2012年8月11日

ペナ宮殿2部です。
自分のメモにもしてありますので少しくどいかも知れませんがご勘弁の程を。

1990年代に修繕され公開に及んだ際、ピンクと黄色に彩られた宮殿を見
上げることになったシントラ市民は度肝を抜かれたそうだ。それまで目にし
てきたのは長年放置されて灰色に変色していた宮殿だったのだから無理から
ぬこと。しかし、現在のこの色彩が実はペナ宮殿のオリジナルカラーなのだ。

pena-2012_umi.jpg
ペナ宮殿内から見た景色。遠く大西洋の水平線が見える。

さて、創建者フェルナンド2世を始め、ドン・ペドロ5世、ドン・ルイス1世、
ドン・カルロス1世そしてポルトガル最後の王、ドン・マヌエル2世の5代に
渡る王家が住んだ宮殿の外装に刻まれてあるシンボルをいくつか紹介してみ
よう。なお、シンボルの解説はあくまでも素人シンボルマニア探偵のわたし
の推測で書いていますのでご了承いただきたい。

ペナ宮殿

宮殿のメイン・ファサーダの壁一面に見られるのはムーア(北西アフリカの
イスラム人)様式の幾何学模様装飾タイル↓
ペナ宮殿

下はペナ宮殿のシンボルの中でももっともミステリアスな「世界を創造する
トリトン」像。

ペナ宮殿

トリトンはギリシャ神話の海王ポセイドンの息子である。半身半漁のトリトン
はここでは大貝の上でブドウの木の根幹を乗せ、両手で支えている。ブドウは
繁栄、豊穣の意味をもつ。

このトリトン像だが、トマールのテンプル・キリスト騎士団修道院の「大窓」
の樹を下で支える像を彷彿させる↓
ペナ宮殿
わたしはまだこ像の謎が解けていないのだ。

ペナ宮殿
絡みあう二匹の蛇と小ピラミッド装飾。いずれも神秘主義のシンボル。

ペナ宮殿
いちじく。ついせんだってのエントリー、ミケランジェロの暗号でも書いた
がカトリック教ではアダムとイヴの楽園の禁じられた果物を「りんご」とし
ているのを、ヘブライ語聖書(俗に旧約聖書と呼ばれる)ではいちじくだ。

ペナ宮殿
ドアの周囲がひょうたんのツルで覆われている。

今回はこのひょうたんの意味を探っている途中で、なんとついこの間読み終
えた「ミケランジェロの暗号」で解説に取り上げられていた一枚の絵「ヨナ」
に辿り着いた。

ヨナはヘブライ語聖書の文書のひとつ、
ヨナ書に登場する預言者だ。ヨナ書の内容は神とそのヨナとのやりとりが
中心になっている。

ヨナはイスラエルの敵国アッシリアのニネヴェへ行きその民に町が神により
滅ぼされるであろうことを予言せよとの命を受ける。 しかし、危険を冒し
て敵国へ行きたくないヨナは船で逃げるが、大きな魚に飲み込まれ三日後吐
き出される。(これは復活の意味を含む)

ミケランジェロ・ヨナ
システィーナ天井画ミケランジェロのヨナ。この絵にもミケランジェロが
信仰の調和を唱える新プラトン主義哲学やカバラ思想を表すヘブライ文字
が隠されている。

悔い改めたヨナはニネヴェへ行き予言を伝えると、民は悔い改めたので神は
ニネヴェの破壊を中止した。イスラエルの敵であるニネヴェを許した神に
激怒したヨナはニネヴェのその後を見るために、強い陽が照りさす砂漠の町
ニネヴェの近くに粗末な庵を建ててしばらく住むことにする。

すると、庵のすぐ横にひょうたんが生え、それが影を作り日よけになったの
で大いに喜んだ。ところが神は虫を送ってひょうたんを枯らしてしまう。
激怒したヨナが怒りで死にそうだと神に訴えると、神いわく、「たった一本
のひょうたんの木を惜しんだお前だ。神が12万のニネヴェの民と多くの家
畜を惜しまないことがあろうか、と諭した。


このヨナの物語から、ひょうたんは「復活」の意味がある。またブドウ同様、
ツルの植物ゆえ、繁栄、繁殖を表すカバラ思想のシンボルである。

下はマヌエル建築様式のバラ窓。ポルトガル語で「Oculo(オクルス=円窓)
とも言う。

ペナ宮殿

トマールのテンプル・キリスト騎士団修道院、大窓のトップにあるオクルスと
非常によく類似している↓
ペナ宮殿

イスラム建築様式のオニオン・ドーム
ペナ宮殿

巨石が外壁の一部にされている。
ペナ宮殿

この先は宮殿内部室になり撮影禁止だ。手前には薔薇十字団のシンボル、ローゼンクロイツァーがある。
pena_2012_porta.jpg

pot-pourri・おまけ話
ペナ宮殿に住んだポルトガル王家最後のアメリア王妃

フランス、オルレアン家出身のアメリア王妃はポルトガルのカルロス1世に
嫁ぎ、2人の王子と姫を設けますが、1908年2月1日、ヴィラ・ヴィソ
ーザの宮殿に帰ろうとするリスボンで、ロイヤルファミリーは共和党および
メーソンのメンバーに襲われ、アメリア王妃の夫である国王ドン・カルロス
1世と後継者の長男を失います。

次男の後のドン・マヌエル2世(ポルトガル最後の王)が王位につきますが
1910年10月5日の朝、ペナ宮殿でポルトガル共和党国樹立の報せを受
けた王家は即宮殿を後にして英国へ亡命。

息子である、ポルトガル34代目のドン・マヌエル2世は1932年に英国で
没、母であり、ポルトガル王家最後の王妃、ドナ・アメリアはフランスに移り
1951年に87歳、フランスで生涯を終えます。

第二次世界大戦中にポルトガル国から帰国の招待を受けますがこれを拒否、
王妃がポルトガルの地を踏んだのは亡命から35年後の1945年です。
住む主もなく灰色に色褪せた35年ぶりの宮殿に足を踏み入れたアメリア王
妃は、案内人にかつての自分の部屋でしばしの間、独りにしてくれるよう頼
んだそうです。昔の栄華に思いを馳せ時代の移り変わりを身をもって感じた
ことでしょうか。王家最後のアメリア王妃がポルトガルを訪れることは二度
とありませんでした。

AMELIE~1
ドナ・アメリア王妃  Wikiより。
今、鮮やかに蘇りツーリストを呼び寄せるペナ宮殿ですが、その陰にある歴
史を知ってみると人の世の栄枯盛衰を感じずにはいられませんね。

ペナ宮殿はこれでお終いです。
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