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2019年7月31日 

我が日本語クラスでは、敬語を学習する時になると、日本語の手紙の書き方をいちおう説明します。

日本語を教えていて気づいたのですが、わたしたち日本人は「前略」で始まる場合は別として、手紙の書き始めは必ずと言っていいほど、時候の挨拶から始まります。

「朝晩めっきり涼しくなりましたが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか」とか、「春爛漫、いよいよ桜の花が満開の今日このごろ」とか、わたしなどですと、「本日は、心も吸い込まれてしまいそうな真っ青な空のポルトです」などと書き始めます。

夫を始め外国人の友人に宛ててきた英文の手紙でも、わたしは日本語と同じように時候の挨拶を冒頭に書いてきたのですが、どうもわたしの知ってる外国ではそのような手紙の始め方をしないようで、何度か、外国人の友人に「とても詩的な手紙ですね」とまで言われたことがあります。

日本人の伝統文化、生活文化は、ひも解けば全て自然とのつながりに帰っていくような気がします。手紙の書き始めにまで、そのような自然をあがめる伝統を取り込み、外国人をして詩的だと言わせしめる、日本人の自然に対する気持ちを、わたしは素敵だと思っています。

どこの国にも、改まった手紙の書き方には形式があります。
若い頃は、わたしも私信ならいざ知らず、一般社会に通用する形式的な手紙は始め方も分からず、会社勤めをするうちに事務職の一環として学ぶようになりました。

「拝啓、謹啓、前略」「敬具、拝具、草々」と始め終わりも使われる言葉は決まってきます。

こんなことを書いていると、モイケル娘が東京のW大学に在学していた時、学科の課題で「上野動物園」へインタビューのお願いにあがるメールを書いた時のことを思い出します。

日本語教室よろしく、その時は娘にも日本の手紙の書き方をスカイプで話しながら手ほどきしました。

見知らぬところへの宛先は、できるだけ正確に正式に書くのが礼儀であるぞ。」もしかしたら、「上野動物園」と言うのは、通称であって正式名がありはしないか?とモイケルに言いもって検索しましたら、案の定、でました!

おっかさん: へぇ~。調べてみるもんだね。オンチョウ上野動物園てのが
         正式名だってよ。やはり、大学生がお願いにあがる手紙だ。
         きっちりと、オンチョウ上野動物園と宛名書くべし。 
         受け取る側も、お!てなもんで、ちゃんと読んでもらえるかもね

モイケル娘:  おっかさん、あの・・・チョウって言ってるけど・・・
          肉付き(月)に易じゃなくて、貝へんに易だじょ・・・」

おっかさん: うん、だからチョウじゃ」(←なんも聞いてない母w)

モイケル娘: でも・・・おっかさんは、恩腸上野動物園と書いてるよ。
         貝に易の賜だってば。

おっかさん: ん?え?え?・・・・腸じゃない??ご~~ん・・・・」

モイケル娘: できるだけ正式に、って・・・
         危うく、恩腸上野動物園御中なんて書かされるとこだった・・・

「ま、それも、誤字のお笑いで、目立つことは目立つんだが」とは、モイケルのオチ(笑)

つまり、「恩賜=おんし上野動物園」が正式名なのだそうです。
みなさん、ご存知でしたか?
わたしは初めて知りました^^
ちなみに「賜」は漢検2級の漢字です。

それにしても、相変わらずそそっかしい母親、面目ないことではありました(笑) 
娘がわたしより比較的しっかりしてるからよかったものの、下手するとこの日記にまで「恩腸上野動物園が正式名だ」と書くとこでありましたっけ(汗)

ではみなさま、また。

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2019年7月28日

七十路の門を既にくぐったわたしたち夫婦、たまにくだらない言い合いもあったりしますが、もう尾を引きません、根に持ちません。いたって平和なのは、もしかしたらまだ毎日それぞれに外部の人達と接してすることがあるからかもしれないなと思ったりします。

二人とも完全に仕事を退いて、年がら年中一緒にいることになったら、果たしてどうなるのか?ま、わたしの場合、しばらくは終活の一環として、断捨離に励んだり、好きな勉強をしたり?う~ん、今は考えんとこうっと(笑)

わたしは、幾つになっても笑いこそは人生で絶対必要要素のひとつだと思っています。笑う角には福来る、と昔からいいますし、本当にそうだなと感じます。しかし、意味なく笑っているのはアホですしね、気持ち悪がられるのが関の山。

毎朝起きるとネットで新聞を読み、お気に入りのブロガーサイトを訪問するのが習慣ですが、これがほとんど政治関係なもので、ニコニコ顔になるはずもありません。 起きてきた夫が後ろから「おはよー」と声をかけてくると、記事に怒ってるもので振り向いた顔が「オニ」ってこともざらにあり、夫は「ぐは!」となります。

笑うときは、大きな声ですから、読んでる本を開いたまま、あるいはモイケル娘のブログ記事を目の前にして、わっはっはですから、夫が「何がそんなに面白いのか」とやってきます。笑うことによって肩の凝り、ストレスは薄らぐし、爽やかな楽しい気持ちになります。

時には昔の出来事を思い起こしたりして、笑いがこみ上げてくることもよくあります。今日はそのエピソードのひとつを。
みなさんとわたしの笑いのツボが同じかどうかわかりませんが、以下、ご笑覧あれ。

★中川くん

自身は染まりませんでしたが、20歳の頃の大阪京橋時代、まわりには上に素人とつく、演出家、役者、シナリオライター、作家志望と、演劇関係の知り合いがいました。

そしてわたしはその中で、いつのまにか、これまた上にへんちくりんなものがついて「自由人yuちゃん」で呼ばれていたのです。どこが自由人か、と問いますと、常識の枠にとらわれないで行動するからだそうで、褒められているのか呆れられているのか、複雑なところではありました。

わたしは素人劇団の何のお役目も担っていないのに、あちこちと引っ張りまわされ、出来上がったばかりのシナリオを読まされたりしたものです。

劇団長はかつて「劇団四季」に籍を置いたことがあるという人で、彼らはサマセット・モームの作品のみを手がける劇団だったのですが、そのお芝居を観にいったりしたものです。

そんな役者仲間に、ただ一人、プロダクションには属していなかったものの、中川君という一応プロの役者がおりまして、これが顔が大きいもので、現代劇より時代劇でよく映えるのですね。

案の定、彼は京都四条にある南座で、よく歌舞伎公演での役回りをしていたのでした。なに、役回りといってもハシッパの役(笑)

これが、ある日浮かぬ顔をして現れまして、
「舞台でドジッた。トップの役者さんにこってりしぼられてん」と情けない顔で言います。何をしたかと言いますと、出番寸前にどうにも我慢ができなくなってトイレに行った。そしたら、出番の合図が聞こえたので慌てて舞台に飛び出して行った。

出てしまってからハッと気がついたのが、足に履いてる「便所」と書いてあるスリッパ!(爆)
おまけに、手に持ってなきゃならないはずの十手をトイレに置いてきてしまい、「御用だ!御用だ! 」と突き出す手には、十手なし・・・周りの小役人の役を演じている人らの後ろに後ろにと隠れて誤魔化そうとしたが、そんなもん、ロケじゃあるまいし本番なんやから、どうやって誤魔化すのよ(笑)

これを聞いたときには、気の毒よりも大爆笑が起こってしまって、我らは抱腹絶倒。

役者さんの世界って、NGがたくさんあるでしょ?あれ、爆笑ものが多いですね。ただし、劇場での本番は、やり直しがきかない。困りますよね。

中川君によると、立派な役者さんも時には失敗するのだそうで、そういうときは、舞台が終わった後に、役者さんからはちゃんと陳謝として、全員に何がしかが配られるのだそうです。

あれから40年も経つというのに、今思い出しても、「便所」と書かれたスリッパを履いて、「御用だ、御用だ!」と空の手を突き出し、にっちもさっちも行かなくなっている彼の姿を思い浮かべると、あっはっはと笑わずにはいられないわたしです。

中川君、どうしているでしょう。中川君からもらったヅラをつけたサイン入りのブロマイド、どこへ行ってしまったかなぁ^^
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2019年7月27日 

イギリス、フランスなどでは38、40度を記録し史上二番目の暑さだと言います。
だと言うのに、7月も下旬のポルトガル、真っ青な空が顔を見せず、小雨が降るやらで20度ですって。とても夏とは思えず、窓から吹き込む風には秋かとまがう匂いがしたりします。

が、こう言った矢先に酷暑に突然襲われるのかもしれません。

さて、近頃、わたしの餌を待っている野良ネコちゃんが増えて6、7匹になりました。餌は一匹ずつアルミホイルに入れて用意します。外が明るいうちに持っていくと、カモメのヤローども(失礼!)も、待ちかまえていて、カモメも食わずばなるまいに、とは思うものの、わたしの姿をみるなり騒ぐもので、少し日が暮れかかったころに、ネコエサを運びます。

夏場はできるだけ、猫たちが食べ終わるのを待って、アルミホイルの包みを片付けるようにしています。
なぜかと言えば、猫たちが食べ終わったのをそのままにして置くと、アリの行列ができるのです。まぁ、カモメ同様アリとてこの時期、冬に備えて食べ物を蓄えるのが仕事ですからね、「ご苦労さま」と思い、時にそのままにして、すっかり暗くなってから片付けに行ったりします。

イソップ(あるいはラ・フォンテーヌ)の話にある「アリとキリギリス」はあまりにも有名で、今更披露する必要もないのだが。

夏の季節を歌って遊び暮らすキリギリスとは対照的に、暑い日差しを受けながら汗を流して冬の準備にせっせといそしむアリ。それを見て笑うギリギリスではある。が、やがて冬が到来し、食べ物もなく寒さに凍える日々に、思わずアリの家のドアを叩く。今度はアリが笑う番だ。

この教訓話にはなるほどと思わされるのだが、わたしはもうひとつの「アリとキリギリス」を知っている。もう40年も昔に、当時知り合った夫から贈られた英語版のサマーセット・モーム短編集に収められている「アリとキリギリス=The Ant and the Grasshopper」がそれです。

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先のことに思い巡らし定職に就きせっせと働いて貯蓄に精出している兄と、それとは真逆、ろくに仕事にも就かずその日その日を遊び暮らしている弟の兄弟がいる。時々呼び出されては弟に金を無心される兄は、その都度将来のことを考えろ、もっとまじめな生活をしろと説教を垂れる。兄はこの弟を心のどこかで見下げている。

ある日、友人からの又聞きで、弟が先ごろ大金持ちの未亡人と結婚したのだが、未亡人がみまかり、その遺産をずべて弟が相続したということであった。

この時の兄の「It´s not fair !」の悔し紛れに叫ぶ気持ちが分からないではないが、わたしは、「へぇ~、人生って案外こんなものかも知れないな。」と、変に納得いったような読後感をもったものだ。

この40年間、もちろんわたしは遊び暮らしてきたわけではない。私たち夫婦は子供達の教育費は分不相応にかけたので、先を考えて貯めたいにも貯めようがない状態でずっと来た。

老後、何が一番必要かと言えばやはり金だ、と言ってはばからない人は周囲に結構いる。夫は別だが、どこからも年金の入ってきようがないわたしは、この言葉を耳にすると、うなだれるばかりだ。そして、お金は確かに必要だが、「一番」という言葉に、心のどこかで反撥するわたしがいる。

息子も「アリとキリギリス」の話は知っていて、
「パパの年金があるから、少しは大丈夫」と言うわたしの言葉に、
「ボクもそうだけど、ママもキリギリスタイプだね。」と息子に・・・言われた・・・
そして「パパは典型的なアリタイプだ」と彼は付け加えた。

その通りです、息子よ。しかし、人生はunfair(アンフェア=不公平)なことの方がfair よりも多いかもしれない。

それに、アリとアリの夫婦なんて、しんどいかもよ。キリギリスとキリギリスもこりゃ破綻で大変だ。アリとキリギリスの夫婦、これでなんとか帳尻が合うのであるよ^^

冬が到来したら、夫と言うアリのドアを叩く、わたしはキリギリスです。てへ。

ではみなさま、また。


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2019年7月25日

母親、失格
  
こんな風に書くと、モイケル娘と一緒に日本での生活を始めたころの息子の言葉を思い出して、つい苦笑します。

「お前は失格な妹だぁ」(笑)
今でこそ日本語はあまり支障がない我が東京息子ですが、10年ほど前に日本へ行った時の彼の日本語は危ういものでした。

中学3年まで、毎土曜日に補習校へ通い義務教育の国語を表面上は終えましたが、なにしろ週に90分の、しかも、複式授業です(学年が違った二クラスを同時に教える授業)。補習校ではこんな状態で日本と同じカリキュラムをこなすのですから、日本の学校のような手厚い授業は不可能です。それでも何とか9年間の国語数学を修了しました。

中学時代に、大学は日本!と親に内緒で密かに決心ていたモイケル娘と違い、とにかく補習校を終えて友人たちと金曜日はつるみたいと願っていた息子です。翌日土曜日の補習校の宿題に追われる金曜日は、わたしからの外出禁止令が敷かれてあるのでした。中三を終えると日本語の学習には見向きもしなくなりました。

つるむ友だちも補習校の子どもではなくBritish Schoolの同級生です。せっかく9年間も学んだ日本語から離れがちになり、わたしは「9年間の日本語教育代、返せ~」と、内心叫んでいたのでした。

それが日本で生活することにしたわけですから、住み始めた当初は日本語を吸収しようと、さぞかし周囲から入ってくる日本語に耳を澄ましたことでしょう。覚えた言葉を早速実生活で使おうと、モイケル娘を相手取って「失格な妹」と、やらかしたわけです。罪なくかわいい間違いではあります。

余談から入ってしまいましたが、子どもたちの日本語教育は頑張ったものの、肝心の生活基礎のひとつとなる「裁縫」がすっかり抜け落ちてしまってました。

日本ですと、小中学時代に男女とも、家庭科の時間というものがあって、一通り習うのですよね?
裁縫だけに留まらず、日本の学校では、料理や洗濯、整理の仕方、それにちょっとした木工、電気畑までと、ポルトガルなら、各種学校、職業学校で勉強することまで教えてもらうようですね。(←日本の「技術・家庭」の教科書参考にある)

ポルトガルでは、学校はあくまで勉強するところ。日常生活に関することは、しつけからこういった日常生活に関するノウハウまで、学校でとりあげることはありません。

日本のように、○○ちゃんがどっかで補導された、などもまずないですし、仮に子供が悪さをして警察沙汰になったとしても、校内でそれが起こらない限りは、連絡は親に行くのであって、学校は関係ないのです。

担任の先生はいても、それはあくまでも学科に関してであって、その他諸々のことは、もしあれば、直接学校長に会って話すことになります。

ついでに言えば、音楽も図工、美術も一般の学校で勉強する学科には入りません。ですから、例えば音楽はどうなるかと言うと、個人でお金を払って稽古事としてするか、あるいは、無料ではあるけれども、夕方からの、非常にスケジュールのきつい国立の音楽学校へ通うとかとなります。

我が子達が通った学校は、ポルトガルの現地校ではなくブリティッシュ・スクールでしたから、少し違いましたが、それでも家庭科というのはありませんでした。

音楽や美術の学科を取り入れている日本の教育は、人間生活の教養としての基礎を義務教育で身に着けるチャンスがあるわけで、その点は素晴らしいと思うのです。まして家庭科など、親が家で教える必要がなく、とても助かる、嬉しい学科ではないでしょうか。

こちらの夏休みが早く入るのを利用して子どもたちは日本の小中学校にそれぞれ一ヶ月ずつほど体験入学をしましたが、これはモイケル娘の小学生夏休みに妹宅に滞在していたときの話。

いずれ教えるつもりで、その夏は裁縫箱一式を買い求め、彼女に手渡しました。針をもつなど皆目したことがなかったのですが、本人は興味を覚えたのでしょう、運針用布のプリントされた線に沿って、ひとりで縫い上げました。

「できた~!」と言って喜んでおったので、我が妹と二人、「どれどれ見せてごらん。おお!上手に縫ってるじゃない」と、布を手に取りお世辞(笑)

しかし、「ん?ちょっと裏がガバついてるね?」と言いもって布をひっくり返して見ると、なんとまぁ、結び目の作り方が分からないもので、糸の先っぽをみんなガムテープで止めていました!それを見て妹と二人、爆笑したのでした。

よし、今度帰ってきたら、今度わたしが帰国したら教えて訓練してもらおうと思っているうちに、何年も経ってしまいました。婿殿は日本人ですから、いざという時には婿殿が針をもってるのであろうか?と、ふと気になっているのです。

息子の言葉じゃないけれど、ある点ではわたしも「失格な母親」ではありました。

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2019年7月24日 

先週土曜日は昼食が遅かったので、晩御飯はサンドイッチとメロン、生ハムでよかろう、すわ!と出かけたミラマールのセニョール・ダ・ぺドラ礼拝堂(Capela de Senhor da Pedra)、夫は定番どおり、少し道を間違いましたが、なんとか日没前に間に合いました。

残念ながらこの日は少し霞がかかっており、素晴らしい日没とまではいきませんでしたが、夕日を受けて美しい礼拝堂でした。

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海に日が沈むのはあっという間です。霞がかかっていた空は日が沈むとねずみ色の雲に被われました。

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小さな海辺の礼拝堂の十字架に青い灯がともりました。

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初めて訪れた10年ほど前には砂浜も漠とし、あまり人もみかけなかったのが、今は礼拝堂に続く歩道手前にはレストランが数軒並んでいます。

今は十字架がかかげられ堂内にもキリスト像がある礼拝堂ですが、昔は異教徒たちの礼拝堂であったといわれています。

午後9時半頃、夕闇の迫る自動車道路を家路へまっしぐら。

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ではみなさま、また。
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2019年7月22日 

土曜日はきついなぁと、近頃とみに感じるようになった。

4時間通しで立ちっぱなし授業をしますが、それが好きなものでその時は苦になりません。終わった後でどっとくるのです。

迎えに来てくれる夫と外で昼食をとって帰宅するのですが、自らをねぎらうためにと軽く生ビールをいっぱいいただきます。この冷たいのがおいしいんですよね。

でも、最近、この軽いいっぱいが、ひょっとして我が筋肉をゆる~くして、土曜日の食後の眠気をさそってしまうのではないか?と、思い始めました。近いうちに実験がてらこの楽しみをやめて食事してみようかと考えているところです。

さて、そういうのが毎土曜日ですから、先週も「疲れた~」と言い持って日本語授業用の重たいカバンを放り、スペイン人の如くシェスタ(昼休憩)と称してしばし午睡しました。

2時間近くも休んだでしょうか、ふと目が覚めると、ぎょぎょ!我がベッドの半分を一列に並んで猫たちも奥さん同様、眠りをむさぼっているではありませんか(笑)

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実を言うと、数ヶ月前まではねこたちはこの部屋に自由に出入りできていたのですが、このうちの一匹、もしくは二匹が部屋にマーキングするようになったのです。匂いに敏感なわたしはこれに怒髪天をつく、と相成り、「お主らみな立ち入り禁止なり!」。

マーキングは絶対していないと思われるゴロー君を除いては、このところ入室させなかったのです。が、疲れていたせいか、うっかりドアを閉めるのを忘れ寝ていたところを狙って、ご覧のとおり^^;

分かるんですよね、奥さんのそばにいたいなぁってねこたちの気もち。そんならマーキングしないでよね!始末が実に大変なのです。

起きてリビングに行くと、夫、「今日は天気もいいし、この間言ってた礼拝堂を見に行こう!日没が9時とあるから、家を8時に出るぞ」と言う。

あ、あの・・・・コロッと忘れてた雑誌原稿、催促のメールがあって、今日中に送らないといけないんですけど・・・と言ってみたものの、次に夫が行こうという機会がいつになるか知れず。

しんどいのを振り切って行ってまいりました、ミラマール。思わせぶりになりますが、その画像は明日に。
本日はこれにてごめんくだされ。
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2019年7月19日 

もう何年も前のことになります。

わたしが社交ダンスに興味をもっているのを知った夫の同僚ご夫婦が、彼らが通うダンス教室に見学に来ませんか?と誘われたことがあります。

週に一度のレッスンで、それも日曜日の夕方でした。 それなら日本語教室を続けながらなんとかなりそうだと思い、夫も一緒に見学に行ったのです。

紹介してもらったダンスの先生はオーストリア人の男性で、ウインナーワルツのコンテストでも受賞した方だと紹介されましたが、わたしは「ヒェ~~、背が高い・・・」と、それに感心したものです。

ワルツを美しく踊る夢を見るわたしでしたが、イングリッシュ・ワルツとウインナー・ワルツのステップが違うこともその時まで知りませんでした。

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昨日の美しい夕暮れ


ダンスフロアで流されるタンゴやワルツの音楽に魅せられて、踊れずとも曲に合わせて思わず体も揺れようというもの。わたしはとうとう引っ張り出されて、ステップをろくすっぽ知らないのに、男性の上手なリードでなんとなく踊れたのでした。
しかし、夫はいまいち乗り気ではありませんでした。 でも、分かるのです、わたしたち二人がパートナーを組んで踊ると、いったいどういうことになるのか(笑)

音楽は歌うのも聞くのも、低い音量より、家中いっぱいに流れるように音楽を満喫するのがわたしの流儀。いつも、外から帰ってくると、「声が大きい・・・外まで君の歌が聞こえてる」。夫は逆でかなり低いボリュームで聞きます。わたしに言わせると、「そんなんじゃ、その音楽のよさがわからない」です。

レストランでは、「さっさと食い物飲み物、持ってこんかい!」と待つのが嫌いなわたし。注文したものがなかなか出てこないと、2回目は避けます。夫は逆です。「まぁ、急いでいるわけじゃなし。いいじゃない」とのんびりしたもの。

口笛は天下一品!子供のころから自慢で、リズム感も抜群のわたし。いや、ほんまでした。 夫はわたしからすると、下手。いいんですけどね。夫の口笛はなにかが違うのです・・・けど、面と向かって本人にはまだ言えないままです。それで、気分が良いとき始まる彼の口笛が始まると、「あちゃ~、来ちゃったよ」と、わたしの心中はいつも「はよ、その口笛止めれ~」なのです。(笑)

ざっと上に上げただけでも、わたしたちのこの性格、趣向の違い。

ですから、ダンスで二人が組んだらどうなることやら。足を踏んだの踏まなかったのと密かな言い合いになり、ロマンチックなダンスの途中で、わたしがあっち向いてプン!は十分起こりうることです。

息子や娘があきれる「バター戦争」もそうです。夫は固いバターを頑張って薄~くナイフでのばして取り、パンにつける。片やわたしは、「それなら、冷蔵庫の外に出しておけばいいじゃない。固いバターは、バターそのものを食べてるみたいでいや!」(もちろん、夏は別)

それで、どさくさにまぎれて外に出して置くと、「バターを冷蔵庫に入れておくべし」と夫が抗議する。毎日食べるバターです、冷蔵庫外に置いたとて、いたんでしまうところまで行く以前に食べてなくなってしまうでしょ(←わたしの言い分)

要は、彼は固バタ党、わたしはソフトバタ党。んじゃ、今日からバターは二つにすれば?こっちの箱にはyuko、そっちの箱にはCarlosと名前を書く。これでどうよ!とまぁ、こんな具合です。

子供たちはそういう親のヘンチクリンなやりとりを見てきて、「なんでこうなるのか?」と思っていたようです。しばらくぶりにポルトに帰省した娘がボソリと言ったことがあります。
「おっかさんと親父、性格の違いだけじゃなくて、文化の違いもあるんだねぇ。一緒に住んでいた時は気づかなかったけれど、久しぶりに見て分かった。」

同じ日本人同士の夫婦でもそれぞれ育った環境が違い、性格も違いますから、時に喧嘩に至ることはあると思います。これが国際結婚となると、「日本はこうだけど、ポルトガルのこんな所は嫌い」「日本だってこんな部分があるじゃないか」と、ささいな文化の衝突も十分にあるわけです。 ま、さすが今ではわたしも少し成長したもので、その手のやりあいはなくなりましたけどね。

面白いもので、家から目的地へ着くまでの走る道もわたしたちは違うのです。「時間的にはわたしが通る道の方が早く着くけどね」と言っても、「僕が運転するときは僕の勝手だぞ」と、てこでも変えませんね。おかしいったらありません(笑)

結婚して41年にもなると、そんな痴話喧嘩もなくなると思いきや、未だに時々楽しくチャンバラしてます。
これって意外と活力が出て元気になるんですよね。はははは。

みなさまは、いかに?
本日はこれにて。
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2019年7月17日 

ポルトは悠久の街である。大西洋に流れ込むドウロ川べりから市外中心にむかって、幾重にも丘陵が重なり、段々畑の様を呈して赤レンガの屋根がぎっしり並んでいる。
この街では時間はゆっくり流れる。人々は素朴で子供たちは路地裏で日が暮れても遊びまわり、ときおり焼き魚の匂いが漂ってくる。

と、ポルトに来た当時の40年前にわたしは日記に書いています。しかし、近頃はポルトガル人の生活も忙しく変わって来ましたが、それでも日本とは比べられないのんびりさでしょう。

長崎にある石畳の道は、そのロマンチシズムで人気のあるスポットだと思われます。もしかすると、この長崎の石畳の故郷はポルトガル・スペインではないのかとわたしは推察するのですが、どうなのでしょうか。

石畳もホンの一部であれば、雨にぬれてもロマンチックであるけれど、気をつけないと人も車も滑るんですネ。ハイヒールのかかとはと言えば、まるで石畳に噛みつかれでもするかのようで、どうもいけません。

その石畳も今では道路が発達したポルト、最近は姿を消しつつありますが、まだそこかしこに残っています。我が家が面する通りもその一つ、石畳を敷き詰めた道です。

この石畳はさいころ型の石を敷き詰めたもので、ひとつの面は20年ほどの耐久性があると言われています。

道路モザイク2

一面が減ってきたところで掘り起こし、面を変えるのです。そしてさらに20年、また掘り起こし面を変えて20年。
この単純な繰り返し作業で行くと、さいころ面は6面あるのだから、最後の6面目が減った暁には石畳の道の齢(よわい)は120年!!!

たいしたものです。ひょっとすると目の前に石畳道が100年ほども経っているかもしれません。そこを日常的に歩いているというこを考えると感動的でもあります。

たかが1、2年帰らなかったというだけで、目まぐるしく景観が変わってしまう日本と比べると、なんというこの悠長さ、この頑固さ。
え?新道路工事の金がポルトにないんじゃないの、って?それを言っちゃぁ、おしまいよw

時には、ハイヒールのかかとに噛み付き、車もその振動で痛みが早いのではないかと気が気でならない石畳も、ポルトを「悠久の街」とわたしに言わせしめる一因ではあります。

因みに石畳をポルトガル語では「calçada portuguesa」と言い、モザイク模様の石畳も含みます。おしまいに、ヘタクソな一首をば。^^

わが家の前を流れる悠久の時はゆったり石畳になり 
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2019年7月14日 

先週日曜日は、取材を兼ねて夫をお供に、ミラガイア地区の川沿いを歩いてきました。ドウロ川沿いのリベイラ(Ribeira)同様、ミラガイアはわたしが気に入っている古い町です。

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傾きかけた小さな家並みが見られ、ベランダには洗濯物がたなびいていて、いかにもポルトらしくて懐かしい香りがします。若いときはこの古臭さが嫌いだったのに、同類哀れむの感とでも言いましょうか(笑) 

ちなみにリベイラやミラガイアなどの古い家並みでは洗濯物を外に出すのが許されていますが、他地域では表通りやみえる場所に洗濯物を干すのは市が禁じています。

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今では、シーズン中は路面電車乗り場に長い列ができるような、ほとんど観光客用になった路電もこの地区を行き交います。

ミラガイア地区に着いては何度か取り上げていますので、後記にて案内しますが、今日の話題はこれです。

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ミラガイアはこのように小高い丘からなるのですが、上に見えるのはPalacio das Sereias(Sereiasは人魚の複数形)こと、人魚の館です。下から見上げるとパッとしませんが、ファシャーダの二つの人魚像からこの小宮殿名前の由来がわかります。

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夕日を受ける人魚の館

Rua da Restairaçãoから Rua da Bandeirinhaに入って、楽なアクセスもできるのですが、川沿いのミラガイアから石段(Escadas das Sereias)を上ってのアクセスもできます。少しきついですがわたしはこちらの方が好きです。

が、実はこの石段は危ないなぁ、ちゃんと工事する必要があるのではないかと、随分前から思っていたのです。それが、市はやっと工事に手をつけたようで、現在は石段をのぼってのアクセスができません。これも観光客が増えて市の懐が潤ってきたからでしょう。

下記では子の館とミラガイア地域を案内しています。興味あらばどうぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1307.html 人魚の館

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1306.html  ミラガイア アーケード
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2019年7月12日
 
何べん鍋やらヤカンやらを焦がしとるねん、と、その都度がっくり頭(こうべ)うなだれ我ながら情けなく思うことが度々ありました。ながら族はもうできない状態に自分がなってきたと、我は見たのであった(^^;)

フラットのドアを開けるなり夫が、「またBispo(ビスポ)やったな」と申されます。

ちょっと「Bispo」について説明を加えますと、Bispoは「司教」と言う意味ですが、焼けた匂いがする、という表現にかつてよく使われました。

18世紀に権力を振るったポンバル公爵、ジュゼ1世暗殺事件にイエズス会も加担したと見て、時に火刑に処し、ポルトガルから追放したというのに由来します。

あきれ果てた夫が電気ケトルを買ってくれたことで、ヤカンの問題は数年前に解消しましたが、鍋はそうはいきません。
鍋を焦がすと、磨いて元に戻すのにかなりの力が要るわけでして、近頃その力が失われて来ました。5、60代のころまでは、腹が立ったり哀しかったりしたときは、よくこれをやったものです。ただひたすらにゴシゴシゴシw

子育て、補習校の仕事関係、国籍が違う夫の家族づきあい等など、時には面白くないこともあるわけですから、そのストレス発散に、この鍋磨きは随分と役立ったものです。が、今ではそこまでしなければ発散できないようなストレスもなくなりました。いたって平凡な毎日なのです。

ポルトガルの女性の台所はピッカピカです。台所だけではなくて、鍋も顔が映るくらい鏡のようにピカ!です^^少なくとも、わたしが知ってる周囲の人の台所、鍋はそうです。

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夫の母との同居時代、毎食後にそうやって食器類と台所をピッカピカに磨くことに精を出す義母を目にして、「わたしは、あんなことしない!昼ご飯の後にピッカに磨いても、夕方また使うじゃない。鍋、台所磨きと掃除に自分の人生を費やしたくなーい!」と心ひそかに抗ったものですが、いつの間にか、郷に入ってせっせと磨いてる自分を見出したりします^^;根性なしめ(笑) 

その鍋磨きをする力も悔しいことに足りなくなってきました。

ここ数年で、世の中のたいがいのことは、若い人間向け(60代前半までを入れる)にできているのだ、ということに気付きました。これが日常生活の中に多いのですね。

瓶缶、プラスティックボトルの蓋、牛乳パックの手による引き裂き口、それに、本、カタログなどが包まれたプラスティック・カバーの袋。コレなどは引き裂くのに力が要る。はさみを使えば済むことなんですがね。ドアのノブもそうです。濡れ手だと、頭にくるくらい、いくら回しても回らない時があります。手にその力がないのです。

チビのわたしなどは、こちらの台所の設計もかなり頭にくる。これも若いときには気がつかなかったんですけどね。

取り付け戸棚や洗い場の位置がみな高いのです。あ、これは年齢に関係ないか(笑) 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」の部類に入ってきますね^^;スンマセンw

そそ、以前、日本から持ち込んだ中華鍋を二日続けて使いましたら、その重みで、左親指の付け根を傷めてしまったことがありました。両手で持ったら、料理を皿に移せないので、ついつい片手で持つことになります。結局炎症をおこしたみたいで、頭にきたものですから、中華鍋の重さ、量ってみましたぞ(笑) 暇なヤツだとお笑いめされるな。

1.5キロないのですね、日本から持って来た安物の中華鍋。これが片手で持てないとは。いやはや、子供のときは、ガキ大将で奮った腕力も、今では情けないものです^^;

自家注文ででもしないと、世の中、台所にまで不公平があるな、てなことを思ったりする今日この頃、みなさま、そんなこと、ありません?ない?そんな歳とってない?・・・・

本日は愚痴にて。みなさま、また。

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2019年7月11日 

ポルトガルに長年住んで知ったことのひとつに、ポルトガル人の国、郷土に対する自慢、つまり愛国心、郷土愛です。

ポルトガルや自分が住む町、祭りなどを主語に、「o mais bonito do mundo(世界で一番美しい)」とか「o maior do mundo(世界で一番!)」と言う言葉を一般人がよく口にします。

また言ってるわん、と内心クスリと笑っているのだが、かく言うわたしも「世界で最も美しいレロ書店」なんてやらかして、雑誌記事などに紹介しているのでありますれば。

さて、そのo mais bonito do mundoをまたもや目にしたのがポルトの市庁舎通りこと、Aliadosのマクドナルド。

今でこそ国内のあちこちにあるマクドナルドですが、わが子たちが小さかった頃は、ポルトにマクドナルドのみならずファーストフード店そのものがなく、スペインやイギリスへ旅行に行くと、「あ、マクドだ!」と子どもたちのリクエストで何度車を止めて入ったことでしょう。

ポルトに住む子供たちにとって、海外旅行、日本帰国はファーストフード店がお目当てでもあったのでした。

下はポルト、マクドナルドの入り口です。大きなáguia(アーギア=鷲)のシンボルが見られます。
Macporto_3.jpg

1995年にオープンされましたが、実はこの建物はポルトでも屈指の「カフェ・インペリアル」だったのです。1936年に開店したカフェ・インペリアルは入り口が大きな開店ドアになっていました。

Imperial1_1.jpg
Wikiより

内装は初期アールデコ調で、カフェ・インペリアルには当時の多くの知識人が集まる場所でもありました。入り口のブロンズの鷲同様、現在もマクドナルドの店内、カウンター上部にはアールデコ調のステンドグラス、クリスタルのシャンデリアはそのまま残っています。

Macporto_1.jpg

ステンドグラスを拡大してみましょう。左のはぶどうの収穫です。

imperial2_1.jpg

見ての通りカフェを楽しむ紳士淑女

diploma

側壁上部の美しいモチーフ
inperial3_1.jpg

美的感覚は個人様々なので、一概に「世界で一番、最も美しい」と言うのには少し抵抗がありますが、「世界でも美しいマクドナルドのひとつ」と言う風な表現で行くと、ポルト、アリアードスのマクドナルドもまごうことなくその中に数えられると思います。

ついでに、わたしが見かけて美しいと思った他国のマクドナルドを紹介します。

mcdo-budapeste_nyugati[1]
2013年に訪れたブダペストのマクドナルド。中に入って食事しました。

下は2007年のパリで見かけたマクドナルド。外から見ただけです。
Mac_paris.jpg


下記、過去記事ですが、興味あらば、どぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-53.html ブダペスト旅行

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-category-36.html パリ旅行

ではみなさま、また。
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2019年7月10日 

教えていると言うより、共に学んでいると言える、長年の日本語生徒のアルフレッドさん、御歳85歳でまだ向学心にあふれています。

「ねずさんの百人一首」解説を読み終えて、目下、二人で勉強している「季節の言葉」(著者俳人長谷川櫂氏)の中で、表題の「麦の秋」という美しい言葉に出会いました。

「麦の秋」は、稲の秋に対して、麦の収穫を迎える初夏のことで、俳句では夏の季語なのだそうです。麦は大昔、地中海地方で始まり、弥生時代には日本にも伝わっていたと言います。

ところが、夏は乾燥する地中海気候からやってきた麦、湿気の多い日本の気候にはうまく適能できず、稲に主役の地位を譲ったまま、現在に至っています。

おもしろいなぁと思ったのは、世界のほとんどの国では小麦の生産が主なのに、日本は大麦の生産が小麦を上回り、このような国は他にチベット、エチオピアと、世界でも2、3カ国しかないとあることです。

ははぁ、では、チベット、エチオピアでは大麦を原料にどんな食べ物があるのかと興味がわきます。

小麦はパンの原料、大麦は日本では味噌や醤油の原料です。また、大麦は麦ご飯ともなります。昔は前年の秋に穫り入れた米が底をつく春から初夏の麦の取入れまで食べるのに事欠き、麦の秋がくればそれで次の米の収穫まで食いつないだとあります。

麦秋や若者の髪炎なす   西東三鬼(さいとうさんき)

黄金の麦畑にそそぐ初夏の乾いた太陽。麦秋の風になびく若者の髪がまるで燃え立つかのようだ、と解説があります。ドラゴンボールの悟空の「つったってる」ヘアスタイルを想像してしまうわたしなどは、作者の顰蹙を買いそうです。

dragonball01_fixw_234.jpg
Wikipediaより

このところずっと涼しかったポルトにもようやく麦秋が訪れました。

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2019年7月8日 

息子はパートナーのAちゃんと東京に、娘は我が婿殿と3匹ネコも一緒に、二人とも社会人として日本で働いていて、我ら親子はそれぞれ違った国に暮らしている。そのばらばらに住んでいるわたしたち家族も年に一度くらいはできれば全員集合して欲しいと願う夫である。

日本で働いている場合、外資系は別だろうが、そうそうポルトガルへ帰ってくるだけの休暇は取れないようだ。

大阪で会社勤めをしてきたわたしは、それが分かるのだが、年に22日の休暇を続けて取ろうが、2、3度に分けて取ろうが、周囲に何も言われることもなく自由にできるポルトガルである。夏がやってくるたびに、「有給休暇というものがちゃんとあるのに、なんで10日くらい続けて休みを取って帰国できないのか」と夫は納得しない。

busstop1.jpg
2006年2年ぶりに帰国した娘と家族旅行。アレンテージュの田舎の可愛いバスストップに座って。

busstop2.jpg

「周囲のことを考えると、長期休暇はどうしても迷惑をかけることになるでしょ?続けて10日以上休暇を取るなんてできにくいのよ。」と、 説明を試みるわたしの頭のどこかに、「それが日本なの!有給休暇があるからと、ほいほい取るわけにはいかないのよ。」と自分が分かるもので、ついつい適当な説明になりがちだ。
終いには「周囲への配慮というのがあるっしょ!ポルトガル人にはあまりないけど!」なぁんて余計な一言を口から吐いてしまい、「なんのために休暇を作ってるんだか、訳が分からん、日本は!」と言われる始末だ。こうなると日本、ポルトガルの文化の衝突である。

あんさんの言うことは分かってるがな。けど、日本社会のことも分かるのだよ。それぞれにいいところとまずいようなところがわたしには見えるので、一概に「なんのための休暇だ」に同意し兼ねるのだ。

かく言うわたし、実は40数年前のその昔に、当時勤務していた会社に直談判し、イギリスのケンブリッジ語学留学のために一ヶ月の休暇取得を実行した社内初の、そして恐らく社内最期のツワモノではあった(笑)

family2018_2.jpg
2018年、息子のパートナーAちゃんも入って5人家族旅行

新入社員として東京で働きめた当時のモイケル娘は、10日間ほどの有休休暇があるのだが、新入社員は有休を取らないのが一応ルールなのだそうな。「じゃ、いったいなんのための有給休暇よ!」とばかり、続けては取らないが、彼女は密かにそのルールに反抗してちょぼちょぼ取っていたようだ。

息子はと言えば、勤め始め当初は「ローテーションを組む必要があるから、休みは2ヶ月前に言わないと取れない」とぼやいていたが、緊急の場合はどうするのだか、と思っていたら、近頃は、自分の事情で時々休みを取っているようだ。

もっとも息子の場合は、有給でないので休むとその分減給になるのだから、用意してかからないと月末に受け取った金額を見て、「うげ!」と言う具合になりかねない。

DSC_0742_1.jpg
2016年、我らが婿どのとの4人家族旅行

命の洗濯には少なくとも2週間ほどの休暇が欲しいものだとわたしは思うのだが、息子は最初のアメリカ語学学校を2年ほどで辞め、大学の非常勤講師となってからは、授業から解放される年度末と夏休みは3、4週間帰省するようになった。
娘については、ダンナとネコたちを考えなければならないので、今のところその洗濯ができる兆しは見えなさそうだ。

それから見ると、暑い夏の一ヶ月間をキャンプ場で家族とゆっくり過ごしたり(これは何も遠いキャンプ場でなくてもいいのだ。同じ市内のキャンプ場で家を離れ、いつもと違った環境で休暇を格安に過ごす方法でもある)、車で長い旅行をしたり、海辺のアパルトホテルでのんびり海岸生活を楽しんだりと時間を忘れて過ごすポルトガル人の休暇の取り方は天国だなぁと思う。

まぁ、だから、この国はなかなか発展しないのだと言われるところもあるが、発展しても人間関係がなんだか空疎になり、おぞましい犯罪が増える社会よりはなんぼかいいかも知れないと、この年代になって思うことだ。

夫は再び家族旅行ができるのはいつの日かと夢見ているようだ。その家族旅行がひょっとして、時に4人、5人、6人、7人となるのを楽しみに。そうなると、車は今のところ2台あるからいいけれど、旅費はひゃ~~!大変だ!

ではみなさま、本日はこれにて。

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2019年7月7日 

子育てが済んだらその時間であれができよう、これができよう。この6匹のネコたちがいなかったら、朝一番、眠気まなこでトイレの砂を片付けんで済むし、さらに日本語教室で生徒が家に出入りするので、匂いを避けるために日中しょっちゅうトイレ砂をさらわんですむ。

そう考えることは度々あった。 そして、息子、次にモイケル娘と、二人の子どもが我が家を旅立ち、これで、親としての役割が終わりだとは思っていないけれども、一区切りついたとは言えるでしょう。さぁ、あれもできるし、これもできるぞ!好きなことをして充実した時間を持とう!人生はこれからだ!

ところが、なんといいましょうか、わたしの場合、そう行かなかったのです。

もう、毎日昼ごはんを食べに学校から戻ってくる娘がいないし、食事をつくる手間がはぶけた。いざ夫婦だけとなると、主がいなくなった二人の子供の部屋は毎日のように掃除する必要もなくなり、これまでと比べて自分の時間ができたというのに、何をするともなく家の中をウロウロするばかりで、いったいどこが充実しているのだ?

あれは、ちょっとした喪失感だったのだろうと、後で思ったものです。

日本の大学受験目指して彼女が旅立った2004年の日記を紐解けば、

6月30日水曜日早朝の便、フランクフルト経由で日本へ向かったモイケル娘。この日はちょうど夫の誕生日で、「what a nice present」とボヤく夫。わたしはと言えば、一日中なんだかほんとに、海より深いため息をついておりました。
しかし、こんなことでしょげてはいられません。

「さて。じゃ、娘の部屋、少しづつ何とかしてみようか。」と思い立ち、とりあえず、散らばっているペーパー類を手当たり次第に、くずかごに放り込んでおりました。

「なんだ、こんなとこにまだわたし使い古しの財布を置いてるわ(わたしのお古の財布を娘は使っていた)」と、机の上に見つけたそれをいったんは紙くず同様ポイとくずかごに放り込んだものの、虫の知らせか「ん?」とちょいと気になり、念のためと中身をあらためましたらましたら!

おお!なんとまぁ、福沢諭吉さんこと1万円札が二枚入っているではないですか!もうちょっとでこれ、捨ててしまうとこだった・・・^^;この2万円、ここでは4万円の価値があるのよ~と、ホクホクホク。

モイケルめ、今頃きっと家計簿の計算があわないでいるに、違うない。黙って我が懐にいれ、恩着せがましく「2万円余分に送金したわよ~」くらいに言っとこうか。懐に入れるもなにも、元はわたしのところから出たものではありますが。

しかし、こういうことは黙っておられないタチでして、さっそくメッセで娘に話しましたら、「親譲りの天然ボケだ」と言下・・・そ、そうであった。トホホホ。


ポルトガルに来て夫の母、叔母と同居すること6年、その間、息子が誕生し、モイケル娘の誕生をもって、スープが冷めない距離にと、同じ通りに引越しする運びになり、いわゆる核家族生活が始まったので、夫婦二人だけの生活はありませんでした。

そこで、随分遅くではあるが、昔できなかった夫婦水入らずの生活が今からできるのだぞと気持ちを切り替えて15年。娘も人生の半分ほどを日本で過ごしたことになります。

D1000072_1.jpg
2004年6月30日、空港にて希望に胸膨らませて旅立つモイケル娘。

本日はみなさま、これにて。
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2019年7月5日 

しばらく前のこと、我が親友みちべぇの誕生日にラインで「おめでとうメッセージ」を送ったのだが、返ってきた言葉に、えっ!となった。

「そでさん、わたしも高齢者になりました」
ちょっと待て!だって、あなた、わたしより7才下だよ。高齢者って何歳からよ?と、今更ながらネット検索に走ったのほほん者ではあった。

Wikipediaによると、国連では60歳以上、WHO(世界保健機関)では65歳以上が高齢者の定義だとある。65歳から74歳を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と呼ぶのだそうだ。いやいや、国連さんよ、高齢者を60歳以上ってのは、今時止めていただきいたいです。

今年11月で72歳になるわたしは前期高齢者に属することになるのだが、自分を高齢者だなんて思っていなかったものだから、軽いショックを受けて、急に年取ったような気がした単純なわたしです。

が、実はその直後、自分の歳を知らされるようなことが起こったのである。

朝起きてトイレに向かった際、ふらふらっとめまいを感じ、同時に軽い吐き気が襲ってきた。そんなのは初めてである。少し落ち着いてから起きてきた夫にそれを話すと、すぐ、血圧測定器を持ち出してきて計る。と、「これ、どうしたの!ちゃんと薬飲んでるのか!」と、測定器に標示された数字を見せられた。

「202~177」 ぎょぎょ!初めての数字。

1月に日本から帰って以来、体の調子がかなりよかったもので、本当を言うと降圧剤を服用していなかった。ずっと服用し続けるのもよくないとどこかで読んだこともあるし、いっか!と自己診断したのがまずかったのである。

さ、最近、飲むの忘れてました・・・と、誤魔化したが、内心はすっかりしょげていた。

夫が血圧測定器を出してきて、どれ、ちょっと見せてごらんという時に決まって、その日に生ハムを結構食べていたりする。叱られるのである。

若いときは貧血気味、低血圧だったのが、いつの間にか高血圧に・・・件の数値など「高リスク」ではないか!
しばらく降圧剤を服用しながら、毎日夫に血圧を測られた。今は低リスクの130台から90台で落ち着いてきたが、高血圧リスクを減らす生活改善ポイントは、減塩、睡眠、運動、ストレス対処なのだそうだ。

わたしの場合、ストレスはあまりない(と、思っている)が、後の三つはひっかかります。好きな生ハム、このところ自分では買わないし、睡眠も極力12時前には床に就くようにしている。が、夜中に一度目が覚めると、もう寝付かれないタイプで困ったものだ。運動はと言えば、日本語が忙しいのを言い訳に、かつてのように街を散策することもここ数年なくなった。

命を縮めてまでも大事なものは、そうあるものではないと頭では分かっているつもりでも、できれば生涯現役で、いや、もうちょっと仕事を、と、つい欲張ってしまいがちな貧乏性なのである。

血圧があんな高数値を見せた数日は気分も優れず、自宅で日本語レッスンをしては寝、しては寝を繰り返していたのだが、その時考えをめぐらしてつくづく思ったのは、孫の顔だって見たいだろ、まだまだ日本に帰りたいだろ、世の中がどう変わっていくのかもっと見たいだろ、もういい加減な大人ではあるが、子どもたちの行く末をもっと見守りたいだろ。それなら、1年1年を大切に歳とらないといかんのじゃないですか、である。

好きなイチゴやサクランボ、ポルトガルは安いとて、がばがば食べるものではない。ありがたみが薄れると言うもの。人生も逸れに似て、大粒の巨峰を一粒一粒味わって食べるが如く、1年1年を大切に歳とるべし。で、トピックの拙俳句とあいなった。

葡萄は秋の季語だそうで、我が人生も秋の日暮れにさしかかる。ゆーさん、冬じゃないの?とは 口さがない友に言われるか(笑)

皆さまも健康にはお気をつけ遊ばせ。
本日はこれにて。
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2019年7月4日

「ドウロ川があふれ出て川べり一帯が洪水になったとき、ワインセラーに寝かしてあるワインの樽はいったいどうなるのか?」の疑問が解けましたぞ。

実はこの解答、ネットでは出てこず、色々知っていそうな人に訊ねても分からず。はたと思いついたのが、大阪出身の我が友のポルトガル人のだんさん。今はもうお亡くなりになってしまいましたが、海外旅行団体の添乗員さんでした。これを調べていた頃は、お元気でした。そこで、彼女に電話したのです。

第一声、「あんたっ、暇やねぇ。ようそんな事にまで疑問持つもんだ。うちはワインを飲むのは好きやけど、そんなこと、思いもせん。わたしは知らん。けど、うちのダンナが喜びそうな話だ。聞いたげる。」

後日の解答がこれでした。
「うちのダンナ、いろんな本を持ち出して調べてだけど、よく分からんかった。うちと違って、いい加減な返事のできない人やから(うんうん、そうやねw)ダンナ、今日わざわざツーリストオフィスへ行って、あんたの疑問、みんな聞いてきたで~。だいたい、こんな質問初めてだってよ。わっはっはっは」・・・・・・・・

大雨でも川の水位が突如として上がることはない。徐々に上がっていき、これはいかん、と洪水が予測できた時点で、セラーの低位置に置いてある樽は高いところに上げるのだそうです。

しかし、あの黒いプレートが示す随分と高い水位まで水が達したときは?という問いには、もう樽は動かさない!だそうで(爆)
「問題はないのか?」には、「ない」との返答(笑)

ワインを寝かしてある樽をポルトガル語では「pipa(ピパ)」と言うのですが、「水に浸かると、通常木はいったん膨張する」とのわたしの思惑に反して、膨張するどころか、pipaは逆に収縮して、「一滴の水も外から浸入させない」のだそうで・・・

ほ、ほんまかいな?と、まだ疑いにかかっているのが本心ではありますけどね(笑

ということで、ドウロ川洪水の時の樽の行方、これにて一件落着。

ここで、ちょっとワイン樽pipaについて。

ポルト・ワインはこのpipaと呼ばれる樽のなかで熟成されます。                  

pipaはかつてはMaruquês de Pombalという地域で育てられるオーク(柏)材から造られていたのですが、現在ではハンガリーやチェコの森林地帯のオーク材を使っています。
一樽の許容量は600~650リットル。

sandeman_pipasBalseiros.jpg
大樽BalseiroとPipas。 Wiki]より

「Balseiro」と呼ばれる世界で最も大きなワイン樽は60,000リットルの許容量を持つそうです。ポルトガルの北部、Trás-os-Montes地方のPeso da Réguaで120個ものBalseiroが見つかっています。

さて、1972年から1985年にかけて、ドウロ川には5つのダムが建設されて以来、リベイラ一帯はかつてのような洪水被害からようやく解放されました。

現在は、その中の一つ、35メートルのダム越えのドウロ川クルーズがありますが、家族と行ったその時の様子は下記に綴ってあります。興味あらば、どぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1219.html

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2019年7月3日
 
古いことゆえ、取り上げようか上げまいかと迷っていたのですが、やはり、自分のメモとして書いておきたいと思い、今日はかつてサンデマン入り口に見られた金属板こと、プレートについてです。
sandeman1.jpg

ドウロ沿岸、ポルト対岸のCais da Gaiaに林立する数あるワインセラーの中でも、一際目立つのが「Sandeman(サンデマン)。黒いハットに黒いマントの男性がトレードマークです。

トレードマークは「The Sandeman Dom」と呼ばれます。Sandeman社はスペインでシェリー酒を、ポルトガルではポルト・ワインを造ることから、二国の特徴を活かし、ドンがかぶる帽子はつばSpanish Caballero´s hat表し、黒いケープはポルトガルの大学生がまとう黒マントを表しています。

下は2005年9月の入り口の写真です。

sandeman_cheias1.jpg sandeman_cheias2.jpg

この年9月、夫の友人のご子息の結婚式が行われたポルトのCatedral da Sé(12世紀に建築された大寺院)での厳かな挙式の後、対岸にあるワインセラー(ワインの酒蔵)地帯を車で、ワインセラー庭園での披露宴開場へと移動していた時、夫に「待って待って!ちょっと止めてよ」と、あたりはばからず、結婚式出席の正装で車を降りて、デジカメパチリとやってきたのでありました。
 
サンデマンを通りかかる度に気になっていたものが、入り口の左側に見える黒いプレートなのです。 画像のデータが古く、見にくい点はご勘弁願い。

もう少し拡大してみました。

sandeman2007_4.jpg

CHEIA EM 20 DE JANEIRO 1855」と書かれています。「CHEIA」はポルトガル語で「洪水」の意味です。

1980年代後半まで、ポルトは雨季である12月から2月の間、雨量の多い時は、堤防のないドウロ川、てき面、川水が溢れリベイラ一帯はその都度洪水に襲われました。このプレートは、その洪水になったときの水かさの位置と年月日を表しています。

写真を見ると、一番上は入り口が、ほとんど全部水でふさがれてしまう程の水かさです。
 
2001年のこと、ポルトからドウロ川に沿って遡ったところ、Castelo de Paivaと言う小さな町にかかっていた橋が突如崩れ落ち、橋を渡っていた乗用車とバスを川が飲みこんでしまうという大きな事故がありました。
  
バスは、その日、ドウロ上流にあるアーモンドの花で有名な村へ、花見に行った帰りの観光バスでした。 生存者はひとりもおらず、未だにあがっていない遺体が多くあります。

その年の雨量はたいへんなものでした。橋の崩落事件は、日本でも報道されましたが、多雨量のせいだけではなく、橋を支える橋げたの建つあたりの砂、土を業者が違法にも掘りまくっていたことが原因だとされています。

当然のことながら、ワインセラーのあるRibeiraも洪水に見舞われ、一帯の住人達はほんとに気の毒でした。我が家は当時、まだ庭のある、恐らく築80年くらいは経つであろうと思われるような、古い家に住んでいたのですが、これまでなかったようなことに出会いました。

sandeman5.jpg
洪水時のリベイラ。Wikiより

夏に庭で見られるアリの行列が、地上3階の我が家の中で何度も見られたのです。なんとも異様な気持ちに襲われたのを覚えています。小さな生き物とは言え、災害に対する予知能力を持っているのでしょう。

さて、リベイラの洪水の写真を目にしたわたしは疑問に思ったことがひとつありました。
こういう時、ワインセラーで樽に入って寝かされ、熟成を待っているポルト・ワインは、果たしてどうなるのか?と・・・。

明日はこの疑問解きです。
では、また。
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2019年6月30日 

ポルトガルでは年に一度のJLPTこと日本語能力試験が、今年は7月7日にポルト大学文学部を試験会場に実施されます。我がYY塾のわたしのクラスからは5人、Oちゃんのクラスからも5人受験する予定です。

9人の中級クラスです。全員が受験するのであれば通常の授業をJLPT対策に充てるのですが、半分が受験しませんので、それができません。

そこで、9時からの日本の高2レベル国語をわたしと一緒に勉強している生徒Aちゃんが、ポルトガル国家統一試験のため、休講になったのを機に、その時間をJLPT受験生への特別授業に充てました。ボランティアで、授業料はもらいません。また、受験しない生徒も、10時から始まる日本語の予習復習時間にしてもよい、と言う形で、9時から10時までの1時間、教室を開放してみました。

受験生にはJLPTの過去問コピーを解いてもらい、その場で各々の回答を確認、アドバイスをします。
中級クラスの生徒はみな若いのですが、学生だったり勤め人だったりするもので、土曜日の朝、9時はきついかと思われ、みな、来るかな?とメールで打診すると、うち4人は来ると言う。

昨日はその3回目で、件のAちゃんも統一試験が終了し夏休みに入ったので、彼女の授業を再開しましたが、その間、JLPT受験生には過去問コピーを手渡し、教室で静かに自習してもらいました。

Aちゃんの授業をしていて、ふと思ったことが、あら、これは補習校時代の複式授業と同じだわん、です。補習校出身のAちゃんと思い出し笑いしていたのでした。

複式授業とは、学年が違う二クラスを一度に見ることです。これが低学年を二つとなると、ちょっと大変なのです。ひと学年を見ている時は、もうひと学年から目を離すことになるので、自習の習慣がついていない低学年は騒ぎ出したりいたずらしだしたりするのですね。

90分の授業時間を、わたしは各学年45分ずつ分ける、という仕方を取りませんでした。高学年にも同じことが言えるのですが、45分間自習というのは子どもたちがそうそうできるものではありません。ましてや、もうひと学年の授業内容が耳に入るわけですしね。片方が授業でワッと笑うともなると、なになに?と気が散って当然です。

ひと学年の授業を進めながら、もうひと学年にもちょこちょこ目を向けたり指図したりしますので、とても忙しい90分授業でしたが、わたしはこの方法が性にあっていました。この方法で90分授業を毎週2時限するわけですから、終わって帰宅するとエネルギーを使い果たしたような疲労感を感じましたが、充足感がありました。

21年間の複式授業補習校を離れて10年になります。今、もう一度あの授業を毎週となると、体力が持たないのではないかな?と、思うのですが、狭い日本人社会のことです、人間関係で辛い思いも経験しましたが、それが帳消しになるほど、子どもたちとの楽しい思い出の方が遥かに多い。

昨日は久しぶりに補習校を懐かしんだ次第です。
写真は2009年の退任式のスピーチです。花も花瓶も我が家から持って行ったものです。ははは。

hoshuko11-2.jpg

本日は、みなさまこれにて。
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