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2019年6月27日

さても、ヨーロッパはまだ6月だと言うのに40度近くの熱波に襲われている中、ポルトガルはと言えば、通常はサン・ジュアン祭が終わると一挙に暑くなるはずなのに、涼しくて夏はいずこに?の感じです。

突如として予想もつかないような天候が多い近年ですが、来夏の東京オリンピック、大丈夫でしょうか。
やむを得ない場合は別ですが、わたしもできるものなら日本の蒸し暑い夏の帰国は遠慮したいと、ずっと避けてきました。今更と思いながらも、東京オリンピック、秋口の開催とはいかなかったのだろうかと思ってしまいます。日本語学習者の中には、オリンピックボランティアに行こうかと考えている人もいるわけで、気になるところではあります。

さて、今日はもう終わったと言うのに、実はまだブログにあげていなかった日中のサン・ジュアン祭りの様子を。本日は盛りだくさんの写真で案内です。写真の腕はいまいちですが、ご勘弁。

サン・ジュアン祭りはリベイラ、市庁舎通り、それにもう一所フォンタイーニャス(Fontainhas)が中心です。フィンタイーニャスはサン・ジュアン祭りの古里ですから、今でも昔ながらの雰囲気が残っています。

Quinta de Sao Roque

22日の土曜日はサン・ジュアン当日の23日に二箇所を回るのはきついと思われ、夫と二人で昼食後フォンタイーニャスを歩いてきました。フォンタイーニャスは翌日の準備たけなわ。

サン・ジュアン祭り欠かせないAlho pôrros(野生のにんにく)を売っているおばあさん。

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Fontainhasの祭りは、Infante橋のたもとで催されます。23日の前夜祭とサンジュアン祭り当日にあたる24日も人出でにぎわいます。アミューズメント、わたアメ、ポプコーン、いわしを食べさせてくれる出店などで一帯はごった返しになります。

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matraquilhos(マトラキーリュス)と呼ばれる祭りには必ず出るサッカーをもじったゲーム。二人ずつ二組みに分かれ人形のついたバーを回して小さなボールを打ちゴールに入れます。

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Fontainhasのカスカータ(Cascata)。カスカータは滝をことですが、この時期はサン・ジュアンの飾りつけを意味します。例えば、フォンタイーニャスのカスカータは毎年、昔からある泉に設置されます。

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聖ジュアンがキリストに洗礼を授けて いる場面です。
正式にはcascata sanjoanina(カスカーター・サンジョアニーナ)と呼びます。
                       
これまで見たカスカータで、わたしが一番素晴らしいと思ったのが、夫が勤めていたサン・ジュアン国立病院のカスカータです。毎年、病院の入り口奥に大きなテントが張られ、そこに展示されました。写真は拡大できますので、写真をクリックしてみてください

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聖ジュアンにつきものの川、滝が必ずつくられますが、病院のは真ん中に川が見られます。トップにはもちろん聖ジュアンの人形。ポルトに見られる有名な建物がたくさん置かれています。ポルトを旅行したことがある人は、幾つか分かるでしょうか。

聖人の向かって右側の建物はガイアの Serra do Pillar、左側は大寺院Sé, 下の段左はBolsa宮、
昔のポルト大学部、現在は博物館になっているライオン噴水広場、クレリゴス塔、三段目左がサン・ジュアン国立病院、右はリベイラにある古いカペラ。そこかしこに羊や伝統衣装を着けた人形が置かれています。

フォンタイーニャスに話はもどって、フォンタイーニャス地区には、「Ilha」(イーリャ=島)と呼ばれる昔からの長屋があります。
こちらもカスカータ。フォンタイーニャスのとあるカフェ内にて。
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↑通りがけに見つけたその一つ、「Ilha 」 この奥に何軒も連なって住んでいる。「中のカスカータ自由に見てください」と掲示していたので、入って見ました。長屋の人たちで作ったのだそうだ。話し好きなポルトガル人はすぐに寄ってきて、聞かれもしないのに説明をしてくれます。犬まで寄ってきて。(上の写真は数年前訪れたときのもの)

下が今年のもの。
  
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長屋通りも飾りつけてあります。
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長屋の人達の手で作られたカスカータ。フォンタイーニャスではカスカータのコンクールがあるのだそうです。

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ドウロ川のこんな崖っぷちでもサン・ジュアン祭の飾りが。 これもクリックで拡大できます。 

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昼下がりのフォンタイーニャスの路地を二人で歩いたら、古い家の窓辺に半身出したおばさんが、フランス語で話しかけてきました。で、夫もフランス語で受け答え。わたしはまったく分かりません(笑)
聞くと、「祭りはもっと下のほうだよ」と教えてくらたのだそうだ。フランス人とまちがったのだろう、せっかくだから、フランス語で答えた、ですって(笑)  わたしたち地元の人間なのにね。

こちらはいわしの炭焼き。あちこちでもう始まってます。たっぷり煙を浴びて参りました


そして、面白い遭遇がありました。
路地を下りて、祭りの場所になるであろう川沿いの道で、石に腰掛けた若者から「Boa Tarde」と、親しみをこめた挨拶を受けました。え~っと・・・といぶかしがっていると、夫「お!J君じゃないか!」

そうです、息子のBiritish School時代のクラスメートでした。いやはや、わたしは息子の卒業以来、顔が識別できる彼の友人は3、4人くらいで、気がつかなくて面目ない。

しばらく立ち話をし、夫とJ君のツーショットをデジカメに納め、その日のうちの息子に「J君に偶然会ったよ!」と写真を送った次第。
今風のサンジュアン祭りもそれなりに楽しいけれど、昔ながらの祭りの風景は郷愁を誘い、なかなかい味わいがあるものです。

下記では夜のFontainhasの祭りがあります。興味あらばどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1597.html

さてと、祭りも終わったところで、日本語教室の生徒たちも、7月7日に控えたJLPT(日本語能力試験)にじっくり取り組めるかな?

では、みなさな、本日はこれにて。

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2019年6月26日 

いい歳して、お主も好きよのぉ、と、時代劇の悪代官さまのセリフが聞こえそうな(笑)
はい、サンジュアン前夜祭、夫と出かけて参りました。毎年の事ながら、なにしろ、近所の鰯を焼く煙が入ってきて、家中の窓という窓を閉め切っても篭る匂いには溜まりません。これなら、いっそのこと、街へ出たほうがよか!と相成ります。

ダウンタウンに行く前に、行きつけの近くのレストランに予約を入れ、夫の兄にも声をかけて3人で鰯を食べに。例年だと、祭りが近づく毎に釣り上がる値段がニュースになるのですが、今年は鰯の大漁とかで、市民がげ!と思うような値段にはならなかったようです。

それでも、レストランで一本(一度水揚げされた細長い魚は、一本と数えるですよ!と、これは我がモイケル娘に。笑)2.50ユーロ、日本円で300円ちょっと。とは言え、給料が日本とは比べられないポルトガル、やはりり高いです。

が、レストランのウエイター、ヌノ君によると、私たちが行って間もなく鰯は早々に終わってしまったとかで、後から来た客たちの顔の不機嫌そうだったこと!高かろうが、この日に鰯を食べずしてなんとする!ってことでしょう。
さて、下の写真はサン・ベント駅の前。画像が小さいので見にくいでしょうが、駅前も大寺院ことSéに続く向こうの通りも人人人。

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昨年のこの時期は乾燥度がひどく山火事があちこちで心配され、2年間禁止された祭りの神器のひとつ、「熱風船(Balão de São João)」が今年は復活しました。

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打ち上げられて夜空をふわふわ飛んでいくバルーンはまるで星のようで、とてもきれいでした。

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写真は市庁舎通りのアリーアドス広場。

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市庁舎前にはおおがかりなステージが設置され、通りは大音響に包まれて歌う人踊る人、ビール片手に歩き飲みする人と、街中が祭りです。

が、わたしは路地の方が面白い。
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一歩路地にはいると店が流すロックに併せて若い人達が狭いとおりで踊りに狂しています。
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ドウロ河岸リベイラに続く道は12時の花火を見ようとする人波で中に入る込む隙もなし。
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諦めてわたしたちはサン・ベント駅から、空高く打ち上げられた花火だけを見ました。
写真の赤い空は花火がひっきりなしに打ち上げられているからです。

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こうして今年のサン・ジュアン祭りも終わりました。高校の統一試験も終わり、間もなくポルトガルの学校は夏休みに入ります。
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2019年6月23日 

ジョアキンおじさんについての過去記事書き換えと写真を再掲します。

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元気だった頃のジョアキンおじさんと愛ロバのマリア・リタ嬢

あんなにたくさんいて、毎晩の餌時には二皿三皿運ぶこともあった野良猫たちが、気がつくといつの間にかかなり数が減っており、あれ?と思っていたこの頃。それもそのはず、数十匹という猫が、土地成金の小金持ちジョアキンおじさんの畑に住み着いていたのですが、その畑の真ん中を市道が通ったのでした。

市道と畑を仕切るのに、こんなに高くしなくたって・・と思われるほど高い石塀を建て、聞くところによると、塀の向こうは地面が道路よりずっと低地になっているのだそうな。

それはつまり、ドロボーが塀を乗り越えて入っても、内側から簡単には這い登れないようにしたのだとか。ジョアキンおじさん、これじゃ、猫もそう簡単に出入りできないでしょ・・・

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写真の家畜小屋には、ジョアキンおじさん、今時このあたりでは珍しくブタと鶏を飼っているのです。で、どうやら寒い時は猫たちもそこを宿にするようです。

小金持ちのジョアキンおじさんは、我がフラットの斜め向かいにカフェを持ち、そこを食堂代わりにして食事しているのですが、ちゃんとした大きな家を近所に2、3軒持っております。そのひとつがわたしたちの住む同じ通りの角っこ。写真で言うと家は写していませんが、右側の車が止まっているところであります。

さて、つい先ごろ、夜も11時を過ぎ、いつものように2、3匹になってしまった野良猫たちにご飯を運んでいきました。ねこたちは、ジョアキンおじさんの家の庭の中や家の塀越しの外で食べるのです。

その日はどういうわけか、呼んでも猫たちが現れない。畑からのそこで帰りがけ、ジョアキンおじさんの家の庭をちょいと覗いてみました。

ん?いつの間にか広かった庭が狭くなり、車庫と隣り合わせにアルミサッシとガラスを使った高い小屋のようなものができております。曇りガラスが使われており、「へぇ、なんでまたこんなのを?」と不思議に思い、目を凝らしてみると、ふむ・・中でなにかがたくさん動いているような気がしないでもない。

噂ではお金を出したがらないお方らしい。そんなジョアキンおじさんが、いくらなんでも野良猫たちのためにこんな小屋を自分の家の庭に造ったわけではあるまい。しかし、小屋の中で何かが動いているのは間違いない。

そこで、週に二回我が家に掃除をしに来てくれるベルミーラおばさんをひっ捕まえて聞いてみました。

「ドナ・ベルミーラ、ジョアキンおじさんの庭に新しくできたあの小屋の中、何か生き物が入っているようなのだけど、まさか猫たちじゃないわよね?」

ベルミーラおばさんは、実によくご近所のことを知っており、「ペドローソス新聞(ペドローソス=わたしたちが住む区域)」との異名をとっております(笑)

ベルミーラおばさん、その言葉を聞くや、待ってましたとばかりに手にしていた掃除機のホースを放り投げ、「オ・ドナ・ユーコ!」と言うことにゃ、

つい先だって、あの高いレンガ塀を乗り越えて、ジョアキンおじさんの畑からブタと鶏20羽を盗んだヤツがいたのだそうな。

わたし:  「あら、ブタは騒ぐでしょ?」
ベルミーラおばさん: 「それが ドナ・ユーコ。そのドロボー、ブタをその場で
             見事に始末して、持っていったのですよ。」

ベルミーラおばさん: 「それでね、セニョール・ジョアキン、すっかり怒って、
             自分の家の庭にあの小屋を造って畑からブタと鶏を
             移したんでやんス」

わたし: 「う、移したって・・・だって、あんなとこで飼ってたら畑と違い、匂いが
      ご近所迷惑ではないの?第一ブタはどうしたのよ?

メルミーラおばさん 「ブタはね、車庫なんざんス!」

えーー!車庫にブタってあぁた、聞いたことありませんぜ・・・車庫に入れる車を持たないからってジョアキンおじさん、なんぼなんでもそりゃないぜ。それに、町の家の庭でそういう家畜、飼えないと思うがなぁ、と言うと、ベルミーラおばさん、

「だから外から見えないように曇りガラスでゴマカシテルですよ。ドナ・ユーコ!」

ブタをその場で始末して盗んでいくドロボーもドロボーだけど、ジョアキンおじさんのドロボー対策もなんだかなぁ^^;
ひとつ所に長年住んでいると、中にはトラブルメーカーもいたりするのですが、することが突飛だとは言え、これと言って他に迷惑をかけるわけではないジョアキンおじさん、色々話題を振りまいてくれた元気だった頃が懐かしいです。時代の移り変わりを感じる今日この頃です。

では、みなさま、また明日。
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2019年6月22日 

元気だったご近所のジョアキンおじさんも、奥さんを亡くした2年前を境にすっかり歳をとった。それまでは、はすむかいにある畑で毎日働いており、しょっちゅう外で顔をあわせ挨拶を交わしていたのに、近頃はめったに見かけることがなくなった。歩くのが不自由なようで、杖をついてゆっくり道を渡っているのを時々見かける。

15年ほど前までは、毎朝ロバを連れて近くの商店街の食べ物やへ残飯をもらいに行くのが日課で、そも残飯は畑の猫たちや豚さん、ニワトリさんの餌になるであった。

相棒のロバが死に、朝の日課もなくなったが、その後は畑仕事に精出していたのだが、その頃から、猫の餌運びはわたしに勝手にバトンタッチになったのだ。ジョアキンおじさんの残飯集めの日課がなくなった時点で、おじさんがお金を出してまでは猫の餌やりはしないであろうと推測していたので、元来が犬猫好きなわたし、畑に住む野良猫たちの餌を用意するのに異存はなかった。

そうして、始まった毎晩の餌運びは、かれこれ15年ほどになろうか。しばらく旅行で留守をするとか、日本に帰国するときなどは、おそうじのおばさんにお金を払い、餌運びを依頼する。

一時期20匹ほどもいたジョアキンおじさんの畑は、この辺りの野良猫コロニー(野良ネコたちが住み着く場所)でも大きかった。それで、ボランティアが来ては猫を捕らえて、避妊手術を施してはまた畑に返したのだが、そんな訳で、この15年ほどで、ジョアキンおじさんの畑に住むねこは、現在2匹になってしまった。

わたしが毎晩エサを運ぶ猫の数は長い付き合いになるその二匹、黒猫と赤トラ、それに、ジョアキンおじさんの自宅の庭にやってくる3匹の猫たち。時に他の野良ちゃんたちも加わって4匹、5匹になったりする。

というので、家の4匹猫に加えて外猫5匹の計9匹、それぞれ一匹ずつに用意する晩御飯は、ちょっとした光景である。

さて、前書きが長くなってしまったが、実はこれに加えて、数年前から、海岸からかなり離れたこの区域に数羽のかもめがよくやって来るようになった。餌が少なくなったのだろう、残飯をつっついて散らばす光景も見かけたりするのだが、わたしは、餌にありつける分いいではないか、後は人間が清掃すればすむこと、「かもめも食わねばなるまい」と考える性質である。

そして気付いたのは、わたしが猫の餌を持っていく時間と猫を呼ぶわたしの合図をどうやらカモメは知っているようだ、ということだ。つまり、その時間帯に待ちかまえていて、わたしの姿を見るとクワァクワァと騒ぐ。

猫の食べ残しをつっつく分にはいいとして、カモメと言うのは食べ物がないと意外と残酷なことをするものである。わたしは猫を襲うカモメを昔見たことがあり、真っ青な海の空を羽を広げて飄として飛ぶ白いカモメの美しさしか知らなかったので、ひどく驚いたものだ。

それで、晩御飯の時間が遅くなるんだがなぁ、と内心思いつつ、猫が食べ終わるのを待っていたりする。畑の石塀の上に止まり、カモメたちは、まだ終わらんか、はよせぇ~とでも言わんばかりに猫たちが食べているのを見ている。

で、中に待ちきれないのが一匹いて、道路に飛び降り、餌など落ちてる訳もないのにこちらを振り向きながら拾って食べてる振りをするので、おかしいったらありゃしない(笑)

それが昨日のこと、思わずわたしが大笑いして、夫に話さずにはいられなかったハプニングがあったのだ。

件のカモメ、昨日も道路に飛び降り、猫たちが食べている間、エサを拾って食べてる振りをしながら、少しずつ猫の方に近づいて来ようとするので、「まだダメ!待ちなさい。」と言うと、わたしと目を合わさず、首を横に向けて遠ざかり始めた瞬間、側にあった街頭ポールにゴツンと頭をぶつけたではないか!

あっははは!声を出して笑ったわたしでありました。カモメにもわたしのようなおっちょこちょいがおるんやなぁ、と、ひどくそのカモメに親近感を抱いた次第。

車で日本語レッスンに出かける時など、時に上空でクワックワと鳴くカモメを見ると、まさか、あのカモメ?との思いが頭をよぎるが、いや、ほんま、まさかそれはないぜ!ではあります。


我が家の4匹のうちの3匹の写真で終わります。猫草を食べにベランダへでたのが、締め出された~、と言っております(笑)
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ジョアキンおじさんの話、もう少し続けたいと思います。
では、また明日!

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2019年6月20日 

18世紀にイタリアのトスカーナ地方からやって来、ポルトでその生涯を終えた建築家ニコラウ・ナゾニは、多くのバロック様式建築をポルトに残しました。

中でも傑作とされるのがドウロ河岸の「フレイシュ宮殿(Palacio do Freixo)」です。長い間、放置され老朽化した宮殿がポルトガル細大のホテルチェーン、ぺスターナグループによって修繕され、贅沢な宿泊施設としてオープンしたのは2009年のことです。

フレイシュ外5

現在は、レセプション、ラウンジ、レストラン、それに隣接するピンク色の製粉工場だったのを87室の豪華客室にリニューアルして、最高級歴史ポザーダになっています。
「ポザーダ(Poousada)」は、ポルトガル人であれば誰もが一度は泊まってみたいと願う古城や宮殿を改築した高級泊施設のことです。

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赤、青、金の寓意的な色彩を持つ幻想的なエントランスは、訪問者を18世紀の小宮殿に導いてくれます。そこをくぐると、かつては晩餐会が開かれたという豪華なロビー「鏡の間」に入ります。

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ここでの晩餐会に参加したことがあります。


画家でもあったナゾニの緻密で色彩溢れる天井画や壁画が宮殿内のあちこちにみられ、ポザーダそのものが美術館であると言えます。

別館客室のほか、フィットネスクラブ、スパがあり、ドウロ川に融合するように設計された野外プールがあるのも特徴です。フレイス宮殿ポザーダでは、モダニズムと歴史遺跡を同時に楽しむことができます。

宿泊せずとも、ちょっと高いですが、ラウンジでお茶をすることもできます。
フレイシュ内4

今日の記事は過去記事の書き換えです。

フレイシュ宮殿関連記事は下記にもあります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-881.html フレイシュ宮殿再び3
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-876.htmlフレイシュ宮殿再び
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2019年6月19日 

年に一度の帰国では買って持ち込みきれないのが書物です。
本はわたしの生活から離せないものの一つで、高校3年間は図書館通いをして、英語、国語、音楽の科目を除いてはろくすっぽ勉強もせず、ひたすら外国文学を読み漁った時代でした。

その頃のことは、下記「わたしの蛍雪時代」に綴ってあります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1495.html

わたしの好きな読書ジャンルはと言えば、ジャズ、シャンソン、ポップ、クラシック、流行歌、愛唱歌と、一帯どれが好きやねん?と思われる音楽同様、しっちゃかめっちゃかです。

推理探偵物を読んだかと思えば時代物、かと思えば宇宙考古学、謎追求の秘儀、ダヴィンチまがいの本、歴史本、政治関係の本と、言ってみれば乱読でしょうか。ひとつの本に興味を持つと、しばらくはそのジャンルに没頭してしまいます。本は我が人生の師であるとも言えるような気がします。

さほどの好きな本、評判になるものは読んでみたいと思うのですが、こればかりは先買いができません。そこで、帰国まで待てない、もう読む本があれへんやん、という時は、我がモイケル娘にアマゾンで買って送って~、ということになります。

現在わたしが読み終えつつあるのは「永遠のゼロ」「海賊と呼ばれた男」に続く百田尚樹氏の「日本国紀」。日本古代から平成までの歴史を要点を捉えて分かりやすく書いてあるのですが、この本の面白い点は500ページのうち半分のページが日本の現代史に割かれている点です。特に日本の学校の教科書では知らされないGHQ時代の章は、目からうろこが落ちる思いです。

興味が惹かれる本のみならず、日本語を教えていますので、その関係も帰国の度に書店で手に取り、参考になると思われるものは持ってきます。いい評判の教本をネットで目にしたときなどもモイケル娘に依頼します。

さて、そんなわけで、日本のとある日本語教師が薦めていた中級用のテキストを頼みました。送ったよ~、ちょっだけ食べ物も入れた、と娘がメッセで言ってきたのが、5月9日。

日本から送る際には箱を使うな、必ずクッション封筒で送るべしと、日頃からいってあります。なんとなれば、箱で日本から入ると、リスボンの税関に回される可能性が強いからです。手続きが色々七面倒で、嫌になるのであります。

ところが、待てど暮らせど届きません。二週間たったところで、そろそろわたしのブツブツが始まります。
相手は他ならぬ同居人の夫です。こうなると、長年のポルトガル暮らしでたいがいのことは、まぁいっか!で流せるようになったわたしもさすが眉間にシワ。

ブツブツも頂点に達した3週間過ぎた頃、郵便が来て「ネットサイトのここにアクセスし、必要事項を書き込め」とあります。見ると、「荷物の中身、値段、送り主の住所と名前」

って、おいおい。封筒に書いてあるだろうが!それに、荷物の中身と値段って、こちらが頼んだものだから今回は書き込めるけど、贈り物なら受取人は分からないじゃないの。どうなってんだ、この国!と久しぶりに頭髪逆立ち。

ふと友人のI氏がしばらく前に言っていたことを思い出しました。
「日本の友だちが気を利かして、レトルトの見本を送ってくれたのだが、税金がかけられどうしても欲しいものでもないから、受け取らずに送り返してもらった」

してみたら、先日、日本語の生徒さんも、日本から知人がお茶を贈ってくれたのだけど、50ユーロの関税をとられた、と言っていたのでした。

最近、なんだかんだととにかく国民からお金をふんだくってくれるわね!と、この静かな怒り、我が家だけでは収まらず、つい、ポルトガル語のDias先生にぶちまけてしまいました。

先生曰く、少しでも関税をかけてとろうと言うのもあるが、実はポルトガルはドラッグ密輸が頻繁に行われている国の一つで、EUから厳重に取り締まれと厳命されているのだそうです。どのくらい厳しいかと言うと、国内に入って後、どの職員が担当してどのように扱われたか、経路が全て分かるようにされていて、見つかった場合、処分されるのだとか。

今まででしたら、適当にそれが行われても責任の所在をうやむやにできたものの、今はそうは行きません。それで、特に海外からの郵便物の多くはリスボンに入って税関に廻されるようです。

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税関サイトにアクセスし 書き込んだ後、更に3週間ほど、やっと手元に届けられました。船便と変わらないジャン!と憤懣やる方ないわたし、顔なじみの配達夫さんについつい、「これ、航空便なのに6週間もかかったのよ」と漏らしたら、おじさん、日付を見て、「えーー、ホンマや!」 ポルトガル人もびっくり(笑)

もう気軽に、送って~とは頼めなくなりました。食料と本の補足で、これじゃ、日本に年2回は帰らなきゃいかんじゃないの。ねぇ、ダンナさま?というオチでございます。
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2019年6月17日 

ポルト市と長崎市の姉妹都市提携締結が1978年と聞くから、ちょうどわたしがポルトに来た少し前ということになる。当時のポルト市長はVeroso氏であった。

ポルトに住む日本人が皆無だったことから、以来、長崎市との交流の場にはよく声がかかり、夫とともに関わったものだ。
Veloso氏は、ポルトガルでは名の知られたロック、ブルース歌手Rui Velosoのお父上であり、ご自身も、コインブラ大学時代には、学生ファドを歌っていたという。

ある時、ご主人が商務官として6年ほど東京に滞在していたというポルトガル人の友だちから連絡があり、市長に日本語の歌を教えて欲しい、と言う。そこで、彼女の自宅でお会いしたのが、くったくのないVeloso氏であった。

ポルトの一行が長崎を訪問するので、そのとき、サプライズとしてギターで日本の歌を歌いたい、発音を指導してくれ、というのだ。曲目は市長ご自身が既に選んであった、さだまさしの「無縁坂」だった。

♪母がまだ若い頃 ぼくの手をひいて
  この坂をのぶるたび いつもため息ついた

Veloso氏はギターをもってきていた。

どういういきさつで「無縁坂」を選んだのか、わたしは聞きそびれてしまったが、思えばコインブラの学生ファドには母を思う歌もあるので、分からないわけではない。それに、さだまさしは長崎市出身だということもあろう。

市長を退いた後も、長崎市との交流にはよくおいでになっていた。2009年、姉妹都市締結30周年記念の際には、長崎市民訪問団の市内案内役割をポルトから依頼され、初めて観光案内とやらをしたりもしたのだが、その夜の歓迎会では、Veloso氏もおいでになり、ギターを持ち出して「無縁坂」を一緒に歌おうと、ひっぱりだされてしまったものだ。

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その時は、訪問団と同行なさっていた田上市長も飛び入りで、3人、合唱と相成った次第だ。

昨年10月の姉妹都市締結40周年記念と称して、ポルト市庁舎で「広島長崎原爆展」が催され、会場で田上市長に再会した折、Veloso氏は来ませんか?と訪ねたところ、「ご老体で行事には参加できませんが、午前中にご自宅を訪問してお会いしました」とのことだった。

田上市長とは、50周年にまた再会しましょうとお別れしたのですが、10年先の話でわたしは81歳ですってば!と笑っていたのだが。

6月12日、夫が「おい、Veloso氏が亡くなられたとニュースで言ってるぞ」と言う。長崎ポルト姉妹都市締結から40年、わたしも氏にお会いして40年、ポルトに住んで40年。氏の歌の発音指導をしてくれとの話をもってきた友人エディットさんとは、今も付き合いが続き、時々ランチをしているが、彼女との付き合いも40年来だ。

時に冗談で、ご子息の歌手Rui VelosoのLPを持ってるからサインをお願いしに、Veloso氏に会いに行こうかなどと夫と話していながら、結局行かずじまいだった。

何かの事始めが40年経るということは、一区切りになるということなのだろうな、と思うこの頃だ。
「無縁坂」はVeloso氏を送る歌として寂しいので、ご子息、歌手のポルトの憂愁を余すところなくうたっている「Porto Sentido」で、氏にお別れします。わたしも大好きな歌です。


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2019年6月13日 

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ポルトと隣接するガイア市から車でちょっと走ることになるミラマールの海岸の海に突き出た岩の上に建つセニョール・ダ・ぺドラ礼拝堂(Capela do Senhor da Pedra=があります。

Pedraは「岩」を意味し、Senhorは、英語のLord(神)またはイエス・キリストを指します。17世紀に建てられたのですが、この岩場には古くから伝説があります。

紀元前までは自然主義の古代信仰の神聖な場として崇められてきたと言われます。また、ポルトの歴史に詳しいHelder Pacheco氏の著書によると、この辺りにグルピリャーレ(Gulpilhares)この近辺の名称)の人々が住み始めた時、空から海岸に向けて小さな光が当てられてきた。その光は毎夜ひとつの場所、牛の足跡がついている岩を煌々と照らし続けた。人々はそれを天からのサインと考え、その光の当てられた場所に礼拝堂を建てた、とのこと。

このような伝説があることから、今でもセニョール・ダ・ぺドラ礼拝堂は巡礼者の訪れる地となっています。一説には「毎年5月に魔女たちが集う場」との噂もあります。

ミラマールは6月も半ばを過ぎると、海水浴客がたくさんやってくるところですが。礼拝堂の裏側に回るとすぐ目の前に波が押し寄せ、岩場を洗って行きます。  

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そこで、今日はちょっとダヴィンチ・コードまがいになります。

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礼拝堂正面の扉の両脇にはアズレージュ(青タイル絵)で、「礼拝堂が建っている場所はこの郷土では最古の聖地で、キリスト教時代以前は異教の祭壇があった。」とあります。

木の扉に薄っすらと左右に彫られてある模様に目がいきました。
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真ん中のハートを中心に、縦長のクロス、ハンマー、雲?、コンパスをもじったもの、周りはアカシアの葉かな?これらはいずれも神秘思想、フリーメーソンなどのシンボルでもあります。

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↑こちらは、トップに太陽、縦長クロス、ハンマー(フリーメーソンのシンボル)、そして中央、太陽の下にあるのは、わたしには「杯」のように見えるのだが・・・サングラール(聖杯)を意味するかな? 

ついでに借り物画像、メーソンシンボルの一部。
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さて、小さな礼拝堂内では、お!「全てを見通す叡智の目」こと、All Seeing Eyeはすぐ目につきました。祭壇のトップに。

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目の拡大図。どうだ!(笑)
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三角ピラミッドの中のAll-Seeing-Eyeeです。

夕映えの海と空を背景にするこの礼拝堂は不思議な美しさをかもし出すようで写真を撮る人も多いらしく、この祭壇の写真もネット内で見かけるのが、十字架のイエスが中心の写真で、上部が入っておらず、だれもこの「目」に言及していない。かつてのわたし同様、「見えても見ない」のか、それともそんな探究心は持ちあわせていないのか。

わたしなら、「果たしてあれは何の意味?」と、すぐさま飛びつくのですが(笑)
例えば、下の大理石テーブルのように^^

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祭壇の前の美しい大理石台ですが、ついてる脚の位置があれれ?普通と変わっています。
それで気がついたのは、見る方向によって脚が三本に見える!三本の柱、三本脚は神秘思想のシンボルです。
    
(参照)下はわたしが過去に何度か訪れたトマールの「聖堂騎士団(=テンプル騎士団)修道院聖堂内の騎士団入団の洗礼時に使用されたと思われる聖堂中央に配置された三脚に見える台。

トマールキリスト騎士団修道院

テンプル・キリスト騎士団聖堂は、この数年かなり修復が進んできましたが、どういう訳か、聖堂の中心に置かれていた三脚のテーブルが取り払われたままになっています。修繕中だからと、長い間、思ってきたのですが、聖堂中心の修繕はほぼ終わったはずです。いずれ、この石の三脚台が再び置かれるのを楽しみにしているのですが。

と言うので、「セニョール・ダ・ペドラ礼拝堂もまた、キリスト教の建物に異教のメッセージが隠された建物である」が、わたしの結論ではあります。  

フリーメーソンと聞けば、秘密結社という名称と、これまで出版された多くの興味本位中心の創作本から一般的に受ける印象は「陰謀を画するグループ」と、どうもなりがちですが、これまで調べてきたことから、わたしにはまったく違ったフリーメーソンの姿が浮かびあがってきます。いずれ、それを綴ってみたいと思っています。

この方面では、焦点が当たらないポルトガルですが、目を凝らすと意外や、驚くほどの隠されたシンボルが見られます。これらと照らし合わせて、今後膨大な資料を整理しながら、時間をかけてわたしは道楽して行くことになるのですが(笑)

現代のフリーメーソンから、カトリック、聖堂騎士団弾圧、初期キリスト教、さらにはギリシャ、古代エジプトのグノーシス(霊知)主義へと人類の歴史を遡って行くことになり、これらの不思議なシンボルの謎解きは、壮大な歴史ロマンを辿ることになる気がします。

トマール、テンプル・キリスト騎士団修道院に興味がある方はカテゴリ・トマールの下記までどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/category34-1.html

では、みなさま、また。
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2016年6月10日

UEFAネーションズリーグ第一回は欧州サッカー連盟の55チームが参加し、昨夜は決勝戦でポルトガルが1:0でオランダを破り、優勝しました。

UEFAnations1.jpg
Wikiより

先週木曜日に、日本からの教育関係の方のインタビューを受けにダウンタウンへ出かけたのですが、市庁舎通りには昨夜の決勝戦放映の巨大なTVスクリーンが設置されていましたが、上の写真は、市庁舎をバックにして勝利に大歓声を上げている市民の様子です。市庁舎もポルトガル国旗の三色、赤緑黄色にライトアップされています。

我が家は晩御飯を食べながら、夫と二人観戦をしました。

さて、今日は休日です。わたしがポルトに来た当時は「カモインスの日」と呼ばれていましたが、今では「Dia de Portugal, de Camões e das Comunidades Portuguesas(ポルトガルとカモインスとポルトガル人の日)」(長い・・・)と言います。
カモインスとは、ポルトガルを代表する15世紀の詩人で、ポルトガルの大航海時代を謳った大叙事詩「Os Lusíadas」を残しています。

「ここに陸尽き海はじまる(Onde a terra acaba e o mar começa)」は、ポルトガルに興味を持つ人なら、誰でも知っているであろう、「Os Lusíados」の中にある一行なのです。

カモインスについては、下記にて書いておりますので、どうぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-2012.html

本日はこれにて。
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2019年6月9日  

どれどれ終活の一環でも、と思い、実際にはなかなかはかどらないのですが、先日本棚にごまんと並べてあるファイル類を整理してみました。

自分が興味を持ってネットで調べたものをプリントしてきたものですが、まぁ、あるわあるわ(笑) テンプル騎士団、神秘主義、キリスト教関係、ポルトガルの歴史、ダヴィンチコード関係、錬金術等々、いずれ時間ができたときに、もう一度、読み直そうと思って保存してきたものです。

だいたい頭に入っている件については、思い切って処分するとして、その前にざっと目を通そうと言うので、本棚から取り出してみていくと、中からとても懐かしい写真が入ったファイルが出てきました。ひゃ~っ懐かしい!

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ネットはMSNのコミュニティ「不夜城・みんなの掲示板」に投稿されたオフ回の写真です。コピー用紙に印刷してファイルに綴じたままになっていました。
ゴッチ、ママ、ジィナ、ナス、投稿者は「あわ」、2002年8月とあります。

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今でこそ、夏の帰国はすっかり控えてしまいましたが、この頃は子どもたちの日本の学校体験入学のため、2、3年に一度の帰国は夏が定番でした。こちらの学校は6月も終わり頃になると、正規の授業はないもので、学校に事情を話しては休学して3、4週間、日本で子どもたちに体験入学をしてもらったものです。

2002年は恐らく最後の夏帰国、モイケル娘東京学芸大学付属高校に体験入学した年でしょう。娘を妹宅に置き、一人で京都の初「不夜城オフ会」出席でした。

今と違い、当時のチャットと言えば文字のみで、初顔合わせがオフ会でしたね。
この「不夜城チャットルーム」については、「バイリンガル物語」を現在書き直して「毎日が日本語英語ポルトガル語」として、少しずつ再掲している我が子の日本語教育ツールとして登場してくるので、後記にてご案内します。

まぁ、早く言えば、ミイラ取りがミイラになってしまったわたしの、チャット交流がリアル友に発展したという話ではあります。

チャットルームでは誰も本名を使用せず、みな、ハンドルネールで、「ママ」とはわたし。拙ブログ名同様spacesisはわたしのハンドルネームでしたが、20代30代40代の仲間内で、わたしは群を抜いて年上なわけで、いつのまにか皆から「ママ」なるネームをもらっていました。

もう、17年も昔のチャットルームです。12、3人ほどの顔馴染みならず、ハンドルネーム馴染みがいつも出入りしていたでしょうか。このオフ会は、わたしにとって初めで最後、オフ会に参加できたのは京都大阪在住が5人だったのかな?
えっと、一人、東京から参加した「なす」がいますね。

部屋主(ルームを開け閉めするホスト、中心人物で、他はみなゲストとなります)は、今日と在住、写真投稿者の「あわ」殿でした。

MSNチャットルームが有料化する時点で、不夜城は解散とあいなりましたが、今もリアル友のような形で繋がっている人は二人います。今振り返っても、楽しいチャットができた「不夜城」でした。あれからもう17年、みんなどうしてる?このブログ記事を目にしたとしたら、かつての不夜城仲間、連絡してくれたら嬉しい。

最後に部屋主だった懐かしい「あわ」の写真も載せておきます。

fuyajou2.jpg

不夜城についてのブログ記事:
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-252.html#more (口語習得ツール不夜城)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-257.html#more (口語習得ツール不夜城)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1770.html (別れを告げる)
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2019年6月5日 

ポルトガルの6月は果物がふんだんでおいしい。
日本でも年中色々な果物が売られるのですが、高いのなんのってありません。

毎日果物は欠かさないわたしですが、帰国すると手を出しそびれます。妹宅に滞在しますので、自分の分だけ買って隠れて食べると言うわけにはいきません。家族分をポルトガルで食べるように毎日買ってごらんなさい。我慢してその費用は本代に回そっと!となるわけで、帰国中は自然と果物から遠ざかります。

今日はスーパーマーケットで果物を仕入れてきました。

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マンゴーに大好きなアプリコット、それにこの時期に出る「パラグアイの桃」です。ひしゃげた形が面白くて、一度買って以来ファンになりました。味は桃そのものですが、甘さを少し抑えた感じです。

パラグアイの桃1

そして、春のいちごに続いてこ6月に出回るのがさくらんぼです。大き目のつぶで1キロで5ユーロ(600円ほど)、買って来ました。

sakuranbo1.jpg

この季節になるとついハミングしてしまうメロディーに「さくらんぼの実る頃」があります。ジブリのアニメ映画「紅の豚」挿入歌で、加藤登紀子さんが歌っていました。フランスのシャンソン「Le Temps des cerises=さくらんぼの季節」が原題です。

6月の季節をロマンチックに歌っていますが、調べてみるとこのシャンソンは1870年代の第3共和政に虐殺された多くのパリコミューン参加者を悼んで市民に歌われ始めたのだそうです。

また、作詞家はパリ・コミューンの一員で、当時、バリケードを築き政府軍に抵抗していたコミューン軍に参加しようと、手にさくらんぼのカゴを抱えてやってき、落命した若い看護婦に捧げられた歌でもあるそうです。

昔、ロンドンを訪れた時にモイケル娘、夫と見たミュージカル「レ・ミゼラブル」で、市民がパリの一画にバリケードを築き、少年ガブローシュが政府軍の撃った弾を拾い集めようとして撃たれ、死ぬ場面がありましたが、ミュージカルと言えども圧巻でした。思わず目が潤んだのでありましたが、あれと重なる時代でしょうか。

あっという間に終わってしまうさくらんぼの短い季節は、夏を目の前にした明るい光の中で、なんだか少し寂しげな気がしないでもありません。

というので、本日は下記にYoutubeの「さくらんぼの実る頃」を。

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2019年6月4日 

40年使ってきた一人がけソファを買い換えました。
義母と同居時代の、私たち夫婦の部屋用でした。最初は革張りだったのが、段々いたんでカバーをかけたり、外張りを張り替えてもらったりしてずっと使ってきましたから、すっかり体に馴染んでいい具合だなぁと思っていたのです。

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モイケル娘の誕生で家族が増え、義母宅のすぐ側の借家時代のソファ。革張りから布張りに変わっています。随分昔で、わたしは40代に入ったばかりです。

小柄なわたしは、横座りするとすっぽり包まれるような感じになり、実に楽なのです。このソファで、二人の子の授乳や、たくさんの編み物、読書をしてきました。で、最近は、夕食の後片付け後、ソファに座り、TVのFox Crime局で好きな警察ドラマを見るのが習慣でした。

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ねこたちもこんな風に。ひとやま、いかが?今はもう旅立ったゴンちゃんもいます。

ところがしばらく前から、スプリングがダメになったのか、座っているとどうもお尻が痛くなります。いよいよ変える時期がきたかと、3月ころから暇を見ては探していたのですが、ななかな気に入ったのがありませんでした。

2週間ほど前に、うちのダンナさん、「デパートでいいのを見つけたんだけど見てみる?」と言います。座ってみて、わたしはちょっと大丈夫かな?とは思ったものの、ダンナさんが背もたれが高くて、自分は後ろにクッションを置かなくて済むんだよね、と言うもので、妥協したのです。

これがいかんかった!
デパートで試し座りをした時は、底高の靴を履いていたんですよね。家ではわたしはペタンコのサブリナシューズです。んで、座ってみたら足が浮くやん!おまけにこのイス、リクライングだというのを知らずに買ってたんです^^;

いやはや、もうガッカリです。ダンナさんとわたしは背丈が大分違います。背丈が違うと脚の長さもちがいますしね。ダンナさんにとって丁度いいものがわたしに合うはずがない。 買った後、こんなに後悔したものってあったかしら?

で、ここ数日、モイケル娘の部屋にある長ソファに座るという状態です。このソファも33年になり、実は昨年買い換えたものをリビングに置いてあるのですが、わたしはやはり新しい長ソファより年期の入った長ソファが体に馴染んで好きなのです。

今密かにもくろんでいるのは、このソファをダンナさんの書斎になんとか押し込んで、自分用にもうひとつ買おうか、と言うもの。
体にしっくりこないソファは、よそ様のリビングにいるようで堅苦しいったらありません。

買ったソファ、これなんですが、何のことはない、ゴロー猫の専用になりそうですわ。グスン

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