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2019年11月30日 

過去160年以上にわたりポルトガル北部のぶんかや歴史に名を遺した貴族、女優、詩人作家芸術たちが多く眠るアグラモンテ墓地はポルト氏に市のボアビスタ地区にある。

12ヘクタールの敷地内の道は思いのほか広い。季節によってマグノリアや椿の花びらが通路や墓碑を埋めるさまな幻想的だ。ところどころに美しい彫刻が見かけられ著名人の墓碑の前には小さな説明版がある。まるで自然の中に置かれた芸術作品をながめているような錯覚に陥る。

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特に美しく嘆く女性の彫刻があしらわれたサントス・デュモン家の墓碑は、訪れる人の目を奪うだろう。ヨーロッパにおける航空パイオニアと呼ばれた発明家で飛行家でもあるアルベルト・サントス・デュモンの一族である。

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上の墓はポルトガルきっての彫刻家だったアントニオ・テイシェイラ・ロペスの作品だ。また、生存中29本の映画を撮り2015年には「世界の現役最高齢の映画監督」との照合を与えられたマヌエル・ド・オリヴェイラもこの墓地に眠る。

「ヨーロッパで訪れてみたい街」のトップに何度か選ばれているポルト、わたしが歩いたときは人影もなかったが、今ではこの墓地を訪れる旅行者も増えてきた。旧市街を見た後は少し足をのばして、過去に生きた人人をしのぶ彫刻作品に会え穴場として紹介しておきたい。
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2019年11月25日 

この時期になると、あちこちの慈善協会から寄付のお願いの電話がかかって来ます。

ええカッコするつもりはないのですが、わたしはうちより遥かに貧しい人たちへの援助として、毎月少額ではありますが、ずっと寄付しています。

なに、ことの発端は、まことにしょうもない出来事なのです。

補習校時代のことで、まだ我が子たちがそこで学んでいたころですから、かれこれ20数年くらいも前になります。その日の土曜日も授業を終えて子供たちと一緒に車で帰宅しました。 

家に着いたところで、
「おろ? わたしの教材道具一式が入ってる、デカい四角いカバンはどこ?」
ない・・・・なかったのです、いつも行き帰りに入れるはずの車のトランクに。

その日は給料日でもあり、給料袋をかばんに無造作につっこんだまま、昼食に用意もあったので大急ぎで帰ったというわけです。

そのかばんは随分と重いものですから、駐車してあった車の側の地面にいったん置き、急かして子供達を車に乗せたはいいが、 どうやら、カバンはそのまま置きっ放しにして来たらしい・・・

さぁ、大変!慌てて車で補習校までバックしたものの、がらんとした学校前にはカバンらしきものは見当たりませんでした。 ショックでしたねぇ、あれは・・・
お給料もさることながら、教材一式がなくなったと思うと、それが無念。

翌朝、ダメ元だと、夫が学校の区内にある警察へ届け出に行ってくれましたら、なんと!ポルトガルでは非常に珍しいことに、当時学校に住み込みしていたのが警察官の家族で、その警察官が家に帰ってきた時に置き忘れられたカバンを見つけ、預かってくれている、とのこと!

これはもう、ポルトガルでは、ただただ運がいい、としか言いようがありません。

カバンを見つけられなかった土曜日の夜は、がっくり肩うなだれて、昼食夕食の準備に台所に立ちながら、心の中でひたすらカバンが戻ってくることを祈り、誰とはなしに、誓っていたのでした。

「もしも万が一、あのカバンが手元に戻って来たら、給料の全部をどこかに寄付します、約束します、神様仏様・・・」と、苦しい時の神頼み。

さて、無事に戻ってきたカバンを手に、わたしはホクホク^^
だって、こういうことはこのポ国では、まずありえないことなのですもん(笑)
そして、ふと思い出した、自分が誰とはなしに誓った、あの約束・・・
「こ、こんなんだったら、約束せぇへんかったらよかった~」^^;セコい人間です、トホホ。

戻って来た給料袋を目の前にしては、ドサクサに紛れて自分の気持ちを誤魔化し、しばらくはどこかへ寄付するということは、しませんでした。その誓いをすっかり忘れてしまっていたようでも、何かの拍子にそれが心に蘇ってくるのですね。

自分では悪いことをしたとは思わないものの、それはある種の罪悪感に似た感情でした。

その年の暮れ、わたしは生まれて初めて、夫と二人、UNICEFに寄付金の小切手を切りました。ケチくさいことに、給料の全額ではなく、半額です、テヘ。

その後また、その半額分がいつまでも気になり、ある日、偶然電話がかかってきたポルトにある募金の慈善団体に毎月寄付することにしたのです。

それは現在も続いており、もうとっくにわたしのあの当時の給料の何十倍かになっています。
一時期、停止したことがありますが、それは、妹たちと同居していた我が母が私立の軽痴呆施設に入居することになり、いくらか負担するという事情があった時です。

母が身まかり、その寄付金は再開して現在に至っています。毎年、夏と暮れ、クリスマスの
ときには、月々の寄付金以外にエキストラ寄付の依頼が来ます。

わたしは時々思います。もしも大きな宝くじがあたったら、絶対その半分は、老人ホームや孤児院、動物愛護協会などに寄付するのだと。

この季節には、ついついそんなことを考えてしまいます。この「当たったらその半分」というところがわたしのボランティア精神のセコいところでもあるのだが。

近所の並木道も落ち葉に埋もれて。11月もあと少しです。
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ではみなさま、本日はこれにて。


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2019年11月22日 

ペドロ、イネスといえばポルトガルではありきたりの名前ですが、小学校の歴史教科書にも必ず書かれる14世紀のポルトガル王家の「ペドロ王子」と愛人「イネス」は純愛と悲劇の代名詞でしょう。
その二人が眠るのがリスボンから北へ120キロのアルコバッサにある「サンタ・マリア修道院(Mosteiro de Santa Maria)です。

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12世紀にポルトガル初代王アフォンソ一斉が建てたこの修道院は、ポルトガルのシトー修道会初の、そして最大のゴチック建築でユネスコの世界遺産にも登録されています。

イネスはペドロ王子の愛妾でしたが、国政を省みず会いに溺れる王子に危機感を持った父王は、イネスの暗殺を命じます。後にペドロ一世国王となった彼は、愛妾の遺体を掘り起こし、王妃の玉座に据えたと言われます。

サンタ・マリア修道院の圧巻は戴冠後ペドロ一世が即座に造らせた美しい細工のイネスと彼の石棺です。二人が再び目覚めたとき、お互いの顔が最初に見られるようにと王の銘で向かい合わせに院内に設置されています。

alcobaca7-ines-2[1]

王の棺には「Até ao fim do mundo(この世の果てまで)」と刻まれ、「人生の車輪」と呼ばれる棺を彩る装飾には二人の恋の歴史が彫刻されています。

華美な内部小食を極端に控えた禁欲的なシトー会は修道院に似つかわしくなく、愛妾と向き合ってポルトガル随一の緻密で美しい石棺を納めさせたペドロ一世の狂気ともいえる愛がうかがわれます。

ペドロとイネスについては、下記でもとりあげています。

コインブラ:涙の泉(1)http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1726.html
・コインブラ:涙の泉(2)http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1727.html
・アルコバッサの石棺http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-708.html


ではみなさま、また。
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2019年11月21日 

現代社会の不健康な点は、大なるストレスがあることです。小学生もストレスを持っている、との言葉を耳にしたときは、子どもがおふざけではございませんよ、なんてわたしは思ったものですが、大人社会のストレスが、子どもたちの生活にも深く浸透しつつあるのだろうな、と近頃は思い始めています。

ストレスでズタ切れになった神経を持ったままでは、それを解消しないことには、当然長生きは無理です。そのストレス解消法ですが、わたしの場合は数年前にこんなことを決心しました。すなわち、日常生活のなかでは「意に沿わないことはしない」です。

仕事をしているとそれは通りませんが、幸いにして自分が好きにできる教室です、たまにわがままな生徒もいますが、こちらは年の功、そういうのを相手にやり過ごすことができます。

自宅で日本語教室。これは教わる側も教える私も楽しみでやっています。何が楽しみかと言うと、日本語を教えながら母国についての新しい発見があったり、それを通して新たに興味の対象を広げることができたりするという点です。

猫たちの世話も、近頃は老年でボケ猫ちゃんも出てきたので少し手がかかりますが、可愛い仕草は気持ちを癒してくれますし、たまに頭にきて大声で怒鳴るのもストレス発散になっています。

こうしてみると、わたしは結構好きなように、あまりストレスのたまらないような生活に入っていると思えます。

人間家業を半世紀+20年以上もやってきてきますと、欲が出て来て、できるものなら長生きしてこの世の中が一体どんな風に変わっていくのか、その変貌をこの目でみたい。

33年に一度めぐってくる最大級のリーオ二ド流星群も、もう一度みてみたいし、その死後70数年にXファイルから取り出すことができると言う、JFK暗殺の真実も長生きして、この目で読んでみたいと、自分で言うのもなんですが、まぁ、可愛い欲ではありませんか。

思考エネルギー、別名「前向き姿勢」とわたしは置き換えているのですが、そのエネルギーだけでは、人生、足りないのですね。同時に体内エネルギーが要ります。
わたしの場合、日本への帰国で体内エネルギーを補足し、ポルトで思考エネルギーを培っていると思います。

日本に住んだ31年より10年も長くポルトに在するというのに、未だ、我が体内がエネルギーを摂取するのに欲するのは、ポルトガル料理よりも遥かに日本料理です。これはもうどうにもできないです。

では、思考エネルギーはというと、世界中の人間が持つ時間は同じなのにどうして日本にいるとこうもせわしく感じられるのだろうか、あまりのせわしなさに、思考が堰止められてしまうような錯覚に陥ったりします。

それに比べて、ポルトでの生活は確かなリズム感があり、なんと落ち着いたものだろうか。この環境で時間が持てることが、幸いな思考エネルギーを養うのではないか。

日本とポルトガルの二つの文化を往来しながら、十二支を6周して思ったことではあります。

もちろん、思考しているだけではいけません。思考に基づく行動も要りますよね。というので、本日はこれから、晴れ間を縫ってちょいと出かけて参りますれば(雨が続いているのです)。

ではみなさま、また!
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2019年11月20日

先週土曜日から日本語教室、自宅での個人授業も始まり、我が生活は通常にもどりつつあります。
が、昨日、食材を買いに隣町のデパートEl Corte Englêsまで車で出かけ帰宅すると、背中にゾクゾクと悪寒を感じ、危ない!長期の休みの直後の今だ、風邪などひいておられるか、と即、ベッドに入りました。

そのまま寝て起きること早朝4時。寝すぎて背中が痛いくらいです。帰宅した夫の夕食も作らず、ごめんあそばせと、彼には面目ない。でき損ないの妻ではあります。

さて、土曜日の仕事は午後1時に終わるので、帰宅し昼食を作るには時間も体力もなし。それで長年土曜日の昼食は夫と外食です。
わたしたちがよく出かけるのは、Campo AlegreにあるCervejaria Galizaです。Cervejariaというのは、4時ころにはいったん閉店し夜8時ころに再開するレストランと違い、いつでも食事と生ビールのサービスが受けられる食事処、ビアレストランとでも言えましょうか。
わたしと夫は単にGalizaと呼ぶのですが、わたしがポルトに来て以来40年間、よく利用しており、市内ではここの生ビールが一番おいしいとわたしは評価しています。ウエイターさんたちも年配者が多く、顔見知りです。先週土曜日も4週間ぶりに行ってきました。

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写真はポルトガル料理を代表するバカリヤウの一品。これを食しながら生ビールを飲んで、つくづくポルトガルに帰ってきたとの実感がわきますね。

さて、食べていたところ、我らのテーブルの後ろにいるカメラを構えたグループ、どうやらジャーナリストのようでした。夫の話によると、どうも経営がうまく行っていないらしく負債を抱えた所有者は売る方向にもっていきたいようだとのこと。

しばらく前の夜には厨房機器がいくつか持ち出され、トラックに積まれているのを偶然見たウエイターが驚いて仲間に連絡し、労組も絡んで結束しているようです。

給料の支払いも遅延で昨年は夏冬のボーナスもでなかったとはウエイターの言。使用人に黙ってことを運ぶというのは、こちらではありがちなこと。これはいけません。

かつては多少値段は高くてもおいしいのとサービスがいいのとで、ポルトでも評判だったセルヴェジャリーアです。新聞社の記者がなんとか店を続けて欲しいと願うウエイターたちにインタビューをしていましたが、翌日には某政党の党首が話を聞きつけて店にやってきてました。

観光客が多い近年のポルトです、1972年開店、わたしたちの40年の行きつけの店、なんとか今を切り抜けて続いてほしいと思うばかりです。

こちらの過去ブログで案内しています。
ビアレストランGaliza
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-2094.html

ではみなさま、また。
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2019年11月17日

眠れずに目が覚めた夜半には、よくベランダから星空を見上げる。

夜空の星を見上げることは過去を見ることである。何十光年、何百光年、果ては何千何億光年もの長い宇宙の旅を経て、銀河系宇宙の端にある我らが太陽系の、その中の地球という惑星に住む私たちの目に入る星たちの光。何気なく見上げる夜空の星星には人類の想像を超える旅の物語があるに違いない。

この月の17日から19日には、しし座流星群の極大日と言われ毎年たくさんの流星が見られます。もちろん、条件にめぐまれたらの話です。 残念ながら今日のポルトは雨。晴れていたとしても今年は月が明るくて流星を見るのは難しいようですが、今日はそれに因んだ思い出エッセイに手を入れて「ブックマーク」を載せてみたいと思う。

今年もしし座流星群が見られる時期になった。 ピークは11月17日とある。
数年前の真夜中、午前2時ころ、わたしは古い家の表通りに面したベランダに座り込み、ひとり星空を見上げること1時間ほど、生まれて初めて目にした数十の流れ星に、言葉もなくただただ感嘆のため息をつき、こんな素敵な贈りものはない、と密かに自分の誕生日に祝杯を挙げたのであった。
    
この流星群をわたしが仰ぐことになったのには、ちょっとしたいきさつがある。

わたしが補習校で中学1年のK.T.君と国語を勉強していたころのことだ。その時、アメリカの児童文学作家、E・L・カニングスバーグの作品、「流星の夜」を一緒に読んだのだった。

それは、ニューヨークの祖母のもとに一時滞在でやってきたルイース少年が11月のある夜、祖母に誘われて、33年に一度しか起こらないと言う、街の夜空いっぱいに輝く、「テンプル・タトル」という彗星の星屑(これをリーオニドと言うのだが)を、セントラル・パークに観に行く、という話である。

壮大な星の夕立を、次にもう一度観れるとしたら、ルイースは43歳になっており、祖母は63足す33、つまり96歳だ。恐らくもうチャンスはないだろう・・・、と少年が気づくまでに至る、二人の愉快な交流が流星群を通して描かれている。
  
彗星テンプル・タトル・・・
当時まだパソコンを持っていなかったわたしは、帰国時に日本から持ち込んだ天文カレンダーの本を調べ、それが俗に「しし座流星群」と呼ばれるものであること、次に流星群が観られるのは、1998年であることを知った。「1998年のリーオニドをきっと観ようね」と、K.T.君と約束したのである。
  
K.T.君との約束だから、と言うより自分の宇宙への興味に惹かれて、それからわたしはカレンダーが新しく変わるたびに、「1998年テンプル・タトル、リーオニド」、と、年初めの、そして12月の暦の上に毎年書き続けていった。それが5、6年も続いただろうか、1998年の11月17日、わたしはついにリーオニドなる流星群を観ることができたのである。 

その夜、真夜中2時から3時の間で数えた流星の数は49個。我が日記にそう綴ってある。
それを確認しようとわたしは1年に一度書くか書かないかの、今では日記とは名ばかりになってしまった、記録の始まりが1978年11月17日の古いノートをひも解いてみた。


ブックマーク
40年前の、我が日記にはさまれた落ち葉。
   
開いたページには数枚の楓の押し葉のブックマークが挟まれていた。この押し葉にどんな思い出があったのか、これらが日記に挟まれて日本から持ってきたと言うことを除いては、もう覚えていない。記録の主であるわたしが、時折手に取ってみる押し葉のブックマークは、色褪せながらも、その乾いてしまった葉脈の中に半世紀近い時の流れを一人じっと湛えてきたのであろう。

あの頃13歳のK.T.君は、その後わたしのようにリーオニドの流星群を夜空に観たのであろうか。

あれから幾年月、K.T.君はどこにどうしているのだろうか。彼は、50に行くか行かないかでポルトで亡くなった我が友の息子でもある。

毎年11月17日の自分の誕生日には、流星群とK.T.君と友のことが思い出される。

今年もひとつ歳をとり、72歳になりました。

テンプル・タトルについて

しし座流星群は毎年11月17・18日ごろをピークに数日間見られるが普段はそれほど多くは見られない。しかし彗星が地球軌道に接近する33年に1度、「流星雨」と呼ばれるほどのたくさんの流星が見られことがあり、その記録は古く、西暦902年に中国の天文学者がしし座流星雨を見たという報告がある。

最近では1966年にアメリカのアリゾナ州キットピークで、突発的に1秒間に40個もの流星観測されたと言う。アリゾナ・ツーソンの大学に短期留学したわたしは、日本で知り合い友人になったロブとグリーンのずっこけ3人組(下記にて案内)でキットピークの天文台を訪れ巨大な天文観測鏡を見てきたのあった。

★アリゾナ留学記・ズッコケ三人組
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1598.html

本日もお付き合いいただきありがとうございます。ではまた!
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2019年11月14日 

12日夜、成田空港に早めにチェックインして空港内で最後の買い物を済まし、まだ十分に時間があるので、まだ人もまばらな搭乗口の席に腰をかけて文庫本を開いた。

わたしが好きなオックスフォードを舞台にした主任警部モースの事件シリーズ最初の本で、Last Bus to Woodstock(ウッドストック行最終バス)、著者はコリン・デクスターだ。モースシリーズはテレビ化され、イギリスミステリー界ではシャーロックホームズを抜くほどの人気を博したとも聞く。

わたしもテレビドラマの「Inspector Mors」を見て以来のファンで、近年はモース警部の若き日が「エンデバー」として放映され、これもまたなかなかによかった。

おっとっと、話が横道にそれてしまった(爆)後期にて、モース警部については案内しています。
本を読んでいると、スマホのメッセージ音が鳴った。

「I`m returning today. And you?」とは、ポルトの大企業のお偉いさんの我が日本語生徒さん。

名古屋のT自動車へ10日に出発予定だとは聞いていたものの、それだと日本到着が翌日の11日だ。まさか、12日夜半にポルトガル帰国とは、なんぼなんでもあり得へんでしょ、と、自分の聞き間違いだと思っていたのである。

「わたしも今日帰りますよ。日本語レッスン、ここでしましょうか?Haha」
「I´m in the Airport and now at the gate」
「Oh, me, too. I cann´t see you」と、人も少ない搭乗口席を見渡すわたし。
「Haha, infront of you」
「えー!」

と、スマホスクリーンから目を離して、目前を見ると、あっはっは。ほんとにおりました、生徒さん(爆) 

実は8月の夏休み以来、ご本人は仕事やらカー・レースやらでヨーロッパを飛び回り、多忙。そろそろ日本語を始めたいと連絡してきたときは、4週間のわたしの帰国だったので、4か月ぶりの再会だ。

日本語レッスンをしたのかって?いえいえ、それは冗談であって、ジョークを言いながらの授業はしばしばなのである。

フランクフルトではポルトへのフライトまで5時間ほどの待ち時間があるのだが、わたしの年齢に配慮してか、R氏はわたしをビジネス、ファーストクラスが利用できるラウンジに招待してくれた。

が、こんな過密スケジュールでの日本出張だ。恐らくご本人は寝る間もなかったであろう。招待に応じると気を遣わせてしまうと判断し、「帰国時は毎回このスケジュールなので、5時間待ちの時間のつぶし方を心得ていますよ。どうぞご心配なく」と丁重に辞退し、次回月曜日の日本語レッスンの予約を入れられたのであった。

R氏の物静かさ、お偉いさんに見られがちな横柄さがないのにはつくづく感心するのだが、彼が企業のトップに立つ日、どんな手腕が見られるか、期待するのである。
と、エラそうに書いてみた

さて、そんなわけで、無事昨日ポルトに到着しました。日本滞在中にお世話になったみなさま、ありがとうございました。また、お会いできる日を楽しみに、日本語に、ブログに、頑張りますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

下記、モース警部等についての過去記事です。宜しかったらどぞ。
「わたしが好きな探偵ものの主人公たち」
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1922.html
また、こちらではR氏についての記事です。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-621.html
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2019年11月12日 

あっという間の日本滞在の4週間、子供たちや友人知人との再会に杯をあげたのも束の間で昨日は荷造りを終え、今日夜空港へ、迎い夜間飛行でポルトガルへ飛ぶのみです。

今回は故郷弘前も第二の故郷である大阪へも行けませんでしたが、いつになく、いそいそとよく出歩いた滞在でした。

今日は、忘れないうちにと、自分用の日本滞在メモです。

10月16日 羽田着
    18日 息子、所沢まで会いに来る
10月20日 東京息子、モイケル娘と池袋のいつもの待ち合わせ場所で会いお茶をする
         夫、スカイプで家族チャットをする
10月24日 友人ちゅうさん夫妻と上野で会う。
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10月27日 息子、娘夫婦と池袋で食事&お茶

10月28日 友人I氏と銀座ビアレストン、ライオンで会う
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10月30日 鎌倉行き。明月院、鶴岡八幡宮、東慶寺(別名駆け込み寺)、報国寺
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11月1日  妹夫婦と近所の居酒屋でちょいといっぱい

11月3日  モイケル娘に寄席に誘われ、池袋演芸場へ
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11月5日 日光国立公園。先割の滝、龍頭の滝を見る

11月7日 友人Y夫妻とメトロポリタンホテルにて。
11月8日 帝国ホテルにて妹夫婦とアフターヌーンティー&日本橋散策
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11月9日 帰国のパッキング
11月10日 午前中荷物発送
        午後モイケル娘に会いに千葉へ、その後練馬へ息子に会いに。
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千葉からの帰りに見かけたお茶の水の夕月

ではみなさま、次回の更新はポルトからです。
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2019年11月4日

「カワイコちゃん」は、妹の家によく顔をだし、エサを食べて行くノラ猫の名前である。白いメス猫でかわいらしいので、「カワイコちゃん」とここでは呼ばれている。

我が家族同様、妹家族もネコ好きだ。数年前まで、20年間共に暮らしてきた二ひきの猫を見送って以来家猫はいないのだが、1年ほど前から来ている。

子猫を産んでは大変であろうと、避妊手術をしてあげるために捕まえて獣医に連れて行こうとなった。それが先週木曜日のこと。

妹夫婦に慣れているのでなんなく籠に入り、無事獣医に連れて行き、丸一日入院してもらうことになったのだが、妹の話によると、週末はあまり顔を見せないノラちゃんらしい。 

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ふと、わたしは思った。
ひょっとして飼い主がおり、ウィークデイは勤めがあるゆえ猫を外に出して、勤めがない週末は飼い主、猫共に家で過ごしているのではないか?

妹たちがカワイコちゃんを捕まえて獣医に連れて行った朝は、わたしは20年ぶりに出会う、ポルトで知り合った知人との約束があり池袋まで出かけたのだが、気になっていたのである。

帰宅するなり、妹にどんな具合かと聞くと、いわく、「それがねぇ、獣医から電話がかかってきて、カワイコちゃん、既に手術がしてあったんだって」
や、やっぱり!

普通ノラネコに避妊手術をした後は、それがわかるようにと片耳の少し切目を入れるのだが、避妊手術を確認するために少し切開したので、一晩入院し予防接種も受けさせた妹たちであるが、外の自由を味わった成猫を家猫にするのには、難しさがある。

案の定、用意した大きなケージに入れると出してくれと言わんばかりによく鳴くもので、結局再び外へ放した。

一体どこへ行くのかと妹がカワイコちゃんの後をつけると、どうやらこの辺りが縄張りらしく、近所の家の後ろで用意されてある水をのみ、別の家では車庫の前でゴロンゴロンと地面に背中をこすりつけ、実に悠々と歩くのだそうな。

小春日和もある今の時期はいいのだが、氷雨が降ったり、日に日に寒くなるこれから先は、ノラ猫には厳しい季節に入る。その時は、再び妹たちがケージを組み立て、家に招き入れてくれることを切に望んでいるのである。

我が家の4匹猫は、夫が面倒をみてくれているが、外猫4匹については、うちに掃除に来るおばさんに4週間のわたしの留守中、毎晩エサ運びをしてくれるよう頼んできた。もちろん、4週間分のエサそのものをわたしが前もって飼い揃え、バイト代を払ってのことである。

どこにいても猫好きの人には猫が寄ってくるものだ。

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