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2020年1月29日 

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ベランダの猫草を食い漁ってます

猫の話をさせてください。

生き物を平気で捨てる人はいるのでしょうか。普通はとても心が傷むものだと思います。人家のないところに捨てる人は罪な人だと思います。食べ物にありつけないわけですから。

また、愛するペットを亡くして後、その辛さにもう二度とペットは飼うまい、と決心する人も多いようです。 その二つとも経験しています。

ネコを捨てなければならなかったのは、大阪の団地の社宅でおじたちと暮らしていた時ですから中学3年生のことです。

田舎が嫌で、何度か家出までして、おじ達にとりあえず引き取ってもらったとは言え、一緒に暮らしてますとどうしても、親子というわけには行かないところが出て参ります。

丁度わたしが厄介な思春期だというのもあって、時々孤独に陥り、あんなにも飛び出したかった家が、そして特に二つ年下の妹が、恋しく思われたのでした。

おじの家で一人になった時のこと、「五木の子守唄」を歌いだし、「セミじゃごんせん、いもとでござる。いもうと鳴くなよ気にかかる」のとこに来て、大声出して泣き出してしまったのでした。

そんな気持ちの頃、ある日、出会った道端の捨て猫をおじの社宅に連れ帰ってしまいました。
団地社宅で飼えないのだ、ということに気づかなかったのです。

連れ帰ったところが、ここでは飼えないから捨てて来なさい、とおばに言われ、いやとも言えず、子ネコを抱きながら夕暮れ時の町をうろつき、そして最後には泣く泣く捨てたのでした。
その時わたしは、決心したのです。
「大人になったら、捨て猫を拾うことこそすれ、決して捨てることはすまい」と・・・

自分自身に誓ったのですが、それでも大人になってから、やむなく一度だけ捨ててしまった
ことがあります。そういう心のうずきは、なかなか消えるものではありません。

たかが猫のことで、と思うかもしれませんが、捨てられた動物の目は、鳴き声は哀しいものです。

neko
我がパソコンの周りに集まって仕事のジャマをしてくれる可愛いヤツら

捨てたその猫への償いでもするかのように、ポルトガルに来て以来、次から次へと捨てネコや捨て犬を、特に猫を集めましたわ。

寄ってくる猫、藪の中に捨てられて姿が見えない鳴いていたのや、車庫で親猫に産み捨てられたのやと、もいける娘と二人、本当にたくさんの捨て猫を引き取って育てたものです。

だからと言って、あのネコを捨てた時の気持ちは、幾つになってもぬぐえるものではありません。

人間同様、犬猫にも運、不運があるのでしょう。
下は運よく我が家に拾われ、日向で大あくびをする猫。怖いよ、その顔^^;
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犬猫保護団体が、野良犬野良猫をいったん保護し、避妊手術をしてから再びそれぞれのコロニー(特に猫が多く集まっているところ)に戻す昨今、確かに野良犬野良猫の数は増えなくなるのですが、ふと思うのです。

いつの日か、犬も猫も(犬は既に街をうろついてるのをほとんど見かけなくなった)数が減って、ペットショップへ買いに行かなければならないような時代がくるであろうと。

自然界や動物界の生態を、自分たちの都合に合わせて変えているわたしたち人間は、いずれやってくるしっぺ返しを考えれば、万物の霊長だとのおごりにもっと謙虚になるべきだと思うわたしですが、みなさまはいかに。



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2020年1月26日 

今年は6月中旬過ぎの帰国を予定しています。
今回はこれまでよりも長い滞在になるので、夫と日程を相談しているのですが、「あなた、大丈夫?猫たちも大丈夫かなぁ」と言ったところ、「猫たちの方が心配なんじゃないの?」ですって。 わ、分かってるやん(笑)

いえね、これまでだとせいぜい長くて4週間の日本滞在でしたから、家猫は夫に任せ、野良猫たちのエサは帰国前に猫缶を買いまとめて、お掃除にくるおばさんにバイト代を払い、世話を依頼していたのです。

しかし、今回のように長期になると、バイト代もバカにはならんなぁ。夫には野良猫の世話までは頼めません。払ってお願いするしかありませんな^^;

今は夫の母親も鬼籍に入り、夫の世話をする人はいないので、やはり気になるというものですが、数カ月に渡るわたしの日本滞在は、我が東京息子が幼い頃に2度ほど、ありまして、本日はその思い出話をば。

トピックにある、「曽根崎署始末記」でござんす。以下。


大阪は曽根崎と聞けば、わたしなどはすぐ「曽根崎心中」と「曽根崎警察署」を思い浮かべる。

「曽根崎心中」は、近松門左衛門の文楽で知られる。

この世のなごり 夜もなごり。死にに行く身をたとふれば
あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそ あわれなれ。
あれ 数うれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生の
鐘の響きの聞きおさめ。寂滅為楽とひびくなり。


大阪商家の手代徳兵衛と遊女おはつの道行(ミチユキ)の場面である。この世で結ばれぬ恋をあの世で成就させようとする二人が、手に手を取って心中へと連れだって行く姿の哀れさは、人形劇と言えども真に迫り、見る者の心を濡らさずにはおかない。

若い時に観たこの人形浄瑠璃の美しさに目を、心を奪われ、わたしは近松の本を手に取り、更に「女殺し油の地獄」「心中天の網島」と観に行ったものである。上の道行の部分は、今でも間違えずにそらんじている。

しかし、なんでまたこれに「曽根崎警察」?これが、まったく面目ないことで^^;

母子で3年ぶりに初めて帰国したわたしは夫を7ヶ月もポルトガルにほったらかして、堺のアサヒ・ビアハウスの先輩歌姫、宝木嬢宅に同居し、ビアハウスでも週に何回かバイトで歌っていました。

それができたのは、当時、私たち親子は夫の母、夫のおばたちと同居しており、夫の世話をあまり心配する必要がなかったこともあります。

いつ帰るとも分からぬわたしと息子に、とうとうシビレを切らした夫が日本へ迎えに来ました。

そうして、ビアハウスで常連さんたち仲間たちがわたし達家族3人の送別会を開いてくれた、息子がまもなく2歳になろうかという夏の夜のできごとです。

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↑大阪堺の宝木嬢たくの界隈で。後ろに見える自動販売機がいたく気に入ったようで、しょっちゅうここに連れていけとせがまれたものです。ご近所に皆さんもにとても可愛がってもらいました。

ビアハウスのステージも終わり閉店の夜9時半、夫、息子、それに数人のアサヒ仲間と帰路に着き、ゾロゾロ数人連れ立って梅田地下街を歩いていました。

夫がちょっと用足しに行くと言い、「はいはい、ここで待ってます」とわたし。10時頃の地下街はまだまだ人通りが多く、同行していた宝木嬢とホンの一言二言話をして、ひょいと横をみたら、い、い、いない!息子がおれへんやん!

えーー!慌てて周りを見回したものの、見当たりまへん。え~らいこっちゃです!即座に同行していた仲間と手分けして、地下街のあっちこっち走り回って探したものの、あかん・・・
  
トイレの目の前にはビルの上のオフイス街へと続く数台のエレベータードアがズラリ^^;真っ青になりました。このどれかにヨチヨチと乗っていったとしたら、いったいどうなるのだろう^^;
もう泣かんばかりの心地です。すぐビルの夜勤管理人に連絡をし上へ下へのてんやわんや。
  
かれこれ1時間半も探し回りましたが、見つかるものではない。心配と探し回ったのとで皆くたびれ果てたころ、管理人の電話が鳴りました。

「おかあさん、ちょっと出ておくんなはれ」と管理人さんに差し出された受話器の向こうから、ウェ~ンウェ~ンと大声で泣いてる息子の声が。

「あ、もしもし、こちら曽根崎警察署です。この子ハーフちがうのん?○色のちっちゃなリュックしょって。もうオシッコでビショ濡れやで。」
万が一を思い、管理人さんに頼んで曽根崎警察署に連絡を入れていたのでした。

息子は通りかかった若い数人の男女のグループに連れて行かれたのか、あるいはついて行ったか。だとすると、そのグループが地下街から外へ出て置いて行ったとも考えられます。

そうして見ると、丁度わたし達とすれ違いざまに、若いグループが通り過ぎがてれ、「うわ!この子可愛い!」と言っていたのを思い出しました。息子はまったく人見知りしない子だったのです。ニコニコと若者のグループについていったのでしょうか。

わたしたち夫婦と、その日、お宅に泊まることになっていた先輩歌姫、宝木嬢たちと曽根崎署まで急いだ。署内2階で、涙と鼻水とオシッコでグショグショのジョンボーイ(ポルトガルではこう呼ばれていた)を引き取り、曽根崎署でしかとお小言をいただき、始末書を書いたのでありました。
  
いや~、これにはさすがのわたしも肝がつぶれる思いでした。

大騒動のその間もその後も、夫は一言とて、わたしを責める言葉を口にしなかったのでありました。この時はまったくもって面目なかった。以来、外で子供たちから目や手を離すことあるまじ、と心に決めてきたのでした。

このことは息子の記憶にないだろうな。

本日も読んでいただき、ありがとうございます。
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では、また。
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2020年1月23日 

現在日本語を教えている中級クラスは11名いますが、事情により出たり入ったりする生徒が3名です。

一人は、獣医を目指して、目下イギリスで研修中、もう一人は、1年間ワーキングビザで日本に滞在したことがある生徒(「夢を追いかけて2」に登場)ですが、現在はポルトでの仕事のローテーションで、土曜日に出席できたりできなかったり。

残りの一人はブラジルからの留学生で、母国ですでに日本語を勉強しており、我が教室にやってきました。学業が忙しい時は、なかなか出席できないようです。

中級グループは週に一度、土曜日に80分間の授業を受けるのですが、来たり来られなかったりの上の3人を除いては、どの生徒もわたしとほぼ8年以上の付き合いになります。

教室も、市立図書館から、相棒Oちゃんのリビング教室、再び市立図書館、空手道場、そして、現在の貸し教室と何度か引っ越しています。現在の貸し教室を除いては、教室使用料はただ同然で、その代わりボランティアとして影絵上映をしたり、日本文化展示会を催したりしてきました。

今回の貸し教室使用は、内情を明かせば、使用料、税金等を差し引くと手元に実際残るのはスズメの涙程度なのですが、授業料をほいほい引き上げるのは、自分がこの日本語教室を開講するにあたっての当初の志、時間はあるがお金がないという日本語を学びたい人に教えたいとの趣旨を捨てることになるので、抵抗があるのです。

さて、読解力テキストをずっと使っての中だるみを避けるために、数課進んでは間に日本語学習者向けのではない、実際に日本の中学校や高校で使われている物語を取り上げます。

今週がちょうどその時期で、今回は個人授業では何人かに既に読んでもらったものの、グループでは初めてという、「大造じいさんとガン」を取り上げます。

  
「今年も残雪はガンの群れを率いて沼地にやってきました。」と始まる椋鳩十の児童文学「大造じいさんとガン」はわたしの好きな物語のひとつです。

日本国籍を持つ子供たちが通う毎週土曜日の日本語補習校にわたしは20年ちょっと国語算数(数学)を受け持ちましたが、小学校5年生の教科書に毎年載せられていたのが、この「大造じいさんとガン」でした。

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左右の翼に一ヶ所ずつ真っ白なまじり毛を持っていたので猟師達から「残雪」と名づけられていたガンの頭領を、狩人の大造じいさんが3年がかりで手に入れるまでの話を綴ったものです。

普段、日本語の物語にあまり興味を示さない子供達もこの物語をわたしが朗読すると、所々に古くて耳慣れない言葉が出てくるのですが、それでも子ども達はのってきたものです。

たかが鳥と侮って罠を仕掛ける大造じいさんが、残雪の群れの頭領として利口なのにやがては舌を巻いてしまいます。大造じいさんは毎年、残雪にしてやられるのです。

物語の山は、前年に大造じいさんに捕まり手名づけられて囮に使われた一羽の仲間がハヤブサに襲われたのを救うために、頭領の残雪がその恐ろしい敵に勇敢に立ち向かい闘う場面です。

そして、ハヤブサとの闘い後、残りの力をふりしぼって第二の敵である大造じいさんに対する、頭領としての、鳥とは思えないほどの堂々たる態度です。

子供達はこの場面にくると、体を乗り出すかのようにしてじっと物語を聞くのです。椋鳩十の文体もわたしは好きで、この場面では思わず朗読に力が入ります。


このレベルの日本語学習者に読ませる短編には他に、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、向田邦子の「字のないはがき」もそうです。三作とも、リズム感があり、文章のシンプルな美しさに生徒は大いに惹かれるようでした。

わたしも生徒と一緒に、日本文の素晴らしさを再認識する一時でもあります。

さて、グループ学習者に初めて取り上げる「大造じいさんとガン」ですが、どんな反応が見られるか楽しみでもあります。

生徒からは「ガンって、cancerですよね?」と早速質問が出たのではありました


芥川龍之介「蜘蛛の糸」についてはこちらで綴っております→「閻魔ばさま

本日も拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
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2020年1月20日 

公園を館に向かって歩いていくと以前は水だけ張っていた噴水が今回はちゃんと作動していました。
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途中の道脇で見つけたこれは、なんでしょうか。以前から気になっているのですが、分からずじまいです。
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もうひとつ。
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さて、公園の別入り口があるRua da Lameira(ラメイラ通り)に面した、現在モダンアートセンターとして開館された館。

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かつて薄汚れていた屋敷はきれいに塗装され、生き返ったようです。

屋敷の一部、Jardim de Inverno(日本語訳はサンルームかな?)もきれいに修繕されていました。
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外から中を覗いてみると、こんな感じ。
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館内に入りたかったのですが、開館は1時半からで、残念ながら午後の仕事が控えていたゆえ、次の機会に持ち越しです。

館の後ろには興味深い人口洞窟があります。 ポルトガル語ではGrutaと言いますが、シントラのレガレイラの森を始め、この手の洞窟は古い館や庭園に、ライオンの噴水と併せてよく見られ、必ず小さな池の側に造られています。ここの洞窟もその例に漏れず。

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こちらは以前撮った画像です。
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洞窟は秘儀思想、アルケミスト、新プラトン主義のシンボルであろうとわたしは解釈しています。わたしたちの住む世界がこの洞窟であり、英知という光を求めてその闇を抜け、光ある外界へ出ることで囚われていた己の魂を開放する、となるのでしょうか。「英知」なるものがいったいなんであるのかよく理解していない凡人のわたしではあります。


以前訪れた時のことですが、周辺を一通りぐるりと回り、さて、帰ろうかともう一度この洞窟に入ろうと近づいた時です。洞窟の中の岩の一部が光っているのに気が付きました。光った部分はやがて段々と範囲を広げていき、とても不思議な現象でした。

空に目をやると丁度太陽の木漏れ日を池の水が受け、それが岩(恐らく花崗岩)に反射してでしょう、もわ~っとあたかも岩が光を放ち始めたような状況に、思わず鳥肌がたったのでした。

素人腕ではありますが、スマホの録画撮りをしてきました
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この状態を目にして、なんだかエラく得をしたような気がし、あおの日は午後もずっと清清しい気分でした。この時間帯にこの状況が起こることは全て計算づくめで池も洞窟も造られたのは間違いないでしょう。

豊かな物質文明に身を置くわたしたち現代人の堕落面も否定することはできない。忘られつつある古の哲学者たちの思想に目を向けてみようかと思っています。

最後に、この公園には無数の住人がいる様子。歩いているうちに何匹もの猫ちゃんたちを見かけました。
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春までもう少し、がんばってね。

ではみなさま、本日はこれにて。

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2020年1月18日 

かなり前から気になっていた館が修繕されて、市はモダンアートセンターとして開館した、という話を耳にしたもので、冬ではありますが、館が属するサン・ロック園の散歩も兼ねて行って来ました。

サン・ロック公園については、幾度か拙ブログで取り上げていますが、再掲載で紹介してみます。

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4ヘクタールの広さを持つサン・ロック公園はポルト東部Antasのドラゴンサッカー場近くにあり、かつてQuinta da Lameiraと呼ばれていた。

ポルトワイン業者のCalem一族が代々所有していたのをポルト市が買い取り公園にして一般市民に開放している。ゆっくり散歩すると小1時間くらいかかろう。

入り口はTravessa das AntasとRua da Lameiraの両方にある。

Travessa das Antasの入り口を入ってすぐ左にある礼拝堂。
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キンタ(Quinta=別荘、果樹園等の意味に使われる)の多くは私邸とカペラこと礼拝堂を備えているところが多い。

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園内の橋
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屋根がまだ取り付けられていない休憩所↓
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いくつかの石門がそのままになっていて興味深い。
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園内のあちらこちらに置かれたかつての庭園の一部をなした石柱。
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さて、これが迷宮こと草木を使ったラビリンス。ポルトガル語でラビリント、あるいはLabirinto Verde(Verde=緑、草木)と呼ぶ。
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迷宮は迷路と違い、一本道であること、通路は交差しないこと、中心の側を繰り返し通ることなどの点が挙げられる。これもごらんの通り、背丈ほどの高さがある垣根の中を中心を遠回りに回り回って中央の石柱にたどり着く。

ラビリンスの代表的なものはギリシャ神話に基づくミノタウロスが閉じ込められたとの伝説があるクノッソス宮殿だが、イギリス、フランスではゴチック建築の大聖堂の中によく見られる。

中でも名を知られるのがフランスはアミアンにある大聖堂と、同じくフランスのシャルトル大聖堂のラビリンスだ。

下はアミアン大聖堂内。祭壇に続くいくつものラビリンス。
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ラビリンスの部分。
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こちらはシャルトル大聖堂のラビリンス。
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シャルトル大聖堂もアミアン大聖堂も、スペインのサンチアゴ大聖堂への巡礼地線上にあり、いずれも内外に施された建築模様は不思議なシンボルに満ちている。

ラビリンスは、神々の象徴、天体の運行を表したものとも考えられるが、神秘主義者にとっては神聖なシンボルである。

昔から巡礼者はヨーロッパ各地からサンチアゴを目指して旅してきたのだが、一説によると秘儀参入者(グノーシス主義者とも言えるか)は一般の巡礼コースとは逆に、サンチアゴを出発点とし、シャルトル、アミアン、パリのノートルダム大聖堂を経て海を渡り、最終地はダヴィンチコードで一躍有名になったスコットランドのロスリン礼拝堂に辿り着くのだと言う。この道を彼らは「星の道、または、覚醒の道」と呼ぶのだそうだ。

さて、これはspacesisの道楽の謎追いになるのですが、この星の道を歩む巡礼者だが、わたしは長い間、シントラとこの過去の巡礼者たちとは何か関連があると推測してきた。

「サンチアゴへ入る前には巡礼者はポルトガルのシントラで一定期間を過ごし心の準備をする」との一文をある本で見つけた時はゾクッときたのであった。

シントラに滞在したバイロン卿、ウイリアム・ベックフォードもその巡礼者だったのではないかと推測している。果たして彼らがその奥義に覚醒したかどうかは知る由もないが。

終着地がサンチアゴであれ、ロスリンであれ、考えようによっては下図にしめされる数多くの巡礼路そのものがラビリンスとも言えよう。
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ラビリンスの真ん中は奥義の真髄であり、そこへ辿りつくまでの迷宮は自己啓発の道であり、最終目的地は人間の気高い精神とは考えられないだろうか。

とまぁ、迷宮ラビリンスから、このような話に及びました。
最後にポルトガルのもうひとつの有名なラビリンス絵が見られるところの紹介。コインブラ近くにあるローマ時代の遺跡、コニンブリガ(Conimbriga)の床に残された、中央にミノタウロスがあると言われるモザイクのラビリントです。
Saorock

わたしが思うに、ラビリンスのもつ性格からしてこれはギリシャ神話に出てくる迷宮に閉じ込められた怪牛ミノタウロスではなくて何か別の意味の可能性もあると思えてるのですが。

次回に続きます。
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2020年1月16日 

どこの町内にでもいるであろう、良きに付け悪しきに付けご近所でなにかと評判になるお方。
わが町では、ジョアキンおじさんがそのお人です。

写真は、拙ブログにも時々ご登場願っている土地成金のジョアキンおじさんと、相棒マリア・リタ嬢とのツーショットであります。ブログ写真掲載の許可を得ているのですが、モザイクをかけました。

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ロバをひっぱって野良仕事の格好をしているものの、「汝、そのなりを見て、人を判断すべからず」と昔から言われます。 我が家が面している通りには持ち家の他にカフェ、それに他所に2軒のアパートを持ち、この辺りの小金持ちおじさんなのであります。

毎朝小1時間ほど、商店街も含んだこの辺りをマリア・リタ嬢とグルリ一回りして帰ってきます。そして、ロバと一緒に畑仕事です。

商店街をロバと行くわけですから、人がみな急いで職場に向かう時間帯、ロバの後ろの車のドライバーが、いまいましそうに苦虫つぶした顔していようが、おじさんは平気の平左。こういうことができるのは、このお方を除いては、他におりません。

マリア・リタ嬢を紹介します。
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マリア・リタ嬢は当時でゆうに20歳は過ぎていたと聞きました。

「愛国心」などと口に出そうものなら、即「右翼」と白目で見られるような日本と違い、ここはポルトガル。ジョアキンおじさんの愛国心は大したもので、愛ロバもおじさんの意向を反映して背中にポルトガルの国旗を背負っておるのです。

選挙の時期など、マリア・リタ嬢が引く荷車に国旗と自分が支持する党の旗をはためかせ、あげく、マイク付きのラジカセを積んで、街頭スピーチまがいです。わっはっは。

ちなみに、ポルトガルでは日本のような選挙の街頭スピーチはありません。
    
もう働かなくたって暮らしていけるのですが、昔と変わらぬ野良仕事の格好で、昔と変わらず土を相手にジャガイモ、とうもろこし、菜種、かぼちゃを作り、自分のカフェや自宅前で、それを売ったりもする。

始めて会った時は気難しそうなおじさんだと思いましたが、なんのなんの。ネコがきっかけで、話すようになりました。
  
実はジョアキンおじさんの畑は、ブタ小屋、鶏小屋、そしてネコだらけなのであります(笑)いったい何十匹ひそんでいるのか、皆目見当もつきません。大木もあるので、そこに宿る鳥もたくさんいます。                

このおじさんがロバと一緒に帰ってくると、畑の向こうから、まぁ、来るわ来るわ、餌をもらいにたくさんのネコが(爆) その光景たるや、壮観たるものであります。

毎朝、近くの商店街一帯をマリア・リタ嬢と一回りするのは、この動物たちのためにカフェやレストランの残飯を集めてくるのですね。 

その畑も半分に分けられ、今では畑がつぶされた箇所に新道が通り、猫たちは四散。ロバのマリア・リタ嬢も天寿を全うし、お金を出してまで餌をあげようとはジョアキンおじさん、思わないようで、かろうじて残っている数匹に、わたしが毎夜えさを運ぶにいたったわけです。

一時は畑に入るカギまで預けられたりして、これも人のいいわたしの話ではあります

勿論、ご近所にはそんなわたしやジョアキンおじさんに眉をひそめる人たちがいるのは百も承知であります。

「野良犬、野良猫にえさをやらないでください」と言う人がおりますが、犬猫を捨てたりして自然を破壊し自然界の掟を破っているのは元は人間です。なにも拾ってやってくれと言ってるわけではなし、そこまでエゴにならなくてもええやないの、とわたしは思うのです。

と、ジョアキンおじさんに脱帽し、かつて書いたのですが、2年ほど前に奥さんを亡くしてから、畑仕事をする姿をあまり見かけなくなりました。

足を痛めたようですが、それでも路上で大声で話し、杖をつきながら歩く姿を目にしていたのですが、去年のある日、おじさんの姿をまったく見かけないのに気が付きました。

夫に、「ジョアキンおじさん、最近見ないのだけど、どうしたんだろ?」と聞いてみると、次回、カフェで探ってみるよ、とのこと。そして、分かったのは、老人ホームに預けられたのだそうです。

娘さんがカフェを仕切り、畑は婿殿が継いでいるようですが、畑の入り口は閉め切ったままで、高い壁に更にフェンスを作ったもので住む猫もいなくなりました。ジョアキンおじさんの家にはこれまで別居していたその娘夫婦が現在住んでいます。            
なんだか、身につまされる話で、近所の名物男がいなくなり、ひたすら、おじさんの畑の外でねこたちに餌を食べさせている今、「ボン・ディーア(おはよう)」の、ちょっと大きすぎる挨拶も聞かなくなり、寂しいなぁと思うのであります。

世代が交替し、時代はこうして移り変わっていくのですね。

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2020年1月11日 

日も暮れ、外猫たちが待っている餌をもってフラットを出た昨夜、背後の空に素晴らしい満月が見られました。

そうして、脳裏に浮かんだ月下独酌なる言葉は、今年85歳になる我が日本語生徒とともに、600ページ近くに及ぶ「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」を学んでいたときに目についた李白の漢詩なのですが、そのときその年配の生徒、アルフレッドさんとと二人で勉強してみました。

「月下独酌」

花間一壺酒  花間 一壺の酒
独酌無相親  独り酌みて相ひ親しむ無し
挙杯邀明月  杯を挙げて明月を邀へ
対影成三人  影に対して三人と成る
月既不解飲  月既に飲むを解せず
影徒随我身  影徒らに我が身に随ふ
暫伴月将影  暫らく月と影とを伴って
行樂須及春  行樂須らく春に及ぶべし
我歌月徘徊  我歌へば月徘徊し
我舞影零乱  我舞へば影零乱す
醒時同交歓  醒むる時同(とも)に交歓し
醉后各分散  醉ひて后は各おの分散す
永結無情遊  永く無情の遊を結び
相期獏雲漢  相ひ期せん 獏(はる)かなる雲漢に

漢字が分かる日本人にとって、漢詩はなんとなく意味がつかめますね。
月と自分の影を相手に酒を楽しんでいる訳ですが、興味ある方はネットで検索していただくとして、普段は山で生活をし、日本語授業がある時にポルトに下りて来るアルフレッドさん曰く、
「この詩はまるでわたしの山での生活を歌っているようです」。

聞けば、彼の山の家の周囲にはポルトガルでは見られない桜の木や銀杏の木が植えられ、ベランダからは月が昇ってくるのが見えるのだそうな。「いらっしゃい、いらっしゃい」と言われながらも、まだお邪魔していないわたしです。

同時に、わたしはかれこれ10数年も昔、木彫家の我が親友の山房での和歌山紀の川市での一夜を思い出しました。
日本庭園を前に、縁側で向こうに見える山並みと煌々たる月を眺め、漬物を肴にして和歌山の地酒「黒牛」を飲みながら、ポルトガルの、そして、彼女の四方山話をポツポツと夜通し語り合った忘れられぬ夜です。

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庭から山を望む

気が付けば、いつの間にか二人で一升瓶を空にしていたのでした。それが不思議と酔うこともなく、「酒は静かに飲むべかりけり」とはこういうことかと思ったものです。

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座敷の横の縁側で一晩中静かに杯を傾け。
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漢詩の最後、「ともあれ月と影と親しく交友し、遥かな銀河での再会を誓おう」と訳せる「相ひ期せん 獏(はる)かなる雲漢に」は、胸にジンと響きます。

ワインよりも、ビールよりも、美味しいお酒を少しだけ、素敵な酒器で日本にていただきたいと思うこの頃、年々益々、我が思いは祖国に馳せるのであります。

ではみなさま、本日はこれにて。



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2020年1月9日

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ポルトの景色。路地の古い家並。

プンプンしていると、気持ちがささくれだって来ます。こういう時にわたしがするのは、子供たちが日本へ行った最初の頃に聞かされた数々の面白話を再読することです。

年月を遡り笑っているうちに嫌な気分も少しは失せるという訳でして。以下。

もうかれこれ一昔も前になります。

初給料なるものを手にした我がモイケル娘、げへへへ、とスカイプで喜んでおります。今月だけは諸費がほとんど差し引かれずにいただけたのだそうです。

来月からは保険やらなんやらと色々差し引かれ、手取りはぐんと少なくなることでしょうが、やはり自分が汗水流して得たものは、うれしいことでしょう。

その彼女、先だって組合入会勧誘の話が来た、と言う。彼女、色々質問をしてみたが、勧誘するご本人もよく分からずに入会しているようで、話にらちがあかない。そこで、サインする前に規約書を読ませてくれと頼んだのだと・・・

モイケル娘の言うのがもっともな話なのですが、どうやら普通は皆さん、質問などせずに入るらしいのです。

読んでみた結果、月々3000円も払うのは低額所得者としては痛い、それで、「わたしは入らない。」と言います。

それで、思い出したのが、東京のW大学から3年目に編入した九州の大学での学生支援協会の会費徴収の連絡が来たときのことです。

年に一括して数万円の会費を払うのですが、よく案内内容を読んでみると、入会は義務にはなっていない。

曰く、「第一おかしいじゃないの。学生支援協会なのに、モイケル娘のような苦学の現役学生から(笑)なんで何万円も会費を徴収するのよ。これじゃどこが学生支援なのだ」とわたしたち親子。

案内の手紙は、保証人である所沢の我が妹宅へ行ったのですが、その妹いわく、
「一応みんな黙って払って入っておくのが常識なのよね。就活の時とか、いざとなるとヘルプしてもらえることもあるし。」

しかし、わたしと娘がカチンときた手紙の一文に、「入会されない場合は、就職の際などお手伝いできない。」とはっきり書かれてあったこと。

こういうことにはすぐ意固地になるわたしたち母子です。
「おお、そうかいそうかい!入るかい!」と相成ったのでありましたが、正直、そのときおっかさんのわたしは、「ちょっとまずいかな?やっぱしここは、日本的に黙して従った方が身のためかも?」との思いが頭をかすったのですが、モイケル娘、「いや、入らん!」・・・・・

ま、就活も出遅れて少し苦労しましたが、なんとか今の会社に採用してもらったわけですが、それでも、くだんの「学生支援協会」に入会しなかったがために、その後、プレミアをもらいそこねたのでありました。

そのプレミアとは、英語能力TOEIC試験で学内トップのスコアをとったらしく、講師から、「賞金がもらえるはずだ」と言われ、喜んで大学の事務局に申請に行ったところ、なんと、学生支援協会に入会していないからもらえないんだと(笑)

残念なことではありましたが、娘、「いいわ。もらう賞金よりも、年間に払うことになる会費の方が高いわい。」^^;

こんなんで、組合には入らないと言っていると今度は、社内で「部費」なるものを徴収されることが分かった、2000円もよ!」(笑) 

部費って@@学校の部活じゃあるまいし、わたしの時代にはそんなの聞いたことがなしw
「結局、日本て、なんだかんだとかこつけて、いつでもどこでもお金がもって行かれるようになってる・・・」とモイケル娘、ぶつぶつ言うこと言うこと。

おまけに自分が属するセクションの部費はモイケル本人が徴収することになるのだそうで(笑)

おしまいに、すでにこんな失敗をしておりますです。
「ダンボール箱に自分とこのセクションの名前をでっかくマジックで書いてたのよね。じゅん・び・しつ・って。 そしたら、その字、間違ってた~~~。がははは」
順備室・・・・・  

き、帰国子女だからね、なにしろ。それで勘弁してもらおう^^;
モイケル娘の名誉のために言っておきますれば、今はそんなことはないはず。いや、ないと思う、ないんじゃないかな(笑)

あの頃は、きっとこれから色々しでかすんだろうなとの楽しみが心配を上回ってしまった母でありました。

こんな風に、笑い箱から過去の話を一つ取り出して嫌なことが忘れられるという「福」があるのは幸せなことです。

ではみなさま、本日はこれにて。
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2020年1月8日

いい音楽は、心を豊かにしてくれる。
     
わたしは子供達が幼い頃から、家中で音楽を流しながら立ち仕事座り仕事をよくしたものだ。岩崎宏美の日本愛唱歌、ジョン・デンバー、キャッツ・スティーブン、パバロッティ、ショパン、モーツアルト、ユーミン、研ナオコ、エディット・ピアフ、ムスタキ、トム・ウェイツ、高橋真梨子等等、ジャンル、洋の東西を問わず好きな音楽は何度でも聴く。

家中が音楽で溢れていると、何故だかそれだけで心が満ち足りるのだ。

大してうまくもない歌も、時々一人でヘタクソなピアノを弾きながら歌ったりすると、時の経つのも忘れ1時間2時間とやってしまい、
「お~~い、奥さん、晩飯はまだかぁ」と夫の声がかかり「あらん^^;」と言うこと度々だった。

このような生活環境だったから、子供達もおのずと音楽好きに育った。レコードから流れているのや、わたしが歌うのを聴いたりして、彼らの年代にしては、古い歌も随分知っているのではないかと思う。

「空にゃ今日もアドバルーン~ さぞかし会社でいまごろは~」なんて歌は、我が母が歌うのを子供だったわたしが耳にして覚えていたのだが、これを英語にしたのを見つけては、もいける娘と二人大いに盛り上がったものだ。
      
Today adbaloon in the sky,
Perhaps he is in the company.
I think he is very busy.
ああ, nevertherless nevertherless, don´t you?
I get angry I get angry it is naturalね~          

「なによ、これぇ~」と喜んでは二人ともしばらくこの歌詞が頭から出ていかないのであった。サトーハチロー作詞、古賀正男作曲1937年ヒット。もちろんわたしはまだ生まれてませんて(笑)

息子は小学生のころ、ロック歌手ティナ・ターナーやGuns & Rosesなどに一時夢中になり、エレキギターからアコースティックギターを経て、いつの間にかアパートの一室をスタジオにしてコンピューターを駆使し面白い音楽作曲にいそしんだ時期があった。

モイケル娘とわたしは音楽の趣味が合うようで、それぞれが好きな音楽をネットを通じて紹介し合ったりしたものだ。

彼女がまだ我が家にいた乙女のころ、わたしたち母子がバッチリ意見も合い大好きだったのが「チャゲ&飛鳥」だ。「チャゲアス」をわたしたちが知ったのは、彼らの最高潮時期を過ぎてからだった。

日本に帰国していた時にたまたま観た、再々放送くらいのドラマ「振り返れば奴がいる」。ドラマも面白かったがテーマ曲に二人とも「ぬぬ?」となったのが「Yah Yah Yah」。なんと斬新な歌詞!メロディ!いけるじゃん!このDuo、「101回目のプロポーズ」の「Say, yes」の二人ではないの!となった。

彼らの歌詞もメロディもステージ・パーフォーマンスも抜群に肌に合った。以来、我ら母子はチャゲアスのcdを聴きまくることになる。

Yah Yah Yahをかけながら、On Your Markを聴きながら、車をぶっとばすことの気持ちよさったらなかった。

♪い~まからソイツを これからソイツを 殴りに行こうか~。
Yah Yah Yah Yah Yah Yah Ya~

飛鳥はアンパン顔だけど、カッコいいじゃん。こんなセンスのいい音楽を作る事ができるんだねぇ と、モイケル娘とわたしは彼らの歌にすっかり酔ってしまったのである。

ある日のこと、ポルトで日本人の友人宅から帰って来たモイケル娘が、困惑気味な顔して言う。

「おっかさん、あのさ・・・・わたしたち、とんでもない勘違いしてた。
 チャゲアスね、今日、友達んとこのテレビで観たんだけど・・・
 チャゲが飛鳥で、飛鳥がチャゲだったよーー!」
      
なんでんねん、そりゃ?

「チャゲと飛鳥の映像」を観たことのない我ら親子は、cdの歌詞小冊子に載る二人の写真を見て、愚かにも「チャゲを飛鳥と思い、飛鳥をチャゲ」と勝手に信じ込んでいたのである。

う、うそ・・・そんなぁ。今更ひどいよ。
イメージチェンジ、きかないよ~~(爆笑)      

いやはや、これには参ったズッコケ親子。いったい全体、何がどうしてそんな事になってしまったのか。友人連に話しては、「あんたら、アホ」の一言で片付けられたのではあった。

いったん頭の中に定着してしまった「チャゲが飛鳥で飛鳥がチャゲ」像、これを払拭するのに長い長い時間がかかったのでした。

それにしても、チャゲアスの詩に心をグッと鷲づかみされるような不思議な斬新さをわたしは感じたのでした。

♪いーまから ソイツを これから ソイツを 殴りに 行こーかー
  Yah Yah Yah Yah Yah Yah Ya~

なんてあまり女性が声高々に歌っていいものかとは思うものの、女だって殴ってやりたい人間の一人や二人、いますもんね。
お、殴りたいヤツ、いるのかって?
おうよ!いるんだわ今、ほんと!

と、どさくさに紛れてうっぷん晴らしの本日でございました。
みなさま、ごめんあそばせね。



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2020年1月6日 

一休和尚のに、
「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」

との狂歌があるそうですが、なるほどなぁ、と、感じ入っているのですが、正月早々縁起でもない、滅相もない、と、叱られるでしょうか(笑)

室町時代に生き、一休さんと親しまれた一休宗純が、反骨精神逞しく風狂の人であったとは、この知りませんでした。なかなかに奇行の多い人だったようです。

「有ろじ(うろじ)より 無ろじ(むろじ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」

有漏路(うろじ)とは迷いの多いこの世界、無漏路(むろじ)は悟りの世界。人生は迷いの多い仮の世界、あちらの世界への旅中ちょっと一休みのできごとゆえ、この世のことは、どうということもない、ととれるのでしょうか。

一休の名前はこれから取られたと言われます。

少し古くなりますが、2012年の放映されたNHK大河ドラマの「平清盛」の冒頭が、「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生れけん」と始まっていました。当時わたしはいたくこの歌に惹かれたのでした。

これは平安時代も末期、後白河法皇編集の「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」と言われる歌謡集のひとつだそうです。

今でこそ日本人の寿命はのびましたが、昔の人は己の短い人生を達観していたのでしょう。

おさな子がしだいしだいに知恵づきて 
 仏に遠くなるぞ悲しき

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ
どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

と、ここまで読んで、大笑いしたのでありました。

88歳で往生した一休和尚の最後の言葉はなんと、「死にとうはない」だそうですよ。 この仮の世でもっと遊んでいたかったと死ぬ間際に駄々をこねるは、いかにも一休和尚さんらしいではありませんか。

つい先だって、新年の挨拶のメールで同年代のA氏に、こんなのを見つけた、あっはっはと書き送ったところです。

「70歳で迎えがきたら今留守だといえ 80歳で迎えがきたらまだ早すぎるといえ。90歳で迎えがきたら、まぁまぁそんなに急ぐなといえ。100歳で迎えがきたらぼつぼつ考えようといえ」

これで行くとわたしも同時代の友人たちも、我らは目下居留守を使っている人生ということでしょうねぇ、と。

一休和尚ではありませんが、わたしもあと10年、いや、できれば20年ほどは、この有漏路(うろじ)で遊んでいたいものです。

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2020年1月5日 

新年明けましておめでとうございます。

誤字誤字、校正し直しの際の誤りなど、ミスが多い拙ブログを読んでいただき、ありがとうございます。皆様のご健康ご多幸をお祈りいたし、今年も日々思ったことを綴ってまいりますので、どうぞよろしくお付き合いのほどをお願いいたします。

さて、この2日、3日は正月疲れが出て、二日間とも夜8時半ころ床に入り、起床は7時という、まるで赤子の如く、ひたすら眠りをむさぼっておりました。そうして体力回復、昨日の土曜日は仕事始めで日本語教室今年最初の授業をしてきました。

元々体力は大してなく、ガッツで物事をやりのけてきたわたしですが、この歳で、まだ働ける幸せを感じる新年です。これがもし、若い時からキャリアを持ち子育てもし、家事も一手に引き受けていたとしたら、果たして72にして今日のように仕事ができたかと自問すると、答えは否です。この三つのことを日々こなしている女性には感服します。

私の場合、子育て時代はひたすら子育てを、補習校時代は我が子たちといっしょに登下校し、よき仲間たちに巡り合えまだ余力があった62歳で退きましたが、その時その時、ひとつことに取り組んできたのが、日本語教室や影絵、文化展示会などのボランティア活動をする余力を生み出したのかなと思うこの頃です。

それが10年続いていますが、後10年続けられたら「生涯現役」と言えるでしょうか。もちろん、友人のI氏が言うように、体力はもう付けられないけれど今の体力を落とさないようにするための努力は必要です。

今日は映画、「マリーゴールドホテルであいましょう(The Best Exotic Marigold Hotel)」の続編で出会った言葉を紹介させてください。

イギリスで人生のほとんどをメイドとして使えてきた屋敷をお払い箱にされ、結婚もしておらず仕方なくインドにやってきて、偶然経営難のホテルの再建を支援することになったミュリエル(マギー・スミスが配役)がつぶやく最後のシーンの言葉、「There is no present like the time(時間は素晴らしい贈り物である、とわたしは解釈。There is no time like the presentをもじったもの)が、ひしと感じられる2020年の始めです。

今年も苦楽はあるでしょうが、なにがあっても人生はそれなりに素晴らしいと感じられるよう、2020年も生きたいと思います。
みなさまにも良き年になりますよう願って、新年のご挨拶にいたしたいと思います。

では、また。

2020年1月の夕暮れ
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2019年12月31日 

真夜中寸前のカウントダウンから始まり、年が明けると同時に花火が打ち上げられ、街は新年を祝する老若男女で溢れかえる欧米ですが、わたしは日本式の正月の迎え方の方が好きです。

あの日本独特の静寂な年越し、一夜明けた華やかなお正月が恋しくて、2018年2019年にかけての年末年始を過ごすために帰国したのですが、その時のことは下記にて綴ってあります。

40年ぶりの日本正月考: http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-2082.html

フラットの我が家は一戸建てと違い小さいのですが、それでも普段掃除が行き届かない箇所を含めて、ドア、窓、家具を拭き磨くとなると、結構時間がかかるものです。

朝から掃除を始めて何度か休憩をとりながら、最後はベランダに水を流し、夕方5時ころにやっと終わりました。

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少しでも日本の正月の雰囲気をと、ドアにはしめ飾りを。

玄関ホールには義兄の作品である大きな壺を置きました。
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クリスマスの大きな柊飾りがあった暖炉の上は、例年のように正月グッズを並べてみました。
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昨年のことをゆっくり振り返る時間もなく、もう晩ご飯準備の時間です。今夜は夫の甥一家の家に招待されていたのですが、先週末のクリスマス食事に続いてのにぎやかなのは、もうダメですね。

晩御飯から年明けまで 飲み食いしゃべり続け、新年の乾杯をしてまた飲み食いです。結婚式も一晩中ですから、祝い事とてこの歳になると体力消耗、かなり覚悟していかなければなりません。

それに、明日元日の昼食は少し豪華にしたいですから、早起きです。無理っすね(笑)

除夜の鐘は聞けないけれど、やはり静かに新年を迎えたいもので、大つごもりの今夜は夫と二人です。

実はね、毎年、夕食を片付けた後、わたしは真夜中までひと眠りするのです(笑) んで、12時近くになると、夫が「お~い、ユーコさん、そろそろカウントダウンが始まるよ」とお越しにきてくれます。

テーブルにのる簡単なつまみ、シャンペンは夫が用意してくれます。夜更かしがすっかりきかない年齢になりました。

では、ただいまから大晦日の晩御飯の準備をしますれば。
新年にお会いしましょう。みなさま、どうぞよい年を!
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