2011年2月9日

バターリャ修道院の小話2の前に今日は内部をご案内します。

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ほぼ2世紀をかけて建造されたバターリャ修道院はその正式名がサンタ・マリア・ダ・ヴィトーリア修道院」と言われるとおり、1385年のアルジュバロータで戦の勝利を聖母マリアに感謝して、ドン・ジュアン一世が建てたものだ。
 
バターリャ修道院は、そのいきさつからポルトガル独立のシンボルとも言えるユネスコ世界遺産でもある。            
修道院は基本的にゴチック建築、ポルトガル独特のマヌエル様式に併合してイギリス中世期の建築様式の影響も受けており、個性的な建造物だのドミニコ修道院である。2世紀の間に携わった建築家は15人と言われる。
      
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西側の入り口のアーチには78人の聖人像が飾られてある。内部の高さは32m、幅は22m。

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ステンドグラスを建築物に取り入れたのはバターリャ修道院がポルトガルでは初めてだと言われる。

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庭に面した美しい細工のアーチはアラブの雰囲気をかもし出している。
       
下は「Capelas imperfeitas=未完の礼拝堂」。1437年に着工されたがなんらかの理由で完成されず、今に及ぶも天井がない。長年に及ぶ継続建築で設計ミスか、あるいは1502年に着工された首都リスボンのジェロニモス修道院建築のため著名建築家が総動員されたか、それとも他の理由か。       
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未完の礼拝堂の入り口の天井は豪華な細工のマヌエル様式だ。↓   
  
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凝った壁の細工には目を見張るばかりだ。彫られてある文字の現段階ではわたしには意味が不明。検索中である。
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では、バターリャ修道院・歴史小話(2)、下からどうぞ      
  
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「アルジュバロータのパン屋」

アルジョバロータの戦いと言えば学校の教科書にも載り必ず聞かされるのがこの話、「A Padeira de Aljubarrota」です。「Padeira」は女性のパン焼きのことです。
2008年に撮った通りがかりに寄った小さな村Aljubarrotaの写真が下です。
     
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村の広場がこれなのですが、大通りに面した村の入り口にある建物の壁に大きなアズレージュ(Azulejo=タイル絵)で、Padeiraの伝説が下方に書かれてありました。
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曰く、
Brites de Almeida (ブリッテス・デ・アルメイダ=パン焼き)は骨格逞しく、六本の指を持っており、とても醜かった。(←これ、言わんでもええやないのね^^;)1385年8月14日、パン焼きシャベルを武器に、アルジュバロータで大胆不適な85人のポルトガル兵士たちに加わわり戦った。

そしてパンを焼く釜に入って隠れていたカスティーリャ兵が一人ずつ出てくるところをパン焼きシャベルでブリッテスさんが叩き殺した数7人ですと。

ブリッテスさん、男勝りで20歳のころから、当時は貴族のみが学ぶ剣を習い、食い扶持を稼ぐためにあちこちの「市=いち」へ行っては、男相手に見世物試合をしていたようです。

ある日、噂を聞いた兵たちがやってきて、その一人と賭け試合をすることになりましたとさ。兵士が勝てばブリッテスと結婚する、ブリッテスが勝てば兵士をそのまま殺してもよい。

結果、兵士は負けてあの世行き。勝ったはいいが当時は庶民が兵士を殺害するは大罪、ブリッテスさん、アフリカ大陸アルジェリアに逃げるっきゃない。そうして再びポルトガルに帰ってきて、アルジュバロッタのパン焼きばあさんのところに弟子入りし、この活躍です。
      
さて、後日談ですが、この後ブリッテスさん、40歳でお金持ちの牛飼いとめでたく結婚し、子供に恵まれましたとさ。 

どこの国もそうでしょうが、自国の3倍から4倍のカスティーリャ大軍を破ったのですから、ポルトガル人の愛国心たるやかなりなものです。どこの国もと言いましたが、わが国においては「愛国云々」などと口に出した日には「スワ、右翼か!」ですものね。

近頃のわが国の弱腰外交、ゆきあたりばったり政策をご覧遊ばせ。本日も休日の設定まで隣国お中国に配慮した「休暇分散化」構想で今国会中に祝日法改正を目指すのですってよ

ポルトガルに住んでいる間に、自分が長い間当たり前だと思ってきた休日がいつのまにか移動されたり、「みどりの日」なんてわけの分からない名前になっていたりして、日本も変わったなぁと少なからず多少の混乱を覚えたものですが、

以下、産経ウエブサイトの記事一部抜粋です。

民主党は、観光振興や渋滞解消などを目的に地域ごとに時期をずらした連休を導入する「休暇分散化」構想をまとめた。与野党で協議の上今国会中に祝日法改正案を議員立法として提出を目指す。中国の建国記念日「国慶節」(10月1日)に配慮し、10月第1週に連休を設けない方針。日中の観光客がかち合って渋滞・混乱することを懸念したというが、日本の休日が中国の行事に左右されるのは本末転倒だといえる。祝日の「意義」までも骨抜きにされる危険性もある。

プロジェクトチームの資料には、10月の第1週に連休を設けない理由を「中国では10月1日を含む週は国慶節関連の大型連休であり、この時期に国内の連休を設定するとかえって混雑を助長する可能性があるため」と明記された。

2月3日の党会合では白真勲参院議員が「韓国の秋夕(チュソク、旧暦の8月15日、韓国の旧盆で連休)との重複」についても確認するよう要望している。


詳しく読みたい方はこちらまで。

どこの国の祝日なんだか。都合よく移動された祝日を知ったときも思ったものです、祝日の意義がどこにあるのよと。
それやったら今ではすっかり国民に身近になったクリスマス休みにしておくれ。

国家祝日には、ま、ええやん、連休になるんだし、と言えないものがあります。

バターリャ修道院の紹介がこんな終わり方になりました

本日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。

テーマ:歴史雑学
ジャンル:学問・文化・芸術
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