2013年10月20日 

「断捨離」と言う言葉を先ごろ我がモイケル娘の口から耳にした。
彼女は目下それを実行しているのだと言う。

三字熟語のこの字から「思い切って物を捨てることだろう」と想像していた
が検索してみると、「断捨離とは、断行、捨行、離行というヨガの行法であ
り、人生や日常生活に不必要なものを断ち、捨てることで物への執着から開
放され、人生に調和をもたらそうとする生き方」を言うのだそうだ。
なるほど、単なる整理整頓とは一線をひくということである。

2年ほど前からそろそろ我が家のガラクタの類を処分しようと思い始めて、
わたしは暇を見て整理しては人にあげたり捨てたりしているのだが、今年
初めに起こした小火(ぼや)で、我が家に半年ほど同居していた義兄も家が
やっと修繕できところで、そんなことを思ったのであろうか、近頃、義母の
家の屋根裏部屋の整理をし始めたようだ。(義兄は亡くなった義母の家に住
んでいる)

義母が生きていたころは義母に会いに、その義母が亡くなり今はすぐ近くの
義母の家にひとり住んでいる義兄の話し相手にと、毎晩食後そちらへ出かけ
るのが習慣の夫だが、先週の夜、中サイズのなにやら古びた箱とプラスティ
ック袋を手に提げて帰ってきた。
「兄貴がこんなのを屋根裏部屋で見つけたよ。」と言う。

箱を開けてわたしは思わず「うわ~!」と声をあげずにはいられなかった。
目の前に姿を現したのは我が東京息子の赤ん坊時代から幼児期にかけての
玩具であった。
toys

toys

懐かしさに、授業準備をしていた手も止めて、ひとつひとつ箱から取り出
し、手に持っては眺めたわたしだ。特に記憶に残っているのはケロヨン人
形と風呂場の水槽に浮かべては、息子を風呂に入れた黄色いアヒルのゴム
人形だ。息子のお気に入りだったようで、キャッキャ喜んでは風呂に入っ
ていた33年前の息子が思い出された。

こんなものを屋根裏部屋に保存していたことすらとっくの昔に忘れてしま
っていた。目の前で突然にタイムカプセルが開けられたような思いだ。
この中のひとつでも息子の記憶に残っているものがあるだろうか。

モイケル娘が生まれるまでの6年間をわたしたちは夫の母の家に同居して
いたのだが、嫁姑事情はポルトガルと言えども同じ。周囲に愚痴こそもら
さなかったが、こ6年間はわたしなりに大変だったものだ。
息子の誕生はそんなわたしと義母や当時同居していた夫のおばたちとの潤
滑油になっていたと思う。

不意に現われた息子の赤ん坊時代の玩具を目の前にして懐かしさと同時に
「帰ろかな、帰るのよそうかな」と日々悶々としていた若かりし自分の姿
が思い出されもした。

だが、振り返って見れば、同居の6年間こそ実にわたしがポルトガル人の
生活と言うのに直にふれた期間であった。たまの行き来だけでは分からな
いことが大いにあるのだ。

あれらの経験も今になってみれば全てよし。思い立ったら一目散のイノシ
シの性格そのものだった自分に「辛抱」ということを知らしめてくれた貴
重な時期であったと思える。

断捨離も家の中がすっきりしていいけれど、すっかり忘れていた思い出が
古い物を通してこんな風に蘇るときを持つのもいいかも知れないなぁ。

開けたおもちゃの箱はあたかも竜宮から帰った浦島太郎の玉手箱のごとし。
太郎が開けた玉手箱に見たのは、遥かな昔にまつわるこんなものだったの
かも知れない。

「たちまち、太郎はおじいさん」と、ふとそんな歌が耳をかすったような気
がしたが、うげ、なんの!とそれを振り払った。時の流れはそれなりに認め
るが、まだまだこれからよ!と、テキスト作りや影絵作成でpcに向かう日
曜の朝である。

toys
義母の屋根裏部屋からこんなのも出てきた。1980年とある。この数年後
に、わたしは、朝日系に愛想を尽かして以後、手に取らなくなった。
無論、アサヒビアハウスは別である。
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