2013年6月21日

前の記事で言及した我が友マリアさんとニコラウ・ナゾニの謎を追っかける
わたしとの縁を述べたいと思います。実を言えば、6月18日の「プレラー
ダ園」とも関連してくるのです。

ポルトを中心にポルトガル北部にたくさんの建築を残したナゾニですが、そ
の建築物の所々にはめ込まれている風変わりなシンボルに惹かれ、以後数
年来ナゾニの作品を追いかけています。

多くの建築物の中でも一番最初に「シンボルがおもしろい!」と探すことに
なった、フレイシュ宮殿との出会いが、マリアさんと繫がるのでした。

過去に我がホームページ「ポルトガル・ロマン」サイトで綴っていますが、
前のパソコンが壊滅して以来、そちらの方の更新が不可能になってしまい、
目下、全記事引越し中。恐ろしい作業です・・・

そこで、ついでにこちらのブログサイトに載せたいと思います。長年お付き
合いいただいているブログ友、ネ友の中にはすでに読んでいる方もいるかも
しれませんが、その場合、スルーしていただきたいと思います。
では、以下、引越し記事です。

フレイシュ宮殿への道

「フレイシュ宮殿への道」は2005年11月の発見から2006年4月、実際
に宮殿に入るまでの過去録をまとめたものです。

2005年11月6日(日) 宮殿を探しに

今日は久しぶりのいい天気で、午前中、夫を引っ張り出し、車でポルト散策
しました。目当ては、ポルトに渡ってその生涯をここで終えた、かの18世紀
のイタリア人画家兼 建築家「ナゾニ」の作品と言われる「フレイシュ宮殿
ことPalacio de Freixo」です。 
ドウロ川沿いにあり、家からさほど遠くはないずなのですが、午前中に探し
あてることができませんでした。・・・

夕方午後5時近くにもう一度探しに出発! 陽が大分傾いて来たころについに
見つけましたぞ!しかし、あんなに素敵なバロック風の宮殿が、あんなところ
にあるとは。そして、知らない一般人が多いなんてもったいない!
残念ながら鉄柵で囲ってあり入ることはできませんでした^^;

これではツーリストが気づくはずもありません。外見もさることながらわた
しはこの宮殿の中を見てみたかったのです。 

一般公開していないとなると、なおさら見てみたくなるのが人情と言うもの、
ただいま、なんとか入れないものかとツテを探り中です(笑)

ナゾニのこの遺作も、或いは他のいくつかの作品と同様、市の予算がない
ため、持ち主から寄贈されたものの、「金がなしでどないもでけまへん」式、
荒れ果てたままにしていかないかと気になるところではあります。

2005年11月7日 歴史の時空

世の中にはこんな奇遇があるものだと、今日はつくづく感じ入って家に帰っ
てきました。

コペンハーゲンから帰って以来、忙しかったのと雨天だったのとで、ここし
ばらく月曜日のポルト・デジカメ突撃隊(笑)を休んでおりましたが、今日
はいそいそと出かけて参りました。

11時に、1年半ぶりに顔を会わせるポルトガルの友だちを自宅に訪ねる約束
もありました。曇りですが、途中の公園に車を乗り捨てて、1時間少し歩き
回り、友人宅を訪問。

彼女は1年半前にご主人を亡くし失意の毎日でしたが、ようやく元気をとり
戻してきたようで、会うことになったわけです。まだモロイところが見受け
られますが、大丈夫、彼女の新しい人生の歯車がギィ~っと音を立てて動き
始めたように感じます。

一年半のつもる話をあれこれしたところで、自分のデジカメ突撃隊の話をし、
昨日、夫と探し回ったフレイシュ宮殿に話が及び、
「あんなところに、なんの標識もなく荒れたままにしてあるのよ。もったい
ない。おまけに行ったけど入れなかった、残念無念」

とこぼしましたら、ボソリと彼女、

わたしの母はそこに住んでいたのよ・・・」
 「ん?そ、そこってどこ?」
 「Palacio de Freixo・・・」

鳥肌が立つとはこんなことを言うのです。なんという奇遇!偶然!
みなさん、信じられます? 昨日の今日ですよ!

フレイシュ宮殿はナゾニによって完成されて以後、バロンを初め持主を何
人か変えてきました。一番最後の持主は、彼女の祖父。株の暴落で失敗し
手放すことになったのだそうな。

「あなたはそこで生まれたの?」
「いいえ、わたしは祖父を知らないのよ。工場もフレイシュも手放した後、
自殺したの。」
「・・・・・・・・・・・」

宮殿の横には、今では廃墟となった荒れ果てた大きな工場があったがそれ
が彼女の祖父の工場だったのだそうだ。
「母の兄弟は七人。 最後に残ったおばは、2年前に亡くなったわ」

そうです、わたしは時々、その伯母上の話を彼女に聞かされていたのでした。
彼女が言うには、自分の一族がフレイシュ宮殿に住んでいたことは家族から
聞かされていたが、自分は一度もそこを訪れたことはない、とのこと。
 
わたしが、修復工事を手がけて、この夏亡くなった建築家のサイトで、内部
の素晴らしさを知ったと話すと、従兄弟がかつての宮殿内で撮られた古い写
真を持っているかもしれない、と言います。

わたしたち二人が話していた彼女の書斎には、古いピアノがあったのですが、
そのピアノはかつて宮殿にあって、母上が使っていたものだそうです。 
彼女の母上はピアノの先生でした。海辺にある彼女の別荘には、他にも宮殿
を手放した時に持ち出した当時の家具がいくつか置いてあるのだそうです。  

わたしはこれまで何度もその別荘に招かれていたのですが、時間がとれず、
今日まで来てしまいました。
今までそんな上流社会出だと言うのをおくびにも出さず、まったく気取りの
ない彼女ですが (わたしはそこが好きなのです^^)、この本日の偶然に、
ただ恐れ入り、ナゾニを通した不思議な出会いを感じないわけには行かな
いのでした。
フレイシュ宮殿の歴史の一部を見て来た、母上の形見の古いピアノ、写真を
撮らせてもらいました。 鍵盤その他の木の部分がボロボロになっていたの
を、新しいピアノが買える程の修繕費をかけて直し、今も彼女が、そしてピ
アノを習って音楽学校に通っているお孫さんが弾くそうです。
freixo-piano.jpg

ということで、マリアさんとフレイシュ宮殿とわたしのいきさつでしたが、
このころ、宮殿はいったいどうなるのかと気にかけていたのが、現在は修繕
改築され、ポルトのポザーダ(古い宮殿や修道院、お城などを修繕した高級
宿泊施設のこと。後記にて案内)として広く利用されています。

さて、次回はいよいよ「プレラーダ園」です。
これもなかなかに面白みがあります。
ナゾニらしく、メッセージを伝えんがためと思われるシンボルが見られます。
お楽しみに!

興味のある方はこちらにて→「宮殿ポザーダ(外観)」
       →フレイシュ宮殿(内装

また、ポルトガル国内のポザーダに興味のある方は、こちらへ↓
                「ポルトガルのポザーダ
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コメント
ポザーダ
始めまして!

一昨年11月、ポルトガルツァーに参加しポルト2泊しました。偶然、オプショナルでこのポザーダでの昼食をとりました。隣りが昔製粉工場だったなどの説明はガイドさんから聞きましたが、こんなに奥の深い歴史ある場所だったのに、驚いています。

又、ポルトもゆっくり行って見たいと思いますが・・・遠いですね。
2013/06/24(Mon) 16:31 | URL | さっちゃん | 【編集
>さっちゃんさん

はじめまして!

このポザーダは街の中心から少し離れているので海外からの旅行者には不便ですね。

でも外観、内装は一見の価値があります。
その後、このフレイシュ宮殿の図面を見る機会があり、とてもおもしろいことに気づきました。

それについてはまだ書いていないのですが、近いうちに是非取り上げてみたいと思っていますので、時々お立ち寄りいただいたら嬉しいです。

確かに遠いです・・・
わたしも日本へ帰国するたびに「なんとかならんものか」と実感するのですが、なんともなりませんねv-409

ただ、最近、羽田空港午前1時発の便があり、これだとフランクフルトでの待ち時間が2時間と、乗り継いでいるうちに時間が経ち、ポルト着午前11時ころ。楽でしたよ^^

それでは今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2013/06/24(Mon) 18:18 | URL | spacesis | 【編集
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