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2018年9月30日 

今日は前回記事の続きです。

「石工」を英語で「Stonemason(ストーンメーソン)」と言いますが、フリーメーソンの語源にあたります。
欧州の古い教会や礼拝堂、修道院で不思議な彫り物を度々目にしますが、中世の石工たちは、キリスト教のシンボルと見せかけて、実は異端の思想を伝えるために、記号化した秘密の言葉を刻んできたとも考えられています。

特にゴチック建築の建物には多くのシンボルをみることができます。パリのノートルダム大聖堂、フランス、シャルトル大聖堂などが代表的なものですが、ポルトガルのトマールにあるキリスト騎士団修道院(古くはテンプル騎士団修道院と呼ばれたが、バチカンとフランスのフィリップ4世による弾圧で、騎士団は壊滅。ポルトガルはその名をキリスト騎士団と変え、生き残る)にも、ふんだんなシンボルが見られます。

しかし、中でも特に有名なのは、ダ・ヴィンチコードで一躍、名を知られるようになったロスリン礼拝堂でしょう。教会なんてどこも同じだと高をくくって暴言を吐いていたわたしが、シンボルに興味を持ち始めたのは、ダビンチコードを読んだのがきっかけでしたが、ポルトガルがテンプル騎士団と大いに関わってきたことを知ってからです。

幼すぎて、記憶にまったくない祖父が石工であったことと自分がその石工の物語に興味惹かれた奇遇に、我ながら驚いたのでした。

そんなわけで、母方のおじおばがみな鬼籍に入った後に、「石工祖父の狛犬作品」が弘前に残っていると知らされ、それを訊ねていったところが、どうも違ってがっかりした、と言う当時の話は10年前のことで、下記に書いてあります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-474.html

その狛犬が、横浜のおじの家の整理を手伝いに行って、母方の吉崎家の古い写真をもらってきた妹が見つけたというのです。

写真には祖父が作ったという狛犬の横に、今は亡きおばが立っており、写真裏には「平岡町」と書かれていたとのこと。その情報をもとにネット検索してヒットしたのが、弘前市平岡町にある保食神社。この読み方、「ほしょくじんじゃ」でなくて、「うけもちじんじゃ」と読むのだそうですよ。どう読んだら「うけもち」と読めるのか^^;

小さな小さな神社ですが、下記サイト下方で狛犬の阿吽(あうん)の一対が見られます。
https://blogs.yahoo.co.jp/sadisticyuki10/12355945.html

昭和11年のものだそうで残念ながら石工の名前は彫られていないらしい。しかし、祖父は昭和24年に亡くなったそうですから、一応つじつまが合います。で、わたしがふと気になったのは狛犬の目が青いこと!

ふ~ん。これは数年前から暇を見てはあちこちの神社と狛犬巡りをしているモイケル娘に聞いてみようと思っているところです。

そして、果て?何ゆえ我がモイケル娘は狛犬に興味をもっているのかえ?と、これまた、今更ながら我が祖父との奇遇を感じるのであります。

今年春で弘前帰郷は最後かな?と思っていたのですが、これでは、また行かなくっちゃと、妹と話していたのでした。

お付き合いいただき、ありがとうございます。本日はこれにて。

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2018年9月28日 

今春、帰国したときの、横浜のおじのことを書いたのは4ヶ月ほど前のことです。題して「老人ホームを探して」。

詳しいことは上記リンクをクリックしてもらえれば、書いてありますが、以来、毎週日曜日にはそのおじに国際電話を入れています。

おじはケータイ電話をもっているもののスマホはないので、買ってあげようかとのわたしのオファーに「この歳で今更どうすんだい」と、要らないのだと言います。考えてみれば、このわたしも、スマホの機能を使いこなせずにいるわけですから、85才のおじにはやはり無用のものかも知れません。

スマホ云々は、おじが老人ホームに入ってしまうと、小規模な施設なら別だが、大きなところだと呼び出しも難しく、わたしがおじと連絡が取りにくくなり、それで、と言う話だったのです。

おじの終の棲家探しは着々と進み、持ち家も既に売却し九州の大きな有料ホームとの契約も終え、10月末には横浜から博多へ移ることになっています。

問題は現在まだ家の中にある家具やその他諸々。テレビにいたっては、処分するにも1台3万円かかるのだそうで、3台あるのを2台は息子に持って行ったもらったと言います。

毎日曜日に電話をするたびに、あれは要らないかこれは要らないかと聞かれるのですが、いかな何でもこの距離では、欲しいにもおいそれと頂くわけにはいきません。

桐のたんす、津軽塗りの脚立、食器棚等は、家に残していくとそのまま家屋を解体するときに同時につぶしてしまうのだそうで、あ~ぁ、もったいないなぁと思いながらも、どうしようもないのであります。

日本国内にいたら、整理の手伝いに行くのですが、ポルトからでは無理。そこで所沢の妹夫婦が行ってくれました。「うちももう大きいものは持てないから」と、家具類はいただかず。しかし、障子はもったいなくて、いただいてきた。蝶番(ちょうつがい)をつけて屏風風にしあげてみるつもりのようです。

それらのなかでも、わたしたち姉妹の幼い頃のを含む、吉崎家(我が母、おばの実家。我が祖父母一家)関連の古い写真がたくさん出てきて、これはおじが持っていてもしようがないので、と、妹が頂いてきたとのこと。

その古い写真の一枚から、妹が探し当てたのが、わたしたちの祖父が作ったという神社の狛犬なのであります!

弘前のあそこにまだある!と聞いて、えーー!数年前はここだというので行ってみたら、どうも違う様子のようで、@@と、こんな感じで帰ってきたのでしたが、明日はその話をば。
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2018年9月25日

今日はわたしが呼ぶところの「東京息子」の誕生日なもので、息子に関する過去記事もめて、ちょっと親バカもどきの記事になります。

東京息子

日本とポルトガル、遠く離れていてもメッセンジャーやスカイプのあるご時世、息子とは時々LINEを通じて「元気?」「うん。そっちは?」「問題なし。仕事はちゃんとできてる?」「うん、」「なにか必要なものはない?」「Nothing special」と短いメッセージのやりとりをしています。が、三つ子の魂百まで。子供のころからの息子の性格からして、きっと大笑いされるような話が山ほどあるに違いない。

今日は日本に行った頃の彼のそのいくつかを紹介します。
週に何度か近くのジムに通っている息子、力いっぱい、筋トレをしていたら、係員が顔を青くして飛んで来、「お客さま、もう少しヤサシクしてください」と言われたのだそうだ。筋トレ用具を壊さんばかりに思い切りガンガンやっていたのだろう。まったくいい年をして加減と言うことを知らないヤツではあると思いながら、その様子を想像したわたし、ジムには悪いが可笑しくて笑い転げていたら、そんなのがいくらでもあると言うのだ・・・・・

年末に福引がすぐ近くの商店街であった。
例のガラガラポンを一回まわすのだが、あれを衆人の目前で力いっぱい何回も回して、とうとうガラガラポン本体の丸い部分が壊れんばかりに外れて玉いっぱい外へ飛び出してしまったって・・・・
息子いわく、「おれ、知らなかったんだ、一回しか回さないってこと。てへへ^^;」

そこに居合わせた日本人たちのあっけに取られた顔を思い浮かべると、「お前というヤツは~」と言いながら、これが笑わずにおらりょうか(爆)日本の皆様、息子がご迷惑をかけておりますが、どうぞ長い目でみてやってくださいませ~。

周囲の人達からは「ジュアン君て原始人みたいだね」と言われると言う。げ、原始人^^;「粗にして野」か・・・

するとチャットに加わっていた横からモイケル娘、「おっかさん、うちでも外でも変わらない、表裏のない人間に育って欲しいと願って育てたんでしょ?その通りじゃん、はははは」

そ、それはそうだけど、
息子が赤ん坊の頃、わたしは思ったものだ。内も外もない、どこでも同じような振る舞いをする裏表のない子になって欲しいな、と。天真爛漫、天衣無縫、元気溌剌、人見知りもせず、誰にでも相手をしてもらえたものだが、今にして見れば微妙に違うんだよね^^;

今更意見を言っても始まるまい、息子よ、城山三郎氏ではないが、「祖にして野」しかし、「卑」にはなるなや。

johnboy1.jpg

ポルトでは、「ジョン・ボーイ」「ジョンジョン」とか、時には、当時人気のあったアメリカのTVドラマ「ダラス」のちょっと悪い主人公J.R(ジェイ・アー)と同じ頭文字から、「J.R.]とも呼ばれた息子は、全く人見知りのしない性格から、親戚一同、また外で出会う見知らぬ人達からも可愛がられたものだ。

5歳のクリスマスに、アメリカに住む我が友人からスーパーマンの赤いマントをもらい、すぐさまそれをまとって家の階段を降り玄関口で両手を広げ、
「up up in the sk~y!・・・あれ、ママ。このマント飛ばないよ@@」としでかしたのには驚かされた。
それよりなにより、二階のベランダから飛び出そうとしなくてよかったとわたしは冷や汗をかいたものである。

また、子供たちが小学校3年生くらいまでは、ベッドタイムストーリーと称して寝付く前のひと時、ずっと日本語と英語の本を読んであげたものだ。

とある冬の日に息子に読んで聞かしたのは、ノルウェーの探検家で、イギリスのスコット大佐と競い、人類初の南極点到達を果たしたアムンゼンの子供時代の話であった。

北欧では寒さを防ぐために二重窓になっていると言う。少年アムンゼンは、体を鍛えるために冬の最中、その窓を開けて上半身裸で寝たというような話だった。黙って聞いていた息子、その日は「おやすみ^^」といつものように明かりを消してわたしは彼の部屋を出た。

しばらくすると、息子の部屋から灯りがもれている。 ん?眠れないのかな?と思い、ドアを開けて見ると、あらら~~~!息子!上半身裸でベッドに座り、なんと、部屋の窓を開けっ放しにしているではないの!アムンゼンの話がききすぎた~!!
息子を説得してやっと寝入った後で、夫とわたしは腹を抱えてひとしきり笑ったのであった。

下の画像は2009年7月にネット発売された、息子の一曲が入っているCDカバー。Full Propulsionが活動名だ。

JR_cd.jpg

歴史は繰り返す、息子とわたしの同体験


リスボン大学でITコースを修学した息子だが、せっかくのそれを一生の仕事にしたくないと言い出し、英国ケンブリッジ大学認定のCELTA(Certificate in English Language Teaching to Adults=英語を母国語としない英語教師の教員資格) を取得した。

IT関係の仕事は時間の制限がなく、精神的にも肉体的にも厳しいと現場の人の話を耳にしていたし、実際健康を害している人も知っていたので、息子がそう言った時に、コースを修了したのにもったいないと思ったものの、敢えて反対はしなかった。

結局、そのCELTAを利用して息子は最初、東京の語学学校のBで仕事を得て働いていたのだが、日本へ渡るとき、何はおいても趣味のトランス音楽作曲に必要なものだけは、パソコンの箱を分解して、衝動で壊れるといけないからと、バッグに詰め込み、後生大事に、自らの背中に背負い込んで行ったものである。

語学学校の仕事にも少しずつ慣れ始めたころから、そろそろと音楽活動をし始め、これまで数回依頼されてパーティー会場などで演奏していた。が、残念なことに飲み食いは只だが、ギャラもただ(笑)

ある時、都内の、とある会場で自作のトランス・ミュージックをひっさげて演奏していたところ、その会場へやって来たのが、「うげ!ボ、ボスだ!」

職場語学学校Bのアメリカ人ボスが姿を現したのだそうだ(笑)

「で、あんた、どうしたの?」
「最初は咄嗟に隠れようと思ったんだけど隠れるところがなかった」

当たり前ではないか。頼まれた演奏を途中でほったらかして、ボスが来たからと消えるわけにもいくまい。仕方ないから観念して、自分からボスのところまで出向き、
「ハロー・ボース^^」(笑)大都会の東京で、そんな風にして職場のボスに遭遇するとは、世の中誠に狭い。

「おっかさんにも昔、バイトのビアハウスで似たようなことがあったのだよ」と、息子のこの話を聞いて思い出した遥か昔のできごとを語り、親子で同じような歴史を繰り返してるとは、と二人で笑いこけていたのであった。

その話とは、「あの頃ビアハウス」にある。興味がある方はどぞ。
 「グッドチーフ・バッドチーフ1
 「グッドチーフ・バッドチーフ2

あげたらきりがない思い出話だが、息子の性格を端的に表していた一枚の写真がある。

JR.jpg

日本の社会は息子のような性格の人間には、少し息苦しく感じられるであろうとわたしは思っている。大学の講義がない春、夏にポルトに帰ってくるのは、天真爛漫、天衣無縫の本来の自分そのままを受け入れる私たち親や友人たちがいるからであろう。ここで鋭気を養って再び日本へ向かうのである。

海外へ出る多くが、いずれ故国に帰るノスタルジアを抱えるポルトガル人の血を、がっちり息子に見るのである。
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2018年9月24日 

40代には数年偏頭痛に悩まされ、その薬は常時バッグに入れて持ち歩いたものです。が、そのうち治まり、50代に入ると始めて花粉症を経験し、毎年春には目の周りがカサカサに乾きましたが、それも数年後にはほとんどなくなりました。

肩の石灰性腱炎も当初はそれと知らず長い間痛みを我慢していたのが、ある夜、激烈な痛みに襲われ、翌日即、病院で腱板に針を刺して、局所麻酔剤の滑液包内注射をしたことがありますが、その気分の悪いことと言ったら、ありませんでした。嘔吐感に襲われ、危うく座っていたイスから転げ落ちるところでした。

その他、小さな傷はよくこさえましたが、幸い出産時を除いては入院したことがありません。その入院とて二人目のモイケル娘のときは、自宅に医者がいるということで、産んで2日目には退院したものです。

こうして70年の我が人生を振り返ってみると、比較的健康であったんだなと思われますが、今回の帯状疱疹のように、3週間以上にわたるチクチクする痛みが一日中続くようなことは経験したことがありません。

今だ完治とは言えないのですが、これにかかって4週間目に入る今日、やっと本来の日常生活にもどりつつあるな、の感です。
痛みやちょっとした病にでもかかろうものなら、つい、不機嫌になり人と口もきかなくなるアカンタレのわたしは、病気を抱えながら、日々、笑顔で過ごそうとする人は本当にすごい、強い心を持つ人だと心底思います。

健康であるというのは、自分の心がけ次第で毎日を気持ちよく送れるのだと、つくづく思った次第です。

さて、そういうわけで、先週土曜日からようやく日本語教室も始まりました。

この秋から、長年続けてきた市立図書館での日本語コースを一旦閉めると決心したのですが、いかんせん、13人の中級クラスがどうしても続けたいと言い出しました。一度は同僚のOちゃんに見てもらおうと思ったのですが、このクラスをもう少し良い方向に持っていけるかもしれないと、欲が出ました。

しかし、図書館を出たからには、場所をどうするかが大きな問題でした。 模索した結果、自宅での個人レッスンを長年受けている空手師範のマリオさんが、道場の一室を提供してくれました。マリオさんについては、こちらで取り上げています→http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1615.html

習い事のロケーションはアクセスがよくないと生徒が通いきれないので、大事な立地条件のひとつです。いい具合に、道場はボアヴィスタのメトロの側にあり、この問題はなし。

部屋は13人の教室としては狭いのですが、ぜいたくは言えません。生徒にもそれを了承してもらい、
昨日から始まったクラス、10時半ころにもなると、空手を習うためにやってきた子どもたちの大きな声が響きました。
「Icchi ni san shi !」

即、丁度タイミングよく教えていた文法、「~ ところです」を使用して生徒たちに、

「今、空手が始まるところです!」(笑)

この掛け声も部屋のドアを閉めると、聞こえません。
という訳で、帯状疱疹も治りつつある中、心機一転、新しい教室でがんばりまっす!

ではまた!

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2018年9月21日 

今日はポルトガルの大航海時代にまつわる話をあげます。

エンリケ王子1
ポルトのボルサ宮前に建つエンリケ航海王子の像。生地はポルトです。

ポルトガル大航海時代の礎を築いたエンリケ王子は英国人の血を引き、イギリスでも人気があるポルトガルの歴史人物の一人です。その生涯は一見華やかな印象を受けがちでしが、どんなに華麗な歴史にも陰があります。
                              
テンプル騎士団の後継であるキリスト騎士団初代総長となったエンリケ王子は、騎士団の富を資金源に、新しい船の造船にも力を注いぎました。テンプル、キリスト騎士団員は独身でいることを求められ、王子も生涯独身を通しましたが、ヨーロッパの小国ポルトガルに大航海時代という黄金時代をもたらしたのは、このエンリケ王子です。

北アフリカのセウタ攻略後、セウタ総督を任ぜられ、またアルガルブ地方の統治も任せられたエンリケはラゴスに拠点を置き、国家事業の航海計画に専念しました。

父王ドン・ジュアン一世没後、長兄ドン・ドゥアルト王の時代にはこの事業をめぐって対立する勢力がありました。エンリケ王子は、長兄ドン・ドゥアルト王の命で、セウタ確保のため、次兄ドン・ペドロの反対を押し、末弟フェルナンドとともに北アフリカのタンジール攻略に入るのですが失敗します。
 
末弟フェルナンド王子は休戦協定のためアラブ側の人質となり、彼は6年間の幽閉後アフリカで亡くなります。セウタはこのドン・フェルナンドの犠牲で確保されたと言えるでしょう。

後に、次兄ペドロ王子と前王ドゥアルトの息子アフォンソ5世の王位争いが始まりますが、エンリケはこの権威争いには組せず、アフリカの地で人質として弟フェルナンドを死なせた心の傷もあってか、サグレスに引きこもり天体観察に打ち込み、ヨーロッパ各国、イスラム国からも航海知識者を招き、船員の教育に努めたといわれます。

sagres
断崖のサグレス岬

サグレスにエンリケ王子の航海学校があったと言われるのはこの所以です。実際に学校が存在したかどうかは明確ではありません。

エンリケ王子はサグレス隠遁前、航海時代の中心地、ラゴス(サグレスの近く)に居を構えていましたが、ラゴスはヨーロッパ最古の奴隷市場があったところでもあります。ポルトガル国内では奴隷はほとんど使われませんでしたが、ラゴスはアフリカからの奴隷船の入り口でした。

エンリケ航海王子は1460年にサグレスにて没。
sagres4.png
 
その後、O Africano(=アフリカ王)の異名をもつエンリケ王子の甥、ドン・アフォンソ5世王は北アフリカ入り口を征服し、やがて時代はポルトガル・スペインの大航海時代に入ります。

sagres5.png
横に膨張して今にも海と接触せんとする太陽。

空に余韻を残し海に沈む太陽。右に見えるのはサン・ヴィセンテ岬。数世紀前、エンリケ王子もこの岬から同じ夕日を日々眺め、日が落ちてからは天体観測をしたことでしょう。孤高の人エンリケ航海王子は果たしてどんな思いで落日を眺め星を求め、陸路の果ての断崖岬で生涯を終えたのだろうか。


また見つかった、なにが?
永遠が。 海と溶け合う太陽が。(アルチュール・ランボー「永遠」)
                               
こんな1節が思い出される落日の一瞬です。
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2018年9月17日 

今頃ですが、今年の夏は暑かった!
わたしは紫外線アレルギー体質で外出時は車を運転するときも長袖とスカーフが離せません。それでも右腕の前腕が弱点なのか、毎年湿疹に襲われます。ところが、今夏はあまりの暑さに両腕をやられてしまいました。長袖を着ていたにも拘わらず、です。
一度も半袖に手を通さなかった夏でした。

夫の知り合いの皮膚科専門医に行っても、「これは紫外線アレルギーねぇ」と、塗り薬の処方箋をもらうだけです。塗ったからとて夏の間中直る兆しもなし。来年度は早期から気持ちと着る物の準備だ!と今から息巻いています。

さて本題の「あイタタタ」ですが、子どもたちもそれぞれ日本へ帰ったところで、9月に入り、どれ、少しゆっくりできるかな?と思いしな、2、3日、どうも右腹の下がシクシク痛い。おかしいなと思った矢先に、真夜中、おなかの右側にまるで線でつながるかのように、湿疹のごとき水ぶくれの群れが横に三箇所できているのを発見!うげ!なんでんねん、これ?

これが、美智子妃殿下、雅子様もかかったという帯状疱疹であると知るのに時間はかかりませんでした。帯状疱疹は通常3週間から一ヶ月を目安に直っていくのだそうですが、その間の水ぶくれができたところの痛みといったらありません。

痛みにはからっきしダメなわたし、一日中、突如襲ってくる針でつっつくような痛みで、「あイタタタ」の連発です。毎夜中にもその痛みで目が覚めて消毒するもので、このところ熟睡できず。発症から1、2週間が一番辛いのだそうですが、この痛み、いい加減去ってくれないかなと、心底願っています。

そう言えば、補習校時代の昔、同僚のI氏がかかったことがあり、「痛いんですよねぇ」と言っていたのを思い出しましたが、この手の痛みは、かかった人でないと分からないだろうな、と一見、たいして気にもしてくれてない夫を横に、処方してくれた薬、効いてるんかぃ!と心中で毒づいている次第であります。これを八つ当たりいうのだが(笑)

帯状疱疹が発症する原因は、水疱瘡を引き起こすウイルスだそうで、水疱瘡にかかったことがある人はみな、このウイルスをもっているとのこと。それが、歳をとり抵抗力がなくなって、ストレスや疲れが溜まったときに、突如、活動しはじめるのだそうです。年齢に関係なく若い人もかかると言っています。

たいがいの無理は、なんとかやり過ごせてきたのが、70歳のここに来てさすが気力だけでは行かなくなってきたのだと実感。しかし、もう少し現役で行きたいと、本日も「あイテテテ」を心中でつぶやき、日本語、がんばっています。

ではみなさま、また。
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2018年9月13日 

9時から5時まで仕事をし、夫がいて、その上、オンラインショップを運営するのはなかなかたいへんだろうと思います。
その夫と言うのは、我が婿殿に当たるわけですが、共稼ぎゆえ、家事は二人で分担して、先に帰宅したほうが料理当番になるという娘夫婦、男も料理ができるほうが、いざという時に助かるし本人にとってもいいとは、わたしの意見です。

自分では決して包丁を持たない我が夫、こちらがくたびれてしんどい時などは、どないかならんものかなぁ、と、時々不満に思ったりするのが本音ですぞ。我が家は和ポ折衷料理でありますから、それを夫に望むは無理というものと知ってはおるのですがねw

一生死ぬまで料理当番かぁ、だって、こっちもある程度仕事してるんだよねぇ、とふと漏らした日にゃぁ、夫曰く、「いいよ、一週間交代でも。その代わり、僕の当番の週は外食だ」って^^; 毎日油っこいポルトガル料理もいやだぁ、となるのであります。日本のようにポルトガルではできあがりの惣菜が皆無なので、ご飯作りは楽ではないのです。

あら、モイケル娘のオンラインショップを宣伝しようと書き始めたのですが、愚痴にそれちゃったよ(笑)
というので、閑話休題、話を本題に戻しまして、以前にも紹介させていただいたポルトガル雑貨オンラインショップ「東のポルト屋」、新着商品を案内しております。

店長ソデとその母親の自己満足テイストで紹介していますが、お時間あらば、どうぞ一度ご足労いただきたい。まったく宣伝していないので、知る人は少ないと思うのですが、ひょっとすると気に入るものに出会えるかもしれませんぞ^^

まだまだ色々な品があるはずなのですが、本人曰く、「撮影する時間がな~い!」
ダメじゃん、それじゃ商売にならんぜ、と思うおっかさんでありますが、ふと我がことを振り返れば、ぬぬ?どこぞで聞いたことがあるセリフである。

日本語教室やってますが、同僚のご主人をして「これじゃぁ、もうからないねぇ。君ら二人じゃ、放っといたら赤字になる」と言わしめているのであります。

いや、もう知ってますって。安い授業料に出世払いにしている生徒も何人かいたりして、これに税金を払ってガソリン代、駐車料金等を入れると、多分そんな具合でしょう。

加えて、「どうしても日本語を続けたい」11人のグループを引き連れて、今回は小さなレンタルスペースを借りて続けることにしましたが、長年教えてると生徒も我が子のように思われ、そろそろこの辺で終わろうという気になれないのです。ここがわたしのダメなところかも知れない。生徒には色々な先生にあたって、教えてもらったほうがいいかもなぁ、と思いながら、つい情に引きずられてしまいます。

商売になっとりませんが、教えることを楽しんでいる自分がいます。ま、これでいっか!と、似たもの親子のすることであります。

と言うので、おっかさんのほうは、自宅の個人授業はほぼ全員夏季休暇から戻ってきましたが、グループ授業も来週から新たな場所で出発することになっています。

モイケル娘の方は、今回はこんなのや↓
pi-man.jpg

こんなのも↓出しておりますので、ちょっと覗いてやってくださいませ。
prato_galo.jpg

あ、そうそう、名付けてねずみのアナトール」のチーズトレイもあるんだが、お~い、もいちゃん、それはどないなっとるのん? アズレージュのトレイも出してくれぃ!

 「東のポルト屋」サイト、まずは店長のプロフィールからどうぞ。
http://www.higashinoportoya.com/about/

いや、プロフィールは結構、トップページをと言う方はこちらからどうぞ。
http://www.higashinoportoya.com/

では、本日はこれにて
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2018年9月12日 

息子のガールフレンドによると、「Salamanca」はフィリピンの言葉で「Magic=魔法」という意味なのだそうです。
そこで、フィリピンとサラマンカの繋がりを少し調べてみると、フィリピンは19世紀から20世紀にかけての米国の植民地になる前はスペインの植民地でした。ですから、「サラマンカ」がフィリピンの言葉を語源にするというのは、十分考えられると思ったのですが・・・さて、本当は。

こんなことを取り上げたのは、夫の提案でサラマンカにある洞窟「Cueva de Salamanca」なる所を訪れたからです。洞窟と呼ばれる石の建物は、元は聖シプリアン教会の地下室だったようですが、16世紀後半に破壊されました。

聖シプリアンと言うのは、3世紀のカルタゴの主教キプリアヌスで、ローマ帝国の迫害により殉教した聖人です。さて、入り口をくぐってすぐ左にあるのがサラマンカ洞窟で、これには伝説があります。

cave4-1.jpg

昔、この地下室(洞窟)では夜になると、サタンが7人のサラマンカ大学生に7年間、黒魔術を教えたのだそうです。教えが終わったところで、サタンは7人の学生にくじを引かせ、そのうちの一人が7年間の7人の授業料を払う義務を負わせられます。支払えない場合は、一生をこの洞窟で過ごしサタンに使えなければならないのです。その悪運くじを引いてしまったのはMarqués de Villenaです。お金を持たない彼はこの洞窟に住むことになります。

が、ある日のこと、Marqués de Villenaは洞窟のドアから逃亡することに成功します。サタンは彼を捕まえようとするのですが、捕まえることができたのは、Marqués de Villenaの影だけでした。こうして彼は影を持たない者として生きなければならず、それを人に悟られないために常に日陰を歩いたということです。影を持たないというのは、サタンの債務者であることを意味します。

この話はやがてスペインの領土だった中央アメリカ南アメリカに伝わり、それらの国では黒魔術を行う場所や洞窟、暗い場所を「サラマンカ」と呼ぶようになりました。つまり、冒頭にわたしが言った、、「サラマンカ」はフィリピンの言葉を語源にするのでは?とは逆になります。

入場料は無料、夏の間は毎週金曜日土曜日の夜は、この伝説に基づいたミニ芝居が見られるのだそうです。
わたしたちが行った日は洞窟に入れず、かわりにその少し向こうにある塔まで上りました。街の見渡せてきれいでした↓

cave2-1.jpg

本日はこれにて。
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2018年9月9日 

本日は自分のメモとして書きますが、お付き合い願えたら嬉しいです。

ポルトの街が「Cidade Invicta」なる別名を持っているのを知っているだろうか。CidadeはCity, Invictaは「敗れざる、征服せざる」の意味だから、「征服せざる街」となる。

この呼び名は、8月に拙ブログで取り上げたポルトガルの歴史、19世紀初期の3回に渡るナポレオン軍侵入戦争の第二回目、ポルトを襲ったナポレオン軍を撃退した出来事と、この後の自由主義派と王政派が激突したポルトガル内戦で、リベラリスト派が多かったポルトがブラジルから北部に漕ぎついたドン・ペドロを中心にして、王政派を破ったということに因みます。

Tripeiro(トリペイロ=臓物を食す人)という名もポルトの人は冠しますが、これもやはり歴史の出来事からきます円は後記にて「Cidade Invicta」「Tropeiroはポルトの人たちの愛国心の表れでもあります。下記のようにポルト市の紋章にも「Invicta Cidade do Porto」と書かれています。

brasao_porto1.png
Wikiより

さて、Invictusはラテン語ですが、この単語を目にしたのは、南アフリカを舞台にしたクリント・イーストウッドが製作に携わった映画「Invictus」ででした。南アのアパルトヘイト政策が撤去され、27年もの獄中生活から解放されたネルソン・マンデラが南ア史上初の全人種参加選挙で最初の黒人大統領に選出されたころの、南アとニュージーランドのラグビー決勝戦までのストーリーです。

映画ではマンデラをモーガン・フリーマンが、ラグビーチームのキャプテンをマット・デイモンが演じていました。


獄中での結核や呼吸器官疾患の病を抱えながら石灰石採掘場での27年間の重労働を強いられたマンデラを支えたのは一編の詩でした。
「I am the master of my fate, I am the captain of my soul」

この最後の一節にひどく惹かれ、検索してみると、これは1875年に出されたイギリスの詩人William Ernest Henleyの詩「Invictus」ということでした。

テキストは下記の如し。

「Invictus」
Out of the night that covers me,
Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds and shall find me unafraid.

It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate.
I am the captain of my soul.

最後の節は、
いかに門がせまかろうと、いかなる罰に苦しめられようと、
我が運命の支配者はわたしであり、我が魂の指揮官はわたしである

マンデラはこの言葉に胸に刻み、獄中生活を絶え抜いたのです。苦境にあって、素晴らしい言葉に出会えるのは人間を希望へつなぐ一筋の光になります。

希望はいいものだ。
多分なによりもいいものだ。
そして、いいものは決して死なない  

スティーブン・キングの本「監獄のリタ・ヘイワース」(映画名:ショーシャンクの空の下)の中に見出される一文から。

では、また。

★「臓物を食す人」はこちらで→「ポルトびと、その名はTripeiro
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2018年9月6日 

つまんないな、と思うことがたまにある。 どういう時かと言うと、だいたいが夏休みも終わりこちらの新学期が始まる9月だ。
生徒たちの学校の時間割が決まらず、日本語授業の予定が入らないのである。個人授業についてはそれがないのだが、みんな夏休みの名残を引きずっていて、まだ、日本語に取り組む気にならないのだ。

ならばのんびりと構えて普段できないことをすればよかろうに、と思うのだが、それができない仕事restlessなわたしである。

5人分のご飯を作る必要もなくなり、あれはどうなってる、これはどうなってると聞く子ども達も日本に帰国してしまい、「つまんないな」と一言もらしたら、即座、夫に言われた。「子どもたち二人とも日本へ見送るからだ」・・・がび~~ん。でも、反対はできないでしょ。彼らには彼らの道を決める権利があるんだぼん。

それに、もし、子どもたちが居候していたら、わたしはきっと家政婦専業となり、今のように日本語を教える仕事はせいぜい土曜日しかできなかったと思う。今のわたしは自立していると思っているんである。

阿川佐和子さんが著書で言ってたけれど、「他人に頼って生きるのが、一番元気をなくす。なぜなら必ず当てが外れ、裏切られるから。その度にガッカリして、だんだん引きこもりになっていく。誰かに何かしてもらおうという気持ちが、人生を駄目にする。最後の最後まで1人で生き抜く、最後は1人で死ぬんだという気概を持つ人は、元気さが違う。老後こそ、独立自尊です。」と。

さて、そんな、つまんないなという時にわたしがすることは決まってる。我がモイケル娘の過去ブログを再読してはがははと笑い気を取り直すのである。

そこで今日は彼女の短いブログ記事をいくつか拝借する。以下。

★「10秒のために1時間かける 」

パソコンというのは人が命令した事にひたすら従ってくれる、ある意味とても素直なもので
エラーさえ起こさなければ反抗期もなく口出しもない、私たちにとって非常に都合がよいんだが、

逆にいうと私たちが言ったこと しか やってくれないわけで

しかも曖昧なお願い事は一切通用しない。

「もうちょっとそこは感情こめてよ」
「こ~の辺からここぐらいまで音量を徐々に上げてほしいんだよね^^」

通じない。

つまりこちらから正確に、何分から何分何秒まで何を何個変化させてほしいのか

すべて数値ベースの命令である。

私「なんで言ってくれなかったの?」
相手「だって聞かれなかったもん」 状態である。

どこまでも忠実なんだこのやろう。

以上、オケ編曲における苦悩でした( ̄Щ ̄)

★「oh... 」
週に一、二回、通っているバイト先で、翻訳の手伝いをする事がある。

ほとんどの場合、よくわからん専門用語がこれでもか、これでもかと言うぐらい使われている上、いつまで経っても句点がなくて、一文読み終わった頃には主語がなんだったか忘れてしまうというカオスっぷりなので、三十分もすると業界に対して殺意すら沸いてくる。

これで発狂しない産業翻訳者を真底尊敬する。

しかしそんな苦労とも今回は無縁さ!
グーグル先生のお力を借りてレッツ・自動翻訳!ビバ文明\(^o^)/

と、その前に翻訳のための前準備が必要だというのである。
翻訳する文章はPDFファイル形式。このままではグーグル翻訳にコピペできない。

機械様はPDFファイルの文章をOCRで読み取り、文字に起こしてくれるのだが、
どうやら文として、日本語として正しいかどうかまでは判断できないらしい。

その「間違った読み取り」を、原文を見ながら訂正するのが今回の私の仕事で、至って単純な作業であるが、この機械様の読み取りがなかなか個性的で、言葉遊び好きの私としては大いに楽しめた。

分析化学  →  分析仕草
 顎にエル字型の手を添えてる感じの?

フレッシュ → オフレッシュ
 なんだかお上品

あっさりした味わい → あっきりした味わい
 何も伝わってこない

~問題ないと判断された。 → ~問題ないと判断されたoh
 アメリカ人かい。ohってなんやねん。

オンリーワン → オシリワン
 おちょくっとんのかワレ

やはりまだ人間の手助けが必要のようだ。


★「新たなる挑戦 」

私は失敗をする事で学ぶ人間である。

要領は悪く呑み込みが遅い。というかペースが遅い。しかし頭は悪くないと思っている。

つまり失敗さえさせてくれればいいのである。とバカ正直に就職の面接で言ってみたいものだ。たぶん落ちるけど。

さて、実は最近夏休みに入って自動車教習所に通いだした。関東に住んでいる限り、車を運転する事はほとんどないだろうが、社会人になってから取るのも大変そうだし、海外生活という無根拠な可能性も視野に入れて(夢はいつでも大きい方がいい( ̄▽ ̄))、免許が取れるようになった年から約10年、ようやく重い腰を上げることにした。

ほんで、娘の運動(無)能力も知らずに、ポルトガルはまだマニュアル車が多いからマニュアルで取れという父に従い、昨日はシミュレーションで人生初めての運転を経験したのである。

運転席のシートあたりから聞こえてくるガイダンスの声と目の前の画面に従いながらあれこれと操作をしていくのだが、しょっぱなからうまく行かなくて、「まあいいや」と諦めて運転を開始しようとした所で教員が慌てて駆けつけてきた。

そりゃそうだろう。これから映画でも観るのかってぐらいシートが後ろに倒れてんだから。
運転以前の問題である。

その後もハンドルを回す練習で「なんか違う」と言われ、「なんとかを引く」の「引く」の意味が分からず(これは日本語の問題だねw)見当違いな操作をし、左ウィンカーをいくら押しても出てこないと思ったらワイパースイッチを押していた、となかなかの苦戦っぷり。

一旦休憩を挟んだ際に技能マニュアルを懸命に読む迷える子羊を憐れに思ったのか、「今やっているのはこことここ」とわざわざ声をかけてくれた。

そしていよいよ運転操作に突入!
はい、ブレーキ踏みます!
クラッチ踏みます!
チェンジレバーはローにー
ハンドブレーキ下ろしてー
アクセル踏んでー クラッチ上げる。

次停止!
ブレーキ踏んでスピード緩めてー
はいクラッチ、え、クラッチ?ブレーキは?あたふた『エンストしました☆』

・・・・・

【加速】
アクセル離して クラッチ踏んで チェンジレバー
アクセル離して チェンジレバー、あ、クラッチ忘れた
【減速】
アクセル離して ブレーキ踏んで、クラッチ、早く、クラッチ『エンストしました☆』
(#`皿´)あ;えrlkj;とhrsろいhrちh
【カーブ】
ハンドル回してー ブーーーン(のほほん)
お、お、ガードレールにぶつかるぶつかる回して回してーー
教官「それ反対車線です(ボソッ)」
わかっとるわいい~~~!!

キーンコーンカーンコーン『まもなく教習は終了します』

ぜー、ぜー・・・ぜ、前途多難だぜ(((((= ̄ ェ  ̄;=)


★「あちらを立てればこちらが立たず」

この間「お届けに上がる」という表現が脳内でヒョッと出てきた時は我ながら感動した。
特に「上がる」が浮かんだのを自覚した時は小躍りしたくなったものだ。

単語を知っているのと実際に使えるかどうかは全然違う!!


I   単語そのものを知らない → 聞いても理解できない
--------------------
II  単語は知っている   →  ①聞けば理解できるけど、自分からは頭に浮かばない
III                   ②単語そのものは思い浮かぶけど、それに続く言葉が出てこない
                      (用法がわからない)
IV                    ③自然に単語を会話の中に組み込める

勝手に考えた単語の理解度のレベル分けですが、個人的には「単語そのものは出てくるのに使えない」レベルIIIのことばが一番歯がゆいヾ(≧血≦;)ノ

一を聞いて十を知るということわざがありますが、言語に関しては十を聞いてやっと一が話せるんじゃないかと私は思う。

でもまぁ、来日したての頃と比べていい感じに日本語は上達している。日本語は。

問題は英語だ。

ことばは生ものというのはよく言ったものだ。
今までにないぐらい自分の英語力に危機感を抱いているので、昨日ツタヤでシットコムを借りて5時間ぐらいぶっ続けで観てみた。

結果。

脳内は英語に切り替わろうとしたようだが言葉が浮かばないので思考が幼児化した。はっはっは。


★「解読修行中」

あぶないあぶない。
「鉢巻」を「腹巻」って翻刻するとこだった( ̄▽ ̄)


★「絶望が必要」
公園でブランコのコツがつかめた妹にたいしての兄の言葉。

兄 『ブランコはうまくなるとねー、ジャンプとかできるんだよ、ジャンプの技って色々あるんだけどねー、
   それができるようになるには絶望の力が必要なんだよね。』

なんか、うん、哲学だね(`_`)


というので、ひとしきり読んでがはがは笑って、ただ今から洗濯物を干して参る。
では、皆様、よい一日を!
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2018年9月4日 

祈りの町と呼ばれるBragaの夏の祭典「Noite Branca」に招待されて作品を展示していた日本人コンテンポラリ・アーティストO氏の手伝いで来ていた我がモイケル娘の友人Kちゃんが、展示作品の梱包発送が完了してブラガからコンタクトしてきた。「O氏ともども夕方からポルトへ行きます!」

と言っても、翌4日、つまり今朝にはポルトを飛び立つのだという。わずかの時間ではあるけれど、それではポルトで晩御飯を一緒にしようと言う事になり、急遽、夕方の日本語をキャンセルして、夫もちょうど早めに仕事を終えたので、彼も合流し6時過ぎにサンベント駅で待ち合わせることになりました。

ツーリストでごった返しの旧市街を縫って、リベイラを見ずしてポルトへ行ったと言うなかれ、主義のわたしです、行く当てのレストランは7時から開店するので、その間、4人で駅からリベイラに続く道を下り始めました。

Ribeira Porto

Kちゃんとは、かつて代々木ゼミナールの帰国子女受験コースで一緒になったとモイケル娘から聞いており、わたしが日本に帰国した時に一度息子と娘のアパートで顔を合わしています。


Kちゃんは翻訳事務所を千葉に構え、通訳として活躍しているのですが、モイケル娘はポルトガル語授業やネットショップ「東のポルト屋」展示即売会の時など、そのオフイスを提供してもらっています。

Ribeira Porto
ドウロ川対岸のガイア側から望むポルト・リベイラ

子どもたちの友人がこうしてポルトを訪ねて来るのは嬉しいことです。リベイラからドン・ルイス1世橋を渡り、川を挟んでガイア市側から眺めるポルトの街はやはり美しい。曇っていたので一番美しい景色である青空の下にポルトが望めなかったのは残念でしたが、暮れなずむリベイラもそれなりに趣があって好きです。

レストランは人気があり、いつ行ってもテーブルが客でいっぱいの市庁舎通り横にある「Brasão(ブラザォン)です。

2018-2-1.jpg
生ハム、タコのサラダ、バカリャウのコロッケと豆

2018_1.jpg
Pica Pau(ピカパウ=きつつきの意。みんなで皿をつついて食べることから来る)

Kちゃんはアルコールがだめでしたが、連れのO氏はバンバンいける口なのだそうで、わたしもついビールの杯を重ねてしまいました。お二人はこの他、ポルトのFrancezinha(フランセズィーニャ)を分けていました。おしゃべりが進む食事は美味しい!
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1934.html
2時間弱の食事はあっという間に過ぎ、ブラガの宿泊先へ帰るお二人を、電車の時間に合わせて再会を願いながらサンベント駅で見送りました。

Kちゃん、Oさん、お疲れさまでした!また、会いましょう!

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2018年9月2日 

写真は宿泊先の屋上テラスからの展望。中央に見えるのが新旧サラマンカ大聖堂。
サラマンカ

サラマンカ大聖堂は新旧共に隣接しています。旧大聖堂は12世紀から14世紀にかけて建築されたロマネスク・ゴチック・様式で、新大聖堂は16世紀から18世紀間に建築されたゴチック・バロック様式です。

サラマンカ

実は、新旧大寺院が隣接しているとは思わなかったのです。それで最初は写真にある旧大寺院の右横のファサーダを見上げて探していたのですが、ない、ない、ない!と相成り、結局それは新大寺院であって、正面に見えたのが旧だと分かりました。

寺院は高い建物ですから、なにかにつけ見上げるもので首が疲れます。そうして、写真矢印のファサーダ左側の模様の中に見つけました↓

サラマンカ

先にも書いたように、大聖堂のファサーダ(正門)はこの数世紀でかなりの損傷を受け、1992年に修繕作業が入りました。伝統として修繕が入った時代を象徴するシンボルを彫りいれるのだそうですが、20世紀の象徴として「宇宙飛行士」と「アイスクリームコーンを持つ不思議な生き物」とを付け加えたと言われています。

アイスコーンを持つ怪物の下方には、幸運を呼ぶと言われる「うさぎ」の彫り物があり、多くのツーリストに触られてそこだけ真っ黒^^;
rabbit3.jpg

まぁ、タネを明かせばミステリーではないということになり、この手のミステリー好きなわたしとしてはちょいと拍子抜けではあったが、自分の目で事実確認できたことは嬉しい。

さて、サラマンカにはヨーロッパの中世大学のひとつ、スペインでは最古のサラマンカ大学がありますが、現在も32000の学生をかかえる総合大学です。

サラマンカ

13世紀にアフォンソ9世が創立したサラマンカ大学は今もそのまま使われています。その建築の豪華なこと!そして、この大学のファサーダにもうひとつ、面白いシンボルがあります。

サラマンカ
ファサーダ右側上部に髑髏が三つ並んでいますが、一番左側の髑髏にはカエルが乗っているのです。

使ったのがスマホカメラなのと、高所にあるのと、日陰になっているのとで、なかなかうまく写真撮れず、こんな具合で申し訳ない。
サラマンカ

このカエルを頂く髑髏を見つけた学生は成績良好で卒業できるというジンクスがあるのだそうですが、髑髏もカエルも錬金術に関連するシンボルですから、単なるジンクスだけではないような気がします。他にも隠されたメッセージがこの中世の建物にあるかもしれませんね。

サラマンカ
サラマンカ大学構内の一部。

見上げなければならない欧米の教会のシンボルを探すのは、首が疲れるのであります。

ではまた。
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