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2019年1月30日 

Bacalhauとは、塩漬けの大きな干しダラのことです。

バカリャウコロッケ

ポルトガル社会は国民人口の約80%が名義上ローマ・カトリック教徒だそうで、国民はカトリックの習慣を受け継いでいて、現在も一般的にクリスマスイヴや聖なる復活祭前聖のテーブルに肉はのりません。その代わりに食されるのがこのバカリャウです。これについての説明は後記にて。

バカリャウのレシピは500とも1000とも言われますが、その中で最もポピュラーで、手軽に食べられるのが「Bolo de Bacalhau(ボーロ・デ・バカリャウ)」、バカリャウコロッケです。

バカリャウコロッケ

家庭でも良く作られます。わたしの義母は、前日のバカリャウ料理で残ったのを使って作っていました。

さて、このバカリャウコロッケの4倍くらいもあるのが売られているのを見つけました。1月27日の記事にあげたCasa Orientalの隣。聞けば同店は一緒なのだとのこと。

バカリャウコロッケ

店に入ると愛想のいい女性が実際にコロッケを作っています。こんなんですよ!

バカリャウコロッケ

うわ~、すごく大きいですね!と言いもって、試しに夫とわたしにと二つ買ってきました。店内で食べることもできます。軽いランチになります。レジでは親切にもポルトワインをすすめられましたが、女が一人店先で立ち飲みってのはねぇ、ってなわけで、車で来てるからと丁重に断りました。

夕食のおかずの一つとしてテーブルにのせましたが、真ん中にはSerra da Estrela独得のチーズが入っており食べごたえがありました。話が逸れますが、このチーズ、わたしは匂いがきつくて苦手ですが、我が妹一家は大好きで、毎回帰国毎に注文されます。

queijo-da-serra.jpg
Wikiより

最後にバカリャウコロッケが入っていた箱が可愛くて。
バカリャウコロッケ

絵にはポルトとリスボンの象徴が描かれています。ポルトはクレリゴス塔、ドン・ルイス1世橋、それにポルトワインを積んだ帆掛け舟ことBarco Rabelo(バルコ・ラベロ)。そして、右側にはわたしが知っていた、店頭にバカリャウをぶらさげるかつてのCasa Oriengtalが見られます。

★バカリャウについての記事:「これがなくては始まらないポルトガルのイブ

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2019年1月28日 

今月12日土曜日の午後はポルトで漢字検定試験があり、受験する日本語教室の生徒がいるので、授業が終わった後、応援に久しぶりに旧職場へ顔を出しました。

今では自分の子どもを補習校に通わせている、かつての我が教え子にばったり会い、「おお、元気にしてるの?」と少し立ち話をした後、彼女から、「Yuko先生、これ、差し上げます。わたしが一部コーディネートしています」ともらった雑誌が「FIGARO Japon 2月号」

toys

彼女は小学校4年生で日本からポルト日本語補習校に転校して来、中学3年の義務教育を終了したのですが、ずっとポルトに住んでおり、2年ほど前から、自分の子どもを補習校に送っています。

因みに、補習校というのは土曜日の9時から12時半まで、わたしが教えていた頃は国語算数(もしくは数学)の2教科を、日本の年間カリキュラム通り進めなければならなく、講師生徒両者にとってなかなかに厳しいものがありました。我が2人の子たちもこの補習校の卒業生です。

彼女の日本語はと言うと、以前、日本社会の勉強会を開いたときに、文藝春秋の記事を参考にしたのですが、参加した彼女は滞りなく読むことができたので、問題ないと思っています。

zasshi2.jpg

雑誌2月号は「懐かしくて可愛いポルトガル」と謳ったほぼ60ページにわたる特集で、リスボン、ポルト、アヴェイル、アレンテージュ地方を中心にポルトガル文化を紹介しています。我が教え子が担当したのはその中の北部です。

zasshi3.jpg

わたしはロンドン発信の某会員雑誌に10年以上に渡ってポルトガルの紹介記事を書いていますが、ここ数年、ヨーロッパでは人気爆発のポルトガルです、新しい食事処、ブティックなど、その他のホットスポットがドンドン進出しており、今回の記事にざっと目を通して、知らないところも結構あると感じたのでした。

若い人と年配のわたしとは興味の対象、目線が違い、ぐずぐずしておれんぞ~っと、探検先が増えたことで、なんだか嬉しくなってるわたしです。欲を言えば、あまりにも情報細かく、数回に分けた特集にしてもらいたかった、が、感想。

雑誌編集協力者の中に40年ぶりに知ってる人の名前を目にし、現地に長年在住していればこその情報がおさめられていることに自ずうなずいたのでありました。

ポルトガルに興味がある方は、一度手にしていただきたい雑誌でしょうか。

本日もありがとうございました。
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2019年1月27日 

先日、この店の前を通り、その変貌ぶりにあっと驚いた次第。

Casa oriental Porto

クレりゴス塔の横の広場にある小さな食料品店でポルトでも一番古い店の一つに数えられてきた「Casa Oriental(casa=家)」。 
「看板のイラストからもうかがえるように、ポルトガルがアジア、アフリカに領土を持っていた時代をしのばせます。1910年にオープン。店内は多種の香辛料の香りがします。

「Casa Oriental」はBacalhau(バカリャウ=干しダラ)の店としても知られ、店頭にはいつも大きなバカリャウが何枚もぶら下げられています。

「CHA, CAFE E CHOCOLATE」(お茶、コーヒー、チョコレート」と看板にうたってあり、写真でみられるようにぶらさがったバカリャウや果物も店頭で売られています。街の中心、ダウンタウンなのに昔ながらの庶民的な生活の一端がチラリ見られるのがポルトの魅力ですね」

と拙ブログで紹介したのが、かれこれ10年も前で、こんな感じでした↓

Casa oriental Porto

それが、2016年に改築のため閉鎖され、翌年新たにオープンしました。
Casa oriental Porto
店内の壁ぎっしりに並ぶのは、Saldinha(いわし)の缶詰なり。

Casa oriental Porto

缶詰に書かれた数字は年号です。この日、1947と1948(わたしと夫の生まれた年)の年号が入ったのを買ってみました。うっかり者のわたし、店員に「これ、今でも食べられるの?随分古いじゃない?」と聞くと、「いえ、年号はそうですが、これは今年生産されたものですから、大丈夫」ですって^^;

鰯の缶詰

見ると、`47年のわたしのには同年に生まれたDavid Bowie,Elton John、そして夫の`48年のにはGerard Depardieu, Cat stevensの名前が書かれています。味については開けていないのでまだ。一つが7ユーロとはちょっと高いな。

Casa oriental Porto

店内の奥天上には、黄道12星座が見られます。

↓こちらも天上にありますが、「Maquina do Tempo」、つまりタイムマシンの歯車だそうです。

Casa oriental Porto

Casa Orientalは「Valor do Tempo(Valor=価値、Tempo=time)」と、うたっていますから、なるほどです。

一階は鰯だけですが、2階にはBacalhau(たら)、さば、タコ、ツナなども揃えられています。
Casa oriental Porto


以前のようにバカリャウそのものや、その他の食料品が全て取り払われてしまったのは、古い店を知っている者からすれば残念ですが、これも時代の流れと受け入れるしかないでしょう。「新しい船は新しい者が動かす」です。

改築されたCasa Orientalの外装をカメラにおさめながら↓、モダンに変貌した店の3階の窓に干さた洗濯物とのミスマッチを目のあたりにし、あらら、これだけは昔と変わらずだな、と思わずクスッと笑ったのであります。

Casa oriental Porto

本日はこれにて。
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2019年1月23日 

ポルトはこのところ雨の日が続いています。そんな中、晴れ間がのぞいた日曜日の午後、外での昼食がてら、夫と2人、以前何度か拙ブログで取り上げたサン・ミゲル通りの家、その後どうなっているかと気になっていたもので確認しに行ってきました。

rua_saomiguel2_1.jpg

夫はこの家については知らず。エヘン、どうだ、 私の方がポルトについては知ってるぞ、なんて口にはいたしませんが、そう思いながら己が知識を披露する。

家の右下には、「ここにあったアズレージュは修復のため、取りはがされました」とアナウンスがあります。これは、ポルトガル国内で近頃とみに発生しているアズレージュ泥棒の仕業だとの誤解を避けるために置かれたものです。

観光客が増えたことにより、こんな泥棒稼業をする輩が出きて、泥棒市や蚤の市、インターネット等でアンティークとして歴史あるアズレージュが売られたりしているのですね。その手の市でかなりな値段で売られているアズレージュに遭遇したら、それは下の写真のようにあるような、どこかの古い屋敷、建物等からはがされた盗品だと見ていいでしょう。

azulejo
建物の外壁を飾っていたアズレージュ
↓↑
azulejo

特にアズレージュ絵がたくさん見かけられるリスボンでの盗難はひどいようで、警察も動いているのですが、未然に防ぐのは難しいようで、残念なことです。

azulejo
これなどはかなり古いアズレージュ絵です。

azulejo

泥棒市等で売られるアズレージュ。欠けているものは大きな絵の一部で、骨董品に値するでしょう。
ladrao3.jpg

さて、話はポルトサン・ミゲル通りの家に戻って。Casa da Rua São Miguel Nr.4(4番地)をわたしが偶然見つけて調べ始めたのは今から15年ほども前になります。以来、この近辺を歩くたびにここのアズレージュを眺めて写真を撮って来ました。
それが、訪れてみるとアズレージュは全て取り去られ、一体どうしたんだ?がーんとなったのが、2017年のことでした。以下、その記事です。

2017年5月21日 

金曜日は授業にキャンセルが入り、日本語から開放され昼前から街へ出かけてきました。
目的地は「Quinta das Virtudes(ヴィルトゥーデス園)」です。これについては後日紹介するのですが、その帰り道、近くを通ったもので好きな建物のひとつであるRua de São Miguel No.4(サン・ミゲル通り、4番地)の家を久しぶりに見て見ようと行ったところが、がーーーん!

どないしたん?という状態になっており・・・
↓昨日見た家

rua_saomiguel

なんだ、ただの古ぼけた廃屋ではないか、などと言うなかれ。確かに廃屋ではあるが、以前はこうだったのであります↓ 

rua-saomiguel

ポルトの街の散策はかつては午前中だったため、こんな状態の光線加減なのと狭い路地の角にあるのとで、なかなかうまく写真が撮れなかったのですが、外壁のアズレージュ(Azulejo=絵タイル)が全部取り除かれていました。

ネット検索してみると、今年の3月まではタイル絵があった写真が見られますが、5月に他の人に撮影された写真はわたしが撮ったのと同様にタイル絵なしです。これは少なからずショックでした。今日はこの家について、過去に撮影してきた写真を基に書きます。

ポルトには中世の名残を今も留める古い路地や家々が旧市街を中心にたくさんあります。サン・ミゲル通りとサン・ベント・ダ・ヴィトーリア通りが交差する角に佇むこの小さな廃屋もそのひとつ。

サン・ミゲル通り4番地の家・Casa No4 da Rua de São Miguel」 または「サン・ミゲル通りの建物」と呼ばれます。この建物をわたしが偶然見つけてかれこれ14年程になります。ちょうど我がモイケル娘が日本の大学を目指して旅立ち、寂しさにかまけておってはいかん、なんとか子離れしなくてはと自分を叱咤激励しながら、これまで子育てが忙しくて見向きもしてこなかったポルトの街をツーリストよろしくデジカメ持って散策探検をし始めた頃です。

この家の前がヴィトーリア教会で、その教会を目指していたのでした。写真では家の前にポルト市が設置するガイド板が見えますが、わたしが見つけた頃はなかったと記憶しています。無人の家にこんな素晴らしいアズレージュ(青タイル絵)が貼り付けられているのにいたく感心したのでした。

長い間、この家に関する情報が得られなかったのですが、ネットでこの家が取り上げられるようになった昨今、ポルトガルのネット情報もかなりよくなってきたと言うわけです。取り立てて建物に大きな特徴があるわけではないのに、地階上階の正面のアズレージュが気になっていました。

rua-saomiguel
聖母マリアのシーンを描いている。

rua-saomiguel
当時の人々の日常生活が描かれている。下にちょっと拡大してみました↓

n4_saomiguel6.jpg

サン・ミゲル通りと交差するサン・ベント・ダ・ヴィトーリア通りには、その名がつけられた由来の「サン・ベント・ダ・ヴィトーリア修道院(ベネディクト会)」がありました。現在も荘厳な修道院の建物は外装はかつてのまま残っていますが、内部は改築され劇場、コンサートやイヴェント会場として使用されています。

くだんの家のアズレージュはその修道院に貼られていたのが持ち出されたものの一部だと言われています。盗まれたのか?う~ん、難しいところではありますね。ただ、盗んでこんな修道院の目と鼻の先に貼り付けるわけはござんせん。歴史的な事情があったのですね。

ポルトのサン・ベント・ダ・ヴィトーリア修道院は16世紀から18世紀の始めにかけて建築されました。しかし、1807年から1814年にかけて3度のナポレオン軍の侵攻(イベリア戦争)があり、その間、この修道院はポルトガル軍の病院として使用されました。

その時、修道院は破壊の憂き目をみたことでしょう。また、ナポレオン侵攻後、1832、33年はポルトガル内乱が起こりました。その際、ターゲットとなった修道院の略奪からアズレージュ破壊を避けるために、院内からはがされたと考えられていますが、では、いったい、それがどうしてこの家に?となるわけです。

その先のことは調べてもさっぱり出てまいりませんので、spacesis得意の勝手推測を(笑)

この家の持ち主は信心深い人だったか、もしかしたら、子供がこの修道院で神学を学んでいたかもしれない。あるいは、修道士だったやも知れぬ。アズレージュを破壊から救うためにいったんは引き剥がして預かったものの、その後の修道院の歴史はそれらのタイルを元に戻せるような平和な状態には最後までならなかった。預かり主はずっと持っていたものの、そのままタイル絵を朽ちさせてはならぬと、人々に見てもらうためにもこの家の表面に飾ることにした。

もうひとつは、この家は元々サン・ベント・ダ・ヴィトーリア修道院の一部であり、保管者によって外壁に装飾された。

とまぁ、これがわたしの推測であります。

それにしても、「工事中」だとかの説明が一言書かれてあってもいいと思うのですが。

早速、この家のアズレージュの行方をネットで探ってみたのですが、残念ながらニュースではひっかかってきません。もしかしたら、元あった修道院に戻されるのか、大いに興味あるところです。いずれ何かが分かったら、また取り上げたいと思います。


と言うことだたのですが、あれから2年近く、この建物も修繕工事予定になっており、いずれはがされたアズレージュもカムバックするとのことです。

因みに、この家のアズレージュはポルトでは18世紀のアズレージュを持つただ1つのファシャーダ(表門)なのだそうです。

さて、果たしてオリジナルの青色のアズレージュ絵が再びファシャーダに見られるのはいつのことか、早よせんと、観光ブーム終わりまっせ、などと一人呟いているのですが(笑)ま、それはそれで一人じっくり眺められて、却っていいかもなぁ(笑)

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2016年1月20日 

ポルトガルスペインからなるイベリア半島は、レコンキスタ運動(8世紀から15世紀)以前、アラブ人に占領されていましたが、いるラム文化の影響を今に残しています。

ポルトガル語のalで始まる言葉の語源はアラブ語です。例を挙げると、
alface(レタス), almoço(昼食), almofada(枕、クッション), alfarrabista(古書店) など等。またポルトガル南部に行くと、Algarve, AlbufeiraなどAlで始まる町の名前もたくさんあります。かの有名なスペイン、グラナダのAlhambra(アルハンブラ)もそうです。アルハンブラ宮殿案内は後記にあります。

さて、イスラム文化の名残りとしてポルトガルを代表するものに青タイル絵ことアズレージュ(Azulejo)があります。azulejoはアラブ語のal-zu-leycha(小さい石)を語源で、azulとなり、ポルトガル語で「青」を意味します。

写真はアルハンブラ宮殿内のアズレージュ
アズレージュ

ポルトガルのazulejo(絵タイル)産業は、16世紀には一辺が13.5 もしくは 14.5 cmの正方形とする規格がありました。20世紀初期には新しい機械技術を駆使するイギリスやフランスのセラミック製品に追いやられ苦戦しますが、やがて改善され、タイルの多くはブラジルやアフリカに輸出されています。 

ポルトガルを旅すると、所々にアズレージュ絵がはめ込まれてある家々を多く見かけますが、屋内では浴室や台所でも大いに使われています。今では土産店でも一枚一枚、色々なパターンのタイルが手に入りますが、今日わたしが紹介するのは、9枚、もしくは12枚のタイルが一枚の絵になっているものです。

アズレージュ

下は同じ絵の天然色版。
アズレージュ

昨年春に、我がモイケル娘が運営するポルトガル雑貨オンラインショップ「東のポルト屋」用にと持っていったものです。Viana de Casteloで見つけ、わたしも気に入ったアズレージュ絵のトレイです。ちょっと重いのと、タイルが割れはしないかとの心配があったのですが、羽田空港から無事、所沢の妹宅まで配達されたときはほっとしました。

すると、これを見た妹、「それ、いいね!わたしが買うから譲って~」と、ポルト屋に渡る前に落札されてしまったというものです。
ポルトガルの昔の台所、食堂を描いたもので、良く見ると、ふいご、つるし鍋、十能、鉄砲、網掛けの計と等、昔の台所用品がたくさん描かれてあり、懐かしさがこみ上げてくるような絵です。妹2人、この絵を見ながら、猫か犬が描かれていたらもっといいねぇ、と話したのでした。

こんなアズレージュ絵がもっと欲しいとしばらく前から考えていたのですが、絵のパターンとなる一枚一枚は見かけるものの、数枚が一枚となるタイル絵、しかも、こんな風なポルトガルの昔の生活感があるものにはなかなかお目にかかれません。

それこそ、二昔、いえ、それ以上も前にポルトのクレリゴス教会辺りを歩いていたときに見かけたのに、これに似たような大きなアズレージュ絵を見かけたのを思い出し、今もあるかどうか不明でしたが足を運んで見ました。

あの時は、そのアズレージュ絵に惹かれ、行き帰り眺めたものです。写真を撮ったような気もするのですが、随分昔のことゆえ、保存先も分からず。或いは削除してしまった可能性も無きにしも非ず。欲しいと思ったのですが、当時は子どもたちの教育費で我が家は火の車でありましたゆえ、諦めたのでした。

さて、先週、久しぶりにポルト散策ででかけたついでに、その店を探してみることにしました。クレリゴス教会の横道Rua Assunçãoがそれです。歩いてみるとかつてと違いたくさんの土産物屋が並んでいました。入ってみると店員(店主?)はほとんどインド、パキスタン系です。確か通りを行ききったあたりだと思った一軒の店頭に、無造作に置いてありました!こんなのが。

アズレージュ

これは9月のVindimaことワインにする葡萄の昔の収穫の様子を描いたものです。12枚のアズレージュからなり、結構大きい。

アズレージュ

絵がしなっているのは、額、枠がなくそのまま段ボール紙に貼り付けているからです。

店の奥ではおばあさんが一人店番をしています。他にポルトガルの昔の生活を描いたものはないかと聞いてみましたが、今のところはこのVindima絵くらいだとのこと。わたしのようなマニアックなのを除けば、嵩張って重く、割れる可能性もあるゆえ、からツーリストにはあまり人気がないのかも知れません。
が、こんなタイル絵が入ったトレイがひとつあってもいいなぁ、と、これからミニマリストになろうかというわたしが調子のいいことを考えているのです。

これも好き^^
アズレージュ

デパートEl Corte Inglesでたまたま見つけたアズレージュトレイ。ちょっとツーリスト向けだけど、悪くはない。
アズレージュ

本日はこれにて。
尚、その他のアズレージュ記事、アルハンブラ宮殿に興味がある方は下記リンクからどぞ。

*「アルハンブラ宮殿」 
*「シントラ駅のアズレージュ」
*「セラミック社のアズレージュ
*「Vilar de Formosa駅」
*「サンベント駅の歴史絵
*「グランジャ駅」 
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2019年1月17日
 
この手の本はめったに自分では買わないのだが、今回はどういうわけか、自分でも分からないまま手にしてしまっていた(笑)
近頃の隣国の嘘八百を並べて何がなんでも我が国を貶めようとするのに対する、日本政府の曖昧な態度に辟易している自分の心情が影響しているのかも知れない。「遺憾である」ばかりじゃイカンで!

日本アホバカ

しょっぱなからカンヌ国際映画祭で作品「万引き家族」で最高賞を受賞した是枝裕和監督の「勘違い」をこき下ろしているのだが、かの作品を文化庁所管の日本芸術文化振興会から2000万円の助成を得て作って置きながら公権力とは距離を保つ、と発言し文科大臣の祝いの申し出を拒否したことへの「勘違い」への批判だ。

この話はわたしも知っていたので、カンヌ映画際がフランスの公権力であるフランス政府が深くかかわった映画際であり、そこで受賞しながら、同じく公権力である日本政府からの祝福を拒否するとは矛盾してる、国民の税金である文化庁の助成金を即刻返せ、勘違いめ、と言っているのには、あっはっは、然り、と笑ってしまった。

まぁ、その他、勘違いの政治家、スポーツ選手、テレビ局、マスコミ、芸能人、コメンテーターと、出るわ出るわ。読み進めながら、日頃ニュースを通して、ふ~ん、この人でもこんなことを言うんだねぇ、なんだかストンと胸に落ちないや、との自分の思いが重なる。

人を批判のまな板に乗せるには、自分のことを棚に乗せないとできないことなので、不出来なわたしはあまりしないが、読んで可笑しいと言おうか、ふむふむと納得すると言おうか。こんだけバッサバッサと人を批判できたら愉快やろうな、とは思った。

勘違い人間について書き始めると、次から次と対象者が出てきた、という最後の談には、今の日本人をして「なんだかなぁ」と思うことが多いわたしは、さもありなん、と同意状態である。石川五右衛門の「浜の真砂はつきるとも、世に盗人の種はつきまじ」なんて書いてるが、まさに、「世に勘違いの種はつきまじ」であろうか。

最後に著者・北岡敏明氏は平成30年8月に行方不明の2歳の幼児を発見した大分県の尾畑春夫さんを取り上げ、勘違いのまったく逆の人と取り上げて賛美している。

まぁ、人の悪口は蜜の味、というけど、癪だと思うことが多い人には笑えて読めるかも知らない。

ではみなさま、また。
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2019年1月16日
 
聞けば、わたしの帰国中のクリスマスからずっとポルトは暖かくていい天気が続いたらしい。それが今日から雨天だとの予報を耳にしたもので、昨日の午後は、午前中の仕事の後で少しかったるかったものの、今年初のポルト散策をしてきました。

まずは、Rua das Flores(花通り)の現在ホテルに改築中とされるかつてのマイア一族の古い家を見に。
どのくらい工事が進んでいるのかというのと、果たして家紋(Brasão)がちゃんと残されているかの確認です。

ポルト

↑こちらがかつてのマイア一族の屋敷。下は昨日の撮影です。
ポルト

屋敷の両端に見られるシンボル「聖カタリナの車輪」は確認できたものの、家紋は一箇所にはあるが、他は取り去ったんかな?う~む、かつての屋敷の存在を知る者としては残念です。

下の写真はRua das Floresを横に入ったRua de Ferrazからの切り取り景色。向こうに見えるのはSé do Porto(=ポルト大聖堂) 左の建物も赤くペインティングされて。 
ポルト

この通りをダウンタウンに向けて歩くと行き当たるRua do Arquiteto Nasoniの側にあるアズレージュの可愛いレストラン。入ったことはないので味については分からず。

ポルト

Casa das Maiasについては下記にて案内していますので、興味のある方はどぞ。

 「カーザ・ドス・マイアス
聖カタリナの車輪

予報どおり、今朝は小雨のポルトからです。では、みなさま、また。

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2019年1月15日  

「世の中にはすぐ分かるものと、すぐ分からないものの二種類がある」とは、せんだって拙ブログにあげた映画「日日是好日 」で主人公をして言わしめている言葉です。

これもその一つかも知れないなと思い、メモして置くことにしました。

忙しい忙しいと口にしながらも、時に、ゆったりした時間をもてあますこともあります。そんな時、ふとポートワインなど傾けてみたいと思ったりするのです。小さなポルトワイングラスに一杯だけ。これで十分なのです。

午後の明るい日差しが引きはじめ夕方にさしかかろうかとかという時間帯に、ポルト・ワインを傾けながら、思い出に浸ることの、なんと贅沢なことでしょう。周りに小さな子供がいたり、忙しい生活に追われたりしていたとしたら、とてもとても、こんな贅沢は味わえないでしょう。それら生活の一部が、一通り終わった頃、と言えば、子育てもとりあえず一段落し、子どもたちもなんとか落ち着く形をなしたころ、つまり、今の自分の年齢と環境でできる小さな贅沢かな?

ポルト・ワインを傾けるということは、大人の男や女が、己しか読むことのできない物語のページを手繰って、過去の浪漫を懐かしむことなのではないのかしら。

古いイギリス映画でよく見かけるのだが、主人公である年配の貴族が、クリスタルのデカンタからゆったりと赤いポルト・ワインをグラスに注ぎ、薄暗いリビングでアームチェアに腰掛ける。そのまろやかで豊潤な液体を傾けるのは、若い男性では、いかなハンサムでも似合わない。老齢でなければならない気がします。歳をとっても、こんな素敵な贅沢があるのです。

70歳くらいになって、もしも余裕があるならば、いずこかで、そんな風にポルト・ワインを自分の一冊の本を読むが如く、ゆったり味わえる贅沢ができたらいいな、と思っていましたが、気がつけばもうその歳になっているのでありました。
そして、そこにラフマニノフやドビッシー、ショパンがあれば、幸せだなぁ、と。ポルトワインにロック、ポップや演歌は似合わないと思われ。

12月からこの方ずっと忙しくして来て、今日思ったことでした。

と、こう綴りながら、年頭の抱負よろしく「歩け歩け」と、自らをせわしなく追い立てて、実はただ今から久しぶりにポルトの街に出てくるわたしであります。

ではみなさま、また。
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2019年1月14日
 
恒例のポルト日本人会新年会が先週土曜日、Boavista区域のHotel da Musicaで行われました。

その日は、今年初の日本語授業があり、午後1時半からはわたしの旧職場である補習校で漢字検定試験も行われました。受験者に我が日本語教室の生徒もいたので、2時間目の授業を少し早めに終えて、受験会場である補習校へ応援に駆けつけました。
その後、帰宅したのですが、朝5時には起床していたので、わたしにとり、これはちょっとハード。いかんぞと、夕方からの新年会出席に備えて仮眠をとり出かけて来ました。

この日本人会新年会、以前は忘年会の行事だったのだが、今年でいったい何回目になるのだろうかと、頭をめぐらして見ましたら、補習校開校の1年ほど前から始まったとして数えると、33、4回目になります。

わたしたち夫婦は一度の欠席を除いてずっと出席してきたのですが、今回切に感じたことは、「知ってる顔が少なくなったなぁ」です。まぁ、9年ほども前に補習校を離れて以来、当地に住む日本の方たちと接する機会も減り、うっかりすると1、2月も日本人と話していないなんてことに気付いたりしますし、企業関係者は数年の割で入れ違いますし、一般人も若い人達が入ってくる昨今、最長期在住者のわたしです、当然といえば当然なのですがね。

今回はポルトに長く住んでいる人達の出席も少なく、寂しいかったなぁ。来年は、「来ない?」と声がけしようかと思ったのであります。

さて、本日は、新年会会場となったHotel da Musicaの案内です。

現在Hotel da Musicaが立つ場所は、2013年まで、ダウンタウンのBolhão(ボリャォン)市場に継ぐ生鮮市場として、1952年来、オフィス街で市民に利用されてきた市営のMercad ・Bom Sucesso(メルカード・ボンスセッソ)でした。

老朽化に伴い、大胆に改築されて、地階は軽食グルメスポットに、そして上階はホテルとしてオープンしました。グルメスポットには、ペティスコと呼ばれるオードブルカウンターのほか、チーズ、生ハムの専門店、ポルトガルワインがグラスでたのしめるワインカウンター等、多くの小さな店舗が並んでいます。週末の夜ともなると、フロアには生バンドが入り、ワインを傾けながら歌を楽しむ人で賑わいます。

HoteldaMusica
ホテル内部から撮影。

さて、Hotel da Musicaですが、85室の客室を持つ4つ星ホテル。その名の通りホテルは、赤と白を基調にし、ロビーから客室まで楽譜や音符の音楽をモチーフにしたアイテムが溢れています。

contrabas.jpg
グルメスポット側からのホテル入り口。白の空間に一対の真紅のコントラバスが人目を惹く。

HoteldaMusica
下は正面入り口。ロビーへの階段絨毯にも音符が。

HoteldaMusica
客室にはモーツアルトの楽譜が施されて。画像はWikiより

hotel da musica Porto
こちらはレセプションのコーナー、パヴァロッティ・バー。

ボサノバを創り出したアントニオ・ジョビンの部屋もあり、彼の名曲「Aguas de Março(三月の水)」の楽譜も廊下の壁に見られます。

HoteldaMusica

歌詞にちょいと目を通してみる。

♪São as águas de março fechando o verao,  
 É a promessa de vida no teu coracao     

1行目を「三月の水、夏を閉じ」と勝手翻訳し、三月の水がなんで夏を閉じるんだ? 夏を閉じたら秋ではないか、・・・と思ったのですが、ハッと気づきました。南半球にあるブラジルの3月は北半球とは季節が反対で秋に入るのでありました。

下は歌をYoutubeから拾ってみました。ボサノバは耳に心地良い響きがあります。



では、また明日。

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2019年1月13日 

帰国の往復時の機内で、かつてはよく映画を見て時間をつぶしたものだが、それが自分にとってかなりの疲労の元になるのではないかと思い始め、近年では往復で2本、時にはまったく見ないこともある。

が、今回見た映画「日日是好日」は、ドキドキするエキサイティングな場面やクライマックス等はないが、自然の姿を汲み取るような茶道の仕草一つ一つが心に染みこんだ佳作だった。

nichinichi1.jpg
Wikiより

樹木希林が演ずる茶道教室の武田先生もとへ、通い始め指導を受ける主人公とその周囲の人達を簡素に描いた作品だが、教える時にふっと笑いが湧く武田先生がとてもいい。

映画を見ながら、わたしは主人公と同じような体験をしたことがあるので、今日はそれを綴った過去記事に少し手を加えて上げてみたい。5年ほど前の話である。以下。

2014年6月17日 

車の音なく、周囲から聞こえてくる音と言えば一日中鳴く鳥の声だ。
都会の喧騒を離れたこの環境こそ物作りに専心するにはもってこいであろう。肩の痛みに耐えながら黙々と木に語るかのように彫り込んでいる木彫家、堺美地子の姿が想像できる。

もう30年近くも彫刻刀を握ってないよ、とビビるわたしに、「Sodeさん、70過ぎたらまた始めようなんて言ってないで今から一緒にホリホリ(彫り彫り)しよう」と、3日間の滞在中の一日は工房の一室で友の指導を受けた。

かつらぎ山房
手前がわたしが作業していた木彫り台。先生が我が彫りの手直しをしております。彼女が木を彫る音はサクサク、サクサクと耳によく、わたしが彫る音はガリガリ、ガリガリ。トホホホ。そうして出来上がったのが下の作品だ。

木彫り
表                       

木彫り


厚かましくいっちょまえにサインまで入れてる(笑 )。実を言えば、花の周りのポチポチ彫りは、別の図案を描き始めたものの、幾何学模様が細かくて寸法がうまく合わず、それを諦め上の花にしたのところ、板にしっかりとコンパスを立てた跡が残ってしまったのである。それで、やにわにポチポチを彫り込んで誤魔化したというわけである。かれこれ37、8年前の大阪時代に、こうして友と二人しておしゃべりしながら「彫り彫り」したものだ。友は根来塗りを作品に施すのだが、わたしは塗り薬にアレルギーがあるのと、時間が足りないのとで、そのままポルトに持って帰ってきた。

彫刻刀、塗り用の材料、切り抜いた板などを持ち込んで、ポルトガルで独り黙々と彫った時期があった。木彫りも編み物もそうだったが、この町に日本人がいなかった当時、その作業時間はわたしにとって自分の時間を彫り込み、編みこむ思考時間でもあった。

息子が生まれて歩き始めた頃に、刃物を使うというので万が一の事故を考えて一旦木彫りは止めた。90年代に再び彫り始めたが、子供達の日本語教育、補習校の仕事で忙しくなり、彫刻材料もホコリをかぶったまま現在にいたっている。

木彫りは生半可の時間ではできないのである。そのためには何とか今の自分の生活時間を改善する必要があるなと、目下思案中ではあるが、今日まで良い案は出てこない。

和歌山を後にするという日の朝、着物を着る時間はないので普段着のままで、と断りながら、友はわたしにお茶のお点前を披露してくれた。

1978年の渡米前に、ほとんど家具類も処分された殺風景な小さなアパートの部屋で、しかも正座が苦手なわたしのために、テーブルの上ででもいいのです、と、友がはしょってお茶のいただき方を教えてくれたことがある。

友がたててくれた薄茶を「3回で飲み干し、3回目にはズズッとお茶をすする音をたてます」との言葉に、「え~、いやだわん。それって欧米では悪いマナーになるじゃない」と、映画のシーン同様、わたしも躊躇したのであった。

みちべぇは表千家の先生であり、かつらぎ山房では、木彫、根来塗りの教室と併せて、月に2度、茶道教室も開かれる。

ocha-3.jpg かつらぎ山房
炭火をおこし、抹茶をこす作業から。正座ができないわたしには正座イスを用意してくてれいた。

かつらぎ山房
水屋から↑

「なんでそうするの?どんな意味があるの?」と各動作に逐一うるさく質問するわたしに、「なんでが始まった始まった」と笑いながら丁寧に答えてくれた。

かつらぎ山房

映画の中の主人公同様である。みちべぇは、理屈っぽいわたしに答えてくれたが、映画の武田先生は、「お茶はまず形なのよ。始めに形を作っておいて後から心が入るものなの」と言っている。

畳の縁を踏まないこと、手にする扇子の置き方など等、映画を見ながら、友がわたしのためにしてくれたお点前の場面そのままをわたしは思い起こしていた。
始めは薄茶、そしてもう一度、今度は「袖さん、濃茶もいただこう」と言う。
薄茶濃茶があることも知らなかったわたしであった。そして、水屋へ案内してくれ、抹茶椀は季節に合わて使われ、夏は、涼しげに見える口が大きく開いた「平茶碗」を、冬はお茶が冷めないように、 口が狭くて深い「筒茶碗」を使うということも、この時知った。

わたしが、ポルトで日本文化展示用に持っている茶碗が平茶碗だと知った友は、ふたつの筒茶碗を選んでわたしに持たせてくれたのだが、これらのことは映画「日日是好日」の中で見られた場面でもあった。

別れ際の一服のお茶は、本当に嬉しかった。

かつらぎ山房

今回の帰国では、「今度はずっと所沢にいる。東京まで出てくるぅ?」とのわたしの冗談にのって、本当にやってきた彼女との再会はhttp://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-2078.htmlに書いてある。

性格も年齢も、それぞれが歩む道も大いに違うわたしたちだが、何年会わずとも、ずっと昔のままの気持ちで話せるみちべぇ、あなたは人生の真の友です。 また会う日まで。ごきげんよう。


Youtubeより

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2019年1月9日
 
わたしはスリッパを履くのが好きではないタイプです。根がそそっかしいもので、つまずいて転ぶのではないかと、どうもそんな気がしてならないのです。それで、スリッパをどうぞとすすめられても断るのが常です。
では、自宅ではどうしてるのかと言うと、夏は素足です。寒くなると、足に心地よくて外で履き古し、まだ履けるという靴を洗って室内履きにしています。

それが、この冬、日本に帰国して、厚めの靴下を履いていても、ひゃ~、床が冷たいやん!と、思わず妹が出してくれたスリッパに手を出さないわけにはいきませんでした。

ポルトガルの冬は湿気があり日本の冬は乾燥気候であることを忘れたわけではないのですが、同じ気温でも、乾燥気候では空気が人一倍冷たく感じられるのですね。いやはや、40年ぶりの冬の帰国はわたしに浦島太郎の如ごとき思いを抱かせるに十分な年月ではありましょう。

下は妹宅の新年を迎えるためのささやかな松飾りですが、住宅街のご近所でこのように門松や松飾りをしている所はあまり見かけませんでした。

New year

妹一家もここに住んで40年近く。昔と違い、最近は近所で松飾りをする家もほとんどないのだとのこと。

今回、正月前に都内で会った友人Iさんが言うには、「ゆうさんが想像している昔の正月とは、ちょっと違うかもよ」との言葉に、なるほど、変わったんだなぁと思わずにおられませんでした。異国でわたしが夢見てきた正月は、子ども時代を過ごした弘前のそれであり、恐らく地方ではまだ昔ながらの正月が見られると思うのですが、果たしてどうでしょうか。

除夜の鐘は年越し蕎麦をいただいた後、家の玄関口へ出てかすかに聞くことができました。これもまた
想像外だったなぁ(笑) ご~~んご~~んとの響きを聞きながら床に入り、新年に思いを馳せる予定だったんだが^^;

高価なおせち料理だけではお腹が足りないので、妹宅では筑前煮を作りました。

New year

取り寄せた京都のおせちと妹が津軽塗りの二段重箱に装ったおせちとサーモン、シソの葉、イクラの簡単ちらし寿司。

New year

下はこれがなくては元旦が始まらぬ、お屠蘇でござる。

New year

これらだけでも、お正月の時期に帰国した甲斐があったというものです。

玄関の葉牡丹の寄せ植えが清清しい。
New year

心配していたほどの時差ぼけもなく、我が家の猫も外猫たちも元気で一安心。
明日は仕事始めです。
みなさまにとり、いい1年になりますよう、願っております。

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2019年1月4日

新年 明けましておめでとうございます。
今年も拙ブログにお付き合いくださいますよう よろしくお願いいたします。

朝、ベッドから起き上がると、きりっとした寒さを皮膚に感じる日本の冬。懐かしい感覚です。
昨日3日は、所沢にある新明社の神社に初詣して来ました。

妹夫婦と散歩がてら何度か訪れた時には、閑散としていた神社も、昨日は初詣の人でにぎわい、参拝の列ができていました。
甘酒、焼き芋の無料サービスがあり、寒い中、列に並んで参拝した後の甘酒は体を温めてくれます。車で来たことをうっかり忘れた義弟が甘酒に一口口をつけてしまい、「あ、いけない!運転するんだった!」(笑)

今年は年女のわたし、破魔矢を買ってみました。考えると、神社、お寺参りは帰国ごとにしているものの、わたしにとって初詣は初めてだということに気が付きました。大阪で一人暮らしをしていた時分、よく京都へ行きあちこちの社寺を訪れたものの、それはお参りではなく観光、散歩もどきで、いい加減なものでした。盆正月にも帰郷するでもなく、古くからの2大伝統行事をどこか拗ねた目で捉えていた若かった時代を少し恥入っています。

祖国を長年離れて、伝統文化を維持していくことの素晴らしさを認識するようになりました。もう一度、日本の正月を、という我が思いは、維持してきたことの日本人の稀有な思いを少し知ることができたからでしょうか。

明日は、再びポルトへ帰りますが、今年のわたしの目標は、「歩くぞ!働くぞ!」なんです
歩かなければ体力つかず、働かずんば帰国あたわず、であります。

では、みなさまにとってよい1年になりますよう!
次回はポルトから発信いたします!
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