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2018年5月28日 ハロ現象

今回の弘前訪問でのこと。
まだ名残りの桜が見られるやもしれぬと、妹夫婦と車で岩木山麓まで出かけた帰りのことです。

ところどころで咲いている桜を見かけはしたものの、山中でぽつりぽつりと咲く桜を目にするのは寂しいものだなぁと思いつつ、ふと車中から見上げた空に、あれ、にかけらか?

虹 ハロ現象と環水平アーク

見ると、これまで見たアーチ型とは反対の凹型ので、一瞬、え?と思ったものだが、窓から身を乗り出して上空を見上げて、あっと驚く。

虹 ハロ現象と環水平アーク

なんと、二重のでしかも太陽を取り囲んでいます。太陽の周りの虹、つまり光の輪は「ハロ現象」と呼ばれるそうで、わたしは初めてなのですが、とても珍しいというものではないとのこと。しかし、今回はその輪の下にもう一つ見られる虹は「環水平アーク」と言い、 この二つの現象が同時に現れるのは非常に珍しいのだそうです。

ハロ現象だけをとらえてみました。神秘的です。まるで天使でも飛んでいるかのような錯覚に陥りました。

虹 ハロ現象と環水平アーク

虹 ハロ現象と環水平アーク

「車、止めてとめて!」と同乗していた妹夫婦に告げ車外に出てカメラのシャッターを切り騒いでいたのはわたしたちだけで、周囲のリンゴ園や農家は気もつかず、のんびりした光景でした。ringoen1-1.jpg

珍しい現象に興奮冷めやらず、空を見上げてはしばし息を呑むような思いで感動していたのでした。

虹 ハロ現象と環水平アーク

古代の中国人は虹を「天上に住む巨大な虫」だと考えたと、読んだことがあります。巨大な虫とは龍を意味します。雄を虹(コウ)、雌を霓(ゲイ)と言い、二重の虹は「虹霓(コウゲイ)」。今回わたしが見たのは、さすづめ天上の龍の「コウゲイ」と呼べるのでしょうか。

「虹」の漢字にどうして「虫扁」がつくのか、なるほどと分かったものです。 虹を良き事の予兆と思っている人が多い現代ですが、古代の中国では虹は不吉の前兆とされていました。

この記事を書くにあたりネット検索してみると、5月7日に青森近辺にこの珍しい二つの現象が見られたとが話題になっていたようです。ハロ現象は下り天気のサインだそうですが、環水平アークは地震の予兆とも言われ、東日本大震災、小笠原沖地震にも見られたとのことで、古代の人たちに不吉の前兆だと信じられていたのには、それなりの理由があったことになります。

この世にあらざるような美しいものは、時にわたしたちに不安を与え裏切ったりすることがあるゆえ、見た見たと喜んでばかりもいられないのかも知れません。

では、みなさま、また。
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2018年5月25日 

senhordapedra1-1.jpg
今日の一枚:Capela do Senhor da Pedra, Gaia

うぉ!危なかった!

夏時間で今はまだまだ明るい夕方7時過ぎ。
アパートの玄関ブザーが鳴ったので、てっきり日本語の生徒さんだと思い、日本語で、「どなたですか?」と聞いた。

これは、普段日本語を皆目耳にしない生徒さんたちのために、誰と分かっていても、日本語で
そう聞くことにしているのだ。「ちゃんと日本語で名前を言わないと、ドアを開けるボタンを押さないわよ^^」と言ってある(笑)

すると、期待に反して、男の声がポルトガル語で何やらわめいている・・・
「○○です」とてっきり日本語で返事が来ると思っていたのに、案に反してポルトガル語が来たもので、咄嗟に反応できない我が頭脳は、数秒@@状態ですぐには返事ができず^^;

「な、なんでしょか?」とやっとポルトガル語で。
「お宅の車の窓があいてまっせー」と、聞いた!
「う、うけぇ?(O que é?)」と、今度はポルトガル語で。(え、えぇ!の意味)
え~らいこっちゃえらいこっちゃ!
聞くなり、家のドアの鍵束をひっつかみ大慌てで階段を下り、外へ出て己の車を駐車してある
向かいのアパートの前に!

うわぁ~~、ほんまや!助手席の窓、全開っ放しやん!
誰やねん!!・・って、自分やん^^;
3時からの日本語教室が終わってから、大急ぎでハイパーマーケットまで車を飛ばし、買い物
をしてその場所に駐車したのが2時間前。

たまたまわたしの車の横に自分の車をつけた、お向かいのアパートの人が知らせてくれたのでした。
その男性、助かったと礼言うわたしに片目をつぶりながら、自分のアパートのドアを開けて入って
行きました。

ふぅ。危なかった^^;あんなことしてたら、「は~い、車中のもの、残さずお持ち帰りくだされ」と
誘惑しているようなものだ・・・・いかんいかん^^;しかし、お向かいに入っていったその男性、わたしはまったく見覚えがないのです。わたしには、自分のアパートの前、お向かいのアパートの前とズラリ並んで駐車している車、自分のを除いては、どれがご近所の誰の車かなんて分かりもしません。

へぇ、みんなよく知ってるのね、とまずは思ったのだが、待てよ・・・・やっぱり、茶髪グラサン東洋女の車が目立つのだわぃ^^;それに、毎日定時にジョアキンおじさんとこの畑や庭に来る野良ネコたちにエサを運んでるしね。ほれ、今日もまた行くがな、ってなもんで、こちらは知らなくてもご近所はご存知で。

それに、我が家へ来ていたお掃除のおばさんは、しょっちゅう向かいのカフェに行ってますから、
結構おしゃべりしていたやも知れない^^;
「ほれ、あの青い車、お慌て者のドナ・ユーコの車よ。今朝も行っ たら、鍋を焦がしてたわ。わっはっは」とかなんとか(笑)

しかし、人の口に戸は立てられず、です。
ま、このまま行っちゃうっきゃない^^

でも、夫にはこのまま言っちゃわない(笑) ちっとは自分のボケぶりを自覚せぇ、と、お小言もらいそうだから、内緒内緒、シィ~~・・・・・

え?毎日曜日には夫、向かいのカフェで新聞読むのが習慣だから、どこからかすぐ耳に入るんじゃないのかって? し、知らん^^;
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2018年5月23日 

思えば40年前の今ごろ、わたしは初めてポルトの地を踏んだのだった。この春、一ヶ月の日本滞在を終えて帰ってきたのだが、それと同じ時期だ。

アメリカの大学入学の夢をほっぽりだして、ツーソンをさっさと引き上げ、日本で入籍し、夫は日本での研究期間を終えて先にポルトガルに帰国していたのであった。不安と希望の入り混じった気持ちで、付き添い役で共にポルトにやってきた夫の日本人友人であるドクターD氏とポルトの空港に降り立った日のことが思い出される。

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1979年5月18日成田空港発。ドクターD氏撮影。

当時ヨーロッパへの航路はアラスカのアンカレッジ空港経由になっており、そこからパリへ。わたしとドクターD氏はパリでの8時間という長い待ち時間を利用し、思い切って空港をチェックアウトし、数時間パリの街へ出た。

1979-3-1.jpg
パリの街角で

そうして到着したポルト空港はさびれた地方の態をして一瞬とまどったものだ。ポルトガル語が全く話せずにとうとう来た、この先のことは皆目分からないというのがその時の気持ちだった。頼れるのは夫だけ。今でこそ、自分で車を運転し、あちらこちらで日本語を教え少し収入を得られる身分になったものの、当時は夫なくしてはおいそれと出かけるのもままではなかった。 

わたしが来た年、1979年の5月は思いのほか寒い気候だった。セーターを持って来ず、夫のを借りてしのいだものだ。下は夫の友人夫婦たちに囲まれて、Viana de Castelo(ポルトから更に北部)での恒例の祭り会場で歓迎された時の写真だが、着ているのは夫のセーターだ。
yuko_1979_4_1.jpg

わたしの横が同行してきた若かりし頃のドクターD氏。この仲間の中には既に鬼籍に入った人もいる。夫とわたしのハネムーンはドクターD氏も一緒で、どこへ行ってもわたし達二人は日本人カップルだと見られて苦笑したものだ。

あんな事こんな事と異なる文化背景の衝突が6年間同居した夫の母や親族達との間に多々あったが、今はそれも懐かしい。気がつけばポルトガル在住が母国で暮らした年月をとっくに越えている。

あれ?と母国とポ国の狭間に立つそんな自分を感じたりしている。

2013-5-20-2.jpg

空を見上げればこんな5月が、なんだか少し寂しげな青い空に白い雲。

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に 露みちて、
あげひばり、名のりいで、
かたつむり、枝に這ひ、
神、空に しろしめす、
すべて世は 事もなし(ロバート・ブラウニング 上田敏訳)

God's in His heaven
All's right with the world

この世のことは全て神(クリスチャンでないわたしは「大いなるもの」と訳したい)の摂理のもとにある、神のお導きのままに。希望はいずこにでも見出せるものだ、とでも言っているのか。

七十路の財力なし、大した能力なしの異国に住む女の希望とは、この先何なのか。母国とポ国の狭間に立って、おかしくも、少し揺れている在留40年目のわたしである。

本日はこれにて。
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2018年5月23日 

一挙に時差ぼけを追い払おうと昨日は昼前から、久しぶりにポルトの街を歩いてきました。

これまで車を駐車してメトロを利用していた「Polo Universitário(ポルト大学駅)」でしたが、しばらく前から駐車スペースが常に満車で、車を止める場所を探すのにグルグル周る羽目になるので、今はダウンタウンに近い二つ向こうの駅「Combatentes」付近に車を乗り捨て、そこから街に出ています。

ドウロ川を挟んだ隣町、ガイア側からポルトの美景をしばらくぶりに眺めてみたいと思い、サン・ベント駅で下車し、Rua das Flores(花通り)を通ってリベイラを目指しました。

ポルト
Rua das Floresの横道壁に描かれた巨大黒猫の絵

ポルト
その横道から眺められる路地の景色。わたしの気に入りの景色でもあります。

行きつけの店「Memorias」に「こんにちは!」と顔を出し、しばらくおしゃべり。お客さんが入店してきたので長居は無用。そして向かったリベイラ(Ribeira)こと、ドウロ川沿いなのですが、かつてわたしがのんびり歩いてきたリベイラと違い、オープンカフェは満席で、川沿いには屋根無しの物売り屋がぎっしり並んでいます。

これじゃぁ、川の景色を損なうんじゃぁないの?と思いつつも、ツーリストがわんさと押しかけると、我も我もとこの波に乗り、カフェ、ホテル、土産物屋に続き露店が増えるのもやむを得ないことだろう。

ribeira3.jpg
↑写真をクリックすると拡大写真が見られます。

ポルトは今、わたしが知っていた街から少しずつ変容してきているのです。小さな街です、願わくは風景があまり大きく変わらないよう、市が何らかの規制を設けてくれるといいのだが、と多少危惧の念をいだいているこの頃です。

ポルト
リベイラの露地

ポルト
リベイラの土産物屋。クリックすると拡大写真が見られます。

「外国人が多くて、ここはドイツかイギリスかと思ったりするよ」とは、住民の言葉とか。大きな街と違い、ポルトのような小都市は、ツーリストで溢れかえり地元の人の足が遠のくのは、将来、問題になりかねない。ブームとやらはいずれ去るもので、去った後にどれだけの店舗、ホテルが生き残れるだろうか、と不安な思いに駆られるのですが、儲かるのは今しかないっか!も、事実なり。

ポルト
↑是非、クリックして拡大写真をごらんください。

美景をそこなうんじゃぁないの?と気になる露店も対岸のガイアから眺めると小さくて見えず、いつもに換わらぬ美しいポルトの街並みを見せてくれます。

ほぼ2時間近くの散策をして帰宅。心地よい疲れでちょいと昼寝のつもりが、目覚めたらなんとまぁ、午後7時半を回っておりました。うげ!外猫のエサ運びの時間過ぎてるじゃん!と、眠気マナコで家猫のを後回しにし、外猫のエサを作り運んだ夕べでありました。

人間さまのは、はい、すみません、外食と相成りました。

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2018年5月21日 

何年も前から気になっていた「モンシーク修道院=Convent de Madre Deus de Monchique)」を探しに行ったのは、かれこれ10年ほども前になります。

こういう探し物探検は一人で行くのが好きなのですが、休日に夫をほったらかしては、ちょっとまずいので、話を振ってみると一緒に来ると言う。
「いや、ぼくはいいよ」をちょっと期待しなかったわけでもないのだが、仕方ない、連れていくかと相成ったのである。

このモンシーク修道院ですが、実はあまり人に知られていない。検索してもこのあたりにある、とは書いてあるのですが、はっきりした所在地が当時はネットでも見つかりませんでした。

そこで週に一度、わたしがレッスンを受けに行っている、ポルトガル語の先生、かつてはポルトの私立学校ロザリオの先生で我が子達のポルトガル語も見てくださったのですが、モンシーク修道院がどこにあるか、たずねてみました。

と言うのは、10年ほど前に定年退職し、インターネットなどもしっかり勉強して、悠々自適の生活、話題が豊富な方で、わたしは大好きなのですが、その昔、神学を学んでおられたのです。

神の愛をとるか、愛の神をとるか、とタイスのごとく悩んだ末、愛の神を選んで結婚、教職に長年就かれたお方です。(註:タイス=オペラ「タイス」の主人公。ただし、タイスは女性。「タイスの瞑想曲」は追記で聴けます)

そこでモンシーク修道院がどこにあるかご存知なのではとたずねたところ、
「それはアルガルブ(ポルトガル南部)にあります」
と夫と同じことをおっしゃる。
「先生、ポルトにもあるとどこかで読んだ記憶があるのです」
「ふ~~む。聞いたことがないぞ」

モンシーク修道院の話はそこで終わってしまったのですが、翌週レッスンに出かけると、
「オ・ドナ・ユーコ!これは参ったな。ポルトにもあるとは!」
「正確な住所はわからないが、ドウロ川沿いの方だね。」

先生もわたしとの話の後、ネットで検索したのだそうな^^うほほほほ。モンシーク修道院に関しては、先生よりわたしの方が、先であったのよ^^

さて、ドウロ川に面した並びは小高い地所になる。車をゆっくり走らせながら、あれかもこれかもと、修道院らしき古い建物を見つけては、車を止め、急な坂道を2、3度上り下りしては、どれも見当違い。

細い坂道を見ると、ついどれどれ?と足を向けたくなるわたしとちがい、普段平坦な道しか歩かない夫には細くて急な坂道など縁がない。毎週土曜日午後にはジムに行く彼、「もう今日はこれで運動十分だ。行かなくてもいいや」(笑)

さて、トップ写真にあるBanderinhasのあたりを歩いたとき、ふと横の坂道(この頃にはもう上るのにくたびれかけていた)の突き当たりのトップに像が乗っている古い建物が目に入った。
「ん?あれはなんだ?」と、どんどん上に上るわたし↓

モンシーク3

ふ~む。廃墟で、表の鉄柵戸には錠がおろしてある。

モンシーク1

鉄柵戸越しに少しカメラを上方にずらしてみると、あっ!
モンシーク2

ここだ!ここに間違いない!上にはサンタマリアの像があるではないか。
 
モンシーク修道院の正式名は「Convento de Madre Deus de Monchique」.
Madre Deus とは、聖母のことです。それにしてもこの荒れ放題振りはあまりに気の毒ではないか。

わたしたちが見つけたのは、恐らく修道院の裏側ではないかと推察している。と言うのは、正門になるファシャーダ(fachada)もその跡もないからだ。そのモンシーク修道院のそのファシャーダが、現在どこにあるか、わたしは偶然のことから知っているのであります。

モンシーク・ファシャーダ

画像が多少ぼやけて見えるのは、ガラス戸越しに撮影したからなのです。これがモンシーク修道院にあったファシャーダですが、現在、ポルトのSoaresdos Reis国立美術館の庭に置かれていました。

★このファシャーダは2018年現在、美術館に隣接する競技場に移動されている↓
portal-1.jpg

2010年11月にポルトで開催されたJapan Weekのコーディネーターの仕事を依頼された時、国立美術館との会合で、Japan Weekの展示会場のひとつとなるギャラリーを見せてもらったのですが、ふと目に入った庭のマヌエル様式の美しいファシャーダ。
「あれ?すみません。あのファシャーダは・・・?」と問うと、「モンシークのファシャーダだ」と教えてもらいました。庭には、もうひとつ、一連のモンシークの遺跡と思われる細工のある壁がデンと置かれていたのですが、まさか仕事をほったらかしてそっちの撮影に走るわけには行かず、かろうじてこれだけ撮ることができました。

さて、ここからやっと表題の「ポルトガル文学・破滅の愛」であります。原題は「Amor do Perdição」.。19世紀の文学者カミーロ・ブランコ(Camilo Castelo Branco)の作品のひとつで何度か映画化されている、ゆうなればポルトガル版の「ロミオとジュリエット」です。

このモンシーク修道院を探そうと思い立ち、検索している途中で、この物語の舞台だったことを知ったわけで、私自身は本そのものをまだ読んでいませんが(まだポルトガル語で文学を読めるほどの語学力と時間がない)ざっと以下のような内容とのこと。

家族から乱暴者と疎まれるシモンは父親のライバルの娘、テレザと恋に落ちます。ある日、シモンはテレザを連れ去ろうとする彼女の許婚の従兄弟を誤って死に至らしめてしまいます。二人は引き裂かれ、テレザはこのモンシーク修道院に幽閉、シモンはポルト港から船で去ることを余儀なくされます。シモンの乗る船をモンシーク修道院の窓から見送り、傷心のあまり息を引き取るテレザ。その幻影を見てシモンもやがて重い病にかかり船中で亡くなります。

1.jpg
↑モンシーク修道院の建つ場所からはドウロ川がよく眺められ、この本の舞台に選ばれたのはなるほどとうなずけます。

荒れ放題のモンシーク修道院は、財政的にも苦しかった市当局です。長年放置されてきてついにポザーダとして復活したニコラウ・ナゾニの「フレイシュ宮殿」とは違い、もう修復不可能だと思われ、恐らくファシャーダなど一部の遺跡は、国立美術館に移されたのでしょう。

わたしがこの修道院を見つけた当時は資料が見つからず、上記に書いたことがせいいっぱいだったのですが、少し見つけましたので、加えておきます。

モンシーク修道院は1533年に、祈願のために富裕のPedro da Cunha Coutinhoとその妻によってミラガイア地区に建てら、ポルトでも重要な修道院のひとつでした。17世紀には70人もの尼僧と富裕層の子女、それに伴った召使が住んでいました。

が、19世紀初期のリベラリスト、ドン・ペドロ4世と絶対王政主義者ドン・ミゲルとの間に起こったポルトガル内戦でドン・ペドロが勝利し、国内から宗教団体は追放され、モンシーク修道院も閉鎖、放置されてきました。

もし、カミーロ・ブランコが「破滅の愛」を書かなかったら、恐らく多くの人はモンシーク修道院の存在を知らなかったかもしれませんね。

現在、売られた修道院の一部はホテル建築に当てられ工事中とのこと。 これもポルトがにわかに観光客の人気スポットになったからだと言えましょう。

近々その現場に足を運んでみたいと思っています。

「タイスの瞑想曲」。近頃好きな2CELLOSの一人、チェロ奏者Hauserの演奏です。


本日は長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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2018年5月19日 

yube1-1.jpg
5月の夕月

もともとが天然ボケがちなので、ユーさん、時差ボケはあれへんのとちゃう?なぁんて言われたらガクンなのであります。ただ今、時差ボケと奮戦しながら家事、食料品買い出しをこなしております。

帰路、乗り換え地点のフランクフルト空港では、コンピューターシステムに支障があったとかで、ポルト行きのゲートが出発時間ぎりぎりで2度も変更になり、冷や汗をかきました。おまけに出発は1時間以上の遅れです。

早朝に着いて、池井戸潤の「民王」をクックッと笑いかみ締め読みながら、4時間近くも待ち時間をつぶしていた56番ゲートから28番ゲートえ移動って、ターミナルの端っこから端っこへ、みたいなものです^^;パンパンに膨れたキャリーバッグと羽田空港で買い込んだ数箱の「からしめんたいこ」と大好きな「ドラ焼き」2箱が入った袋を引きずって、急ぎ足で歩くのは結構しんどいものです。

16日のフランクフルト空港は多くのフライトのゲートを移動してくれとのアナウンスがひっきりなしで、こんなのは初めてでしたが、とにかく1時間少しの遅れで無事ポルトに帰ることができました。

日本での話はおいおい書くとしまして、滞在中、会って下さった皆さん、お付き合いしていただき楽しいひと時をありがとうございました。また、今回、お会いできなかった方たちにはごめんなさい。次回の楽しみに取っておきたいと思っております。

夕べは頑張って11時までなんとか起きていたものの、朝方4時は目が覚めてエイヤ!と起床、今日から再開する図書館の日本語クラスの準備にとりかかり、6時少し前のただ今、準備終了。窓の外は空が白み、今日一日が始まります。

yoake1-1.jpg

あ~あ、出勤前にまだ3時間半もあるんだがなぁ・・・あまり、ガサゴソすると夫が眠れないだろうし。

というので、とにかく無事ポルトに到着した報告でございます。
更新が滞りがちだったブログ、気合を入れてまいりますので、みなさま、宜しくお願いいたします。
では、また明日!


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2018年5月15日

一ヵ月の休暇も終わり、今晩ポルトに夜間飛行で逆帰国です。

滞在中の後半は故郷弘前行きと我がモイケル娘の祝い事とで
少し忙しかったのですが、それについてはポルトから発信いたします。

何度か拙ブログを訪問なさった方には記事更新が思うようにでき
なかったことをお詫びいたします。

次回は再びポルトより発信いたしますので、今後ともどうぞよろしく
お願いいたします。

それでは、また!
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2018年5月10日

弘前からただいま!

行きは出発するなり東北自動車道路で事故による通行止め。いったん一般
道路に追い出され、停滞でノロノロ運転。朝6時前の出発なのに弘前に到着し
たのは9時間かかることの午後3時。

いったんホテルにチェックインしてから、今回の弘前訪問の主要目的である
おばの家を訪ねましたが、ちょっと面白いことがありました。これについて
はポルトに帰ってから書きたいと思います。

3泊4日で昨夜1時過ぎに所沢到着、平均年齢70の我ら三人、帰路はゆっくり
走って来たのですが、12時間はかかりすぎだー!成田からフランクフルトまで
の飛行時間じゃん!とは、座っている者より運転した義弟を前には口が裂けて
も言えませんですぞ^^;

ポルトガルも遠いけど弘前も遠いなぁと、つくづく感じ入った今回の今日では
ありました。もうひとつのビッグイベントは、懐かしい高校時代の恩師、同窓
生たちが集まってくれたことです。
これもポルト逆帰国後にとりあげたいと思います。

さて、今日は我がモイケル娘の誕生日です。正午頃、5月の真っ青なポルト空
の下で生まれた日のことを鮮やかに記憶しています。あれから32年、日本を
離れたおっかさんの人生軌道とは眞逆に、日本に憧れポルトガルからこっちへ
来てしまいました。

ポルト補習校中学部の卒業式時のスピーチで「わたしは日本へ行くのではあり
ません、帰るのです!」と宣言された」時は本当に驚いたものです。

これは帰国子女物語(受験編)エピソードトップに書いてあるのですが、今日は
その部分を再掲載してみます。

帰国子女物語(受験編)(1)「ぎょ!の卒業式」
2006年2月16日(木曜日)

卒業式の季節が来ると、毎年のように今ではもう5年前になってしまった、
ぎょっとした卒業式を思い出す。

ポルトガルには卒業式というものはないのだが、我が子二人は、月曜日から
金曜日までBritish Schoolに通学し、毎週土曜日は日本語補習校なるところに
9年間通い、日本の義務教育課程をとりあえず終えたのである。

週に一度の3時間授業で、国語数学2教科の日本の1年間の教育カリキュラムを
こなすのだからこれは大変な進度具合なのだ。しかし、補習校に通ったおかげ
で二人とも小中学部では日本式の厳かな卒業式なるものを経験することが
できた。

小規模の補習校であるから卒業生は一人か二人が通常であるので、どの子も
日本ではなかなか仰せつかうことのない「卒業生代表の答辞」とやらをする
ことになる。

その年、義務教育課程を終えたのは我が「もいける娘」ひとり。
補習校関係者は在校生はもちろんのこと、その親達も全員出席しており、
壇上に上がったもいける娘はおもむろに答辞原稿を開いて読み始めた。
と、あるくだりに来ると場内に笑い声がさざめいたのである。

「わたしは今から3年後、ポルトガルで高校を終えた後、日本へ行くつもり
です。いえ、行くのではありません、わたしは日本へ帰るのです。」

さざめく笑い声とともに、「おお~!」との声があちこちから響き、横に
いた大阪出身の同僚はひじでわたしを突っつきながら、「あんた!今の娘の
言葉を聞いた?行くんじゃなくて帰るんだってよ!覚悟しときや。」

ポ国で生まれ育ち日本には3年に一度の割で行き、夏休みの一ヶ月ほどを
過ごして来た日本。しかし、その日本へ彼女は「行く」のではなくて、「帰る」
と言うのだ。

その日、わたしは頭から水をぶっかけられでもしたように、意外な娘のなの
言葉にハッとさせられたのである。

これは彼女の、面と向かってはなかなか言い出せなかった、父親への、
実はメッセージでもあったのでした。そして、その父親はと言えば、仕事で
肝心の卒業式には出席できなかったのでありました。

わたしたち母子の、日本の大学受験奮闘はこうして始まったのでした。


その後、どのようにしてモイケル娘が日本行きの切符を手にしたかは、
下記のカテゴリで読むことができますので、興味のある方はどうぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-6.html
「ズッコケ親子の帰国子女大学受験物語」

日本で大学を終えて会社勤務をした彼女は3年後には大学院で学び結婚
しました。

今回のわたしの帰国の特大イベントは挙式はしないという娘夫婦の記念
写真撮影なのです。わたしの帰国間近の今週土曜日になされます。夫が来ら
れないのは残念ですが、写真が出来次第、スカイプで送る予定です。

娘よ、日本に憧れ夢見ていたあの頃の気持ちを時に思い出して、これから
先の長い人生をポジティブにとらえて歩んでください。

誕生日、おめでとう!

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
では、また。
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2018年5月5日

息子が妹のモイケル娘夫婦、従兄達を集めてパーティーができないかなと言う
ので、一年に一度あるかないかのチャンス、しかもわたしがいる時は今しか
ない。それで、昨日息子とパートナーが住むアパートで開催となりました。

ポルトで年に一度日本語学習者と呼んで開催するNihongo wo Hanasu Kaiこと
NHKパーティーと称し7年ほど家庭料理を提供してきたので、そのメニューを
利用してみました。

買い出しをして前日夜に準備できるものは作ってしまい、よく朝つまり昨日の
朝7時には再度、料理に取り組みました。

が、なるべく物を増やさないようにしたい主義の息子、人数分の皿等があるか
どうかと、料理をどうやって運ぶかです。

幸い、彼のアパートが妹宅の同沿線で池袋よりの駅のすぐ側にあるので、食器
類は、自分がポルトガルから持ってきたキャリーバッグに入れ、料理はタッパ
ーに詰め込んで、握りを買って出発です。

左肩に料理の袋をかけ、握りの弁当袋を同じ手に持ち、右手ではキャリーバッ
グを引きづり、今時田舎でも見かけないような格好でした。

ゴールデンウィークで来て欲しくても来れなかった従兄たちもいましたが、
ひょうきんな息子の話に盛り上がって大笑いした愉快なパーティーでした。

jr-party2018.jpg

聞けば我が東京息子、その前日も自宅で友人を集めバーベキューパーティーを
開き、今日は今日で大学関係のバーベキューパーティーに、とのこと。

休暇は旅行などで過ごす息子ですが今回は暇を持て余してか、三日連チャンの
言ってみれば飲み会ではありませんか。

おいおい、息子よ、大丈夫かい?

少しもじっとしていない息子を目の当たりにして、若き我が姿を見た思いで
ありましたとさ。

息子、性格はどこか母親似なところが多いのでありました^^;
ちょっとしんどいのを頑張ってみたら、腰痛は大分軽くなっていました。
あとは椅子の脚にぶつけた右足の中指の完全回復を待つのみ。

さて、明日早朝から車で故郷弘前へ向かいます。桜は散ってしまったけれど、
なぁに、りんごの花があるのだ!それに、高校時代の恩師を始め母校の同窓
生たちが集まってくれる!

ではみなさま、報告は後ほどに。楽しんでまいりますれば。

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2018年5月3日

今日は日本にいて、ポルトガルの話題です。

毎年この頃になると、ポルトでは真夜中開始のセレナーデコンサートを皮切りに、一週間を通して「ケイマ・ダス・フィタス(リボンを焼く祭)」が催されます。この祭りは学生たちの卒業儀式とも言われる大祭典です。

cortejo2

ポルト大学の最終学年生はもちろん、全ての大学生が参加するビッグイベントです。厳かな日本の卒業式とは違い、たくさんのプログラムが組まれて大学生活を目一杯に楽しもうと言う学生中心のイヴェントなのです。

1944年から始まったポルト大学の祭典ですが、近年は市内の私立大学、近郊の大学なども加わり、この一週間でポルトは35万人もの学生色に染まると言われます。中でも「コルテージュ」と呼ばれるパレードは多くの見物人も押しよせるハイライト。

パレードでは色とりどりのリボンがたなびき、黄色は医学部、水色は理学部、赤は法学部と、各学部によって色が定められており終学年生は黒スーツ、フロックコートを身にまとい、リボンと同色のトップハットとステッキで行進します。

gato

後方には衣装に面白い工夫を凝らした在学生が続き、パレードの順番もトップが医学部、理学部と決まっていますが、これは学部が設置された順です。

クリスタル宮殿公園の裏道から出発し、飲んで歌って踊りながらゆっくりとクレリゴス塔通りを抜けて、市庁舎前に到着、市長から祝福を受けます。午後3時に始まるパレードが終わるのは夜です。

卒業儀式でもある祭典なのですが、実は学生の卒業試験はこの後に控えていると言うから、楽しさを先取りする大学生の底抜けな明るさがなんとも愉快ですね。
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2018年5月2日

息子の所娘の所を訪ねたり友人たちに会ったりしているうちに日本滞在も3
週目半ばに入りました。

実は何の拍子でか右腰を痛めたようで、立ち座りをするたびに「イテテテ」
と情けない声をあげ鎮痛剤に頼っているここ数日であります^^;

おまけに、娘宅では椅子の脚に足指をぶつけてしまい、素足でいたもので
痛いのなんのって!ただいま足指の一本が青タンになっており、踏んだり
蹴ったりではござんせんか。

そんな訳で今回はもっと都内を歩いてみたいと思っていた望みは諦め、ただ
いまひたすら、週末日曜日の車の長旅、故郷弘前出発に備え、しばし大人しく
している現状であります。

が、この後の予定である弘前行き、娘夫婦の記念写真撮影、婿殿のご両親と
の会食等をを考えると、どうしても今週中に顔を出さずばなるまいという思
いに至った横浜のおじを昨日は訪ねてきました。

15年ほど前に亡くなった叔母の連れ合いのおじとは直接血のつながりは
ないものの、我が思い出のエッセイ「夜汽車に乗って」で書いてあるように
当時東京から大阪に転勤していたおじ叔母と中学3年生のほぼ1年間を同居
したいきさつがあり、帰国時には必ず顔を出すようにしているのであります。

「おー、Yukoか!」と電話で江戸っ子の今年85歳になったおじの元気な声。
いついつ行きますと伝えると、「それじゃ、大きな段ボール箱を持って来い」
と言うおじの話はポルトへ帰って後のことにいたします。

上述「夜汽車に乗って」は、下記の記事から入れます。興味あらばどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-258.html

では、みなさま、また。
ブログ記事更新に間を開けたりしていますが、ご勘弁を。
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