのか、楽しみでもあります。

では、本日はこれにて。
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2018年2月4日 

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今日のポルトの真っ青な空。台所の朝ベランダから。

昨日、ラジオを聴いてくださった方々、ありがとうございます。

昨日は6時半起床、7時には放送局と聞こえ具合の音の確認、その後8時(日本時間夕方5時)まで待機、そして話し終わった後、いつもの図書館での日本語教室へ向かいました。

で、昨日は中級クラスの生徒から、「突然ですみません。日本人留学生が授業参観したいと言っています。いいですか」 とメッセージ。 賑やかな普段のクラスをそのまま見てもらいました。

中級クラスは12人ですが、今期からは、長年使用してきたテキスト「みんなの日本語Ⅱ」を中心にせず、参考、もしくは宿題で使うとして、現在はわたしが作成したテキストを使っています。

これには、イラスト一切無し。文例をたくさん挙げ、短作文、短い翻訳も取り入れているのですが、その時はクラスでのスマホ検索OK、隣との相談もOKですから、なかなか賑やかになります。

短作文も翻訳もその場で確認してあげますから、少し進度は遅くなるのですが、急いてはことを仕損じる、であります。語学の勉強は時間がかかりますもんね。

この2週間はハプニングもあり少し大変でしたが、とりあえず一通り日本語授業以外のことが終わった、と思いきや、まだもう一つ、催促されていることがあるんだった!影絵上映を日本帰国の4月までにすることになっているのでありました。うーーッ!

でも、多分、こんな風に忙しいうちが華!しばし休憩し体調を整えてまいりましょう。

さて、表題の「ポルト、生活しやすい世界の都市第2位」です。

ウェブメディアのタイムアウトが世界の32都市、15000人を対象に調査して、ランキングを発表したそうで、2018年はポルトが第2位(137.9ポイント)になりました。このところ、ポルトの人気はうなぎのぼりです。

調査では食べ物、ドリンク、カルチャー、社交性、生活のしやすさ、幸福度、住み心地といった観点から評価した結果だそうです。

「ポルトの人はこの街に住んでいることに誇りを持っている。自分らしくいられて、夜遊びもしやすい。そのコストも平均、約4000円」

これには、まったく同感です。ただし、ポルトっ子も外国人も、仕事にありつけるかどうかというのは別問題。外国人がポルトガル語を勉強しながらしばらく暮らしてみる分にはいいでしょう。が、実際に移住するとなると、住居を得るにも諸々の外国人在住手続きをするにも言葉が話せずしては問題です。

家賃、光熱費、食費等を入れると、月に最低1000ユーロ(約13万円)くらいはいるかな?もちろん、削れるところどんどん削ってもっと安く見積もることはできますが、その人の考え方にもよりますが、それでは生活を楽しめないような気がします。

日本と違い、外国人が手軽にできるバイトはまずありません。言葉の問題もさることながら、現地の若者もバイトにありつくのは大変なのですから。

因みに1位は138.2ポイントでシカゴ、治安の評価は低かったようです。

リスボンは8位で東京は19位。「東京で暮らす人たちは、食べ物が美味しいと言う。大半の調査対象の都市に比べ、レストランに行く頻度が高い」とあります。

もっと知りたいという方はこちらにて ↓
https://www.businessinsider.jp/post-161374

本日はこれにて。
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2018年2月1日 

お知らせ:
2月3日、土曜日、夕方5時からNHKラジオ第一放送「地球ラジオ」、「世界のイチメン」に出演します


2月に入りましたが、外は日が照っているものの風が冷たい。Dias先生から電話で今日の午後のポルトガル語レッスンはお葬式に行くためにできないとの連絡が入り、久しぶりに夕方までのんびりしています。

ジュリエット・ビノシュとジョニ・デップが出演するちょっと不思議な映画「ショコラ」で流れていた音楽がグノシエンヌ1(Gnossiennes)だと分かり、それを聞きながら綴っている豊かな午後のひと時です。

この映画は好きで何度か見ましたが、耳から離れない音楽でした。作曲者が「ジムノペディ」のエリック・サティと知り、なるほどいかにもの感です。どんな曲なの?とお聞きになりたい方は、後記にありますので後程どうぞ。
さて、今日はわたしが永久保存版としている我が思い出の第一回ラジオ出演のときの模様をここに挙げたいと思います。

それがもう13年も前のことになります。振り返ってみると、我がモイケル娘が日本の大学受験を目指して行った2004年に、彼女の指導(^^;)で右も左も分からぬまま、とにかく開設したホームページも、気がつけばなんと足掛け15年です。

ホームページやブログを通じて、今日までたくさんのネ友、ブログ友に会うことができました。その中にはネ友に終わらず、お会いしお付き合いが今も続いているというアミーゴも何人かいます。

友達ができただけでなく、ブログを通じての依頼で小さな雑誌に拙文ながら10年も書くことができましたし、未だ続いています。一言付け加えると、雑誌記事は、このブログに書いているような自由気ままな文体ではござんせん。色々厳しく、編集者に鍛えられて参りました^^;

そして、ラジオ出演もやはりブログがあったればこそ、舞い込んできた話であります。

モイケル娘が、「おっかさん、わたしが日本へ行ってしまったら寂しくなるだろうな。ホームページ運営をしてもらうのはどうだろか」との彼女の配慮が効き、それがとても運よく行ったと言えましょう。
もいちゃんよ、ありがとう。

前書きが長くなりましたが、以下、初めてのラジオ出演後のネ友たちの反応であります。笑ってやってくだされ。

spacesisのRADIO DAY

2005年10月8日(土)、NHK第一放送「地球ラジオ」の電話インタビューを受け、ポルトの街とポルトの路面電車のお話をさせていただきました。ネット仲間からたくさんのコメントが寄せられましたので、記念に我がサイトの永久保存版として、ここに残すことにしました。どうもそれはマズイ、とおっしゃる方はご連絡ください(笑)

また、寄せられたたくさんのコメントは、ネット仲間のミーシャさん、かんちがいさん、お二人の尽力によるものです。みなさん、本当にありがとうございました! 嬉しいコメントばかりで、管理人としてはかなり気恥ずかしいところではあります。なお、ここに掲載されてあるのは、当サイトの掲示板に寄せられたコメントですが、もしも、見落とされている方のがありましたら、お申し出ください。そそっかしいゆえ、十分あり得ることですので^^; 

ここから、掲示板にいただいたコメントです。

ミーシャ 2005/10/8 (Sat) 17:28:37
ラジオ聴きましたぁ!!
spacesisさん! 素敵なお声でしたネェ。想像以上^^とっても聞きやすく、理知的な話し方!
ポルトワイン、焼き栗、路面電車、石畳などなど、たくさんのお話が聞けました。
spacesisさん、ありがとう。楽しいお話でした。spacesisさんの日記で読んだことのある事柄に触れると、
嬉しかったわ^^素敵な時間をありがとう!

・ミセス・かんちがい 2005/10/8 (Sat) 17:54:53
あ、やっぱりミーシャさん、もう来てた(笑)聴きましたよ、聴きました! ホントに歌姫らしい、明るくて響きのある、
そして聞き取りやすい声でした^^笑顔でお話している表情まで思い浮かぶようでしたよ^^(顔は、昔のお写真をもとに勝手に想像してる…)それに、声だけ聴くと実年齢よりかなり若い(爆!)よく準備されて張り切ってお話しされているのがよく伝わってきて、私はずっとニマニマしながら聴いてました(相槌が入る隙がないような、怒濤の話しぶり!…笑)。でも話の内容も興味深く、すんごく楽しかった!
今日はこの後お忙しいようね。一息ついたら、また裏話聞かせてね!

・すぎさん 2005/10/8 (Sat) 20:41:09
拝聴!姫の神の声を。発声5秒後、緊張が解けた感じでスラスラ。よく取材した内容をよどみなく。やったね、と嬉しくなったよ。初デビューするアナウンサーと幾度も付き合って来たけれど、姫は大物感があったぜ!
しゃべりに無駄がない、のが抜群。取材がいい。たとえば、路面電車の貸切。現地に住んでいる人か、取材で聞き出さないと得られない。また、えー、とか、あのー、がないのが、この人を次もお願いしたいレポーター
だと!
局側は思う。それほどの、出来を一発目で達成した姫に、乾杯!あんたは、凄い!ぜ、
と思った。心臓が、バクバクなのにね!プレッシャーに強いのは、生きてきた経験の糧の量だと思う!
いま、安心と安らぎ、で、ほっとした家族みたいな幸せで、ウイスキーのオンザロック水割り飲んでます。チャオ!

・たこ 2005/10/9 (Sun) 00:18:37
袖 ご無沙汰しております。お悔やみのメール戴いて未だ返礼もせず恐縮しております。

 「地球ラジオ」放送聞きました、昨年の今日(九日)が南一期会で再開した日なので、丸一年ぶりの肉声ですね。  でも声を聞いているだけでも、日記等 文章を呼んでいても、袖の表情やうなづく時の頭の振り方まで目の前にいるかのように感じるのは不思議です。妻も一緒に聞いていたのですが、さすが南高出身者と感心しておりました。

・ちゅう 2005/10/9 (Sun) 09:03:38 聞きましたよ。1日遅れで。
歌姫だった?その声はなかなか魅力的でした。文面の調子から、もっとオキャンかなと思いましたがさにあらず、癒し系の声にちゅうもウットリでした。褒め過ぎかな!?でも、より身近に感じましたね。前に紹介した彼がくれた貴重なおみやげの写真を送ります。限定品の、ミニチアの路面電車です。マニアにはたまらない逸品だそうですね。ここには送れないのでメールの方に添付します。私のパソコンの上に飾ってあるのを撮りました。

・まいん 2005/10/9 (Sun) 09:41:09
おはようございます。ラジオ放送昨日は出かけてしまったので今HPで聞きました。
お話が上手ですね~情景が目に浮かび遠い国なのに身近に感じられました。路面電車は日本でも復活するそうで来春富山で 宇都宮では5年後を目途に開通予定だそうです。朝夕の寒暖の差が大きいんですね。
風邪ひかないように気をつけてください d(^-^)ネ!

・美緒  2005/10/9 (Sun) 09:42:31
はじめまして。
ミーシャさんの紹介?で、やって来ました。ミーシャさんのところで、お名前は拝見していたのですけれど。
リアルタイムで、ラジオを聞けなかったので、さっき、NHKのHPで、聞いてきました。ポルトの写真を見せていただきながら、聞かせていただいて、とても楽しい時間になりました♪どうぞ、よろしくお願いしますね。
HPも、これから、ゆっくり拝見させていただきますね猫ちゃんは、1番先に見せていただいたのだけれど。(笑)

・みち 2005/10/9 (Sun) 21:26:38
spacesisさん、遅ればせながら素晴らしい肉声を聞かせていただきました。
生を聞く予定だったのですが、あの日久しぶりに肉体労働(農作業)をして、一風呂浴びてテレビ見てたら寝てしまってました。(笑)大反響ですね・・このBBSもその話しで持ちきり・・
さすが話の内容も話し方も大したもんですね。さすが「親分」だなって、聞いておりました。(笑)
ポルトに行ってみたい、住んでみたい、そう思わずにはいられないような内容でした。娘さんの「お母さん、喋りすぎ・・」には、笑ってしまいましたが・・(笑)

・もいける  2005/10/9 (Sun) 15:28:34
お母さん。喋りすぎです(笑) ←母の突っ込み:わ、わかっとるわい(爆)

・亜希子 2005/10/9 (Sun) 18:45:58
喋りすぎですw てかカタカタなかったなw( ´艸`)ムププ

・隣のpoo 2005/10/9 (Sun) 23:08:47
再放送で聞かせてもらいました 優しい声でハキハキと素敵でした。はっきりと 流暢に淀みなくペラペラとアナウンサーの合いの手も入れさせないほど 立て板に水 言い過ぎたップごめんちゃい  しばらくPS お休み中でしたので 今日ミーシャさんとこで見て大急ぎで 聴きました みなさんと一緒に聞けなかったのが残念 グヤジイー でもなんか懐かしい声 って感じました。

・syomin1 2005/10/11 (Tue) 01:40:15
spacesisさん、ぎゃ~~!
日記もBBSも爆笑!!すっごい楽しいぃー♪ラジオの生放送、お疲れ様でした。
忙しい一日でしたね!仕事てんこ盛り&お子帰省などなど。。もう落ちつかれましたでしょうか?
かんちがい姐さんのお陰で日曜日に聴かせていただきましたー。(遅いっちゅうねん。。。ぅぅ)
思ったとおーり、準備万端(ネコまでとわっ)で本当に素晴らしかったですぅー。
お話はスラスラ~~と話されていましたが、ちゃ~んとおおらかさのある あったかいお声で、
しびれた~~~!しばらく動けませんでした。(笑)栗、、食べさせて。

・シッキー  2005/10/11 (Tue) 08:20:13
spacesisさん!ヽ(^o^)丿イラッシャイ 先日はラジオ出演、(^ー^)お疲れ様でしたぁ~♪
実は・・私も時々、お見かけしていて声をかけれなかったのです(^^)ROMしていたのは、私も同じでした。

ラジオを聞いた後、そちらに行ったのです^^素敵なHPに圧倒されて、ROMしただけで帰って来たのですよ。
でも、それじゃ伝わらないですよね?(笑)今朝、ここを見てヽ(*0*)ツ ワァオォ!!あの、spacesisが来てくれた!!と思って・・感動で、胸がいっぱいになりました。
今回の事で、ミーシャはほんとに「お友達思いの優しい女性」だと思いました。キューピットのミーシャに、感謝でいっぱいですよ(^^)♪更新の少ないシッキーサイトではありますが、こちらこそどうかよろしくお願いします(*- -)(*_ _)ペコリ

・まちゃ 2005/10/11 (Tue) 16:33:38
ラジオでのママの声メッセで聞いたときより若々しくてよかったですよー。楽しく聞かせてもらいました。
死ぬまでに一度はポルトに行ってみたいです。

・りえ 2005/10/11 (Tue) 18:19:12
spacesisさん はじめまして(*^_^*)自分の掲示板みたら、遊びにきてくださっててとっても嬉しかったです♪
先日のラジオでのお話、とっても楽しく聞かせてもらいました(^^)spacesisさんのHP,コンテンツが豊富ですごいですね。ポルトガルのことがいっぱい書かれててゆっくりこのあとも拝見させていただきますね♪お知り合いになれてミーシャさんに感謝してます(^^)どうぞこれから仲良くしてくださいねm(__)m

・ぐじ 2005/10/11 (Tue) 19:23:13
遠くポルトからのお手紙 ありがとうございます今は10時過ぎでしようか?以前 ミーシャさんの掲示板でお名前と書き込みは拝見していますラジオ聞かせてもらいました。落ち着いた話方と的確な表現 それにお声が素敵でしたよ。 ポルトの町のイメージがよく分かりました。
古い町並みが広がり 路面電車がある町 そんな町を見たくなりますね
昨日も娘と嫁さんが傍で話をしていましたが 海外に行ってみたいなぁと言っていました
娘は何度か行っていますが σ(o^_^o)たち夫婦は経験がないので 
嫁さん孝行で行ってみたくなりました

・Gotchi 2005/10/11 (Tue) 23:37:52
ママのポルト紹介生ラジオ出演があって、掲示板めっちゃにぎわってるね( ̄◇ ̄)。
ようやく本日再放送を拝聴しましたです。ポルトの紹介と路面電車の説明のくだり、情景が浮かぶような言葉がいっぱいでとってもわかりやすかったかも。
ここの日記の生しゃべり版って感じで。アナウンサーの合いの手もいらないくらい(つっこませないって感じ(笑))のいろいろ下準備もしてたのかなぁ、すごいなぁって感心しきりでした。なにはともあれお疲れさまんさ♪
記念に録音しといた(爆)。

・みい 2005/10/12 (Wed) 02:57:09
spacesisさん歌姫だったんですね~~♪だからラジオでお聴きした時に
あんな通るお声だったんですね!!

・ゆき 2005/10/12 (Wed) 17:44:48
私もWeb上で放送聞かせてもらいました。お話聞いていたら,さっそく路面電車に乗りたくなってきました!
まだ,一度も乗ったことないんですけどね。こないだ初めてメトロに乗りました。駅は地下にあるのにほとんど地上を走っていて地下鉄じゃないなぁ,なんで?と思っていた謎も解けました。私もあちこち出歩かないとなぁと思ってます。

・しまシマ  2005/10/12 (Wed) 18:37:54
放送の終わった直後の時間にHPを開いてました。エーッなんちゅうコッチャ、と自分の不運を嘆きましたが 
袖のメールで教えてもらって 聞く事が出来ました。ありがと。何となく硬い感じがしたのは 緊張してたのね?でも とても聞きやすかったよ。さすが 言葉を 教える先生ね。ポイントに力が入ってました。

・close   2005/10/14 (Fri) 20:51:15
出遅れましたが、ラジオ聴きました。
カタカタ・オホホホの時の聴き覚えのある声でした(笑


これらのコメントを読むにあたり、意味不明な箇所「カタカタ」などもあると思いますが、それは普段の我が粗忽を知っている当時のチャット仲間だけの暗号であります(笑)。

この中の一人、「まちゃ」は会ったことはありませんが、チャット時代も含め長い間のネ友でしたが、2年前に他界しました。そのことは下記に「別れを告げる」で綴っています。http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1770.html
今回、永久保存版を開いてみたのを機会に、コメントとホームアドレスを残してくださったみなさんのサイトをクリックして訪ねてみましたが、ほとんどのみなさんがほぼ閉鎖しているのは残念です。

ブログに何度か書いていますが、わたしのはわが子たちにしたためて残す言葉や文章の、法的性質のない遺言です。おっかさんが子ども時代から日々どんな生き方をしてきたか、何かの折りに息子、娘の生き方のヒントになればと思いながら、綴っています。
たくさんの訪問客はありませんが、それでもコメントで声をかけていただいたりするのは、嬉しいものです。
言いますでしょう?「人生はカラクリに満ちている」と、写真家の故星野道夫氏が。カラクリは人と人との出会いが会あってこそです。

ブログやホームページを閉じている皆さん、また始めてみませんか?

というので、長くなりましたが本日はこれにて。

エリック・サティのグノシエンヌ1(Gnossiennes)は下記で。
https://www.youtube.com/watch?v=RyFhsG8Ip4E
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2018年1月31日 

ラジオ放送に初めて出演したのは2005年10月。今回同様NHKさんの「地球ラジオ」でした。

今から13年も昔かと思うと、今更ながら自分の声にちょっと不安がないでもないのですが、引き受けちゃったし行くっきゃない。きっとわたしをお誘いした人、まさか七十路とは思わなかったと想像するなり(笑)

さて、この年は我がラジオ出演デビューだったわけですが、初めてなもので、年甲斐もなく我がホームページの前宣伝でワイワイ騒ぎ、放送後もネット友達が盛り上げてくれ、我が思い出の楽しい一こまになりました。初心者ゆえ更新に四苦八苦したわたしの最初のホームページ、「Radio Day」と題して永久保存していますが、それは明日にでも紹介しましょう。

二度目の出演依頼が来たときのこと、日本にいるモイケル娘にその話をすると、彼女の第一声が、
「おっかさん。またキャスターの人、あ、とか、え、とかで終わらないといいけど・・・」

ネット友のなみちゃんまでが、掲示板に「早口に気をつけてね~」とだと^^; き、君らに言われんでもちゃんと自覚してますわい(笑)

で、初回がどんな状態だったかといいますと、自戒の意味も含めて、下記、過去日記をひっぱりだして再現いたします(笑)

ー以下、過去日記引用

2005年10月9日(日曜日)
「おっかさん、キャスターが「ハ、ハァ・・・」としか相槌を入れられないくらい、喋ってた・・・」と、呆れたようにモイケル娘に言われました(爆)

いえね、頭の中では分かってましたんです^^;でも、「ポルトの街」は3分間、「路面電車」は3分半と制限時間がありまして^^; で、喋りだしたら、全部話したいと、とどまるところを知らない(爆)

もう一つは、インタビューが始まる数分前に、電話をつないで、アナウンサーの声がよく聞こえるかどうかの確認があったのですね。そのとき、「もちょっと大きいほうがいいです」と頼みましたら、受話器を
通した向こうから、「あ、すみません、いつもより大きくしてください」と声が聞こえて来たw

うわ!わたしゃ普通の人より耳が遠いのか、と(笑) 確かにね、眼鏡をかけないとちゃんと人の言うのが聞こえないことが多いのでありまして。

それを聴いちゃぁ、ほんまはもうちっと大きくしてもらいたかったんですけど、なんだか頼めなくなっちまった(笑)で、受話器を通して、一応キャスターの声はきちんと聞こえていたのですが、少し遠くからの感(笑)こういうのって多少不安なんであります。

そんな感じでしたので、まぁ、相槌も入れさせないで、コメントのがちんこ塾長さんの言葉を借りれば「滑舌」、かんちがいさんの言葉では「怒濤の話しぶり」に突入してしまいましたっけ^^;キャスターの後藤さん荒川さん、大変失礼いたしました。どうぞご勘弁を。

かんちがいさんのカキコ「怒涛の話しぶり」にも、ギクッ(笑)や、やっぱりそうやったかぁ、てな感じでしたわ(笑)

それにしても、声だけ聴くと実年齢よりかなり若いとはこりゃ!だれだい!(爆)

ミーシャさん、かんちがいさんのネットチームワークのおかげさまで、今回はたくさんの方にお知らせしていただき、また、「聴きました」とのご報告をいただきました。本当にありがとうございます。
これを機会に、ポルトガル、ポルトと言う「遠くて近しい国」に少し興味を持っていただけたら、嬉しいことはございません。

ところで、放送のインタビューが終わって受話器を置いたわたし、本当は膝がガクガク震えたのでした(爆)いや、ほんまに、ビアハウスで歌い始めた最初のころの、あの懐かしい新鮮な感覚を昨日は久しく思い出しました。

ビア・ハウス時代、いつも一緒に歌っていた先輩の宝嬢がお休みで、ひとりでステージをこなさなければならないとなった初めての日。たくさんの常連さんの手助けで、日に三回あるステージの最初の一回を、「アイン・プローズィット=ドイツ語で乾杯の意味)」でしめくくり、一通り終えて、心臓バクバク膝がガクガクでステージを一歩踏み出して降りた時・・・・

スッテンコロリン、皆さんの前でこけてしまった歌姫でありました^^;あの頃も今も、人間ていくつになっても本質は大してかわらないのかもなぁ。

ということで、放送のお祭はとにかく終わり、一件落着。みなさま、またいつもの通り、よろしくお付き合いください。と、こんな感じで、放送された番組を自分で聴くのが我ながら恐ろしくて、記念になるはずのmp3もダウンロードしないままで終わりましたとさ(笑)

引用終わりー

さて、当時2度目の放送の打ち合わせもだいたい済んだところで今日モイケル娘に、「係りの人から、リポーターのようにどんどん話を進めていいですと言われたよ」というと、

娘 「そ、それはおっかさんがどんだけ喋るか知らんからじゃw」

が~~~ん!5年もたってるのに、まだ「おっかさん、しゃべりすぎた」のトラウマが抜けてないのだね、もいちゃん(笑)おっし!今回は落ち着きのYukoで行くわヨン!


と、これが大分前のことであります。今回は声よりも耳が心配かもだ・・・^^;

ということで、皆様、無事を祈ってくださいませ。

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