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2020年4月1日 

イタリア国内で武漢ウイルスにより亡くなった犠牲者の平均年齢は78歳だと言われます。
そんな中、先日、陽性で20日ばかり入院していた102歳の女性が回復して退院するというニュースが流れました。

イタリア北部のジェノヴァ市に住むItalica Grondona(イタリカ・グロンドーナ)さんという人で、コロナ肺炎の軽い症状があったため、入院、施した治療は少なかったとのことでした。102歳まで生きるということも稀ですが、入院して回復するのは大変な生命力です。ただただ脱帽です。これは

今、恐々として武漢ウイルスに恐れている年配者たちに希望を与えてくれる嬉しいニュースでもあります。

Italicagrondona.jpg

グロンドーナさんは独立心に満ちた、人生、音楽、ダンスを愛する女性だそうで、恐らくパンデミックのスペイン風邪も乗り切ったのではないかと推測され、医師団はグロンドーナさんの血清的な検体を採取し、調べるとのことです。

このニュースを聞くにつけ、わたしの年齢を遥かに超えた二人の対照的な女性について書いたことがあるのを思い出しました。以下。

安楽死が法律で許可されている国は、勿論それなりの条件があるのですが、世界にオランダ、ベルギー、そして国ではないが、アメリカのオレゴン州をはじめとする5州だそうです。

ポルトガルでも安楽死法立法をめぐり賛否両論がありますが、昨年「医師ほう助自殺合法化」法案は、国会(定数230)で賛成110:反対115、棄権4のわずかの差で否決されましたが、先ごろ再び国会で取り上げられ、国会は通過したものの、現在は大統領が拒否権を持つので初認されるか、もしくは大統領が再び国会に差し戻すかの状態です。

この問題に関して、わたし自身の結論は出ていないので、書くことは避けるのですが、そんな時、二つの話を耳にしました。

―ベルギー、アントワープに住む93歳の安楽死を希望する女性が、法律的にその希望が受け入れてもらえず、ハンガーストライキに入った。93歳のこの女性は、病気をしているわけでもないのだが、「もう生きているのがイヤになった」のだと言う。ー

すると、その翌日、ポルトガルのラジオ番組で、ポルトガル南部、アルガルヴ地方に住む91歳のアンゴラ(アフリカ系)女性の話が話題にのぼりました。アンゴラからの移民で苦労のしづくめ。学校へ行くこともなくずっと文盲で来たところ、一念発起、小学校1年生から勉強を始めるのだそうです。

91歳の女性が、果たして学習にちゃんとついて行いけるのか、体力面で継続できるのかなどの疑問は別として、わたしはこの二つの話に、なんと言う人生のとらえ方の違い!としばらくの間、考えさせられたのであります。

そして、わたしも時々、自分を励ますときに使うこんな例え話を思い出したのでした。

自分の好きなスピリッツ(お酒)が3分の1入ったグラスを手に、「あと三分の1しか残っていない」と見るか、「あと3分の1も残っている」と見るか。これは、物事をネガティブにとらえるかポジティブにとらえるかの違いでしょうか。どちらのとらえ方をするかによって、人生もまた大きなうねりを見せて違っていくような気がします。

アントワープの女性については、もっと詳しい情報が入ってこないのでなんとも言いがたいのですが、ふと、この女性は子供とか孫とかの家族は、愛する人はいないのだろうか、これまでどんな人生を送って来たのだろうか、と、苦労の連続の人生だったであろう、ポルトガルのアンゴラ女性のそれよりも、わたしは興味を覚えます。

14年間寝たきりだった夫の母は94歳で亡くなりましたが、後半の7、8年は流動食も飲み込むことができなくなり、鼻チューブを通して栄養をとり、家族が話しかけても反応がなく、意識がないようで眠る毎日でした。

寝たきりの義母を見ながらわたしは思ったものです。意識がなく眠っているだけだと思っているのは周囲の人間の思違いであって、本当は周りで何が起こっているのか、周囲の人間がどんな話をしているのか、彼女は全て知っているのかも知れない、と。

わたしたちは毎日生きているには違いないけれでも、確実に日々死という未来に向かって時間を刻んでいるのもまた事実です。
彼岸のことは、誰一人として帰ってきた者がいないので、「死」が果たしてどういうものであるかは、想像する以外はないのですが、ベルギーの93歳の女性は、死をどんな風に想像して、安楽死を希望するのかと、数日、なにかの拍子に頭をよぎって離れない対照的な二つのニュースではありました。

spacesisさんはどっちのタイプかって? う~ん、実際に自分の身に起こってみないと分かりませんが、案外、91歳くらいになって、「どれ、孫も一人前になったところで、経済的にもなんとかなりそうだし、念願の大学へ行くか^^」てなことも、言い出しかねないかしら(笑)

そそ、その頃には、我がモイケル娘が日本での大学進学を目指した時に約束した「MSFEこと、麻衣子老人支援財団」が出来ておりますようになんまんだ~~(笑)

その約束はなんなのかって言いますと、明日への続きと相成りますれば。

本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。では、また。
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2020年3月29日 

地上の出来事を知らぬ、真っ青な今日のポルトの空です。

引きこもりを始めて今日で12日目です。表通りには人影もほとんど見られません。が、今日は食糧調達にマーケットへ出かける必要があります。

毎日、暗いニュースで気が重くなりますが、同時にウイルスの出元でありながら、ほぼ終息に近いと嘘をつき、感染国へ支援姿勢を見せて世界中にマスクやコロナウイルス検査キットを爆売りする「放火犯が消防士のふり」の如き隣国に、怒っています。

今回のウイルス騒動で、中共だけに依存する脆弱性、そして、国産であること、国産できることの重要性を世界は認識したのではないでしょうか。きっとそうであって欲しいと願わずにおられません。安物にあふれた生活はもういいとわたしは思っています。

昨日現在のポルトガルの中共ウイルスに関する情報です。
死者は100名にのぼり、確認した感染者は5,170、感染の疑いがあるのは32,754、回復者43となっており、老人ホームでの感染者も増えてきました。依然として北部に感染者が多いです。

さて、本題です。

我がYY日本語塾は、3月8日を最後に集団感染を恐れて臨時閉鎖しました。家での個人授業もしかり。いつ再開できるのか、今のところ目途が立ちません。

気になるのは生徒たちの日本語能力です。こういう時に自宅待機の時間を利用して自発的に日本語を勉強する生徒は希少です。どうも気になって仕方ありません。

一日中家にいるわたしも時間があるので、オンライン教室はできないのかなと考えてみました。生徒たちに「初めてのことなので上手くできるかどうか分からないけど、してみますか」とメールで意見を聞くと、みな乗り気です。

そこで、少しあちこち調べましたが、段々、頭の中が@@な状態になり、目下、離職して家にいる我がモイケル娘に助けを頼みました。

彼女は丁寧に根気よく教えてくれるのです。腹の中じゃ、なんと思ってるか分かりまへんが(笑)、これは我が子ながら、いつも感心しているのです。

まずは自分が子供たちとのチャット、メッセ手段として日頃利用しているSkypeを考えたのですが、グループ授業に使うには、生徒全員に友達申請をしてもらわなければならないので、これは面倒。止めて、Gmailでつながっている生徒が多いし、それでできるというHangoutsとやらを選んでみました。

これがです、娘相手にセッティングをして模擬オンライン日本語グループ授業をしてみたのですが、んまぁ、機械に弱いわたしのことです、四苦八苦。娘には数日付き合ってもらいましたが、その肩の凝ること!オンラインセッティングと授業準備とで、目の下にクマができてしまいました。

そして、昨日土曜日朝に、土曜日日本語教室のいつもの時間通りに開始し、オンライン授業デビューでした。

できるだけ、順番に生徒に読ませ、練習問題を解いていく、全員でわたしが読むのをリピートするという、いつもの授業体系にしたかったのです。

授業中わたしは座ることはありませんし、説明に黒板を使いますから、画面は下のようにカメラを設定しました。

onlineclass1.jpg

黒板の文字が鏡文字になっていますので、この点も夫と娘にどうなっているか確認しましたら、大丈夫。相手にはちゃんと普通の文字に見えてるのだそうで、挑戦してみなかったらこんなことも知らなかったというわけで、何事も勉強です。

すると、生徒が「先生がイスに座ると、先生の頭のてっぺんしか見えない」と言うのです。「ええのよ、ええのよ、それで。この年寄りの顔を画面いっぱいに見てもしようがないでしょ。てっぺんしか見えないようにカメラを高い所に設定したんであ~る」(爆笑)

朝10時から午後1時まで、初オンライン授業で、まだまだ改善すべき点はありますが、とりあえず、当座はこれで日本語授業を続けることにしました。

今回の中共ウイルス騒動による工場、会社等の閉鎖で、給料が入らない、もしくは減る人もいるとのこと、オンライン授業はわたしにとっていい勉強にもなるので、しばらくは授業料無料、ボランティアで参ります。

毎朝、ニュースを読んで後の腹立たしい思いを一日中ひきづってばかりではいけません。そうだ、日本語の準備があるんだ!と、気持ちを切り替えることにもなります。

では、みなさま、ウイルス感染には重々お気をつけて。
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2020年3月27日 

ポルトガルのニュースを始めに。
クリスタル公園内のロザ・モタパビリオンは昨年2019年に改築され、8000人の聴衆者が収容できるスーパーボックアリーナと変貌しましたが、ポルト市はそのアリーナに中共ウイルス感染者300名を収容できるように準備しました。

superbockarena1_1.jpg

昨日現在のポルトガルの状況は、感染者4268名 死者76名、回復者48名、25431名が疑いがあるとみられています。ピークは4月の半ばと推測されています。

夫は今日も病院へ出かけました。検査の急患が二人いるとのこと、中共ウイルスの感染が心配です。看護婦がいないので同僚と二人でするとのこと、通常はめったに言わない「気をつけてね」を、最近は使うことが多くなりました。

さて、スペインに住む夫の知人の医者から昨夜電話が入った。
あちらは私たちより若い家族だ。最近でこそあまり行き来はしていないが、我が子たちが小さい頃はスペインを訪れては家族ぐるみで付き合っていた。

中共ウイルスでポルトガルもこの先どうなるかまだ想像つかないが、スペインはイタリアに次ぐ状況で、日に600人もの死者を出している。

それで伝え聞いた話にわたしは怒っているのである。
スペインが中共の会社から購入したコロナウイルス検査キットの判定が不安定で、ウイルス症例を正確に特定できたのがわずか30%とのこと、スペイン保健当局は返品すると言う。

この会社の製品は中共による医療援助の一部ではなく、同社は製品を販売するライセンスを持っていないとスペイン中国大使が言っているのだそうだ。

これは氷山の一角で、恐らく世界中にこの手の不安定検査キットが爆売りされているのではないかと推測する。そんなキットでは陽性も陰性とされ、本人は知らぬまま、周囲にウイルスをばらまくことになるではないか。イタリアの後半の惨状はこういうことも関係しているのかも知れない。

発生源の国でありながら、これを利用して悪質な金儲けをしようとするのには、怒り心頭に発する。本国はこの会社とは関係ございません、みたいなことを中国大使館は言っているけれど、仮にも医療品、どうやってそんな詐欺会社がそうそうと設立されるのか。ポルトガルもそれを購入しているんだろうなと思うと情けないし不安である。

中共ウイルス感染者0などとあり得ない数字を勝手に操作する恐ろしい国ではある。

わたしは、安いものにはそれなりの何かがあるはずだと思っている。2007年くらいからずっとチャイナフリー(チャイナ製は買わない)をスタンスにしてきた。これが、世界の工場と言われる中共製が日常生活にすっかり侵入してしまい、結構大変なことなのである。

安値で大量生産の品は故障しやすく壊れやすいので、ゴミの増加にもつながる。

グローバル化が叫ばれ始めて以来、かつての「Made in Japan」「Made in ○○」という生産国のあの自信にあふれ、世界中から大きな信用を得ていた誇り高き文字は消えてしまった。

あの頃は再び蘇るのだろうか。世の中は確実に、拝金主義へと変わったとつくづく思う。

今回のコロナウイルス検査キット、呼吸機器、マスクなどの医療品の大量不足の実情からも、わたしたちは中国依存の脆弱性に、そして国産である事の重要性に気づかなければならないと思う。

食糧についても同じことが言える。
少なくとも三分の2、難しければ半分でもいい、国産であるべきではないか。事が起こった時に、三分の2は生き延びられるである。食料のほぼ全面依存は生き残る術なしだ。
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2020年3月25日 

WHOによる遅すぎた武漢ウイルスパンデミック宣言でしたが、主催地の東京だけではなく、イタリア、スペイン、フランス、イギリス等、ヨーロッパ主要国での感染が始まった時点で、今年の東京開催は無理だなと思ってきた。

中共は感染者が激減だとか0だとか言っているが、かの国の言うことほど信用できないものはない。中国源の感染はなにもコロナウイルスだけではない。ハニトラ、マネトラ感染はWHOだけに限らず世界中の政界に感染して、もはや蔓延状態だ。

日本の政界もそれから免れず、二階氏などはどっちを向いとんねん!と腹立たしいことこの上ない。あ、これは今日の本題には関係ないのであったわ(笑)すみません。

さて、今回の東京オリンピックは最初から色々げんが悪かった気がしていたので、延期と聞いて実はほっとしている。その延期について、ネット上ではこんなロゴが出て面白がられています。

Olimpic2021_1.jpg
Webサイトより。

思わず吹き出しましたが、これを見てすぐ頭に浮かんだのが、ずいぶん昔に我がモイケル娘が補習校でした図入りの、多分中3くらいの時のスピーチです。ブログを探ってみたら2006年に一度あげていますが、引用します。暗い話ばかりの毎日、たまには笑わないとね。以下。

「判子社会の縮図」

子供たちが学校時代に書いた絵やプロジェクト作品は、月日が経ってから何かの拍子にひょいと物置部屋の奥から引っ張り出して見ていると、いつの間にやら、時間の経つのも忘れて見入ってしまうことになる。

息子と娘の作品が我が家にはたくさん保管されてある。それらは大きいものが多い。そこでわたしは最近それらの作品をデジタルカメラに撮って保存することを思いついた。そうすると、場所も取らないし原作が変色したり傷んだりしてもあまり心配せずに済む。

色々な絵の中で、わたしが傑作だと思う一枚の絵の写真がある。

もいける娘が補習校時代の「日本社会で自己主張はどこまで許容されるか」という題のスピーチに使用して聴衆を笑わせた図だ。

わたしはこの絵を見るたびに「あっはっはっは!」と笑わずにはいられないのである。これ、ほんと、ツッコミがうまいと思いません?そう思うのは親バカぶりであろうか。
    
国語教科書の敬語、謙譲語の学習を通じて、日本の社会で自己主張は果たしてどの程度まで許されるものなのか、というスピーカーの疑問とその限界について、自分の体験から日本とポルトガルを比べて書かれている。

長くなるので、彼女のスピーチ全文を載せるわけにはいかないが、この図を提示する部分の文を抜粋して見た。(娘事後承諾^^;)
    
日本社会について色々調べていたら、ある日会社内でのおもしろい習慣をインターネットで発見しました。

書類などで判子を押すとき、「偉くない人」から「偉い人」の順で判子の大きさが変わるというのです。

全員が社内で判子を押し終わったところ、捺印欄の左側の一番小さい判から少しずつ印鑑の直径が大きくなってゆき、最後の一番エライ人の判は、なんと!欄からはみ出て堂々と自分の偉大さを誇示しているではないですか。

そこに載せられていた図をみたときは思わず笑ってしまいました。
――――抜粋終わり。


hankoshakai_1.jpg
↑課長欄外太い矢印の下、「少しえらいので調子にのっていばってみた」       
「出る判子は打たれる」の下には、「この人は降格決定」とある。 
 

右上がりに判子が大きくなっていく図を、本人は自分の好きなようにアレンジして仕上げてみたようだ。

会社社会にどっぷり浸かっていると、当たり前のこととやり過ごしてしまうこの判子の社会縮図、う~んとわたしはうなってしまうのである(w)実に「言いえて妙」だ^^;

大阪の堂島にあったオフィスで勤めていた頃は、会社の角印と所長の印が大きいのは知っていたが、部課長の印にまで気をつけて見た覚えもなし。わたしはいたってのほほんとした事務員であったのだ。

こういうことを、こんな風に面白おかしく見ることができたら、この世知辛い世の中も少しは気楽になれるかも知れない。 わっはっは、と笑ってしまったであった。

その後、父親を説得し、やっとの思いで日本の大学受験に臨み日本へ行ってしまった娘だが、その彼女がこんなことに出会ったと言うある日↓

2007年9月7日 ハンコに見るリアル・ジャパン

日本の大学での勉学が3年になる我がモイケル娘、昨日わたしがメッセンジャーに上がると待ってましたとばかりに声をかけてきた。

「おっかさん、今日リアル・ジャパンの縮図をこの目でみた!」と、携帯で撮ったピンボケ画像を送って来た↓


hankoshakai_2.jpg

今回のは左上がりに大きなハンコになっているが、見るなり爆笑してしまった。

学生の身分であるからして、更に貧乏学生であるからして、義務付けられた年金は卒業するまで払えないので延期願い届けを役所に提出したのだそうだが、書類に不備があり再提出してくれ、との手紙を受けとったらしい。

開封して、書類の右上にあるこのハンコ欄を見て本人は大いに喜んだのであった。

上下関係に極めて厳しい日本社会の縮図を、我が娘はかつてポルトガルにいてこの判子欄を通して垣間見たようですが、今まさにその実物を目前にし、確認できて喜んでいるらしい。

しかし、モイケル娘よ、お主が住んでいる社会、そして2年後の大卒後住むことになるであろう社会が、実にこの判子の社会なのだよ覚悟の程あれ^^


くだんのオリンピック延期のロゴにあるいたずらも、本来は安倍首相の承認ハンコが一番大きくあるべきであろうか。三文判が押されているのが残念なところで、このロゴで遊んだ人は、もしかして、サラリーマン経験ないのかな?と思った次第ではある。

本日はこれにて。
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2020年3月24日 

薬の処方箋を出さなければならない急患がいて、夫は今朝、クリニックへ出かけると言う。

昼には帰るというので、じゃ、お好み焼きにしようかね、と言った後で、「あ!卵が切れたんだった!そんなら、たまご丼・・」と言いかけて、これも材料に卵がいるんだったと気づき、がび~~んのわたしです。

ツナサンドイッチもサーモンサンドイッチも作るはいとわないけど、食べるのもうイヤや。この間から昼はピッツアも含めてパン類ばかり。自分一人ならおにぎりで済ませるのですが、夫は
それを食べないもの^^; 

非常事態時です、スーパーへ行くのも極力避けて、昼は簡素な食事で夜はしっかり食べようと思うのです。インスタントラーメンも売っていないことはないのですが、どうもどこで作ってるのかよく分からないようで、できることなら手を出したくないと、買いませんでした。さぁて、どうしようか。

今日で自宅ひきこもり七日目です。やはり、野菜、果物が切れました。卵も(笑) そんなわけで、今日はどうしてもスーパーへ行くのに外出することになりそうです。

必要なものがあれば買いに行けばいいと、それが至極当たり前に思ってしまっていたこの頃、ふと、わたしがポルトに来た40数年前のことを思い出しました。以下、「不便さを哲学に」です。

今でこそ断水、停電がめったになくなったポルトガルだが、わたしが来た頃それはしょっちゅうだった。日本ではそんな経験がほぼなかったのでポルトガル新米のわたしは、エラい所に住む羽目になったなぁとかなりとまどったものだ。

わたしは義母、そして夫のおばたちと6年間同居していたのだが、義母の台所の調理器具の火元は電気なので停電ともなれば料理ができない。水が出なければこれまた料理不可で、断水・停電どちらにしても、即、困った事態に陥るのであった。お湯も電気で沸かすのでシャワーも浴びることはできない。

日本のように、何日の何時から何時まで断水だとか、停電だとかの予告なく突如としてそうなるもので、赤ん坊を抱えていた時期など、停電断水対策なくしては日々の生活は済まされなかった。

一度などこんな冷や汗をかいたことがある。

ーーー随分昔の、とある水曜日の午前中のことです。
日本語レッスンを予約していた生徒が来なかったもので、キャンセルされた時間を利用して、しばらくぶりに染髪することにした。染料を塗りつけて30分ほど置かなければならないのはご存知の通りです。

で、その間ちょいとメールチェックでもしようかとパソコンをオンにしたのであります。そしたら、日頃からネットでおしゃべりしていたチャット仲間にとっつかまり、ああでもないこうでもないとしようもない話で盛り上がり、「アッ!」と気づけば染髪の所要時間を過ぎること40分!髪はすでにバッリバリのバリ!

「すわ、たいへん!」てなことで、慌てて仲間にオサラバし、バスルームに駆け込んで、「さぁ、洗うべぇ」と蛇口をひねったら、ひねったら、ひねったら、・・・水が出ない!!!!(泣)

だ、断水よ・・・(予告無しの断水、停電がこちらではよく起こる^^;)出ないといったら憎ったらしいくらい一滴も出ません・・・染髪の色どころか、頭の中、真っ白であります。

義母と同居中のときは、よってもって食料庫の中にわざわざ補給水用のタンクをとりつけていたのですが、子どもも二人になり、義母の家もそれでは狭くなり、引っ越して別居した先はフラット(アパート)でもあるから、まぁ大丈夫かと高をくくったのが甘かった・・・

「よし、こうなったらもったいないが飲用水として常時買い置きしてあるミネラルウォーターで」と思ったのですが、染料を全部くまなく洗い落とすには相当量の水がいる。

とても5リットルボトル4つくらいでは足りそうもない。午後には日本語レッスンがあるんや~、どないしよう・・・どうしようかとウロウロしているうちに、時間はどんどん過ぎて行き、髪のバリバリ度は更に増していく。

なんでもよく知っている大阪出身の友人に「このまま夕方まで放っといても、髪、大丈夫かなぁ」と電話してみた。

開口一番、「あんた、またそんなアホなことしとんのか。夕方まで放っといたらどうなるぅ?知るかい!」 つ、冷たい奴め・・・好き好んでしたんじゃないわい。

はっ!と気づいたは、義母の家の補給水。確かあったはずだ!義母の家はここから目と鼻の先です。電話であちらに話をつけて、お風呂を借りることになりましたのね。

「でも、この頭をどうやって隠してあそこまで歩いて行くかなぁ」と思いつつ、何気なくもう一度水道の蛇口をひねったら、ひねったら、ひねったら~水がでた!「ハレルーヤ!」

ほんと真っ白になったり真っ青になったりした忙しい半日でした。そして、長時間置かれたそのバリバリ頭のせいで、今回はやたら赤くなってしまったわたしの髪であります。

こういうハプニングが起こるのって、日本のような文明国では考えられないことですね、きっと。(笑)

電気が再び点いたときの、水が再び蛇口から流れ出たときの感動は、それはもう長らく忘れていた素朴な喜びの感情でもありました。

停電ともなるとテレビ、ラジオ、ステレオなど普段何の疑問も持たずに湯水の如く使っている文明の利器が突如として取り上げられるのである。さすがにおたつきます。

しかし、何度か経験しているうちに、愚痴を言っても始まらない、しからば今できることをしようではないかと考えを改め、蜀台にろうそくを立てソファに座ってレース編みなどをするようになった。雑音のない静寂な時間は普段なかなか持てないものだ。

日の出とともに働き出し日没とともに就寝するという原始的な生活習慣を人はいつの頃から捨て始めたのだろうか。

Marchi2020_2_1.jpg

夕焼け空に目を向け夜空の月や星を仰ぐのは季節を見るだけではなく、大いなる宇宙のなかの人間という小さな存在を感じ取り、生命に思いを馳せる哲学的な時間を持つことでもあったのかも知れない、とそんなことを考えたりして、いつの間にか断水停電に対してあまり動じなくなりつつあった頃に、曽野綾子さんのこんな言葉に遭遇し、わたしは妙に納得したのだった。

「不便を体験すると人間はしばしば哲学的になる」

積極的なボランティア活動でアフリカ等の未開発国を何度も訪れては、多くの、いわゆるわたしたちからすれば大いなる不便さを目の辺りにしてきた氏だからこそ、言えるのであろう。

物事を沈着に考えるのに文明の利器は要らないかも知れない。必要なのは便利さに振り回されない時間を自らが作ることだと思うのだ。人間が万物の霊長とされるのは思考することができるという、他の動物とのその一点の違いだ。

が、今ほど人が「考える」ということをしなくなった時代はないのかも知れない、と思い、溢れた物に囲まれ、情報に振り回され、時間に追われて人生が刻まれるような毎日を送っていることが、時にふと怖くなったりするわたしだが、皆さまはいかに。

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2020年3月23日 

naviofantasia.jpg
Wikiより

今日は武漢ウイルスから離れた話題をあげるつもりでいましたが、昨日、リスボン港に予定外のクルーズ船が入港したというニュースが流れましたので、自分のメモとして書いておきたいと思います。

昨日22日朝、リオ・デ・ジャネイロを3月9日に出港してイタリアのジェノバに入港する予定だったクルーズ船MSCファンタジア(スイス資本だが運行的な本社はイタリアのナポリとwikipediaにある)は1338人の乗客とともにリスボン港に入りました。

ジェノバは、今、世界最多の武漢ウイルス感染者死亡者が出ていて封鎖されているロンバルディア州(州都はミラノ)の側にある港です。この時期に寄港できるはずもありません。

日本のメディアではどの程度取り上げられているか分かりませんが、イタリアの武漢ウイルスによる死者は一昨日一日で627人だそうです。

ポルトガルでは毎日のようにロンバルディアの医師や看護婦たちの映像がニュースで取り上げられ、いったいどうしてこんな風になってしまったのかと胸を衝かれる過酷な状況です。

ロンバルディアの感染状態は2月下旬には既に知られていたと思われます。このクルーズ船は中止できなかったのでしょうか。

リオを就航後の10日間、海上にあったので、今現在、ファンタジア船には武漢ウイルス感染者はいないと思われ、30名近くのポルトガル国籍者は下船許可がおり、2週間の隔離生活が強いられます。

因みに、隔離期間をポルトガル語でquarentenaと言います。元々は検疫停船期間の意味ですが、現在、政府の非常事態宣言でポルトガル国民が外出を自粛しているこの事態もquarentena(クァレンテーナ)と呼ばれています。

ほか、39国からなる1300人の残った乗客は検査終了まで船内滞在、その後、MSCクルーズ会社がリスボン空港からそれぞれの国へチャーター便を飛ばすことになるそうです。

国内だけでも非常事態で大変なのにと、思わずため息が出てしまいます。

末尾になりましたが、こんな時こそ武漢ウイルスから離れた話をどぞ。
我がモイケル娘の「東ポルト屋ブログ」、更新しておりますので、よろしかったらお立ちよりください。

東のポルト屋ブログ https://mikeyyy.hatenablog.com/

また、「東のポルト屋」オンラインショップも新しい出品があります。
https://higashinoportoya.stores.jp/

では皆さま、また。
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2020年3月22日 

本題に入る前に、いつもコメントをくださる「ムイントボン」さんが、イタリア、スペイン、フランス等における武漢ウイルスのニュースは日本で聞くが、ポルトガルに関してはない、とおっしゃっていますので少し。

スペインにくっついたようなイベリア半島の小さな国ポルトガルは、このところオーバーツーリズム状態です。スペインが既に大変な状態になっていたのですから、ポルトガルでも武漢ウイルスが拡大されるのは少し想像力を働かせれば分かることです。

つい今朝方、栃木県内で出た4人目の感染者、50代男性は7日から15日まで夫婦でポルトガルを旅行したとのニュースがでています。この頃は、ポルトガル国内でもぼちぼち感染者が出始めた時です。

ポルトガルの武漢ウイルス情報も日本国内で取り上げられていたら、下のようなことも起こらなかったかもしれませんが、既に日本国内で、そしてイタリアでも武漢ウイルスでかなり騒いでいたのではないですか?気の毒だとは思うものの、やはり危機感がありません。

今、オヴァ―ルというポルト近辺の町が封鎖されていますが、その町の最初の感染者は、イタリアのベニスでのカーニバルがこのウイルスで中止されたというのに、家族で出かけて行ったとの噂があります。これも危機感を持たないがための行動です。

これまでのポルトガル国内感染者の年齢別グラフを見ると、30、40、50代が全体の50%以上を占めています。この年齢層が単に怖いもの知らずであるだけだとは言えません。これは自分に降りかかるだけではなく、自分が感染源になるというところまで考えが回らないのです。

ポルトガルでも武漢ウイルスが拡大し始めたというのに、平気で街を歩く観光客、海岸に集う大勢のポルトガル人がいました。自分だけのことなら無鉄砲で済まされますが、今の場合は無責任な行動と言われても仕方ないでしょう。

スペイン、イタリア、その他のヨーロッパ諸国同様、ポルトガルも今は来てはいけませんよ。

では、本日の本題です。

1821年、ナポレオン軍の侵入時にブラジルへ避難し、そこで王位に就いたマリア一世の息子ドン・ジュアン6世は、ドン・ペドロ王子(ポルトガルに於ける後のドン・ペドロ4世)にブラジルを任せリスボンへ帰国するものの、本国ポルトガルの政治況はかつてとは大きく異なっていました。

フランス革命やイギリスからのフリーメーソンの自由主義が人々の間に広がりつつあり、1822年にはポルトガル憲法が制定され、絶対王政に終止符が打たれます。

いやぁ、自由主義思想のフリーメーソンの活躍はアメリカ独立、フランス革命のみならず、このポルトガルでもなされていたのですね。

また、同年にはブラジルに残ったドン・ペドロ王子がポルトガルからの独立を宣言し、ドン・ペドロ一世としてブラジル皇帝に即位します。やがてポルトガルの父王ドン・ジュアン6世の没後、ドン・ペドロ一世はドン・ペドロ四世としてポルトガル国王の王位にも就くのです。ドン・ペドロ1世は自由主義者でもあります。

しかし、海を隔てたポルトガル王国の統治は困難な壁にぶつかます。この時、ドン・ペドロ1世(ポルトガルではドン・ペドロ4世)は打開策として、まだ幼かった娘マリア・グローリア(後のドナ・マリア2世)を王位継承者とし、亡命していた実弟のドン・ミゲルを呼び戻し摂政にすえるのですが、ドン・ミゲルは自由主義者を激しく弾圧し始めます。

作家アルメイダ・ガレッテ(Almeida Garrett)、アレシャンドラ・エルクラーノ(Alexandre Herculano)などは自由主義派を擁護しています。

この自由主義者(リベラリスト)のドン・ペドロ4世と絶対王政主義者(ミゲリスト)の対立がポルトガル内戦です(1829-1834)。

1832年7月8日、ブラジル皇帝の座を降りたドン・ペドロ4世7500の傭兵を率いてポルト近郊のPraia da Memoriaに上陸します。このころ、自由主義者の多かったポルトは既に圧倒的な数のドン・ミゲル軍に包囲されます。

始めの頃こそ奇襲に成功する自由主義軍であるものの、1年にわたる籠城(これをポルト包囲=Cerco do Portoと呼ぶ)を余儀なくされますが、ドン・ミゲルの降伏で内乱は終止符を打ちます。、

内戦で荒れ果てたポルトガルは、新しい時代が始まったとは言え、政治が落ち着くにはまでさらにもう少し年月を要することになります。

このようにポルト包囲時に7500:80000と圧倒的な軍の差に拘わらず、ドン・ミゲル軍に勝利したポルト自由主義者とドン・ペドロ4世軍、「Invictus」の称号が与えられてしかるべきでしょう。

下記に見るようにポルト市の紋章にも「Invicta Cidade do Porto」と書かれています。

portobrasao1.png
Wikiより

さて、Invictusはラテン語ですが、南アフリカを舞台にしたクリント・イーストウッドが製作に携わった同名映画「Invictus」があります。

南アのアパルトヘイト政策が撤去され、27年もの獄中生活から解放されたネルソン・マンデラが南ア史上初の全人種参加選挙で最初の黒人大統領に選出されたころの、南アとニュージーランドのオールブラックス(昨年日本でブームを起こした先住民族マオリの伝統舞踊「ハカ」を試合前に披露するチーム)とのラグビー決勝戦までの実話を描いた映画です。


映画ではマンデラをモーガン・フリーマンが、ラグビーチームのキャプテンをマット・デイモンが演じていました。

獄中での結核や呼吸器官疾患の病を抱えながら石灰石採掘場での27年間の重労働を強いられたマンデラを支えたのは一編の詩でした。
「I am the master of my fate, I am the captain of my soul」

この最後の一節にひどく惹かれ、検索してみると、これは1875年に出されたイギリスの詩人William Ernest Henleyの詩「Invictus」ということでした。

テキストは下記の如し。

「Invictus」(征服されざる者)

Out of the night that covers me,
Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds and shall find me unafraid.

It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate.
I am the captain of my soul.

最後の節は、
「いかに門がせまかろうと、いかなる罰に苦しめられようと、
我が運命の支配者はわたしであり、我が魂の指揮官はわたしである」
(spacesis勝手訳)

マンデラはこの言葉に胸に刻み、獄中生活を絶え抜いたのです。まさに征服されざる者でしたね。苦境にあって出会う素晴らしい言葉は人間を希望へつなぐ一筋の光になります。



ポルトガルは 今日22日までで、14名の死者を出しました。感染判明者は
1600名、治癒したのは5名です。

Invictus、武漢ウイルスにも征服を許さない街であってほしいと切に願うばかりです。

ではまた。
 
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2020年3月21日
  
ポルトに住んで42年目に入ろうとしています。そのポルトで初めてマスク姿を見かけました。
なんと、我がフラットの玄関ドアを開けて鉢合わせした向かいに住む女性でした。ちょうど出勤するところだったのでしょう、彼女は看護婦さんです。

今現在で、マスクは一般人には手に入りません。マスクは、向かいの女性のような医療関係者、公的施設関係者、警官、もしくは感染者がすることになっていますが、それでも不足しています。
わたしたちも取り寄せ注文はしているのですが、まだ、ポルトガルが武漢ウイルスに襲われる前にモイケル娘に送った一箱が入手した最後です。

今日でひきこもり4日目。
夜、野良猫にエサを運ぶ5分以外は外へ出ていません。何をしているかと言うと、これが困ったもので、家の中の整理、日本語関係の書類整理とすることはたくさんあるのに、なぜだかウロウロしていることが多いのです。

それに、夫が夕方まで家にいなかったのと違い、夫婦ともにひきこもり中なもので昼ご飯がラーメン、そば類、お茶漬けでは済まされません。準備からあと片付けまで日に2回台所に立つわけで、どうしても時間も細切れになり、整理を中途半端にしがちです。

おまけに一昨日は朝早く起きたはいいが、カーペットに足をひっかけ右足の筋肉を傷めてしまうドジを踏んでおります^^; そんなわけで、ササっと動くに支障あり、「いててて」と思うような整理ができない状態であります。トホホ。

さて、本日は昨日のポルトの動画にある「Cidade Invicta」について、書いてみます。

地元ではポルトを別名で、「Cidade Invicta(シダーデ・インヴィクタ)」と呼びますが、「敗れざる、征服されざる街」という意味です。

19世紀初期の3回に渡るナポレオン軍侵入戦争の第二回目、ポルトを襲ったナポレオン軍を撃退した出来事と、もう一つはこの後の自由主義派と王政派が激突したポルトガル内戦で、ポルトがブラジルから北部に漕ぎついたドン・ペドロを中心にして、王政派を破ったということに因みます。

以下、歴史話です。

ポルトガルの19世紀、ドナ・マリア一世の統治時代。フランス革命後、ナポレオンは皇帝を戴冠、イギリスを封じ込めるためヨーロッパ諸国にイギリス船への港閉鎖を通達します。

が、イギリスとは古くからの同盟国であるポルトガルはこれに従いません。そこで、ナポレオンはポルトガル侵略政策をとります。

第一回が1807年、スペインを味方に引き込んだフランス軍ジュノー将軍の率いる3万の軍がスペインと国境を分かつベイラ・バイシャから浸入し、リスボンを手中に収めます。

このとき、ドナ・マリア一世と後継者ドン・ジュアン6世は15隻もの海洋船に貴族や軍隊、大商人らおよそ1万人のポルトガル人を引き連れ、ブラジルへと逃れたわけです(なんちゅうこと^^;腰が引けてましたぞ)。

こうして、ポルトガル王室が再び本国ポルトガルの地を踏むのは、それから約20年後の1821年です。

フランス軍はリスボンを手に入れたものの、その暴虐ぶりにやがて各地で民衆蜂起が起こり、ポルトガルは盟友イギリス軍と合流してフランス軍を破り、ここで休戦協定を結び、フランス軍は撤退します。

しかし、ナポレオンは尚も諦めず、2度目の侵入を試みます。1809年、今度は北部(スペイン、ガリシア地方)から浸入、ポルトに入りますがイギリス・ポルトガルの連合軍、さらにポルトの民衆も参戦して、終にはフランス軍を敗退させました。 

これがポルトが「Cidade Invicta」と呼ばれるゆえんの一つです。

guerrapeninsular_mapa.jpg
地図はwikiより

上図、赤線が第一回目、オレンジ線が2回目のポルト侵入、青線が三回目。

ポルト、Boavistaロータリーの「Mouzinho広場」中心にあるモニュメントはこの時の戦いを記念したものですが、これは後記にて案内しています。

さて、ナポレオンは、懲りずに三度目のポルトガル征服を試み、リスボンに再度兵を送るのですが、最後には敗退、1814年にスペインからも撤退することで、ナポレオン軍とのイベリア半島戦争は終了します。

ポルトガル独立戦争の時もそうですが、大軍を相手にいざという時にポルトガル人が出す底力は愛国心のなす業でしょう。ワールドサッカーを見ても、その意気がどことなく表れているような気がます。

「ピレネー山脈から先はヨーロッパではない、アフリカだ。」と言ったのはナポレオンだったと記憶しますが、三度もポルトガル侵入に失敗した歴史上の事実を知ると、「ナポレオンの負け惜しみだな」とわたしは思ってしまいます(笑)

ポルトガル北部から始まった武漢ウイルスですが、是非とも遠からずこれに打ち勝って欲しいと切に願っています。

もうひとつのゆえんは次回にて。
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2020年3月20日 

ポルトガルのマルセロ・ソウザ大統領は18日夜に、国家非常事態宣言を発令、昨日、国民に向けての規制内容の説明がコスタ首相によりテレビ放映されました。

非常事態宣言の下ではむやみに外出することは不可、法的に罰せられる可能性があります。ショッピングセンター、レストラン等へ閉鎖、車での外出も食料買い足しと特別の理由以外にはダメです。レストランはTake awayに切り替えているところもあり、Uber foodも含めて営業加。

ただし、高齢者(70歳以上)には、行動制限があります。薬局、銀行、スーパーマーケットへ行く以外は自宅待機すべし。これに私たち夫婦は入ります。家の近辺の散歩も二人以上はダメで、話をして歩いてはいけません。外で人と話すときは2メールの距離をおかなければなりません。

欧州の多くの国が今そうであるように、空港も国際線、国内線ともにフライトはほぼキャンセルです。下は武漢ウイルスのため、街中から人がほぼ消えた今のポルトです。

昨日の時点で、ポルトガルでは感染者と確認されたのは785名で、このうち381名がポルト周辺の北部、リスボン周辺が278名、中部86名、アルガルブ28名、アレンテージュ2名、アソーレス島3名、マデイラ島1名、亡くなったのは4名となっています。その中で完全治癒はこれまでで3名、感染者と接触疑いがあると判明しているのは6061名。

日本国内が20日現在で感染者950名とありますから、ポルトガルは間もなくこの数字を上回ると思われます。母国日本が当初に比べ、世界の感染数リスト上、どんどん下位になっていくのは嬉しいことですが、我が第二の母国ポルトガルの人口1027万人(ほぼ東京都の人口)ですから、比率でいくと、怖い数字になります。

考えても仕方ない。今の時期、武漢ウイルスが去るのをじっとひたすら待つのみです。

いつどこへ出かけようと自分の自由、食べ物が足りなくなったら買い出しにいけばそれで済むという自由、そんな毎日当たり前のようにしてきた自由を考えさせられる「非常事態宣言」であります。

エスプレッソカフェが好きな夫、「しまった、コーヒーマシン、買っておけばよかったなぁ」。これまで使ってきたのが、しばらく前に壊れてしまったのですね^^;

下は武漢ウイルスのため、街中から人がほぼ消えた今のポルトです。 今回の非常事態宣言を受けてポルト市が制作した画像です。これを見てると涙が出そうになります。


こんな静寂は一度もなかった。これほど団結したことはなかった。ポルト、Invicto(敗れざるもの)、ポルト、我らが家。
「Fica em Casa(自宅待機せよ)」。 みんな、我慢してがんばろうってことですね。

ポルトは昔から歴史的にCidade Invicta(敗れざる街)とよばれています。これについては後日書いてみたいと思います。

今日はポルトの状態を書いてみました。
明日はもう少し明るいトピックをあげてみましょう。
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2020年3月18日 

わたしは今日からいよいよ本格的に、「Ficar em casa(家に引きこもる)」を実行します。

午前中に家の半分を掃除し、お昼ご飯は昨夜作っておいたおにぎりと果物です。これからしばらくは、食事も節約しなければならないと思います。

午後はラジカセで音楽を聴きながら、普段はお掃除のおばさんにお任せしているアイロンかけをしました。一週間分溜まっていたので1時間ほどかかりました。

子供たちがいたころは、家族4人分の洗濯ものです、週に2回、お手伝いさんに来てもらいましたが、その都度アイロンかけをしてもらっても、更に自分でしなければならない量でした。

今日はあの頃を懐かしく思い出しながら、あんなことがあったこんなことがあったと、アイロンをかけていたのでした。アイロンかけは嫌いではないのです。

さて、この月曜日からポルトガルは2週間、薬局、銀行、食料の買い足しにどうしても必要な時以外は極力家にいよ、との国からの要請なのですが、これは2週間では済まないのではないかと思い、実は、昨日最後のうち猫、野良猫のエサ、そして我ら夫婦の保存がきく食料をもう少し、この引きこもり中、洗濯と掃除をしまわる予定なので、洗剤、漂白剤等も買い足そうとハイパーマーケットへ朝のうちに、夫と行ってきました。

すると、え!いつも車を乗り入れる地下駐車場への入り口が閉鎖です。別の入り口は?と回るとそちらも閉鎖。え~!しかし、観察すると、ショッピングセンター内には人は少ないながらも何人か出入りしています。

そこで地上に駐車しようともう一回りすると、お!今度は先ほど閉鎖されていた入り口が開いているではありませんか。ははぁ~ん、これは人数制限してるんだなと思いました。

地下に駐車してマーケットへ行きますと、2、3か所ある入り口は一か所に決められ、人数制限のため、係員がコントロールしていました。

corona5.jpg

1メートル以上の距離を置き、入店できる順番を待っています。 入り口にはアルコールが置かれていました。それでも、ものの15分くらいの待ち時間で入店できたのは、やはり、ほとんどの人が自宅にいるということでしょうね。

思うに、日本で全国一斉休校の際にああだこうだと文句を言っていた人が結構いたように思いますが、ポルトガルではあまり聞かれない気がします。だって、「Não tem jeito」、仕方ない、ですもんね。命の危険にさらされるよりずっとましです。

スペイン、ポルトガルの国境も閉鎖され、なんだ、EU前の昔に戻ったんだねぇと夫と話しているのですが。空の便も多くがキャンセルされています。我が東京息子が、この春帰国しなかったのは正解です。

大手の自動車工場も2週間閉鎖され、開いているのは上でも述べた薬局、一部の銀行、郵便局(時間制限)、それに病院です。

夫も緊急患者以外は検査をしないと言っていますが、今日はその緊急が数軒入ったとかで病院へ行きましたが、心配です。

マルセロ・ソウザ大統領は国家非常事態宣言をするかどうか、本日、閣僚会議を開き判断を下すようです。

ポルトガルは現在感染者448人、死者2人、また、ポルトにさほど遠くないオヴァ―ル市はカーニバルで知られているのですが、武漢ウイルス感染で封鎖されました。

事態を決して甘く見ることはできません。
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2020年3月17日 

武漢ウイルスのニュースに翻弄されて他のことに気が回らないような状態の昨今です。昨日からポルトガルは全国的に自粛の2週間を政府から要請されています。

これが効果をなすのを心から願っているわけですが、自粛と言えども家に二週間完全に閉じこもることはなかなかできるものではありません。

食料の買い出しがあります。それに、もし、人がたくさんいるのでなければ、先週初めから買い物以外は外出していなかったもので、極端な運動不足を補うために、できれば歩くこともしたいものです。と思っていたら海岸も公園も閉鎖とのこと。要はいよいよ市民よ、外へ出るなということでしょうね。

ポルトガルは昨日リスボンで武漢ウイルスの初犠牲者が出ました。様々なイベントの中止はもちろんのこと、私たちが食堂替わりによく利用している近くのレストランも休業に入り、先週金曜日の夜のポルトの街の中はこんな状態です。

corona2.jpg

いつもは地元の若者たち、ツーリストで満席になるはずのオープンカフェや通りは人影もありません。
corona3.jpg

日中、ポルトの象徴クレリゴス塔の辺りもこの通りです。

corona4.jpg

ポルト大学で行われる今夏7月のJLPTこと日本語能力試験2020の申し込みも無期延期となりました。これを目標に頑張っていた学生たちはがっかりでしょうが、今の状態では致し方なし。

ポルト市はメトロの消毒を始めたそうです。
corona1.jpg

我が家のウイルス対策としては、毎月曜日に来てもらっているお掃除のおばさんに、家に入る時と掃除が終わって家を出るときにジェル石鹸で消毒してもらおうと思っていたところでしたが、こういう事態なので、来るかどうか一応確認する電話を入れたところ、先週、なにやらの簡単な手術で病院に行って来たとのこと。夫とわたし、しばらく考えた後、昨日の月曜日は掃除をキャンセルさせてもらいました。

仕事もないことだし、自分がすれば済むことです。

病院へ行くことすらも万が一のウイルス感染可能性を考えなければいけない厳しい状態です。
皆様も十分気をつけなさいませ。

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2020年3月16日

コア渓谷の岩絵の存在は古くから噂があったと言われる。話題に上り世論を沸かせたのは20世紀に入ってからだ。1995年にポシーニュダム建設予定地としてコア渓谷の調査を開始したところが、渓谷沿い数キロに渡り岩絵遺跡群が発見されポルトガル政府はダム建設を中止した。現在はスペインのSiega Verde(スェガ・ヴェルデ)一帯の岩絵群も加わり、世界遺産に登録されている。

Foscoa
四駆ジープを降りて本の少し歩きます。 

Foscoa
カメラと三脚を担いだ我が東京息子。

Fozcoa21
案内人の女性は考古学者であろ、説明がとても面白かった。夏のきつい日差しアレルギーがあるわたしは太陽光線を避けるため完全武装で出かけたというのに、この方、それに同グループの若い人たちはみんな強い日差しなどお構いなしです。


世界でこれまでに発見されている岩絵の多くは洞窟に描かれているのに対し、コア渓谷のは世界でも最大規模の野外岩絵だそうです。
Foscoa

案内女性のポルトガル語フランス語の説明が一通り終わったところで質疑応答です。

penascosa9-1.jpg


1万年、2万年前の岩絵を前にした時は何本もの線が重なった絵であるため分かりにくかったのですが、しばらくじっと見ている内に漸く絵が見えてきました。

penascosa21.jpg

拡大してみましたがわかりますか?「↓1」は牛もしくは馬の横向きの顔の部分です。

Fozcoa
「2↓」は牛です。角を含めて体全体が描かれています。腹部の膨らみ具合、頭部の動物の特徴を見事にとらえた素晴らしい線画です。

人間のみが古代からこのような芸術性を備えていたのに感嘆します。岩の面に幾重にも重ねて線画が描かれているのは、この面が描きやすかったのだろうかと色々思考をめぐらしてみる。

Foscoa

Foscoa

描かれている絵はどれも幼稚なものではありません。見事に活動的に描かれています。

すぐ側に今では小さくなった小川も見られます。古代にはここは魚捕獲の場でもあったのだろうか。

Foscoa

 
Foscoa
東京息子も撮影に余念が無い。

Foscoa
本の少しだけ岩山を上ります。ここにも数多くの岩絵が刻まれているとのことですが、それより上はツーリスト立ち入り禁止です
 
Foscoa

Penescoaでは3箇所の岩絵を見て、山小屋を後に出発点のCastelo Melhor(カステロ・メリョール)へと引き返し所要時間はほぼ1時間半。写真から分かるようにこの日が曇り。出かける前にポルトガル人の知人に散々脅されていたもので高温でなかったのは、わたしにとって幸運でした。

下はVila Nova de Foz Coaの小さな町とモザイクタイルです。

Foscoa

ここにも岩絵が使われています。
Foscoa

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2020年3月15日 

今日は5、6年前に訪れたフォス・コアの岩絵について。

ロックペインティング、つまり岩絵と聞けば、レイフ・ファインズ主演の映画Inglish Pacientの冒頭シーンが思い浮かぶ。



筆で何かを描いているのだが、それはサハラ砂漠にあるCave of Swimmers(エジプト)の岩絵のひとつなのであった↓

岩絵 - Copy

映画の内容は置いといて、岩絵の代表的なものと言えば1万400年ほど前のものだと言われるアルタミラ洞窟壁画だろう。

随分昔のことになるが、幼かった子供たちを連れて家族旅行でピレネー山脈を越えた1980年代初期に、わたしたちはアルタミラ洞窟絵を見に立ち寄ったのだ。今ならpcで前もって調べて行けるのだが、その時は情報もなく直に訪ねた。しかし、日に限られた人数で、しかも予約でしか入ることができず、諦めざるをえなかった。現在は外気に触れて痛みがひどくなっているとのことで非公開である。

若い時分からオーパーツが好きなわたしわたしは古代の興味深い岩絵を本の中で幾つも目にしてきた。

岩絵3 - Copy
↑同じくサハラ砂漠(アルジェリア)、タッシリ・ナジェールの岩絵。

岩絵4
↑イタリア北部ヴァルカモニカ岩絵のひとつ。約1万年前のものと推測される。

非常に興味深いものでは、ウズベキスタンのパイロットと呼ばれる紀元前に描かれたとされるフェルガナ岩絵.がある。ここには明らかに宇宙飛行士と未確認物体が描かれている。これを見てわたしは大いに人類起源史に想像を膨らましたものだった↓

岩絵5


さて、古代のロック・ペインティングの殆どが洞窟で発見されているのだが、コア渓谷には洞窟がなく岩絵は野外でそのままむき出しになっている。岩絵は60数箇所で発見されているそうだが、現在訪問できるのは「Canada do Inferno, Penascoa, Ribeira de Piscos」は3箇所のみで、(下図の青○の所)予約を入れ7、8人のツアーで行くことにある。

岩絵6

ちょうど帰国していた息子と共に訪れたのはPenascosa(ペナスコーザ)の岩絵だ。総人口が220人ほどのCastelo Melhor(カステロ・メリョール)という小さな村が集合場所で、村に入ると目前に見えてきたのがピラミッド型の小さな山。

Fozcoa

う~む・・・ここの岩絵に上記のようなオーパーツ的絵が発見されたとしたら、この山も発掘してみる価値があるかもとカメラを向けたのであった。

Fozcoa

この集合場所からジープで出かけること、往復1時間半のコースです。ここから先の道は一般者は入れない。
7岩絵
 
わたしたち3人を入れて合計8人のツーリストで午後4時半に出発です。前方に見えるのが道。かつて訪れたポルトガルの秘境の山道に劣らず、狭い凸凹道で冷房なし(笑)なもので、土ぼこりをモロに被る。

Fozcoa

この日の女性ガイドさん、説明が実に上手く楽しい人だった。帽子、グラサン、首には大きなスカーフ、長袖にもちろん長パンツ、更に手袋姿のわたしを見て、完全武装ね!と笑っておった。

彼女の説明によると、夏は50度を越えるのが普通なのだがその年はいったいどうしたの!というくらい30度以下。その日の天気は曇って陽が隠れていたので半死を覚悟していったわたしなどは大助かりと言うもの。

Fozcoa
15~20分ほどして岩絵が見られる現場に到着。

あたりはゴツゴツした岩山だ。
Fozcoa

続きは明日に。

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2020年3月13日 

ポルトガル政府は武漢ウイルス対策として、来週月曜日から全ての教育機関の休校を公式に指示しました。幼稚園も含まれます。既に今週から休校に入ってる学校もあります。

その他、ディスコ等のナイトクラブ、図書館、博物館も一時閉鎖、ショッピングモール、飲食店については、入場人数制限を実施するとのことです。

わたしのYY日本語塾も同僚のOちゃんと話し合い、個人レッスン、土曜日のグループレッスン全てを、今週初めから3月いっぱい休講を決めました。その後のことは状況を見てからということにしました。

今朝のポルトの空は真っ青です。我が家の向かいにはカフェが3軒、すぐ近くには中高学校があり、騒音とまではいきませんが、いつもぎやかなのが平常です。それが、学校はもう閉鎖し、車の音も近所でボールを蹴って遊ぶ子供たちの声もなく、春だというのにまるで闇のような静寂さです。

そして今、20歳の頃に読んだレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出しています。
「朝早く起きても鳥の声もしない。それでいて、春だけがやってくる」。

「沈黙の春」は1960年代に農薬による環境破壊を告発したもので、環境保護運動の始まりになったと言われます。

この本を読んだ時の衝撃は大きかったのに、いつの間にか日々の生活の忙しさと便利さに
取り込まれ、忘れてしまっていました。

さて、日本語教室休講で、3週間近くの休みになったのですが、春だと浮かれて外出するわけにも行かず。今年の6月の日本帰国は多忙になるもので、前倒しのちょっとした休暇が入ったと思うことにしました。

まずは、モイケル娘が子供の時に着た衣類を引っ張りだし、一昨日から洗濯機をせっせと回しています。本や衣類、食器の整理もこれを機にしたいと思っています。夫と二人だけの生活なのに、物が多すぎです。

最後に今日は、モイケル娘のブログとオンラインショップの案内です。

2月半ばで都内の某大学事務局を退いた我がモイケル娘、これまで数年途切れていたブログを再開したようです。ツイッターと違い、ブログを書くには落ち着いた時間がないとできないものです。

彼女もこの数年間、仕事と家事をするので精一杯、後はとにかく早く寝るのを習慣としてきたようで、わたしもかつてのようにチャットの相手をしてもらう機会が少なかったのですが、時間に少し余裕ができて、少し長いおしゃべりもできるというもの、嬉しい限りです。

オンラインショップは彼女の趣味でしているのですが、もしよろしければ覗くだけでもけっこうですので、下記までどぞ。

東のポルト屋オンラインショップ(サイトアドレスは今回変更されています)
https://higashinoportoya.stores.jp/ 
                      
また、ブログはこちらです。

東のポルト屋ブログ
https://mikeyyy.hatenablog.com/

両サイトとも、「Sspacesis in ポルトガル」右欄のリンクからもアクセスできます。

ではみなさま、本日はこれにて。
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2020年3月10日 

今日はポルトガルと中国の関係について、拙い文ですが、わたしが知っていることを書いてみます。

毎日毎日コロナウイルス騒動で気が滅入っています。

イタリアは酷いことになっていますが、昨年3月G7の中で中国といち早く一帯一路に係わる覚書を交わした最初の国です。

低迷する経済回復のために中国の投資を利用したいとの思惑があったのでしょうが、中国にとって投資は政治戦略に直結するのだということを知らなかったのでしょうかね。

一帯一路に同意するということは、今回の武漢ウイルスのような騒動が起こるとモロにそれを被るわけで、いい面ばかり観てたらとんでもない羽目に陥るのであります。

アメリカはようやく中国に対する危機感を持ち始めたようですが、ヨーロッパはまだまだのような気がします。夫と話していても中国に対する見方が大いに違うのです。

中国が普通の国だと思ったら大きな間違いで、大火傷するのよ、と言っても「そんなことはないだろう」と通じませんわ。フン、後で泣いたって知らないんだから!と、悔しいかな、せいぜい捨て台詞を残すくらいで終わりです。情けないったらありゃしません。

実はポルトガルもシーネス港(セトゥーバル近くでバスコ・ダ・ガマの生誕地)を一帯一路構想に捧げ(笑)、イタリア同様、2018年に中国と覚書を締結しています。中国と言う国を知らないバカめ、とわたしはほぞを噛んだのでありますが、中国企業はそれ以前から、エネルギーやインフラ分野に大規模な投資を行っており、現在ではポルトガル電力会社の株も21%を握っています。

また、ポルトガルは欧州の他国に先駆けて5G網(第5世代移動通信システム)を構築し、サービスを展開できるよう、ファーウェイと協力していると表明しています。

欧州勢の中でも、中国から多くの投資を呼び込んでいるポルトガル、このまま行くとうすら寒いこの国の未来ではありますまいか。

5Gについては、下記のような報告もありますので、ぜひご一読を。

<欧州最初の5G開始国スイス 5Gによる健康被害の報道">欧州最初の5G開始国スイス 5Gによる健康被害の報道

ところで、ポルトガルでの武漢ウイルス感染者数は32人、10日現在死者0ですが、国民に人気があるマルセロ・ソウザ大統領は向こう2週間の公式行事をすべてキャンセルし、自粛中です。ウイルス検査では、陰性判定が下されたと伝えられました。

テレビでは、ポルトガル人の習慣でうっかりBeijinho(頬と頬をくっつける挨拶)しそうになったり、握手しそうになったりで、その都度ハッと思い出しては、「あ!Não posso(できないんだった!)」と口に出し、周囲の笑いを誘っていました。わたしも画面でそれを見て「あっはっは!」です。

ポルトガルは、どこぞの国のように首相がうっかり咳が出てしまい、腕で覆ったからよかったものの、あれ、手などで押さえていたら、今頃マスゴミ、野党がこぞって喜こび叩いたであろう悪意のないのが、せめてもの救いです。

「安倍首相、よくぞ、即、腕がでたなぁ。危なかったなぁ」と冷やりとしました。

yugure1_1.jpg
地上では人々が武漢ウイルスに翻弄されているのに,夕暮れの空はこんなに美しい。

ではみなさま、また。
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2020年3月8日
 
最近でこそあまり興味を引く映画に出会わないので、映画館に足を運ぶことが少なくなりましたが、子供の頃から観てきた映画は数知れず。

わたしの小学生の頃は今のようにテレビなどほとんどない時代でした。
当時は小学校の講堂を利用して映画教室(わたしたちはこれを「幻灯」と呼んだのですが)が、時々催されました。

椅子などには座らず、そのまま床に地べた座りです。スクリーン代わりに講堂の壇上に大きな幕が張られ、私達のすぐ後ろでは映写機が裸のままジ~ッと回るのです。

そうして観た映画は数々。「綴り方教室」「にあんちゃん物語」「コタンの口笛」「地の涯てに生きるもの」「24の瞳」「柿の木のある家」「のんちゃん、雲に乗る」「緑遥かに」「怒りの孤島」等等があります。

これらの物語はどれも、子供心に深い感銘を与えたように思います。なぜなら、わたしは今、ここにこうしてずらりとタイトルをあげることができる程に、覚えているのですから。

本から学ぶことはたくさんありましたが、映画鑑賞から教えられたことも山ほどあるような気がします。

根が単純なせいか、映画も本同様、観ている途中から観客としての立場を忘れ、思わず引き込まれ、のめり込んでいることが度々あります。

観て一巻の終わりではなく、「もし自分の身にあのようなことが起こったら」と後で考えて見ることは、普段ののんびりした生活のちょっとした起爆剤になるような気がします。

たかだか70年80年の人生で、わたしたちが経験体験できることは、知れています。でも想像力を持つ私達人間は、それを駆使して模擬体験できます。更に、賢い人はそれを未来につなぐことができるでしょう。

自分の身を人の立場に置いてみる。これはたやすいようでなかなか難しい。孔子の論語に、「四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。」とあります。

「60歳で他人の意見に耳を傾けられる」と言うのには、その歳の頃には、「人のなすこと言うことが、環境、文化、教育の背景から来るものであり、いちがいに笑ったり怒ったりはしなくなる」という意味合いも含むことでしょう。

異文化社会に身を置く場合、若い時は往々にして自分が自国で体得してきた常識なるものをうっかり振りかざし、物事を批判しがちです。

わたしにも若い時、そういうことをしてしまった後悔があります。日本の教育が一番いいと錯誤したこと、日本人は時間厳守、常にきっちりしていて他人に及ぼす迷惑行為はあまりとらない、と言う幻想。

これらは勿論、時間を守らない、きっちりしない、迷惑行為を平気でとる、自己中心だなどの日本人も今はたくさんいますし、日本の教育についてはもはや言葉がありません。

するとですね、ここで言えるのは、日本人だから、外国人だからの問題ではないと言うことです。

日本人であるわたしも、同じ国の人から、「あ、ポルトガルに長い間住んでる人だからね」との印象を与えることがあるかも知れません。しかし、海外に長い間住んでいるからと言って、人はそうそう変わるものではないと思います。

その印象を与えるとすれば、「異国に長く住んでいる」からではなくて、「日本と言う単一文化を離れてあれこれ体得し今に辿り着いた人」と言えるのではないでしょうか。

物事を捉えられる想像力は、読書や映画鑑賞から、そして異文化体験からもある程度養うことができると思います。ぼ~っと観てたらその時間が過ぎるだけで終わりですが(笑)疲れている時、わたしはそうします^^;

ごく最近みた映画には、スターウォーズ・ラストエピソードに続き「ソフィーとライズィングサン」があります。1941年、真珠湾攻撃が始まる前の南カロライナの小さな町を舞台にした日系二世の男性と3人のアメリカ人女性の友情と恋をと描いたものです。

真珠湾攻撃による日系人への偏見を見るのは怖くて辛いですが、いざ何かが起こった時に、世界は一つ、世界平和などと叫ぶ能天気さがぶっ飛ぶほどに、海外に住む日本人への偏見が芽吹くということを思い起こしました。

今回の武漢肺炎で欧米でアジア系の人が罵声を浴びせられたり暴力を振るわれたりしているのも、偏見の一環でしょう。ウイルスの出先が欧米だったら、果たして欧米人に対して同じことをするものでしょうか。

映画を見て、武漢肺炎騒動を見て、外国に住むに於いて、いざというときの覚悟を忘れてはならないと思ったことでした。


「Sophie and the Rising Sun: 予告編」
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2020年3月5日

今日は珍しく日本語のキャンセルがあり、丸一日自由になりましたが、食料の買い出しは元から考えていたので、午後の予定にしていたのを午前に繰り上げて、隣町ガイア市にあるEl Corte Englêsデパートまで行ってきました。

魚とお米、それに消毒用のアルコールが必要だったのです。

我が家ではいつも数匹の猫を飼っているので、匂い取りにもアルコールは何かと便利でよく使っています。もちろん今回の騒動の元であるコロナウイルス対策にも使うためなのです。

夫が殺菌には通常のアルコール70%度数以上がいいと言うのです。デパ地下を見てみると、まぁ、さすがのポルトガルでも感染者が出たので、店頭にアルコールと消毒用石鹸液がズラリと並んでいました。

ひょっとしてマスクなども出てはいないかと見てみましたが、マスクはこちらでは医療品専売店か、薬局でしょうかね。そのマスクも在庫がなく夫を通して注文いるのですが、どうやらポルトガルでも在住の中国人が買い占めて、本国へ送付したりネットで売ったりしているようで、夫は店の人からその話を聞いて来たところです。

ポルトではまだマスクをかけている人をわたしは見かけていません。

さて、実はここ数日わたしは悶々としていたのでした。
個人レッスンに来ている若い女生徒のAさんが、例のチリ人作家が参加していたイベントに行ったと本人の口から耳にし、ぎょぎょぎょとなったのです。

おまけにA彼女、目の前で授業中に、ハックションとくしゃみしたんであります。んで、これはエライこっちゃ。彼女は作家のブースには行っていないというものの、大きな会場です、どんな交差があったか誰も知る由なし。

取りあえず自分ができることはアルコールで手を消毒、うがいをし、ドアの取っ手等もアルコールで消毒。さて、万が一、彼女が感染していたらわたしも疑いがあるわけで、がび~~ん、日本語もどないすんねん、ねん???

わたしたちがよく口にする「いざという時」なんてのは、こんな風にある日突然やってくるのだというのを肝に銘じなけりゃいけないな、と、もう半分コロナに感染した気分

しかし、ポルトガル政府がテレビで、その作家と接触した人は2週間自粛しろと発表したところでもあるし、それやったらレッスンに来ないのが普通なんだが変だなぁと気が付き、失礼を承知で思い切って彼女に確認メールを今朝送ったのでした。

「せんせい、行ったのはわたしではなくて、Eです(出版関係の仕事をするE女子もわたしのかつての日本語生徒でA彼女とEは近所に住む友だち)。それに、Eがイベントに行った日は初日で例の作家はまだ参加していませんでしたぁ」ですと^^;

あちゃ~、ほならわたしは何を聞いとったんや?A女子はすごい早口でポルトガル語をまくしたてるので、いつも世間話になると聞くのに苦労するんです。と、自分の聞き取り力のショボいのを棚に上げて(笑)

早とちりでも聞き取りショボいでも、いい!今回は自分の聞き間違えでほんとよかった!ハレルヤ!わたしはほんとにおアホですと、今、ほっと胸をなでおろしているのであります。

いえね、もしかしたらと考えただけで、なんだか咳はでるわ、鼻水はでるわ。でも落ち着いてみると、これって春先にわたしがなるいつものアレルギー症状なんですよね。

つくづく自分はアカンタレやなぁ、粗忽もんやなぁと、がっくりして喜んでいるのであります。
さてと、後は生徒たちと話し合って、今の状況下で学習をどうするかです。

粗忽者のブログ、読んでいただきありがとうございました。
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2020年3月4日 

今日もコロナウイルスの話ですみません。
ポルトガルは現在5人の感染者を出しているそうです。

この騒動で、今月の我が塾恒例のNHKパーティーことNihongowo Hanasu Kaiを中止にしたことは昨日書きました。

少し前に友人を通して、ポルトに住むある日本人がメトロで「コロナウイルス、コロナウイルス」と指さされたという話を聞かされました。

多くのポルトガル人にすれば、日本語でも習っていない限り、日本人中国人の見分けがつかないのはわかるのですが、もしかすると、中国人の日本入国をいまだに許している日本政府の手際の悪さで、日本もコロナウイルスが蔓延して、感染者が多いことから指さしているのではないかと思ったりしています。

つい先だっても、数人の日本人がカフェに入ったところ、他の客にばい菌の如くジロジロ見られたとのこと。実は、ふた月に一度ほどの割で集まって一緒に食事をする同国の4人仲間がいるのですが、しばらく前に、わたしは、コロナウイルス騒動が治まるまで、日本人がグループで行動するのは避けたほうが無難だと提案したところでした。

ジロジロ見られて嫌な思いそするくらいで済めばいいですが、パレスチナで起こったように暴力を振るわれないとも限りません。

いきつけのレストランでも店の人は常連としてこちらを知っていても、店内の客は違いますから、やはりこんな状況時には用心するに越したことはありません。

ベイジーニュ(beijinho)と称する頬と頬をくっつけるポルトガル式の挨拶も握手も当分はしないと決めましたが、これは既にわたしも習慣になっているので、反射的にやっちゃう可能性が大です^^;

で、今日は出張日本語で某企業のお偉いさんの日本語レッスンをしてきたのですが、こういう時期ですから、スキンシップ挨拶はしばらく止めましょうか?と言ったところ、「武漢流挨拶でいきましょう」とお偉いさん、言います。

これが武漢流挨拶だそうです。

bukanryu_aisatsu_1.jpg

レッスンが終わってお偉いさんのオフィスを出る際に、私たちの場合、右足と右足で「お疲れさまでした」と部屋のドアを開けてやってきたのでありました(笑) 後ろに控えていたお偉いさんの面会人が変な顔をして見ておりました、あはははは。

こうして笑いでもしないとやってられませんね、コロナウイルス。
では、本日はこれにて。 


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2020年3月3日 

こんなことで仲間入りして諸国と肩を並べたくはないが、ポルトガルも武漢肺炎感染者がとうとう出ました。しかも北部からです。
一人は休暇中に北イタリアを旅行して感染、現在ポルト市内のサント・アントニオ病院に、もう一人はスペインへ仕事で出かけ感染、市内のサン・ジュアン病院に入院中だそうです。

また、リスボン在住の作家Francisco Vieigas氏は、ポルトガル北部Povoa de Verzimで開催されたイヴェント会場でチリ人作家(現在スペイン在住)Luis Sepúlveda氏(武漢肺炎で現在スペインで入院中)と接触したというので、陰性陽性かは今のところ不明ですが、外出せず家に閉じこもっての自粛中であると発表しました。

陸続きのヨーロッパです、つい先週までポルトガルだけが感染者0というのが不思議なくらい。

coronamap1.jpg

上図灰色の部分が感染者0地帯ですが、中国からかなりの経済支援を受けているアフリカ、中国にとって投資は政治戦略に直結するしますから、それに絡んで多くの中国人が在住しているはずです。

それなのに、感染者0だというのにわたしは疑問を持っています。隠蔽されている可能性が大いにあるのではないかと勘繰っています。

あまり神経質になるのもいけないと思いながらも、どこで感染するか分からないものですから、こういう時、わたしは最悪に近いことを考慮に入れるようにしています。

それで、すぐ気になったのは日本語教室と、毎年この時期に催してきたに「Nihongowo Hanasu Kai」ことNHKパーティーです。今年は3月22日の日曜日にと、同僚のOちゃんと決めて、既に生徒たちにも通達していたのですが、今朝ほど電話で話し合い、即、無期延期にしました。今回のメニューも決めてありとても残念ですが、何かが起こってからでは後悔しても始まりません。

毎年できるだけ、新しいメニューを一つ入れるようにしているのですが、去年2019年はOちゃんのアイデアで思い切って「すき焼き」を取り入れてみました↓
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「たこ焼き」もしてもらった年があります。作ってるのは生徒たち。
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下はこれまでで、わたしが一番気に入ったオーダーメードのさくらケーキです。これも生徒さんに注文しました。
NHK2013-14-2_2020.jpg

これはマンゴーのケーキ。同じく生徒の作品です。
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一回目の人数分の皿(笑)

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↑こちらは昨年の集合写真。まだ10人ほどの生徒が欠けています。出した食べ物はほぼ完食でした。
毎年、数人の生徒から「この日は出席できないので、これ以外の日にお願いします」と注文が出ます。残念ですが、みなさん、このコロナウイルス騒動が治まるまで、辛抱しましょう!

本日はこれにて。
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2020年2月29日 

息子も甥達も、もちろんわたしや妹も、我が一族には誰も馬に乗りたいなどと言った試しがないのだが、どういうわけか、モイケル娘は小学生の頃にそれを言い出し、ポルトにいた頃はしばらく乗馬クラブに通っていました。

mariana_uma2_1.jpg
9、10歳のころ。ポピーと。

指導員に手綱を持ってもらいゆっくり歩くのから始まり、一人で馬に乗って歩けるようになるまでの最初のうちは、こちらものんびりと、彼女の楽しむのを見ていました。

が、初歩の練習を積み、やがてトロット(速歩)に入り、ギャロップという駆歩(馬が一歩ごとに足4本全部を地上から離して走る最も速い走法。)になると、もう、怖くて怖くて(って、なんでわたしが怖いねん?^^;、いえ、心配で心配で、練習馬場を見下すことができるカフェから見ているこちらは心臓バクバク。


何が心配かって、落馬ですよ。
本人はけろりとして練習馬場を出て、馬を厩に連れていっても、こちとら、手に汗にぎったまま、緊張がほどけない(笑)顔もこわばっておりました。

すると、次はとんでもないことを言い出しました。
「障害をやりたい」
えー!どっからそんな考えが出て来るのよ!
しょ、障害レースってあぁた、昔、我がオヤジ殿がやっていたあれじゃん!と、もはや絶叫の心地でした。

mariana_uma1_2.jpg
写真は後年、ポルトの修学旅行時に乗馬を楽しんだときのスナップ。

そうなのです、鬼籍に入って30年ほどにねいますが、我がオヤジ殿は、その昔、岩手の地方競馬の騎手だったのです。

いつだったか、日本に帰国したとき、妹が嬉々として「面白い写真を見つけた」と持ち出して来た古い古い写真の一枚にこんなのが↓
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右が親父殿です。

私たち姉妹が一度も目にした記憶のない、この写真。オヤジ殿の馬上姿です(向かって右側)。
レースで優勝したこともあると自慢話はさんざん聞かされていたものの、実は一度もその晴れ姿をわたしたちは見ていないのです。

見たのはと言えば、埴生の我が家には似つかわしくない立派な額に入ったカラフルな競馬服に身を包んで馬の手綱を引いて立つ優勝時の一枚の写真のみ。

その写真も、オヤジ殿の火の不始末から出た火事で焼けてしまい、残っていたこの写真は、どう言うわけか、亡くなった横浜のおばが保存していたのでした。

さて、モイケル娘はその後、どうしたかと言うと、始めたのです、その障害飛びとやらを。

当時まだ元気だった母に国際電話でそれを話しましたら、モイケルはたった一人の娘孫です、即、「止めさせよ!落馬して怪我でもしたらどうする!馬はおどさま(オヤジ殿のことです)だけで十分である」とのたもうたのでした。ごもっとも^^;

目をそむけたい気持ちを追っ払って、ジャンプするモイケル娘の姿を、しっかとその姿を見ることができず、わたしが見ていたのは馬場の土のみ。こちらは毎度生きた心地もなくひたすら、止めてくれることを願っていました。

ある日、もういいかな、との言葉を耳にした時は、ほっとしたものでした。

東京のW大学に入り、乗馬をまた始めたいと言ったのですが、入会金の高いことを理由に、聞かぬふり素知らぬふりしていたおっかさんでありました。

しかし、一度メッセで話してみると、なんとまぁ、既に日本で乗馬済みだと^^; しかもサラブレットに乗る機会に恵まれたのだと^^;

我が親父殿の血が娘に出たでありましょうか、トホホ。

このところ、日本ではやれマスクがないだの、トイレットペーパーがないだのと、武漢肺炎関連の話が尽きず、政府の対応にはもうちょっとなんかできないのかと胃が痛い数日でしたが、子供たちのこんな昔のことを思い出しては、なんとか気を紛らわせようとしておりました。

みなさま、本日はこれにて。
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