2014年8月31日 

何度か訪れているシントラ山中だが、この夏は「Chalet de Condessa d´Edla(エドラ伯爵夫人のシャレー)」を初めて足を運んでみました。

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Chalet de Condessa d´Edlanの入り口

「Chalet」はスイスアルプス等で見かけられる山荘のことです。 

「エドラ伯爵夫人のシャレー」はペナ城(こちらで案内しています)を取り囲む広大な森の中に造られましたが、1999年に山荘は火災被害を受けて、長い間放置されていました。修復され一般公開されたのは2011年、つい数年前のことです。
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エドラ伯爵夫人については面白い歴史話がありますので、本日はシャレーと森の案内とともにそれも一緒に取り上げてみたいと思います。

「エドラ伯爵夫人」と言うタイトルは夫人がドン・フェルナンド2世と結婚する際にもらったものです。ドン・フェルナンド2世は19世紀のブラガンサ王朝、ドナ・マリア2世女王の王配(女王の配偶者のこと)です。オーストラリア人でハンガリーの名門貴族出身のドン・フェルナンド2世は、1755年のリスボン大地震以来荒れたままになっていたペナ城に惚れこみ、今日の姿に造り上げたので知られています。

34歳の若さで亡くなったドナ・マリア2世の跡を継いだのは、後継者のペドロ王子がまだ13歳であったため摂政となりましたが、15年間寡夫を通した後、運命の女性、エリゼ・ヘンスラーという女性に出会います。
エリゼはスイス生まれで、アメリカ、パリで教育を受け、スカラ座でも歌ったことがあるオペラ歌手でした。

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エリゼ・ヘンスラーことエドラ伯爵夫人の肖像(wikiより)

1860年2月のこと、エリゼはポルトのサン・ジュアン国立劇場で、そして4月にはリスボンのサン・カルロス国立劇場でヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」に出演しました。見ていたフェルナンド2世はこの25歳の美しい歌手、エリゼにたちまちのうちに恋に落ちます。エリゼは歌手というだけではなく彫刻、絵画、建築など芸術にも博識で非常に教養のある女性でした。

ドン・フェルナンドはエリゼと正式に結婚し妃に迎えたいと言うのですから、さぁ、大変。国王と庶民、しかも歌手という身分違いのこの結婚にはどれほどの障碍があったことでしょう。これはエリゼに結婚前日にようやく「エドラ伯爵夫人」と言うタイトルが王の甥によって与えられたことからわかりますし、また、ポルトガル王家の歴史から忘れ去られていたということからも分かります。

しかし、ドン・フェルナンド2世、御歳53歳にて1869年6月10日にリスボンのベンフィーカでエリゼ・ヘンスラーとの結婚にこぎつけます。進歩的な思想ゆえか恋ゆえか。フェルナンド2世が手がけた異国風の不思議な様式のペナ城を見ると、自由な想像力を持ち合わせた王だったということが窺えます。

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シャレーのある森からはまるでお伽話にでも出てくるようなペナ城が見える。

さて、ペナ宮殿にいたのでは生きた心地もしなかったであろうエリゼは、やがてガーデニングという趣味を同じくするフェルナンド2世の協力を得て北アメリカやニュージーランドなど世界中から植物を集め土地の特質を生かしたペナ公園の造庭の乗り出します。この中には日本からの杉も植えられています。

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シダあり、

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岩あり。シントラ山中の岩には神秘性が感じられる。
 
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巨大な石を支えんとする我が妹夫婦と夫。遊んでますw

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森の中は散策できるように配慮されている。

次回はエドラ伯爵夫人のシャレー内を紹介します。

では、また!
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