2011年2月7日

久しぶりにポルトガル歴史の小話です。

「バーターリャ修道院」を訪れたのは2008年のことで、今日まで取り上げる機会がなくて写真もそのまま放りっぱなしになってきたのでした。今回はこの修道院にまつわる話を二話に分けてご紹介します。

batalha1

正式名は「サンタ・マリア・ダ・ヴィトーリア修道院(Mosteiro da Santa Maria da Vitoria)。バターリャ修道院の通称で呼ばれる。「Batalha」は「戦闘」と言う意味である。現在、ポルト・リスボン間を3時間で結ぶ高速道路「A1」ができる前はこのすぐ側を国道が走り、ポルトから行くと左に忽然と現れる修道院の姿には圧倒されたものだ。

アヴィス王朝初代王のドン・ジュアン一世の命により1386年から1517年までの長い年月をかけて建築された。その間、7人のポルトガル王が在籍するという実に壮大な建築プロジェクトではある。
                                                      
バターリャ修道院が建つまでの歴史小話(1)    

イスラム教徒からの国土奪回運動(レコンキスタ)を展開しながら、1179年、レオン王国(ポルトガル北部に接する今のスペインの一部)から独立したポルトガル王国でしたが、14世紀に入ると、当時の国王フェルナンド国王はレオン王国の隣、カスティーリャ王女を后に迎えたものの、その国との戦いに明け暮れます。
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ー続きはここからー

繰り返されたカスティーリャ国との戦いはポルトガルを経済的な疲弊状態にに陥れ、戦争和平条約のため、フェルナンド王は一人娘のベアトリス王女をカスティーリャ王に嫁がせます。
     
このため、フェルナンド国王没後、さて、王位継承者がいなかったポルトガルは、カスティーリャに嫁いだベアトリスが即位し、カスティーリャ国の血を引く后、レオノール女王がカスティーリャ国をバックに摂政、専制を始め、ポルトガルは独立そのものが危ぶまれるようになりました。
     
独立を支持する前国王の異母弟ドン・ジュアン派とレオノール女王派とに国は真っ二つにわかれ、これを見てとったカスティーリャ国は、今こそチャンス!とばかりにルトガルへ攻め入ってきます。

batalha3-1.jpg 
バターリャ修道院正面入り口。 
    
時は1385年8月14日午後、現在の修道院から約3キロほど離れたアルジョバロータ(=Aljubarrota)。カスティーリャ軍3万2千、対するポルトガル軍はたったの7千! 一人4人から5人のカスティーリャ兵を打ち負かさなければならない。さぁ、どうする!

この時の大将は若干25歳の若き勇将ヌーヌ・アルバレス・ペレイラ(Nuno Alvares Pereira)。
彼は真ん中に十字を、そして四隅にはそれぞれキリストの十字架に付けられた姿、聖母マリア、サン・チアゴ(イベリア半島の守護聖人)、サン・ジョルジュ(ポルトガル国守護聖人)が描かれた軍旗を作り、兵士の士気を高めたと言われます。

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この画像はwikiより。背景になっているのが軍旗。     

この戦い、大軍のカスティーリャを負かしポルトガルが勝利したのです。両国の背後には、ポルトガル支援のイギリス、カスティーリャ支援のフランスが控えており、地理的条件、作戦、士気の面でポルトガルに有利に働いたのでしょう。

ちょっとwikiの参考資料をみて作戦を見てみましょう。

1.戦は8月、イベリア半島でも盛夏の時期。
  カスティーリャ大軍はその中を行進してきたことから疲労がひどかったと
  ころへ、ポルトガル軍に向かえ打たれ、休息する暇がなかった。

2. 人数が少なかったポルトガル軍は、形勢建て直しがすばやかった。
batalha3
赤=カスティーリャ軍   グリーン=ポルトガル軍。 
   
3.アルバレス・ペレイラはイギリス軍の典型的手法である「堀」を仕掛けた。
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上図はWikiから

大軍が一挙に攻めるわけには行かず、大きな隊列は分散されなければならなかった。

4.敵を迎え撃つ戦場として、アルバレス・ペレイラが選択したのは急斜面が
  あり小川に囲まれた小さく平坦な丘で、敵の現れるのが見えたこと。

こうして戦いは少数軍のポルトガルが勝利をにぎり、以後、国は安定した独立国家となり、ポルトガルはやがて大航海時代へと入っていくのですが、Nuno Alvare Pereiraなくしては今日のポルトガルはなかったかも知れませんね。

この1383年から1385年の歴史的出来事をポルトガルでは「1383-1385の危機=Crise de 1383-1385」と呼びます。

実はこのアルジュバロータの話をスペイン人に持ち出すと今でも彼ら、怒っちゃうんですってよ。遥かな昔の歴史上の出来事とは言え、カスティーリャ群の不甲斐なさに腹がたつんでしょうね。

次回はもう一つバターリャについての小話と寺院内の案内です。

今日もブログを読んでいただき、ありがとうございました。
     
テーマ:歴史雑学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
お久しぶりです
こんばんは。覚えておられないかもしれませんが、ルチアです。主人の仕事でポルトに半年住んでいましたが、9月にイギリスに戻ってきました。

戻ってきてからも、こちらのサイトにはほぼ毎日立ち寄らせて頂いています。大好きなポルト、ポルトガルの話題を、懐かしく読ませて頂いています。バターリャも行きました。とても懐かしいです。

イギリスは暗くて寒くて、ポルトガルの太陽が懐かしいです。先週は、主人の同僚がポルトから来ていました。ポルトも寒いけど、イギリスは暗くてじめじめしているので、とても寒く感じる、とのことでした。

久しぶりの書き込みになりました。これからもspacesisさんのブログに遊びにきますので、よろしくお願いいたします。懐かしい、大好きなポルトガルの話題をたくさん提供してくださいね。
2011/02/08(Tue) 07:33 | URL | ルチア | 【編集
>ルチアさん

こんにちは。勿論覚えております!
お元気ですか?

ポルトガルの太陽、やはり嬉しいですね。
確かに不便なところは色々ありますが、
この恵みは幸せなことだと思います。
天気が悪いと気持ちまで左右されたりしますものね。
どうぞまたポルトガルに遊びにいらしてください。

ポルトガルの話題、わたしの場合、自分の好きな方面に
偏ってしまいがちですが、今後も頑張って更新します。

読んでくださり、ありがとうございます!
これからもコメントをどうぞ宜しくお願いいたします。
2011/02/08(Tue) 20:52 | URL | spacesis | 【編集
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