2014年3月1日 

ようやく長雨が終わるかと思ったのも束の間、今日も雨の週末です。

日本語教室の合間と晴れ間を縫って、例え1時間ほどでもとしばらく前に歩いてきた久しぶりのポルトの街を今日は少し。

写真を撮るだけでは飽き足らず、シンボルマークと思し召しきは勿論のこと、町の、通りの、あげくは建物のと、その歴史を知らずに語らずにおれない性分なものでついつい説明がしつこくなり勝ちのわたしです。本日もその類になりますれば、ご了承くださいませ。

ポルト
旧市街、昔ながらの路地Rua das Taipasこと、タイパス通り。ポルトの風物詩、洗濯物がここでも見られます。

この洗濯物は旧市街だから許可されているのであって、新住宅街では外観を損なうと言うので、いかな昔かたぎののんびりしたポルトとて、このように表通りに洗濯物を干すのは一応禁じられています。

「Taipa」は「しっくい壁」のことでペストがヨーロッパ襲った14世紀に、ペスト患者がこの地域に送られ、しっくい壁を張り巡らし隔離した祭の名残りがその名に残ったと言われます。この話は、エヘン(笑)、現在、我がポルトガル語のディアス先生と勉強しているポルトの歴史で学んだのであります。

この通りに来るたびに気になってきたのが下の古い家です。
ポルト
崩れかけていますがファシャーダ(正面玄関)に見られるのは立派な家紋。これを目に留めた何年か前には通りでタムロしていたおじさんたちをつかまえて誰の家なのか、だったのか、と聞いたものの分からないとのこと、中で人が働いているから聞いてみなと言われたのには、え?誰か住んでるの?と驚いた。横に回ってみると小さな作業所のようなのがドア越しに見え、勇気を出して中へ入り受付のおじさんに「この家の持ち主さんですか」と聞いたことがあります。

聞けば商売に一階を借りているのだそうで、外のファシャーダのいきさつも元々は誰の家だったかも知らないとの返事にガッカリしたことがあります。
これはPalacete dos Vilares de Perdizes(ヴィラーレス・デ・ペルディーゼス小宮殿)と呼ばれ17、18世紀にかけてブルジョアのその一族の住まいだったということが判明し長年の疑問が解けてこの度はすっきりしたところであります。

さて、この通りと交差するのがRua Sao Miguel、サン・ミゲル通りです。

ポルト
↑サン・ミゲル通りからタイパス通りを見る。下は通りの突き当りのヴィトーリア教会。
ポルト

この通りも古い歴史をもっています。14世紀の終わり頃にドン・ジュアン1世の命で作らたポルト最後のユダヤ人街、ゲットーでとしては1386年から1496年まで111年間存在しました。
当時のポルトのユダヤ人は日中市内での物の売買は自由でしたが、トリンダーデ教会(Igreja de Trindade。ポルト市庁舎の後ろにある)の夜の鐘が鳴ると同時にゲットーに入らなければなりませんでした。

1496年にドン・マヌエル1世王により、一年間の猶予でポルトガル国内のユダヤ人はキリスト教に回心するか国外へ出るかの選択を迫られました。ドン・マヌエル1世王のこの方策は、スペインのアラゴン王女との婚姻の契約事項でした。この時にキリスト教徒に回心したユダヤ人を新キリスト教徒と呼びます。

回心せずに家を捨てて国をでる者、回心しても旧ユダヤ人との交流を避けるためにこれまで住んだ家を捨てる者が多々あり、ユダヤ人街は実質上、無人の町と化しました。後、16世紀の半ばドン・ジュアン3世国王の命で、ポルトの新キリスト教徒は全てリベイラ広場かサン・ミゲル通りに押し込められることになりました。以来この通りは新キリスト教徒の町になったわけですが、さて、次回はこの通りに関する面白い話をご紹介します。

お時間がありますれば、ランキングクリックをしていただけると嬉しいです。
それでは、みなさま、また。
にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ blogram投票ボタン
テーマ:ポルトガル
ジャンル:海外情報
コメント
はじめまして、千葉市に住む者です。
ポルトガルって、どういう社会か知る参考に拝見しています。
>ようやく長雨、>今日も雨の週末です など
雨の話題が多いのが少し気になります。まだ行くかわかりませんが旅行に行く時に考慮しないといけませんから。

35年在住凄いですね、日本人旅行者の大半が英、仏、伊、などに行って
ルーブル美術館、大英博物館などに関心を向けますが よく調べるとリスボンにある
グルベアンキン美術館、国立アズレージョ美術館、国立古美術館の方が
 他の文化を垣間見るにはおもしろいのではないかと想像してしまいます。

また、ブログを見て思うことは、あたかも日本に住みながら政治、社会一般を語ってる錯角に
陥ってしまうのがおもしろいです。イベリア半島の果てからですから。ナポレオンはピレネー越えたら
ヨーロッパではなくアフリカだといったらしいです。
 例、靖国、イルカ、サンフランシスコ講和第?条とか都知事選、「朝まで生テレビ」とか
 桝添氏、宇都宮氏、田母神氏の論評とか。
ポルトガルとスペインはかつての世界の中心です。織田信長の長篠の合戦の新兵器・鉄砲もポルトガルですし
スペインからザビエルが来ましたが、信長、秀吉とは違って家康はキリスト教には内心警戒してました。
  
 ポルトガルでもロシア軍によるクリミア半島 掌握のニュースは大きく報道されているのでしょうか
 ご存知、安部総理はプーチン大統領と5回も会談しても和平工作の電話一本もできないようです。
 やっぱりアメリカの承諾がないとできないんでしょうね、メルケル首相みたいに電話できないのですね。
 米軍のシリアへの軍事介入を示唆したとき米国議会で承認されていないのに安倍総理は支持すると明言したのにはビックリでした。
       長々とすいません。
2014/03/05(Wed) 17:08 | URL | トムキャット | 【編集
トムキャットさん
こんにちは。
当ブログへおいでいただきありがとうございます。

>雨の話題が多いのが少し気になります

ポルトガルは冬が雨季ですが、今年は本当に雨が続きました。これはポルトガルに限らず、欧州各地でも長雨多雨で水害が起こっています。

ポルトガルは通常3月から10月まで天気がよく真っ青な空が仰げます。観光ならその時期がおすすめです。

>グルベアンキン美術館、国立アズレージョ美術館、国立古美術館

残念ながらリスボンは何度も行っているのですが観光はなしで、当ブログでもリスボン情報はわずかしかありません。多分今夏は、と考えているところです。

>日本に住みながら政治、社会一般を語ってる錯角に 陥ってしまうのがおもしろいです

はい、母国の政治社会には大いに興味を持っており目が放せません。昔と違い、今はネットで敏速なニュースが手に入りますので、アンテナをはり巡らしています。遠く離れていると日本のことがとてみ気になります。

>ナポレオンはピレネー越えたらヨーロッパではなくアフリカだと

下記にナポレオンのポルトガル侵攻について綴ってありますのでよかったらどうぞ。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-858.html

>ポルトガルでもロシア軍によるクリミア半島 掌握のニュースは大きく報道されているのでしょうか

はい。ウクライナ問題は毎日のように報道されています。また、ポルトガルのメディアはアフリカ問題もしょっちゅう報道します。

>安部総理はプーチン大統領と5回も会談しても和平工作の電話一本もできないようです

う~ん、ま、おめでたいことは電話でできるのでしょうが、大事な問題は基本的には会談に持って行くのが正当ではないかとわたしは思いますが、人それぞれでしょうね。

隣国二カ国、アメリカに関しては短期間では解決できない問題が多くて安倍首相もご苦労なさっていることでしょう。少なくとも前政権よりはずっとマシだと、個人的に思っていますよ。
2014/03/05(Wed) 20:29 | URL | spacesis | 【編集
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック
Click for Porto, Portugal Forecast 
ポルトガル ポルトの口コミ
ポルトガル ポルトの口コミ にほんブログ村 外国語ブログ マルチリンガルへ
にほんブログ村