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2018年7月31日 

生きている間には、色々なことがあるのですが、戦後生まれのわたしは極限状態というものを経験していない。

親が貧しかったので、3合の米を買いに行かされたりして、その日の食うのに困ったことはあるが、それは極限状態とは程遠い。
20歳の頃は、失恋して仕事を放ってしまい、一週間ほども外出できなくなり、小さなアパートに閉じこもって飲まず食わずの日々もあったが、それもまた極限状態とは言わない。

強いて「わたしの極限状態は?」と言うならば、一度だけ心臓が止まるかと思うほど、どぎまぎしたことがあって、しかし、それは悲惨な話よりも笑い話の部類になってしまった今である。

アメリカから無一文で日本に帰った1978年、しばらくは親友のご両親の家に「いらっしゃい」と招待され居候していたが、いい年をして、いつまでも甘えるわけには行かない。

渡米前に住んでいたアパートの家主さん、元検事、裁判長に上がってとっくの昔に定年退職、80歳だったのだが、その人が、家の一間が空いているから「おいで」と言ってくれ、安い部屋代でそこへ移った。大阪は枚方である。

80歳とは言え自分で自家用車を運転して、週末は熱海の別荘へ出かけるほどの元気さ。わたしが下宿した彼の先も「○○庵」と名前がついていた。奥さんはというと医者で、医院と同棟にある家にほとんどいるとかでお目にかかったことはない。安養寺氏にはお手伝いさんが週に何回か来て家事をして行くのであった。

当時、わたしはアサヒビアハウスでカムバックして、わたしは再び歌っていたのだが、そんなある夜、アリゾナ時代に同じ下宿にいた若い日本人の友人、トミオ君の友達ジョン君、22歳がひょっこりアサヒに姿を現し、これには驚いた。

「今日、日本に着いた。そのうち奴の東北の家に行くんだが、しばらく大阪にいたい。泊まるとこないんだが、泊めてくれないか?」との言うではないか。

アパート暮らしなら、「ああ、いいよ」で気安く宿を提供するのだが、下宿となるとそうも行かない。ちょうどその夜、ビアハウスに遊びに来ていたオフィス時代のかつての同僚(「アリゾナの空は青かった」にも登場するザワちゃんです。彼もアリゾナ大学のコースを終了後、すぐ大阪へ帰ってきていた)に、頼んで見たが、「明日からならいい。だが、今日はだめ。」とのこと。

アメリカの若い人は金はあまりもたないし、できるだけ使わないで旅行をする。さぁて、困った・・・その日は金曜日で週末、安養寺氏は熱海に出かけていた。仕方ない、おじいさん、ほんとうに申し訳ないけど、これも国際親善よ。

わたしの部屋の続き間になって空いてる一間を今晩だけ貸して!とまぁ、ジョン君は一晩だけ○○庵に泊まることになったのである。

ジョン君はわたしの部屋の隣室の、生まれて初めての和室、布団にグ~スカ寝入り、わたしもそろそろ寝ようかと思った11時も過ぎた頃。表でス~ッと車の止まる音がした・・・「ま、まさか!」 こういう時のわたしの勘はするどい。

窓から覗いて見ると、屋根越しに見えたのはおじいさんの車だ。「あちゃ~~~!安養寺氏、熱海の別荘に泊まると言っていたのにご帰宅ではないか!さぁ、大変!えらいこっちゃー!

咄嗟に階段を下りて玄関口にまっしぐら!(部屋は二階であった)後日、反射的にこういう行動がとれた自分に大いに関心したのであるが(笑)

玄関にまっしぐらというのは、ジョン君のヨレヨレの男物の靴が一足、置いてあるからである。それをひっ抱えて再び二階へあがり、隣室で寝ているジョン君を揺り起こし、「Mr.安養寺´s back!=安養寺さん、帰ってきた!いい?朝まで物音立てるなや~!」

その夜は眠れるわけがない。翌早朝、わたしはジョン君の靴とバッグを窓か庭へ投げ落とし、ジョン君も屋根からそうやって落としたい気持ちに駆られたが、これはさすができなかった。

よってジョン君は、抜き足差し足忍び足・・・ギィ~ギィ~ときしる階段音立てて、可哀相に異国の早朝の見知らぬ町へと姿を消していったのでした・・・^^;

わたしはその後、頭から布団を被って落ち着こうとするも、心臓はバクバク。その日は安養寺氏と顔を合わせるのも怖く、朝のうちにそそくさと外出したのである。

安養寺氏は気づいていたと、わたしは思っています。お年寄りって早朝に目が覚めますし、わずかな音でも気づくものです。トイレが下にありましたから、わたしが降りたと最初は思っても、一向に上って来ないのは不思議でしょう。
しかし、一言も聞きませんでした。うん、立派な元裁判長さんでした^^

極限状態の話が、すっかりズッコケてしまいましたが、これがわたしの極限状態と言えそうな経験です。

本日はこれにて。
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2018年7月29日 

若い人には興味がない話だと思いますが、70代以上にはドキッとする題材であります。夫婦二人が元気なうち、また、子どもの家族と同居している場合はいい。連れが先に旅立ったとしても、日々の生活が経済的、身体的に自力でできる間はいいのです。

しかし、人によりけりですが、80も半ばを過ぎると、一人暮らしにも色々問題が出てくるのが普通です。わたしは去年七十路の門をくぐりましたが、いずれぶつかる現実です。

そこで、今日は身近にいる、と言っても日本にですが、そういう現実問題を一人で解決するのを試みているとても気になる人がいて、わたしも色々考えさせられることがあったので取り上げてみます。この春の帰国時に、こんなことを書いています。

2018年5月2日

息子の所娘の所を訪ねたり友人たちに会ったりしているうちに日本滞在も3週目半ばに入りました。

実は何の拍子でか右腰を痛めたようで、立ち座りをするたびに「イテテテ」と情けない声をあげ鎮痛剤に頼っているここ数日であります^^;

おまけに、娘宅では椅子の脚に足指をぶつけてしまい、素足でいたもので痛いのなんのってて!ただいま足指の一本が青タンになっており、踏んだり蹴ったりではござんせんか。

そんな訳で今回はもっと都内を歩いてみたいと思っていた望みは諦め、ただいまひたすら、週末日曜日の車の長旅、故郷弘前出発に備え、しばし大人しくしている現状であります。

が、この後の予定である弘前行き、娘夫婦の記念写真撮影、婿殿のご両親たちとの会食等を考えると、どうしても今週中に顔を出さずばなるまいという思いに至った横浜のおじを昨日は訪ねてきました。

15年ほど前に亡くなった叔母の連れ合いのおじとは血のつながりはないものの、我が思い出のエッセイ「夜汽車に乗って」で書いてあるように当時東京から大阪に転勤していたおじ叔母と中学3年生のほぼ1年間を同居したいきさつがあり、帰国時には必ず顔を出すようにしているのであります。

「おー、Yukoか!」と電話で、江戸っ子の、今年85歳になったおじの元気な声。 いついつ行きますと伝えると、「それじゃ、大きな段ボール箱を持って来い」と言うおじの話はポルトへ帰って後のことにいたします。


と、ここで終わったままになっていました。
「大きな段ボールを持って来い」の言葉の意味は、「できれば年内に家を売り払って、有料老人ホームに入るつもりだ。それで、家の中で欲しいものがあればドンドン持って行ってくれ」なのでした。

ちょ、ちょっと待ってよ、おじさん、とは思ったものの、実はおじ、昨年、朝起き掛けに軽い脳卒中を起こしたと言う。午前中は横になって、午後歩いて3分ほどのところにある病院へ一人で行ったらしい。

おばを亡くした70歳代のおじは至って元気で、よくプールで水中ウォーキングをしたり、昔の会社仲間たちと旅行をしたりして、夕食は行き慣れた近くの小店に食べに行くのだと言っていた。が、さすが、80に入ると、仲間たちもみな歳をとり一人二人と亡くなる人も出てきて数年前の九州旅行を最後に、その楽しみもお終いになったようです。

D君たち(車で小1時間のところに住む一人息子とその家族)と一緒に住めないの?と聞いてみると、「いやいや、共稼ぎだろ?それに下の子はまだ小学生だ。同居するわけにはいかないよ」と言う。

ボクもあと5、6年だよ、と、それで、おじは自分の嗜好や外出などがある程度許されるホームを探して、わたしたちが訪れた春には既に目星をつけていた。てっきり関東だと思ったら、何と福岡。えーー!!!わたしも妹もびっくりした次第であった。

しかし、考えてみればおじはM石油会社勤務時代、2度目の福岡転勤では息子の教育問題もあり、単身赴任しているので、おじにとり福岡は大阪に継ぐ、いや、もしかしたら大阪以上に思い出深い第二の故郷であるかも知れない。

ホームの情報については、例えば外出はままならない、アルコール類はいっさいダメ、身の回りのことが一人でできなくなった場合は退室しなければならない、などのところが多い事を、既に福岡のホームで暮らしている知人から得ていたらしい。

近くに住んでいたら、ちょこちょこ時間を見て訪れることができるのに、ポルトガルからじゃせいぜい年に一度、妹の住む所沢からは片道2時間はかかるので、彼女もそうそうはできない。なんだかとても寂しい気持ちで今回はポルトに帰って来たのですが、以来、毎週日曜日はおじに今週はどうだった?体調はどう?と国際電話をかけています。

今月の始め頃、一人で福岡のホームを見学し、おじの希望にかなった病院つきのホームだったので、8月末には契約しに再訪、この秋には入室することにしたようです。

息子の子ども時代から帰国時にはいつも訪れていた横浜のおじの家も売却が決まり、家具も欲しいのは持っていきな、と言われているのだが、我が東京息子はミニマリストで極力家具を持たない主義、モイケル娘はアパートが狭いので持てない。所沢の妹ももう家の中に他の家具が入り込む余地なし。結局、処分することになるのだろうが、わたしが日本にいたら、おばの茶箪笥は形見としてもらっていたかも知れない。

nuikooba2-1.jpg
亡くなった叔母の自宅縁側で我が息子と。

来年の帰国には横浜のおじ宅はもう無くなっているのであるが、ポジティブ志向で、そんならよし!行くところがひとつ増えたと考え、はるばる福岡のホームへおじを訪ねて行こうか!と、思い直しているのであります。

それにしても、今回おじの行動をみて思ったのは、子を頼らず自立していることです。一人で大丈夫かと気をもむわたしをよそに、86歳にして7月上旬にはさっさと一人で福岡へホーム見学に行き、ほぼ、決めてきたこと。家の売却も一人で手配済み。
8月末の契約でもう一度福岡に行くのには、台風の影響の有無を考え、今回行った飛行機ではなしに新幹線で行くこと。 飛行機も新幹線も、1時間前のチェックイン、成田までの交通時間を考えると、新横浜から新幹線にのるのも時間はあまり変わらないと計算している。

ホームのある場所は、福岡時代によく行った元ゴルフ場があったところで、スパあり、ジムあるり。訪問客が宿泊できる施設もあるよ。温泉、一緒に入ろうか。わっはっはっは!と冗談をとばしているおじであります。

一人住まいだと話し相手もいないし食事だって一人、なにかあったときの不安もありますが、新しいホームの環境を楽しんでもらいたいなと心底思っています。

ポルトに住むわたしの場合はおじとは違った問題がでてくるでしょうが、「自分のことが自分で決められるうちに決める」 おじを見てそう思ったのでした。

おじとのエピソード、「夜汽車に乗って」はこちら↓ 
わが青春の急行日本海(1)」
わが青春の急行日本海(2)」

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2018年7月26日 

ボランティア活動の一つとして友達の0ちゃんと、図書館や、頼まれれば小学校、小児病院などでも、物語を影絵にして見せてきました。

たいていは12月のクリスマス休暇にしてきたのですが、今年は7月の終わり、つまり今週の土曜日の予定だったのです。 が、図書館の手違いにより中止せざるを得なくなりました。プン!

YY日本語塾の活動として何度かパーフォーマンスをしているので、影絵を出す順序など、ナレーションと音楽に合わせて、だいたいは覚えているものの、いざとなれば、やはりリハーサルは必要です。先週には我が家でそれをしていただけに、中止にしなければならなかったのは残念なのですが、致し方ありません。

丁度、今ポルト郊外では「キョーリュー大展示会」が催されており、地球の誕生から、生命誕生、キョーリューの時代、そして、キョーリューが絶滅するまでを物語りにしたわたしたちの影絵は、よかったのになぁと心底、残念に思っているのです。

今日は、自分のメモとしてYY塾のキューリュー年代記を少し詳しくあげてみたいと思います。できれば、下記のサイトをクリックしてBGMを聞きながら、この物語をざっと読んでもらえるといいのですが。

www.youtube.com/watch?v=W8MlNSiEzTU

では、ストーリーjはこんな具合です。

miragaiadino
46億年前の地球の原形              

影絵
海で生命、単細胞、魚の誕生  

陸が形成され陸に上がる生物が出る。
キョーリューshoki

キョーリューの祖先テコドントが現れる
アサヒビアハウス

やがてジュラ紀に入り、陸、海、空を支配するキョーリューの時代がやってくる。
039-3.jpg

キョーリューは草食と肉食の二種類に分かれる。草食動物のブロントサウルスと翼竜↑
↓ブラキオサウルス、ブロントサウルスは群れを作って行動したといわれる。
kagee

こんな大きな恐竜が草食だというところが、わたしは面白いと思うのです。

尻尾の鉄の玉のような硬い骨で身を守るアンキロサウルス
neko

背中に硬いボーンプレートを持つステゴサウルス
050-1.jpg

尻尾の先にはスパイクのようなものがついている。敵と戦うときはこのように(笑)
neko

トリケラトプス。三つの角は下のように敵を追いはらう。earthcronicle

恐ろしいが子どもたちに人気がある肉食動物のT-Rexことティラノサウルス・レックス。
キョーリュー2-1

自分より大きな小食動物を襲う。前足は小さいが後ろ足の爪が鋭い。
batalha

地球に隕石が衝突し、火山も爆発。空は灰に被われる。
end1.jpg

portugalgoods

地球の気温は下がり、キョーリューたちは食べるものがなくなり、絶滅する。
059-1.jpg

portugalgoods
 
わたしたちの祖先である人類は、キョーリューが絶滅したずっと後で、今から25万年ほど前にやっと現れたのである。
portugalgoods

それぞれの代表的なキョーリューを出すときは、大きさ、重さなど、その特徴も簡単に説明しますが、モイケル娘に頼んで録音してもらったポルトガル語のナレーションと、BGMは「The Land Before Time(リトルフット)」のサウンドトラック「The Great Migration(恐竜の大移動)」をずっと流します。

物語が終了後、再度、影絵に出てきたキョーリューたちを順番に見せていくのですが、この時、BGMは同じくこの映画で使われたダイアナ・ロスの「If We Hold on Together」です。これで最初から最後までの影絵の上映時間は15分ほど。

音楽とのび太とドラえもんの絵は著作権が気になりながらも、子どもたちのためのボランティアというので、見逃してもらいたいなと思います。

今回の影絵は中止になったものの、こうしてブログにあげることで満足している単純なわたしであります。

ではみなさま、また。

♪Don't lose your way with each passing day.
You've come so far. Don't throw it away.
Keep believing, dreams are for living
Wonders are waiting to start
Live your story Faith hope and glory
Hold to the truth in your heart

If we hold on together I know our dreams will never die
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2018年7月23日 

乾燥気候というのは「気温は同じでも空気が乾燥してるから湿気の多い日本の夏とは暑さ具合が違う。」と口で説明しても、実際そういう土地に住んでみないと理解しにくいようだ。

30度超えても扇風機も回さない、エアコンもない、というと、「ひぇ~!」と日本の知人友人に悲鳴を上げられる(笑)もちろん、公共施設や、ホテル、レストラン、ショップではエアコンが効いているが、ポルトガルの一般家庭ではまだまだそれを持っているところは少ない。夏は6,7,8,9月と長いが、乾燥気候がゆえ、なんとかやり過ごせるのだ。

我が家もそうやって、「これこそ夏よ!」と息巻いて(実際のところは、寒さには強いが暑さにはからっきしダメなわたし。そうでもして勢いをつけないとヘナヘナとなって一夏を越せなくなってしまうのである。 ポルトガル式にクーラー無しで30年近くを過ごしてみたのだが、いかんせん、歳をとってくると、j北国育ちには暑いのがどうもこたえる。

それで10年ほど前に一度思い切ってクーラーを買ったのだが、これは大失敗だった経験がある。下記、その歳の8月日記に「made in China」と題して書いてある。以下。

今年の夏は今の所、ほんの数日を除いては車庫から扇風機を出してくるのを忘れるくらい、
しのぎ安い。

この2日ほどは窓から入って来る風が涼しすぎて、思わず閉めるくらいでした。それでもいつグワーッと暑さが襲ってくるやも知れぬ。いくらなんでも扇風機くらいは出しておこうと、車庫から引っ張り出してきた。カバーして置いたもののホコリはどうしてもついてます。プロペラを拭いていたら、それを押さえているプラスティックのヘソ部分がポロリと壊れてしまいました^^;

接着剤でくっつけてみると、見た目は扇風機の形をなしてますがプロペラは回らない(笑)20数年も使ったのだから、ポルトガル製にしては上出来です。

3年ほど前から、亭主に「クーラー、買って買って~。買わんかったら自分のお金で買うぞ。」とねだっていたので、勿怪の幸い。ポルトガルでは最近やっとクーラーを取り付ける一般家庭が出始めたかな?と言うところです。クーラーを使うのは恐らくひと夏で10日あるかないかでしょうから。

先週は二人であちこちのショッピングセンター内で見て回ったのですが、夫はパイプを通すため壁に穴をあけるのはイヤだとおっしゃる。

移動式のクーラーがあるから、それにしようと言うのだが、どうも気になる。移動クーラーのパイプを窓から出すのでありますよ・・・日本の暑さとは違うので、少しくらい窓を開けていてもいいかとは思うものの、それでもどこかひっかかるのでした。

El Corte Englese(スペイン系の大手のデパート)で買おうというのに、亭主、ダウンタウンで下見してきたらしく(いっつもこれやねん!)、先週土曜日に一緒に見に行き、買ってきたはいいけれど、車に無理やり積んで走り出してしばらくしたところで、
「これ、Troia(ポルトガルのメーカー)なんだけど、made in chinaとなってた。」
ええええええ!・・・・・・・・・

夫はできるものならポルトガル製品を買ってお国に協力せんとする国産主義なのである。

おぬし、謀ったな!
数年前から、こと中国製に関しては極力わたしは買わないようにしている。便利だ、安いとポルトに居住する日本人はよく中華食材店で日本食を調達しているが、わたしは買わない。

ひとつには、個人でできる精一杯の隣国に対する抗議のスタンス、もうひとつは製品に置ける信用度が低いことが理由だ。食品なんてもってのほか。たとえ「日本製」とあっても中華食材店であればわたしは信じない。(註:このスタンスは10年以上たったいまも続いている)

made in chinaだなんて店で聞いたら、わたしは絶対反対したのだ。かと言って価格は決して安かったわけでもなく、むしろ普通よりも高い。ぶーぶー言いながら早速使ってみたら、みたら、みたら~~~!!

なんだこりゃ?わたしが30年ほど前に日本で使っていた、ガーガーうるさい音のする初期のクーラーの如き騒音がするではないか@@ そやから、そやから言うたやないの・・・だいたいポルトガルのメーカーと聞いただけでも不安を感じるところに、made in chinaなんて最悪のコンビよ!と、亭主を責めまくる。

この騒音では神経質なわたしは寝るにも寝られない。暑いからといってそのクーラーをかけて、騒音で眠れず、暗闇のなかベッドで目を開けている己の姿を想像するとアホらし!8万円返せ~~。と、夫に店まで電話してもらった。

店の言。
「多少の音はするけれど、そんなにうるさくないはず。土曜日に交換の品を持って参ります。」 
土曜日には目の前で実験してもらおう。

「国産主義もいいけれど物によりけりです、だんさん!」と喉から出かかっている言葉を飲み
込んだもので、夫に対する物言いがなんとなくつっけんどんになる。
クーラーを買ってから涼しい日が続いているのが、せめてもの慰めです。さもなくば、これくらいのつっけんどん度ではすまなかっただろう。
こういう顛末があった移動式クーラー、頭に来てほとんど使うことも無く、お蔵入り。狭いお蔵にでんと居座って場所をとっているのすらこ憎たらしい代物ではある。

ところが、懲りない夫、とある週末に、仕事から帰宅し、くたびれ果ててわたしが寝入っているうちに、そのクーラーをひっぱりだしていた。
「やっぱりね。持ち出してくるんじゃないかとは思っていたのだ・・・」と思いながらふとそいつに
目をやると、「げ!」

クーラーのパイプが暖炉の中に入ってる!おい!(爆)

クーラー 1クーラー

このアイディア、昨年買ったときに、我が家に通っていたお掃除のベルミーラおばさんが、彼女が掃除に通う他の家でこうしている、という話をわたしが聞き、夫に話したことがあるのだ。しかし、このパイプを窓から出すことで窓を開けたままのクーラー使用ということよりも、騒音でとっくに不要を決め込んでいたのだから、わたしは実行に移さなかった。

また、こうすると、吸い込まれた熱気は、煙突がつながっている階上の暖炉を通って外へ出るだろうけれど、大丈夫かな?という疑問もあったのである。同じアパートのどこかで、冬、暖炉を使い始めると、わたしは咳き込むことがよくあるからだ。

わたし「大丈夫なの?」
夫「うん。最初はすすがいっぱい出てきたから、掃除したよ。」

ふー~んと思いながら、クーラーが稼動しているので相変わらず音はうるさいが、部屋は涼しい。パソコンの前にしばらく座っていたが、時々咳き込む・・・

それで、どれどれ、とクーラーの側に近づいてみると、クーラーのあちこちにススがついている。雑巾を持ってきてふき取り、ついでに床も拭こうと腰をかがめたら、暖炉の周囲はススだらけではないか!いやもう、ここから拭き掃除の時間とあいなったのでありました。ススってわずかでも、雑巾は真っ黒になるのですね。

んもう!この方法はやっぱりアカンよ、おぬし!
来夏は、本物のクーラー買って、否が応でも壁に穴あけさせてやる~~~


と、息巻いて、それから間もなく、我が家のリビングとわたしたちの寝室の壁にはついにエアコン用の穴が開けられたわけだが、ポルトガルの夏は雲ひとつない真っ青な空だと自慢してきたというのに、今夏はクーラーなど必要ない、くもりがちな日が多い。 毎日30度を越し、所によっては40度だという日本のことを思うと、涼しくて申し訳ないくらいなのだ。

もしかして、日本の夏の暑さを、8月に帰国してくる東京息子とモイケル娘が持ってくるかな?などど思いながら、しばし、窓から吹き込む涼しい風にあたり、熱いコーヒーでくつろいでいる、
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2018年7月18日 

1851年のロンドン万国博覧会を訪れたポルトのブルジョアたちは、パビリオンとなったロンドンクリスタル宮殿の素晴らしさに感銘し、ポルトでもそれを建築しようとの計画で生まれたのがポルト・クリスタル宮殿協会です。

こうして、当時 Campo da Torre da Marca」と呼ばれていた現在のクリスタル宮殿公園にロンドン万博の宮殿を模倣して造られたのがポルトのクリスタル宮殿でした↓
    
ポルト
     
建築家はイギリス人のThomas Dillen Jones. 1865年にはこの宮殿でポルト国際博覧会が催され、ドン・ルイス王により開会式がなされました。
ポルト

展覧会には、フランス、イギリス、ベルギー、ブラジル、スペイン、デンマーク、ロシア、オランダ、トルコ、アメリカに加え、日本も参加したと言われます。

ポルト

しかし、残念なこと1952年の「ローラーホッケー・ワールドカップの会場にするため、1951年に宮殿は解体され、その址に建てられたのが、スポーツパビリオン、つまり現在のローザ・モタ・パビリオンです。
クリスタル宮殿の中央のドームがパビリオンの天井に取り入れられ、往時の宮殿をかろうじて偲ばせ、現在は公園にクリスタル宮殿とその名残をとどめているのです。

して見れば、1851年の第一回万博会場となったロンドンのクリスタル宮殿も博覧会終了後、取り壊しを惜しむ声が上がり、ロンドン郊外のシデナムに移設され、後、庭園、コンサートホール、博物館などが併合した複合施設として活躍したそうですが、19367年に焼失。現在はクリスタル・パレス駅として、
名前が残っています。

ポルト
ロンドン万博のクリスタルパレス。Wikiより

ポルトのクリスタル宮殿は規模的にこれに及ばないものの、ロンドンのように、取り壊しではなくてどこかに移設してほしかったなぁと、思うのでした。

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2018年7月15日 

さて、わたしが密かに「マグダラの塔」と呼ぶところの、この塔の由来なのですが、ネット検索してもいっこうにヒットしません。

ポルト

ただ、クリスタル宮殿公園になる前は、今の公園一帯は16世紀から19世紀まで「O campo da Torre da Marca」だったそうで、下の写真にあるように、園内には大西洋とドウロ川の間を船が入出港する際の目印として、小さなお城と塔が建っていたようです。

ポルト
wikiから

この塔は、19世紀半ばの王党派と自由主義者との間に起きた内戦時に、王党派の砲撃によって崩壊し、なくなりました。
しからば、わたしのマグダラの塔が出現したのはいつかと言うと、こんな写真を見つけました。1904年撮影とあり、塔の上には見張りが立っています。

ポルト
Wikiから。 今と全く同じです。 

ポルト

高所恐怖症気味なのですが、これくらいは、えいや!と上ってみましたが、ドウロ川の見晴らしがいいのを除いては特徴はなし。実は上るより降りる方が怖い。

ポルト
写真は塔の周辺。

こんもりした小山のような土地にあるクリスタル宮殿公園内は散歩道も上ったり降りたり。
ポルト

というので、この塔の情報にぶつからず、残念なり。夏休み中に更なる検索をしてみよと思っています。

ところで、クリスタル宮殿公園だというのに、肝心の宮殿はいずこに?次回はそれについて。
ではみなさま、また。
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2018年7月13日 

いつもは朝9時20分に日本語授業がある市立図書館に向かうのですが、先週土曜日は野暮用あり、
8時45分に家を出ました。用件は思ったより早く終わり、授業開始まで40分近く時間ができたので、久しぶりに、表玄関になるクリスタル宮殿公園入り口をくぐり、散歩してみました。

毎土曜日は園内にある図書館に来るものの、裏口から入るため、ここ数年、とんと公園を見ることがなかったのです。

ポルト

正門を入るとすぐ目の前に現れるロザ・モタ・パビリオン(ポルト出身の元女子マラソン選手。世界選手権、ソウルオリンピックでの初2冠を達した)。下は、わたしが日本語コースを教えるアルメイダ・ガレッテ市立図書館。

ポルト

がやがや賑やかなツーリストグループに目を向けると、放し飼いの孔雀が美しい羽根を広げて披露していました。これまでに何度もわたしの目の前で披露してくれていたので、今回は後ろから写真をパチリ(笑) 

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↓これがわたしがよく見かける美しい羽をひきずる孔雀です。
ポルト

雛がかえったようであちこちに母孔雀の後をチョコチョコとついて回る雛がいっぱいいました。

ポルト

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ポルトは長崎と1978年に姉妹都市提携を結び、わたしがポルトに来たのはその翌年ですが、今年は40周年になります。 図書館のすぐ横には2007年に長崎から贈られた2世の「被爆柿の木」が植えられています。

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もう11年目になりますが、被爆しているためか、成長が遅いです。hそれとも日当たりが悪いのでしょうか。 でも今年は思いの外、大きな葉をつけたような気がします。

下はイベントに利用される野外劇場

ポルト

Tilia(シナノキ?)並木道。
ポルト

並木道の横のカフェ
ポルト

朝の園内では、アクティビティをしているグループを見かけました。

ポルト

公園からは大西洋とやがて合流するドウロ川の景色も見られます。

2018_Aug_12_1.jpg

この日、公園を歩いてみようと思い立ったのには、この存在があったからです。
2018_Aug_8_1.jpg


わたしはこれを、クリスタル宮殿公園のマグダラの塔と読んでいます。以前は崩壊寸前で上ることができなかったのを、トーリストブームに乗り、市が手を入れて現在は塔にのぼることができるようになったとニュースで知ったのでした。

そこで是非と思い、見に行ったのです。

この項、明日に続きます。
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2018年7月12日 

インターネットが広く普及した今日、わたしたちはその気になれば、これまでの歴史、特に現代史に関して、おびただしい情報を手に入れることができます。それらを情報源にして、望むならば更なる詳細を論説する著書をあれこれ読むこともできます。

わたしは、日本に住んでいる場合もそうですが、特に海外に住む日本人としては、現代史について出来る限りたくさんの情報を手繰り、それを自分で再分析しておく必要があると思います。押し付けられた一方的な歴史観を鵜呑みにするほど愚なものはないと考えるのです。

歴史は、緻密な一枚の織物のようだと思います。しかも、見る方角によって、その色合いや光沢を変える織物です。種々の事情、状況が絡み合い、わたし達が目にするのは出来上がった一枚の布です。

その布を織り成す、一筋一筋の糸を引きほどいていかないと真実に近いものは見えません。「真実に近いもの」とわたしが言うのは、世界の多くの出来事の真実は多様であるように思われるからです。

祖国は、母国、そしてまた、とても僭越な言い方ではあるけれど、わたしたちの子孫に及んでいく、言わば、我が子のようなものではないかと、思ったりします。 どのような過ちを犯そうとも、親は我が子を見放したり、けなしたり、人の言うなりにさせるばかりではないでしょう。

子のために、なんとかしたいと努力するのが心ではないでしょうか。昨今の母国を見ていると、我が子が、自分の国が可愛くはないのか、と暗澹たる気持ちになります。

国会議員、官僚、大学教授、社会的に高い地位にある人等々、仮にも高等教育を受けたであろう人々の嘘があまりに世にはびこるのを見るにつけ、また、国会の質疑に於ける非常に失敬なもの言い、街頭演説では口汚く人を罵るなど、とても文化人のすることとは思えない人を多く目にし、ニュース類を読むのも苦しくなるような近頃の日本です。

こういう人たちに窺える特長は、「アベガー」族です。安倍が安部がと何でも人のせい、現政権のせいで、昔よく言われた「郵便ポストが赤いのも、みんな安倍が悪いのよ」です。自分たちのことは棚に上げ(https://snjpn.net/archives/58745)、相手を引き摺り下ろすためなら、いかなる手段でも使おうとします。卑しい根性ではありませんか。

今回も西日本豪雨による被害者救助のため、与野党一致団結ではなくて、あげくは現政権不信任案を提出しようかと、まるで火事泥棒の如き稚拙な政治手法には開いた口もふさがりません。

こういうことも、わたしたちの子孫が目にするであろう、教わるであろう歴史という一枚の布を織り成す一筋の糸として混じることをしかと見ておくのは大切なことです。

現政権の政策、全てに賛成するわけではありませんが、予党の一部もそうですが、特に野党のあまりの質の低さに、日本の将来に不安を感じるわたしです。
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2018年7月7日 

影絵を上映してくれと、図書館からの要望で今月最後の土曜日にすることになりました。

毎年クリスマスシーズンにしていたのですが、2年前には図書館の教室で日本文化紹介展をし、昨年は影絵新作を手がけていたものの、多忙で手が回らず未完成だったゆえ、実行できませんでした。2年間、影絵上映をしていなかったのであります。

elf3-1.jpg

新作には、上の写真から分かるように、「かたあしだちょうのエルフ」です。ポルトガル語翻訳、BGMも決まり、絵を切り始めていたのですが、はて、ナレーターはどないなるねん?

これまでの三作、「キョーリュー年代記、かぐや姫、百万回生きたねこ」はすべてモイケル娘にナレーションを依頼して来たのですが、9時から5時まで勤務の彼女、録音がなかなか難しいらしく、それも昨年は影絵上映をしなかった理由の一つでした。
ナレーションは8月にモイケルが帰省したときにしてもらおうと考え、今回は「キョーリュー」と「かぐや姫」をすることにしました。
5歳以上が対象ですから、再上映なりとも、数年前は3、4歳だった子どもが見られるわけで、問題はなし。

切り絵そのものは何度も使えるようにと、かなり暑い用紙を使って作っていますが、上映している間に痛んでくるのは当然で、今回も何枚か手をいれる必要が出てきました。

ヨーリュー
Crónica de Dinossauros(キョーリュー年代記)

と言うわけで、ただ今、作品を引っ張り出し、息子のベッドも娘のベッドも切り絵が広げられてもろに占領しており、ネコども立ち入り禁止状態であります。

kaguya1.jpg
Princesa KAGUYA(かぐや姫)

さて、しばらく前に「ポルトガル語、半端ないって!」と、書いたのですが、このところ、日本語授業の合間にポルトガル語の予習復習を力みすぎた感あり。

影絵の準備も重なって、実はポルトガル語勉強に集中できず、そのうち微熱を発し敢えなくダウン。体調を崩して2日間寝ていたのでありました。ツーソンのアリゾナ大学で必死に英語の勉強に取り組んだのはかれこれ40年も昔のこと、あれと同じように集中するには、もう体力がないのだとベッドの中で思い至ったのでした。悔しいが、これは歳だとまったく認めざるを得ません。

とは言え、何度かどこぞで見かけたこの言葉、

人生は七十歳から
七十歳にて お迎えあるときは、今留守と言え
八十歳にて お迎えあるときは、まだまだ早いと言え
九十歳にて お迎えあるときは、そう急がずとも良いと言え
百歳にて お迎えあるときは、時期をみてこちらからボツボツ行くと言え

わたしもこれに倣って、ただ今、留守でありまする、と参りましょう。

影絵に関してはまだ二つ三つ構想があり、BGMだけは既に用意して、エルフの次に手をつけたいと思っているのですが、現実主義の息子からは、一文にもならぬのによくがんばるね、と半分嘲られております。
息子よ、一文にもならないのは確かだが、BGMを聞きながら各シーンを思い浮かべ、少しずつできあがっていくのが、大いに嬉しいのであります。

本日はこれにて。

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2018年7月5日 

夕方7時、晩御飯のため台所に立って野菜を刻んでいました。ポルトガルはただ今夏時間で、空がまだ真昼間のように明るい時間です。

かすかに猫の鳴き声を聞いたような気がして、慌てて我が家の猫の数を確認しました。全員います。なんだ、気のせいかと思い、再び台所であれこれしていると、やはり聞こえるのです、ねこの鳴き声が。

いったいどこからだろうかと、まず、台所のベランダから顔を出し、上を見上げると、ぎゃ!、子猫が上の階の洗濯物にぶら下がってるじゃん!

okyakusan5.jpg

写真はこの事件後に撮ったのですが、子猫は干してあるジーンズにぶら下がって必死に助けを求めた鳴いていたのです。
「おーい、カルロスさん!てぇへんだぁ!」と、早めに帰宅していた夫を呼び、「見て見て!子猫が!」

下はコンクリのパテオですから、落ちたら小さい猫は恐らくひとたまりもないと思われ、慌てふためいてイスを持ち出してくるわたしに、「おい、これこそ今度は君が危ないよ」とたしなめられ。

そのうち、階下の住人も気付き、車庫の前のコンクリ庭に集まってきました。その間も子猫は必死に鳴いています。

咄嗟に夫は小さなカーペットを持ち出し、図のように三本連なる洗濯ロープの上に広げました。

okyakusan4.jpg

しかし、カーペットだけでは心もとない。そこで大急ぎで我が家の猫の寝カゴの小さいほうを持って来てカーペットの上に置き、夫はそれを手で押さえました。下では見上げているアパートの住人たちが「Coitadinho!(可哀相に)」を連発しています。

いよいよ、力尽きた子猫、ついに落ちました。しっかりポーンと寝カゴの真ん中に!夫からそれを受けとり、ひとまず安心してもらうため、腕にダッコしました。小さな心臓がドキドキしていましたが、やがて少し安心したのか、のどをゴロゴロ鳴らし始めました。
下がその寝カゴとともに、すぐ我が家の台所に入った子猫です。

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律儀子猫で、まずは自分と同種のペトにご挨拶の様子(笑)

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ちゃんと相手をしてあげたのは、ペトだけで、我が家のほかの3匹は、チビの新参者はかなわん、とでも言うかの如く、そそくさとどこかへ姿を隠しました。

okyakusan2-1.jpg

我が家は2階のフラットなのですが、3階で子猫を買っているのをこのことで知りました。猫は身軽ですばしっこい動物です。何匹も飼ってきて、我が家の猫たちも一通り窓から落ちて慌てふためいた経験をしていますから、わたしは、ペットを飼っている時に気をつけるべきことの一つとして、窓を開け放して出かけないことを挙げます。

きっと子猫だから、まさか窓までよじ登るとは思いもしなかったのでしょう。夜、10時ごろ、我が家のチャイムが鳴り、若いお母さんと子どもが「すみません」と受け取りに来たときは、子猫ちゃん、我が家での冒険をさんざんして、ご飯も済み、猫ベッドで寝ていたのでした。 小さなお客さま、お帰りです。

今頃、上の階の人、子猫が必死にぶら下がった爪あとだらけのジーンズを手にし、がっかりしていることでしょう。

一件落着なり。
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2018年7月1日 

まだ一ヶ月ほど先、8月の話ですが、うふふふ、日本に住んでいる息子と娘が一緒にポルトに帰って来るんです。二日ほど遅れて息子のパートナーもやってくるので、小さな我が家はとても賑やかな夏になりそうです。

婿殿が来られないのは残念ではありますが、娘夫婦も3匹ねこがおり、1日2日ならいざ知らず、わたしたち同様、二人一緒に何日もの留守は難しいのですね。それに、婿殿は長い休暇も取りにくいところでしょう。

モイケル娘が日本の大学受験を目指して独りポルトを旅立ったのが、2004年6月30日で、ちょうど夫の誕生日だったのです。10年も前になります。息子と娘が共に顔を揃え、家族全員集合はと言えば、ひゃー、かれこれ12年前になりますやんやん!

モイケル娘を日本へ送り出した後の日記にこんなことが書いてあります。以下。

2004年7月2日(金曜日) 「モイケル旅立ち後始末」

6月30日水曜日早朝の便、フランクフルト経由で日本へ向かった娘、モイケル。この日はちょうど夫の誕生日で、「What a nice present」と彼がボソリ呟いていたのを覚えています。わたしはと言えば、一日中なんだかほんとに、海より深~いため息をついておりました。
しかししかし、こんなことでしょげてはいられません^^
で、「さて。じゃ、ちょっとあの散らばった部屋、少しづつなんとかしてみようか。」と思い立ち、とりあえず娘が残していったペーパーの類を手当たり次第にくずかごに放り込んでおりました。

と、「なんだ、こんなとこにまだわたしのお古の財布が置いてあるわ。捨てきれなかったのかな?」
机の上に見つけたそれをいったんはくずかごにポンと放り込んだものの、何の虫の知らせかちょいと気になり、念のためにと中身をあらためましたらましたら~。
おお!なんとまぁ、「福沢諭吉さん」が二枚入っているではないの!も、もうちょっとでこれ、捨ててしまうとこだったで・・・^^;この2万円、ポルトガルでは4万円の価値があるのよ~。ホクホクホク。
モイケルめ、きっと今頃、家計簿の計算があわないでいるに、違いない。(日本に着いたらすぐ家計簿をつけよ、と言ってあった)
これを黙って我が懐に入れ、恩着せがましく「2万円余分に送金したわよ~」くらいに言っとこうか。
しかし、こういうことは黙っておられないタチでして、さっそくメッセでとっ捕まえたモイケルに話しましたら、言下に「親譲りの天然ボケだ」と・・・
トホホホ・・・

とまぁ、嬉しいにつけ寂しいにつけ、なにかとオチがつく家族ではあります。

2008年の家族全員集合時の子どもたちの写真。
moikeru_joao08

3月15日のこの日は我ら29回目の結婚記念日でもありました。大学の春休みを利用して帰国の娘、リスボンから駆けつけて合流した息子ともに、Fozのレストランで食事。翌年2009年2月には息子も日本へ移動したのでありました。

では、みなさま、また。
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