2011年7月6日


ポルトガル情報を求めて来た方は、右リンク欄にもありますが、spacesisの
別サイト、「ポルトガル・ロマン」でも案内していますので、どうぞ。

ポルトガル・ロマン

引き続きアルハンブラ・シリーズ(6)です。

"Nothing can prepare you for the beauty of the Alhambra."

アルハンブラ

日中の訪問もいいが夜のアルハンブラは格別の美しさがある。ライトアップ
をかなり抑えてありそれが却って神秘的だ。写真下の入り口から入る。
帰りはタクシーなどはなかなかないのでバスになる。
わたしたちが訪れた春はバスの本数も少なく、小さめの最終バスが来るまで
かなり待たされたので夜間訪問の場合は要注意。

アルハンブラ
入り口を入り、薄明るい園内を宮殿までしばらく歩く。

アルハンブラ

スペインのいたるところで見かけられる糸杉のシルエットが美しい。 

アルハンブラ

アルハンブラ
アルハンブラに住み着いているネコがいる。

アルハンブラ

入園し、薄暗い園内をしばらくあるいて到達するアルハンブラ宮殿。
開園までしばらく待たされたのだが、春とは言え、アルハンブラ宮殿の建つ
吹きさらしの丘は、寒くてなかなかにきつかったでのある。
アルハンブラ

日中は今度は日差しが強い。早めに行って列に並んで待つのはいいが春でも
厳しかったので、夏場訪問には水、帽子、サングラス等は必須。
                                     
「夜のアルハンブラ」と詠って見たものの、我が稚拙な腕と宮殿内のかなり
の暗さとで安物のデジカメでは思うように撮影ができなかった。
よってかろうじてなんとか見られそうな画像を数枚。

アルハンブラ

スペインイに4年間滞在したアメリカ人の作家ワシントン・アービングは
1829年にアルハンブラ宮殿を訪れ、「アルハンブラ物語」という宮殿に
まつわる伝説を収録した本を出版している。

それまで殆どしられていなかったアルハンブラ宮殿を世に知らしめたたのは、
アービングだと言えよう。アービングが訪れた当時のアルハンブラ宮殿は荒れ
果てた廃墟で、ジプシーや難民が入り込んでいたようだ。アービングは宮殿内
の一室に滞在してその本の原稿を書いたと言う。

アルハンブラ
 
のち、スペインの作曲家であり名ギタリストでもあったフランシスコ・タルレ
ガもアルハンブラを訪れ、名曲「アルハンブラの思い出(Recuerdos de la
Alhambra)」を残している。19世紀後半、タルレガが訪れたころのアルハン
ブラ宮殿はアービングが見たと同じ、荒廃した宮殿ではなかったろうかか。
                          
日中の光を通して見られるまばゆいばかりに際立つ華麗なアラベスク模様の
数々が、夜にはしっとりと薄暗い静寂の中に溶け込んでいる。
「アルハンブラの思い出」は夜のアルハンブラ宮殿によく似合う気がする。


アベンセラーへの間                   
アルハンブラ
ライオンの庭に面する部屋のひとつ。
この部屋には恐ろしい伝説がある。時の王の愛人の一人と恋に落ちたアベン
セラーへ一族の騎士が王族の一人に見つかってしまい逃亡した。
王は激怒し、ライオンの庭に一族を集め、一人ずつこの部屋に呼び、不義の
男を割り出そうとしたが突き止めることができなかった。

そこで王は疑わしいと思われる騎士全員をこの部屋で打ち首に処し部屋は血で
染まった。以来、この部屋は「アベンセラーの間」と呼ばれたいわく付きの
部屋だ。はねられた首は噴水の大理石に並べられ、噴水の水は赤く染まった。
泉の大理石にあるシミはそのときの血の跡だと語り継がれている。

洋の東西を問わず、不義の代償はあまりにも大きい。
アルハンブラの歴史はイスラム教対キリスト教の宗教戦からこのような
宮殿内の伝説まで、血の歴史であったとも言えよう。
                          
                 
二姉妹の間

アルハンブラ
                    
ライオンの庭に面する部屋。二姉妹が住んでいたわけではなく、中央に二枚
の白い大理石があることからこの名前で呼ばれている。

この部屋のハイライトは鍾乳石を使った天井の装飾だ。
アルハンブラ

ムカルナスと呼ばれる鍾乳石の丸天井。単純な幾何学模様を繰り返したもの。
鍾乳石は宗教的な意味を持つと言われる。

アルハンブラ

果てしなく広がる砂漠の住民アラブ民族。殆ど家具らしいものを使わず絨毯の
上で暮らしていたため目は自然に天井や壁に注がれる。
砂漠に無いものを求めて周囲の全てに装飾をほどこしたのであろうか。

今日もブログを読んでいただきありがとうございます。
次回のアルハンブラは「フェネラリフェ」庭園です。

                                        
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ジャンル:海外情報
コメント
spacesisさん

前回の記事で カーブは曲線の事でした。彫りではなくって。スペインもポルトガルも建物や食器などゴシックも多そうですが、曲線が目に留まります。(日本が直線だからかしら)

ナイキのこと、私も調べてみました。ギリシャ神話だったのですね。お手間ありがとうございました。

今日の写真は 星降る というイメージですね。美しい。
イベリア半島がアラブと切っても切れない歴史があるなんてホント知りませんでした。色々知らないことだらけですね、きっと。その知らない事が知りたい。。。
日本にしても徳川が終ってから今までで150年しか経ってないんですよね。
それまで刀を下げ人を切ってた時代があって、今はネットで遠くの方と会話してるんです! なんで生きてるんだ?! 知りたいです。
2011/07/07(Thu) 22:00 | URL | kumi | 【編集
夜も
素敵ですね~
神秘的な感じが、いっそう深まります。
ただ、血塗られた歴史もずいぶんあるようで…
夜は、怖いかも…
彡(-_-;)彡
2011/07/08(Fri) 05:01 | URL | jackie | 【編集
What is the name of river? トラヌタヌキィの川ざんすよぉ!
音楽から世界を知るというのも面白いもので、あっしの場合はおそらくクラシックギターの曲「アルハンブラの思い出」がなければアルハンブラ宮殿について全く知らなかったはずなのであります。でもって、幾何学模様を見るとなんとなく三角関数というかピタゴラスというか数学の思い出がよみがえってきたりするので少し憂鬱になったりして(^^;)それはそうと、「アルハンブラの猫」というタイトルで猫アイドル本でも作ったら売れるかも、と、捕らぬ狸の皮算用な考えが頭によぎるのはまだまだ修行が足りないせいでしょうか。母上様。一休(^^)
2011/07/08(Fri) 05:09 | URL | 松浦佳也 | 【編集
>kumiさん

興味があることは色々詳しく知りたくなるものですね。
それぞれの興味がある分野で勉強し続けたいものです。

日本にいたらわたしもイベリア半島の歴史にきっと
興味を持たずにいたと思います。どの国の歴史も知ってみると
随分面白いものだと思います。もっとも教えられたこと読んだ
ことを鵜呑みにしてしまうのは避けたいところですが^^;

>jackieさん

夜も素敵でしょう?^^
でも待っている間、ほんとに寒かったです。
どこの歴史も多かれ少なかれ、血なまぐさいものですね。

>松浦君

多くの科学的知識、航海術等はイベリア半島では
イスラム国から持たされたと思います。
かつてのイスラム国は文明国だったのですね。
それが今は・・・いったいどこでどうなってしまったのか・・・

捕らぬ狸の皮算用はわたしも若い頃さんざんした^^;
キャッシュは手にしてみないと!

ところで、アルハンブラの思い出、練習してるかや~~(笑)
2011/07/09(Sat) 22:04 | URL | spacesis | 【編集
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