2013年6月1日 

本日は再びポルト、ドウロ川に架かる橋の話です。

ペンシル橋(Ponte Pênsil)は、ズバリ「つり橋」という意味。

ポルトとガイア市を結ぶドウロ川に架けられた七つの橋のひとつですが現在
ではもう見られない幻の橋です。つり橋を支えていたpilarと呼ばれる橋
脚のみがドン・ルイス一世橋のすぐ横に残っています。

june08_pontepensil1.jpg

写真はガイア側からみた一対のオベリスクがかつての橋の橋脚でポルト側に
しか残されていない。

1841年5月2日、ドナ・マリア2世の名前を冠し、彼女の誕生日に建築
工事が開始。1843年2月に完成したこの橋は、正式名のドナ・マリア2
世(1826年―1853年に在位したポルトガルの女王)橋よりも「ポント
・ペンスィル(つり橋)」として1877年までの半世紀近く、人々から親
しまれました。

下記、wikiから拝借したPonte Pensil。上方に「D.Maria Ⅱ」と書かれ
てあるのが見えます。
ponto_pensil.jpg

ドナ・マリア2世橋は現在川に架かっている鉄橋「ドナ・マリア・ピア(ポ
ルトガル最後の国王ドン・マヌエル2世が孫に当たる)橋」とは別物です。

さて、このポント・ペンスィル、実は更に前身があるのです。
Ponte das Barcas(ポント・ダス・バルカス)と呼ばれた下記の橋がそれです。

pontebarcas-1.jpg

Barcaは渡し舟のこと。 つまり、ドウロ川に架けられた史上最初の橋は、
下の絵のように、渡し舟を並べてつないだ橋ということになります。
「渡し舟の橋」とはうまく言ったものです。渡し舟の部分をもう少し拡大
してみました。小船を連ねているのが分かるでしょうか。

pontebarcas-2.jpg

1806年8月に20艘の渡し舟を連鎖させてできたこの橋は1809年に
ナポレオンの命でフランス軍がポルトに攻め入るまでポルトとガイアを結ぶ
橋として人々に利用されたのでした。

potpourri   
1809年3月29日・Ponte das Barcasの悲劇

ドウロ川沿いリベイラの土産物店、カフェレストランの立ち並ぶ壁にとも
すればうっかり見逃してしまうような場所にひっそりと埋め込まれている
「Alminhas da Ponte(Alminhas=スピリット、鎮魂の記念碑の意味がある)」と呼ばれる青銅版がある。

ponte-barcas-painel2-1.jpg

これには次のようなエピソードが語られている。

1809年3月29日、ナポレオンの命を受けてフランス軍は二度目のポル
トガル侵攻を試みた。この時、Soult将軍は前回目指したリスボンを避け、
北部から侵入、ポルトへと向かった。

フランス軍侵入の噂を耳にしたポルト市民達はドウロ川を渡って対岸のガイ
ア市に活路を開こうと、いっせいにPonte das Barcasを目指したのである。

もとよりたかが20艘の渡し舟からできている橋だ。波のように押し寄せる
人々の重さには到底耐え切れず、橋はもろくも崩れ多くの一般市民が溺れ死
んだと言われる。

その人々の鎮魂のためにこの銅像版は作られ、今日も祈りの火を絶やされな
いでいる。
 
青銅版の上にはキリストの姿が描かれ中間には渡し舟も見られる。

本日はドウロ川に架かる橋の第2話でした。

★フランス軍侵入の記事についてはこちら「ナポレオン侵入戦争とモニュメントまで。
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コメント
ご連絡
元生徒に訴えられたらしく警察が自宅にきたみたいです。逆恨みして犯人探しをしています。あなたの事も少し書いています。彼のHPをご覧になればわかります。
2013/08/24(Sat) 10:21 | URL | 通りすがり | 【編集
通りすがりさん、わたしのボンクラ頭では、彼、理解できないですね。
2013/08/27(Tue) 01:57 | URL | spacesis | 【編集
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