2015年1月13日 

前回、ボルサ宮前の小さな広場にあるエンリケ航海王子の立像に話題が逸れましたが、逸れついでに、アップロードし忘れていた「エンリケ航海王子が目指した先は?」のPart2をあげます。Part 1はこちらでどぞ↓

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-454.html> 「エンリケ航海王子が目指した先は(1)」

14世紀初頭、フランス王フリップ4世のもと、異端、偶像崇拝の罪名を科せられ、弾圧を受けたテンプル騎士団はジャック・ド・モレーを最後の総長(グランドマスター)に壊滅するわけですが、騎士団の財宝はどこぞへと消え、残った団員たちも他の騎士団に加わったり、引退するものがいたりしましたが、ポルトガルのテンプル騎士団はローマ法王の許可を得て国王の庇護の下、「テンプル騎士団」から「キリスト騎士団」と名前を変え生き残りました。

なにしろ、数世紀にも渡ったレコンキスタ運動(イベリア半島のイスラム教徒占領からキリスト教徒の手による奪回運動の戦いのこと)の成就は、テンプル騎士団の助力無くしては実らなかったのですから、ポルトガル王はこのあたりを突いてローマ法王に話を持ち出したのではないか?もちろん、トマールのテンプル騎士団修道院に秘匿され騎士団の財宝の一部が法王には献上されたことであろう、と言うのはspcersisの勝手推測です(笑)

テンプル騎士団については、左カテゴリメニュー欄の「spacesis, 謎を追う」で綴っていますが、興味のある方はどぞ。

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1072.html 「トマール:テンプル・キリスト騎士団修道院(1

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1074.html 「トマール:テンプル・キリスト騎士団修道院(2  

http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1094.html 「テンプル騎士団聖堂、再び
 

さて、テンプル騎士団の後継、キリスト騎士団の総長となったエンリケ王子は、騎士団の財産を冒険事業の資金源とし、新しい船の造船にも力を注ぎました。

エンリケ航海王子
大航海時代に使われたastrolabio(アストロラービオ)こと、天体観測儀。我が家にはこのレプリカがある。    

エンリケ航海王子
遠洋航海用として開発された三角帆と三本マストを持つカラベラ船(carravela)。

大航海時代初期、エンリケ王子の命を受け初の海外遠征隊としてサグレスから未知の大海に船を漕ぎ出した王子の従者、ジョアン・ゴンサルベスとトリスタン・テイシェイラたちは、大西洋中のマデイラ諸島を、そして後に大西洋の中央にあるアソーレス諸島を発見します。(現在もこの2諸島はポルトガル領である)

1444年に遠征隊はカーボ・ベルデとセネガル川(現在のダカール近辺)に到達しアフリカ南部から大量の金を得ることになります。1444年から1446年にかけ、約14隻ほどの探検船がエンリケ王子の命にてポルトガルから出港し、1460年にはシエラ・レオーネ(ギニア)に到達。この年、エンリケ王子はサグレスにて66歳の生涯を閉じるのですが、王子の騎士団はアフリカ沿岸遠征のシエラ・レオーネまでの2400キロメートルを南下したことになり、ポルトガルはこうして大航海時代の幕開けとなります。

さて、エンリケ航海王子のこのアフリカへの果てしない冒険、探検事業への夢を駆り立てた源泉はいったい何だったのか?

一つには12世紀十字軍遠征の時代から語り継がれて来た「プレステ・ジュアン」伝説です。(Preste Joao。英語ではプレスター・ジョンと言う)

イスラム勢力との苦しい戦いの中で、「プレステ・ジュアン」と言うキリスト教徒がアフリカに王国を作っており、やがて彼の軍が十字軍の援助にやって来てイスラム教徒を敗北に追いやると言う噂が十字軍兵士達に希望をもたらしたことから始まります。この噂は時を経て伝説となり17世紀までキリスト教徒の間で流布されました。

イベリア半島をイスラム勢力に長い間支配されていたスペイン、ポルトガルは、国土奪回運動(レコンキスタと言う)を展開し、ついにイスラム教徒を半島から追い出すことにこぎつけたわけです。

キリスト騎士団のグランドマスターでもあったエンリケ王子はプレステ・ジュアン王国の力を借りて、キリスト教徒の(と、取りあえず書くのだが、騎士団のマスター、エンリケ王子は果たしてキリスト教徒か?もしかすると、テンプル騎士団同様、キリスト教徒と言うのは隠れ蓑であって、事実はローマ・カトリックからする異教徒の可能性はないかと思うところあり)ひいてはポルトガルの勢力を拡大したいと考えていたようです。エンリケ王子のアフリカ沿岸遠征は、「プレステ・ジュアン王国」を探すことでもあったのでしょう。
 
エンリケ航海王子
プレステ・ジュアン王国が描かれているアフリカの古代地図。エチオピアの辺りに位置している。                    
エンリケ航海王子
12世紀にプレステ・ジュアンが使者を通してビザンチン皇帝に送ったという手紙が出回った。その絵。

二つ目は、マルコ・ポーロの「東方見聞録」に書かれてあった「黄金の国・ジパング」、わが国です。黄金はいつの世にも権力者を魅了してきました。エンリケ王子はアフリカに沿って行けばインド洋に出て、やがて中国大陸にたどり着き、その東方のジパングを発見できると考えていたようです。
                             
黄金への夢はアフリカ南部から大量な金を獲得できるようになったことでとりあえず叶えられたわけですが、エンリケ航海王子の死後もポルトガルは更にインド航路発見を経てポルトガル世界海洋帝国となって行きます。ちなみに、インド航路発見をしたヴァスコ・ダ・ガマもキリスト騎士団の騎士でした。

ポルトガル語でO Navegador(オ・ナヴィガドール=航海者)という代名詞を冠するエンリケ王子の目指した先は、あるいは黄金の国と言われたジパングであったのかも知れません。 
     
さて、最後にエンリケ航海王子は、キリスト騎士団総長、グランドマスターとして騎士団に多くのアフリカ沿岸遠征命令を下したのですが、意外なことに、遠征航海そのものには参可してはいないのです。王子は机上で夢を描き、駒を動かしていた、という事実にわたしは少し驚かされたのでした。   

下記、航海王子が人生の後半期を過ごしたと言われるサグレス旅行記です。
http://spacesis.blog52.fc2.com/blog-entry-1118.html「サグレス・航海王子の夢の跡」                                               
では、明日はボルサ宮です。
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