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2013年9月4日 

2009年に書いた「悲恋の王妃と王」と題したブログ記事があります。
「王妃」と言う言葉はこの場合当てはまらないのですが、一応、ペドロ王
の切なる願いであろうとその思いを汲み入れてみたのでありますが^^;

今日のピオーダン番外編はこの歴史が分からないとピンとこないかと思いま
すので、少し長文になりますが過去記事を持ち出してみました。以下。


2009年2月2日

バレンタインデーの2月にちなんで、わたしとしては珍しくロマンスのお話
をひとつ。

南米コロンビアのノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスの小説に
コレラの時代の愛」がある。19世紀から20世紀のコロンビアを舞台に、
ひとりの女性を51年9ヶ月と4日待ち続け、ついに思いを遂げる男の熱
愛を描いた物語で2007年に映画化もされている。
このような愛情は狂気にも近いように思うのだが、ポルトガルの王家に
もこの狂気の類のロマンスがある。
「ペドロとイネスの悲恋」として小学校のポルトガル歴史の本でも必ず記
述され、ポルトガル人なら誰しもが知っている話だ。今回はイラストと突っ
込み入りでペドロ王子とイネスの悲恋物語をご紹介。

ペドロとイネス(赤い字はわたしのツッコミです)

ポルト北部のギマラインスから興ったアフォンソ王子率いる、レオン・カ
スティーリャ(現在のスペイン上部)からのポルトカレンス独立運動を経
て、王子がポルトガルを建国し、初代王アフォンソ一世となったのは12
世紀のことです。

下の地図は、スペインと共にポルトガル初代王も活躍した、レコンキスタ
運動(註:8世紀初期にイベリア半島に侵入し占領していたイスラム教徒
からキリスト教徒による国土奪回運動のこと。この頃にテンプル騎士団が
ポルトガルに入った。)の時代のもの。
ペドロとイネス

赤丸で囲まれたのがポルトガル。12世紀のレコンキスタ運動が進められる
までは、図のようにイベリア半島の下半分はMouros(イスラム教徒)が占
領していました。

これから話すペドロ王子の時代にはイスラム教徒からの領土奪回も終わって
おり半島の下半分は赤線を境界にポルトガル、スペインとなっていました。

ポルトガル建国から2世紀後の14世紀も半ば、7代目の王アフォンソ4世
の時代。独立国とは言え、地図から分かるようにレオン・カスティーリャ王
国に隣接するポルトガルは、友好政策に心をくだかなければなりませんで
した。そこでアフォンソ4世の取り計らいで、王位後継者である息子のペド
ロ王子にカスティーリャからコンスタンス姫を迎えることになります。

ところがペドロ王子、あろうことか、コンスタンス姫にお付きで来た女官の
イネスに心を奪われてしまい、政略結婚の相手である正妻コンスタンスを
見返りません。(よくあるお話です

ペドロとイネス

イネス・デ・カストロ。金髪で澄んだ目をし、白鳥のように優雅な首を持って
いたとイネスの美しさは後世に言い伝えられている。父王アフォンソ4世は、
公務をないがしろにしてイネスにおぼれるペドロを憂慮、王子にイネスとの
関係を切るように申し伝えますが、「はい」とそれを聞き入れるペドロ王子
ではありません。

二人の不倫はやがて人々の口に上るようになり、父王はイネスを遠く離れた
castelo de Alburuqueruqueに送りますが、この距離も二人を遠ざける
ことはできませんでした。

この翌年、一子(後のフェルナンド国王)を生んですぐコンスタンスは、
23歳の若さで亡くなります。(世継ぎを残して死ぬとは、Good Job 、
コンスタンス。でも傷ましいですね

自由になったペドロは早速イネスを自分の下に呼び戻し一緒に暮らし始め、
これは大きなスキャンダルとなり、父王とペドロ王子の親子の間柄にひび
が入ります。
ペドロとイネスは3人の子供をもうけます(一人は死亡)。
                 
ペドロとイネス

愛の巣でペドロとイネス。

父王はペドロに再婚を何度か進めますが(イネスとではない)、その都度、
「妻を亡くした悲しみがまだ消えず、再婚などは今考えられない」と断り
ます。 (こういう見え透いた嘘を平気で言うかぁ~)
この頃には、カスティーリャ王国内に紛争が起こり、イネスの元にはその
兄や同派の人たちが集まるようになり、やがてペドロ王子にも思想的な
影響を与えていきます。

イネスとつながるカスティリャ王国の内紛に巻き込まれるのを慮り、また、
コンスタンスが残した正統な世継ぎであるフェルナンド小王子の暗殺が
予測され、イネスの子供たちとの間に起こるであろう家督争いも憂慮され、
宮廷では、国政の争いごとのタネになりつつあるイネスに不審不信不満
の目を向けるようになり、父王の早急な対策がとられます。(次期世継ぎ
がこれでは当然こうなりますね


国安泰のために側近の意見を聞き入れ、アフォンソ王はついにイネス殺
害の命をくだすため、ペドロが狩りに行っている間を見計らい、当時二人
が住いにしていたコインブラのサンタクララ小宮殿へ、3人の処刑実行者
を伴います。

ペドロとイネス
絵はアフォンソ王を前に、この子供たちのためにどうぞ自分を殺さないで
くれと哀願するイネス。(一瞬気持ちが揺らぐか、国王!
イネスの涙ながらの哀願に国王は3人の処刑実行者に「後はそちたちに
任せる」と言い、その場を立ち去るのですが、イネスはここで殺害されます。

伝説では、この時のイネスの流した涙が、コインブラを流れるモンデーゴ川
を溢れさせキンタ・ダス・ラグリマス=Quinta das Lagrimas(Quinta=
農園 Lagrimas=涙)の「愛の泉=Fonte dos Amors」ができ、そこの赤
い藻はイネスから流れた血でできたと言われます。

さて、物語はイネスのこの死でペドロ王子も諦めがつき、終わりかと思う
と、実はそうではないのです。この後日談がまた凄いのであります。

さても、こうなりますとペドロ王子の顔とやらを見てみたいと思うのが人情
と言うもの。写真はイネス殺害2年後に戴冠してポルトガル王8代目ドン・
ペドロ一世となった王子です。
ペドロとイネス

イネスの死を知ったペドロ王子は激怒、二度程父王への反乱を試みますが、
母后の 取り計らいで父子は和解します。(いつの世にも見られる親子の
確執です。ここで 思うのは、父王、側近ともに後継者である一人息子のペ
ドロに「王道」のなんたるかを教えこまなかったという大きな失敗ですね。
甘やかしすぎたのである(笑)

イネスと結婚するとなると、ペドロ王子が王位を継いだ暁には、イネスが王
妃となります。すると恐らく、正妻コンスタンスとの間に生まれたフェルナ
ンド小王子は暗殺され、ガリシア人=カステーィリャ人であるイネスやその
兄、更に母国から亡命していた取り巻きガリシア人たちの思惑でイネスとの
間に生まれた子供が王位を継ぎ、初代王アフォンソ一世がせっかく築いたポ
ルトガル独立国は混乱に陥り、再び隣接国に従属しなけらばならない羽目に
陥ることが目に見えています。

父王の憂慮はここにあり、イネス処刑はやむを得ない事情でもありました。
しかし、親の心、子知らず、恋は盲目で、ペドロ王子は恋の熱病に冒されて
しまったとも言えますね

王位についたペドロ一世、「実は自分はイネスと既に秘密裏に正式な結婚し
ていたのだ。よってイネスは王妃である」などど血迷いごとを言い出します。


しかし、そのような過去記録はないことから、これは愛したイネスをポルト
ガル王妃として人々の記憶に残って欲しいとのペドロの切ない願望と、もう
ひとつ、復讐心が絡んでいたのではないかしら?

現に、この後ペドロ一世王は埋葬されてある墓からイネスの遺体を掘りおこ
し、それに冠させ、ポルトガル王妃への礼節を取る様に、膝まづいて椅子に
座らせた遺体の手へのキスを家臣に要求します。(こうなるともう、悲恋も
行きすぎて、なにをかいわんや^^;とても尋常の神経とは思えません 


父王とは和解したものの、イネスを処刑した3人の騎士を王は許すことは
しませんでした。王位につくや、隣国に逃げていたそのうちの二人をすぐ
ひっつかまえ、自分の目の前で一人は胸から、もう一人は背中からその心
臓をえぐりぬいたといいます。(3人は、父王の「イネスの処分は任せる」
と任せられ、国思うゆえの行動ではあったわけで、ペドロさん、父を許さ
なければならない羽目になり、その分の憎しみがこちらの3人に向けられ
てしまったと、思われ。
)もう一人はと言うと、Diogo Lopes Pachecoと
言うのですが、運よく追手を逃れたとか、自殺に追いやられたなどと言わ
れています。

これらの所業から、ペドロ一世は「残酷王、復讐王、法の厳格王」との称
号をもらいます。さて、ペドロさん、これでもまだ気がすまない。(いっ
たいこれ以上どうしろと言うんや~

やがて訪れるであろう死に備えて、イネスと自分の棺を造らせます。この棺
が素晴らしい!ペドロさん、イネスさんには悪いけど、「悲恋」と後の世が
謳うこの物語で、唯一、わたしが「あら、いいじゃないの^^」と思う部分
です。

皆様、もうわたしの文体からお分かりでしょうが、どうもわたしは、このペ
ドロ王子もイネスも好きにはなれんのです(笑)。16世紀のポルトガルの
大詩人カモインスを始め、多くの詩人や文学者が後世の文学で取り上げてき
た宮中恋物語ではありますが、「あんたら、ちょっと勝手すぎん?」という
思いを否めないのである。

今も昔もある不倫の恋ではありますが、一国が傾くかどうかになるのでっせ。
イネスにいたっては美貌を武器にして、おとなしい女主人をいいことに、ま、
取り巻きもいたのであろうが、次期王をまんまと丸め込み。

ほんじゃ、コンスタンスさんはどないなりまんねん?少し気の利いたお方な
ら、イネス暗殺の刺客もむけましょう。コンスタンスさん、そんなこともな
さらんと、ご自分の侍女のところに入り浸りの夫の仕打ちにひたすら耐えて、
3人のお子を残しましたです。

って、あれ?ペドロさん、こっちでもしっかりやっとったんやん~(爆)

ということで突っ込みの青字が多い記事になりましてすみません^^;      
                         引用ここまで


ペドロ王子とイネスの話はこの後2回、アルコバッサの二人の石棺の話へと
続くのですが、興味のある方は後記より読んでいただくとして、さて、やっ
と本日の本題です。

上述で語られる、ペドロ王子の愛人イネス殺害に父王が送った3人の刺客の
ひとり、Diogo Lopes Pachecoについてのその後が判明しなかったのです
が、ピオーダンには、彼にまつわる話が残っているのです!

スペインのカスティーリャ王に保護を求めた刺客3人を一旦は保護するも
のの、ポルトガル王となったペドロの要求を受け入れカスティーリャ王は
約束を反故にし、3人をポルトガルに引き渡すことにします。その情報を
いち早く手に入れたDiogo Lopes Pachecoは日ごろ援助していた乞食の
助けを得て幸運にもこの危機を脱出。

その後彼は人の目の届かぬ深い山奥にある孤立した村、ピオーダンに隠れ
住んだとの謂れが現在に引き継がれています。

2009年に書いた記事が4年後のピオーダン訪問につながり面白い展開に
なりました。

「アルコバッサ:ペドロとイネスの石棺」はこちらです↓
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-705.html

次回は今回最後に訪れたピオーダンよりも更に山奥にある古村です。

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