2013年10月06日 (日)
2013年10月6日
9月に入ってすぐ、昨年度お世話になったポルトガル語のディアス(Dias)
先生にお願いして再びご指導いただくことになった。
ディアス先生にはかつてわが子たちも中学高校の6年間、週に一度ずつご
自宅に通いポルトガル語の勉強を見ていただいた。当時は高校でポルトガ
ル語を教えてらしたのだが、評判のよい先生でご自宅に通う生徒数が多か
った。
外国人(わたしのことである)にポルトガル語を教えたことはないのだが
と、おっしゃる先生に頼み込み、先生が丁度定年を迎えられたこともあっ
てかみていただくことになった。
わたしはあまりいい生徒ではない。普段は自宅や外で日本語を教えるゆえ
準備の時間も要り、ポルトガル語学習は授業の当日、1時間ほど予習して
行くのが目下のところ関の山だ。復習はできてないのである。それでも我
が日本語生徒達にもよく言うことだが、「継続は力なり」、続けることは
とても大切だと信じて今年度も通い続けることにした。
夏休み前に先生と読み終えた本が、ブラジル人作家パウロ・コエリュの
「O Alquimista(錬金術師)」だ。シンプルな文体で書かれているこの本
は一見子供向けだと思われがちだが、とんでもない。「O Alquimista」
古代思想を通して現代人が学び得る人生の知恵がたくさん散りばめられ
ており、神学を学んだディアス先生をして、うならせた本である。

この本はもう一度読み返してみるつもりをしており、本についてはその後で
拙ブログで取り上げてみたいと思っている。
さて、今先生と読んでいるのが下の本だ。

現在では消えてしまったポルトの古い通りとその歴史について書かれた本
だが、これを地図と照らし合わせて先生と読んでいる。そして、読後、時
間ができたときを見てはその場所を訪れ、書かれた内容をこの目で確認し
てみるのが、わたしの楽しみである。
ポルトについて書く著名人は二人いる。ひとりはHeldel Pacheco(エルデル
・パシェコ)氏、もう一人がこの本の著者Germano Silva氏だ。Pacheco氏
に電話突撃する羽目になったいきさつの過去ブログが下記にありますので、
興味のある方はどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-338.html
(初めての電突)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-526.html
(ポルト・1910年)
さて、今回訪れてきたのは2週間前に勉強した区域、ポルトのフニクラー
ルと呼ばれる街なかのロープウエイがある近辺である。ホームページから
の移行も兼ねて本日はそれをご案内したい。

♪「あか~い火を噴くあの山へ 行こう行こう
ここは地獄の釜の中 登ろう登ろう
ヤンマーヤンマー火の山へ
フニクリフニクラ フニクリフニクラ~」

ご存知(かな?)、カンツォーネ「フニクリフニクラ」です。我が20代後半に
渡米資金稼ぎで大阪アサヒ・ビアハウスでの歌姫時代に我が先輩で、歳が
一回り以上も離れているが友人でもある宝木嬢が、ステージでこれを歌うと
「ヤンマーヤンマー 火の山へ~」の箇所では、来場客のコーラスも入りビ
アハウス内は大いに沸いたものです。
「ヤンマーヤンマー」は「andiamo ya~」と、イタリアはナポリ地方の言葉で
「行こう」でしょうか。Andarがポルトガル語で「歩く、行く」の意味から推
察。これをイタリア語式に発音すると「ヤンマーヤンマー」に聞こえるらしい。
実際に自分で発音してみるとそう聞こえないこともない。
話が逸れましたが、さて、上の写真はポルト、ドウロ川沿いのリベイラから
ダウンタウンのバターリャ広場(Praçada Batalha)を短距離で結ぶロー
プウェイです。
「フニクラ」はポルトガル語で「funicular」と書き、元来は登山鉄道、ケーブ
ル鉄道、ロープウェイの意味。1891年に造られたポルトのフニクラールは
一世紀以上を経て再建され、現在では地元の人間よりもツーリストに人気
があります。
写真左に見えるのは伝説のフェルナンディーナ城壁(Muralha Fernandina)
の一部。これは長年わたしの課題になっているのですが、今だ手をつけられ
ず。フニクラールはこのフェルナンディーナ城壁の真横を登っていきます。
拡大してみましょう。

見るからに不安で、わたしは長い間このフニクラールに乗らずに今日まで
来たのでした。写真の急勾配、見てください・・・これ、45度はありそ
うですぞ^^;
遊園地の観覧車やジェットコースターもそうですが、少し高所恐怖症気味
なわたしはこういうのに用心深く、こんな急勾配でなにかあったら「一巻
の終わりだ」と取り越し苦労が先に立ち、ずっとだめだったのでした。
よし、乗ってみるのだ!と覚悟を決めてこの日は乗って来ました。

ルイス一世橋(Ponte Luis Primeiro/ Ponte Luiz Primeiro)を背景に。

う~ん、やはり怖気づく。
1891年に造られたフニクラールは、元々は荷物、特にポルトワイン
を運ぶのに利用されました。しかし、2年後の事故で閉鎖。リモデル
され再び開通したのは、2004年2月のことです。

無事登りきったバターリャ広場駅のホーム。
フニクラールはリベイラーバターリャ広場間の一駅のみ。所要時間は3分
足らず。メトロの切符アンダンテ(andante)の利用で1時間以内であれ
ば切符をスキャンに通すのみで改めて料金を払うことなくそのまま乗れる。
*注意:切符は1時間以内は乗り降りが自由。但し、スキャンするのを忘れ
ないように。時々検査官が回ってくるので見つかるとかなりの罰金が課せ
られますのでご注意を。
インフォメーション:
Funicular dos Guindais
ドン・ルイス一世橋の側から上り、ダウンタウ
ンのバターリャ広場からは下り)
営業時間: 11月~4月:毎日8時~20時
5月~10月 日~水 8時~22時 木~土 8時~24時
8月:毎日8時~24時
9月に入ってすぐ、昨年度お世話になったポルトガル語のディアス(Dias)
先生にお願いして再びご指導いただくことになった。
ディアス先生にはかつてわが子たちも中学高校の6年間、週に一度ずつご
自宅に通いポルトガル語の勉強を見ていただいた。当時は高校でポルトガ
ル語を教えてらしたのだが、評判のよい先生でご自宅に通う生徒数が多か
った。
外国人(わたしのことである)にポルトガル語を教えたことはないのだが
と、おっしゃる先生に頼み込み、先生が丁度定年を迎えられたこともあっ
てかみていただくことになった。
わたしはあまりいい生徒ではない。普段は自宅や外で日本語を教えるゆえ
準備の時間も要り、ポルトガル語学習は授業の当日、1時間ほど予習して
行くのが目下のところ関の山だ。復習はできてないのである。それでも我
が日本語生徒達にもよく言うことだが、「継続は力なり」、続けることは
とても大切だと信じて今年度も通い続けることにした。
夏休み前に先生と読み終えた本が、ブラジル人作家パウロ・コエリュの
「O Alquimista(錬金術師)」だ。シンプルな文体で書かれているこの本
は一見子供向けだと思われがちだが、とんでもない。「O Alquimista」
古代思想を通して現代人が学び得る人生の知恵がたくさん散りばめられ
ており、神学を学んだディアス先生をして、うならせた本である。

この本はもう一度読み返してみるつもりをしており、本についてはその後で
拙ブログで取り上げてみたいと思っている。
さて、今先生と読んでいるのが下の本だ。

現在では消えてしまったポルトの古い通りとその歴史について書かれた本
だが、これを地図と照らし合わせて先生と読んでいる。そして、読後、時
間ができたときを見てはその場所を訪れ、書かれた内容をこの目で確認し
てみるのが、わたしの楽しみである。
ポルトについて書く著名人は二人いる。ひとりはHeldel Pacheco(エルデル
・パシェコ)氏、もう一人がこの本の著者Germano Silva氏だ。Pacheco氏
に電話突撃する羽目になったいきさつの過去ブログが下記にありますので、
興味のある方はどぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-338.html
(初めての電突)
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-526.html
(ポルト・1910年)
さて、今回訪れてきたのは2週間前に勉強した区域、ポルトのフニクラー
ルと呼ばれる街なかのロープウエイがある近辺である。ホームページから
の移行も兼ねて本日はそれをご案内したい。

♪「あか~い火を噴くあの山へ 行こう行こう
ここは地獄の釜の中 登ろう登ろう
ヤンマーヤンマー火の山へ
フニクリフニクラ フニクリフニクラ~」

ご存知(かな?)、カンツォーネ「フニクリフニクラ」です。我が20代後半に
渡米資金稼ぎで大阪アサヒ・ビアハウスでの歌姫時代に我が先輩で、歳が
一回り以上も離れているが友人でもある宝木嬢が、ステージでこれを歌うと
「ヤンマーヤンマー 火の山へ~」の箇所では、来場客のコーラスも入りビ
アハウス内は大いに沸いたものです。
「ヤンマーヤンマー」は「andiamo ya~」と、イタリアはナポリ地方の言葉で
「行こう」でしょうか。Andarがポルトガル語で「歩く、行く」の意味から推
察。これをイタリア語式に発音すると「ヤンマーヤンマー」に聞こえるらしい。
実際に自分で発音してみるとそう聞こえないこともない。
話が逸れましたが、さて、上の写真はポルト、ドウロ川沿いのリベイラから
ダウンタウンのバターリャ広場(Praçada Batalha)を短距離で結ぶロー
プウェイです。
「フニクラ」はポルトガル語で「funicular」と書き、元来は登山鉄道、ケーブ
ル鉄道、ロープウェイの意味。1891年に造られたポルトのフニクラールは
一世紀以上を経て再建され、現在では地元の人間よりもツーリストに人気
があります。
写真左に見えるのは伝説のフェルナンディーナ城壁(Muralha Fernandina)
の一部。これは長年わたしの課題になっているのですが、今だ手をつけられ
ず。フニクラールはこのフェルナンディーナ城壁の真横を登っていきます。
拡大してみましょう。

見るからに不安で、わたしは長い間このフニクラールに乗らずに今日まで
来たのでした。写真の急勾配、見てください・・・これ、45度はありそ
うですぞ^^;
遊園地の観覧車やジェットコースターもそうですが、少し高所恐怖症気味
なわたしはこういうのに用心深く、こんな急勾配でなにかあったら「一巻
の終わりだ」と取り越し苦労が先に立ち、ずっとだめだったのでした。
よし、乗ってみるのだ!と覚悟を決めてこの日は乗って来ました。

ルイス一世橋(Ponte Luis Primeiro/ Ponte Luiz Primeiro)を背景に。

う~ん、やはり怖気づく。
1891年に造られたフニクラールは、元々は荷物、特にポルトワイン
を運ぶのに利用されました。しかし、2年後の事故で閉鎖。リモデル
され再び開通したのは、2004年2月のことです。

無事登りきったバターリャ広場駅のホーム。
フニクラールはリベイラーバターリャ広場間の一駅のみ。所要時間は3分
足らず。メトロの切符アンダンテ(andante)の利用で1時間以内であれ
ば切符をスキャンに通すのみで改めて料金を払うことなくそのまま乗れる。
*注意:切符は1時間以内は乗り降りが自由。但し、スキャンするのを忘れ
ないように。時々検査官が回ってくるので見つかるとかなりの罰金が課せ
られますのでご注意を。

Funicular dos Guindais
ドン・ルイス一世橋の側から上り、ダウンタウ
ンのバターリャ広場からは下り)
営業時間: 11月~4月:毎日8時~20時
5月~10月 日~水 8時~22時 木~土 8時~24時
8月:毎日8時~24時



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