FC2ブログ
2020年2月25日 

今日はカーニバルでポルトガルは休日です。昨日までいい天気だったのが、例年の如くやはり今年も小雨のカーニバルです。

季節が夏の地球の裏リオの大々的なカーニバルには足許にも及ばないが、ポルトガルでよく知られるカーニバルのパレードは、ポルトから40キロほど離れた町、Ovar(オヴァール)のパレードのパレードです。

カーニバルはポルトガル語ではCarneval(カルナヴァル)と書きます。これはラテン語の carnem levare(肉を断つ)から来ると言われ、復活祭同様、移動性休日で毎年その祝日が変わります。

元来は春の訪れを祝う異教徒の祭りだったのがキリスト教に取り入れられ、一週間羽目をはずした祭りで騒ぎ、終わった後、それらの乱痴気行状の罪を大きなわら人形に託して焼き払う、というのが起こりだそうです。

一週間の最後は、必ず火曜日(翌日の水曜日はポルトガルではDia de Cinzas=灰の日)となります。

現在では、すっかり観光化されてしまったカーニバル(謝肉祭)ですが、カトリックの国で、このような、言って見れば、「無礼講・乱痴気」の祭りが取り入れられたのには、ちょっと驚きですね^^

下はわたしが気に入っている娘のカーニバルの王子さまです。この頃飼っていた愛犬ポピーもいっしょに。

carnaval1.jpg

豪華な衣装を買ったり作ったりする人もたくさんいますが、子供の衣装は一度着たら翌年はサイズが合わなくてほぼ再び着ることはないので、これは知人から借りたものです。昔と違い、今は大手のスーパーマーケットなどで、安いのだと7ユーロ(\1500)くらいから、様々なコスチュームが売られています。買った衣装はもったいなくて、今でもとって残してあります。

このカーニバルですが、ずっと昔に見た「黒いオルフェ(Orfeu Negro」なる映画と重なってしまい、にぎやかさとは対照的なラストシーンが思い出され、わたしはどうも陽気に騒ぐ気持ちになれないのです。

1960年のカンヌ映画祭でグランプリを、米アカデミー最優秀外国映画賞を受賞した映画でブラジル語で話されています。ギリシャ神話を原作にした、リオのカーニバルの日の若い黒人の恋人たちの悲恋を描いた物語です。

ギリシャ神話のアポロの息子、オルフェウスは竪琴の名人です。彼の奏でる竪琴の調べは、鳥獣草木さえも魅了するのです。死別した愛する妻ユーリディスをこの世に引き戻すためにオルフェウスは黄泉の世界へ下って行きます。

その美しい竪琴の調べで、冥界王プルートの心を揺り動かし、「決して後ろを振り向かない」という約束で妻を連れ戻すことができたというのに、黄泉の世界の出口で己の心の誘惑に負け、後ろを振り向いてしまいます。愛する妻をオルフェウスは永遠に失ってしまうのでした。


映画はこれとは少し内容が違います。

リオの街、坂の上に住む人々はカーニバルを前に仮装の衣装作りをしています。若者オルフェもこの丘に住む市内電車の運転手ですが、彼がギターを抱えて歌うと鳥も羊も静かになり近所の人々はうっとりと聞きほれます。

田舎からカーニバル見物に来た若い娘ユーリオディスが電車に乗り、オフフェが住む丘の上の従妹を訪ねてきます。隣から聞こえてくる美しい歌声に惹かれて覗いてみると、それはさっき電車であったオルフェでした。

オルフェにはカモシカのようなしなやかな体と豊かな胸をもつ美人の婚約者ミラがいますが、気が強いのです。オルフェは慎ましやかな美しさをもつユーリオディスに惹かれます。

カーニバルの前夜、街に出たユーリオディスは死の仮面をつけた不気味な男に追い詰められ、からくもオルフェに救われて気を失います。ミラは嫉妬の炎を燃やすのです。

翌日、カーニバルで群踊のパレードが繰り出します。ユーリオディスは衣装を借りておオルフェの踊りの組に加わりますが、彼女を再び死の仮面をつけた男が追い詰めます。駆けつけたオルフェはユーリオディスを助けようとして高圧線のスイッチを押すのですが、却ってそれがスパークして彼女を焼死させてしまうのです。 

ユーリオディスの死体を抱きかかえてさまようオルフェに、ミラは嫉妬で正気を失い怒り狂い、巫女たちとともに石つぶてを投げて断崖に追い詰め、転落させます。二人は屍を重ねて死にます。
呪われた悲劇の夜が白々と開け、何もしらない子供たちはオルフェのギターをかき鳴らして踊っています。
(猪俣勝人著:世界映画名作全史・戦後編からの要約)―


映画の中で流れる二つの主題曲がとても美しい。
ひとつはLuis Bonfáの「Manhã de Carnaval(カーニバルの朝)、日本では「黒いオルフェ」でヒットしました。1960年ですから、わたしがやっと洟をたらしていた時期を抜けようとしていた頃ですw 

オルフェウ・ネグロを小野リサが歌っています。



もう一つが、ブラジルの作曲家アントニオ・ジョビンの「Felicidade(幸せ)」です。ジョビンはこの数年後に、「ボサノバ」を編み出して、世にその名を永久に刻むことになります。

「Felicidade」を知らない人でも、「イパネマの娘」はご存知でしょう。この作曲家なのです。当時のわたしは英語もよく知らない時代でした。ましてポルトガル語など分かるはずもないと言うのに、「黒いオルフェ」の歌には心惹かれてメロディーを覚えたものです。

ポルトガル語が少し理解できるようになった昨今、「Felicidade」のさりげないブラジルの歌の人生哲学にも少し惹かれるこの頃です。

挿入歌「Felicidade(しあわせ)」の一部をご紹介。
     
♪Tristeza não tem fim      哀しみには終わりがない
  Felicidade sim          けれども、幸せには終わりがある
  A felicidade é como a gota    しあわせは
  De orvalho numa pétala de flor 花びらの露の一粒の如く
  Brilha tranqüila           静かに光り
  Depois de leve oscila       かすかに揺れて
  E cai como uma lágrima de amor   愛の涙のように落ちる 
                -spacesis勝手訳

こちらで聴けます ↓ 

物語は、熱狂的なサンバに浮かれた一夜明けての物悲しさと空しさが感じられるような終わり方です。

そんなわけですから、カーニバルというと、映画「黒いオルフェ」が印象が強く、わたし自身はあまり楽しめる気分にはなれないのです。

ブラジルポルトガル語に挑戦したい方はこちらで映画をどぞ↓


にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月24日 

1月に武漢肺炎の話を耳にした時に、即座、関東に住む東京息子とモイケル娘にメッセージした。

今すぐ、マスクを買い足して置け、と。

「まだ買ったのがあるよ」と言うのを、いやいや、買い占めが始まるからあっても少し買い足して置くべし。

息子に至っては、「はい~」といつもの返事。ちょっと心配だ、モイケルに兄貴の分も買っておいてくれと頼もうとしたが、思い直して言うだけにした。

そうこうしているうちに、武漢肺炎はあっという間に日本国内でも広がり、どこへ行ってもマスクが入手不可だという。自民党の2F氏に至っては、国内のマスク不足を承知の上であろう、中国に40万枚も寄付したのだという。

困っている隣国を好きじゃないからと言って援助するなと言わない。だが、まずは自国民じゃありませんか?ってんだ!

そのうち、息子から「マスク、どこへ行っても売ってない・・・」と来た。
あの「はい~」はなんやねん!と思いつつ、娘に子供じゃないんだからあまりガァガァ言うなみたいに突っ込まれて口をつぐんだ。

わたしは一時ひどい花粉症ではあったが、ここ数年症状が現れず、 春先に日本へ帰国してもマスクをすることはまずないのだが、息子もアレルギー体質系かなと思われる。だからして、コロナを別にしても春先はマスクをした方がいいと思うのだが、アヤツはめんどくさがり屋なのである。

今は大学の講義がなくて、外出を控えようと心がければいいのだが、閉じこもってばかりというわけにも行くまい。

で、ふと夫の職業に気が付いた。ポルトガルでは一般人がマスクすることはまずないから、その辺の薬局やスーパーなどでは売っていないが、医者は別だ。

やっと医療機器用具を売っているところで一箱買えたそうだ。しかし、これを送付するにしても一週間くらいはかかろう。あれこれ思いあぐねて、ついに和歌山にアトリエを持つ我が親友みち子にメッセージしてみた。

「今日はお願いがあるねん。 和歌山の方でもやっぱりマスク手に入らんのかな?モイケル娘が心配・・・」

すると、「すぐ送るから、どのくらいいるの?」と嬉しいレス。え?そんなすぐに買えるん?と思いながら、20枚くらいも買えそうかと言うと、3軒ほど回ってくれたみたいで、やっと一箱を娘宛に送ってくれた。

やはりたくさんあるわけではなく、一人一箱と決められているとのこと、自分とこは今のところあるから気にしないでと、いつも頼りがいのある優しいみち子であった。ありがとう!

そして、9年前の東日本大震災の時を思い出しました。こんなことがあったんです。

2011年3月23日 笑っちゃいけないが、なんだか可笑しい

原発問題がまだ明確な見通しがついておらず、現場では今日も危険を承知で必死な作業が続けられています。ニュースを通して被災者たちのエピソードも聞こえてき、気の毒で涙が出てきます。しかし、人生は続く。日本人の、人間の生命力の逞しさを信じたいと思います。

「おっかさん、今日はパンが買えた!」とモイケル娘。日本は物が豊富だ、というより、豊富を過ぎて贅沢だとフッと思うことがあります。今回の被災地だけでなく、世界には食料不足に困っている人たたくさんいるのですが、贅沢に慣れてしまうことは怖い気もします。パンが買える喜びを、娘よ、覚えておいて欲しい。

計画停電だというのに、懐中電灯もろうそくもないという我が子達、懐中電灯をネットで注文しようとしたら品切れでないと言う。大阪の我が親友Michikoが食べ物を含むそれらの物資の差し入れが届けてくれました。

子供たちの住む区域、夕方6時から10時まで停電の今日、間もなくその時間がくるという前の少しの間、スカイプでモイケル娘と話しました。

おっかさん  懐中電灯、手元に用意してる?
モイケル   うん。ヘッドライトをつけてる
おっかさん  へ、ヘッドライト?
モイケル   そ。みっちゃん(関西の我が親友)が送ってくれたのを頭につけてる。
        鏡で今自分の姿を見たら、マヌケだった^^;

↓こ、こんなんを頭につけてるんか、と思ったら、停電を待機しているのが気の毒だとは思ったが、おかしくてつい大声で笑ってしまった。
headlite.jpg

笑っている間に停電が来た様で娘はスカイプから落ちていた。夫にもヘッドライトの話をし、このところ、わたしたち夫婦の会話はずっと心配な話題か津波の映像を黙って見るばかりでしたが、こんな小さなことだが久しぶりに笑った気がします。


我が親友とLINEであの時の話をし、笑い合ったものの、災害の時はいつもお世話になってるなぁ、と改めて彼女に感謝した週末だった。

さて、じゃ、大急ぎでマスクを小包にしよう、んで、なんとはなしに箱に目をやると、やや?Made in China?
がび~~~ん!!! 

そうしてみたら、関西在住の知人I氏が言っていた。「マスク、高値やけどネットで買った。家に届いてみてみたら中国製やんか」と。

やっぱりね、「今だけ金だけ自分だけ」っていうグローバリズムはあきまへん。最低限の自分の国のものは自国で生産すべきだと思う。世界の工場だ、儲かる、安いと中国にだけ頼ってきたから、見てみよ、こういうときに全滅だ。

夫には、小包送るにおいて、中身がマスクだなんて書いたら、途中で消えることも考えられるから、ハンカチやらなんやらと適当にと書いてくれとお願いした。

それにしても、ポルトから送るマスクが中国製って、なんやねんこれ^^;

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月23日  

現在は関東近辺の数か所の大学で英語講師をしている我が東京息子がリスボンに住んでいた頃の話をば。

夏休みを返上して、丸一ヶ月9時から6時までTEFL(テフル=Teaching English as a Foreign Lauguage=外国人に英語を教える教授法)コースをとり、めでたく英語教師免除をとった息子が、リスボンのとある語学学校で英語の特別個人教授をしていたときのこと。

生徒は日本からやってきた30代の女性だそうで、「ポルトガルで英語かぁ」と、ちょっと違和感があったのだが、それは置いといて。教本には書かれていない教授法のコツのようなものがあるので、そのツボを押さえておくと、授業はいいものになると思い、補習校での20数年間と日本語講師のこれまでの経験があるわたし、息子にあれやこれやメッセで話しながらアドバイスしていた。

その息子が再び日本語を勉強するきっかけに或いはなるかもしれないと思い、ある日、外国人のための日本語教本英語版をコピーして息子に送った。この教本は、英語を教えるのにも意外と役立つと思ったのである。

その日も、彼の個人授業はうまく運んだか(一回のレッスンが3時間ぶっ通しである)とメッセで聞くと、ずいんぶんうまく行ったとのこと。送った日本語教本が英語授業に役立ってるらしい。

「ねね。BOINってどういう意味になる?」と息子が聞く。

ネットでの会話は今でこそ息子とは日本語だが、当時のメッセ会話はすべてローマ字だった。
「ボ、ボイン?^^;」・・・・

「そ、そりゃあんた、maminha(マミーニャ=オッパイ)の大きいのを言うのだよ。」と、俗語も知っておいたほうがいいと思ったので一応ちゃんと説明をつける。

「"ボインちゃん"なんて言ったりして使うのだ」とわたし。(←残念ながらわたしではないw)
と、せんでもええのに、余計な例まで上げて^^;

息子「じゃ、HAN-BOINって?・・・・ママ、それじゃ、意味が通じないよ。
    第一、これは日本語言語の言葉だぁ~!」
母  「うげ!@@@@か、勘ぐりすぎた!」

息子よ、先にそれを言ってくれぃ。

ボイン 母音 拇印と色々あって、ローマ字でBOINっつったって分からんぞ、と自分の早とちりを棚に上げて(笑) 息子の言うのは「母音、半母音」だったのでした(汗)

いやぁ、日本語も色々ですわ。
ん?あんたが早とちりなだけだって?@@ は、はい、さようでござんす。

とっつばれ。(津軽弁で「おしまい」の意味)

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月22日

今日は我がモイケル娘が綴った猫の話をば。以下。


ことばにするとこの上なくバカバカしいが、言わずにはいられない。

事の発端は先週の台所での出来事。朝起きて台所に向かうと、洗面台の下にある収納入れの扉が半開きになっていた。

嫌な予感がした。なぜならそこにはネコのエサが保管されているからだ。

収納入れの中を覗いてみると、案の定無残に穴を開けられたフード袋。

取り出しやすいように、フードはプラスチックの箱に詰め替えてあるが、入りきらなかった分は袋に入ったままだった。

事件は夜中に発生しているので誰が犯人だか分からない。

無性に腹が立ったのですぐにごはんをやる気にはなれず、寄ってくるやつらを無視してまずは顔を洗うことにした。

洗面所で水道の蛇口をひねって水を出すと、タメがやたら水に興味を示す。なんじゃい今日に限ってと思っていると、なんと顔を近づけて水を飲みだした。

ちらりとネコ用の水のお皿を確認してみると、水が全部なくなっている。

おまえか。
ばかめ。食べ過ぎて喉が渇いたんだろう。仕方ないから水を補充してあげる。

他の2匹が朝ごはんを食べてる間、ひたすら水を飲み続けるタメ。

余っていたプラスチック箱に残りのフードを袋から移した。それで解決したはずだった。
ところが今夜また事件は起こってしまったのだ。

開けられた洗面台下の扉。開けられたプラスチック箱。水のない水入れ。

どうやらフタのしまり具合が緩かったらしい。

必死にわたしを見つめてくる3匹。あー、そりゃ喉も渇くでしょうよ。け!

普段エサを入れる皿それぞれに水を入れてやると、飲むわ飲むわ、すごい勢いで飲むわ。まぬけでしょうがない。

飲み終わった後の彼らのパンパンに膨れ上がった腹。やばい。やばすぎて撮影して公開する気にもなれない。苦しいのか、動きがゆったりしている。というか動かない。

腹をぽんって触ってやったら「うぷっ」の呻き声。もはや酔っ払いのおっさんではないか。

この3匹の腹が食べ物ではなく水でふくれているのだと願いたい。

そんなわけでただいま喧嘩をしている。正確にいうと私が一方的に怒っているだけでもある。

ネコと喧嘩するとどうなるか。
人間の喧嘩とさして変わらない。
口を利かないのだ。

お粗末さまでした!
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月21日 

実は武漢肺炎で子供たちが心配、内心キリキリしている。
が、それを書いても解決策にはならないし、うかつに書くとペルソナ・ノン・グラータ(Persona non grata)なる人に家族情報を公開される可能性大なので、今はまだ記事にしない。

これまで結構自由に書いて楽しんできたブログやSNSですが、まっこと、やりにくくなってきた感があります。目下様子をみているのですが、しばらくは既にブログに上げた記事の再掲が続くかも知れませんので、ご勘弁ください。

さて、本日は久しぶりにポルト関連記事、サン・ラザロ公園についてです。以下。

ポルトガルの春は早い。
春の訪れをいち早く告げるのは公園だが、中でも町の中心部、人や車の往来が多い「サン・ラザロ公園」は、向かいに旧市立図書館と美術大学があり、3月になるや、近隣の住民や親子連れ、テーブルを持ち込んでカードゲームに興じる年配者たちでにぎわう。

correte1.jpg

2003年に開通したPonte do Infante(ドン・インファンテ橋)はガイア市とポルトダウンタウンとを結ぶ橋だが、建設時にはこの公園をつぶす計画が上り市民の反対運動で今に残されることになった。

この辺りはかつてサン・ラザロと呼ばれ、年に一度大きな「市」が開かれた一帯で、ドン・ペドロ国王の命により1834年に「サン・ラザロ公園」がお目見え。当時はセレブ専用の公園だった。 

その名残で今でもこの公園は柵で囲まれ、市内では唯一、四方に門が取り付けられ、開閉時間がある。

portugal_02.jpg

現在では、「マルケス・デ・オリヴェイラ公園」が正式名だが、市民からは昔ながらの「サン・ラザロ公園」と呼ばれ、市民に親しまれている。

園内には可愛いバンドスタンド(小さな野外音楽堂)が往時の郷愁を誘う。地上最古の花といわれる大きなマグノリアの樹が12本、池の周りを取り囲み、春にはその爛漫の花で、市民の目を楽しませてくれる。

jardim_saoLazaro1_1.jpg

今年は色とりどりのチューリップが植えられて、春はすぐそこまで来ている。

この公園でもうひとつ興味深いものは、壊滅した13世紀のサン・ドミンゴス修道院の遺跡と泉水がここに移動されていることだ。

portugal_032.jpg

赤いベンチに腰をおろし、パソコンを開いている美大生の姿も見られる多世代の市民が憩うワン・ラザロ公園、ポルト市内の公園では最も多くの訪問者を迎える。さながら町の中の小さなオアシスだ。

portuga_l01_1.jpg

お時間あらば、ランキングクリックしていただけたら嬉しいです。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月17日 

先々週、2月8日は、ポルトで漢字検定試験が実施されました。
その週は午前中4時間ほどある日本語教室を休校にして、初級2年目のクラス6名の生徒を試験場である元私の職場に当たるポルト補習校へ引率しました。

受験級は10級なのですが、受験させるのが少し早かった気が今回はしないでもありません。
結果は40日後に分かるので、楽しみでもあります。

この漢検ですが、ポルトガル、ポルト補習校が受験会場に指定されており、我がモイケル娘も昔、当校で漢検3級まで受験しています。補習校に通ったのは週に一度の3時間、そのうち国語学習は1時間半でしたが、3級を受験したのは高校1年のときで、よく頑張ったなぁと思ったものです。日本の大学に行きたいという夢あったればこそでしょう。

しかし、そうして覚えた漢字は、日本で生まれ育った人たちの身についたものとは別問題のようで、漢字に関しては結構面白い失敗をしでかしているモイケル娘であります。

早稲田大学での2年目の終わり、選んだたコースがどうも合わないとかで、なにやら勝手に他大学編入試験を受けたときの話です。

手ごたえはどうだったの?」
(↑断固、転入編入反対していたのではあるが、とりあえず聞いてみた)
「う~ん、どうなんだろ・・・でも、英語を和訳するところで、漢字間違った。」
「漢字を?自信がない漢字はひらがな、もしくはカタカナで行こうよ。」

試験問題の和訳は「核」に関する英文だったそうだ。「nuclear」つまり日本語では「核」であります。その「核」が三箇所も出てきたのだそうで、間違った漢字というのは、「核」なんだって^^;どんな風に間違ったかと言うと、あっはっはっはっは!これが笑わずにおらりょうか!

もう腹が痛くて涙が出てきて、それを披露した当時のチャット仲間たちにも、「お前、それ落ちてるぞ。」と直言されプリプリしている娘をも構わず母はパソコン前で体よじって笑ったのでした。

で、どういう字を書いたかと言うと、木へんに玄。ぐっはっはっはっは!

そんな字、あったっけ?本人も既に調べたようで、「ない!」と(笑)
しかし、なんとなく似てるには似てるわ^^
帰国子女は往々にして、こういう間違いをします。どれどれと思ってわたしも調べて見ると、この「核」という漢字、2級で出題です。やっぱりねぇ^^ 2級まで挑戦してみましょう、もいちゃん^^

「核」の間違いに拘わらず、編入試験に通ってしまい、東京から遥か離れた本州南の外れに行ってしまった娘の話ではありました。

さて、大卒後、東京都内の某企業に就職し3年勤めて学費を稼いだ娘は今度はとんでもないことに挑戦すると言い出しました。近世文学専攻だと(大汗)。 

近世文学は徳川時代から明治維新間の文学で、古典に比べると文章も比較的分かりやすいとは言うものの、問題はくずし字でありました。

モイケル娘、当時、かように書いております。

こころは豚にひかるる大八車

いやー。参った。文字に襲われる夢を見ました。はっはっは。

自分のペースでできることをやるしかないと再度自分に念押しを。周りはどうあれもっと気楽に失敗しまくろう\(^o^)/ と思うことにした結果

ぶたにひかるる1

赤枠内の文字を「豚にひかるる大八車」と解釈して今朝発表して先生の盛大な苦笑いを頂きましたww正しくは「縁にひかるる」ですね。

いやー、おかしいとは思ったんだよ。でも他の字が浮かばなかったし、そもそも辞典の豚の字と似てたし、右のルビも「とん」に見えるし。「えん」だったんだねー。

ちなみにこれは1688年に増田円水に書かれた『好色大神楽』という浮世小説です。物語が井原西鶴のなんかの小説(忘れた)に酷似しているのがひとつ注目すべき点だとかなんとか。

ほんと気分は暗号解読者だよ。今日から暗号解読者を名乗ろうかな。

どうも。暗号解読者です。ディサイファー(decipher=判断が難しいものを読み解くこと)です。

豚は大八車をひきませんよ。


んで、ちょうどこの時、日本に帰国して子どもたちのところに滞在して、彼女と一緒に頭悩ましたわたしと言えば、次の如くなり。

いやぁ、参った参った。紀貫之さまではありませんが、「娘もすなるくずし字といふものを、母もしてみむとてするなり」でありまして、モイケル娘が生まれて初めて取り組む1600年代に書かれた小説の原文読みの講義、いやはや崩し文字の漢字もさることながら平仮名のややこしいこと。

ただ眺める分には、美しいなぁで済ませるものの読むとなると、これは殆ど苦行であります。

2豚に光るる

二人して迷路に入り込んだ心地して、面白いもののその結果、いと恥ずかしき(笑)

江戸時代に「豚」っておったのかな?いや、ブタとはイノシシのことかも知れんぞ・・・しかし、なんで「心」なのだ?と不可思議に思ったものの時間切れ。

えぇい、分からん、しないよりはましだという母娘二人の結論が「ブタにひかるる」と相成りそうろう(爆)これからが恐いような楽しみなような、とこれまたいい加減で能天気な母。

大学から帰宅した講師からの正解を聞き、ガハハハと爆笑してしまったくずし文字探りテイタラクでありました。この母にしてこの子あり。

お粗末さまでございました。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月15日 

ずいぶん前のことですが、東京駅で外国人に間違えられた経験があります。

ガラガラとキャリーケースを引きづって今と同じく度付きサングラスに茶髪です。大阪駅で友達のゴッチと待ち合わせしていたのですが、予定の新幹線に乗り遅れてしまいました。

当時は今のようにスマホも日本でのレンタル携帯電話も持ち合わせておらず、仕方ない、公衆電話でゴッチの携帯に連絡しようと、東京駅構内を探したものの、なかなか見つからず。

ちょうど、新幹線構内の広い場所の真ん中で立ち台の上に立って案内をしていた制服の駅員さんに、
「すみませんが、公衆電話はどちらにありますか?」と訪ねたところ、返ってきたのがなんと!電話のある方向を指さして、「It´s over there!(あっちだ!)」

一瞬のけぞったわたし、「さ、サンキュウー」と答えたのでありました。
後で思うに、あれはわたしの姿格好より、もしかしてわたしの日本語だったのかもしれないと。

どちらかと言うと早口のわたしが、できるだけゆっくりはっきりした発音で日本語を話すことを意識しだしたのは、土曜日の補習校で講師をし始めてからです。また、日本語を教え出してからも、もぐもぐ言っていたのでは、生徒たちに分かってもらえないからです。

もちろん、友人たちと話すときはいつもの自分の早口にもどっていますが、日本では店員さんや見知らぬ人には、無意識に日本語学習者に話すのと同じになっているのに気づきました。

よく当時はデパートの売り子さんからも、「きれいな日本語を話しますね。」と言われたものです。しかし、これもまた、ひょっとしてわたしは日本人ではなくて、日本語を学習しているアジア系外国人だとでもj思われたのかな?と。

少しゆっくり話すというのは、近頃、会話の途中で適切な日本語単語が口から出てこなかったりする時、ちょっと助かったりします。早口だと、そこでパタッと話が止まってしまうもので(笑)

さて、本題ですが、この春で、ポルトガルでの生活が丸41年・日本で生活した31年の年月よりずっと長くなります。この補習校も10年ほど前に退いたもので、現在は日本人社会ともあまり接触がなく、日本語で話す相手と言えば、2、3カ月に一度の割合で気の合う仲間4人との食事会くらいです。たまに電話で話すこともあるのですが、それも用事があるときで、意外と稀です。

夫との会話は一応日本語ですが、相手不足だ、が本音です(笑

ブログを極力続けるように心がけているのは、我が子たちへのメッセージも含め、なんとか日本語力を落とさないようにとの目的もあるからですが、読書はそれを養うための一方法だと思います。

毎晩、就寝時に小一時間ほどしていた読書ですが、歳でしょうか、近年その力が衰え、よほど興味を引く内容ででもない限り、ものの20分もできればいい方で、本を顔に載せたまま寝入っていることが度々です。

また、わたしは、心に残る文を「片言隻句」として書き留めるのですが、最近読む本の中にそのような言葉をあまり見いだせないのは、自分の選ぶ本にあるのだろうか、と思ったりしています。

若い時は翻訳文のような文章にも興味を持ちましたが、今は俄然、美しい日本語の文章に大いに惹かれます。

美しい日本語、美しい物腰、たおやかな美、どれもわたしが持たない独特な日本美です。そして、季節の変化や夕焼け、風の匂い、忘れ去られんとする古い言葉・・・

齢70を過ぎて、自分の中にある限りない日本美への憧憬を発見して、実は自分でも少し驚いている近年です。

「何事の おわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

武士を捨て出家した漂流歌人、西行が伊勢神宮を参拝した時に詠んだとされる歌ですが、この歌に無宗教のわたしが感じ入るのは日本人の心でしょうか。

何十年と海外に住めども、生まれながらにして備わった日本人の血が体内にひたひたと流れていることを改めて感じ、自分は永遠に日本人なのだと。それを感じればこそ、近頃の日本政府の大陸寄りの政策、その緩さ、隙だらけに、頭から湯気が立っているのです。

え?それを言いたかったのかって?そうなんです!これを言いたいがためにウダウダと長く書いちゃったんです。はい。
本日はみなさま、これにて御免。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月14日 

今日はよくコメントを残してくださる「やまひろ」さんのリクエストで、かれこれ10年以上も前に書いたエッセイを再掲します。
以下。

墓参もご先祖の霊の迎え火送り火も容易にできないほどの遠国に住んでしまったわたしではあるが、8月は遠く過ぎ去った夏にひとりしきり思いをよせる時期である。

10年以上も前になるが、横浜のおばがみまかったのを最後に、おじおばである我が母方の9人兄弟はみな鬼籍に入ってしまった。

父は岩手県雫石の出身だったが、どうやら若い時から家族のもてあまし者だったようで、父の存命中もその親族とはあまり行き来がなく、我が両親亡き後はそれっきりプッツリのままであるから、わたしの思い起こすお盆はいつも弘前である。

故郷を後にして長年大阪に住んだのだが、今思ってみれば誠に残念なことに盆とてわたしは大阪在住時は一度もお盆正月の帰郷をしていなかった。

田舎の土臭さ、線香の放つ古臭さに、言うなれば因習にあの頃のわたしは精一杯抗っていたのである。古い因習に囚われずに、自由な精神、生き方は、流浪の旅の中にあると本気で考え、そういうことに憧れていたものだった。

この憧れは、高校時代に読んだヘルマン・ヘッセの「知と愛(ナルチスとゴルトムント)」のゴルトムントの生き方に影響を受けていないとは言い切れない。

青春の彷徨時代を経て、やがて人並みに結婚し、二人の子育てもほぼ一通り終えのだが、この間の異国での暮らしは、それまでのわたしをゆるく大きなうねりを描くように別の人生面を学習せしめ、再び故郷に向かう心を取り戻させたような気がする。

「子を持って親の心を知る」 わたしは遅まきながらこの言葉を今噛み締め、祖母や母の心に、故郷に、思いを馳せる。

次男坊だった父がその昔、彼を獣医にしたいという地主の父親の元を出奔したのは10代だったと聞く。思春期には黙した態度で目一杯父に反抗し、弘前から大阪への家出を繰り返した14のわたしは、何のことはない、しっかりとこの父のDNAを引き継いでいるではないか。

競馬騎手だった父がその職を諦めるべき年齢になり、盛岡から弘前に来て親子四人がともに暮らし始めたのだが、両親の仲良い姿があまり記憶にないのであった。

南部生まれの競馬騎手だった父が異郷の地、津軽に生きるのは難しかったこともあろう、昭和30年代も半ば、その日食うのにも苦労する貧しい家庭はいくらでもあり、父が無職がちだったわたしの家族もそのひとつであった。

その日食べるために、母はできうる限りのことはなんでもし、父はよく酔っては暴れていたものだ。

帰国したある都市、横浜のおじに叔母の遺品の整理を頼まれた妹が、それらの中から出てきた言って持ち出してきた、わたしたちが見たこともない古い数枚の写真の中にこんな一枚があった。

父と母

弘前の新町を背景に、父と母の、恐らく40代前半の写真であろう。なんにしても、「乗る」のが好きな人であった。このバイクで、あんな時代に父はモトクロスまがいのことをしては周囲の眉をひそめさせていたのであろう。

写真を撮ってあげるとおだてられて、「いごすじゃ。」(いいわよ、遠慮しとくわ、の意味)としり込みする母を無理やり乗っけでもしたのだろうか?仲良く写っているではないか。

この写真一枚を見るにつけ、もしもわたしがあの頃、もう少し素直で優しいい心根をもった少女だったら、もう少し気の利く少女だったら、わたしたち家族の肖像は、もう少し違っていただろうかとふと思うことがある。

子どもに責任はないと言うけれど、そうは思うが、そして無理なことではあるが、あの頃に今の心根を持つわたしを置いてみたいと、家族4人が「あっはっは」と心から笑ってみたいとの見果てぬ夢を見る。

失って長い時間がたたないと見えてこないものが人生にはある。

(2007年のエッセイを書き直しています。)
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年1月13日 
 
ポルトガル人の知人数人から、「道でポルトガル人から意識的に避けられたりしてない?」と、気を遣ってもらってます。

なんでかと言うと、COVID19(コロナウイルス)騒動で中国人と間違えられて、欧州では時々、アジア系の人が罵声を浴びせられり避けられたりしているとのニュースが広まったからです。

幸いにして、わたしはこのウイルスの話が出たとき以来、ツーリストが多いダウンタウンには足を運んでいませんし、外出時の行動範囲は行きつけのデパートやマーケット、外での日本語教室ですが、それも公共交通機関は利用せず自分の車を使うもので、今のところ、差別のようなことは受けていません。

加えて、目が悪いもので、外を歩くときは度付きのサングラスをかけ、髪は相変わらず茶髪ですから、中国人に間違えられることはないと思っているのですが、日本国内でも感染が拡大してきた今、この先は日本人とて「近寄らず」と避けられるかも知れません。

中国に隣接する台湾や韓国でほとんど感染者がでていないのは、初期段階で中国人入国拒否をしたからですが、それを我が国ときたら、武漢をこそ除きはすれ、どんどん中国人ツーリストを入れてきたことのわけです。

コロナウイルスがニュースに上がった時点で、武漢からは多くの人が逃げており、その人たちが既に中国国内のあちこちで感染させているということを、政府が知らぬはずもない。我が国の政治家の不甲斐なさ、危機感、決断力の無さ、とうとうここまで来てしまったかと。
与党もまとまっているわけではなく、親中親韓派は力を持っているようで、首相といえども逆らえないところがあるのでしょうか。こんな国の一大事の時に、首相が親中派に折れてしまうんだったら首相はいらないやん。

と、この数日は腹ばかり立って、ブログの文章もまとめられない状態でした。

遅きに失した感ではあるが、我が子たち、我が親族、我が友人知人たちがいる日本です、政府には今からでも中国全土からの入国を禁止してほしい。

本日は走り書きのようで、申し訳ない。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月9日 

今日は我が母の命日です。
17年前のこの頃、辛い思いで日本に向かいました。機内で一睡もできずにいたら、スチュワーデスさんにこっそり告げられて、夜間飛行の機内の窓から、眼下に初めてオーロラを見たのでした。

以来、オーロラという言葉を耳にすると母に最後に会うために日本へ向かった日のことを思い出します。
   
昔、ポルトガルへ嫁ぐと決めたときに、アリゾナ・ツーソンに住んでいたアメリカ人の夫を持つ年配の日本女性に言われた一言を今更のように思い起こした時でもありました。 「Yuko、異国の人に嫁ぐということは、親の死に目に会えないということです」

父親の場合がそうでした。死に目どころか、諸事情で葬式にも出ることも叶いませんでした。
   
我が母のときは、現在のフラットを購入し引越ししてすぐのこともあり、経済的にも大変な時期で、帰国をもう少しあともう少しと引き伸ばしていたのです。

その頃、頻繁に母の夢をみました。すると、間もなしに妹からの連絡で、もう待てない、すぐ帰って来いとの連絡が入りました。

わたしが日本に到着して二日目に、まるでわたしを待っていたかのように、母は病院で静かに息をひきとりました。母の目からこぼれ落ちる一筋の涙をふき取ったのが最期でした。

その後、2年間は、母の写真が飾れませんでした。親がいつまでも元気でいるわけではないことを頭では分かっていたつもりが、あれをしてあげればよかった、これもしてあげればよかったと後悔し、亡くして後、実感したのでした。

母の葬儀は、仏教式ではなく、読経のない花と音楽の葬でした。同居していた妹の話では、費用の高い戒名もいらぬ、自分の葬儀はそのようにできたら嬉しいと洩らしていたようでした。

わたし達は市の斎場の一室を借り、棺の周りをたくさんの花で飾り、母の好きだったタンゴ音楽を流し続けました。
蒼空、黒い瞳、ブルータンゴ、奥様お手をどうぞ、ラ・クンパルシータ、真珠採り・・・

それらを聴くと、一人でまるでそれがパートナーがいるかのように、わたしたちの前で踊っていた母の姿を思い起こすのでした。
2タンゴ
Wikiより

もうひとつ、母の葬儀でわたしたち姉妹が決めたことは、「お香典をいただかない」ことでした。当時はまだ花葬式など珍しかったようで、「このようなお葬式、初めてさせていただきました。良かったです。」と、葬儀を取り仕切ってくれた人の言葉でした。

母は妹夫婦の家族と都会に20数年住んだのですが、母の故郷は弘前で、年に1、2度は帰郷し、山菜取りに山に入ったりして友人たちと交流していたようでしたが、みな、歳をとっており、無理をおして来て頂くのもいけないと思い、故郷の母の友人たちには敢えて連絡しませんでした。 

さて、葬式も終わって母の一番の友達のOさんには連絡せねばなるまい、となり、妹とわたし、どんな風に切り出したらいいかしらね、と言いながら電話のダイヤルを回しました。

娘さんが応答し、「実は・・・」と話し出したところが、「あの・・・母は2週間前に亡くなりまして」との返事を聞いたのには、絶句したものでした。

仲のよかった友達同士、「あんた、そろそろ逝こうかね」とでも言いながら、二人仲良く逝ったのだね、と妹となんだか哀しいような切ないような。

そんなことを思い出しながら、母の好きだったタンゴを聴くことがあります。母の影響だけではなく、わたし自身も若い時にはアルフレット・ハウゼ・オーケストラでたくさんのタンゴ音楽を聴いたものです。

タンゴにはコンチネンタル・タンゴ(ヨーロッパ・タンゴ)とアルゼンチン・タンゴがありますが、エレガントなコンチネンタルに比べ、アルゼンチン・タンゴは情熱的です。わたしは踊れませんが、見るだけでも「ふーッ」っとため息がでてきます。
タンゴ3
Wikiより

タンゴ音楽が使われる洋画も数えてみると結構あります。知っているだけでも、シンドラーのリスト、パブロ・ネルーダの郵便夫、Scent of Woman(「邦題:夢の香り」だそうです)等など。

シンドラーのリストとScent of Womanで使われている音楽は同じものでアルゼンチンタンゴでも有名な「Por Una Cabeza」。スペイン語で、「馬の首の差で」という意味。

下にScent of Womanで盲目の退役軍人扮するアル・パチーノが軽くタンゴを踊るシーンをアップしてみました。アル・パチーノはこの映画でアカデミー主演男優賞を獲っています。



こちらは、映画「Take the Lead」の1シーン。日本では未公開の映画だそうですが、実話に基づいており、わたしの好きな映画のひとつです。

アントニオ・バンデーラスが本格的に踊っています。
NY、とある高校のおちこぼれたちに社交ダンスを通じて、生きる情熱を学んで欲しいとボランティアを申し出るダンス教師をバンデーラスが、演じています。なかなか授業に乗ってこない生徒たちに、情熱的なアルゼンチンタンゴを披露し、ヒップホップ生徒たちの目を白黒させる圧巻的な場面です。



また、最近見たのには、アルゼンチン出身のバンドネオン・タンゴ奏者、アストル・ピアソラのドキュメンタリー映画がありますが、わたしの好きな一曲、ピアソラが亡き父に捧げた「Adiós Nonino(Farewell Father)」を下に。



してみれば、昔、わたしがバイトで歌っていた大阪は梅新の旧アサヒ・ビアハウスの常連さんに、来るや必ずタンゴを踊るカップルがいました。雑誌記事にも取り上げられたのが下の写真です。ヨシさんのアコーディオンでマイクを手に歌っているのは若き日のわたし。
タンゴ

ピアソラの「Adiós Nonino」は、わたしの場合、母を思い切なくなる曲です。

ではみなさな、また。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月4日 

10年以上も前の春、東京から下関へ引っ越したモイケル娘のアパートを訪ねた時のことです。

まだ時差ボケが残っていたのと、新幹線と言えども東京から下関までの長旅で疲れていたのがあって、娘の携帯電話が鳴るまで、わたしはぐっすり寝入っていました。携帯電話の呼び出し音に起こされ、時計に目をやると朝9時をすっかり回っていました。

応対していたモイケル娘、「はい、じゃ、すぐ行きます。」と切るではないか。
「どこから?」とわたし。
「保健所から。小猫ちゃんが入ったんだって。10時まで行かないとすぐ処分されるって」

そう言うなり顔も洗わずジーンズに足を突っ込み、セーターをひっかけ、小猫を入れる布袋を引っさげて自転車で保健所を目指し慌てて出て行きました。なんだか胸騒ぎがしたおっかさんでした。

当時の彼女、ブログに、捨て猫ちゃんがいないかと探して神社まで行ったら、猫はおらず、代わりに神社にはたくさんの雄鶏が捨てられてた、と書いてあったの思い出し、久しぶりの親子の話題でも、ネットで里親を探している人にも連絡をとったことがある、保健所にも出向いたけど、その時にはネコはいなかったと話していた娘です。 

あぁぁ、とうとうネコちゃんを・・・と気をもみながら帰ってくるのを待っていたのでした。

そして、ただいまとドアが開き、見ると、なんとまぁ~~、彼女の抱いてる布袋の中身、ひゃ~~~!か、かわゆい小猫が二匹も!

gato
連れてきたばかりの二匹。

おい!ど、どないするのよ、二匹も^^;聞くと、「おっかさん、二匹も持ってくるとは自分でも思ってみなかった。けど、保健所に着いてみると三匹いたんだ・・・・それで、一匹だけ選ぶのはとてもできなくて、結局自分ができる範囲内の二匹を連れてきた。わたしの後に男性が一人いたから、もしかしてその人が残りの一匹をもらってくれるかもしれないと期待して・・・」

モイケルよ、よくぞやった!とこれがポルトなら誉めてつかわします。けれど、大丈夫? えさ代もかかるし、予防接種とか、トイレの砂とか色々物要りになるのだよ?ポルトからの少ない仕送りからそれを捻出しなければならないのだぞ・・・

あ!そういえば、アパートに入った時にすぐ目についた、床から6、70cmの部屋中の壁、水色のナイロンシートで覆われていたのでしたっけ・・・あれはネコの爪とぎ防御の準備だったのか!

呆れながらも今更返して来いとも言えず。見ると、おいおいモイちゃん、こりゃツガイではないか^^;知らんぞぉ~~!

しかし、小猫を抱いてしまったが最後、おっかさんももうダメです^^;可愛いったらないのです。

neko

保健所では一ヶ月未満の小猫は、まだ母ネコの乳で育てるので持って行ってはいけないのだそうですが、その二匹はどう見ても一ヶ月はたっていませんでした。目がろくに開いていないからです。
下関に着いて二日目は、モイケル娘のアパート整理云々より、まず小猫の粉ミルクと毛布を探して走ることから始まったのでした。

さて、元来が動物好きなわたし、モイケル娘と同じことに遭遇したら二匹どころか、おそらく後先も考えずに三匹とも連れてきたことでしょう。

そうやって、結果的には、一時の感情で行動を起こし自分を後で窮地に追い込むようなことになるのですが、ことネコに関してはいくつになっても冷静に考える大人になりきれないわたしです。

そのDNAをしっかり受け継いでいると思われるモイケル娘とおっかさん、子猫用の高い粉ミルクを買い、まだ自分で器から飲むことも知らない小猫たちに、人間の赤ちゃん用の哺乳瓶で3時間置きに授乳する羽目になったのでありました。

これがなかなか大変な作業でした。小猫たちが哺乳瓶の乳首を受け入れようとしなかったのです。下関の娘のアパートに滞在した10日間は、こんなこともずっとし続けていたのでした。

わたしが下関を去るころには「みかんちゃん」「タメゴローー」とようやく名前も付けられたのでした。

neko

上がタメゴローこと「タメ」、下がみかんちゃん。
gato
 
こんなあどけない顔をどうして無視できましょう。

この2年後、九州にある大学を卒業して東京へ移動するわけですが、後に養子にしたもう一匹、チビの計3匹の猫を連れて、東京へ移動したときのことは、後記にて案内しています。

neko
手前がすっかり成猫になったみかんちゃん、ひっついているのが養子のチビ。(2011年)

あんなに小さかったのが、こんなになって元気いっぱいに東京の兄妹のアパートを走り回っていたのでした。

2007tame-1.jpg

一番元気なタメことタメゴロー

neko
暑さでグロッキー、だらけすぎのタメです。だらしないぞ!

猫たちも息子娘同様、いったい何回引っ越ししたことか(笑) 一番やんちゃだったタメゴロー君でしたが、昨年秋、わたしの日本滞在中に、治療の甲斐なく、13年の生涯を全うしたのでした。

今日はモイケル娘のネコの話でございました。 下記では「ズッコケ兄弟の東京移動」の様子が読めます。よろしかったらどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-717.html

この記事は過去の書いたものに手を加えて再掲載しています。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月2日
 
今日は初めに、前回の記事で「検査結果は陰性」と書くべきところを、うっかり「陽性」と打ってしまい、文章を読んでおかしいな?と思った方もおられるかと思います。友人からの指摘で気づき、間違いを訂正しました。

ニュースにその都度イライラしても仕方ありません、今日は話題をいつもの日常生活にもどしましょう。

しばらく前から、ポルトガル人生徒の日本語教授業前の45分ほどを、友人の高校生の娘さんAちゃんにあてています。

彼女の日本語読みの能力は高いので、時に解説つきの「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」の中から数首を選んで読んでもらいます。

ねずさんの百人一首は、解説に歌の時代背景も書かれているので、海外の補習校日本人子女がまず触れることがないであろう歴史の勉強にもなるので、一石二鳥というものです。

さて、昨日は33番歌、紀友則の、

「ひさかたの光のどけき春の日に しず心なく花の散るらむ」

を、取り上げました。

これは、日本の国語教科書によく紹介されている歌のひとつですが、この歌の特徴として、花を擬人化していると多くの解説書であげられているとのこと。友の訃報に接した紀友則が、その死を悼んで「花の散るらむ」と詠んだ、そう解釈した方が歌の心に合っているような気がする、とねずさんの解釈にあります。

擬人法ならば、古事記上巻にある「因幡の白うさぎ」もそのそうだと言います。

「因幡の白うさぎ」など、Aちゃんは恐らく知らないであろうと推測し、わたしはきちんと勉強してみることにしました。

調べてみると、あな、おもしろや。

白うさぎというのはいわゆる「うさぎ」ではなくて、いにしえに因幡あたりを治めていた、うさぎのごとく穏やかで信望があつかった白兎(「はくと」と読む?)一族のことだそうです。

inabanoshirousagi.jpg
図はWikiより。Aちゃんにはこの地図に県名を書いてもらった。

その一族が日本海を荒らしていた「和邇(わに)軍」と隠岐の島辺りで戦い、気多の前(けたのさき)まで押し寄せた和邇の大軍に打ち破られました。

そこへやってきたのが大国主命(おおくにぬしのみこと)で、白兎族は大国主命と協力し、最後には和邇族を討伐した、との考察に出会いました。

ははぁ~、なるほどねぇ。

で、思い出したのが、今の若い人たちは知らないであろう、わたしが子供のころに歌ったこんな歌、

♪大きな袋を 肩にかけ
 大黒様が きかかると
 ここにいなばの白うさぎ
 皮をむかれて あかはだか

 大黒様は あわれがり
 きれいな水に 身を洗い
 ガマのまわたに くるまれと
 よくよく教えてく やりました

33_daikokusama2_2.jpg
大国主命と白兎。Wikiより
33_daikokusama1_1.jpg
 蒲(がま)の穂綿 Wikiより

と、ここまで来て、はてな?と思ったのであります。

「大黒様」は七福神の一柱、大黒天でしょ?それは元を辿ればインドのヒンズー教になるわけでしょ?するってぇと、古事記の大黒様とは違うんじゃないか?

そうして検索してみれば、がび~んなのでありました。

古事記のだいこく様は「大国様」、つまり大国主命です。これが神仏習合、つまりもともとからあった日本の神道と仏教が融合した時に、大国主命と大黒天も習合し、大黒様になったのだと言う・・・

うひゃ~、勝手に神様を習合しないでよ、ややこしい!けど、面白い発見です。

Aちゃんには、33番歌解説の途中に「因幡の白うさぎ」が出てくるもので、歌の解釈の途中からそっちの方向へ話が行ってしまい、古事記上巻にある、「八十神、おのもおのも稲羽の矢上比売をよばはんのこころありて・・・」と、読み下し文を読んでもらい(「おのもおのも」のところでたどたどしくなった。笑)現代文訳までも行きつけず。

続きは再来週へ持ち越しと相成ったのでありました。

いやぁ、こういう発見ってつくづく面白いと思うのですが、「あんたが知らないだけよ」?
それを言っちゃぁ、おしまいよ(笑)

ではみなさな、また。
お時間ありましたら、ランキングクリックをしていただけると嬉しいです。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
2020年2月1日 

かつて夫の職場であったポルトのサン・ジュアン病院に、商売で武漢から帰った男性が、発熱と体調不良を訴え、コロナウイルスの疑いありというので、入院、隔離されて目下検査中だとのニュースが昨日流されました。

やや!いよいよポルトにも入ったか、これは覚悟せねばと思ったのだが、今朝になって検査結果は陽性陰性と出たと知らされ、少しほっとしたところですが、無症状の感染者もいるというから、安心はできません。

近年ポルトガルは観光立国になりつつあり、アジア、特に中国や韓国からのツーリストが増えています。ツーリストがどのくらいお金を落としていくのか分かりませんが、今回のようないざという時を考えて、ある程度の対策を用意しておく必要があると改めて思いました。

まぁ、自分が住んでいる国のことをあまり悪く言いたくないのですが、何事も手を付けるのが遅くて計画がなかなか立たない国ですから、こんなことを希望しても無理かな?の感はありますが^^;

我が子たちを始め親戚や多くの知人友人が住んでいる母国、日本です、この新型肺炎なるコロナウイルスのことが心配で、このところずっとネットでニュースを追っており、ブログ更新も滞っていました。

ニュースを読むごとに日本政府の危機感の無さ、対応の緩さに、言っちゃぁなんだが、これじゃポルトガルと変わらんではないか。平和ボケもここまで来ちゃったのかと、ただただ失望するのみです。

武漢から邦人を帰国させ、その人たちをしばらく隔離するのはいいが、中国からやってくるツーリストに簡単な質問票を配布し、発熱等は自己申請のみだと聞いたときは、これじゃぁ、ざるに水だよ、と一般人のわたしでさえ思ったこと。どうして国の政に携わる人たちが考えが及ばないのか、理解に苦しむところで、思いたくはないが、それほどまでに我が国の政治家が〇〇になってしまったのか。

こうして書き綴ると不平不満のオンパレードになりますから、この辺で止めますが、出るはため息ばかりです。

コロナウイルスは未曽有のウイルスで発生地がチャイナと聞いた時点で、これはひょっとして生物兵器を作っていたか?と思ったのですが、案の定、下記のような話も出ていました。

インドの科学者が遺伝子を分析したら、HIVと同じ配列があってどう考えても不自然だという話です。 中共がコロナウィルスにHIVを合体させて人為的に作成したウィルス兵器だったとしたら、HIVと同様で、簡単には治らない可能性があります。「ベッラのブログ」さんから。

国連の世界保健機関WHOはこういうのをこそ、しっかり調査して取り締まるべきなのに、中国に忖度し、なんという有様。

先ごろ120万頭が殺処分されたと言われる中国の豚コレラ、そして今回のコロナに続き、今度は中国の湖南省から鳥インフルエンザが発生、既に18000羽近くが殺処分されたそうです。

21世紀に生きる私たちはまさに「Outbreak(爆発的な感染)」の世界に身を置くことになるのかも知れません。くわばらくわばら。たまりませんな。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ にほんブログ村 シニア日記ブログへ
にほんブログ村
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ