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2018年4月23日 

あらよと言う間に帰国してもう一週間、4分の1が過ぎました。
もったいないなと思うものの最初の一週間は休養だと自分に言い聞かせ、都心
には出ず、妹夫婦とおしゃべりしたり近場をまわったりします。

楽しみは妹の手料理「おふくろの味」であります。そうなんです、妹なのにお
ふくろの味、故郷津軽の味がふんだんに出されます。

亡くなった母は60歳頃から長いこと妹家族と同居していましたから、旬の筍や
わらび、ふきのとうなど、その他たくさんの昔ながらの味を妹に伝え残して
行ったようです。

エッセイにも綴ったことがありますが、母は山菜採りの名人でした。これに
ついては後記に再掲載します。

妹のつくった「おふくろの味」を肴に、実は毎晩「我らが人生に再会に乾杯」
とビール、日本酒で祝杯をあげておる義弟姉妹です。言ってみれば毎日が花金
となりまする^^日本滞在はわたしにとり一ヵ月の休暇ということです。

夫が来られないのが少し残念ですが、4匹もねこがおってはなかなかそれもで
きません。だれの猫かと言えば、もともとはわたしが拾い集めてしまったので
あって^^;それを黙って引き受けてくれる夫には感謝しなければなりません。

夫よ、いつもありがとう、と面と向かって言うべきを、それが照れくさいもの
でここでこっそり(笑)

では、下記再掲載のエッセイです。

「海の幸、山の幸」

大正14年生まれだった母は9人兄弟であった。

その長兄は太平洋戦争で若くして死んだと聞くから、戦後生まれのわたしは
その叔父を知らない。
母を筆頭に8人兄弟となり、7人がわたしの叔父叔母になる。
わたしと妹は、このうち二人を除いた5人の叔父叔母と一緒に、祖母が構える
弘前下町の大所帯で幼い頃を共に暮らした。

母のすぐ下の叔父は当時すでに結婚していて独立、そして、女姉妹で
一番若い叔母が東京に出ていて結婚も間もなかったころであろう。

昭和も20年代の頃、日本の地方は貧しく母は食い扶持稼ぎに、なにかとその
日の小さな仕事を見つけては家を空けることが多く、留守を守る祖母が母代わ
りでもあった。わたしは祖母の初孫にあたるのだ。

その祖母は、秋になると山菜採りに山に入るのであった。
弘前の町からバスで昔なら2時間も走ったのであろうか、岩木山の麓の嶽
(だけ)へ温泉に浸かりがてら、キノコ、筍、ワラビなどの山菜を求めて
入山する。

祖母が採る山菜は毎秋ごっそりとあり、それらは塩漬けにされ長期保存食料
となり、時折食卓に載る。中でも断然おいしかったのは、細い竹の子を入れ
たワカメの味噌汁であった。

後年この祖母の慣わしを引き継いだのが母と母のすぐ下の弟だ。
母も叔父もその季節になると、山へ入って行った。そしてどっさり採った
山菜をカゴや袋に入れては抱えて帰って来る。

だが、面白いことに二人が一緒に同じ場所へ行くことは決してない。
それぞれ自分だけが知っている秘密の場所を持っているのでだ。

これは釣り人が他には打ち明かさない「穴場」と同じである。
叔父は釣り人でもあったので、山菜採りがない週末などは、家人を
連れて早朝に川へ車で乗り付ける。

その叔父は、やがて採った山菜を知り合いの工場に頼み込んで瓶詰め缶詰に
するに至った。わたしが帰国する度に、弘前から缶詰の細長い竹の子やワラ
ビなどが宅急便で届けられるのである。

さて、母は60を過ぎてからの晩年を所沢にある妹夫婦の家族と共に暮らし
たのだが、そこでも近隣の林や森に入って山菜探しが始まり、いつの間にか
しっかりと自分の秘密の場所を見出して、秋になるとキノコやワラビを採って
きては所沢のご近所に配るようになった。

毎年それを楽しみにするご近所も出てきたものだ。所沢に移ってからも、
70半ばまで脚が元気なうちは、弘前の田舎へ帰り毎年のように山での山菜
採りは続いていた。

母より若い山菜ライバルの叔父が先に身まかった時、言ったものである。
「とうとうわたしに秘密の場所を明かさないで、あの世へ持って行った。」と。
そういう母も生前の叔父に自分の持ち場を明かすことはなかったようだ。

母が亡くなった今、祖母からの、いや、恐らくはそれ以前のご先祖様の代
からの山菜の見つ方、見分け方、そして秘密の場所の秘伝は母の代で途絶
えてしまったことになる。

都会に出たわたしは、母や叔父が採ってきては、味噌汁や煮物にしたかの
細長いしなやかな竹の子を一度も見かけることはなかった。

母も叔父も隠し通し、あの世まで持っていってしまった二人の宝の秘密の
場所はいったいどこだったのか、と考えると、なんだか可笑しさがこみ
上げて来る。

そして、そんな可笑しさを胸に留めながら、わたしはいつも、倉本聡の
ドラマ「北の国から」最終回のワンシーンを思い浮かべる。
生きるのに不器用な主人公、黒板五郎が二人の子供に遺言をしたためる
場面である。
「金など欲しいと思うな。自然に食わせてもらえ。」

海の幸山の幸を自ら捨て去り自然の恩恵を受けて生きることを葬って
来たわたし達現代人には到底書けない、素朴でありながら、しかし、
ずしんとを重みのある遺言だ。

祖母も母も叔父も、海の幸山の幸を知る人であった。

本日もありがとうございました。
慣れないパソコンを使用していますので、遅筆、誤字脱字があると思います。
また、接続の関係上、画像も載せられないのでFBでつながっている方以外は
写真をお見せできないのが残念です。
が、ポルトに帰るまでご勘弁くださいませ。
.
では、みなさま、また!
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2018年4月21日 

いえいえ、わたしがお別れするわけではありませんてば(笑)

ハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーの本の一冊であり、ハンフリー・ボガード主演で映画化もされている題名なのです。
今日、こんな話をとりあげるのは、所沢にて妹夫婦と二人、外国文学や日本の歴史小説作家の文章に話が及んだからです。

特に原語で読む語学力なく翻訳本を手にする場合、本のファンになるか否かはその訳者の文章が大いに影響する云々の話がでたのでした。

高校時代は外国文学に夢中になりましたが、20代にはハードボイルド作品に熱を上げていました。その頃の我が憧れのヒーローは誰あろう、レイモンド・チャンドラーの作品の主人公、私立探偵、「フィリップ・マーロー」なのであります。

書店の本棚にならぶ本の背表紙を読んで行きながら、偶然手にした一冊が時には思いの外おもしろくて、その作家に病みつきになったということは、みなさんにもあるでしょう。

偶然タイトルに惹かれて手にしたチャンドラーの一冊は、まだフィリップ・マーローが登場しない「ミス・ブランディッシュの蘭」という強烈な一冊でした。切れの良い、大人の香りがする、ちょっとキザッぽい日本語訳がわたしには抜群に新鮮だと思われました。
以来、チャンドラーの作品は次から次へと読破、ここがわたしのマニアックなところでして^^;

「あぶく銭は身につかない」「ある晴れた朝、突然に」「貧乏くじは君が引く」「高い窓」 「ダイヤを抱いて地獄へ行け」「悪女イブ」「さらば愛しき人よ」そして、この「長いお別れ」です。
「さらば愛しき人」は、ロバート・ミッチャムがマーローとして主演、映画化され、近年、村上春樹氏も翻訳をしていますが、わたしは俄然、清水俊二氏訳が好きです。

面白いことに、チャンドラーは実はイギリス人でありながら、書かれた全てのハードボイルド作品は、アメリカが舞台になっています。デビュー作品の「ミス・ブランディッシュの蘭」は、その暴力的な場面であると言うことと、イギリス人でありながらアメリカを舞台にした作品だということで、イギリスでは当初、発禁の憂き目を見たのだそうです。

フィリップ・マーロー。歳食っており、いつもヨレヨレのスーツをひっかけ、探偵事務所も薄汚いビルの一室。冴えない感じのこの探偵が人生の悲劇を織り成す様々な人間模様を見せる事件に取り組むとき、俄然、大人の魅力と哀愁をかもし出してきます。

「ギムレット(4分の3のドライジン+4分の1のライム・ジュース)」と言うカクテルがあるのも「長いお別れ」を読んで知ったのでした。
「タフでなければ男は生きていけない。優しくなければ生きている資格はない」
「さよならを言うことは、わずかの間死ぬことだ」
等はマーローのカッコいいセリフです。

ハドリー・チェイスの作品を殆ど読みきった後に熱中したハードボイルド作家はロス・マクドナルド。これも私立探偵「リウ・アーチャー」のシリーズです。え?どこか聞いたことがある?はい^^息子の日本名はこの「リウ」を実は絡めてありますです(笑) ポルトガル名は夫が、日本名はわたしが選び互いの選択に同意して決めたというわけです。    

が、息子の名の由来が、我が青春のヒーローの私立探偵たちの一人であるリウ・アーチャーからくることを、夫は知りませなんだ(笑)

今日は妹夫婦との話題からこんなことを思い出していたのでした。

本日はこれにて。

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2018年4月20日 

羽田空港には昼前に到着し入国手続きも終えて、一人にしては多すぎる荷物
をカートに乗せ、いよいよ税関の通過です。

ハラハラしながら進みますと、「全部お一人のですか」と男性職員から聞かれ、
「はい、自分の長期滞在の(たった一ヵ月やんかw)衣類とお土産、本類です
(これは本当。モイケル娘に依頼されたポルトガル語の本なり)

すると、以外やすんなりと通してくれたのであります。胸をなでおろし次なる
は、再度ロックされた旅行トランクの番号を合わせるのに挑戦です。が、つま
るところ無駄な試みではありました。 

最後は所沢近辺で合いかぎ屋を探して頼んでみるっきゃありません。素直に
開けるのを諦め宅急便カウンターに直行し、手続きを済ませて一路所沢へ向
かいました。

1年ぶりの東京はのんびりしたポルトの生活と違い、実は私に活力を与えて
くれるのです。このエネルギーを体に充電しポルトに帰っては徐々に放電活
用して、電池が切れる頃に再び帰国するわけです。

所沢に着くなり「トランクが開かない。頼まれたチーズはその中でんねん」
「ええー!」でございます。チーズを待ってたんか、あたいを待ってたんか、
どっちやねん(笑)

翌日配達されたトランクを腹立たしげに眺めていてもしかたない。とにかく開け
なくてはと、引き受けてくれる近辺の合いかぎ屋を3軒回らなければなりませ
んでした。

年配のおじさんに「決して盗んだものではありません」と事情を話すと
「あい、いいよ。1時間くらいかかるけどいいの?」とのこと。
えぇえぇ、構いませんことよ。開けられるなら何時間でも~、と言うので、トラン
クを預かってくれ、開けられそうな気配に胸をなでおろしたのであります。

やがて1時間が経ち、かかってくるはずの電話がありません。
しばらくは妹夫婦と「おじさん、ロックの番号合わせの謎解きに挑んで遊んで
るねぇ」などと言いもっておりましたが、さすが2時間もすると、ん?大丈夫かし
ら?と心配になり。

義弟いわく「姉さん、受け取りもらって来た?」「うは!もらってまへん」
これだもんなぁ、帰国のわたしって^^;喜び舞い上がって受け取りももらわず。
世の厳しさをすっかり忘れております。
こんな場合でも信頼できるのが我が国、日本なのです。

合いかぎ屋からの連絡を待たず直接出向きましたら、ちゃんとロックは解除
され開いておりました!おじさん、ありがとう、ありがとうと度もお礼を言い、
1200円なりの料金を支払って帰宅、いざ、開けん!

こんなわけでポルトを出発する前から始まったスッタモンダ、無事一件落着
と相成りました。が、こんなこと、白状すると2度目なのでありました。テヘッ。

みなさまもどうぞお気をつけあそばせ。

それでは、また!



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2018年4月19日 

ずいぶん昔になりますが、ロンドンのヒースロー空港内で迷い、ラストコー
ルに間に合わずフライトに乗り遅れたことがありました。同じくポルト行き
フライトに乗り遅れた韓国の若者二人と案内所で宿泊先を紹介してもらい
真夜中過ぎのチェックイン。一夜を空港周辺のホテルに泊まらざるを得な
かったのです。

その宿泊費の高いことと設備がとても悪かったのとで不安な一夜を過ごした
経験から、できるものならヒースロー空港は避けたい思い、以来帰国時は
フランクフルトを乗り換え地にして来ました。

が、今回は急な切符の変更だったので、ミュンヘンを通ることになったので
す。初めてでしたが、予想に反してスムーズに事が運び、1時間半の乗り継
ぎ時間も心配するに及びませんでした。

日本へ飛行する指定ゲートに着き、さて、トイレにでも行っておこうと向かっ
たのであります。用も終え、後12時間で東京だ。道中は座りっぱなしなのだか
らアナウンスがあるまで少し空港内を歩いておこうと身も軽く歩きはじめまし
た。そうです、身も軽く・・・

途中でふとこの身が余りにも軽いのに気付きやんした。何かがたりないぞ・・
うげ!リュックサックがあるべき背中にないではないか!さっきのトイレだ!
トイレのドアフックにかけたまま置いてきたんや!

搭乗券はもちろんのことパスポート、今回の滞在を支える円とユーロ札、帰
路の切符など諸々、失くしては困る一切合財がその中であります。ひぇ~!
悲鳴をあげんばかりに再びトイレに向かうこと一目散!

するとトイレから出て来た一人の女性にぶつかり、「あなた、これを探してる
の?」と黒いわたしのリュックを手に掲げて英語で話しかけてきました。
「ええ、ええ、それはわたしのです。いつもなら旅行中はショルダーバッグを
使ってきたのに、今日の旅行に限ってバッグを変えてしまったのです」と説明
しながら受け取るわたしに、「よくあることね。わたしもやったことがあるの
よ」 そう言うと女性は笑顔で去って行きました。

危うく恐ろしい状況を招くところでした。ハレルヤ!

こうして機上の人となり羽田に向かうことができたのですが、さてはて、開か
ない旅行カバンをどうしたものか・・・荷物が多すぎるとポルトガルでは往々
にして呼び止められ中身の検査と相なるのであります。

羽田ではどうなるだろか?そう思うと中々眠れないわたしでありました。

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2018年4月17日

ぎっしり詰め込まれた大きな旅行カバンの中身3分の1が我が衣類だ。
残りはと言うとお土産と「東のポルト屋」の頼まれ物。

さて、空港へ向けて家を出る30分前のことです。おっと、今回の出発のため
に新しく買った旅行カバンを閉めないと。ロックの設定がいるのでありました。

「これは僕がするから君は他の準備をせよ」と夫が言う。「ロック番号?」
「○○○でたのんます」というので彼にお任せ。

しばらくすると、夫「閉めたんだけど開けてみようとしたが開かない・・・」
えーー!いくらかばんのダイヤルを設定したはずの番号に合わせても開く兆
しは全くなし。

出発の時間は迫るので、もう焦っても仕方ありません、開かずのカバンのまま
空港へ運びましたです。チェックイン列に並んでいる間もあれやこれやの番号
を試してみましたが、アカン、いや、開かん^^;

開かないかばんには中身が溶け状態の頼まれたチーズが入っとんねん・・・
けどどうにもなりません。もしも通関でカバンを開けてみせよ、と言われたら
どうしよう。あの、開きませんの。夫が変なロックの仕方をして開きませんの。
どうぞ壊しておくれやす、とでも言うっきゃありまへん。

「悪いね。だめだったら、日本で新しいのを買っていいよ」と夫も済まなさそう。

新しいのを買うの何のって、問題は中身がちゃんと取り出せるかどうかじゃ!
と内心毒づきながらも、「うん、仕方ないよ。日本に着いてから何とかする」

心躍る年に1度の帰国なれど今回は少し不安な面持ちでミュンヘン空港を
目指してポルトを後にしたんであります。

あぁ、ミュンヘン!ここではもっと危なかったー!

というので、続きは明日なのですが、ただいま日本滞在中です。
使い慣れたデスクトップとマウスじゃないタッチ式のパソコンは使いにくい!
それゆえ誤字等のミスはどうか平にご勘弁の程を。

では、みなさま、所沢よりまた明日!
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2018年4月13日 本「夜間中学校の青春」

今週は忙しかった!8月の雑誌原稿の締め切りが5月なのですが、ポルトに帰ってくる時期とその締め切り日がほぼ重なり、とてもじゃないが時差ボケで書けそうもござんせん。そこで、一ヶ月繰り上げて送ろうというので、やっと本日仕上げて雑誌社に写真ともども送ったところです。

図書館での明日の日本語クラスには一ヶ月休暇中の宿題を用意し、今日の午後はせっせと旅行トランクに放り込んである物を、本当に必要か否か再確認しました。見ると三分の2はお土産なり(笑)

さて、毎回帰国の時には機内や乗り継ぎの待ち時間をやり過ごすのに本をもって行きます。それで書棚から今回選んだのが新渡戸稲造の「武士道」と「夜間中学校の青春」です。二冊目の「夜間中学校の青春」は読むのが二度目になりますが、とても考えさせられた本です。以前にも紹介しましたが、もう一度書かせてください。

夜間中学の青春

夜間中学校で42年間教えた見城慶和さんという先生が写真家の小林チヒロさんという方と2002年に出した、夜間中学で学ぶ人たちの写真がふんだんに盛り込まれています。

初めはそれと知らずに手に取った本ですが、表紙の写真にあるように、映画監督の山田洋次氏もこの本を推薦しており、山田氏はこの夜間中学の見城先生をモデルに映画「学校」「学校Ⅱ」を作っています。映画も2本ともわたしは見ています。

本のエピローグで目に入った、夜間中学生の卒業作文の一行に、わたしは思わず胸が熱くなってしまいました。

「学校をそつぎょうしたら、私はまた、ひとりぼっちで、夜ふとんの中で泣いて暮らしていくのです。」

この一行の文に、これを書いた生徒の学校に対する思いが溢れているようで、わたしは胸も眼も熱くなってしまったのでした。

夜間学生と言うと、わたしのこれまでの人生では、拙ブログ左のカテゴリ欄に「思い出のオルゴール」という、昭和時代のわたしの思い出を綴ったエッセイがあるのですが、その中のエピソード「津国ビル純情1」に登場してくる夜間高校生の一宮君と、「1964夏・江東区の夕日」エピソードで少し語られる新聞専売店住み込みの夜間大学生たちが思い出されます。

進学率も高くなり、少子化で大学全員入学も言われる現在ですが、わたしの時代はようやく団塊世代の進学率が上がってきたとは言うものの、高校や大学へ行けなかった人も結構いた頃で、わたしも経済的理由で大学進学を諦めた一人でした(上述、「1964夏・江東区の夕日」で書いてます)。

それでも、全日制高校に三年間なんとか通うことができたのには、学校にも親にも感謝しています。そういうわたしの思いも重なって、この夜間中学生の写真記録の本にはいたく惹かれました。

この本の読後も、映画「学校」鑑賞後にも思ったことですが、いったい「学校」とは何なのか、わたしたちが学校で学ぶことは何なのか、それらはわたしたちの人生にどう反映していくのか。わたしは、近年やっと自分なりにその答えが少し見えたと思います。

国語も算数も数学も歴史もサイエンスも全ては得点教科ではなく、また単なる学力養成が目的になるのではなく、人生の荒波に航海した時、わたしたちが自分自身の思考力で乗り越えて生きて行くための礎になるもののはずです。

学力とは点数でなく、生きる学力なのだと気付いたのです。そういう教育には時間と手間がかかり、○×式の教育では養えないように思います。

教育も親子関係も友人関係も希薄になったように思われる現代社会に住むわたしたちに、人間原点の礎になる学校教育、家庭教育のあり方をもう一度よく考えてみる必要があるとこの本は訴えてきます。

わたしの好きな星野富弘さんの詩の中に、「きく」の絵とともにこういうのがあります。

喜びが集まったよりも
悲しみが集まった方が 
しあわせに近いような気がする

強いものが集まったよりも 
弱いものが集まった方が 
真実に近いような気がする

幸せが集まったよりも
不幸せが集まった方が
愛に近いような気がする

この詩は、映画「学校」(もう一度見てみたw)と「夜間中学校の青春」に、とてもよく似てるなぁ、と思ったのでした。

世の中が便利になったというのに、文明の利器に振り回されて、物事をよく考える時間ができたどころか、却って前にも増して多忙な現代生活を送るような結果になっているわたしたちは、かけがえのない、たった一度の人生の時間の大切さを忘れているのだな、と自分自身反省している今日この頃です。
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2018年4月8日 

大阪出身の我が友は帰国と決めると半年以上も前にさっさと切符を買い、遅くとも一ヶ月前には持っていくものを旅行カバンに入れ込んで準備するのだという。

わたしはと言えば、9時から5時までの仕事ではないが、わたしなりに忙しく仕事をしていると思っているもので、旅行カバンをベッドの下から引っ張り出すのは、やはり早くて2週間ほど前になる。2週間あれば、なんとかなるのだ。 

一ヶ月ほど帰国しようと思うと、授業を4週間飛ばすことになる故、それを避けるため、時期を選んで、相棒のOちゃんが仕事のない補習校の春休みを入れ、2週間日本語のクラスを担当してもらい、残りの2週間をクラスの休みにするのである。

それで、ちょうど東京ではさくらの時期にあたる3月の半ばから4月の半ばの帰国というわけだ。

しかし、今回は故郷弘前のホテル予約の関係上、帰国の時期が例年よりずれてしまった。すると、この時期の帰国でどうしても問題になるのが、図書館の日本語コースなのである。先週末が復活祭で、図書館も閉館しており、授業も休まなければならなくなったところに、すぐ4週間ものクラス休暇は、いかな、いい加減なところがあるわたしでも気になるものだ。

そこで、今年は3週間の滞在と決め、切符も用意していたのだが、先週、突然図書館から、「4月21日、土曜日は部屋が使えません」と連絡が入り、え!!なのであった。

どうしようか?と思ったのだが、夫に話してみると「いいよ」との返事。 それで即切符の変更をしてもらった。こういうときのために、変更料を多少払うことになるが、切符は変更可能なものを買う。

そんな訳で、22日の帰国予定が一週間早まり、来週日曜日の朝になり、実は午前中の日本語教室が終わった後、あたふたと雨が降ったり止んだりの中、観光客に混じって、妹に頼まれたお土産お土産とダウンタウンに出かけたのである。

写真は晴れ間が除いた瞬間に撮ったポルトダウンタウン。

ruadasflores-1.jpg

お土産は行きつけの店、二軒に顔を出し、今回は思い切って旅行カバンを2つ持っていくことにしたもので、取りあえず日曜日の今日は朝から、次から次へと荷物をカバンに放り込む。んで、目下こんな具合なのです。

nimotsu-1.jpg

亡くなった山本夏彦氏、よく言ったものです、「愚図の大忙し」とは(笑)

晴れ間を見て、ベランダへ出、ふと空を見上げると、うわぁ~、虹だ!

rainbow-1.jpg

4週間も夫を猫とともに放ったらかしにして行くのですから、いかなわたしでも多少の後ろめたい気持ちがあるんです。でも、虹ってさい先がいいような気がします(笑)

虹は空にかかっていても気付く人と気付かない人がいますね。そうして見れば、わたしはポルトガルに来てから、よく虹を見かけます。虹には気付いた人に「ネガティブな感情の一切を手放し、進みましょう」というメッセージがこめられているのだそうですよ。

そかそか。せっかくの年に一度の帰国です。後ろめたさを捨てて、どんどん来週へ進もう、と勝手解釈。てへへのへ。
ということで、日本語生徒さんたちに残していく宿題作成と、5月中旬締め切りの依頼原稿に今週は取り組まなくちゃ!

心はずんで、ブログ内に誤字脱字もあろうやも知れませぬが、本日もご勘弁をば。
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2018年4月6日 

起床7時、窓のブラインドを上げると、うわぁ~、久しぶりの昨日の良い天気とうって変わってまた雨やん!

今日は生徒の弁護士さんが、復活祭の休暇で溜まった仕事を処理するため、夕方の日本語レッスンに来られないとのことで、それならば、日本へのお土産を買いにダウンタウンへ出ようと思っていたのです。残念なり。

我が家の4匹猫も日向ぼっこができなくなって随分長くなります。なにしろ2月からずっと雨天が続いているのですから。黒猫ぺトが近頃以前にも増して悪さをするのはそのせいかもしれないと思っているところです↓
猫カフェ

というので、今日は猫の話です。

ポルトガルで初めての猫カフェは2016年にリスボンで開店されましたが、残念ながら1年ほどで閉店したようです↓

猫カフェ
Wikiより

カフェと猫のスペースは仕切られて別々になっており、人間にも猫にとっても理想的だったと思うのですが、猫のスペースは入室料が3ユーロほどかかったようです。それが不評だったのでしょうか、閉鎖した理由は分かりません。

そして、こちらは3月下旬にオープンしたポルト初の猫カフェO Porto dos Gatosです。

猫カフェ
Wikiより

カフェではフランセズィーニャなど簡単な食事ができますが、基本的にベジタリアン・メニューだそうです。写真は食事スペースで猫はいませんが、別部屋としてソファやおもちゃが置かれてあるCats Roomに続くパテオもあります。

猫カフェ
猫と接触できるのはその二つのスペースになります。

猫カフェ
パテオの右側、白い窓枠のある部屋がそれです。

猫カフェ
トラ猫Jeime

猫カフェ
頭かくしてw 顔が見えません。

O Porto dos Gatosは全てセカンドハンドの家具を再び命を吹き込むように磨きあげ利用しているのだそうです。カフェ責任者の3人の女性はいずれも「捨てられた動物を救う協会」の責任者でもあります。

現在、9匹の猫がいますが、いずれも里親歓迎ですが、申請書に記入後、責任感と同時に猫が飼える条件が求められます。

また、カフェ内でのルールとして、猫を撮影する際はフラッシュを使わないこと、寝ている猫を起こさないこと、猫が自らやってきたのでないかぎり抱かないこと、そして、大声を出さないこと。

猫と食事処を別にして衛生面を考えているいる点や、猫が好きだけど飼えない人のためだとか、猫に触るためだとかが目的でない猫主役のルールがあること、里親の条件が求められることなど、よくできていると思います。 運営の成功を心から望んでやみません。

通常、ブログ記事にあげる場合は、直接現場へ行って撮影するのですが、今回はニュース記事から拝借しました。なにしろ、これまでにいったい何匹の野良ネコ野良犬を拾ってきたか数知れず、現在も我が家には4匹もの猫たちが主顔をしている故、カフェまで行かずとも、ということで今回は書きましたが、ひょっとするとそのうち、行ってみるかもしれません。その時はまたあらためて。

猫カフェ

雨の日の午後をまどろんでいる我が家の4匹ねこ。スピーカーの右の黒い物体がお尻をこちらに向けて寝ている失敬な黒猫ぺトなり。

Info:  O Porto dos Gatos
所在地:Avenida Rodrigues de Freitas, 93-95 (Bonfim) Porto
営業時間:10:00~20:00(月~土) 14:00~23:00(金)
       日曜日、祝日(休み)
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2018年4月3日 

夕日が沈むのを見るたびに、わたしはなぜだか心に大きな平和を感じます。生きていることの幸せ、k今日も生きたみたいなものでしょうか。

宇宙からすると、塵芥にも満たない小さな小さな、それでいて、今この時を自由に生きているその自分の姿が夕日に反射してチラリと見えるような錯覚に陥るのです。

子供のころから夕日や星空には抗い難い魅力を感じて今に至るのですが、みなさまはいかに?
 
人はわずか7、80年の人生の時間を切り売りして、より豊かな生活を求めようとするのですが、ポルトガルにいると、万人に与えられている自然の織り成す豊かさを忙しさの中で見失っていることが多いように思われます。

食べるためには仕方のないことなのですが、わたしの場合、朝から晩まで継続的に時間が拘束される仕事をしているわけではなく、合間合間に食材買い出しに出かけたり、授業の準備をしたり、趣味の調べ物をしたりも少しできるに拘わらず、近頃の自分の毎日はセワシイ気がするのです。

あと少しもう少し、とある目標に達するまでだと気張っているわけですが、達成後は人様に喜んでもらえるような活動をささやかながらして行きたいと望んでいます。

何の目標かと?うふふのふ。それは達成してからのお楽しみでございます。その暁には拙ブログにて密かに書くつもりです。

さて、そんな状態ですから月曜日から土曜日までずっと続けて日本語を教えていると、仮眠をとっても、なんだか疲れが残っているような無気力感に襲われることがあります。そんな時には、生徒さんには申し訳ないけれど思い切って日本語レッスンをキャンセルし、仕事を頭から追い払って、ベッドにゴロリ横になります。

本棚には、いつか時間ができた日に、ネットで検索しながら読みたいと思って買ってある謎解きの本が数冊あるのですが、その一冊が下のハードカバー「ケルズの書」です。

Kellsbook-1.jpg

オリジナルは8世紀に描かれた聖書の手写本だといわれますが、いわゆる聖書や仏典のように文字の羅列は見られず全ページが豪華なケルト文様の絵図で描かれています。

ベットに潜り込んで読むとはなしにページをめくる。こういう時間はわたしにとって至福のひと時であり、頭をリフレッシュできる必要な時間でもあります。

外は雨、自堕落で豊かなとも言える午後でありました。
よしっと。明日からまたがんばるわよ。

では、みなさま、また。
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2018年4月2日 

毎年3月14日にブルッセルで発表される「European Tree of the Year」コンテストがあります。

2018年は13カ国が参加しましたが、ポルトガル南部、セトゥーバル(リスボンから南東約45km)の近くにあるÁguas de Moura(アグアス・デ・モウラ)の大きな「コルク樫」の古木が選ばれました。

1783年に町に植えられたコルク樫は樹齢234年です。コルク樫の寿命は200年といわれますが、それをとうに越しました。現在高さ16.2m、回りが5mの大きさで、人々には「assobiador」、「口笛を吹く樹」のニックネームで親しまれています。梢にたくさんの小鳥が憩いさえずることからこの名前がつけられたそうです。

1988年には世界で一番大きなコルク樫としてギネスブックにも記録されています。

コルク
wikiより

コルク樫の樹皮がコルク製品の原料になるのですが、この古木もこれまでに20回以上剥がされ、1999年には1200キログラムのコルクを提供し12万個のワイン栓が製造され、世界一のコルク製造樹木とされました。

そこで、今日はちょっとコルクのきについて紹介したいと思います。

ポルトガル語でコルクの木を「Cortica=コルティッサ」と言います。 ポルトガル南部の地方でよく見かけます。

下の画像はアレンテージュの田舎道で見つけた立派な「コルク園の木」。柵で囲いがあり、園の中に入ることはできませんが、
コルク

↓こうして見る剥皮された後の茶色の木は美しくすらあります。
コルク

これは随分昔にデジカメではないカメラで撮った写真なのですが、原画が見つからず小さいのでご勘弁ください。

コルクはコルクガシと呼ばれる木から剥がされた樹皮のことです。 主にイベリア半島に見られ、ポルトガルは世界の50%以上を生産すると言われ、国の保護樹木になっています。

植樹後25年ほどたってから最初の剥皮があり、これはひどいデコボコがあるため加工製品の素材としては不適合とのこと。その後、10年毎に剥皮がなされ、樹齢は200年ほどだと言われます。                

下は旅行中に道端で見かけたコルクの木。
コルク
木肌が茶色でないのは今年剥皮された木ではないと思われます。

コルク
こちらはシントラ・モンセラーの森で見かけたコルクガシ。

コルク
表皮がこんなにゴツゴツしています。

下記、2枚の画像はwikiからですが、コルク樹皮を剥いているところと         
コルク

剥がれた樹皮の置き場
コルク

コルクはその断熱性、吸音性、弾力性から近年は環境素材として活用されます。これに着眼してコルクレザー(コルク皮)を開発し、このエコ素材にファッション性を加えたユニークなアイテムを最初に売り出したのが、ポルトガルの「Pelcor社=ペルコル社」です。

高級エコファッションとしてアメリカでも評判を得たペルコル社は2008年にマドンナがリスボンでコンサートをしたのを機に、Mのイニシャルをあしらったコルクバッグをマドンナに贈与し、一時期「マドンナバッグ・ライン」を発表しています。

コルク

コルクレザーはコルクの持つ温かい手触り感触と軽さがが魅力、ウォータープルーフでそのまま洗うこともできます。ペルコル社製品はファッション性も優れていますが、高級ブランド製品で店舗はポルトガル国内でもリスボンにしかありません。後はオンラインショップです。

が、コルクはポルトガルの主要産物であることから、このエコファッショは現在手軽な値段で国中で見かけますし、お土産として買う人も増えました。

まだまだ日本市場ではあまり知られていないようですが、興味がある方は是非こちらを覗いてみてください。

オンラインショップ「東のポルト屋

他にも色々在庫はあるはずなのですが、店長が多忙らしく、新商品の紹介に少し手間取ってるようです。「東のポルト屋」では良心的なお値段でポルトガル・グッズの提供を心がけています。

なんだ、宣伝になっちゃった(笑)

本日はこれにて。
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2018年3月31日 

国民の大半がカトリック信者だったポルトガルですが、それも時代の流れで変わりました。そのひとつに、わたしがポルトガルに来た当時は離婚が認められていなかったのが、してもよろしいということに法律が変わったことです。神の前で誓った結婚は最後まで添い遂げる、実生活がそうでなくとも紙面上はそうなっていた人が多くいたようです。

わたしの実体験から宗教面での変化がはっきり見えたのは、補習校の講師をしていた頃です。

補習校はポルトの地元小学校の一部を毎土曜日に借りるのですが、ある日、あれ?と気づいたことがありました。それは、教室の大きな黒板の真上に見られていた小さなキリスト像が撤去されていたことでした。国の大きな変化はこうして教育面から変えられて行くのだと言うのを実感した出来事でした。

そして、近頃感じるその手の変化はと言うと、これまでの宗教祝日が国政のトップによって突然その年は休日にならなかったりすることです。

さて、このように変化しつつあるポルトガルですが、クリスマス、復活祭を祝うのは欧米諸国と同じ健在です。

この時期はテレビでは聖書がらみの映画、「ベン・ハー」「十戒」「聖衣」「ー偉大な生涯の物語」など、たくさん放映されてきましたが、ここ数年その本数がかなり減りました。これも時代を反映しているのでしょう。

わたしはクリスチャンではありませんが、聖書に基づく物語はスケールが大きくて、現代に通ずるものが随所に織り込まれているように思われ、興味があります。これらの物語は古代史を考察する上でも興味深い点がたくさんあると思います。

好きな本や映画は何度繰り返しても飽きない性質です。素晴らしい場面は感動を呼び覚まし、随所随所で語られる言葉は、乾いた大地に染み込む清水のようです。クリスチャニティを持たないわたしにすらこのような思いを抱かせる聖書の物語は、やはり偉大であると言わざるをえません。

ポルトガルは聖木曜日から明日の日曜日まで復活祭の週ですが、復活祭に因んで今日は数年前にわたしが耳にしたニュースをここで取り上げてみたいと思います。

「過ぎ越しの祭り」を知っているでしょうか。これは、旧約聖書を読んだことのある人なら、旧約聖書の出エジプト記に記されている出来事だと分かるでしょう。現代に至ってユダヤ民族が受け継いでいる祭りです。

エジプトのファラオの元で奴隷として扱われていたイスラエル人を、モーゼが奴隷状態から開放するよう、ファラオに願いでるのですが、王はこれを聞き入れません。モーゼは、神の導きによりエジプトに10の災いを施します。最後の災いが「人や家畜などの長子を死に導く災い」です。

この時、神の指示により、イスラエル人の家は子羊の血を「家の柱と鴨居」塗ります。(←日本の神道の赤い鳥居と重なるとの説を読んだことがある) この疫病(ビールスや病原菌)はこうして闇の中、赤い印のあるイスラエル人の家は過ぎこされるのです。

ファラオの長子もこれで死にます。哀しみに打ちひしがれたファラオはついに、イスラエル人がエジプトを出ることを認め、この後、映画「十戒」でもあるように、出エジプト記の山場「紅海」が真っ二つに
割れて海を渡るのです。

ユダヤ民族の「過ぎ越しの祭り」はこの故事に由来し、モーゼと共に果たした出エジプト・「Exodus=奴隷から開放され約束の地までの40年間の長い旅」を記念して、3000年もの昔から祝ってきたのだそうです。この時期はイースト菌を入れないで焼いたパンを食べるのが慣わしです。

この由来からして、イースター、復活祭と言うのはキリストの復活を祝うだけではない、ということがわかります。キリストが生まれるそれ以前にユダヤの人々の間では「過ぎ越しの祭り=pessah=ぺサハ」として、この時期は祝されて来たことになります。

イエスは、木曜日の最後の晩餐後、彼の12使徒の一人、ユダの裏切りにあい十字架の刑を受け、復活します。こうしてキリスト教でもこの時期はイースター=キリストの復活として、受け継がれて来ました。

余談になりますが、2006年に米国ナショナル・ジオグラフィック協会が、エジプトの砂漠の洞窟で1978年に発見された、約1700年前のパピルス文書が修復されたと発表。この写本は、イエスやユダの死後100年ほどしてから書かれたものだそうです。

12使徒の一人でありながら、銀貨30枚と引き換えにイエスを裏切ったと言われる、イスカリオテのユダは現在でも裏切り者の代名詞です。それが、この写本では、ユダがしたことは全てイエスの指示に従ったことであり、この役割を任命されたユダは弟子達の中でも特別な地位にあった証拠だと書かれてあるそうです。

それが真実だとすれば、では、いったい誰がユダヤ人のユダを裏切り者と仕立て上げ、2000年もの昔から現在に至るまで、陰謀を計ったのか。これには政治が関係してくるのでしょうか。古今東西、宗教と政治が切り離せないとはよく言ったものです。

こうしてみると、歴史は人間の手によっていろいろに捏造されている部分があります。「イースター」一つを取って調べても分かるのですが、思うに、人間の歴史は昨日今日できたものではなく、遡れば遥かな古代文明にさえ行き着くのです。

故に、長い歴史があるものは、有形無形に拘わらず宗教思想の違いを超えて、人類の歴史遺産として残していくべきではないかと思うのです。

中近東の紛争で破壊される歴史的遺跡をテレビニュースで見るにつけ、思わず「ばっかだねぇ、何もかも破壊しちゃって・・・」と残念至極に思っているのは、わたしばかりではありますまい。

というところで、ただ今から、2013年に製作された「The Bible」、昨日の続きをみます。英語版ですが、ポルトガル人俳優
Diogo Morgadoが主役でイエス・キリストを演じています。夫は向かいのカフェへサッカーを観に。どっちがポルトガル人なんだか(笑)

では、みなさま、また。

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