2014年10月21日 

昨日今日と初夏のような気温です。仕舞いこんだ夏服を再び引っ張り出すのも億劫で、暑いのを我慢しているのですが、小春日和には少し早いではないの?日本はいかがでしょうか。

さて、ネット友のなみちゃんから前回の記事について、ワインセラーの女主人、「ドナ、と付くから王家の遠縁だったのか」との質問がありました。

普段から耳慣れ使い慣れているもので、うっかり説明を忘れてしまいましたが、Dona Antonia Ferreiraの「Dona=ドナ」は、かつては貴人の女性のタイトルでした。これに対するのが男性に使われた「Don=ドン」です。「ドン・アフォンソ」「ドン・マヌエル」などに見られるように、ポルトガルの歴代の王には最初に「ドン」のタイトルが付きますが、妃には「ドナ」が使われます。また、女王のマリア1世も「Dona Maria 1(=ドナ・マリア プリメイロ=マリア1世)と、「ドナ」が使われます。

では、ドナ・アントニアはと言うと、彼女は貴族ではありません。が、王から「伯爵夫人=Condessa」のタイトルを与えられています。これも面白いのですよ。ドナ・アントニアはタイトルなど自分は要らぬと、最初は断っています。数年後、再び王から「進ぜよう」と言われ、「2度もタイトルを王に断るのはどうか。それに、俺には何のタイトルもない」とのたまうドラ息子の意見を仕方なく飲んだと言うのが本当のところです。このタイトルは息子が引ぎ継いで貴族に引き上げられることになるのでしょう。

20世紀初期のこと、ドン・マヌエル2世を最後に王政時代も終わり、ポルトガルは共和国になりましたが、以後、「ドナ」の称号はいつの間に一般の既婚女性を呼ぶ際に使われるようになったのです。ですから、わたしもここでは「ドナ・ユーコ」と周囲から呼ばれています。しかし、「ドン」は男性に使用されません。男性に対しては一般的には「Senhor=セニョール」、「Doutor=ドクター(医者、弁護士、学士など)」、「Engenheiro=エンジェニェイロ(工学部卒)などが使われます。

話を戻して、ドナ・アントニアの子息を「ドラ息子」と書きましたが、散在しつくした父親の血を引いてか、まぁ、本当にそうだったのですね。ドナ・アントニアはロンドン滞在の3年をのぞき、生涯のほとんどをドウロ川上流レグア(Régua)の葡萄農園で過ごしたのですが、ワイン業ゆえ、葡萄収穫後、樽詰めにされたポートワインを「Barco Rabelo」と呼ばれた帆掛け舟で川を下りガイア市側のワインセラーでそれらを寝かせることになります。そうすると、商売上、自ずとポルトにも自宅が必要になります。

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帆が張られていないBarco Rabelo.現在は運送に船を使わないが観光用に浮かべられてある。

下がその邸宅の古い写真です。大きな邸です。「Palacete da Dona Antonia(パラセッテ=小宮殿。豪華な邸宅をこう呼びました)」と呼ばれました。今ではもうなくなってしまいましたが、現在のポルト市庁舎の右側、中央郵便局等がある一帯がそうだったとのこと。

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(写真はwikiより)

ポルトの邸宅には息子夫婦が住んでいました。家業を継ぐ気もなく母親と反りが合わず、しょっちゅうお金の無心をしており、子供の養育費を除いては金銭面では援助しないとドナ・アントニアから言われる始末です。が、後に政治家の道へ進み、ポルトの企業家社会のトップに立ち、1865年にクリスタル公園のクリスタル宮殿で開催された国際博覧会の音頭をとったりしています。(クリスタル公園については後日追します)ドナ・アントニアが1896年に没していますから、彼女の生存中になんとかマシな男になったということでしょう。

さて、娘のほうですが、11歳でドナ・アントニアと渡英しそのままロンドンに留学しますが、ポルトガルの伯爵と結婚します。ところがこの伯爵、家名はあれど金はなし。夫婦でドナ・アントニアに際限なく無心し、さすがのドナ・アントニアもあきれ果て、これも息子と同じように、孫達の養育費、学費は援助しますが、他の一切の援助を切ってしまいます。

女性にとって仕事も子育ても上手にこなせたらそれに越したことはありませんが、仕事は敏腕を振るい人々から慈悲深いと言われたドナ・アントニアも二人の子供には随分と頭を悩まされたようで、世の中、あれもこれもと全て上手い具合に運ぶのは稀なのだなぁと思わされました。

ドナ・アントニアの莫大な遺産は世代が変わるうちに失われましたが、彼女の曽孫の手になるレグアのQuinta do Valladoは現在も葡萄園兼ワインホテルとして営まれています。

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キンタ(農園)の入り口。(写真はwikiより)

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ホテルは左が18世紀調の部屋、右が21世紀の部屋になっています。(写真はwikiより)

30近い葡萄園を持っていたフェレイラ一家でしたが、あれから1世紀半経った今、Sograpeというワイナリーが現在はFerreiraを所有しています。Sograpeがポルトガル企業なのがまだ救いがあると言えましょう。 英国人が買い叩こうとする葡萄園を買いとり、後に買い取った葡萄園は同じ持ち主たちに買い値より安く売り渡したり、時にはただ同然で譲ったりもしたドナ・アントニアは単にFerreira社にだけでなく、ドウロ川地域の、ひいてはポルトガル北部のワイン産業に多大な貢献をしました。彼女の功績を讃え、「Dona Anotnia」と命名されたポートワインがありますので、それを紹介して、ドン・アントニアの記事を終えます。

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(写真はwikiより)

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
次回は、ポートワイン絡みのポルトに住むイギリス人について書きたいと思います。
それではみなさま、またあした!

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