FC2ブログ
2019年9月30日  

我が家には4匹のネコがいる。
一番若いのが13才のゴロー、次が15才で紅一点のチビ、16、7才の黒猫ぺト、そして長老18才になるクルルで、ネコの13才は人間で言うと60代も終わり頃にあたり、18才ともなると人間の90歳くらいに相当するのだと言う。ゴローを除いてはみな高齢者です。

家ネコが突然野良猫にならざるを得ないときは厳しい環境の人生に放り込まれることになるので、全員を見送るまでうかつにこちらは死ねないなぁと思っています。

ところで、わたしはこの12、3年、近所にあるジョアキンおじさんの畑に住む猫たちと、おじさんの庭の猫たちに毎晩欠かさず餌運びをしてきたのですが、一時期20匹近くもいた野良ちゃんたちも数年前から赤ねこちゃんと黒猫2匹だけになってしまいました。

他にジョアキンおじさんの自宅外で食事時間にいつも待ちかまえているのが4、5匹、併せて常に5、6匹のエサを用意して持っていくのですが、この一ヶ月で3匹がいなってしまいました。

一匹はつい先だって、いつも通り食事の合図をすると、いつもは3匹がどこからか出てくるのに、トラネコの姿がありません。すると、通りかかったおじさんが、「そこに一匹死んでるよ」と言うではありませんか。

えっ!とその指差す方に目を向けると、側のpasseio(歩道)の端っこにトラネコが横たわっています。
近寄り、体に触ってみるとまだ体温が感じられましたが、可哀相に事切れていました。車にはねられたのか、毒を盛られたのかは分かりません。このネコちゃんです。

gatosoto1_1.jpg

まだ若いネコで小柄、エサをあげて3年目にしてやっと背中に触らせてくれるようになった矢先でした。亡骸は箱に入れて、翌日、時々世話になる獣医さんまでもって行き40ユーロ(5000円程)で火葬にしてもらいました。可哀相でした。

もう一匹はこの赤猫ちゃん。これも触られてもらうのに4、5年はかかりました。人間を信用しない目つきをしており、こやつだけが、いつもの時間に遅れて行ったりすると、「シャーシャッ!」とまるで、「遅いじゃないか、今日の飯!」とでも言うかのように、威嚇しながらもすりよってきました。

neko2.jpg

それでも毎晩エサを待っていました。5年くらいもすると、表情が下のように和らぎいできました。

fofinho1.jpg

姿を消す前日は、エサを食べないで、「あれ?お前、どうしたんだい?と思ったほど」何度もわたしの足元に体を摺り寄せてきました。一月ほど前のことです。

今、思ってみると、自分の死期を悟って、あれはわたしに別れを言っていたのかなと思ったりしています。

下はジョアキンおじさんの畑に住んでいた赤ネコちゃん。

joaquingato6.jpg

畑にただ一匹残った成猫ですが、今までになかった行動に出ました。朝晩えさを運んだですが、ご飯より撫でて欲しいみたいで、やたら甘えてくるようになり、人懐こく、とても性格のいいネコちゃんでした。

10日ほど前から呼んでも姿を現さず。12、3年は面倒を見てきましたから、老猫でした。

この赤猫ちゃんについては、夫の反対さえなければ、わたしはとっくに家に連れ帰っているのです。もう4匹いることだし、言い出しにくいのではありましたが、夫に一度打診してみたことがあります。

「ねね、ジョアキンおじさんとこの畑の猫、一匹だけになったし、あの赤ネコちゃん、うちへ連れて来るのはどう?5匹も6匹も同じじゃなぁい?」(当時は家猫5匹がいた)

夫の即答、「同じじゃない!ゴンタの介護だってありうるぞ。(老齢で全盲になった猫) 目下、我が家に空席はない!」ですって。
このネコちゃんも姿が見えなくなる前夜は、やたら、甘えてきました。

昨夜、おじさんの庭のネコ2匹と畑の側にもう一匹いる黒猫にエサを持っていくと、近所のおばあさんが、「あんた、よく毎晩頑張るね。」と話しかけてきたもので、少し立ち話をしました。あばあさんも家に6匹ネコを飼っているのだと言います。「だから、もう家に連れていけないのよね。可哀相だけど」

赤ネコちゃんの姿がこのところずっと見えないとわたしが言うと、おばあさん、「そのネコはこの間、その辺で死んでいたのよ。もう歳だったからねぇ」 あぁ、やっぱり、と予想はしていたものの哀しい気持ちに変わりはありません。

補習校の講師時代、補習校の子供たちに読書を勧めるにに、なんでもいいから読めというのはわたしは嫌いで、この本、読んでみない?と入っていきます。そのためには、自分が読んでいなければならないわけで、当時は片っ端から児童書を読んでいました。

図書室で手にした本に、「荒野にネコは生きぬいて(原題Abandomed:G.D.Griffith作)」という児童書がありました。

kouyaninekowa.jpg
Wikipediaより

ある日、突然、飼い主に捨てられた子ネコは、少しずつ自分が捨てられたということを理解していきます。冷たい人間の仕打ちにも会い、厳しい荒野で生きる術を学びながら成長し、老い、死ぬまでのネコの一生を描いた物語ですが、読み勧めながらわたしは涙を抑えることができず、我が子たちに隠れて泣いた本です。

野良ネコ、野良犬の一生も人の一生に似るように思えます。逞しく生きているとはいえ、人のぬくもりが恋しくないはずはありません。いなくなった3匹のことを考えながら、昔読んだ本を思い出していたのでした。

くだんの本の主人公ネコは最後まで名前がないのですが、我が外ネコのどのネコも同じく名前をもたず、生涯を路上で生き抜いた小さな戦士たちでありました。

本日はこれにて。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月29日 

大好きな映画の一本にイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」がある。
1940年代、シシリー島の小さな町の映画館「シネマ・パラダイス」が消滅するまでの物語だが、主人トトの少年期、青年期、初老期に渡った人生をせつなく物語っている。



劇場で上演されたのは実際には2時間以上の作品として製作されたのを上演時間が長いとして、一部がカットされ、約1時間半に縮小されたものだが、「完全版・ニュー・シネマ・パラダイス」がある。

アカデミー賞とカンヌ国際映画賞を受賞した国際上演用の作品は、初老のトトのその後はいったいどうなったのか?そして彼の恋人だったエレナは?と、終わり方が気になった。まぁ、何もかもが辻褄が合うようにすきっとは終わらないのが人生であろう」と思われるようなエンディングだが、トトとエレナの30年後の再会が描かれた完全版は違った思いを抱かせる。

その完全版に関しては賛否両論あるようだが、人生はカラクリに満ちているが辻褄があうように出来ているような気がすると思っているわたしの感想は、現実に半世紀を経て再会した人がいるので「こういうことは人生にあるのだと、完全版には肯ける。

劇場版のトトのエンディングと比べて、完全版は、トトの不完全燃焼の青春がやっと思い出の箱に収められ、彼のこれからの老後が救われたのではないかとわたしには思われる。
「シネマ・パラダイス」の参照はこちら

「シネマ・パラダイス」はストーリーそのものもさることながら作品中のエンニオ・モリコーネの音楽が心に染みる名曲であることもあげておきたい。

いい映画はわたしたちに人生を教えてくれる。



にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月24日 

今日は、かれこれ15年位も前の息子の思い出話です。

その夏に大学を卒業した息子が、ついに仕事に就いた時の事です。彼の職種を聞いて、一瞬わが耳を疑ったのでした。

「え!中学校の先生?@@」想像だにしなかった仕事でありました。と、こんなことを書いていますが、若い頃の私を知っている人達が、21年も海外補習校の先生をしたなど聞くと、わたしも「うっそー」と目を丸くされることは間違いない(笑)。

息子は、服装には無頓着でした。つま先の口をバコバコ言わした靴を履いていることはよくあることで、お金が全くないわけじゃあるまいし、「靴くらい買ってよ!」「Tシャツ破れてるじゃないの。すっかり色落ちもしてるわよ!」と、母親が口うるさく言っても馬耳東風。

ホテル、企業での面接では、「Yシャツ、ネクタイ」と聞いたら、それで自分から辞退です。「ありゃ、ダメだわよ。髪形もさることながら(自分で散髪してる。これもわたしと同じw)、着ている物の第一印象からしてアウトね。」と、さんざん面接時の服装をうるさく言ってもきかないもので、夫もわたしも諦め気分でそう話していたのでした。

息子から電話で仕事を得た報告があった時、

「あんた、どんな格好でいったの?よく通ったわね。」
「うん、ネクタイはしなかったけど、シャツ。それにジャスパーから借りたズボン」
「あっはっはっはっは!」

もう、腹がよじれて笑いこけました。

ジャスパーと言うのは、アーティストを目指している幼稚園時代からの英国スクールの友達です。その時は、息子のアパートに転がりこんで、リスボンで何かのコースをとっていました。

その歳の10月までは父親は援助するけど、その先は自分で生活費を稼ぐ約束になっておりましたから、尻に火がついたのか、ようやく、服装に本の少しだけ気を配ったようです。それにしても借りないで買ってもいいではないの。

息子が時々、見かけない服を着ているとき、わたしは聞きます。すると「1ユーロで買った」と返事が来る。1ユーロですよ@@ 古着屋だとしてもいったいどんな値段なのよ・・・^^;

学校で何を教えたかと言うと、「information」つまり初歩のコンピューターのクラスです。それはよかったのですが、任されたクラスがなんとまぁ、7、8年生(中学2、3年)。おまけに、ほとんどの生徒が何度か落第している落ちこぼれクラスで、中に18歳の中学生もいるとのことです。

もっとも、こういうクラスは、考えようによってはやりがいがあるのですがね。こういうクラスの子がやる気を出した時に、先生という仕事の醍醐味を味わうわけですが。

ポルトガルでは、日本で言う教師用の「指導書」などありません。全て教師が独自に副教材を作成して、授業をすすめていきます。
聞けば息子の勤務時間は週8時間。2回の授業で一回がこれまたなんと!3時間ぶっ通し。

「7、8年生なんていい経験になる。自分がその年頃、どんなアホをやってたか目の前で見ることになるからね」と言って夫が笑ったものでした。

さて、授業が始まり、2週目にして、息子、すでに二人の生徒を教室から追ん出していました。
やるではないの。なめられたらいかんぜ!と応援しながらも、当時の日本の中高生の教師への殺傷事件がちらついて、なんだか不安な気持ちにもなったものです。

「どんな格好して行ってるの?」と聞くと、生徒と同じカッコ(公立の学校は高校まで一貫して制服がない)。 Tシャツにジーンズ。その方が安全だし、向こうも親しみ感じるでしょ。」

アメリカのアニメ、シンプソンズような、あの伸びた不ぞろいな息子の坊主頭を思い出しては、可笑しいような、不安なような、そんな複雑な気持ちで息子の働きぶりを見ていた頃の思い出です。

息子は今、東京の数校の大学で英語の非常勤講師をしていますが、こうして教えているというのが母親のわたしの過ぎこしと似ていなくもない。

親子って辿る人生も似たりするのでしょうかね。

2016_3.png
自分の作曲をひっさげて音楽活動をしていた上京時代の息子。(してみたら、素人音楽活動をした部分もわたしと同じだっけw)

本日もありがとうございます。では、また。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月23日 

生徒たちには申し訳なかったのですが、体力が持たないので、先週は金土曜日の日本語を臨時休講して、木曜日夜と金曜日午前中は料理と掃除にいそしみました。

diner_1.jpg

故郷弘前から二周りほど歳下のいとこ夫婦がやって来ました。これまでほとんど交流がなかったのですが、去年、初めて弘前のおばを訊ねて、50の齢を超えた従妹たちと会ったのでした。

そのいきさつは下記にあります。
 「春の弘前紀行、おばを訪ねて

そのような訳でブログ更新が遅れてしまいました。

さて、初めて迎える我が故郷からのお客さんです。ポルト滞在日数はわずか3泊でしたが、海岸地区を案内し、翌日土曜日は残念ながら雨天だったので、ポルト、リベイラの対岸にあるワインセラーを見学してもらうことにしました。

夫とわたしはすでに何度も行っているもので、Tayler´sの入り口まで車で送り、わたしたちは見学が終わるまで1時間半待機することにしました。

雨です、車内で待つのも芸がないというもの、夫の提案で、Tayler´sがある細い通りの丁度向かいのホテルYeatmanに入って、お茶でも飲もうと言うことになりました。夫は会議で2、3度来ているものの、わたしは今回が初めてです。

2019_13_1.jpg

ホテルの入り口は上り坂です。うわッ、上りたくなぁいと、近頃とみに足の力が衰えたわたし、夫にブツブツ言いながら、なんだ坂こんな坂と心中唱えながら表玄関にたどり着きました。

2019_12_1.jpg

ふむ、随分質素だねぇ、と思ったのが大間違い。ホテルは5つ星です。実は入り口からは分からないのですが、この玄関が最上階になる、といった建築で、どの階の部屋からもポルトの全景が見られるように造られた段々畑様式なのです。

2019_15.jpg
Wikiより

2019_11-1.jpg
わたしたちが上ってきた道が下に見えます。

2019_2_1.jpg
ホテルの野外プール

2019-7_1.jpg
中央にはSerra do Pilar、その左にはドン・ルイス1世橋が見えます。

2019_10_1.jpg

2019_3_1.jpg
霧がたちこめてきました。

そうしているうちに雨がザーッと降り出してきたので、ホテルの中へと急ぎました。

2019-6_1.jpg
ロビーを通って階上のテラスへ向かいます。

2019_1_1.jpg

2019_5_1.jpg
テラスへ抜けるくつろぎ場

2019_8_1.jpg

ホテルのどの部屋からも上の景色がながめられるのですね。ドウロ川、真ん中の塔がポルトの象徴クレリゴス塔です

私たちが頼んだコーヒー、夫のはエスプレッソ、わたしのはカフェインが入っていないエスプレッソです。

2019_4_1.jpg

若い頃からついこの間まで、インスタントコーヒーをアメリカンコーヒーもどきにかなり薄くしてずっとお茶代わりにずっと飲んできたコーヒーですが、この間の心臓の検査でコーヒーを止めて紅茶、もしくはグリーンティーにかえなさい、と忠言されたのです。

が、わたしは紅茶、お茶を飲むとすぐ胃が痛くなるもので、今はdescafeinado、つまりカフェインの入っていないコーヒー(^^;)を飲んでいます。 インスタントのdescafeinadoはダメですが、コーヒーマシーンのは、結構飲めます。

休暇で宿泊しているイギリス人たちは、午前中からワイン、シャンペンでおしゃべりを楽しんでいました。
ポルト、ガイアで一番宿泊費が高いホテルかも知れませんね。

それではみなさま、本日はこれにて。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月19日 

もう随分前ですが、かつて日本語を教えたポルトガル人の生徒さんにひょんなことで再会したことがあります。

当時彼女はポルトの私立大学で教えていたのですが、そこで日本語教室を開講するかもしれない、話に乗ってくれないかというので、手始めに日本文化の紹介と称して展示会で人集めをしてみてはどうかとなりました。

何を展示するかというと、自分の好みで日本へ行くたびに持って来たものを展示するのでありまして、○十万円もするものではありません。展示のディスプレイと後片付けが大変なのですが、ついつい引き受けてしまうのは、こういうことをするのが好きだからです。

展示会2012

exposicao4.jpg
 
 
そこで、事前に大学の文学部長にご挨拶しに行ったのですが、その折、咄嗟に聞かれたことで、後で我ながら面白い答えをしたものだと思ったことがあります。

わたしのポルトガル語の苗字「Costa Santos」を、日本語に訳せと学部長は仰せられる。Costaは日本語だと「背中、海岸」の意味があります。Santosは聖人Santoの複数形です。そこで、「海岸を歩く聖人」ですね、いかがでしょう?いい名前でしょう?わっはっは」となったのですが、咄嗟に訳したにしては、なかなかではないかと、我ながら後で一人喜んでいたのでした。

で、「海岸を歩く聖人」にしようか、「散歩する聖人」にしようかと、その後考え始めたものの、未だ未決定であります。

中国の唐の時代、科挙の試験を受けるため、長安の都にやってきた賈島(かとう)が、ロバに乗り詩を創作していたのですが、「僧は推す月下の門」がいいか、「僧は敲く(たたく)月下の門」がいいかと迷っているうちに上層役人の行列に突っ込んでしまい捕まってしまいました。詩の話をしたところ、行列の主から「敲くがよかろう」と忠言をもらい、これが現在わたしたちが使うところの「文の推敲」という言葉の語源になったとの話があります。

こんな立派な故事としょうもない我がことを比べるつもりはありませんが、これもわたしにとっては推敲だぞ、と思っているのであります。

さて、学部長に聞かれ咄嗟に「海岸を歩く聖人」と言ったのには、かつて我がモイケル娘と観た映画「Mr. Holland´s Opus」(直訳は「ホランド先生の作品」邦名は「陽のあたる教室」)の中で聞かれるクラリネットの曲のタイトルが知りたくて、母子して色々探し回り、ついにモイケル娘が発見したといういわく付きの「Stranger on the Shore」が頭にあったからだと思います。

その映画は、音楽教師(リチャード・ドレイファス)が作曲をするために時間を欲し、音楽教師ならもっと自由な時間がもてるだろうと安易に公立学校の教師の仕事を得るのですが、教師の仕事がそんな甘いものではないと気付き、色々奇策を打ってはダメな生徒たちををひっぱって行きます。ホランズ先生の作品とは彼が育て上げた生徒たちのことですね。

1960年代が舞台で、当時のヒット曲がたくさん出てきます。その中の一つがStranger on the Shoreだったのです。

ついでにもうひとつその映画で知ったのが、ジョン・レノンの歌、Beautiful Boyの歌詞、
「Life is what happens to you while you're busy making other plans.(人生とは、君が色々な計画をたてるのに夢中になっている間に、君に起こることなんだ。Spacesis勝手訳)でした。

素晴らしい一文だと思います。

閑話休題、件の「Stranger on the Shore 」はイギリスのクラリネット奏者、Acker Bilk(アッカー・ビルク)が作曲したミリオンセラーだそうです。素晴らしいクラリネットの音です。よかったら聞いてみてください。



ではみなさま、またあした。


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月17日 

一度目が覚めると、再び寝つかれない性分です。
数日前の夜は午前3時半頃に起き出してしまった。困ったな、どうする?と自分に問いながら猫たちが寝ている台所へ行くと、外がやけに明るい。

大窓ガラスを開けて空を見上げると、満月が煌々と光っているのだった。子どもの頃は十五夜と呼んだ中秋の名月であった。満月が眺められる夜は、時間があればベランダに座り込んでしばし月の美しさに見とれるのですが、時々、我がネコもやってきます。月光を浴びるネコはなかなかに神秘的であります。

夫にも「今夜の月はきれいだよ」と声をかけるのですが、「あ、そう。」で終わり(笑) 周囲を見回してみても、月が美しいだの、紅葉がきれいだの、吸い込まれそうな真っ青な空だのと言う言葉を耳にしません。感心がないのでしょうか。

十五夜が来ると思い出されるのが、もう60年位も昔に遡る、父が地方競馬の騎手で家にいたことがなく、母子3人で弘前下町の祖母の家に大家族の一員として住んでいた子供のころの「十五夜」です。

十五夜には毎年決まって祖母が「おはぎ」を作り、季節の果物の梨やりんご、すすきを縁側に置いて、お月様にお供えをしていました。あの頃の記憶をたどり、祖母の家に似たような縁側の画像をネットでさがしてみたら、ありました!

tsukimi2-2 - Copy
Wikiより

祖母の家もこういう感じで、縁側の前には庭がありそこには小さな池があったと思います。縁側の右手前の建物は台所で、そこには水ポンプ、釜戸がありました。

かまど
釜戸 (Wikiより)

祖母の家は玄関口を入ると裏の畑まで土間が続き、庭のトイレの、当時は便所と言いましたが、側にはドクダミが植えてありました。ドクダミの強烈な臭いは今でも覚えています。
縁側の画像を探している最中にこんなイラストに出会い、思わず吹き出しました。

名月
Wikiより

服装、方法こそ違え、わたしと妹もおはぎが待ちきれずに、こっそり縁側に行ってつまみ食いせんとするところを祖母に見つかり、何度「お月様が先だよ」と言われたことだろうか。チョコレートやケーキなどお目にかかれない時代でしたからね。

先週土曜日の日本語授業では、この十五夜の思い出話をしてきました。

それにしても、なんとまぁ遥か昔の話でございましょう。

台所に備えられてあった水ポンプにまつわる子供時代のこんな話があります。よろしかったらどうぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1911.html 「鬼さんこちら、手のなる方へ」

ではみなさま、また明日。



にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月16日 

昨日は日本からいらしたYご夫妻と半日を過ごしました。
このところ、日本語でおしゃべりする機会がなかったもので、ついつい調子に乗りしゃべり過ぎた嫌いあり^^;でも、色々な話題が出て、とても楽しい時間でした。

大丈夫かな?と気にしていた体調も喋り捲ったせいか、なんだか順調。この調子でどんどん体調が回復していけばいいな、と思っています。体調不調の原因を探るため、あと三つほどの検査を受けることになっているのですが、その頃には完全回復していたりしてね(笑)

しかし、バッグに入れてあったのに、うっかり首にスカーフを巻かなかったもので、今朝はてき面、首回りに太陽光線アレルギーの湿疹でありました。トホホホ。

今日は、ご夫妻を案内したレストランを紹介します。
レストランÁrvore(árvore=木)は、この夏、わたしたちが行き始めた隠れレストランです。通りに面してはいるのですが、これが人通りの少ない古い裏通りであるのと、ちょっと見た目にはレストランだとは気付かないことが多いのとで、今のところ、人があまりいないのでのんびりできるのがいいのです。

元はCasa das Virtudesと言うPinto de Meireles一族の屋敷でした。最初の当主は18世紀半ば、José Pinto de Meirelesキャプテンでキリスト騎士団の騎士です。ゆえに、表玄関には立派なBrasão(ブラザォン=家紋)が観られます。下の写真はわたしがたまに見かけてきたものの、放置されたままの屋敷です。

casa1.jpg

Casa das Virtudesは大きなキンタ(庭園)Virtudes 公園も併せてあります。下は現在の表門。

2019_Aug11_1.jpg

ここから入り、石段、もしくはエレベーターでレストランへ。

aug2019_2_1.jpg

テラス席もあり、ドウロ川と横のVirtudes 公園が一望できます。
2019Aug_5_1.jpg

arvore1.jpg

aug2019_1_1.jpg
↑緑がこんもりとしたVirtudes公園

メニューは豊富ではありませんが、わたしが気に入ったのは、たっぷりの美味しいサラダ。小食のわたしにはこれだけで十分。夫のディッシュと半分ずつ分け合うのですが、昨日は残念ながらそれがなし。
食事は可もなく不可もなくというところでしょうか。けだし、眺めがいい立地条件、それと静かでゆっくりできることがそれをカバーしていると思われます。

Quinta da Virtudesについてはこちらで案内してあります。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1863.html

ではみなさま、本日はこれにて。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月14日 

台所で遅い夕食の後片付けをしていたら、サーッと後ろを何かが走っていった気配がした。するとすぐ後から、夫がフェルトのスリッパを片手に意気込んで入って来た。

「フラカォンはどこ?!」(フラカォン=furacaõ=台風の意味=我が家のトラネコ、ゴロー君のあだ名に定着w 実は息子も同じあだ名を頂戴している)
「し、知らないけど、どうしたの?」←後ろをサーッと通っていったのはフラカォンだったw しかし、知らぬ顔存ぜぬの顔。

goro_Aug2_1.jpg
                    
「どうもこうもない!頭にきてる」
夫はネコにだけではなく家族にもまず怒らない人であるが、この日は、おほほ、おめずらしい。
「あぁた、猫も犬と同じように、コントロールできると思ってるでしょ?you can not control them(笑)」

いつぞやも夫が帰宅してすぐに、「お~~い、yukoさん。ちょっときてごらんよ。」

なになに?と今では空室になっているモイケル娘の部屋へ行ってみると、あらま、カーテンバーに通して吊り下げていたカーテンが、布のループだけ残して半分ダラリと垂れている。カーテンバーの端っこに、モイケル娘の黄色いオウムの人形を下げていたのだが、それを狙ったフラカォンがカーテンをよじ登ったところ、カーテンがループから取れてどさりとフラカォンは床に落ち、逃げたのだそうな。次から次へといろいろしでかしてくれたゴローではあった。

犬は人間が主人になれるけれど、猫は逆になりがちなのである。Cats own us. わたしはそう思っている。
だから、猫好きで4匹も拾って飼ってはいるが、ねこッ可愛がりはしない。可愛がり方はいたってあっさりしたものだ。猫の奴隷にならないためである(笑)

また、うちの猫たちはどれも首輪をつけていない。まんがいち猫が外へ逃げたときに、案外事故の元になったりすることもあろうと、ある時期からわたしは止めたのだ。

フラットの2階が自宅になった今、もしベランダから落ちてしまった時は、そして、行方知れずになってしまった時は・・・仕方がない、それもまた人生、いや、猫生なのだ。

我が家に拾われるネコは、時々ナデナデはされるけれども、飼い主からあまり深い干渉を受けず、そういう意味では、フラットという小さな空間ではあるが、いくらか気ままに生活しているのではないかと思ったりする。

夫がさんざん探し回したフラカォンだが、どこかにひっそりと身を隠し、夫は見つけることができなかった。すぐ近くにあってほぼ毎晩義兄のうちへ行くのだが、彼がドアを閉めたとたん、フラカォンはどこからかひょこっとわたしの目の前に姿を現した(笑)

「お前ね、もうちとダンナに敬意を払った方がよくはないかい?」と抱き上げた後、他の大人ネコたちがくつろいでいる大カゴに入れてやる。

義兄の家から帰ってきたころには、夫は頭にきていたこともすっかり忘れているのであった。

モイケル娘のオウム人形は、場所を変え、しばらくは息子の部屋のカーテンの横にぶら下がっていたのだが、ゴローは叱られて逃げ隠れするのも遊びと思ってるかも知れない。幸せなこと

本日はみなさま、これにて。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月13日 

子供の頃から観てきた映画は数知れず。
わたしの小学生の頃は今のようにテレビなどほとんどない時代です。小学校の講堂を利用して映画教室(わたしたちはこれを「幻灯」と呼んだりしたのですが)が、時々催されました。

椅子などには座らず、そのまま床に地べた座りです。スクリーン代わりに講堂の壇上に大きな幕が張られ、私達のすぐ後ろでは映写機が裸のままジ~ッと回るのです。


そうして観た映画は数々。「綴り方教室」「にあんちゃん物語」「コタンの口笛」「地の涯てに生きるもの」「24の瞳」「柿の木のある家」「のんちゃん、雲に乗る」「緑遥かに」「怒りの孤島」等等があります。

どれも、子供心に深い感銘を与えたように思います。なぜなら、わたしは今、ここにこうしてずらりとタイトルをあげることができる程に覚えているからです。

本から学ぶことはたくさんありましたが、映画鑑賞から教えられたことも山ほどあるように思います。根が単純なせいか、本も映画も読んだり観たりしている途中から観客としての立場を忘れ、思わず引き
込まれてのめり込んでいることが度々あります。

映画の危険な場面など、「あ、危ない!後ろに人がいるよ!」と、今でも声に出したりしてるのです^^;

映画は観て一巻の終わりではなく、「もし自分の身にあのようなことが起こったら」と後で考えて見ることは、普段ののんびりした生活にちょっとした起爆剤を与えるような気がします。

たかだか70年80年の人生で、わたしたちが経験体験できることは、知れているでしょう。でも想像力を持つ人間は、それを駆使して模擬体験とします。更に賢い人はそれを未来につなぐことができるでしょう。

自分の身を人の立場に置いてみる。これはたやすいようでなかなか難しい。
論語に、「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。」とありますが、「60歳で他人の意見が分かる」と言うのには、その歳の頃には、「人のなすこと言うことが、環境、文化、教育の背景から来るものであり、いちがいに笑ったり怒ったりはできない」という意味合いも含むことでしょう。

異文化社会に身を置く場合、私たちは、特に若い時は往々にして自分が体得してきた常識なるものをうっかり振りかざし、批判しがちです。わたしにも若い時、うかつにもそういうことをしてしまった後悔があります。

日本の教育が一番いい、と錯誤したことw、日本人は時間厳守、常にきっちりしていて他人に及ぼす迷惑行為はあまりとらない、と言う幻想w

これらは勿論、まったくそうなわけではないのですが、時間を守らない、きっちりしない、迷惑行為を平気でする、などの同国人に私自身は出会って来ました。要は日本人だから、ポルトガル人だからの問題ではないと言うことです。

日本人であるわたし自身も、同じ国の人から、「ポルトガルに長い間住んでる人だからね」との印象を与えることがあるかも知れません。しかし、「異国に住んでいる」から、ではなくて、「単一の文化を離れて体得して辿り着いた考え方をするの人」って捉えて欲しいな、と思います。

国柄は人柄に似てるでしょうか。ま、国も人も個人的に好き嫌いはあるでしょうが、色んなことをその「個性」と見るか否かで、随分私達の接し方にも生き方にも違いが出て来ると思います。

物事を捉えられる想像力は、読書や映画の鑑賞から、そして異文化体験からも十分に養うことができるのではないでしょうか。

読書も映画も、そして海外のことも、「想像力を駆してその身をそこに置いてみる」のは、ああだこうだと批判する以上に、わたしたちに素敵な生き方のコツを示してくれると思います。

映画、加藤大介主演「南の国に雪が降る」を見て、涙腺破裂、ここ数日こんなことを考えたのでした。

minaminoshima.jpg

ではみなさま、また。

ポチッとランキングクリックひとつしていただけると嬉しいです。


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月12日 

「なにごとも石の上に3年であ~る」と言い渡していたこともあってか、なくてか、大学を卒業して東京の某社に勤務すること丁度3年、お金を貯めたのでこれで大学院に行く、と突然言い出したモイケル娘であった。そうして、都内池袋のR大学院で2年、修論に取り組んでいた頃のこと。

娘から送られてきた修論の一部を目にして即、「なんじゃいな?この黒人て?江戸時代に日本に黒人がおったとは思えないぞ」と言ったら、笑われたのであった。「おっかさん、コクジンじゃなくて、クロウドと読むのじゃ」。

そう言えば、江戸時代の狂歌師をテーマに取りあげて、数ヶ月、市立図書館や大学の図書館に通い詰めで、ほとんど悲鳴をあげんばかりの娘であった。それはそうだろう。大学4年間は英語系だったのを、いきなり院で近世日本文学だと言うのだから。おまけに、テーマとして取り上げた浜辺黒人なる狂歌師についての資料はほとんどないということを、その時になって発見した娘ではあった。

18歳までポルトガルに生まれ育った彼女にしてみれば、英語、ポルトガル語、日本語のトライリンガルに、もうひとつ、「江戸時代の日本語」という外国語が加わるようなものです。

古文などは、週に1度の補習校の中学教科書で、「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり」と言うようなさわりの部分を目にしたくらいで、知らないと同様の状態で取り組んだのですから、その大胆、かつ無鉄砲なるところ、その母の如し(爆)

狂歌師浜辺黒人なんて、「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ」の歌人、山部赤人(やまべのあかひと)のもじりではないか(笑)

良く知られた狂歌には、わたしの高校時代に日本歴史の教科書に出てきた「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」がある。

江戸時代中期、賄賂政治の田沼意次(たぬま・おきつぐ)に代わって、元陸奥白川藩主だった松平定信が敷いた「寛政の改革」、あまりにも厳しすぎて、前の田沼(田んぼや沼にかけている)賄賂政治が恋しい、という意味だ。

狂歌は和歌をパロディ化したものらしい。そこで、ちょいとネットで検索してみると、あはははは。狂歌師たちの狂名に笑ってしまった。

朱楽菅江(あけらかんこう=「あっけらかん」のもじり)、
宿屋飯盛(やどやのめしもり)、
頭光(つむりのひかる)、
元木網(もとのもくあみ)、 
多田人成(ただのひとなり)、
加保茶元成(かぼちゃのもとなり)、
南陀楼綾繁(ナンダロウアヤシゲ)
筆の綾丸(ふでのあやまる)
↑これなどはしょっちゅうキーボードでミスタイプしてブログで誤字を出すわたが使えそうだ。わたしの場合は「指の綾丸」とでもなろうか(笑)

筆の綾丸(ふでのあやまる)は、かの浮世絵師、喜多川歌麿の狂名だという。中には、芝○んこ、○の中には母音のひとつが入るのだが、これなどには唖然としてしまう。

おいおい、モイケル娘よ、こんなヘンチクリンな狂歌師たちとその作品を相手の修論、資料が少ないともがき苦しんでいたなんてホンマかいな。腹を抱えて笑うのにもがき苦しんでいたんではないか?等と勘ぐったりしているのはこのおっかさんで、当たり前だが修論はいたってまじめに仕上げられている。この研究が生活にはすぐ役立たないが、そういう学業を教養と言うのかもしれない。高くついた教養ではあるが(^^;)

夫は娘がその専門を活かした職業に就かなかったのが多少不満のようだが、おっかさんは、焦らないでもいいぞ、人生は長いのだから。そうして学んだことがいつどこでどのような形で役立つかはわからないものだから、と、伝えたいのである。

気がつけば、ポルトガルの高卒国家試験受験結果を携え、東京の大学を目指して日本へ行ったモイケル娘だが、早や15年が経つ。

006-1.jpg
この頃は、今日の結果が予想できるわけもなく、ひたすら子育てを楽しんだ時期だった。

思えば、補習校中学校の卒業式答辞で、「わたしは日本へ行くのではありません。日本へ帰るのです」と言って、わたしを始め出席していた人たちを驚かせたモイケル娘であったが、それもふた昔ほど前のことになり、彼女の夢は実現してなんとかダンナも見つけ日本定着15年。

娘よ、そして、息子よ、若いうちは失敗を恐れるな。失敗のない人生こそ失敗であるぞ、とポルトから応援している母である。

本日も読んでいただき、ありがとうございます。ではまた明日!
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月11日 600年の伝統を持つポルトガルの新入生しごき

9月は欧米では新学期です。
ポルトガルの大学は6月の高校卒業資格兼大学入学資格となる国家試験の結果と、高校2年間の成績を持って、各大学に願書を出し成績の上位順に入学が許可されます。

希望大学や学部に入れなかった場合は、第二希望学部、若しくは他都市の大学へ再度願書を提出し、新学期が始まるまでに学籍が決定されます。

希望に胸膨らませて大学新入生の第一歩、授業開始前の9月にあるのが、「Praxe Académica」なる行事です。

この時期になると街のあちこちで見かける光景ですが、黒マントを羽織っているのは大学学部の先輩、地べたにはべっているのが新入生です。場所はJardim do Passeio Alegre ドウロ川沿いの側の公園です。

praxeacademica2_1.jpg

写真に見えるのは18世紀のイタリア人建築家ニコラウ・ナゾニの作品のChafarizと呼ばれる噴水。Wikiより

こちらはAliados 市庁舎前でわたしが見かけたものです。

praxeacademica1.jpg

しごきには写真のようなものもあります。

praxe4-2[1] praxe5-2[1]
小麦粉を振りかけられている。       腕立て伏せ
             
          praxe6-2[1]
             紙おむつを顔に貼り付ける。

praxe3.jpg

praxe6.jpg

笑って済ませられる間はいいのですが、近年、だんだんとしごきの仕方がエスカレートし、見るからに屈辱的なものが増えてきました。公衆の面前でするわけですからね。先輩たちといっても19歳からたかだか21、2歳までの若者たちです。配慮が足りないところがあります。

praxe5.jpg
男性だったら大変だなぁ、たのむわ、と思われるものの一つ。

praxe7.jpg

これもどうかと。すぐシャワーを浴びられるわけもなく週日こうして歩くわけで。ペンキ、ちゃんと落ちるのだろうか・・・
我が息子がポルト大学経済学部に入学した年のこと。(翌年彼はポルト大学を退学、学部もITに変えてリスボン大学に入学し直しました)

このpraxeのために指定された店でTシャツその他身につける道具が入った一式を下げて出かけたその日の夕方、帰宅した息子のひざを見てわたしは激怒したのでありました。

ジーンズのひざはほとんど破れんばかりになり、ひざそのものは皮膚がむけて血だらけ!「いたた、いたた」と悲鳴をあげそうな息子のひざを消毒しながら問いただすと、新入生全員、大学構内をひざで歩かされたのだそうな。構内はコンクリですよ、コンクリート!

「そんな伝統祭なんて、行く必要なし!なんなのこれは。人の大事な息子のひざをこんな風にして、遊びにもほどがある!行きすぎだ!」と、途中で放り出して来なかった息子にも腹を立てたのでした。

このPraxeは2週間ほど続くのですが、翌日、大学へ再び一式の衣裳を持って行くと言う息子のひざが心配で、「今日同じ事したら、ひざ、壊れるわよ!そうなったら上級生と喧嘩してでもいいから、止めて帰って来んさい。」と、ひざに分厚い当て布をさせて出したのでした。中に女子もいたと言う・・・いったい何を考えているのか!

「新人しごき」をする側に回るためには、新入生の年にしごかれていない者は資格はないのだそうな。
こんな種類のしごきなら、する側に回ったところで何が面白いものか!

コインブラ大学に4年、ポルト大学に2年籍を置いた亭主に聞きますと、昔は、「今晩、全員ガールフレンドを連れて来い」とか、いたって単純なカワイイものだったそうです。夫も当然、こんなのはやりすぎだと、当時は二人で息巻いたのでした。

そのうち、Praxeの行き過ぎが原因で他県の海岸で数人の新入生が海に入り、そのまま行方不明、死亡する大事故が起き、新聞で取り沙汰になり、大学も人権を無視したような屈辱的なものは許さないとの通達も出て、少しナリをひそめたようです。

これは、かつての日本の大学生の「一気飲み」強要を思い出させます。それまで一滴もアルコールを口にしたことのない新入生、急性アルコール中毒で病院に運ばれたり、亡くなった学生もいましたよね。

所沢の我が妹は、一気飲みの場合に備えてと、息子たちが高校3年生のころから夕食に少しずつビールを飲ませて練習するということをしていました。

Praxeの起源は14世紀、ディニス王の創ったコインブラ大学に発するようです。ポルトとリスボン中間に位置するコインブラの街は学生街として古い歴史を持っています。

コインブラ大学は、ディニス王が法皇ニコラウ4世に承認されて創立したリスボンの高等教育学校が元になっています。リスボンの人口、学生の数も増えたところで、思い切ってコインブラに学校を移し、以後コインブラ大学と称され、パリ大学、オックスフォード大学と並んでヨーロッパでは一番古い大学のひとつです。

ディニス王は、できの悪い学生を大学に監理させたのですが、これがpraxeの始まりとなりやがて新入生に適用されるようになります。18世紀には新入生の死により、1727年当時の王ジュアン五世がpraxe禁令を発布しています。なんだ、結局、現代においても同じことを繰り返してるなんて、人間は進歩がないなぁ、とつくづく思います。

若い人たちが、古い習慣にのっとって少々羽目をはずすのは大目に見るとして、せいぜい笑って済ませるものにとどまって欲しいものです。

ちなみにリスボン大学では、praxeは行われません。ま、それが原因で我が息子、リスボン大学に移ったとは思われませんが(笑)


本日の画像は一枚を除き、全てWikipediaからです。では、これにて。
お時間あらば、ランキングクリックをひとつしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月9日 

夕べの台風通過路にあたった区域のみなさま、ご無事だったでしょうか。息子の大学の試験は延期、モイケル娘は電車が動かず待機中だと言っていました。

アメリカではハリケーン・ドリアンの被害が大きく、そして、ポルトガルでは冷夏だったのが急に気温が上がった先週、あちこちで山火事が発生していました。

台風、ハリケーン発生はやむを得ないとして、毎年起こる山火事は国土の一部が焦土になるわけで、国が総力を挙げてなんとかせぃ!と内心毒づいています。防火のための手入れをしないもので自然発火も多いのですが、放火も結構あると聞きます。と思っていたら、今朝はぐんと気温が下がり、夏も終わりの落ち着かない気候のポルトです。

さて、この夏中、実はずっと体調悪く、体を動かすとすぐ息切れして、おかしいなぁ、どうなっちゃったんだ、自分?と思っていた矢先、ここ15年来来てなかった心臓の早やドキドキが突然襲ってきました。

これは、子育てと補習校講師をしていた時期によく起こったもので、一度は心臓の検査という検査を全てしました。その早い心拍に襲われるのは、だいたいが疲れている時で、同時に呼吸が苦しくなったものです。恐らくストレスからくるものだったと思うのですが、検査をするときは、通常の状態ですからね。当時の検査結果は弁の動きが時に不規則になるようで、大きな問題はない、という診断でした。20年くらい前のことでしょうかね。

それにしても、よくブログ更新続いたねと言われそうですが、そうでもして毎日の生活にリズム感を取り入れないことには、暗い夏休みになってしまいます。色々なことを思い出しながら書いていると、不安やしんどいのを忘れたりするものです。

んで、長い間なかったのが、再び襲ってきたのですが、呼吸が苦しくなるという症状がなかったものの、早い心拍が以前と比べてずっと長き続きました。夫、翌週に、色々な検査予約を入れました。

血液検査、心臓のエコ検査、そして下のようなホルター(Holter)心電図を取り付けました。

Aug_3.jpgAug_2.jpg

胸部の10箇所ほどにシール状の電極をぺたぺた貼り、小型心電計をぶら下げて24時間心拍を調べます。

これが、アレルギー体質なもので、シールを貼り付けた箇所にかゆみを感じで困りました。24時間携帯するので、寝るときは、先日ベッドから落ちたもので、それが怖くてこの夜はまんじりともせず。

分析結果は、眠っているときでもやはり不整脈があるとのことで、心臓医の診察は近々受けるのですが、甲状腺のエコ検査も受けろと仰せ。

これまでの人生で、わたしが入院したのは2回のお産の2日だけ、病気とは縁がないと思ってきたもので、これらの検査には「げげげ・・・」でした。

心臓のエコ検査を受けた時、女医さんが鼓動の音を大きく聞かしてくれました。子どもたちの胎動は聞きましたが、自分の心臓の音は初めてです。人間の体の構造って奇跡だなぁ。あぁ、このお陰で自分は生きているのだ、このドクンドクンが止まる時、自分は死ぬんだなぁと妙にセンチメンタルになり、涙が出そうなのをかろうじてこらえました。

振り返ると、子育ても一段落した60代に入ってから、ポルトでの生活は年々忙しくなり、それを歓んできたのですが、うっかり歳をどこかに置き忘れたところがありました。「自分の歳、考えなあかんで、あんた。いい加減にしときや」との友の言葉が染みる今日であります。

日本語教室が始まった先週土曜日、大丈夫だろうかと思っていたのですが、大丈夫でありました。夏休み中の体調不良は、今日のところかなり回復したように思います。診察を受けてお医者さんの見立てを仰がなければわかりませんが、自分の感覚としては、あれはひょっとして第二の更年期障害ではないのか?です。

昔、「黄昏(On Golden Pond)」と言う、人生の黄昏を迎えたヘンリー・フォンダ、キャサリン・ヘップバーンの老夫婦の映画がありましたが、数年前には他人事に思えていた我が人生も黄昏時に染まりつつあるのであります。

毎日のように台所のベランダから望む黄昏、抗えない引きずられる魅力を感じてきたのは、いつかあの中に帰って行くからだろうか。

sept5_1.jpg
昨日の黄昏も美しかった。

夕方になると元気になるので「たそがれ清兵衛」と陰口をたたかれた清兵衛とは違い、人生の黄昏に入ろうとする「たそがれ優兵衛(ゆうべぇ)」でございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。


映画「黄昏」のテーマソング。よかったらどぞ。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月8日 

ベッドから落ちた。70年生きてきて初めてです。
この夏の息子も一緒の家族旅行でです。ドンッと音がしたようで、隣でグースカ眠っていた夫も何事かとびっくりして目を覚ましたそうです。

右頭から右顔、右肩そして不思議なことに両膝をしたたか打ち、すぐには立ち上がれませんでした。夫の助けを借りて、ベッドにもどり、顔と膝の腫れを防ぐため水で濡らしたタオルでずっと湿布したので、腫れは酷くはなりませんでしたが、翌朝は歩くのが大変でした。

仰向けに寝ながら、痛くて曲げられない膝のことを考えると、もしかしたら膝の皿にひびが入っているかもしれない、そしたら歩けない、歩けなくなったらどうする?と、極端なことを考えてしまい、昔、近所に住んでいた義母の友だちのおばあさんが、病院でベッドから落ちて腰の骨を折り、死期が早まってしまったことを思い出しました。

作家、壇一雄が1年ほど住んだと言われるサンタ・マリアのあの旅行でです。生まれて初めて、もしも歩けなくなったら、なんてことが頭に浮かんだのでした。その夜はまんじりともせず、未だ痛む両膝を抱え気味にして、恐る恐るゆっくり立ってみる。

と、お、なんとか立てたぞ!ゆっくりだけど歩けるぞ!人様が気をつけてみたら外見から分かるであろう腫れ気味な顔よりも、ベッドから起き上がれて歩けたことで、安堵に胸をなでおろす。

朝食をとるため部屋を出て、膝の痛みでアヒルの如くあるくのを目ざとく見つけた息子、「どうしたの」と聞く。「べ、ベッドから落ちてん」「えー!なんで?」
なんでって聞かれても寝てるときに起きたんやもん、知らんがな。

実は文句が一言ホテルにあるのでして。
通常はベッドの両横にサイドカーペットと言うものが敷いてあるんちゃう?海岸がすぐ側なので砂を払うのが大変だからか、それが敷かれてなかったのと、多分同じ理由でだろうか、床がタイルだったのです。それで、ベッドから落ちたとき、モロに体を床に打ったわけで、アメリカだったら、これは裁判沙汰になりそうな件だと思いますが、幸い酷い怪我をしたわけではなかったので、夫はチェックアウト時にコメントをしてきたと言います。

「妻がベッドから落ちた。サイドカーペットが敷いてなかったので、したたかに体を打った」
・・・・・・なんだかなぁ、嬉しくない。ベッドから落ちたって言わんでもええんちがう?

膝の青タンもほぼ消え、事なきを得て終えそうな具合なので、こうして今になってブログにあげたり、人に話したりしていますが、「ホテルのベッドから落ちてん」と言うと、返ってくるのが「あっはっはっは。あんたらしいわ」と、同情のないのばかり。

ええねんええねん、あんたら笑っとき。ほんまはまだ続きがあんねんで。それが、「たそがれ優兵衛(ゆうべぇ)につながるん。
というので、続きは明日。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月7日 

今日は本の話をさせてください。

読んで気に入った本の中には、児童図書や絵本がけっこうあります。

・「雲の物語」(武田鉄也)
この本は、読み進めて行くうちに、「あれぇ、なんだか町の描写がすごく、我が弘前に似てるなぁ。」山の話に及ぶあたりで、「これは!」と思ったら、案の定、弘前が舞台だったのでした。武田鉄也さんが書いたとても素敵な物語です。

・「ルドルフとイッパイアッテナ」1&2、(斉藤洋)
猫たちの話なのですが、読書嫌いの二人の男の子に薦めたら、夢中になって読んだという本。その一人は小学生時代の我が息 子、もう一人は担任だった小学生のK君でした。

・「ザ・ギバー」(ロイス・ローリー)
1990年代に読んだ本ですが、2014年に映画化されており、みました。近未来、とあるコミュニティーで人々は投薬を受け、感情や感覚を抑制されて生きています。その中にただ一人、過去の人間の記憶を全て蓄えている老人「ギバー・記憶を与えるもの」と接する一人の青年が愛や憎しみなどの感情を知ることになり、真の人間の幸せについて目覚めていきます。  

・「空色勾玉」(萩原規子)日本の神話を基にしたファンタジー小説です。

・「クオレ・愛の学校」(アミーチス) 
イタリアの児童文学です。「母を訪ねて三千里」という話もこの中に含まれています。わたしの愛読書で、ポルトガル語版を持っています。

また、前回書いた小川未明の作品の「花咲き村の泥棒たち」もいいです。これらの本は、知り合いに中高生がいると、わたしが必ず薦める定番の本です。

絵本では「片足ダチョウのエルフ」「100万回生きたねこ」「チロヌップのきつね」「The Giving Tree」(邦題:大きな木?)「葉っぱのフレディ」

2019_Sept_1.jpg


これらの絵本は、気に入ったを通り越して、もはやわたしの愛読書です。「The Giving Tree」や「葉っぱのフレディ」は、子供のための本というより、むしろ大人が読めばいいなぁ、と思わずにいられない、深い哲学が含まれていると思えます。「チロヌップのきつね」にいたっては、今でも読む始めると泣けて仕方がありません。

私たち大人がある時期に到達したときに読んで、おそらく誰しもが、そのいわんとすることを感じることができる気がします。人生の扉が目の前で少しづつ開かれ始め、未知との出会いに胸ふくらむ、そんな時期に読んでも、もちろん分かりそうな気はしますが、わたしが若いときに思った「20年後」が、想像し得なかったと同様に優れた絵本は子供のためとは唱っているものの、むしろかつて子どもであったことを忘れてしまった大人のための物語でもあると思います。

これらの絵本は、何度でも手にして読みます。そして、繰り返すたびに、わたしは新たな感動を覚えます。

自分では気づかなかった人生の大きな絵パズルの一片が、ある一冊の児童図書によって埋められる、そんな気持ちになってしまいます。このような書物を生み出す人とその本に、深い思いを抱くことを禁じえません。

再度本棚から、「The Fall of Freddie the Leaf」(葉っぱのフレディ)を取り出して思ったことでした。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月6日 

今日は一日中、明日の日本語授業準備をしていました。二クラス、20数人分のテキストコピーをチェックし整えるのには時間がかかります。で、これを運ぶのがまたク○重いのです。このコピーの他に、カバン等がありますので、夫に手伝ってもらいます。

Junbi1.jpg

肩の力をふ~っと抜いて、日も暮れようとする外の景色に目を移すとき、「平和だな。 こういうのを幸せと呼ぶのかもしれないな」と、今生きているこの時間を五感で感じます。

Sept4_1.jpg

亡くなられた日野原重明さんと言う聖路加病院のお医者さんは、齢90歳を超えても働いておられました。この方の言葉に、「よい出会いがある。それはあなたの才能なのです。」というのがあります。

わたしは常日頃から、自分は凡人な人間なのに、多くの素晴らしい出会いがあって、その人たちによってわたしの人生は、とても色鮮やかな糸で織り込まれたものになっていると思っています。

辛い出会いも、それが過ぎていつのまにか遠のいたと気付く時、「よい出会い」になっているような気がします。

家出やヒッチ・ハイク、見知らぬ町での放浪など、無鉄砲なことを多々してきましたが、不思議とわたしは危険な目にあうことなく今日まで生きて来られました。

英語が少し話せる、ポルトガル語も少し分かる、日本語をなんとか教えられます。歌も好きでちょっとだけ上手に歌えた。木彫りします、レース編みも。

毛糸編みも、ポルトガルに来て初めて、本を見ながら独学、子供達のセーターはほとんど全て手編みしました。英文タイプも独学でした。高学歴はありませんが、不思議なことに気が付けば教える仕事に長年携わっているのでした。50も半ばを過ぎてから娘にパソコンを習い、未熟ながら現在こうしてブログを書いています。ブログのお陰で、小冊子に、これも気付けば10年以上ポルトガル案内の記事を綴ってきました。辛抱強くわたしの拙文に付き合ってくれたよい編集者に出会ったのだと思います。

こうして挙げていくと、日野原さんではないけれど、あらま、わたしって才能あるじゃないの(笑)

「出会い」と言うのは、人と人とのことだけではなく、自分の人生で起こる様々な出来事が出会いそのものだと言えるのでしょうか。
わたしたちが持つ些細な才能を生かして、みなさんも「よい出会い」にできたらいいな、と今日は美しい夕暮れを眺めながらこんなことを思っていました。

さて、明朝の授業準備もできたところで、みなさま、また明日。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月4日 
 
いよいよ今週から日本語教室が本格的に始まります。
今年は土曜日に新しいクラスを開く余裕がなく、昨年からの初級クラスが全員継続希望というので引き続きこのクラスと、中級クラスの2クラスです。2、3人の編入生も含む合計24人を教えることになります。

初級の文法本2冊は50課まであるのですが、第40課も過ぎるとを中級入門クラスと捉えて、わたしは毎新学期の初めに、文法を離れて日本の児童文学や読み物を用意します。

これまでに生徒たちに読んでもらったものは、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、今西祐行の「ひとつの花」(日本の小4教科書掲載)、O.ヘンリー短編集から「20年後」、向田邦子の「壊したと壊れたは違う」、そして、昨年九月にとりあげたのが乙一の「昔、夕日の公園で」。

今回は向田邦子の「字のない葉書」か、椋鳩十の「大造じいさんとガン」、もしくは小川未明の「野ばら」の3作品からどれにしようかと随分悩んだのですが、内容からして生徒たちが一番取り組みやすいのではないかというので、「野ばら」にしました。

「字のない葉書」は大東亜戦争の話に食い込み、かなりの時間を要することになります。また、わたしは、椋鳩十さんの物語が大好きで氏の本を2、3冊持っていますが、「大造じいさんとガン」は少し話が長いのです。

ガンの群れの頭領である残雪が飛び遅れた一羽の仲間をハヤブサの攻撃から守ろうと戦う場面から傷ついて狩人の大造じいさんと向き合う場面まで、何度読んでも感動して朗読に思わず力が入ります。

今回の読本は、この「大造じいさんとガン」にしたいと思ったのですが、10月半ばにはクラスを休講して帰国予定をしているため、文法読本と併せての授業では、それまでに終えられそうもないというので、この案は次回まで没です。

この本については下記で取り上げています。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1400.html

さて、今回の「野ばら」ですが、「~であります」「~でありました」調の美しい日本語文章は、アニメや漫画の日本語に慣れている生徒たちに、是非触れて欲しいと思っています。

野ばら

というので、独断で日本語の作品を生徒たちに紹介して読んでいるのですが、この作品選びの時間は実はわたしにとりとても楽しいものなのです。いい本は、時に読者の人生観を変えたりしますものね。

本とわたしの出合いについては下記で綴ってあります。よろしかったらどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1495.html「蛍雪時代」

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年9月2日 

ちょっとかったるいなぁ、という時は、子どもたちが日本に上陸して間がない頃のいろんな笑い話を思い出しては、気を取り直し、がんばります。

そこで、今日はそれらの一部を披露して、よかったら一緒に笑ってください。

娘は15年、息子は10年になる日本生活です。兄妹が合流して南行徳に居を構え、やっとネット接続ができ、なんとなく人が住む部屋らしくなってきたときのこと。

息子が早速メッセンジャーで言うことには、今日周囲の人たちに笑われたのだと言う。なんで?と期待満々の心で聞く母(笑)

一人で布団を買いに行った。宅配してもらうとお金をとられるので自分で運ぶことにしたのだそうだ。息子が電車に運び込んだその荷物とは、「マットレス、敷布団、掛け布団、毛布、それに枕」
おい@@、お前、それを全部持って歩いたんか(爆)

しかし、考えてみれば、大してお金を持ってもいない身分の息子、ちょっと頑張ればできるようなことなのだから、重いだのカッコ悪いだので払うのは無駄なお金として、できるだけ使いたくないというのだろう。

彼の名誉のために言うが、息子はケチなのではない。リスボン時代の仕送りもできるだけ親に負担をかけないようにと心がけてきたようで、経費等の無心は一度たりともなかった人である。

今時、日本ではそんな大きな荷物を持って町を歩く輩はおらんわい。周囲が見て笑うのもごもっとも!
と思いながらも、大都会でイナカッペ丸出しの息子の話を聞いて、わたしはなんだか楽しくなった。

息子よ、あんたはえらい!周りがどうのこうのというより、迷惑をかけないのであれば、そういう範囲内なら大いに自分の主義を通してください。

息子のこんな話を聞きながら、晴れて日本の大学生となり、日本で一人暮らしを始めた頃のモイケル娘の愉快な話を思い出さずにはいられなかった。

当時、日本行きを前にして、一人ポルトに残る母親になんとか夢中になれるものを、との彼女の配慮で、ヤフージオの無料ホームページとやらを運営していたのだが、へたくそな画像をドンドン掲載しすぎて容量限度にせまり、どうしようかと悩んでいた。

すると、有料のアカウントにするといいとのこと。が、そのためには銀行口座を開く必要がありました。
機械類を通してお金を動かすのが嫌いな古いタイプのわたし(笑)、そういうのには手をださない。
我がもいける娘がもうひとつ、ヤフー指定の銀行に彼女の名義で口座を開いてもくれることになった。

その日メッセンジャーで話したら、口座は開いてあるとのこと。なんぼいれたの?と聞くと、

「最初は200円」
「え?」と、メッセンジャーに打ち出されているその数字を疑った。
「200円じゃなくて、20000円じゃないの?」
「いや、200円。銀行へ行ったその日、お金下ろすの忘れて、財布をみたら200円しか
なかった。1円からできますよ、って銀行の人、言ったし」

もいけるよ、あんたはえらい!(爆

2011年3月三陸沖地震のときのこと。
計画停電だというのに、懐中電灯もろうそくもないという我が子達、懐中電灯をネットで注文したら品切れでないと言う。大阪の我が親友Michikoが食べ物を含むそれらの物資を届けてくれました。

子供たちの住む区域、夕方6時から10時まで停電の今日、間もなくその時間がくるという前の少しの間、スカイプでモイケル娘と話しました。

おっかさん  懐中電灯、手元に用意してる?
モイケル   うん。ヘッドライトをつけてる
おっかさん  へ、ヘッドライト?
モイケル   そ。みっちゃんが送ってくれたのを頭につけてる。
        鏡で今自分の姿を見たら、マヌケだった^^;

↓こ、こんなんを頭につけてるんか、と思ったら、停電を待機しているのが気の毒だとは思ったが、おかしくてつい大声で笑ってしまった。
Light.jpg

笑っている間に停電が来た様で娘はスカイプから落ちていた。夫にもヘッドライトの話をし、このところ、わたしたち夫婦の会話はずっと心配な話題か津波の映像を黙って見るばかりでしたが、こんな小さなことだが久しぶりに笑った気がします。

娘のブログタイトル「がぁーん( ̄□ ̄)!!」

今住んでる部屋に来てもうすぐ2年。私は特に大きな不満はないが、兄の5畳+光が全く当たらない残念な部屋がかなりかわいそうなので更新料がかかってしまう前に引越すことにした。

そんなわけで昨日は二人で不動産に足を運んで物件探し。何軒か部屋を見せてもらい、そろそろ帰ろうかと話していたところ。

最後の一軒から出ようとして足をいれたら、履いてきたブーツのジッパーがなかなか上がらない。長年使ってるため、前から上がりづらかったのだがこの時はなかなか手ごわく。思い切って力を入れたらビビーーーーッと片方のジップだけで上まで上がってしまったあああああ 

かんっぜんに壊れたぁああ 。・゜・(/Д`)・゜・。うわぁぁぁぁん
長年履いてきたブーツのジッパーがぶっ壊れたー;;

日本に移るちょっと前にポルトガルで買ったんです。母に買ってもらった思い入れがあるブーツだったんです。

不動産の人も苦笑い・・

・・・・

その後コンビニでセロハンテープ買って無理やりブーツを足に巻いて帰りました。。ほんとセロハンテープやらガムテープやらよく使うな私・・

さよならお気に入りブーツ(TT)


これを読んだときのわたしの反応はと言うと、あの膝までの長ブーツですよ、そのジッパーが壊れて、スーパーまでバコンバコンさせて歩いたのかと想像すると、ただただ笑うのに苦しく。

それぞれに伴侶との生活をしている兄妹だが、この手のズッコケ話を聞かなくなったから、少しは日本社会に慣れてきたのだろうか?

笑いは百薬の長だと思うわたしだ。

ではみなさま、本日はこれにて。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2019年8月31日 

毎朝、ネットで日本のニュースを読むのが習慣ですが、小隣国の近頃の難癖、告げ口外交には辟易、大隣国の香港の雨傘運動の成り行きも怖い重い思いで見ています。

そうしたら、好きなブロガーのコメント欄で読んだ小噺に出遭いました。

神が天地を創造された時のこと。

神「日本という国を作ろう。そこで、世界一素晴らしい文化と 世界一素晴らしい気候を、世界一勤勉な人間に与えよう。」

大天使「父よ。それでは日本だけが恵まれすぎています。」

神「我が子よ、案ずるな。隣に韓国を作っておいた。」(^^♪

罰ゲームかいっ!

というのに、プッと噴出していたのでした。ご冗談でしょよね。全く。

気になることがある日々は熟睡ならず、どうも落ち着きません。普段だと日本語授業をすることでしばし忘れて、これが繰り返され、いつの間にか気持ちもおちつくのですが、休暇中であり、自分ではどうにもできない時は気持ちを別の方向に向ける努力をしてみます。

Sept1.jpg

8月最後の土曜日、6匹の外猫たちのご飯を持って出た夜8時半過ぎ、美しい日暮れでした。

ふっとブラジルの作家パウロ・コエーリュの一節が浮かびました。

 「夕焼けを見ても心がひとつも動かされなくなったら、胸に手を置いてそのことを考え、愛を探しに行かねばならぬ」

この「愛」について考えていた一時期があったのですが、忙しさにかまけ、いつの間にか忘れていました。

家に帰り晩御飯作りの続きをしていて、はっと気付いたのです。これは、誰かから自分が受ける愛ではなくて、自分の中の愛ではないのか?あまりに深い言葉で、のめりこんでしまってはいけないと、そそくさとパウロ・コエーリュの秘密の言葉のドアを閉めたのでした。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ